ありがとうございます。いやいや、水産のキャリアとエンジニアのキャリアと研究者としてのキャリアが織り混ざったような、かなり特殊なキャリアですね。
そうですね。改めて、この人にお話しするって機会あんまりなかったので、なんか喋ってみると確かに、いろいろなことやってたなみたいなのは感じますね。
まず最初の東京大学で、水産分野の研究をされてたんですよね。
そうです。ウナギの研究やってました。
ウナギの生まれたところ、ウナギの研究といえばウナギの生まれたところの特定っていうのが、すごい有名な研究。
おっしゃる通りですね。僕がやってたのが、南太平洋のウナギで、取られたサンプルからどこで生まれたのか調べましょうっていうので。
南太平洋のジャポニカ州のウナギとは?
ジャポニカじゃなくて別のビカーダとか、メガソマとか、そうですそうです。それらの大体の産卵場が、大体3カ所ぐらいわかったっていうのが僕の卒論でした。
マリアナ海峡沖ではないんですか?ジャポニカは確か、グアム沖か。
グアム沖、マリアナ、そうですね。その辺なんですけど、結構南太平洋は、種によって結構ばらついてて。
そうなんですね。その時は、いわゆる、専門って言うと生物科学になるわけですか?
そうですね。水産資源学、水産資源生態学になるんですかね。
そこから新卒で選んだ会社が、だいぶあれですね、科学というよりはエンジニアとして日本の水産業の裏方を支えるみたいなところになるんですけど、結構ここがまずすごい特殊だなっていうのがありまして、
まず東大を出て、結構こういう泥臭い漁協の裏方を選ぶっていうところがめちゃくちゃ変わってるなと思うんですけど、どう最初の新卒の就職活動ってされたんですか?
実は就職活動全然できなくて、もともとそのまま学部卒業したら、修士博士とそのまま進んで研究者になるつもりだったんですよ。
でも、修士に進む、これから大学院入試受けるぞっていうタイミングで、両親もちょっと体調崩してしまったり、あとちょっとやっぱり経済的にちょっとどうしてもやっぱりこのままではっていうような状況になっちゃったっていうのもあるので、
もう大学院に住む予定でもう一切就活せずに秋とかになっちゃってて、いすぎでこれから働けるところどこですかっていうので、色々探して人に頼ったりして、拾っていただけたところがあって、決めたっていうところになります。
その中でも、できるんだったらやっぱり自分がお世話になってた水産分野に力になれるところがっていうところで、入った後も死亡したら、色々流れ流れてこうなったっていう感じになりますね。
なるほど。タカさんってもともとこう、まあそういう理系的なことをやりたかったんですけど、なんかもともと確か東大って文学系じゃなかったでしたっけ?
あ、そうです。東大の文化一類で入りましたね。
文化一類で、だけど途中でその水研生物に、なんか東大っていうのは変えられるんですか?なんかそこの資格いうかわかんないんですけど。
入試で入るときは、文系、理系でそれぞれいくつかの軽いに分けられるんですけど、大学の1年生の終わりから2年生ぐらいに進む学部を変えるというか決めることができます。
で、まあ僕は、その何だろう、入試時点だと文系科目が得意だったからっていうので決めたところでもあるんですけど、じゃあ専門進むとしたらどこがいいかなと思って、地元でもずっと釣り行ってたし、
あとその入学後もお世話になってた先生が結構水産学科出身だったっていうのもあって、そこにしました。
なるほど、そういうところがあったんですね。で、新卒であれですか、ちょっとお金を稼がなきゃなっていう、あれですね、自分が行きたいところを選んでっていうよりは、拾っていただいて選んだっていうような。
それに近いと思います、はい。 部分ですね。システム開発っていうエンジニアとしての仕事はやっていて肌に合う部分はあったんですか?
いやもう最初は全然もう訳わかんなくて、ITがもう。脚部の研究もウナギを追っかけたり、サンプル磨いたりとか、そういうIT関連のこと全くやってなくて。
全くやってなかったんですね。 全くやってなかったんですよ。まあなんか趣味でちょろっと書くみたいなのをやったことはあるけど、そんな専門的にやったことなくて。
でも配属されたのがそういうシステム部門というか、そっちの方の仕事だったので、最初はもう必死で、半泣きで勉強しててできなすぎて泣いてましたね。
そういう会社っていうのは、そのOJTみたいな形で上司からこの本読んだらこれ仕事できるようになるよみたいな指導があるようなものなんですかね。
まああるにはあったんですけど、やっぱりその技術的な部分はやっぱり自分でキャッチアップしないと間に合わない部分があったりしたので、自分で頑張るみたいな感じでしたね。
周りには同じ新卒の方とかもいらっしゃったんですか。
一応何人かはいましたね。でもなんか結構厳しい目のチームというか、大変なところに一人入っちゃって。
タカさんが入ったところが結局。
チームがちょっと厳しい目のところで、障害対応とかそういうのとか。
それ結構今までエンジニアになろうと思ってなったわけではない人が障害対応よりすぐ追われるって結構すさまじいプレッシャーがあります。
そう、なんか夜間バッチ止まっちゃったみたいな。
それをこのまだ知識ラーニングしながらこう仕事を取り組んでる人が。
そうですね。深夜にシステムが落ちたからって言ってタクシーで会社に急行みたいなのをやってましたね。
そういう方々が漁協や農協のシステム支えてるんですね。結構そこもびっくり。
そこも入ってびっくりしました。
で、そこからキャリアとしては一番長くなるフージソンという水産流通ベンチャーに入られるというところですね。
ここの転職するきっかけはあったんですか?
まあそうですね。仕事も確かに慣れてはきたんですけど、やっぱりよりその水産の現場というか、直接自分が手を動かせて、
かつ面白いことをよりやれるようなとこないかなっていうのは探し始めたっていうのが一つですね。
元々水産系の研究者を目指してたっていうのはあるんですけど、やっぱり生活面というかお金を用意しなきゃいけないっていうのと。
多少ながらはシステム周りは自分でキャッチアップした部分もあったので、その辺いかせないかなっていうので探してました。
その時も水産軸はぶらさなかったんですね。最初のところに入ってエンジニアとしての知識をつけてくると、
多分転職するときってもう少しエンジニアとして給与がもらえそうなところも候補に入ってくるのかなとは思ったんですけれど。
そうですね。やっぱり給与面だと水産が絡まない方がやっぱり高めで。
それは確かに思ったんですけど、やっぱりこの後の、ちょっとお話しするかもしれないんですけど、
研究とか仕事に対して、やっぱり水産っていう分野に対する未練があったんじゃないかなって思いますね。
やっぱり途中で、やっぱり自分的にはいかんともし難い理由で途中で辞めちゃったんで、
その辺はやっぱり水産っていうのはちょっと入れようって思ったんだと思います。
なるほど。そうですよね。何らかの軸みたいなところがあった方がいいのかなとは確かに僕も最初思ったかな、転職の時に。
それでフーディソンでもエンジニアとして働かれて、そこでやられた仕事がウェブアプリケーションの開発ということですけれど、
実際転職されて大きな違いとか、大きく変わった点ってどういったところありました?
そうですね。大きく変わった点で言うと、自分が何でも作らなきゃいけない環境だったっていうのは一つありますかね。
そのフーディソンの方では?
そうですそうです。やっぱり既存の仕組みっていうよりかは、新しいものを考えて作るっていうのがやっぱり多い環境だったなっていうのは思いますね。
機能的にも全然これまでなかったよねみたいなのを作らなきゃいけないし、
あとは鮮魚の小売チェーン、魚ばっかというサービスがあるんですけれども、そこの業務システムゼロから作ってリリースするっていうところまでやってたので、
やっぱり水産っていうドメイン知識を生かしながら、システム面でそれをどう実現するかっていうのをめちゃめちゃ考えさせられた環境だったと思います。
クリエイティブですね、結構。
クリエイティブだったと思いますね。
最初の新卒で入ったところがどっちかというと、既存の大きいシステムを支えるっていうところから、作ってみたいな、エンジニアって作る仕事でしょみたいな感じになった。
ここでも入ったときは、Ruby on Railsっていう、Rubyっていう言語を書くんですけど、
日本製の言語でしたっけ。
そうですそうです。でも結局これもゼロからやっぱりキャッチアップっていうところなので。
未経験だったんですか、Ruby自体は。
Ruby自体は別の言語を書いてたので、男だと。そこでも半泣きで最初はもう覚えてましたね。
そうだったんですね。
必死でした。
Rubyは趣味ではちょっと触ったぐらいみたいな、仕事では一切使ってないけれどっていうところから。
そうですね。一社目はJavaとかコボルみたいなのがあったんですよね。
すごい古い言語、コボルって古い言語でしたっけ。
古めの、やっぱり仕組みとして、そうですね、かなり安定したというか、少し歴史があるやつですね。
おいで、その働きながら大学に通い始めたのが何年目になるんですかね。2019年にフーディソンに転職されて、大学にまた再び通い始めたのが何年頃ですかね。
2018年の終わりかな。フーディソン入る直前ですね。
もうその時から、また修士に東京海洋大に通われたんですか。
そうです。東京海洋大は夜間に修士号を取るためのコースがあって、そこに行ってました。
そっか、もうその段階で。やっぱり大学院通うっていうのは研究もやっぱりやりたいなっていうところがあったんですか。
そうですね。やっぱり経済面である程度少しだけど貯金が作れて、可能であるんだったらもう働きながらでもやってやるぞぐらいのノリでした。
それはまた専門を大きく変えられてるじゃないですか。東京海洋大での修士取られてた場所が食品流通安全管理?
そうですね。食品流通とかマーケティングとかやるところですね。
それは研究するにあたってもうちょっと自分の仕事に近い領域がいいかなみたいなところに変わっててっていう感じですか。
これも実はまた右よ曲折があって。
そうなんですね。
でも入った後も研究テーマどうしようっていうか全然論文が書けなかったんです。
テーマ何取り組めばいいかも全然わかんないし、半ば心折れてたんですけど。
そもそも東京海洋大の大学院を選んだのはやっぱ夜間っていう仕事をしながら勉強できるところがあるっていうところがやっぱ一番最優先で。
一番まず環境に飛び込んでしまえば後どうとでもなるだろうみたいな勢いで行ってたところはあるかもしれないですね。
なるほど。
入った後に論文書くぞっていうので右よ曲折いろいろ悩んでたどり着いたのがフーディソンで取り組んでたテキストデータの解析とか活用周りだったっていう。
なるほど。結構たくさん研究テーマに悩んでる印象ありますね。確かにツイッターとかみたいな話を聞いてて。
そうなんですよ。今やってるみたいなテキストデータとかコンテンツを生産とか食品の分野で分析するんだっていうのにたどり着くまでにもう数えきれないぐらいテーマ調べては挫折しみたいなのをやってますね。
最初のこのテーマエレビさっきおっしゃってた水産物販売サービスに関するフーディソンの仕事と関係するっていうのはやっぱ仕事をしてる領域に近いところでっていうところに自分の興味関心が行ってたからそこに行き着いたっていう感じ。
それもありますね。やっぱりあとは脳みそで使う領域っていうのが研究と仕事が近い方が結構やりやすいからみたいなのが。
なるほど。
頭のメモリーはあんまり使わなくていいからみたいなのは。
なるほどエンジニア思考ですね。まあでもそれはそうですよね。両方エンジニアとしてもRubyを学びながら。
そうなんですよね。水産ずっと考えて見てなると。
そうですよね。両方慣れてないことを。また研究は研究で、うなぎの研究とは全く違う分野で。
全く違いますね。
論文を読んで知識をつけてですから。すごいっすね。なんかその時のたかさんの一日のタイムラインってどんな感じだったんですか。
タイムラインはでもいうてそんな厳しくないというか。徹夜も一回もしたことないし。
そうですか。それ普通に朝1時7時に起床してみたいな。
そうですね。朝は9時前ぐらいに起きて。リモートでプログラム書くので、大体9時には仕事始めてて。
出勤して。
はい。夜の7時過ぎぐらい。もちろん仕事忙しいとか繁忙とかはタイミングありますけど、7時過ぎまで仕事して。
そっから妻も共働きなので、ご飯は僕が作る係なので、ご飯作ったり掃除したりお風呂入ったりとかそういうのやってたら夜の10時から10時半ぐらいになってて。
あとは夜の2時ぐらいまで研究って感じですかね。
それで何時ぐらいに起きるんですか?それで7時ぐらいってことは。
8時から9時の間ぐらいかな。
なるほど。そっか。
それは8年ですね。
すごい。そっか。でもこの2時までちゃんとやれるかどうか、コミットできるかが。
ずっと集中してたわけじゃないけど、慣らすとそれくらいかなみたいな。
あとやっぱりエンジニアだから在宅勤務できるっていうのめちゃくちゃでかいですね。
それもありますね。コロナ禍がなかったらもっとまた難しかったかもしれないです。
これ通勤で1日2時間、1時間行き1時間帰り1時間の2時間取られるとよりハード。
そうですね。土日も基本休めないので。
土日はもう別に休まず、それはもう研究に通しみたいな感じですか?
いや、大学院の規定書単位も取らなきゃいけないんですよ。
ああ、そっか。授業を受けなきゃいけないのか。
授業を受けなきゃいけなくて、それで1日潰れることもあるし、
あと学会とか国際会議にも出なきゃいけない。論文を出して発表しなきゃいけないので、その準備だったり。
あとは単純に博士論文を執筆するっていうのとかだったり、課事をやりながらやるみたいな感じですね。
それ8年か。東京海洋大学の大学院から、さっき言ったジャイスト行って、
ジャイスト、はい。
で、筑波大学含めての8年間。
ああ、そうです。
この生活をずっと。
続ける。
すごいっすね。
一番この中できつい局面っていつでした?気持ち的に。
一番きついのはコロナ禍だった気がしますね。2020年、21年とか。
へえ。
時期的な質問っていう意味であってますか?
うん、時期的な。
やっぱりその頃が一番きつかったかなっていうのが思いますね。
それは?
コロナ禍だと、やっぱりフーディソンというか、基本的に飲食店向けのサービスだったので、
ビジネス的にも厳しいところがあった。
ああ、なるほどね。
それなんとかするために、例えばBtoBで卸してたやつをBtoCで売れるように、
ショピファイという別のサービスとか使って、新しく立ち上げるみたいなのを、
窮場しのぎで作んなきゃいけないっていうのがあったりして。
ああ、ペロットですね。
アペロットとか、そういうアレ系とか、あとはその業務システムも一気に作り込まなきゃみたいな時期だったので、
それはもうなんか、ずっと朝早くから夜遅くまで、なんか意識ある間ずっとみたいな感じでしたね。
あごたくか。
あごたくとかそういう系。
なるほど。そっか、まあでもそっか。確かにな。
で、そこで切った時間がかなり長かったっていうのと、加えて、研究論文とかももう締め切りギリギリで、完成までやりきらなきゃいけないから、
あの時が一番きつかったですね。
ああ、確かに。それやりきってるとすごいっすね、両方とも。
いやいやいやいや。
あの、その2Cサービス系のエンジニアの動きが起因でどうこうみたいな、なんかそんなシーンあんまりなかったような気がするので、なんかすごいな、確かに。
そっか、あの時研究もしてたんですもんね。
そうですね。
それで、その東京海洋大を卒業した後に、今度研究のキャリアについて気になるところで言うと、JAISTで情報科学の趣旨を取り直してるっていうのは、
そうです。
ここがまたすごい謎なんですけれども、どういう経緯なんですか?
これは、仕事にしても研究にしても、情報科学というか、自分の弱みがはっきり自覚されてしまったっていうのを何とかするために出ましたね。
水産物流通のシステムというか、水産物流通の課題を解決するために、システム的に何とかできることはやっていこうみたいなスタンスだったんですけど、
当時いろいろチャレンジして作っては失敗しっていうのをやってたんですけど、僕、やっぱり基本的にこれまで水産分野しか歩いてこなくて、専門分野として。
具体的な実装とかアイディアを考えるぞっていう時に、やっぱり情報科学の試験が薄すぎたんですよね。
水産業界にはもうすごく詳しいエンジニアになれてたけど、
多少ドメイン知識がつくけど、肝心の実装力とかアルゴリズムとか、基本的なところが全然なってなくて、小手先で作って何とかしようとしちゃってたっていうのがすごく自覚されちゃって。
研究も、実はJAISといってもやってる内容って変わんないんですよ。水産とか食品分野のテキストデータの解析をやってたんですけど、
例えば、いっぱいツイッターとかのデータ書き集めてきて、そこからお客様がどういったところに着目してるのかっていうのを解析する手法っていっぱいあるんですけど、
その中のごくごくごく一部しか理解して使えてなかったんですね。
なので、その辺のキャッチアッププラス、より今後論文書く上でこれがいるなっていうので自分で判断して決めました。
それ、自分の弱みを僕も働きながら自覚して、それ強めなきゃっていう時あるんですけど、そういう時って本を読んでみたりとか、関連する動画を見て学んだりとかで、そこぐらいで済ませることは多くて、
じゃあやっぱ弱み強めるために大学で修士取ろうみたいなところあんまり行かないんですよね。そこなんでなのかなっていう。
説明として弱みなんとかするためみたいなのは言っちゃったところなんですけど、よりちょっと一歩引いて考えると、水産とか食品とテキストデータの解析っていう二刀流の軸を持つんだっていうのを設定したんじゃないかな、自分の中でっていう。
なるほど。
振り返ると思いますね。
だからもうあれですね、思考が、僕の場合だと研究者になるって思考があんまりないので、基本的にはないので、そういう修士まで取ってっていうのはないんですけど、高さの場合だとやっぱ研究者になりたいっていうのが根底にあるから、
それでもあるんだろうな。
どういう研究者として見られたいかっていう部分で、もう一個軸を増やしたっていうことですかね。
あのかなと思いますね。今の立ち位置もそういう感じなので。
なるほどな。そうですね。なるほど。動機づけとしては、仕事にもフィードバックがあるからっていうところで選んではいるものの、研究者としてのキャリアも骨太にするためにっていうところも同時に考えている。
そうですね。
でもなかなか選べないですけどね、この選択。
あとはやっぱり、お世話になる先生とか、そういう研究にしても実務にしても、強い人にボコボコにされるっていうのが一番早いというか、良い経験だったなって思うので。
なるほどな。そっか、それでそこからついに収支が、収支2つ取りまして、研究者としてのキャリアですが、筑波大学。筑波大学に通われるのが2024年からになるんですか。
はい。僕は1年で博士号を取りました。
博士号って1年で取れるんでしたっけ、そもそも。
通常は、7、5年かかりますね。
え、どういうこと?
これは、筑波大学の制度で、海外の佐得付きジャーナル、論文士とかに、複数業績を持っている人は、いろんな厳しい条件があるんですけど、それをクリアすると、1年で博士号が取れますという規定があります。
さあ。
それを使いました。
すごい。なるほど。じゃあ、修士にはすごい時間をかけたけれども、博士取得のところを、付けた筋肉でもって、ゴリッと。
ゴリッと、いけたのかな、わからんけど。
でも、いけたんですもんね。取って、ちゃんと証明書をいただいて。
あ、はい。学歴、今、手元にありますよ。
あ、ありますか。聞くところによって、表彰も筑波大学からいただいたみたいな。
そうですか。学術委員長表彰。
すごいじゃないですか。
いただきましたね。いやいやいや。
ありがとうございます。
これは、師匠がよかったっていうのも、大変ありがたく思っていますね。
そうですね。この筑波大学大学院が、津田和彦さんっていう方の研究室で入られて。
津田先生の研究室にいますね。
この津田先生の、私もその高さんが行く研究室ってどういうところだったのだろうっていうのを調べたら、民間の経験がすごいある、すごいユニークな先生なんですよね。
すごい先生ですね。ご専門は自然言語処理というかテキスト解析で、お弟子さんがいろんな方いらっしゃって、私が専門としてだったら水産とか食品ドメインの分析にもいろいろアドバイスをいただけるっていうので、お世話になってましたという方ですね。
津田先生はですね、ワードとかで文章打つと、文法間違ってるとニョロニョロってアラートみたいなの出るじゃないですか。あれを作った方です。
えっ、あれって日本の方が作ってるんですか。
あれは中のアルゴリズムを、大元を作ったのはこの津田先生ですね。
えー、そっか。
テキスト処理の。
そうか、日本語がこうあるべきっていうのはやっぱり日本人がロジック作ってて、それがこの。
津田先生が大元を。
そうなんですか。
そういう先生ですね。
津田先生のそう、ウィキに経歴ありますけど、見ると津田先生も本当にユニークな経歴ですもんね。三菱電機がファーストキャリアで。
そうですね。
で、そこからそうですね、転職を得て、また研究者になるっていう。
途中で、筑波大学に転職されてます。
へー、そうですか。すごい巡り合いですね。ここの先生とはどう巡り合ったんですか。調べて知った?
調べて、そうですね。
どこを見て、あってなったみたいな。
結構難しくって、東京海洋大学だとテキストデータとか自然言語処理とかそういう情報科学の知見を持って博士学生を指導できるっていう先生はいなくて、
ジャイストの方も、今度は水産とか食品のドメインってなるとわからんからちょっと別のとこでっていうことになっちゃって、色々探し巡り巡って津田先生のところにお世話になれたっていうところですね。
こう1年津田先生のところに行って、身についた部分としてはどういう部分になるんですか。
研究の資座というか、どういったところに着目して主張を立てて、それをデータからどうやって導くのかみたいな、研究の基礎みたいなのを改めて叩き込んでいただけたかなっていうのと、
あとは、この筑波大学の1年の間にも、1年で終了するためには、一度は国際会議論文に茶読を通して現地で発表しなきゃいけないっていうルールがあって、僕の場合はスペインに行って研究発表してきたんですけど、
そういう経験もめちゃめちゃあったわけじゃないので、海外に行って発表するとかもなかったので、そこら辺での振る舞いとか、色々なのを教わりましたね。
そのスペインで発表したのは、白紙家庭でタカさんが研究された内容なんですよね。
タカ そうですね。 それも水産物のeコマース関係の分析ですか。
タカ そうです。楽天からデータをいただいて、黒マグロと南マグロの商品レビューを解析するみたいなのをやってましたね。
面白そう。
タカ だから、大トロとか中トロとか赤身って、それぞれ評価の違いってあるじゃないですか。油が多いとかっていうのがあるけど、
実際に消費者のレビューをバーって集めて、黒マグロと南マグロのそれぞれの大トロ、中トロ、赤身を調べると、実際どういった研究の傾向の違いがあるのかみたいなのを定量的に示すみたいなのをやってきました。
めちゃくちゃリッチだな。
タカ めちゃめちゃマニアックすぎて、マシカのマニアックだったから通ったみたいな。
まあでもね、スペインといえばマグロ大国じゃないですか。向こうはタイ、西洋マグロめちゃくちゃね、すごい多手いますよ、養殖してる。だからどうでした反応は。
タカ 反応は意外と、なるほどねみたいなのが意外とあって、南マグロの中トロレビューとかだと骨に対する研究が結構多かった、ちゃんと多く出たりとか。
骨?
タカ 腹骨が食い込んでるじゃないですか。
南マグロね。
タカ 南マグロ、ちゃんと出てるねみたいなのとかが結構見えたり、そういうのとかを定量的にちゃんと示してっていうのがあって、それに限らず水産分野のテキストとかコンテンツ分析ってそんな需要ねえよなと思ったら、
タカ インドネシアの経産省の方とかからメッセージが来て、インドネシアでも生鮮飲食やってて、水産物とかそういう成果かなもあるけど、その辺のカスタマーボイスとかを分析したいんだみたいな人が資料をくれみたいなの、メールが来たりしてて。
なるほどね。
タカ 意外と読む人は読んでるみたいな。
タカ でもなんか、そっかインドネシア、東南アジアの方があれですね、発展途上国の海に囲まれた発展途上国の方が水産業というものが国民の生活を一変させる産業になってるから、この研究に対しての面白みは感じてくれる可能性はある気もしますよね。
なるほど、ありがとうございます。研究としても一段落が今年の3月で続き、最長の6年在籍されたフージソンの仕事も一段落をつけて、4月から新しい職場っていうことですよね。
で、今度のその仕事は研究がメインのお仕事になったってことですか。
タカ そうですね、研究論文って言えるか分析が結構、論文として出すっていうのがKPIかって言われるとまたちょっと違うんですけど、大学の研究グループに名前をきつつテキストデータの解析をやってます。
タカ 対象の分野は、僕が一番得意なのが水産とか食品っていうドメインなので、引き続きそれは中心としてやりつつも、いろんな方からこういうのできませんかみたいなのをいただくのもあるので、それ以外のドメインのテキストデータの解析とかもやってますね。
なるほど。じゃあ、分析とかのそういった本当に仕事としてやる作業みたいのもあるけれど、タカさんが多分目指してた研究でお金をもらうっていうところにやっと。
タカ やっと行き着けたんだと思いますね。
おめでとうございます。お疲れ様でしたっていう表現がいいのかわからないですけど。
タカ 本当にたくさん回り道しちゃったけど、なんとか自分がいて心地よいというか、やってて楽しいなって心から思えるところでお賃金をいただきつつ。
いい感じですか、4月。2週間じゃ。
タカ とてもいい感じですね。
いい感じ。おめでとうございます。
タカ これまで積み重ねたものがすべて生きているっていう感覚です。
よく積み上げましたね。本当にすごいよな。
タカ 勢いで進んできちゃったので、あれなんですけど。
ここまでずっと長距離8年間という長期間、ランニングできる人はなかなかいないですよ。
タカ いやいやいや。
なるほどな。じゃあですね、一応みんなの水産キャリアっていうコーナーなので、今まで振り返ってキャリアでこれを大事にしてきたなっていうことってありますかね。
お仕事的なキャリアで聞きましょうか。
タカ お仕事的なキャリアですか。
これを大事にやってきたな、選んできたなとかってあります?
タカ そうですね。
でも結構2点、3点してるから。
タカ そう、2点、3点してるんですけど、やっぱり大事にしてきたのって、ワクワクする気持ちを大事にしようっていうのは思うんじゃないかなっていうのは思うんです。
タカ 自分だけじゃなくて、いろんな家族だったり、いろんな要因がそのキャリアに関わってきてくるとは思うんですけど、最後に何か選ぶってなったら、心がワクワクする方向に歩くっていうのは、これまでやってきたんじゃないかなっていうのは思います。
なるほどね。じゃあ今後やりたいこととかはありますかね、仕事において、こういうことをやっていきたい。
タカ 仕事において、そうですね。
こういうのでお金をもらえたらいいなっていう話ですね。
タカ 本当のお金をもらえたらっていう。
それが仕事ですから。
タカ そうですよね。
今所属してる仕事とは関係なくても全然いいんですけど。
タカ それで言うと、自分が新しく見つけた手法なり、あるいは観点、見方っていうのを、人にお金を出して買っていただけるっていうのがあると、やっぱり嬉しいなっていう気持ちはありますね。
タカ 自分が仕事としてやってる中でも、何かものを作ったり、得られたものを分析して、何か見つけましたっていうのが、何か別の方の気づきになって、それがさらにお金を出してもっていうようなものに繋がってくると、僕としてはとてもやっぱり嬉しいことだなって思います。
タカ なんで、やっぱりそういう研究とか分析が向いてたんでしょうね、キャリアとして。
そういうことですね。分析でお金を食えてる。だから今のキャリアがかなり近いですね。
タカ 結構近いですね。
話を聞いてると。いやいや、ありがとうございました。
そうだ、リスナーさんから質問いただいているのを途中で言えるつもりだったのが忘れてまして、一つ質問来ていますと。
水産系シンガーソングライター牧野久美さんからですね、読み上げます。
私も社会人学生のみとしていつもSNS興味深く見ていますと、タカさんをフォローして見ていられるんですね。
お仕事やご家庭の両立で大変だと思いますか?大人になってからの学びや研究で良かったことなどありましたらお伺いしてみたいです。
ちなみに私の場合は体力などは現役生より無理が利かないですが、レポートやテストなどの要領が当時より良くなっていたり、先生と年齢が近いのでおくせず話せては思いがけず有益な知識を得る機会があるのは社会人学生のアドバンテージかと思っているのですが、その辺の環境なども良いんだとどんな感じなのでしょう?
という質問で、普通に学部から大学院行くのと違って、社会人として大学院行くことで逆に良かったなみたいなこと?
はいはいはい。書いていただいている通り、仕事の進め方は研究というか大学院でやることにも通ずるところはあると思います。
やっぱりそこは、一回その社会に揉まれてじゃないけど、そういった何かその仕事を進める上でのノウハウっていうのはやっぱり生きてたなって思います。
あと、久美さんが書いていただいた先生に対して、おくせずいろいろ話せるというのはおっしゃる通りで、下手すると先生がご専門とされている領域は別だけど、自分の方が詳しいというような分野というか領域を持っている部分もあると思うので、その辺も社会人学生のアドバンテージかなって思いますね。
なるほどな、人生経験があるから。
そうですね、あとそれ以外でいうと、やっぱり研究と仕事それぞれに対して、社会人学生でいることのアドバンテージはやっぱりあると思ってます。