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【神戸金史のCatch Up】
三菱電機
毎週火曜日のこの時間は、神戸金史のCatch Upです。
前半のお話で、時代に翻弄された 世代の人たちという話をしたんですけど、
日本の陸軍師官学校、陸軍の中心にある エリート養成機関ですね。
朝鮮の人たち、あえて朝鮮系日本人と 呼びましょうか。朝鮮系日本人に
門戸を開いたのは、日韓併合から 18年後だったそうです。
つまり、生まれてから最初から法的に 日本国民だった人たちに門戸を開放したんですって。
なるほど。
それまでだから、してないわけですね。
その世代をノンフィクション作家の 山本七英さんがインタビューをしてるんですけど、
本当に日本人を見返してやろうという意識が すごい強かったという話です。
ところで、これからお話したいのは、 その人たちの前の世代の人ですね。
朝鮮が独立していた時代です。
日本は陸軍師官学校に、朝鮮の師官学校から 留学生を迎えていたんですね。
その時に、甲子翁さんという方がいらっしゃっています。
甲は洪水の甲ですね。水が氾濫する甲。
思うに、竜辺に羽と書いて、甲子翁という方です。 日本語読みでは。
1989年に朝鮮に生まれています。
ですので、94年の日清戦争、1904年の日露戦争と 経てきているわけですが、
満で15歳で日露戦争。
そして18歳で大漢帝国の陸軍部官学校に 留学しているということです。
朝鮮人として育ってきた。
その人が20歳で留学を命じられて、 日本陸軍中央養年学校に留学してきたんです。
ところが翌年に併合されてしまう。
どうなるのか。朝鮮系日本人になってしまうんですね。
当然ですが、留学制度はそこで消滅して、 その後18年間は朝鮮人が陸軍士官学校に入ることはないんですけど、
その最後の世代、前の独立国としての。
日本陸軍の中に朝鮮系の兵隊が取り残された形になります。
60人ぐらいが延べていたそうですが、
併合後は留学制の受入れは中止されています。
この甲志岡さん、非常に温和で人間的な魅力にあふれていたということを、 当時の日本陸軍の人たちは皆口を揃えて言っているんですね。
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非常に魅力的な人であったのですが、
そのまま日本陸軍士官学校に進み、
日本の中枢部で参謀を要請する 陸軍大学校を卒業していきます。
陸軍大学校に入った段階で将来は閣下と呼ばれる立場になるんです。
すべての日本人軍人を死亡する少年たちが熱烈に死亡する超エリートコースにこの人は乗ってしまいます。
朝鮮系日本人としては唯一中将になります。大将の次ですね。
この山本一恵さんは書いていますが、すべての日本人が望む立場になったということです。
ところがどうして日本の軍隊の中で暮らしていけたのか。
朝鮮人の誇りはずっと持ち続けていたそうです。
創始改名、名前を変えるということを朝鮮現地では日本名に変えさせるようにしていきました。
ところが後産は変えなかったんです。朝鮮名のまま中将になっていきます。
武官として立派な態度をとっていたことから、誰もそれについて口を出せなかったという証言も出ています。
そして子供、長男が日本で暮らしていて、差別を受けることにも納得がいかないと。
悔しいと。なぜ自分はこういう扱いを受けなければいけないのかと。
父親の後、中将、中将になる前ですけど言ったそうです。
そしたら息子さんの証言です。
アイルランド人はイギリスでどのような扱いを受けても決してアイルランド人であることを隠さない。
そして名乗るときは必ずはっきりと私はアイルランド人の誰々ですと言う。
お前もこの通りにしてどんなときでも私は朝鮮人の後国前ですとはっきり言い、決してこの朝鮮人のを略してはいけないと言っていたそうです。
そして陸軍司官学校の同期生には親友だった地デヒョンさんという方がいました。
この人は脱走してしまうんですね。
そして日本陸軍司官学校を脱走して中国で日本軍の戦うレジスタンス部隊を組織していくんです。
親友です。
で独立運動を戦っていくんですが、甲さんはですね、こっそりとこの人の家族の困窮を救うために寒波をしていたりするんです。
魂としての朝鮮人の誇りを持ちつつも、現実社会の中で自分が選んだ選択としての日本陸軍の幹部という立場で暮らしていく。
そして1944年にはですね、南方総軍といってアジア方面の全体の兵端、補給とか輸送とか管理ですね。
兵端を担当するトップについて中将になるんですが、
翌年敗戦。
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そして捕虜となります。
そしてその次の年、1946年9月にフィリピンで公主権になりました。
兵端の部門のトップでした。
その兵端というのは輸送とか陸軍病院とかいろんな管轄するものがあるんですが、そのうちの一つに捕虜収容所があったんですね。
捕虜収容所で日本軍が虐待をした、殺害をしたいろんなケースがあってBCU級戦犯が処罰されていくわけですが、
形式上とはいえ総括責任者であるということで公主権になっています。
何という人生なのかと。
本当に本能されてますよね。
朝鮮人の誇りを持ちつつも日本軍の中で兵端を極めていく。
そして多分この方は周りの言っている人たちが言っていたのはですね、朝鮮人の一つのリーダーとして、
日本で暮らす朝鮮人の人たち、それから軍で働く人たちのことも考えながら自分が何かを背負うべきだと考えていたのではないかと言われています。
戦争が終わった時に部下の日本人の軍人からですね、こんなことを言われたそうです。
これで韓国は独立します。皇中将も帰国されて活躍されることでしょうと言ったお祝いの言葉を述べたんだそうです。
部下の日本陸軍の軍人が。
その証言ですけども、その時皇中将は意義を正して、自分はまだ制服、ユニフォームを着ている。
このユニフォームを着ている限り私はこのユニフォームに忠誠でありたい。
したがってこれを着ている限りそういったことは一切考えていないと話したそうです。
そして戦犯法廷では皇中将は一切弁明を一言も喋っていません。無言を貫いています。
そして亡くなる直前の公主権の日にですね、教会司であったキリスト教の方に対して片山さんという方だったんですが、
片山君何も心配するな。私は悪いことは何もしなかった。
死んだらまっすぐ神様のところへ行くよ。僕には自信がある。
だから何も心配するなと言って公主代に昇ったと。
なんかそういうのは勇める立場のある人が言う言葉なのかなと思って。
なんという人生でしょう。
皇さんの方がそういうことを言うってすごいですね。
この方は当然ですがその戦後、戦争、戒戦後の世界の中では韓国では裏切り者とされています。
そして親友だったチーレヒョンさんは建国の英雄として大臣になっていくんですね。
この方をずっとこっそりと日本から支援をしていった公主翼中将、公主権として終わるわけです。
人生ってすごいことだと思うんですね。歴史ってすごいなと思うんです。
この人たちのことを次の世代は裏切り者と呼んで断罪してしまうかもしれないけど、
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その前に生きた人々の深い思いとかがある。
それはもう少し想像力を働かせないといけないんじゃないか。
歴史を見るときにいつも大事なのはそういうことかなあなんて思うんです。
今日は公主翼中将について山本七平さんが書いた、もう絶版ですが、
ちくま文庫の公主翼中将の処刑という上下巻の本から私が引用して紹介してみました。
はい。官米カルビのキャッチアップでした。
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