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イリカミネ
三菱電機
毎週火曜日のこの時間は、神戸金文のCatch Upです。
はじもさん、鼻うんさになってなかったら、何になってました?
私は今でもたまにやりたいなと思うのは、保育士か幼稚園の先生ですね。
子供たちの?
はい。5人兄弟の長女だからか、小さい子供と触れ合うのが好きで、そういった仕事に関わりたいと思う時もありました。
たばさんは?
私も学校の先生。
そうなんだ。
はい。なりたかったですね。塾講師などのバイトもしていましたが、家庭教師とか、教えることが好きでしたね。
私も教師だったんですよ。
そうなんですね。
私は教育課程の単位を落としてなれなかったんです。
今日はそんなお話なのかなという気がしています。
本を持ってきました。
モスト、ソ連を伝えたモスクワ放送の日本人というタイトルの書籍です。
今出たばかりで、海湖県ノンフィクション賞を受賞しています。
青島県毎日新聞の記者さんが書いた本ですが、これを読んでいて、
もし自分がこういう場面に出会ったときにどうしたろうなぁなんてことを考えたんですよ。
若い頃にモスクワ放送という放送局のラジオの電波に接した方々です。
モスクワ放送というのは、モスクワ市にあって、
ソ連国家ラジオテレビ委員会が社会主義陣営のリーダーとしての立場を伝えるために
海外向けに出しているラジオの放送局だったんですね。
6階に日本課があって日本語の放送をしていた。
こういった対外放送は1929年にドイツ語から始まっていて、
日本語の放送は1942年からだそうです。
そしてソ連崩壊後はロシア国営となったりして、
それから2014年にインターネット放送に変わり、
それは2017年に休止となった、終わったわけですが、
日本海を越えて届けられてきた人々の声が途絶えたということになります。
この何十年間間の間にこのモスクワ放送に携わった日本人たちを取材した本なんですね。
現場では少なくない日本人が業務になっていたんですが、
その人たちがやったことは一体何だったのか。
国家としてのプロパガンダの要素ははっきりとあります。
ちゃんとニュースの原稿にはどういうふうに読むかというチェックが入っていたりしますし、
一方で音楽や言葉などの紹介を非常に一人一人の声で伝えていたり、
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プロパガンダ、政治的宣伝であったという反面、
一つの放送局として日本語でモスクワから伝えてくるという珍しい放送局だったわけです。
そこに行こうとした日本人の話が冒頭から続いていきますが、
アナウンサーをしていた西野はじめさんという方がいて、
この方は日本で大学出た後にテレビ局でADさんをしていた。
たまたま放送局の試験を受けた時に北海道の放送局も受けたことがあったというのを
会社の中で知っている人がいて、
モスクワ放送から募集が来ているけど、北の方が好きだろ?
面白かったのはこの方はイギリスとかだったら誰でも行くんじゃないか。
でもそうじゃない国だということにすごく反心を持って、
そして本当に行ってしまうんですね。
で、渡って放送に携わるようになって、
ある音楽を突然かけてみたんだそうです。
それがこれです。
ビートルズ?
はい。
ビートルズの曲ですね。
バック・イン・ザ・U.S.S.R.
そうです。
ウクライナ娘は最高だという。
西側にはこんな娘いないよねというような歌詞だと思うんですけど、
これをモスクワ放送でいきなり流して、
当時社会主義のロシアでは西側の文化の象徴であるロックは禁止だったんですね。
そしてなおかつ男女の関わり合いについても非常に厳しい建前を持っていたので、
びっくりして日本歌唱が飛んできた。
こんな音楽を流すようなこともしながら、
西野さんは10年間ゴハットのビートルズを流したということで、
また知られていくということになります。
この他にもアナウンサーの方々で、
ヒューガー・ヤスオさんという方は30年も勤めていた。
その人の方々の話をずっと書いていったわけですね。
青島記者がなぜこれを取材しようとしたかということが非常に面白くてですね、
1983年にサハリン沖のソ連領空でボーイング747型機が
ソ連軍の戦闘機にミサイルで撃ち落とされたという事件が起きました。
日本人を含む乗客乗員269人全員が死亡と。
冷戦下の中で非常に起きた悲劇的な事件だったわけですが、
この頃に何気なく青島さん、高校生ですが、
ラジオのダイヤルを回すと、
日本放送の周波数のすぐ横から日本語が聞こえてきた。
我が国の南朝鮮の飛行機の飛行を妨害した問題で、
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という風に日本語で喋っていた。
我が国の南朝鮮。
モスクワ放送のニュースの時間のようだと。
非常にそれが気になったと。
そういった国の見解を日本人が放送していることが気になった。
一体どんな人がどうして謎は胸にしまわれ、
その後それを解く鍵が近づいたことが何とかあったのに、
自覚しないまま40年近くの時が過ぎた。
そして青島記者は、
今このモスクワ放送に関わった人たちを取材し、
そしてその過去をどうして始まったのか、
ということについてもずっと取材を深めていくんですが、
最初のアナウンサーは福岡県添田町出身の尾形茂雄美さんという方。
この方はムヘンシャンという名前で、
名前もわからなかったんですが調べていく中で、
こちらの方だということがわかったということです。
それから女優の尾形雄子子さん。
戦前有名な女優だったんですが、
雪のカラフトをソビエトに向けて国境を渡って越えて、
モスクワ放送で話をしていた女優の方です。
この方は僕も子供の頃からは知っていました。有名な方で。
いろんな方々が戦争を背景にして動くんですね。
ソビエトに抑留されてしまった人たちが、
そのまま残ってモスクワ放送に携わったり、
または日本陸軍はあまりのひどさに呆れ果てて、
それに亡命してしまった元軍人だったり。
いろんな方々がいるんですが、
それが知らない国に行って、そこで暮らしていく。
その生活をする中で、もしかしたら自分らしく生きられるかもしれない。
もしかしたら日本をより良く変えることができるかもしれない。
そんな夢や希望を抱いた日本人がいたことを知ったと青島記者は書いています。
ただし、実際にそこで生きていくことは容易なことではなかった。
一度や二度ではなく、こんなはずではなかったと思ったに違いない。
でもそれでも心の奥には志があった。
その人たちの考えていたことを記録することにはきっと意味があるはずだと思うようになった。
ということで取材をして本を出筆したということです。
これはMOSTというのは、M-O-C-Tとアルファベットで書きますが、ロシア語です。
架け橋という意味ですね。
ソ連を伝えたモスクワ放送の日本人。
収益者から税別で1800円で出版されていますが、
この本を読む中で非常に考えたのは、たまたまであった人のたまたま一言だったり、
生まれ育った時代の背景だったり、その時に若い自分がどう反応したかによって、
この本に出てくる人たちはソビエトに渡ろうとしたんですよね。
それは戦前の戦争の背景の場合もあれば、戦後の西野さんやヒューガジさんといった方々が、
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好奇心と冒険心にあふれていた青年が旅立っていった。
そしてとうとう放送は終わり、そしてウクライナで戦争が始まり、
自分たちのやってきたことは一体何だったんだろうかと、深く振り返っていきます。
強権的と言われる国であっても、そこに生きる一人一人の両親は生きていると、青島さんは取材して書いています。
それから西野さんは、事情があって国内に留まっている人もいるはずだ。
そういった人たちは、表面上戦争を支持しているふりをしたり、沈黙していたりするかもしれない。
でも、そのうち動きが出てくるかもしれない。
それを期待していると、青島記者に語っています。
人が生きるということ、そしてその過程で突然、何か自分の中から反応して変化を起こす。
そして行動に起こすということ。
そして振り返ってみると、どこか切なくて、
でもそれは多くの人生、人々の人生、私たちも含めてそうなんじゃないかなって、
あの時は一生懸命だったなと。
でもその結果がどうだったかはまた別問題だということはあると思うんですよね。
そういった深い考えを抱かせる本でした。
ソ連を伝えたモスクワ放送の日本人、主演者から出たばかりです。
よろしければお読みください。
カンベ・カレムビのキャッチアップでした。
数学教師芸人の高田先生だ。
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