そうなんだよ。
だから定期的に考えてるなと思って、気がついたら。
面白いね。
それで、自分のこともそうなんだけど、なんか結構その人の才能がどうやったら活かされるのかなっていうこととかを考えるのが、多分好きな方で、
いい人やん。
いい人なのかわかんないけど、
まあ単純にそれがなんか、それでその人が生き生きしているったら自分も嬉しいみたいな。
だからまあ、人のためというか、自分のある意味楽しみというかね、それで考えてるところがあるんだけど、
そもそも、だから才能って、るきさんはどういうものだと。
へー、それを聞きに来たって感じですけど、今日は。
でもその、さっきもてれさんがその才能を活かせて生き生きしていたら、その人が自分も嬉しいって言ったように、
その活かせたら、人も自分も幸せにできる自分のエネルギー、力だし、でも活かせないと自分も他人にもネガティブなことを起こす、
すごい振り幅の広い能力っていう認識ですね。
だから、こわい。
多分その、才能っていう言葉が、人の価値みたいなのと結構密接に結びついていると思うんでね。
才能があるっていうことが自分の価値が上がることだっていうふうに、なんか一般的な才能っていう言葉はなんか捉えられていて、
確かに。
でもなんか自分の考えている才能っていうのは確かに価値ではあるんだけど、ちょっと違うなと思っていて、何がそれが違うんだろうなというのを考えてたんだけど、
まず大前提として、人間は生きているだけで価値があるっていうふうに自分は思っているんですよね。
だから、才能を発揮するっていうのは、その100点満点だとしたら、100点をすでに取っている状態からプラスのこと、
なんか積み上げていくものが、その才能の発揮するかしないかってことじゃないかなって思ってて、
だからその才能を発揮しない状態でも別に100点ではあるから、それで別にいいやって思う人がいても、逆に言うといいと思っている。
なるほど。
ただなんかその、大体の人がその多分こう、持て余している状態だと、マイナスの方向にそのエネルギーを使ってしまったりもするから、
だからプラスの方向に活かしやすい環境にいた方が結局はいいんだとは思っていて、
それがまあ、結果として才能が活かされている状態なんじゃないかなっていうことを思ったりしている。
それで、その人の才能を発揮させたいみたいな、そういう言い方をすると、なんかすごいある意味おこがましいことみたいな感じもしてくるけど、
なんていうか、たぶん自分の考えているのはそういう、すでに100点ではあるんだけど、それをよりその人が楽しくなる状態がどこなのかなっていうのが気になるというか。
さっきのその価値っていう意味で言うと、存在しているっていうことの価値っていうのがまずあって、
で、そこに何をするかっていう、英語で言うとそのbeとdoみたいな感じ。
その存在の価値と行為の価値っていうのが、なんか別物で、
なるほど。
存在の価値がまずあるっていうことが前提で、その行為の価値を高めていくために、その才能っていうことを考えていくのが大事なんかなっていう、
なるほど。
ようなイメージだなと、自分の中では。
うん、すごくよくわかります。
あの、自分の存在に価値があるって思えてるかって言うと、
三角ですけれども、自分が好きな人に対しては、本当に存在してくれてるだけで嬉しいって思ってるから、いるだけで100点っていうのはそうやなって思います。
そうそう、それが自己肯定感みたいなことだと思うんだけど、そこが自分である程度こう受け止められてないと、
そもそもその行為をするっていうことの自信が持てないみたいなところにもなっちゃうから、なんかそこは結構、
なるほどね。
両輪というか、セットになっている気はする。
じゃあ、そのB、自分の存在を認められないと、自分の才能を発揮することも難しいよね。
そうだね、なんかそこは多分、なんだろうな、才能はその存在があって、それのある意味掛け算というか、な感じもするよね。
だから、そこがゼロだと、何をかけてもゼロにしかならないし、マイナスだったら空にマイナスになっていくみたいな感じかもしれない。
なるほどね。
あの、持て力と一緒ですね。
誰が言ってたのか忘れたけど、持て力って、その人の好き×魅力らしくて、
好きがゼロやった場合、どんだけ魅力があっても持てないんですって、高音の花になってしまう。
あー、魅力だけを高めてもね。
そうそうそうそう。好きがあるから、それに魅力が掛け合わさって、こう、持てる、人が近づいてくるってことですね。
で、その好きってやっぱり、自己肯定感がある程度ないと生まれないものやと思うので、
なんか似てるなって思いました。
なんかつい何をするか、doの方を考えてしまうけど、結構そのbe大事ですね。
そうだよね。
なんか今の時代は、やっぱりそのdoの方が重視されすぎちゃうことが多いよね、多分ね。
うーん、そんな気がします。
それで、そうやってその人の価値を存在と行為と分けて考えていくと、存在の価値っていうのはその人のものなわけだよね。
その人自身が持っているものなんだけど、行為の価値っていうのは相手がいる、必ず相手がいることになるから、
その相手にとっていいかどうかっていう判断が出てくる。
だから、そういう意味ですごい社会的なことになってくるというか。
で、なんかそこがその才能って言われるのの難しさというか、自分がいいと思ってやることでも、それを認める人がいないと成立しない。
だから、なんか才能って見出されて開花するみたいな話ってよくあるけど、
あれってそういうことだよね。それいいねって言う人がいないと、そもそもその才能が才能にならないっていう部分がある。
だから、自分でその規定できないというか、一人では。
で、だから、なんかそのそう考えていくと、才能みたいな価値っていうのは、そもそも自分のものじゃないって思った方がいいんじゃないかなって思ったんだよね。
なるほど。
関わっている人の中でのその共有の価値だっていうふうに思うと、その最初に言ったようなフラットに考えやすくなるんじゃないかなって思った。
そうだね。もうちょっと油断で出てきそうな感じする。
自信過剰すぎる人も、自信なさすぎる人も、なんかその才能みたいなものを、自分のものだっていうふうに思いすぎてしまっているというか、
確か半分は自分のものなんだけど、半分は相手がそれを受け取るかどうかっていうことで、
そこはその対等というか、なもので、真ん中にあるものなんだけど、自分のものだって思ってしまっていると、自分で才能がある、ないみたいなのをジャッジできてしまうっていうふうに勘違いしちゃうというか、
思いあがってしまう場合もあるだろうし、全然自分は才能なんかないっていうふうに勝手に決めつけてしまうとか、自分で考えてしまうっていうことにもなるけど、
本質的に相手がいないと成立しないもんだってなると、自分があるかないかっていうのを決める決定権を持ってるわけではないっていうことになる。
なるほどね。
でも相手に決定権があるわけでもないんだけどね。真ん中にあるというか、コミュニケーションの中で成立するものというか。
なるほど。確かに、なんか私がずっと感じてた違和感なんですけど、例えばその美人な人っているじゃないですか、あれってまあ一つの才能ですよね。
なんか優位性のある特性をその人は持ってて、その美人さんに周りの人が綺麗やね、かわいいねって言っても、本人からしたら普通のことやから、何がみたいな、え?で?みたいな感じじゃないですか、そこの温度差がめっちゃ激しいなっていうのが結構気になっていて、
でも、そう評価する人にも、なんなら悪意を、悪意というか攻撃性があるようにも見て取れてしまうし、その、なんていうの、嬉しくない場合があるからさ、美人だとか言われても。
決めつけというかね。
そうそう。でも、美人じゃないって思うその人が卑屈になっているようにも思えるし、その辺のバランスが難しいなと思ってたんですけど、
間にあるものって思ったら、なんかもうちょっとこう、しゃあないなっていう感じが、なんか受け止めやすくなるなって今思いました。
どっちから見てもね、その人が美しさを持っているっていうことを、なんかそうないなって思えるようになる気がする。
うんうん。
え、モテさんはどんな才能があるんですか?
やっぱりだから、それもその自分で全部は把握しきれないというか、相手に投げてみて、あ、うまくいったなみたいな、うまく受け止めてもらえたなっていう時に、なんかこれは自分の才能なのかもって思うっていうことで、
なんか、あんまりこうアピールもしづらいよね。
これが僕の才能ですね。
そうそうそうそう。それって、その相手によっても変わってくるし、これが自分は得意ですって言っても、なんか相手が本当にその自分の言っている、それを求めているのか、思ってたのと違うみたいなこともあるわけで。
うんうんうん。確かに。
そう、だからなんか、最終的にはお互いの中でお互いのためになるものっていうのが、その時に発揮されている才能であって、それは別に固定されているものでもないというか、時と場合によって、相手によって変わっていったりもするっていう。
なんとなく、だいたいその同じ文化とか、同じ人間同士なので、だいたいこのあたりが喜ばりやすいみたいなポイントはつかめてくるみたいなのはあると思うけど、経験からね。
うんうんうん。
そう、だから、肩書きのように思ってると、なんか自分の才能はこれができることですみたいなふうに否定してしまうけど、
でも、なんかその周りから見たら、いや、それよりこっちの方が他の人にはできないことじゃんみたいなのもあったりする。
えー、なんか、どうやったら発揮できるんですかね、才能にその今までの、今日、今までの話を元にすると。
そうですね、今日の話したものを、なんかまとめると、たぶんその存在の価値っていうのをまず認められるのが大事なので、それはなんか本人の意識もあるし、でもなんかそういう環境。
なんか、その存在をそもそも肯定して知ってもらいやすい環境みたいなのが、まずあることが大事で、で、その上で、そのなんか何をするかっていうことを、それに関してはあんまりやっぱりこだわりを持たないというか、が大事だよなとは思っていて。
そうなの?
なんか、結局、だから相手によってその引き出されるものが変わってくるわけだから、なんか自分でこの出すカードを最初から決めちゃってると、相手が求めているけど出せませんみたいなことで、なんかそのギクシャクしちゃうっていうことが起きやすくなるような気はしていて。
でも、だからそれをその柔軟にするために、自分のまず存在しているだけで価値があるっていうことを、そっちを高めていくことも大事なんだと思うんだよね。
それが高まっていれば、あんまりその肩肘張らずに、とりあえずただいるっていう状態になれるから、その状態で人と接すると、多分その相手が欲しいもの、そして自分が出しやすいものっていうのを、なんかその場で出しやすくなるんじゃないかなとは思う。
じゃあ、やることとしては、自分が心地いい場所をちゃんと選んでいくっていうことぐらいってこと?めっちゃシンプル。あとは余計なことはせんみたいな。
そうですね。あとはだから、もっと具体的に言えば、多分そのさっきの掛け算みたいな話で言えば、自分の存在している価値があって、それでやることで掛け合わされて、さらに多分それをより強力にするのが、後から身につけたスキルとかになってくるんじゃないかなと思うんだよね。
もともと持っているものが、そのままの形で必ずしも役に立つとは限らないから、それを役に立てやすい表現手段みたいなことを、それはなんか結構技術の問題だったりもすると思うんでね。
技術を習得したりとかして、表現できるようになるみたいな。
とか、すでに持っているものの生かし方を考えるとかね。
なんかあれ?なんだっけ?会社の組織運営の話で、冷蔵庫の残り物で何か作るみたいな感覚が大事みたいな話を何かで読んだことがあって、なるほどなと思ったんだけど。
それは会社っていう組織の話だけど、個人の中でもそうだと思うんだよね。これが揃ってないから、これが作れないみたいなふうに思うっていうよりは、今の手持ちの材料で作れるものは何かっていうのをまず考えるっていう。
とはいえ、やっぱりこれをやるためにもっとこれが必要だっていうことで、新しいものを入れてまくるけど、今日食べるご飯どうしようっていうときに、ないもののことを考えててもしょうがないので、あるもので何ができるかをまずは考え始めるみたいなこと?
そういう意味では、存在の価値をベースにして、もともと素質として持っているものに、そこはだから、結構、自覚していくみたいなところが大事だよね。何が受け取られやすいかみたいなことを自覚していって、
さらに自分がこれまでに得てきた経験だったり、技術みたいなものをかき集めて、それでとりあえず何かできることをやってみるみたいな。それで足りないと思ったら、また新しく足したり引いたりっていうのは必要だと思うけど、
もともと持っているもの自体は変えられないから、それプラス何を足したら、より自分の楽な方に近づくかというか。
なるほどね。これはリスナーさんはきっと聞きながら、私は何だろうって考えてると思うんですけど、私も今めっちゃ考えてます。