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2023-08-24 13:07

#227 発信や人間関係で大切な「じゃない側の人間」の存在

わたし、元・じゃない側の人間です。

砂糖取らない方がいいとわかっているけど
砂糖取ってる側の人間

YouTube育児はよくないとわかっているけど
YouTube見せてる側の人間

発信をしていると、
じゃない側の人間を否定しているような話し方になってないかな?
と時々不安に思ったり、振り返りをするようにしています。

謙虚かつ、それでも自分の意見は軽やかに出していきたい
#夫婦 #筋トレ #ワーママ #毎日配信 #育児 #発信
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こんにちは。このチャンネルでは、週6日勤務のワーマンはかいほが、今よりちょっと自由を手に入れるための思考のヒントや、家事や育児のこと、美容のこと、ゆるゆるお話しするチャンネルです。どうぞよろしくお願いします。
今日は、発信や人との会話の時に気をつけたい、「じゃない側の人間の気持ち」っていう話をしようと思います。よかったら聞いていってください。
「じゃない側の人間って何?」って思うと思うんですけど、これね私が日々日々なんか自分の頭の中で名前をつけている言葉で、「じゃない側って何?」ってことなんですけど、
昨今ね、やったらいいことっていうのが情報としてね、あふれすぎてるんですよ。それは何かっていうと、お片付けですよね。まず片付けたらいいよっていう発信ってたくさんあるじゃないですか。
その一つももしかしたら私の発信も入るのかもしれないんですけど、片付け、あとは運動習慣とか、
あとはテレビのないとか、YouTubeのない育児とか、あとは叱らない育児とか、あとは添加物を除いた食事とか、そういうのがやったらいいよっていう発信がすごく多いんですけど、
その時に気をつけたいのが、じゃない側の人間の存在なんですよね。じゃない側って何かというと、お片付けをしていない側の人間とか、
あとは添加物を摂ってる側の人間、運動習慣を手に入れてない側の人間、あとは叱っている育児側の人間とかね。
そう、やったらいいことっていうのもいっぱいあるんですけど、そうじゃない、できてない側の人間っていうのが必ずいて、私もね、まあじゃない側の人間だったわけですよ。
その、じゃない側の人間は何を思うかというと、そういう情報をもらった時にね、分かっているよと。もうやったらいいってことはもう分かってますと。
もう、なけどできないんだというふうにして、なんだろう、その受け取る時に、なんかすごく上から目線で言われてて嫌悪感を抱くっていう場合もあると思うんですよ。
それは発信している側は、いや本当にこれね、やったらもう本当にハッピーだったからみんな聞いて聞いて、みたいなんで、悪気はないんですよ。
悪気はないとしても、受け取る側の心理状況だったりとかが、いやもう分かってるんだよ、分かってるんだけどさ、こっちもできないんだよ、みたいな時があるんですよね。
で、まあそれは私もじゃない側の人間だったので、よく分かるんですよ。
例えるなら、心理状況としたら、今ね小学校の小学校5年生の子供が、ああ宿題やんなきゃな、でも今テレビが面白いからちょっとやめられないな、でも宿題やんなきゃ、どうしようどうしよう、みたいな感じの状況の時に
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母親がね、あなたいつまでテレビ見てるの、宿題やりなさい、みたいなふうに言った時に、分かっているよと、やらなきゃいけないって、今やろうと思ってたのに、みたいな感じで、余計にちょっとイラつくみたいな場面ね。
誰もが経験したことある場面だと思うんですけど、そういうことってあるじゃないですか。
で、私がね、そういう強くね、じゃない側だっていうふうに意識したエピソードが一つあって、自分が本当に入職して2、3年目ぐらいの時かな、に、友人が料理に凝っていて、その料理教室をみんなのために開いてくれたと。
で、その子は後にね、料理の道で起業したんですけれども、その子がどういう料理をだったかというと、完全にビーガンの料理教室に憧れていて、それをね開きます、みたいな感じで、講義といろんなね、アンケートとかそういうのもやりながらやってくれてたんですよ。
で、今だったら、あの時もね、彼女なりにすごくもがいていたし、実験していたし、すごいね、本当に尊敬できるなって、今だったら思うんですけど、
自分も仕事し始めて2、3年目でね、結構仕事でもストレスを抱えることが結構あって、こちら側の心理的な状況もあまり良い状態ではなかったんですよね。
そういう時に、友人がビーガンの、いかにね、ビーガンのそういう食事が体に良いかということと、そういうお肉を一切使わないでこんなに美味しいのができるんだよ、みたいなのを教えてくれたという時に、自分がね、今の自分のライフスタイルを否定された、みたいな風に感じてしまったんですね。
私は普段はお肉も食べているし、コンビニ弁当も食べながら、なんとか病院薬剤師としてね、仕事をしているというような状況で、それをね、否定した意図は全くなかったんですけど、
なんか、私は普段の生活は、なんかゴミを食べているような生活しているって言われているようなもんなんだ、みたいな感じで、ちょっとね、心を閉ざしてしまったんですよ。
なんか、それが自分がじゃない側の人間にいるなっていう風にね、一番強く思ったかもしれないエピソードですね。
それって伝わる側と伝わる側、受け取る側と発信する側と、どちらが原因があるということではなくて、どちらもね、マッチしていて、最悪な状況と最悪な状況が組み合わさってしまった時に、
自分が否定された、みたいな感じで、多分そういう時って、もうオンラインだったらね、もう二度と多分その人の発信を聞くことはないかもしれないじゃないですか。
で、自分がこういう風に発信して、その気をつけたいなっていう風に思った2つのポイントがあります。
一つ目は、それをしてない側に共感の言葉を一言でもいいから書けるということですね。
これをやったらいいよっていうのは、世の中的にもいっぱい溢れているけれど、やっていない側、じゃない側の人間っていうのは必ず存在するから、自分はいいよって思ってやってるけど、そうできていない人も気持ちを一言でもいい。
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あ、皆さん忙しいから、こういうことってなかなかできないですよね。私もそうだったのでわかります。でもね、これが素敵なんですよ、みたいな発信の仕方。
一言でもいいから、そのじゃない側の人間に共感してくれる言葉が一言でもあったら、その後の言葉がスッと入ってくるんですよね。
それがその一言があるかないかで、元じゃない側の人間としては全然の受け取り方が違うわけですよ。
ビーガンの食事とってもいいんですけど、それなかなか日々の生活でスーパーで売ってるものだけでやろうとすると難しいですよね。
しかも子どもと子育てしていると、なかなかそういうのいかないのが現実ですよね、わかります。
けどこういうふうにやったら実現できるんですよ、とか、朝ごはんだけでもこういうふうにしたらいいんですよ、とか、そういう発信の仕方。
だったら受け取り手が、あ、私のことわかってくれてるこの人、その上でいいっていうふうに思っていることを言ってくれてるんだ、みたいな感じで思うじゃないですか。
かといって発信の時に、みんないいよね、ビーガンもいいし、お肉とる人もいいし、みんなどれでもいいよね、だと何にも発信の尖りもないし、欲望もないし、
何が言いたいのって、その人、あなたは何を思っているのっていうのがね、わからなくなっちゃうから、何でもいいですよのスタンスではいけない。
自分はどこの立場でものを伝えるかっていう立ち位置だけは明確にする。
それだけどそうじゃない人に一言だけでもいいから、共感の言葉をまず添えるっていうのがね、一つポイントじゃないかなというふうに思うんです。
2つ目のポイントは、先ほどもちょっと話の中でもちょこっと出てきたんですけど、それでも自分の立ち位置、自分の主張とか自分の考えは明確にするということですね。
それは先ほど言ったように発信者としての尖りがなくなってしまうから、あなたの気持ちはとっても共感できます。
でも私はこういう意見を持っています。私はこういう意見が素敵だと思っていますっていう立ち位置をしっかりする。
それがもし聞いてくれた人が離れていってしまう結果に生んでしまうかもしれない。
私の今やっている発信がある人にとっては、ちょっとこの人の発信はやめとこうっていうふうな結果を生んでしまうかもしれないけれど、
それでもやっぱり、発信するっていうことは自分の意見を世に出すっていうことだから、何でもいいですよ、どれでもいいですよじゃなくて、
自分はこういうふうに考えるということは立ち位置はしっかりして去るものを追わずみたいな感じで、
こびりすぎない、受け取る側にこびりすぎないみたいなところが必要じゃないかなというふうに思うんです。
それは学生時代の友人とかでもいろんなライフステージの変化が30代だとあって、結婚していない人もいれば、あとは子どもを持たない人もいる。
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自分とはだから選んだステージが違う、選んだ道が違うという人もいっぱいいて、それでも付き合っている友達は付き合い続けているけれど、
なんとなく、なんかこの人とはちょっと話が人生の別れ道で別れてしまって、なかなかちょっと話が合わなくなってしまったなみたいな人、
多分3,40代だと増えていくと思うんですよ。私もそういう友人がいて、そういう友人と会話するときにもちろんそのじゃない側の気持ちとか、
自分の選んだ道だけが素晴らしいということをたくさんたくさん話すのではなくて、
そのそうじゃない人との共通点を見つけながら会話をするけれど、
そこで離れてしまう友人のことを変に追わない、変に執着しない。毎月飲み会やろうって言ってたのに、
あの子は子どもができたら全然付き合いが悪くて、もう絶好みたいな風にならないと思うけど、
もしなってしまったとしても、今はそこまでいいと思う考えがあって受け取る側の心理状況があるから、
今はそういう風に離れてしまっても、またきっとおじいちゃんおばあちゃんになったときにまた仲良くなれるかもしれないと思って、
自分の立場をそこまで変に隠したり、変にその人に合わせすぎて自分の意見を曲げないみたいなところも大事じゃないかな、
特に発信においては大事じゃないかなというふうに思うわけです。
私がそのじゃない側の人間に受け取る側として抜け出せたっていうのは、
やったらいいことっていうのを自分自身が、今度は発信する側じゃなくて受け取る側の心理状況として、
人の発信が素直に受け取れるようになったのは、そのやったらいいことの中には本当は自分も本当やりたいことっていうのがあるんですよね。
その一つが私は運動習慣だったりお片付けだったり、そういうことかもしれないです。
運動習慣が欲しいなとか、そういうことを本当はやりたいんだけどやれてないみたいなところが前までは責められてたような、
それができない自分をすごく責められているような気持ちになってたのが、
実際本当はやりたいことだったから、実際その習慣を手にしてみたんですよね。
徹底的にお片付けをしてみたんですよ。
そして運動習慣を手に入れるように何とか仕組み作りをしてみたんですよ。
そうすると不思議とね、いろんな人の発信が自分が責められてたと思ってたのに、
思ってた時の自分とは違っていて、どの人の発信も受け取れるようになったんですよね。
これ不思議なんですけど。
だから、発信する側としての注意したいことを最後まとめると、
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そうじゃない人の側の人間に共感の一言を添えることと、
2つ目は、共感しつつも自分の立場とか自分の意見ははっきりと持つということ。
受け取る側の人間としては、やったらいいことの中に本当は自分がやりたいことが潜んでいる場合が多いので、
それを一つだけでいいからクリアしてみる、やってみる、手にしてみるというふうになると、
人の発信が受け取れるように素直に受け取れるようになるので、
そうじゃない時もありますよ。人生ずっと晴れなんてことないから。
雨の時ってのは誰の発信も受け取れないんですよ。そういう時って絶対あるから。
それを無理してそういう人に発信側としては執着しないということと、
雨の日は受け取る側も無理しない。また元気になったら誰かの発信聞こうかなというふうに思うというのが大事じゃないかなというふうに思います。
よかったら参考にしてみてください。素敵な一日をお過ごしください。
カイホでした。
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