2023-08-22 08:36

神戸金史 のBrush Up

RKB解説委員 神戸金史
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感想

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00:07
イビカミネ イビカミネ 抱きしめて 毎日だって 切られて 切られて イビカミネ
三菱電機
少しさせていただけたらと思っています。
はい。
私が生まれたのは1967年の1月、 日の山の学年なんですよね。
はい。
昭和で言うと42年。
戦争のことは、はるか昔のことと思って育ったんですよ。
でも振り返ってみると、たった22年しか経っていない。
22年ですよ。
平成より短い。
そうですね。
でも、はるか昔のこと。
僕らが生きたのは、高度経済成長以降の日本、 昭和だったということですね。
歴史って長いなと。長く続いている。
その時代区分によってだいぶ違うなと思っています。
昭和以降のことを大ぐくりに、 僕の考えですけど、区切ってみると、
昭和20年、敗戦ですよね。
それまでの戦争期、昭和の前半はそういう時代だったと思うんです。
その後、成長期にあたるのが、大阪万博までの1970年までの25年間かなと。
昭和45年ですね。
その後、バブルが崩壊するまで、1990年ですけど、20年間あります。
乱熟期と言ってもいいのかなと思います。
この時代に、私は青春時代を過ごしています。
その後、平成に入っていくわけですが、大震災までの2011年、平成23年ですか。
21年間経っています。この辺りは停滞期と言っています。
大震災以降をどう名付けていくかは、今後決まってくると思います。
新たな飛躍期、準備期になるのか、新しい戦前となるのか、
いろんなことがこれから決まっていくだろうと思うんですが、
だいたい赤ちゃんが成人になるくらいの時間が、
ある一定の世代の区切りにあたっているのかなって感じがするんですね。
これは歴史家に大きな違いを生むんですよ。
例えば平和という言葉がありますけど、
平和は戦争期、昭和20年までの時代は、
武力で制覇して成り立つもの、目指すものが平和。
つまり戦争を経て到達するところが平和だと。
戦争行為のその先にあるという感じですね。
つまり戦争をしないという意味の平和ではないということですね。
ところが大変な敗戦、大日本帝国の滅亡ということを迎えて、
戦後期、成長期にあたる昭和の20年以降は、
何よりも大事な価値観というふうに捉える方が多かったはずです。
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そして私が育った万博からバブル崩壊までの乱熟期という、
高度経済戦争の時代には当たり前のこととして平和は捉えられていた。
じゃあその後どうなるのかというと、お花畑だというような人も出てきている。
平和平和言って、頭の中はお花畑だねみたいな言い方をする人が。
平和ボケとかですね、そんな言葉も。
みんながみんなそうだというわけではなくて、
あまり世代論が偏ってしまうといけないんですけど、
そういう風潮が一定、それなりの多数いるよという意味で捉えてもらえたらと思っているんですね。
ここでちょっと考えてみたいのは朝鮮のことです。
1910年に日本に併合されて、大日本帝国が滅亡する1945年まで36年間あるんですね。
この間は日本帝国主義の日程36年と呼ばれていますけど、
この間って一世代を超えるぐらいの期間があるんですよ。
ということはですね、ちょっと想像してほしいんですけど、
日露戦争が終わった1905年に生まれた人がいたとします。
1910年に併合されるので、5歳で日本人になるんですね。
その後は日本語教育を受けていくわけですね。
教育を日本語共生していますので、
これがちょうど私の祖父の世代なんですけど、年代的にはね。
青春期を日本人として過ごした後で、40歳で日本による統治が終わるんです。
すごい長い時間かかってる。家庭も持って子供も持ってるわけですね。
この後朝鮮半島は独立を回復するわけですが、
それまでの期間をずっと育てて生きるっていうことはどういうことかっていうことですよね。
みんながみんなレジスタンスして半日運動して独立を勝ち取ったわけじゃなくて、
当たり前ですけど、多くの人はその体制の中でどうやって生き抜くかを考えていくわけですから、
みんなが抗議活動してたわけじゃないと思います。
それだったらすぐひっくり返ってるでしょうからね。
やっぱり自分はですね、この中でもなんとかうまく生きていきたい。
時には日本軍に協力してでもお金をちゃんと稼いでいきたいと考えるのは普通ですよね。
当時の日本だって戦争に反対する人はいたけど、
多くの人は何も言わずに世の中を見て自流に合わせていったわけですから、
こういう人たちが多数派だったのは間違いないと思います。
そういう意味で言うと戦後になってから戦争前をどう考えるかっていうことが大きな問題になっていくんですけど、
朝鮮人の人たちが日本の軍隊に徴用されたりしていく、
志願する人も含めてですね、多くの人が入ってきました。
軍人、軍族、いろんなものを合わせると26万人以上いたと言われてるんですよね。
その中には特攻隊で死んだ人もいるんですよ。
なぜ朝鮮人なのに特攻隊で死ぬのかということですよね。
書き残した文章を見てみますと、兄貴からお前は特攻隊に行くなと説得された弟が言った言葉として、
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自分は朝鮮を代表している。逃げたりしたら祖国が笑われる。
多くの同胞が一層屈辱に耐えなければならなくなるから僕は行くと。
またある人は朝鮮人の肝っ玉を見せてやると。
というふうに特攻隊に突っ込んでいったという記録が残っています。
こういった人たちが戦争が終わった後は裏切り者扱いされていくわけですね。
その時代に生きて一生懸命選択をした人たちが、
結果的にその次の時代に評価されるかしないかというのはまた別問題で。
賢明に生きた人々が日本も朝鮮にもいたはずなんですね。
その人たちを次の時代が簡単に断罪してしまうことが、
すごく歴史の残酷さでもあるなと僕は思っていて、歴史は怖いなと思います。
一方でその時は分からなくても後から分かってきたということもあるから、
その日に生きている私たちとしては後世からどんなふうに言われるのかというのは
非常に難しい判断もできないだろうと思うんですね。
だから良かったという悪かったという話じゃなくて、
そういう中で生きていった人々がいたということに
ちょっとまた思いをはせてみたいというふうに思っています。
8時40分過ぎのキャッチアップではどんな話題を?
今お話した歴史に翻弄される人々の中で、
ちょっとある具体的な人についてお話したいなと思っています。
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