子供の合宿体験
この番組はですね、もともと私の自己紹介だし、それから、ゆいごん状として収録をしていたもので、
それがなんかね、ほら、時事の話が多くなっちゃってるじゃないですか。
別にどうだっていいと思いますけれども、ちょっとね、昔の話にまた戻そうかなっていうふうに今回は思っております。
というのもですね、うちの子供が中3と中1なんですけれども、現時点で中3の方がですね、部活の合宿に行きましたと。
その合宿がどのようなものかというのはですね、正直よくわからないんですね。
というのも、うちの長男っていうのはですね、本当にそういうことをしゃべらないもんですから。
ただ私たちもですね、夫婦もですね、そんなにそのねほりはほり聞きはしない。
いや、一応一通りのことは聞くんですけど、どうだった?みたいなね。
例えば、どの部屋で誰と一緒にいてとかっていうのも、それはある程度、特に妻は聞いてるんですが、そんなにゴリゴリには聞かない。
というのは、妻に聞くとですね、やっぱりママ友さんとかなんかでは、もっとゴリゴリに聞いてる方もいらっしゃるようなので。
っていうか多分あるでしょうね。
それは小学校の時とかから、もっと前からずっとゴリゴリ聞きをしてらっしゃる方っていうのは、息子娘の方もゴリゴリに慣れてるから、
まあめんどくせいことになる前にちゃんとしゃべっとくかっていうようなメンタリティがちゃんと身についていらっしゃるということなのかもしれませんね。
高校時代のボート部
じゃあね、全然ダメでして、親のせいなんじゃないかって気もしますね。
それでですね、そうだ私も部活で合宿行ってたわと思って、その話をします。
なんか多分こういう昔の話、高校時代で終わってて、高校の部活に入ったぐらいで終わってんじゃないかなって気がするんですけど、
私はボート部っていうマイナースポーツをやってました。
まあね、いろんなことがありましたけれども、夏休みになるとですね、もう夏休みになってすぐぐらいに合宿があるんですよ。
私たち名古屋の学校なんでですね、岐阜県に行きましたね。川辺町っていう市町村がありまして、そこに綺麗な川が流れてるんですよ。
そこでもって、川辺町はすごくボートにも力を入れてる自治体だったので、ありますよね。
いまだにそういう自治体によってこのスポーツに力を入れるみたいなの。川辺町だったんで、そこ行って、合宿場があるんですよ。
で、合宿場がある。合宿場、合宿、定語があるんですよね。合宿場なのかでも。
何言ってんだお前って感じですけど。飯は旅館で食ったなあ。で、合宿場で寝泊まりしてたのかな。
それともその旅館で飯を食ったって言ってるくらいか。その旅館に泊まってたんですかね。ちょっとよくわかりません。
すいませんね。どっちでもいいっしょ。
そういうボートしかできない、何泊だったっけなあ。結構やりましたよね。3泊4日とかだったのかなあ。
そもそもやっぱりそういう部活の合宿は私なんかは全然初めてのことだったんで、それ自体がね。
まあ修学旅行とか、そういう感じのちょっとした体験ですよね。
ただなんかその泊まりがけで親の元を離れるっていうのは、もう小学校3年生の時からやってたんで。
こうやって話してますっけ。小3の時に滋賀高原に行って、何で行ったんだっけ。
スイミングスクールの合宿だったのかなあ。合宿?キャンプ。キャンプですね。合宿じゃないわ。キャンプ。
4年生の時には串本に行って、なんかこれは確か友達と一緒に行った気がしますね。
だからなんかそういう自治体か、もしくはなんかそういうキャンプ、子どものキャンプやりますせ団体みたいなところのやつで行きましたね。
5年6年は、5年は名古屋市の当時の小学生は中津川っていう林間学校があったんで、中津川って岐阜県中津川市ですね。
6年生は修学旅行ですよね。そこは行ってないんじゃないかなあ。中1、中2、中3は全く覚えてませんけど、スキーも行ってましたね。冬はね。
それも友達と行きましたね。なんだかんだ言ってるんですよね。
で、高1のボートの合宿はもうとにかくね、ひたすら朝からずっと来いてるんですよね。
でね、ボートってこういったことある人、公園のボートは別としてね、競技でボートやった人ってまずあんまりいないと思うんですけど、
あの、ケツのところが動くんですよね。シートって言いますけれども、可動式なんですよ。
足を曲げたり伸ばしたりして、屈伸運動を椅子に座った状態でやると考えてください。
あれは足蹴りって言うんですけれども、ちょっとほら、なんか頭の中で想像してほしいんですけれども、バーンと蹴るとその前に力が伝わりますよね。
それがボートの推進力になるんですよ。で、ボートって一般に公園のボートとかそうですけれども、ケツ動かないじゃないですか。
だから腕の力でこう入れるって思われがちなんですよね。オールを漕ぐっていう。全然違ってですね。
たぶん、知りませんけど、足の力の方が大きいと思います。だって、スクワットの方がベンチプレスより上がりますよね。
僕、最盛期でベンチプレスって50キロぐらいとか、60は行ってないと思います。50キロぐらいだからと思いますけれども、スクワットは100行ったんですよね。
先輩ですごい人は130とかやってましたけど、やめた方がいいと思いますけどね。
100ぐらいってできちゃうんですよね。100キロとか上げられるバーベルが。なので、腰の方が力強いんですよね。
だからそこが肝心になるんですけれども、やるじゃないですか。ボート漕ぐんですよね。
そうするとね、もうね、何もかもベロベロに向けるんですよね。やっぱり一番最初に向けるのは手の皮で、オールを持つ指の皮が向けるんですよね。
手のひらの指の付け根の部分も向けるし、指の第3関節とか第2関節の指の腹の部分も皮が破けますね。
豆みたいなのができるんですけど、これができた時に皮が破けて、肉と皮の間がずれるんですよ。
これが痛くて、特に風呂入った時にめちゃくちゃ痺るんですよね。痛かったなあ。下痛ですね。
だとお尻はね、だいたいみんなローイングパンツって言って、サイクリングやってる人が履くような、お尻のところにクッション入ってるのを着て履いてるんで、お尻を向けることはそんなにないかな。
脚もね、当たるんですよ。レールって言って、お尻のシートの部分が稼働する。レールの上に車輪が乗っかってて、その上にシートが乗ってるんですよね。
なので、そのレールの部分にどうしても脛の部分、脚の部分が当たるんですよね。
そうするとね、そこの毛が削れてくる。ボート部員って、脚の毛を見ると一部だけ毛がないところがあるっていう、そういう体毛の状態をしてると思いますけどね。
そういうのとかもね、擦れてすごい痛くなるんですよね。ずっと漕いでますからね。
通常の練習にはないような、とにかく負荷の高いメニューをひたすらやり込むっていう。
だけど、そのしんどさを乗り越えるとですね、夜が来るわけですよね。そこはみんなでご飯食べたりしてね、楽しい時間がやってくるわけですよ。
合宿中にはテレビとかも置いてあってね、夜はテレビ見たりもしてましたね。
でほら、四春期の男子高校生、女子でもいましたけど、男子高校生固まってますから。
そうするとね、やっぱり当時、深夜放送って、11pmは多分もうやってないんだよな。Xテレビとかですからね。
たまにそういうお姉さんの裸が出てくるような番組っていうのが当時まであったんですよ。ギルガメッシュナイトみたいなやつ。
そういうのを見ようとみんなで必死になってたみたいなね、そういうアホらしいこともありましたよね。
抵抗合宿の思い出
はい、合宿ね。それは岐阜県に行くちゃんとした合宿ですけど、もう一つ抵抗合宿ってのがあって、
それは特に部内で決まったことではなかったんですけど、我々は抵抗って言って、要は川がないとボートって漕げないので、
名古屋の抵抗っていうのは大体中川運河にあるんですね。
その中川運河にある抵抗に行ってたんですけれども、って言っても名古屋以外の人は何言ってんのって話だと思うんですけど、
要は学校からボート乗れる場所まで離れてるんですよ。電車を乗り継いで歩く時間も、
大体小1時間ぐらい学校から移動しないとボート漕ぐところまで行けないんですよね。
そこには宿泊する施設は全くありませんでした。当時はね。今はあるんですけど、ベッドとかね。
何にもなかったんだけど、なんかそこで寝袋とかで寝っ転がって、夜はね、焚火とかしてね。
焚火やっていいのかな?やってましたけどね。みんなでどんちゃん騒ぎするっていう、そういうのもやってましたね。
たぶんなんかそう褒められた話じゃないし、男子しかやってなかった可能性もありますけど、
全然覚えてないんですよね。誰が何をしてたかとかね。
ただランチ騒ぎだったっていうのだけは覚えてますけどね。
っていう合宿、なんだったんでしょうね、あれってね。別に合宿って行かなくてもよくないですか。
ただやっぱり、何だろうな、なんかそういうイベントをやることが大事なんですよね。
そこでちょっと意識を変えるってことなんですかね。だって練習の時間が取りたいんだったら別に、
外に行かなくても、わざわざ遠方に行かなくてもいいじゃないですか。自分のところの学校でも行けますよね。
あの辺ね、何だったのかなっていうね。
いやいや、部内の親睦を深めるとか、チームメイトの学校以外の場での顔を知るとか、そういうのが大事なんでしょうね、きっとね。
たぶんそうに違いない。