そう、だからこの発達の説明の仕方もすごい何かその、このケンウィルバーっていう人が書いてる説明の仕方もあるし、それをまた何かそのさらに解説してる人の説明の仕方もあるしとか、結構その説明する人によって幅があったりして。
そうそう、まあそのやっぱり何か完全にこう具象化できるものじゃないものを何かいろいろ例えで説明するから、そこでねちょっとこうブレはある。
大筋、やっぱりこれも何か細かいその細部をしっかり覚えるというよりは大筋の何か流れが見えてればとりあえずわかる話かなと思うんだけど。
はい、まず前回の説明から続けて考えると、この4小弦の分けてた領域を一つの平面と考えてみたときに。
わかるかな。
その他の字で書いて説明してたけど、その他の字ってある意味その一つの平面を上から見た図でもある。
そうだね。
で、なので結局その4小弦っていうのは、こうなんていうかな、水平方向の統合をするための見方。
いろんなそのぐるっと回っていろんな方向から見てるみたいなのの統合するっていう見方なんだけど、
その発達っていう概念が入ってくると、それがその垂直方向も統合するっていうことをできるようになるっていう。
それでその2つが必要で、その縦と横の軸がまた。
X軸Y軸に加えてZ軸ができるってことね。
そうだね。
そのZ軸が発達の説明になる。
こんな感じで。
わかりやす。
この絵を見てない人には全くわからないけど、他の字の平面がこうビルのフロアみたいな感じでレイヤーになってるみたいな、
これも一つのね、何かこう可視化したパターンでしかないんだけど、こういう書き方もできるというイメージ。
で、ここの上下しているのが何が上下しているのかっていうのなんだけど、
それはそのこのインテグラ理論の中で言っているのは結構いろんなことに対して発達という考え方を使っているので、
物事がどんどん複雑化していくっていうことすべてを発達というふうに捉えているから、
例えば美術で言うとその美術史の中で原始的な壁画みたいなのを描いてたところから、
もう少しその宗教が出てきて、宗教画っていうのがしっかりできてとか、
そういうその発達の仕方もあるしとか、いろんな発達っていうのはあるよねっていう意味で使ってるんだけど、
結局そのそういういろんなその発達の仕方みたいなのを人間が受け取るときに使うのは、
自分の意識、そのものを見てそれが何だと思うかみたいな、
自分自身のものの見方っていうのの発達が、結局人間にとってはそれがすべて世界の見え方になっているので、
それを一番中心に説明していくと、なんとなくわかります。
つまりその発達段階っていうものがその一人の人の中にもいろんなジャンルの中にもあって、
今自分がどの段階でものを見ているのかとかっていう、
そうだね、
これを考えるみたいな話?
インテグラル理論の中の発達っていう言葉の使い方は、
単純にそのやっぱりいろんな物事が複雑になっていたり、
行動になっていくこと自体を言っているから、
いろんなジャンルで発達というものが見られるっていうことを言っていて、
その中で人間にとって結局重要なのは、
自分の意識が発達していくっていうことが、
すべての行動の基準とかを結果的に見ちゃってるわけなので、
そこが統合的にいろいろ見ていくっていう中で、
自分の意識がそもそもどうやって発達していってるのかみたいなことを把握するのが一つ大きなテーマになっているという感じ。
ちょまど なんとなくは分かった。ベースは。
寺田 これが今なんでこの話をしたかというと、
インテグラル理論の話が出てくるときに、
基本的にその意識の発達段階の説明しかされないので、
意識が発達していくことを扱っている理論だっていうふうに、
勘違いされてるなって気はしていて、
必ずしもそういうわけではないんだけど、
その意識の発達というのが、単純にその人間の活動の中で一番重要な位置にあるので、
それをいろいろなものを結局ね、統括しているのが自分の意識の発達なので、
必然的にその話に偏っているっていう。
ちょまど なるほど。確かに勘違いしてたかも。
寺田 だけで、どっちかというとその発達というもの、
そういう現象が世界にはある。
それは意識の中にもあるよねっていうところで、
いろいろな置き換えをしながら説明していくっていうようなことをしているわけですね。
なんでさっきのその四象原っていうのは、
一つの発達段階の中で見たときに、その中の見え方をより良くしていくっていうことはできるけど、
発達段階が違うレベルになったときには、その段階でそもそも見えてなかったものが見え始めたりするので、
そうなってくると、またそこの段階での統合を考えなきゃいけなくなる。
寺田 四象原の統合。
寺田 そうそう、四象原の統合っていうことだし、
この縦が重なってくると、縦軸の統合も考えなきゃいけないっていうことだよね。
寺田 Z軸の統合?
寺田 そうですね、その下の段階と上の段階っていうのは、ちょっとこれから説明していくけど、
お互いに依存関係でもあるんだけど、対立関係にもなるっていうところ。
結局その段階が上に行くっていうのって、よく美術師とかでも説明されるけど、
その前の段階を否定して次のが生まれるみたいな。
そういうふうにどうしても、次の段階に行くというときに前の段階が否定されるっていうことが起きるので、
その次の段階に行った人たちっていうのは前の段階を否定しがちだし、
前の段階の人はその次の段階に行く人を否定しがちみたいな、そういう問題とかも出てくるので。
でもそれ本来、次に進む必要があってその次の段階が出てくるので、
だしその前の段階も次の段階が生まれるためにはその段階が踏んでからじゃないといかないはずなので、
お互いに必要としている。
だけどそこが結構統合するのは難しい。
けど統合した方がいいよねっていう話がこのインテグラル論のもう一個の軸の話ということです。
わかってきました。構造が見えてきました。
なのでこの発達の話とその要証言の話を最終的には組み合わせると立体的になってくるっていう感じです。
で、この発達の話は結局この意識の段階というのを分類されているのを一通り説明しないと進めないというところがあるので、とにかくこの説明を一旦してみます。
で、そうだね、もう一個だからこの話の中で注意点というかあるのは、
なんかこの意識の段階を分けていくというのが優劣をつけたりその価値の判断みたいなのと混ざってくるとなんかちょっとこう話が違ってきちゃうというところがあって、
でも結構それをされがちな話でもある。日本語でも意識が高いみたいなのとかあるけど、なんかその高い方がより良いっていうふうに思われがちで、
その高くならなきゃいけないのかとか慣れない人はダメなのかみたいな話もなんかこう出てきやすい。
けどなんかこのインテグラ理論でなんでこの段階を扱ってるかっていうと、やっぱりその自然の物事が全てそうやってその段階分で発達していっているっていうのと同じように人間の意識も、
条件が整ったら次に進むっていうことは起きているよねっていう、それを一応実際調べてる人たちもいて、それなりにそのデータもある中でそういう意識の段階が存在はしているということを前提にして、
だからそれを逆にそのないものとして考えちゃうと、さっき言ったようなそのなんか対立が起きているときに、何言うと何が対立しているのかがわかんなくなっちゃう。
だからちゃんとこうそこを知った方がいいよねっていう話、さっき言ったようにその段階の前後の段階がやっぱりお互いにその本来必要としあっている関係であって、だからその対立している状態というのが、何て言うの、お互いに本来の力を発揮できてない状態なわけで、
そもそもその価値がある、ないみたいな見方をすること自体がやっぱその対立を深めてしまうから、インテグラル理論でやろうとしていることっていうのはむしろそれをこうなくしていくというか、でもそのためには逆にそのちゃんと実際存在している段階というのを踏まえて考えないといけないよねっていう。
なんとなくわかるかな、これも。
わかるよ。あるあるだよね。子供と大人だったら大人の方が偉いとか、進んでるんだからとか、国とかでもあるけど先進国の方がなんかすごいんだからみたいな。
そうそうだからむしろね、そのなんていうか、無意識に結構人間ってその上下の何か価値をつけちゃってたりするわけで、何かそれをこう関係性としてこっちの方が段階上だけど、だからって偉いわけじゃないよねっていうことを、むしろそこをちゃんと何か明確化した方が何となく偉いつもりになってるみたいなよりも健全かなっていう。
でまあこれなんかその確かにその子供の成長とかっていうのに置き換えたりすると、一番わかりやすい話でもあるかなと思うので、だからやっぱその成長段階の子供が大人より劣った存在なのかとか、何か価値がない存在なのかみたいな、そういう話ではやっぱないという。
その時の何か重要な役割を担っているわけで、そういう意味でそのそれぞれの段階を見ていくという。
で、この段階に分けるということ自体もそもそもそのそんな厳密にできることではない。やっぱりそのグラデーションがあったりとか、あとそのこれはなんか自分の感覚としてなんだけど、このインテグラ理論とかで話しているこのどの段階にその人がいるかみたいな話って、
なんか固定的なものではなくて、なんかその重心がどこにあるかみたいな感じに近いなと思っていて、バランス取れてる時のその人が発揮できるその意識の広がり方みたいなのが、その人の重心にあるところかなみたいな、なんかバランス崩してると違う段階のその行動になってることもあるしとか、
そうだよね。
なんかこの人はその段階で、この人はその段階で、そのそこから絶対動けないみたいな、そういう固定的なものでもないなという気もして。
なるほど。その中でね、動いてるんだね。
その時の状態とかによって。
そんな感じで、そのなんか自分の中にあるこのそれぞれの段階を、こうちょっとイメージしながら聞くとわかりやすいのかなという気もします。
はい。で、そのきっちり分けることはできないんだけど、一応大まかに7個ぐらいの段階に分けて説明されていることが多くて。
なんかその7個からさらに上の話もあるんだけど、ちょっと想像しづらすぎて、あまり説明してもわかんないかなっていう感じがするので、
7個目ぐらいまでが、一応なんか今の社会の中で、なんかこういう感じの人かなとかイメージしやすい、こういう行動かなみたいな。
なるほどね。
そういう、自分に振り返ったことが、大きなものからの罰を与えられてるんじゃないかとか、そういうことを思ったり。
でも、その仕組みとかは全くわかんないから、何か不思議な力で。
これ、子供の成長でもやっぱりこの段階で、なんかその、ちょっとこう空想の世界というか、
あのなんだっけ、くるくる回る、あれなんていうんだっけ。
ベッドメリー。
ベッドメリーとかいうか、なんかああいうの眺めて、なんかこうケタケタしてるみたいなこととかって、
あとその光を見て笑うとか、なんかそういうのってやっぱりその、仕組みはわかんないけど、
なんかその、自分にこう多分ね、語りかけてるとか、何かその自分に何かをしてくれてるっていうふうに思って反応してるみたいな状態。
そうなんだ。
はい、そんな感じです。
で、なんかまあここらへんまではまだちょっとこう、無力感というか、環境に対してめちゃくちゃ受け身な状態というか、
来たものを、なんかその恵みだとか、バチだっていうふうに受け取っているみたいな感じ。
で、まあなんかそういう世界がもうちょっとこう、成熟してくる。
あとなんかやっぱその、集まって行動し始める、そういう何かを信じている人同士ってなってくると、
今度やっぱその、その中でこう力関係みたいなのがだんだんできてきたりするし、
まあ子供で言うとやっぱりね、自分で歩けるようになるとか、自分の体をもうちょっとこう、自在に活用できるようになってくる。
で、なるとまたちょっとその、さっきみたいな、自動的な受け取っているだけじゃないところが出てきて、
次の段階になってくるんかなというところで、3段階目がレッドになると。
これもまあさっきと同じで、その事実的ではあるんだけど、もうちょっとその神話になってくると。
アミニズムと神話の違いがちょっとね、こうなんていうかわかりづらいところあるんだけど、
あのアミニズムは結局その自然信仰という、その山が神様だったりとかその自然物が単純に神様だけど、
その神話ってなってくると、もうちょっとその擬人化したものとか、なんか人間ぽい神様が出てきて、
その人たちがなんかこう、いろいろやることで、なんか国を作ったりとか、何かこうね、やってくれるみたいなイメージが出てくるのが、
まあ神話的っていうことなのかなと思うんだけど。
で、そうなってくると、やっぱその神様の中でもその力関係みたいなのが出てくる。
ただ山とか、なんかそこにあるものが神様って言ってるのって、まだなんかこう、自然の節理で動いてるだけみたいな感じだけど、
何か意思を持って、こう何かを征服したり支配したりして、こうコントロールして、こうね、大きなものを動かしていくっていうようなイメージの、
その神様のイメージもそうなってくるし、まあ自分自身が結局その、そういう世界観の中で生きていくためには、
その自分の力を高めて、そこで勝ち残っていくみたいな、そういうなんかその力を使って何かをしていくという、
ただ、なんか外から来た影響を受け止めるっていうだけではない、そのなんか能動性みたいなのがここでだいぶ強くなってくる。
なんとなくわかりますか。
幼稚園児くらいですかね。
幼稚園児くらいとか、なんかやっぱ自分のね、体がこう自在に動かせるようになってきて、いろいろなんか壊し始めるとかさ、
どのぐらいの力をかけたら、そのね、どんなことが起こるのかみたいなのをそもそも試したくなってくるとかさ。
なるほどね。
なんか、うやみやたれに石を投げてみるみたいなこととかも、こういう段階になってきてるっていうことだと思うんだけど。
なるほどね。
で、まあこれ、この段階のまま大人になってる人っていうのは、結構その今の社会だと、こうギャング的な、反社会的なものだったりとかになってる可能性もあるというところですね。
めっちゃ上下関係あるもんね。
力関係か。
力の世界で生きているっていう。
だし、まあなんかこの段階がやっぱりうまく発揮できない人っていうのは、なんかその暴力的な問題を起こしやすくなっちゃうってことでもある。
たぶんその、例えば子供の頃とかに十分、なんかそのいろいろやって、自分で怪我もしてとかね、なんかその経験をした上で、なんかこの力の使い方、加減が必要だなみたいなこととかをうまく学べた人っていうのは、その先に進めるのかなと思うんだけど。
なんかそこが足りてないと、何かしらの形でこの力の問題に悩まされてしまったりするのかな。
なるほどね。
全てにおいて、こう言えるとこでもあるんだけど、なんかこの欠けていることで、その形は変わるけど、そこをこう行使しようとして、問題、その社会の中で問題行動みたいになっちゃっている場合ってあるよねっていう。
幼稚園児がやたら勝ち負けにこだわったりするのは、そこに当たります?
そうなんじゃないかね。やっぱりその自分の力量みたいなのを測ろうとしているというか。
なんか常に競ってるイメージ。
俺のが早い。
そうだね。
俺のが高く飛べる。
だから健全、今の社会の中で健全に発揮されているのって結構スポーツの、スポーツ選手とか、なんかそういう仲だったりするわけね。
なるほどね。
力を使って競争してみたいな。
健全だね。
健全だね。
そういうことに、ここの意識を活用している人もいると思う。
確かに不健全なのって言うと、なんか子供が虫をめっちゃ無駄に殺したりするけど、それぐらいの感覚で動物とか、そういうこと殺したりとか、人を謝めたりいじめたりとか、
そのぐらいの感覚でやる人とかもいるよね。
だからその自分の力を確認するためにね、いつまでも人を傷つけ続けている人っていうのは、やっぱなんかそこが病んでいる状態って感じするよね。
子供が、俺のが早いって同じノリで、なんか俺のがトミカいっぱい持ってるみたいな感じは、そういう大人いるよね。
だからちょっとなんかね、そこら辺は、結局このすべての段階が内包されているので成長していって、なんか表面的には一番新しい段階で行動してたとしても、
なんかその内包されているその段階の意識みたいなのが、どっかでこう、やっぱその重心がちょっとね、フラってなった時に出てくるから、そこが健全じゃないと、結構やばい人になったりとか、普通にしちゃうというのが、たぶんこの人間のね、複雑さなんだよね。
なるほどね。
このレットンについても、ちょっとこの意識の状態を詳しく説明したのを読み上げると、部族集団と区別された事故が初めて出現すると。
だからそのなんとなく、その同じさっきのね、同じ夢を見てる人同士というか、自然進行でなんとなく神様が守られてるんだみたいなのでやっている中って、みんな自動的にこう、その自然の中で、その限られた生き入れるスペースの中で共同生活してるみたいな状態から、
なんかあれ、これ、自分がちょっと頑張れば、この集団全員なんか支配して、もうちょっとなんかでっかいことできるんじゃないかみたいなことを思い始めたりする。
なるほど。
折れっていう意識だね。
全員をね、力で征服すれば、みんななんとなくフラフラと生きているよりも、もうちょっとなんかできるんじゃないかっていう。まあ、よくも悪くも、そのね、集団行動みたいなのを統率する、しようとする力がだからちょっと出てくるというか。
で、あとは世界とはジャングルであり、危険や敵に満ちた場所であるという発想が、そういう意識になってくる。
これもだから、なんかその漠然と世界を受け止めているというよりも、自分がこうそこに乗り込んでいくというね、その事故が生まれているから、なんか乗り込んでいくときに、こういろいろ敵がいたり、危険があったり。
ジャングルなんだね。
ジャングル、まあそうだね、何が起こるかわからない。
わからない、ジャングル。
わからんけど、力があれば突き進んでいけるみたいな。
あとは征服すること、相手を出し抜くこと、支配することを好む。
まあこれもなんかね、そのこの世界観の中だったら、それをしないと、あの、やばいっていうことでもある。
ジャングルだね。
単純にね、それがやりたくて仕方ないというよりは、そうしてないと、自分がそのね、何が起こるかわからない場所で一番最強でないと生きていけないっていう感覚が強くなってくる。
あとは後悔したり、自責の念に枯らえたりすることなく最大限楽しんで過ごす。
なんか急に楽しそうになってきてるけど。
まあそうだね、この段階であんまり後悔とかしてたら負けちゃうから、確かにそうかもしれない。
今を生きてるんだね。
そうだね。
だからそういう意味で、なんかある意味健全というか、なんかこのスポーツ選手とかがだから発揮してる時ってこういうのに近いんじゃないかなという気がする。
その試合の瞬間に全部を出し切っているわけで、それがある意味楽しいから続けられるわけじゃないか。
という、健全な状態だと最大限にある意味楽しんでいる状態でもある。
あとは封建的な領主が復住し労働することを引き換えに仮想の者たちを保護する。
保護も加わっていく。
まあそうだね、自分が力を持っているということは何か守ることもできるようになっているわけなので、
なんか強くなった人っていうのは、守ってやるぜという意識もここで出てくると。
そこまでこの前の段階は本当に自然の中で自然に守られているので、
誰が誰を守るとかそういう話ではないんだけど、
ここでね、自我みたいなのが出てきて、自分がこいつらを守るみたいな。
だからここら辺からちょっとこのジャンプっぽくなってくるよね。
ジャンプ感が出てくる。
そうだね、なんかちょっと身近な感じがしてきた。
ちょっとわかりやすくなる。
はい、ということで最初の3段階だけでこんな感じです。
面白い。
で、まあなんかこの3段階までって今話した感じでもなんとなくわかると思うんだけど、
結構その人間としての最低限の部分、なんか何だかんだずっと本能的に動いているみたいな感じだと思うんで、
なんかここら辺まではある意味シンプルな世界というか、
自分っていうのが出てきてもなんか俺か俺以外かみたいな話で、
そのぐらいしか見てないわけですよ。
なるほどね。
そういうシンプルに世界を見ているので、
なんかこれはそれこそ子供の例えとかで、なんか理解もしやすいかなっていうところ。
で、こっから先の段階はなんかやっぱもうちょっと社会性みたいなのが発展してくることで出てくる段階なんで、
ある意味その現代の社会の中にもあるけど、
今の現代の社会がこれが色々複雑に絡み合った状態なんで、
何がどの段階なのかみたいなのはちょっと複雑になってくるというか。
で、そのレッドの次の段階に来るのが、今度はブルーになるんですけど、
これは神話的秩序の段階っていうことになってて、
秩序が生まれた。
そうですね。さっきのそのやっぱレッドの段階で力を行使して、なんか解決しようとしていくと、
まあキリがないという。
そうだね。
まあそのね、戦国時代とかちょっとそういうのに近い状態だったと思うけど、
なんかそのね、すべてのことがやるかやられるかみたいなことになっていって、
夜も眠れないみたいなことになって、
まあやっぱそれはしんどすぎるしね、殺伐としていくので、
まあやっぱりどこかでその、その中でね、特にすごい大きな力を持った人たちっていうのが、
だんだんその中の秩序を作って、その安定した支配関係みたいなのが揺らがなければ、
無駄に争いは起きないわけだから、それを作ればいいんじゃないかっていう、
多分そういう発想になってくると、このブルーの段階がだんだん出てきて、
で、これで言うと、古代の国家の基礎にある段階というふうにされていて、
階層、社会階層みたいなのがこう、だんだん出てきて、
で、あらゆることを唯一の正しい考えに基づいて考えていくと。
これもなんていうかな、当然というか、なんかその、それぞれのなんか強い、
強さみたいなのだと、どれだけその相手を出し抜くかみたいなことをずっと延々と繰り返していくことになるんで、
そうじゃなくてその基準を作って、何が偉いのかみたいなのをこう定めることで、
だんだんその、なんていうかな、それに従わないで暴力振るっていうやつは、
力は強いかもしれんけど、社会的には良くないよねっていう話とかができるようになってくると、
このブルーの段階になってくると。
権威が生まれるような感じ?
そうだね、そうだね、権威。だからこれは伝統的な宗教とかのイメージが一番近い、
思った、キリスト教の。
そうだね、キリスト教の教会とか、そういうその、あれもすごい大規模な組織で、
でもね、そのカトリックだとそのトップに一人のその人がいて、その人が全てをある意味定めているみたいな、
その、なんていうかな、それも現代ではかなり境外的になってきていると思うけど、
一応その、世界観としてはそういう世界観でずっと回り続けているわけで。
で、まあそれによって生まれる地図上というのもあるけど、その、絶対に覆せない順序があるっていうことで。
で、そうするとその、なんかその無駄に暴力で解決しないで、なんかその、このルールの中で生きていれば、こう、自分の立場守られるし、
ということで、まあ誰にとっても一旦その、なんかその殺伐とした世界よりはマシになっているっていう意味で、
その、そのレッドの段階よりはやっぱり確かにちょっとマシな世界になっているっていうのがブルーの段階。
なんか、戒律があるけど、こう守られて、なんか忠誠みたいな感じなのかな、時代的に。
そう、人間の歴史で言うと多分その、中世とかぐらいまでが、このブルーの段階がずっと続いてきたというか、だね。
そうだね、あとなんか子供のその発達で言うと、まあ学校とかって、そういう階層を認識できるようになってくるよね、子供が先生が。
先生が、何事守らなきゃいけなくて、とか教室の中でもなんかなんとなくカーストが生まれてきたりとか。
カーストもヒエラルギーが。
ルールとかね。
そうそう、だからなんかその今の社会で置き換えてみるときは、そう、実際学校とかっていうのが多分一番ね、このブルーの段階。
まあ学校とかあとそのやっぱり国家の基礎になっているようなその部分、やっぱそのこういう階層で秩序を作って安定して何かその大きな、結局なんか力で支配できる人数よりもその階層で支配できる人数の方が圧倒的に大きくなるので。
そうだよね。
カトリック教会みたいな感じで、そうなるとやっぱその国レベルのものが動かしやすくなってくるっていうところで、やっぱその今の国っていう単位が一番根底にはこのなんかブルーの構造がずっと残っている。
そういう意味で言うと、そのなんか役所とか、そういうなんかその国の機関みたいなのは結構そのブルー的な感覚で、いまだに動いている感じはある。
確かに、すごい実用。
上下のね、そのなんか情報の伝達の仕方とかそういうのが、絶対に守らないといけないみたいなのが徹底されてる。
大変だよね。
で、まあそう、でもだからこれが大変だと思うのも、結局その先の段階に来ているからそう思うみたいな。
ってことだね。
レッドからブルーに移行した段階の人たちは多分、これがめっちゃ良かったってなってる。
悪気的だったんだね。急にやられることはない。
急に殴られたりとかしなくなったみたいなことが起きるという。
で、ブルーの段階のこの意識の説明としては、人生には意味があり目的があり方向性がある。
そのキリスト教とかね、その宗教とかわかりやすいけど、生きる意味が定められてるし、何のために生きるかっていうのはもう定められてて、
そこに向かって生きていきましょうっていうのもね、決まった中でそもそも生きるというのが大前提になっている。
選べないんだね。
選ぶというね、だからそのやっぱりこの意識の段階だとそれを選べるということがそもそも発想にないという感じだよね。
あとはどんな結末がもたらされるかは全能の絶対的存在ないし、絶対的秩序によって決められていると。
これもそうだね、宗教に置き換えて言えばわかりやすい。
そっかそっか、絶対的なんだね。相対的ではない。
レッドの段階の神っていうのは、なんかもうちょっと多神教的というか、いろんな神様がいてバチバチやってるみたいな世界観だったのが、
本当に最強の人が出てきて、その人が全部の秩序を決めてるんだっていう風になったことで、解決するっていう段階だよね。
すごい、おもろいね。
あとは絶対的秩序が定める行動規範には従わなければならない。
これもそうだよね、これを守っていることで自分の地位が守られるわけだから、これ外れたら結局レッドの段階に転落するみたいな感覚だわけだよね。
あとは規範やルールを破れば重大な罰を受けることになると。
これもそうだよねっていう感じ。
全てこれによって守られているわけだから、という感じです。
これも、だからね、パープルの段階とかのバチが当たるみたいなのとは全然その強さが違う罰を受けるという。
パープルの段階なんかわかんないけど、自分がやった悪いことで怒られてるっぽいみたいな。
犬が怯えてるみたいなぐらいの感じだけど、
このブルーの段階というのはもうこの生き方、道を反れたらそれは人手なしになるみたいなぐらいの。
ということで、これでこの段階で何かその大勢の人たちを一つの方向に向かわせるみたいな力が、この意識を持った人たちが集まると作れる。
良くも悪くも作られるということになって、国とかも生まれてくると。
だし、そうだね、現代でいうとその学校とかでそれを学ぶことで、それが結局その社会の入り口として、
その社会の秩序というのも、今の現代の社会だと例えば憲法みたいな、その国の絶対的なルールがあって、そっから外れたらさすがにダメでしょっていうもの。
それだけは少なくとも守らないと、この社会の中で活動できませんよっていうことをやっぱり学校で教えていかないと、
さっきのレッドの段階のまま放つわけにいかないっていうことがあるので、学校ってそういう感じになっているという。
確かに。
レッドはそういう人いるなみたいな、俺以外みたいなものの見方している時とか、想像しやすいけど、
ブルーはその社会、広い構造の中に自分がいるみたいな広い捉え方になるから、
ちょっとふわっとわかるっていう感じだった。
その人がそうっていうよりは、
そうだね、その人がそうというよりは、やっぱりそこに重心を置いて生きている人はいるなって感じはするんだけど、
やっぱり役所に勤めている人とかは、そこに重心を置けるから、やっていけるんだろうみたいな感じもするし。
そうだね。
なんか近づいてきた感じがする。
これもかなり現代っぽい感じの。
で、これもやっぱりそのブルーの段階がある程度成熟してるからこそ出てくるんだけど、
大きな集団で動けるようになって、いろいろな知識とか集約できる。
それぞれバラバラでやっててもわかんないことが、いろんな人の知識とかをまとめてより強い組織の形とかもそうだけど、強力な概念とかを構築したりもできるようになってくると、
今度そこにその、これがやっぱその天道説から地道説に変わるタイミングっていうのが一番わかりやすい例になると思うんだけど、
天道説ってその結局宗教的にこういう世界観、これが世界ですっていう説明をしてたのが、なんか違くないみたいな話が発想が出てきて、
これを発想するのっていうのはその個人の一人の人だったりするわけで、その一人の人の力が結果的にそのブルーのその強力なこの階層構造を覆せるようになってくるのがこのオレンジの段階っていうこと。
で、これがなんでできるようになるかっていうと、まあ単純にその、えっと、なんていうかな、さっきの真善美の話で言うと、その真の部分が強くなってくるから、なんかその実証して実際そうじゃみたいなことを言えるようになってきたりすると。
たぶんそれもそのブルーの段階でそういうね、いろいろなこう研究の仕方とかそういうのがどんどんと洗練されてくるからこそなんだけど、その中でこう世界の見え方とかが洗練されてくることで、個人的になんか全体で信じられていることとは違うことを発見しちゃう人が出てくるみたいなことで、
それが増えてくると、あれ、なんかこの大きな一つのルールで縛られて生きてたけど、なんかもうちょっとその外側に本当の真理があるんじゃないみたいな。
この宗教的な真理って結局誰かがなんか言ってる話でしかなくて、その外側にある世界みたいなのを調べた方が、なんかいろいろ生きてる意味とか、なんかわかるようになるんじゃないかみたいなことを考え出すようになると。
だから、これってなんかある意味そのレッドの段階で生まれた自己が、力の使い方が変わったみたいな感じでもあるかなと思うんだけど、漠然とその世界を受け入れて信じていたものが、自分の力でその世界を知りに行くことができるみたいな。
ブルーの段階はね、これが世界ですよっていうのを、そうなんですかってなって生きている状態だけど、オレンジの段階になると自分が解明したものっていうのが世界だっていうことになるから、じゃあそれをもっとね、より詳しく知れば知るほど世界を知ることができて。
で、より知っている人の方がその世界を渡り歩くことができるようになるみたいな形で、なんかその暴力じゃなくてその知識とかね、そういうものによって世界を広げていくというか、感覚になっているのがオレンジの段階かなと。
だから意外とこのレッドとオレンジってなんかちょっと相性いいのかなって気もしたりする。ここが混合している人は結構いるような気がする。勝ちたいみたいな気持ちとかでオレンジ的な、行動はオレンジ的だけど、原動力はその出し抜きたいとか、勝ちたいとか支配したいみたいなことをしている人は結構いる気がする。
なんか聞いててイメージしたのは、レッドは本当に純粋に力っていうものがあるけど、オレンジになってくると知識とか教養を集められるようになってくから、それがその一人の中で能力になっていく。
力の中でも能力があるみたいな、高い。そこでみんなブルーの人もレッドの人も、この人はすごいみたいな、包括されていくようなイメージを持った。
だからこのオレンジの段階が一番、知性みたいなものが価値を置かれやすい。やっぱその理解すれば、だからレッドの段階の腕力みたいなのが、ここで知性に置き換わってるみたいな感じがするなと思って。
その理解する力が強ければ強いほど、このオレンジの段階の世界観だと、生き残りやすくなるっていう。
で、これが個人として真理や意味を探し求めるようになると。さっきのね、その事前に決められていたものから、自分でそれを決めていくというか、自分が見つけていくという主体者に切り替わると。
その方法は一般的に科学的と呼ばれる方法が用いられると。で、世界とは自然法則に基づいて円滑に動く合理的な機械であるという認識になっている。
これも結局ブルーの段階を乗り越えた時に、そういう世界の認識に切り替わることで乗り越えている。
そこまで神話的な世界がずっと続いているので、何か分かんない力によって動いている世界だったのが、分かんない力じゃなくて、その解き明かしていけば仕組みがあるっていう発想にここで切り替わっているから。
確かになんかちょっと劣等みあるね。コントロールで決められたってことでしょ。
だからその力以外でもコントロールができる方法があるということで、そのね、知識をつけることでコントロールができるようになるっていう発想になって、オレンジの世界観になっていると。
だからそのブルーをね、それによってブルーのこの窮屈な世界を脱することができたわけなので、それを当然その見え方を大事にしているというか、それによってこのオレンジの世界観が守られているみたいな感じになっていると。
ここら辺がちょっとやっぱ劣等っぽいって感じだけど、ゲームに勝利した者は敗北した者よりも高い地位と特別な報酬を得ることができると考えがちになった。
めっちゃ今のビジネスの話やな。
そうだね。
あとは地球の資源を巧みに利用し、戦略的に利益を獲得すると。
戦略ね、っぽいね。
そうだね。
世界というものが解明可能なものになっていくので、それを利用してこういうことができるじゃんっていう。
今の生活ほとんどがそれで成り立っている。
自然法則、重力があるみたいなこととかも全部そうなんだけど、物が落ちるみたいなのは、なんでそうなってるかってそれまで全然わかってなかったのが、そういう力が働いてるから落ちるんだっていうことがわかって、
じゃあその力を働くという法則を利用したらこういうこともできるじゃんみたいなのを、それがあらゆるところに発展して今のあらゆる技術ができているというところなので、
ここのブルーからオレンジの段階でかなり成長しているというか、ここが一つのでかい、それ以前もかなり大きいと思うんだけど。
じゃあオレンジの段階ですごい技術改革とか革新が起きたりするのかな。
そうだね。やっぱりこの段階になると、そういう技術的なものを自分で制御するってことができるから、
そのブルーの段階の技術っていうのは伝統的にこうやってやってるから、これを守っていれば失敗しないみたいなことでしかなくて、改良するとかいう発想がない。
できづらいっていう。
なるほど。
なので、この今の社会をかなり構成しているのはこのオレンジっぽいなって感じですね。
特に日本とか。国によってここら辺はちょっと違うけど。
次が、オレンジの段階っていうのにもでも限界は出てくると。
今の社会だと結構それがよく言われるからわかりやすいんだけど、その合理的な考え方を突き詰めていくと、
それこそ格差がどんどん広がっていくとかっていう問題もあるし、環境破壊につながってしまっていったりとか、
技術の進展みたいなのが必ずしも短期的にはいいことがあっても長期的にいいことばかりではないみたいな問題を、
合理性だけで考えてるとなかなか止められないというか、歯止めがきかないとなっちゃうとかいうことで、
これレッドの段階をより複雑にしたような問題になっているというか、競い合いになっちゃって、
それが目的なんだっけみたいなことで競い合ってるみたいなこととかも起きちゃっているというのがオレンジの段階の問題として出てくると。
ネットワーク的に思考する。
で、これなんかグリーンの説明で結構出てくるんだけど、そのインターネットの影響が大きいんじゃないかみたいな話もあって、
やっぱそのいろんな人たちがフラットにつながるみたいな場所が生まれたことで、
そういう発想になりやすくなったっていうことは確実にグリーンの人が増えてる影響あるんじゃないかなと。
そういう思考をしないと世界が理解できなくなってきているというか、
これまではもうちょっと分断された中で考えてればよかったのが、
横にこうすごい広がっていく。
いろんな情報が等しく入ってきちゃうから、
それをなんか一旦フラットに全部見ようっていう意識が多分出てきやすくなるのかなと。
なるほど。
しかもオレンジはもうちょっと集まってくる知識とか共有が群がりそうだよね。
この人にすごい知識がいっぱい集まって、その人の能力が高くなって、知識が集まらない人とは格差ができてみたいな。
でも今はみんなが等しくある一定情報を得られるようになってきてて。
そうだね。オレンジの段階っていうのは、特に最初の段階っていうのはね、
それこそ頭のいい人たちが進めていく世界というか、解明して技術を革新していくみたいなことだったりとか。
逆にその技術が進展したことによって、いろんな人たちが情報交換ができるようになった結果、
フラットになっていくという。面白いね、これもね。
人間の精神は合意よくさや独断的な考えや分断された状態から解放されなければならないと思っているとか、
精神性、冷静を新たな形で蘇らせ、これさっきも言ったね、世界に調和をもたらし人間の潜在的可能性を拡張すると。
あとは対立している考えを和解させ合意を形成することによって意思決定を行う。
対話を重視するみたいなのも結構このグリーンのタイム。
これってなんでその対話を重視するようになっているかというと、やっぱりオレンジの世界がある意味殺伐してきちゃうということ。
合理性で解き捨てるみたいなことが分かり通ってしまっていて、それで解決しないことが出てきちゃっているってなったときに、
もうちょっと人間の全体を見て、対話することで問題を解決するっていう。
結局この合理的に考えられる人が全てをコントロールしている世界から、
そうじゃない合理性で救い取れない部分みたいなのも含めて全部調和をしていかないと、
やっぱバランス悪いんじゃないっていう感覚になっているということなんかなと思う。
確かに合理性だけじゃつまらないよね。
だからこれもその一つの揺り戻しみたいなものでもあるかなと思うんだけど。
ね、思ったら冷静も伸ばしていくみたいな感じだねと思った。
精神性。
でも、ヨガみたいなものだったりとか、
瞑想。
瞑想みたいなものが流行るのもグリーンの段階の一つのね。
確かに、マインドフルネスがね。
マインドフルネスが一番。
確かにイメージできました。
ある程度オレンジで達成した企業の社長とかが、
マインドフルネスとかそっちに行くのって、やっぱりそこの限界感じてるから。
進んじゃったんだ。
合理性だけではうまくいかないってなって。
言うよね。
言ってる。
社長たち言ってる気がするよ。
ある意味このすごい前の段階のパープルとか、
そういうちょっとスピリチュアル的なところにも、
もう蘇ってくるというか、話だと思うんだけど。
それがだから単純にすごいってなってるわけではなくて、
そういうものを一回事故が確立した上で改めて求めて、
自分から求めていくというか。
ってことだよね。
複雑なってきた。
複雑だよね。
グリーンとかになってくるとやっぱりちょっとなんか話がね、
ワーンってしてくる。
し、グリーンは現在進行形というか、一番多分増えつつある。
そうだよね。
人口的に増えつつあるみたいな段階なので。
なんか企業とかも混在してるよね。
グリーンが増えてきたなっていう感じ。
そうなんだよ。
オレンジでやっぱりね、その動いてた企業がだんだんグリーンの方がいいんじゃないかみたいに、
グリーン的なやり方がいいんじゃないかみたいになって感じが今ね、
多くの大企業の雰囲気になってる。
いやめっちゃそうだね。
移行していってるよね。
それこそSDGsみたいなのとかは一つの流行り。
狭間感あるよね。
グリーン的なこと言ってるけど、来日やっぱオレンジで進めてんじゃんみたいな。
そういうのもあるしね。
だからそういう感じで人間の意識の段階自体もなんかパキッとね、
進むというよりはなんか、だんだんそっちに重心が移っていくみたいな感じなんかな。
まあ行ったり来たりしながらとか。
これどうやって調べたのかちょっとよくわかんないんだけど、
この人口の比率として、
比率出るんだ。
なんか大体それをね、多分そこに重心を置いてる人っていうのがどのぐらいの割合いるかっていうやつが、
最初のベージュ段階は0.1%。
この状態で、これ成人の多分人口の話だと思うんだけど、
この状態で大人になってる人は基本的にはいないと。
で、パープルは10%。
結構いるんだよね、パープルの人もね。
で、レッドの段階も20%ぐらいと。
で、ブルーの段階が一応この調査の中では一番多くて40%。
で、オレンジが30%。
ここは結構だから、結構しているというか。
なんとなくわかるよね、こんな感じも。
なんだかんだでまだブルーが多いっていう感じはわかる。
やっぱ一番ここが安定してるから、ここから離れたくない人、
というか離れる必要が感じてない人みたいなのが多い。
で、グリーンの段階が10%ぐらいいるんじゃないかと。
そうなんだ、10%ぐらいなんだね。
で、この話が結構面白いのは、
単純に比率が世界に対しての影響力ではないっていうところがあって、
結局その前の段階を包括して新しい段階が出てくるので、
さっきのブルーからオレンジとかがわかりやすいけど、
一人の人の言ったことが世界の原理を全部覆しちゃったりもするみたいな、
その段階、前の段階で起きていることをより俯瞰してみられる人たちが、
こう、何か発言するとか行動することっていうのは、
それ以下の段階の人の行動によって、
人数が少なくても、やっぱグリーン的な発想って、
そこそこ浸透してきているなって感じがする。
だから、そういうことなのかなっていう感じです。
で、今、この説明したのが6段階。
これで6個。
これで約6個です。
まだある。
最後の1個があるんだけど、ここで結構なんか大きな境目が1つあって、
これが自分はちょっと本を読むまでは、何がそんなに大きな境目なのかわかってなかったんだけど、
本を読んで自分なりに理解したのを、ちょっと1回説明しようかなと思っていて、
えーと、ここまで説明したのが、
世界を見るときのそのレンズの性質の違いみたいにも言えるかなと思っていて、
性質?
で、例えばそのベージュの段階っていうのは、ある意味この裸眼状態というか、
何もレンズかけてないから、性質の違いみたいにも言えるかなと思っていて、
で、例えばそのベージュの段階っていうのは、ある意味この裸眼状態というか、
何もレンズかけてないから、すべてのものをそのままナチュラルに受け取ってるみたいな感じだと思うんだけど、
でもそれって何かを分解したりとかしてみてないから、本当にただ受け取る一方みたいな感じ。
で、パープルの世界になると、その中で起きることの特徴的なものに対して、
嵐が来るとか地震が起こるみたいなことに対して、
なんかこれには何か意味があって、その大いなる力が自分に働きかけてるんだっていう、
そこにすごい解釈が入ってくる。
それってただ世界を見てる状態では絶対起きないことで、
何かそのフィルターかかってるわけ。
だからそのパープルの、それはレンズをかけて世界を見てるみたいな言い方もできる。
だからそのレンズで見た世界っていうのは、全部そういうふうに見えるということで、
なんか目の前で起こったことっていうのが、理由は分かんないけど不思議だなってなって、
でもこの不思議なことが起こるってことは、なんかその大きな力が自分に何かを示そうとしてるんだっていう、
全てのことをそれで捉えようとすると。
だから今でもその占いとかにめっちゃハマる人とかは、
なんかそういう見方を選んでいるというか、
夢を見て、この夢を見たってことは何か意味があるんじゃないかみたいなのも、
こうちょっとパープルっぽい発想というか。
で、まあレッドにはレッドのさっきのね、こう強いか強くないかみたいなことを、
で、こう相手を判断するだったりとか、
まあその世界をね、殺伐とした世界として認識していたりするっていう。
赤いからね。
いつ誰が殴ってくるか分からないみたいな、例えば発想で生きてるみたいな状態になるわけ。
で、ブルーになると今度はその生き方の指示、マニュアルみたいなのが、
常にこう目の前に表示されてるみたいな感じで見えてたりするわけ。
だからこの今自分がやる行動はこのマニュアルの中で、
こう当てはまってるか当てはまってないかみたいなので、
全てを選ぼうとしたり、
起こっていることの解釈もその中で正しいことだったら受け入れるけど、
そこに書かれてないとか間違ってるって言われてることだったら拒否するみたいな形で選んで。
で、オレンジになるとさっきの合理性で分析的になっていったりとか、
さっきの機械のように言ってた、構造が理解できれば全て把握できるはずだっていう前提を持って、
全てのことを見始める。
グリーンになるとそれを一旦全部解体して、
全部フラットに並べた状態で把握しようとするという風になって。
そんな感じでね、それぞれの段階で、
同じものを見たとしても解釈の仕方っていうのがそのレンズの性質によって変わってくるっていう感じで、
それが意識の段階という風に言っている話。
そのレンズを掛け替えない限り、
理解できなかったり、見えなかったり、受け入れられないことがそれぞれの段階の中にあるという感じです。
なので、4省限の話にちょっと戻ると、
4省限ってレンズの曇りをとるみたいなことなんかなと思って、
それぞれの段階で見える範囲を全部見えるようにするためには、
見えてない部分をちゃんと磨いて綺麗にすることで、
そのレンズを通して全てのものがちゃんと見えた状態で見ましょうという話で、
でも、そもそもそのレンズ自体の性質が違う段階のもので見ていた場合、
同じ人が同じものを見たとしても、全然違うものが見えてるかもしれないっていうことがあるよねっていうのがこの発達の話。
なので、この水平的なさっきの統合っていうのは、そのレンズ磨いている状態で、
垂直的な統合っていうのは、そのレンズを掛け替えているというか、
違うレンズで見たときに何が見えるかみたいなのを想像して、
ものごと考えるようになってくるっていう段階。
これがその次の7段階目で、
これもなんか色の付け方が、その情報によって違っていて、
イエローだったりティールだったりするんだけど、ティールの方が日本ではちょっと普及しているかな。
ティールとは、ティールって色なの?
ティールは、あのね、カモの羽のグリーンっぽい青緑みたいな色のことをティールというらしい。
あ、あの表紙?
そうそう。ティール組織っていう本がね、有名な本があるんだけど、
それの表紙の色もその色使ってるけど、ティールグリーンっていうかな。
それは色はあんまりね、そこまで意味はないみたいだけど。
で、そのティールっていうのが一応その統合的な段階というふうに付けられていて、
それが何が統合的かというと、今の特にその発達の高さ方法を統合しているという話。
そのグリーンの段階っていうのは、なんかこの色んなレンズがあるよねみたいなのは多分認識できてくる。
なんかどうも見え方が違っている人がいるっていうことは理解してきていて、
だからその人たち、その見え方が違う、その合理的に生きているそのオレンジの段階の人だけが絶対的に正しいわけではなくて、
なんかね、合理的じゃないけど、なんかその神話的に生きていて、それで十分満足している人たちの世界を侵食してまで、
なんかその合理性を突き詰める必要あるのかみたいな、例えば話をグリーンの人とかはするわけだよね。
それはやっぱその違うレンズで世界を見ている人がいるっていうのがまず認識できている。
オレンジの人はその違うレンズで見ている人っていうのは単純にその世界をちゃんと理解してないっていう。
否定しちゃうんだ。
これまでのそのブルーの世界っていうのは本物の世界ではなかったっていう認識。
神様がなんか全部説明しているみたいなの嘘っぱちじゃんっていうことで、その天道説、地道説の話とかざっくり言うとそういうこと。
で、劣ってるって思っちゃうみたいな感じなのかな。
思いやすいよね、たぶんその。
なんか単純にその楽しくて追求しているだけの人もいると思うけど、
そのなんかね、やっぱその自分の意見が否定された場合にこの人はこの世界観、間違った世界観を信じているから、
その本当の世界のそのオレンジ的に見たときのその合理的なその仕組みでこういうふうに動いている。
太陽の周りを地球が回ってるみたいなことが理屈で説明できるのに、それを信じられないっていうのは、
やっぱりなんかその古い世界観にいるせいだっていうことで、そういう認識になった。
でもグリーンの人はそれを別に悪いものというふうには考えなくなってくる。
ただそのグリーンの人の限界というのもあって、
悪いものではないんだけど、全員その世界観が人それぞれだよねっていう結論に陥りやすくなっちゃう。
それはそれで。
優劣をつけようとしないので。
ブルー的なその神様が決めた世界で生きている人っていうのと、
オレンジ的なその合理性で、本当はこうなってるんだって言ってる人の対立度を見たときに、
どっちが正しいとも言い辛くなっちゃう。
そのグリーン的な見方だと。
そうだね。
どっちにも正しさはあるよねって。
この人が見ている。
この間の四小言で言うと、ブルーの世界観の正しさっていうのは、
ある意味その内面というか、その人を信じていることっていうのは正しい。
その人がそれを信じているっていうことにおいては、確かにその世界認識間違ってない。
オレンジの外側の話で分析してみるとこういうふうに見えるっていうのも、それはそれで正しい。
でもなんかそれ以上のことが、なかなか言えないのがグリーンの段階の限界で。
やっぱりオレンジのその合理的な判断を今した方がいいのに、
ブルーの人がなんかそれは違う気がするみたいなことでこだわっていると、
何も決められなくなっちゃうみたいなことが起きちゃったりするという。
フラットだからね。
そうそう、フラットに見ようとしすぎってことで。
でもなんかこのフラットに見ること自体っていうのは、
なんとなく今の世界の中で悪いことではないという感じになっているから、
なんかそこがちょっと分かりづらいんだけど、
やっぱりその意識の段階を踏んでこう広がっていって、
でその意識が広がることに、やっぱりより世界を複雑に捉えて、
そこに対してより効果的なアプローチを取れるようになってきているということ自体は、
実際どうも起こってきている変化なわけなので、
なんかそのより先の段階で出た答えというのは、それだけ重みはある。
そのより高い段階で出した答えっていうのは、
その下の段階で出た答えよりも、
なんかよりその大きな意味を持っている可能性があるよねっていうのが、
まず前提として捉えるようになってくると、そのティールの段階が出てくると。
なので、さっきのレンズの話で言うと、
ティールの段階はこのレンズの性質ではなくなっているんだよね、もう既に。
そのレンズの使い方に意識が向き始めている状態だなっていう、
なんかそこがその大きく違うというのを、なんか自分が思ったところで。
ティールのレンズがあるというよりは、そのグリーンのいろんな考え方あるよねっていうのを前提として、
今この問題に対してどの考え方をまず優先的に検討したらいいのかであったりとか、
さっきのレッドの段階の人とかが暴力沙汰を起こしているみたいなことだったりする場合って、
やっぱりその人のその欲求を何とかしないと、それ以上の話は何もできないっていう状態になっちゃうので、
まずそこに退場しなきゃいけない。
その人にそんなことをやっても何の利益にもならないみたいなことを言っても、うるせえって殴られるみたいなことがあったりとか、
そういう、だからグリーンの対話をするみたいな姿勢だけだと、なんかどうしようもないみたいなところがある。
レッドの段階で暴れている人に対しては、とりあえず一回何かそのそれよりも強い力で何とか抑え込んでから、
落ち着かせるしかないみたいなことがあったりするわけだよね。
そういうこう問題解決するときに、いろんなその意識の段階で動いている人がいるということを踏まえて、
その段階に合わせた対処をしないと、なんかみんなの意見をフラットに並べて対話するみたいなのでは、
なんかどうしようもないことで現実的にいっぱい起こっているじゃんっていう。
だからそのレンズのなんかその行き来をするみたいなことが大事だなってなってくるのがそのティールの段階と。
じゃあちょっと整理、なんか自分が分かってないところを確認すると、グリーンまでは自分のレンズでしか見れない状態で、
ただグリーンは、グリーンのレンズの性質っていうのは、いろんなレンズがあるんだなっていうものが見えるぐらいにはなっている。
そうだね、だからグリーンの説明の仕方として、グリーンのレンズという風にしてもいいかもしれないし、
逆にそのなんかある意味、ベージュに戻っているというか、裸眼で見るようになっているみたいな風にも言えるかもしれない。
事故を確立した上で改めて、眼鏡を外して取っ払ってみたときに、全部が等しく見えるようになった。
けどそれに対してどうすればいいのかっていうのは、あんまり分かってないのがグリーンの状態。
なるほど、その方が分かりやすいかも。外したっていう方がね、ベージュに戻った。
そうだね、なんか一周回ったんだけど、この先どうすればいいのみたいになっちゃってもいるのが、たぶんグリーンの段階なのかなという。
でそれを、じゃあいろんなレンズをそのシーンとかに合わせて使い分けようっていうのがティールの発達の段階。
そうですね、そこのなんかこのレンズそれぞれに結局その出てきた意味があって、それがその段階的にこう出てきている。
だからその、そういう順序もあるよねっていうこと。
でもその順序が優劣とか、なんか価値の違いではないんだけど、でも順序はあるよねっていう話。
でまぁその順序があるみたいなのの例えとして言うと、なんかその例えばこうリンゴがあって、そのリンゴの中に細胞があって、その細胞を分解していくと分子になって原子になってみたいな、どんどんちっちゃくなっていくみたいな。
そういう感じの、そのより下の段階はその基礎的な構成するのに必要な存在で、その上の段階はそれを寄せ集めて出来上がった、よりその重みのある存在になっていくっていう、それの繰り返しで順序ができている。
順序っていう言葉がわかりづらいんだけど、包括していくってことだよね。
包括していく。でそれが、だからリンゴの細胞っていうのは、それがなければリンゴはできないわけじゃん。
でもリンゴがなくてもリンゴの細胞は存在できる。
できる。
そこが順序になっているってことですね。リンゴの細胞がなければリンゴは生まれないし。
順序ってそういうことか。
分子がなければ、そもそも細胞も生まれないしみたいな。
そういうその、絶対にその入れ替えられない、入れ子の順序っていう。
まあマトリョーシカの順番みたいな感じ。
その順序を大事にしようよってこと?
大事にというか、それを前提に考えないと、そこまでフラットにしちゃうと何もできなくなるじゃんっていう。
そっかそっか。そこの順序をグリーンの人たちは見極めてないというか。
見極めてないというか、そうだね。まだそこのなんか見方がフラットになったっていう段階がグリーンなので。
それだけでも十分何というか画期的ではあるんだけど、そのなんか眼鏡をこれまで眼鏡にこだわっていたみたいな。
自分のかけてる眼鏡が一番その正しい世界の見方みたいに見えてたところが、
どうもね、いろんな見え方をするっていうことがそもそもこの世界の前提なんだってなって。
それはそれで間違いではないんだけど、そこでなんか全てのそういう自然発生的な順序まで解体してしまおうとしている部分があると。
そのグリーンの性質として。
なるほど。それはめんどくさいじゃん。
っていうのがそのこのインテグラル理論の中で結局その一番指摘されているところでもあるんだけど、
なんでこの高さ方向の意識の順序っていうのを統合していく必要があるかっていう話をしているのかっていうのが、
そこを前提に考えないと、そのフラットに全部並べたままでは結局何も手出しできない。
ある意味このベージュ段階に戻っちゃうみたいなことでもある。
全部を受動的に受け入れるしかない。
そうなっちゃうよね。
みたいな感覚になりかねなくて。
そうだよね。
そういうことだっけみたいなことになっているということだと思う。
確かに。
で、だから多分そのグリーンの段階っていうのは、
その眼鏡を外すことができた開放感みたいなのが強くて、
オレンジの段階でいうそのブルーからその合理性によってその窮屈さを抜け出したみたいなのに近い。
そのオレンジという眼鏡をかけて見てたら、なんかだんだんこう世界が殺伐するってきて、
すべて合理性で、なんか自分も機械のように動くみたいななってたのを外してみたら、
なんかそういう世界だけじゃない、もともとなかったよなみたいな。
もっといろんなことが起きているっていう、それをまた素直に受け取れるようになった開放感みたいなのがグリーンの中で強いので、
だからこそ逆にその眼鏡をかけ直すみたいなことに抵抗が出てきちゃってる。
というのがグリーンのちょっと課題になっているとかなんじゃないかなという自分は読んでいて思った。
抵抗ありそう。
だからそのティールの段階ってそのグリーンの段階と、なんかその眼鏡外してみたりもするので、
なんかそこら辺はほぼ同じような感じに見えるんだけど、その外すこともかけることも躊躇がないというか、
全部のその見え方みたいなのを、今はこの見え方が結局一番無理がないみたいな。
自然なね、その順序的に今この見え方で対処しないと解決しない問題だなってなったら、
躊躇なくそのそこの眼鏡をかけて見るみたいなことができるようになっている。
だからこそティールになっているっていう。
なので、なんていうかな、その見え方としてなんかいろんなものがいろいろあるよねっていうのが見えてること自体は、
同じように感じるんだけど、なんかもうちょっとそこの、そこに対しての積極性が違っているので、
そういう意味でなんかこうティールの方がやっぱりその精神的に確かに奪還しているというか、
自分の見え方に本当にこだわってない状態になっている。
レンズから解放された状態みたいなのだけにこだわっていると、
結局うまくいかないっていうことを本当に理解しているからこそ、
その必要なレンズをちゃんとその時に使い分けられるように、
いろいろね、練習したり自分の精神性を高めようとしていくみたいなところが、
ティールっぽさなんかなっていう感じです。
なんか前もおっとやさんとも同じようにインテグラルイローの話をしてて、
自分の中で恋愛とかに置き換えるとちょっとわかりやすいかなと思ったんだけど、
恋愛って一人の人と初めて付き合って最後まで添え遂げるっていう人もいると思うけど、
大体は何人かと生涯の中で付き合うじゃんね。
その時に前の恋人を否定する。
前の恋人の嫌だったところとか、
関係性の関係性か、前の恋人との関係性を否定して反省して次のより良い関係性を築いていくみたいなことをしていくっていうのが、
発達でも発達の段階でも前の発達の段階を否定して次の段階に行くみたいなのと似てて、
そういうのを繰り返していくと結局、
否定していた恋人だったり、元をたどれば家族とかになると思うんだけど、自分の家族との関係性がまずあって、
それをベースに次の親しい、家族ぐらい親しい人が生まれて、そこでまた反省して次より親しい人ができてみたいな。
でも元をたどれば、その家族、最初に親しくなった人がいたから、今の自分がいるんだなみたいな、
それこそ順番、順序っていうものを理解して全部を認められるようになる、否定していたものではなくて、
これ、この順序があったから、今の自分があるんだっていうような、その感謝しているような意識段階に行って、
そうすると、それがそうだね、ティールの段階まで行くと、いろんな段階の人と親しくなれるようになるってことなのかなって思ったんだよね。
グリーンの人っていうのは、いろんなその段階の人がいることはわかってるんだけど、親しくなるのは難しいんだと思うんだよね。
ティールの段階ぐらいまで感謝までできるようになると、結構どの段階の人とも婚姻になれる、いわばその付き合えるようになるみたいなことなんかなと思って。
そうだね、そういうのはあるんじゃないかなと。
逆に言うと、グリーンの人はグリーンの人としか交際できないんじゃないかなって思ったりして。
グリーンの人のやっぱり限界っていうのは、その同じ見方をできる人じゃないと本当には理解し合えないっていう発想になってしまうってことだと思うんだよね。
フラットに見えてる人以外は、やっぱりなんかそのメガネをかけているから、その世界の見え方がなんかおかしいんだよなっていうふうに捉えてしまっていて。
でも本当はその順序があったから、グリーンも生まれたんだっていうことが、やっぱ分かってないっていうか、本当の意味は。
そこに納得がまだ行ってない段階っていうのは、グリーンってことなんかなと思う。
面白い。
聞いてて、統合するにあたって、特に上手く言えないけど、それぞれの段階かわかんないけど、自分の内面で言うと感情のようなものがあって。
例えばレッドについて考えてて、レッドの闘争心みたいなものとかを自分が受け入れがたいって思っていると、やっぱりそこが統合されてない。
だからそのメガネ上手く使うこともできない。
そうだね。
それぞれ受け入れやすい段階と、特に受け入れづらいと思っている段階とかがあるなっていうのを聞いてて。
そうそう、それもあると思う。
確かに。
だからスピリチュアルなこととかをすごい避ける人とかもいるね。
それってパープル的な世界観とかがやっぱりちょっと苦手だったりするのかなとか思ったりもするし。
自分もそうだね、たぶんブルーとかも結構苦手というか。
わかる。
存在意義はわかるけどみたいな感じにどうしてもなっちゃうから、そこら辺苦手だよなと思ったり。
オレンジとか、自分は新前備、四色弦でいうね、その右側をやっぱりよく見えないとオレンジしきれないから苦手だったけど、
でもそこは、それこそAIとかネットとかを使っていくとちょっと補えていけるようになるのかなみたいな。
今までアンバランスだったオレンジの自分の中の四色弦がちょっと満たされていくのかなとか、そういう人は多いのかなと思った。
そうですね、だからこれも1回目の話でもしたけど、結局このインテグラリオンって自分の実際の切実な問題に当てはめて考えないと結構漠然と広がっていってしまう話になっちゃうというか。
実際今起きて抱えている問題で、これってどの段階のどの領域、その四色弦で見た時に、この段階のこの領域が問題を起こしているとか、そこがちゃんと見えてないからうまく話ができてないんだなみたいなことを考えるとか、
そうしていくとちょっとこう、このインテグラリオンっていうのの存在意義がちょっとわかるのかなと思うんだけど。
あれだね、その段階がこう包括していくから、なんか自分だと最初のベージュ、本能がさ、結局睡眠、食欲、性欲みたいな話だよね。
全部苦手だったなと思って。なんかその下の構造がバランスなんていうのかな、満たされてないから、そうするとその上の段階、どれだけこう進んでってもずっとグラついてるみたいな人間として。
そうだねそうだね。
そういうトライパー感ができる。
だからやっぱりなんかそれってね、その下の段階だから価値が低いっていうわけじゃなくて、むしろ一番下の段階がダメだと、当然なんだけど、生存が脅かされているときにグリーンの考え方とかってそもそも慣れないわけだし。
そうだね。
何によって支えられているのかみたいなこともね、この順序が分かるからこそ、ちゃんと正しくリストクトできるようになってくるというか。
だから下の段階を逆になんていうかな、その尊重しすぎると起きてくる問題もあるからね、本能的な。
そうだね。
リストクトの問題とか一番分かりやすいけど、暴力的な衝動とかっていうのを、それを全肯定して生きるのが一番幸せな生き方みたいになっちゃうと、それはそれで困るわけだし。
そうだね。周りも困るね。
そうなんですよね。だからその順序はあるけれども、それがそれぞれね、そこの段階において大事っていう。
とりあえずそこの感覚がまず、説明できてればいいのかなっていう。
あとあれだよね、別に無理に次の段階に行かなくてもいいんだよね。
そうそう、なんかそれもね、ちょっと最初にも言ったけど、先に進むことが良いことっていうこと自体も、なんかその、それが多分ちょっとオレンジっぽい発想なのかなって気もするんだけど、
確かに。
前進するみたいなことをすごく重視しているというか、でもなんかそういうことではやっぱないですね。
それぞれの段階ってやっぱその、満たされた上で課題が出てきて、それを乗り越えるために、なんかどうしても必要になって出てくるみたいな感じで、やっぱりね、全体としてはこう出てくるのかなっていう感じがするので、
そもそも必要として、そんなに感じてないのに進んでも、だし、あとなんかその、次の段階に進んだことで出てくる問題の方が逆に規模もでかくなるみたいなこともあったり。