1. 神田大介の経験
  2. 体育と音楽
2025-03-17 19:41

体育と音楽

サマリー

このエピソードでは、体育と音楽を通してさまざまな学校での体験が語られています。特に、体育の先生や部活の顧問に関する思い出や音楽の授業でのエピソードが描かれています。音楽の授業では、経験やさまざまな楽器の演奏に関する苦悩が取り上げられています。リコーダーの演奏やパソコンを使った音楽制作の工夫が紹介され、体育と音楽に関する教育の思い出がシェアされています。

体育の先生とその思い出
というわけでですね、前回ちょっと話しきれなかった、主要語教科以外の先生の話。
主要語教科ですかね、本当にね。
体育の先生ね、いろんな先生いましたよね。なんか顔を思い浮かぶだけで、1、2、3、あれ3人しかいないのかな。もっといましたね、5人、6人。
女性の先生いましたね。私全然授業を受けたことないですけど。
一番覚えてるのは、サッカー部の顧問だった万全先生っていう人で、まず万全ってすごい苗字ですよね。かっこいいですけど、あんまり聞かない苗字ですよね。
体がね、サッカーボールみたいなんですよ。
ラグビー部の顧問の津田先生とかもそうか。何ですかね、やっぱりね、万全先生は大変なサッカーの腕前だったそうなんですよ。
本当にあの若い頃はですね、万全先生っていう人がプレイヤーとして、大変な実力があったと。
どこまで行ったとか忘れちゃいましたけど、それこそ世界レベルみたいなね。
そういう話を聞くわけですが、まあ面影のない。
あなたを蹴ったらそのまま転がってくるんじゃないですかっていうような体験をなさっていてですね。
ちょっとお体をお気をつけ遊ばせっていう感じの体験をされていた万全先生ね。
お顔立ちはすごく凛々しい方でしたけどね。
かつては恥ずかし反則だったんだろうなっていう感じだね。
まあだからそれで言うとですね。
津田先生、津田先生じゃないな、なんだっけ。
ラグビームの先生、津田先生は陸上の先生だ。津田先生はね大変筋肉質な体をしていてね。
鬼殻みたいな顔してましたね。別にそんな怖い先生ではなかったですけど、ちゃんとした人ですね。
ラグビームの駒先生、なんておっしゃったかな。
もうやっぱりちょっと若干お肉好きの良い感じになられていてね。
思うんですけれども、やっぱり高校、大学とかその辺でガチの運動してた人ってそうなる人いるんですよね。
高校での運動部と音楽の経験
それって多分もうやりたくないんでしょうね。
やり尽くして筋トレとか運動とかをね。
なんかちょっとわかる。
私全然そんなその日ねスポーツ選手っていうほどのもんじゃなくて部活でちょっとぼーっと漕いでたぐらいの話なんですけど。
なんか冒頭って筋トレはめっちゃやらされるんですよね。
3年生の先輩が好きだったっていう佐藤先輩がね筋トレ好きだったっていうのもある大いに影響してるような気がしますけど。
でねなんか結構あの時期は筋肉はありましたよ実際。
だけどなんかその後私筋トレのジムとか全然行ってないですもんね。なんか嫌なんですよね。
いや行く人もいるだろうけど。
いやってしんどいもんやっぱり。
しんどいことを受験勉強めっちゃやった人が勉強しなくなるみたいななんかあるような気がしますけどね。
まあまあわかんないです。
それいいんですけど。
大河先生氏っていうことで言うと先生の話じゃなくて恐縮なんですが。
私その浅井学科高校っていう一応ねその県下の名門校と言われていて偏差値の高い子が集まってくる学校にもかかわらずみんな運動ができるんでびっくりこきましたね。
全然運動できなかったんで。
頭で勉強できる奴は運動できないんだろうと勝手に思ってたんですよ。
できやがる。
男子も女子もですね。
どうなってんですかね。
それでなんかハンサムだったり美人だったりみたいなことだとね。
いやいやいやいや天体の荷物を与えないって話なんじゃないのっていうふうに思いましたけどね。
成績1位の渡田泰山君とかはね。
そんなに運動できるタイプじゃなかったんですけれども2位の子とか。
2位って誰だ。
鈴木君でいいのかな。
鈴木君ってたくさんいるよな。
2位の子は運動普通にできましたもんね。
あと杉原君ね。
運動部じゃないんですよ全然。
吹奏楽部の部長だったかな。
リーダー的存在だったと思いますけど杉原君なんかはめちゃくちゃ運動神経良くて。
球技大会とかで吹奏楽部なのにも関わらず運動部を蹴散らすような活躍をするっていう。
どうなってんのっていう。
体が細いんですよ。
いかにも吹奏楽というか音楽をやりそうな感じのね。
ある種なんていうのかな。
繊細な感じのする男子生徒でしたけどね。
バレーボールとかやってたら本当に上手いし。
なんなんだこいつ。
頭のある運動神経はすげえいいんでしょうね。
本当に私驚きましたね。
そんな中ですね。
部活っていうのを選んでいくわけじゃないですか。
部活はそれは長くなるんでね。
また別校を立てたいですけれども。
ボート部でしたね。
ボート工具っていうのを始めたっていうのは結局やっぱり私運動神経というか体力もなかったですし。
てかデブだったんで。
それがコンプレックスだったんで。
そいつを鍛え直そうということで入って。
大変いいチョイスでしたね。
少なくともなんかクソデブではなくなったんで。
潜水とか一回もできなかったのが一応できるようになって卒業しましたからね。
何回できたか忘れちゃいましたけど。
体育の先生っていうのがやっぱり結構それぞれに部活の顧問ですよね。
うちのボート部みたいな数学と古典の先生が顧問だみたいな。
数学と古典チリですもんね。
ジャストのスポーツって感じですけど。
野球の顧問って野球の先生だったのかな。
それだけ覚えてないですけど。
サッカーとかラグビーとか。
バレーの先生なんていう名前だったかな。
顔は今浮かんでるんですけどね。
やっぱり体育の先生なんですよねみんなね。
ご自身がおそらく学生時代にやっていたスポーツの顧問についてるんだろうと思いますけれどもね。
ただこれが体育の企業ってあんまり記憶になくて。
走ったり。
ハンドボールをやりました。
ハンドボールもいたな。
ハンドボールやりましたね。
ラグビーもやりましたね。
ラグビーの授業好きでしたね私ね。
私が活躍できる体育の授業ってほぼほぼあんまりないっていうところがありまして。
だけどラグビーはね。
体が大きいだけで役に立つっていうね。
プロップとして。
これは大変な発見でしたね。
それから他にやったものっていうと。
柔道やったな。
剣道もやったな。
剣道って何ですかね。
道儀ってあったんですかね。
高校の授業だったのか中学の授業だったか忘れましたけど。
やりましたね剣道ね。
くせえんだよな道儀。
音楽の授業と個人演奏会の思い出
柔道。
柔道は覚えてるのは怪我したんで。
なんかの拍子に。
当たったかな。
骨折までは言ってないんですけど。
念座かだから。
だからしばらく足引きずって歩いてましたもんね私ね。
そういう経験がなかったので怪我はしますよ。
足すりむくぐらいありますけど。
ああいうちゃんとした怪我ってちょっと変ですね。
お医者さんに行かないも変か。
他の怪我でもお医者さんは行くときはありますもんね。
なんか説明難しいな。
大規模派で怪我っていうのは念座が初めてだったんじゃないかな。
しばらく冒頭の活動とかもできなかったような気がしますね。
柔道部ありましたね私の学校にはね。
柔道とかっていうのもまさにそういう日常的じゃない部活動ですもんね。
あれ結構かっこいいですよね道儀とか来てね。
そういえば妹が柔道部だったなそういえばね。
とかねそういう体育スポーツっていうのとの触れ合いみたいなのが
高校時代の方があったような気がしますね。
もちろんバスケバレーとかもありましたしね。
なんかね私の通ってた中学校って話しましたけど部活すごい少なかったんですよね。
だって野球部なかったですからサッカー部もない。
ハンドボールとバレーぐらいしかなかったかな。
なんかそんな名古屋市内のね。
クラス1学年4クラスあるような学校とは思えない部活の少なさですよね。
水素学はあったっけな。
っていう感じだったのに比べると高校はサイカー高校は本当にいろんな部活があって
特に運動部盛んでしたもんね。
スポーツいいですよね体動かすのってね。
なんか今でもやっぱり思い出しますけれども
ボート部で一応こうなんか私も人並みの動きとかが次第にできるようになったりしてくると
体を動かすっていうことの楽しさっていうのが分かってくる。
それでもねやっぱりレクって言ってちょっと遊び
ボート部ってね昼練ってあるんですよ。
昼休み練習にしなきゃいけないんですよ。
じゃあお前らいつ飯食ってんのって言ったら2時間目と3時間目の間の休み時間とかに食ってるんですけど
よく女の子やってましたね。
昼練の間もやっぱりひたすら筋トレっぽいことやってる。
サーキットトレーニングとかやってましたけど
中で金曜日だったかなだけはレクって言ってバスケットボールをやったり
なんかそういうちょっとお楽しみみたいな感じだったんですけど
全然なんかうまくできなかったですもんね。
そういうの楽しいと思ってやることはない感覚でしたけれども
ただ一方で単に走ったりとか筋力もついてくると筋トレとかも楽しかったですね。
筋トレは楽しかったな。
やればやるだけ成果が出てだんだん重いものが持てるようになるって分かりやすい競技?競技?
なんか活動なので活動って何ですかね。
そういう点で言うとやっぱりそこをどんどん積み重ねていくことの面白さっていうのは感じましたですよね。
あとは音楽の先生って誰だっけ。
あ、分かった。
名前も思い出した。
1年の時は山地先生、2年の時は今泉先生だ。
山地先生は何でしょう。
ちょっとなんか発服のいい感じの人で
君たちは甘い水とか飲んでるだろう。
なんかそういう喋り方する人でしたね。
ジュースのことは甘い水って言うんですよ。
健康に悪いものばっかり飲んで。
頭ずいぶんデブだけどねって思ってましたけど。
今泉先生は全然逆のタイプ。
痩せた子男ですね。
異性は良かった。
音楽って感じで言うと山地先生の方が音楽があったな。
オーケストラとかに居そうなタイプ。
そんなタイプってなんだか分かんないな。
中学の教頭先生みたいな感じのイメージですね。
山地先生はオペラとかで歌ってそうな感じだったな。
何者か知りませんけど。
音楽の授業で困るのは。
ちなみに高校って音楽って必修じゃないですよね。
選択科目なんですよね。
浅川家の場合は音楽、書道、美術。
美術の授業で困るんですよね。
私は音楽選択だったので、
他のクラスにいる別の音楽選択のやつと一緒に授業を受けるわけなんですけど、
その授業の1年間の中で、
1年に1回だけ個人演奏会っていうのがあるんですよ。
楽器を演奏しろと。
ふざけた話だなと思いましたよ。
その時に、
音楽の授業での経験
音楽の授業を受けたんですよ。
浅川家とかって、そういう新学校だと、
みんなね、子供の頃に楽器をやってる子が多いんですよね。
ピアノをやったりとか。
1年生の時点で、
それもヤマジ先生の方針として、
例えば3人で一緒にやってもいいよ、みたいなことなんですよ。
ピアノとバイオリンと、なんかもう1個、
一緒にやってもいい。
フルートだったかな。
吹くやつだったかもしれない。
とにかくレベルが違いすぎて、
お前らはなんなんだよって思ってましたね。
私はもちろん全然楽器なんかできなかったわけですよ。
ユンセ先生は、
全然リコーダーでいいと。
そりゃあね、
小学生の時に、
一緒にやってもいいよ、みたいなことなんですよ。
でも、
一緒にやってもいいよって思って、
一緒にやってもいいよって思って、
とにかくリコーダーでいいと。
そりゃあね、
小学校、中学校とリコーダーはやってまいりましたよ、私も。
中学になるとアルトリコーダー、
ちょいとでかいやつを加えさせられますよね。
ただ、あんたリコーダーで演奏する必要ないでしょって話で、
だって、
同じクラスに、それこそ佐々木君っていう子でしたけど、
なんかクラシックギター日本3位みたいなことがいて、
その演奏とか流れるような、そりゃあそうですよね。
とはいえ、クラスまで緊張してる感じもありましたけど、
上手いんですよ。
で、なんかそういう上手いやつって、
バイオリンとかも上手いやつとかいて、
バイオリンとかって触ったこともないですけどね。
自分の育ちの悪さを言っているようで、
なんかあれですけど、
そういう意味で言うと、
私の困っている、
私の困ったことって言ったらないわけですよ。
治ってないもんね。
で、
あれ順番って出席番号順だったかな。
同じクラスにいた野球部の小林君なんかは、
でっかい体を小さくしてですね、
彼はね、牧瀬里保さんのファンだったんですよね。
牧瀬里保さんのデビュー曲かな、
ミラクルラブっていう歌があって、
目と目が合ったらミラクルって歌なんですけど、
これをリコーダーでね、
低くっていうね、
私には小林君がもう何か吊るし上げられているように見えましたよ。
みんなそれは黙って聴いてますけれども、
なんかそんなね、
ピアノシャロシャロ弾いてるやつとかと一緒のところにね、
並べられて、
金評価よろしくリコーダーをね、
牧瀬里保のミラクルラブを吹いてる彼、
僕はもうたまんなかったな本当に。
っていうような子が何人かいるわけですよ。
私もその一人になるところだったわけなんですけれども、
でもだからリコーダー吹いてる奴がそれぐらいしかいないんですよね。
他の奴は何かしら楽器ができてるっていう、
なんなんだよ、
スポーツもできる楽器もできるの。
で、私どうしたか。
パソコンの心得が多少ありましたもんで、
私のね、MSXパソコンに自動演奏させましたね。
そしてキーボードを叩いてですね、
さも自分が演奏しているかのようによそ追うという、
そういう芸当で切り抜けましたね。
はい。
1年生の時に山地先生は完全に気づいてましたね。
今のが演奏と言っていいのか。
まあよしとしましょうみたいな感じの好評をいただきましたもんね。
今泉先生どうだったかな。
パソコンを使った音楽制作
まあ気づいてるに決まってるからそんなの。
だからそれを許してもらえたっていうことではあると思うんですけれども、
同じことやってる奴はいなかったんで、
私の勝ちですよ。
それを今で考えるとちょっと不思議ですね。
アサイゴとかだとね、
パソコンやってる奴が絶対いるだろうし、
私MSXってなんかしょぼい…
しょぼいっていうとあれか。
でもまあしょぼいんだよ。
パソコン使ってましたけど普通に…
ああ、今言ってて分かりましたよ。
98とか、
FM77AV、
まだTownsとか出てないですよね。
みたいなごっついパソコンって、
持ってこれないんだ。
学校に。
でっけえから。
あとモニターが必要ですからね。
私の持ってたMSXはテレビにつなげられるんですよ。
音楽室には当然テレビはありますよね。
なんかコンサートの映像とか見られるようになってますもんね。
それにつないで映したからできてるんだ。
なんでしょうね、この…
そうか、50歳に映して気づいた真実ですね。
まあいいっすよ。
とにかく小林くんのようなサンドバッグにはならず、
サンドバッグにはなってないんだけど、
にはならずにですね、
一応それなりの音を響かせて、
だってパソコンに弾かせてるわけですからね。
しかも当時持ってたMSX2プラスっていう、
多少いいやつだったんで、
5、6万円しちゃったと思いますけど、
FM音源っていうのを積んでて、
まあそれの話はまたいいですけど、
だから普通にパソコンというのは
普通にパソコンとかファミコンとか出る音よりは
多少いい音が出たんで、
やった曲はね、
バック・トゥ・ザ・フューチャーのテーマ。
これ2年かな。
1年の時はジムノピディかな。
これは当時買ってた雑誌に
楽譜が載ってたんだと思いますよ。
バック・トゥ・ザ・フューチャーって掘ったのかな。
よくわかんないです。どっから持ってきたのか。
ただ、今のインターネット時代と違って
ダウンロードとかできなかったんで、
とにかくなんか本を見て、
それを楽譜のデータに起こして、
入力して鳴らしてたんで、
それなりに手間はかかってるっちゃかかってるんですけどね。
音楽のソフトって僕持ってなかったんで、
あれでプログラムで鳴らしてると思いますね。
ベーシックだと思うけど、
それなりに手間かかってるじゃん。
だから許してって感じですけど、
音楽の成績が良かったってことはなかったですね。
別にね。
音楽楽しかったですね。
合唱とかやってね。
いまだにカーロミオ・ベンとか、
あと大工。
フロイデ・シェーナル・ゲッテル・フンケンね。
とか暗唱してますもんね。
だから、それはやってよかった。
あと何ですか?
主要合教科以外の科目って?
体育と音楽と図工はないですもんね。
あと何ですか?
ああ、技術とか家庭科とかね。
え、あったっけ?
中学の時は技術ってありましたよね。
カンナで私が指削ったやつね。
家庭科もやってないよな。
やってないよな。
やったのかな?
いや、全然記憶にありません。
家庭科の先生とかいなかった気がするし。
そうして考えるとなんかね、
ちょっと物足りない気もしますよね。
家庭科やってもいいんじゃないですかね。
はい、そんな思い出でした。
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