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こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。 TOEICオタクシリーズ、今回は14回目です。
こんなに長く継続するとはですね、自分でも想定していなかったんですが、こんな毎日ですね、厚苦しい配信を聞いてくださっている皆様、本当に感謝いたします。
そして、以前も話したんですけれども、これを聞いているリスナーの中からですね、TOEICAだという方が出没してくださったりとかですね、
あと、頑張ってみますと750点を目標宣言される方が出てきたりとかですね、もうこちらもですね、大変毎日ワクワクしております。本当にありがとうございます。
今回はですね、ご質問をいただいておりまして、それにお答えしていきたいと思います。
はい、いただいた内容はですね、満点達成までの出会いや試行錯誤は、アラフィフで始めたマラソンで、昨年サブ4を達成するまでのあれやこれやにかぶります。
めっちゃ楽しく聞いています。 ところで、TOEICを愛するに至った過程が少し不明です。
最初からすでに熱愛に聞こえたのですが、何かきっかけがあったのでしょうか。 900点を目指す過程でいろんな出会いがあって熱愛になったのか。
それとも、900点目指そうと思った時はまだちょっと気になっていて、袖にされて悔しい感じだったけど、どっちなのでしょうか。と、もやもやしています。
と、いただきました。ありがとうございます。 すごい、この方サブ4を達成していますよね。これサブ4というのはフルマラソンを4時間以内で完走する記録のことなんですけども、これすごいんですよ。
はやー、おめでとうございます。 そして質問ありがとうございます。
確かにですね、このTOEICオタクシリーズ1回目の配信から、TOEICを愛していました。 というですね、愛全開なんですよね。
TOEICの何にそんなに愛をですね、感じたのか。これは不明瞭です。 はい、ご指摘の通りです。
それで、この第1回目の時にですね、このオタク配信をする目的が2つあるという話をしておりまして、 1つ目がですね、自分の記録として一体自分に何が起きていたのかを振り返ると申し上げました。
というのもですね、自分でも気づいた時はですね、TOEIC愛戦士になっていたんですね。 だからどうしちゃってたの自分はというのをですね、振り返りたくて配信したというのがあるんですね。
で、ご質問をいただいて、今までですね、13回話してみて振り返ると、 やっぱりですね、この3ヶ月で900点を超えるっていう目標を決めて走り出したんですよね。
で、3ヶ月後受けたTOEICで825点だったと。 900点取れずに悔しい思いをしたと。この辺りからですね、またギアが入ったということで、
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自分でですね、その3ヶ月はですね、スクールに通っていて、それがワンタウンも終わって、 さてここから本当に独学だということで、自分でですね、学習方法や教材とかをネットで情報収集していったんですよね。
で、そこでこのTOEICに関する情報を発信しているブロガーの方だったり、Twitterですね、 あと先生ですね、講師、こういう方、個性的な人たちに知ることになります。そういう人たちの存在を知って、もうその人たちがですね、個性的で、その人たちがですね、すごくTOEIC愛戦士だったんですよね。
そこでのめり込んでいったというのはありますよね。 あとTOEICってやっぱりですね、点数アップするの難しいんです。 だから学習もつらいし、私はですね、どこかで愛に変わったから楽しさに変わっていくんですけれども、オタクになって。でもその思考をアップすることは容易ではない。難しいが故にのめり込んでいくっていう感じだったんですよね。
ただこのTOEICはですね、裏切らないんです。 私はランニングもするので、このさっきのですね、質問をしてくださったサブ4の方のようなですね、素晴らしい記録はないんですけれども、私もランニングをするので、走った距離は裏切らないって言葉があるんですね。これは野口みずきさんの言葉なんですけれども、これ大好きな言葉ですが、これと同じようにですね、
TOEICというのは、勉強した時間や学習した積み重ね、これが裏切らないんです。TOEICはですね、ちゃんと時間はかかるんですけれども、しっかりとスコアでですね、結果としてですね、出てくるんです。こういうのも本当TOEICの魅力でのめり込む要因でした。
なので、この質問の答えとしてはですね、TOEICIになったのは3ヶ月で900点を取れずに悔しい思いをして、さらに学習を継続したあたり、この900点を目指すこの過程ですね、このあたりかなということが言えると思います。
それで、今回はですね、もうちょっとですね、時間を遡って、自分のですね、本当にダメなところをですね、自分がいかにダメだったかということを討論していきたいと思います。それはですね、コンプレックスですね。英語コンプレックス。長年私はですね、この英語コンプレックスというのがずっとですね、あったんですね。
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で、正直そこから逃げてました。自分はですね、高校を卒業して大学に進学校だったんで、みんな周りもですね、普通に大学に進学するんですけども、私はですね、高校時代はもう応援団と剣道となんかそういうですね、勉強以外のことにもう本当にですね、マックスやってたので勉強してなかったんですよね。受験勉強だからもうね、大学はね、普通に行ったら現役では行けないと思ってました。
で、とにかく留学したいという気持ちと英語をしっかり身につけたいという気持ちがあって、当時自分の家庭環境は父親は問題児だったし、そういう愛を感じる家庭環境ではなかったんですが、親にですね、留学したいって言ったら行けばいいよ、行っていいよみたいな感じで言ってくれて、要は経済援助してくれるっていう感じだったんで、よしと思ってもう大学受験せずにですね、
高校卒業と同時にカナダに行きました。ここでもですね、結局自分の家族から逃げるんですよね。こうやって逃げて英語っていうね、言い訳っていうかね、そういうことを親に言って留学させてもらうんですけれども、まあね、10代でしょ、高校卒業してすぐでしょ、そんな感じでしょ、もうね、遊びまくってました。
はい、もうね、あの ID カードとかね、なんかすごい適当にね、なんか嘘っていうか見せるんだけど、ささっとこうやって見せて、ディスコばっか行ってました。
すごく田舎のね、町なんですけどね、ディスコがあって、そこにね、ずっと行ってた。特に週末はね、そんな感じで遊びほうけてたわけです。でね、もうあんまりにも遊んでたから、脳みそがですね、どんどん空っぽになっていくのがなんとなくわかるくらい遊んでたんですね。
でもね、まあ楽しかったでしょう。だからもうね、初めの初心をね、忘れてるし、結局はね、もう親のお金で遊んでたわけですね。
で、このままね、海外に行ってもね、ちゃんと構成できないだろうなって、自分でもなんとなくわかっていたんですよね。
で、そこへですね、もっと長く留学する予定ではあったんですが、家族が病気になるんですね。で、病気になった、あらと、じゃあ帰らなきゃいけないと思って、私もっと留学する予定だったんだけど、帰って大学受験したいですって、親にまた言うんですよね。
そしたら、いいよ、帰っておいでって言って、要は1年は行ってたんですけども、1年で帰国します。
で、そこからですね、受験勉強して、で、大学に入学するんですが、はい、なので、英語全然身についてません。もうマックスで遊んでました。
だからね、その時からですよね、なんか自分がその、まあ親にね、なんか適当なこと言ってね、留学させてもらったくせに、英語ちゃんとやってない。
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で、大学はまあ普通に行って、大学卒業して外資系の会社に入ったんですけれども、その外資系の会社は英語が使えない、英語がスピーキングできなくても、そんなに困らない会社で、まあ1年に1回ぐらいですかね、海外からそのディレクターとかやってきて、自分のね、担当のところをプレゼンしろっていうのをプレゼンするのをなんとか乗り切れば、なんとかなるぐらいな切羽詰った状況がほとんどなかった。
だからもう30代半ばまで何も、トイックはね、たまに受けて、もう全然スコアがダメダメと思って、ずっと逃げ続けるわけですね、英語から。
で、金融機関の会社、金融の会社に転職したんですが、そこはね、あのドメスティックな会社ですから、英語で切羽詰まることはなかった。
ただ、自分はそのね、研修の担当していたので、その新人の人にね、新人の人にトイックをね、受験させるわけです。そうするとね、いるんですよ、1人ぐらい帰国子女でね、満点が。
すごいなぁと思って、満点とか取っちゃうんだ、すごーいと思ってたんですよね。もう自分はね、もう英語コンプレックスでしょ、そういうのを隠してね、生きてたわけです。
で、その金融の機関は途中で辞めて、また転職するんです。で、やっぱね、もう日本の企業はダメダメと思って、特に大きい会社はダメだと思って、また今度外資系の会社に転職して、そこはですね、外国人の人が多かった。
特に経営人はですね、ほぼ95%ぐらいは外国人で、ディレクターっていう職位に就いてる人はもう外国人が多かったんで、もう社内のコミュニケーションは、文書関係はすべて日本語と英語があったし、常にメールではね、英語を使う環境でした。
もうね、いよいよ逃げられないというか、やんなきゃダメだよなと。どんだけ逃げるんだお前はみたいな感じで、10代の頃からずっと引きずっていたその英語コンプレックスをどうにかね、自分で納得する形で何とか解消できないかなと思っていたところに、
2010年ぐらいから楽天だったりとか、ユニクロが企業でTOEICを推進するとか、英語を強化するみたいな話が盛り上がったりして、TOEICはやっぱりスコアで出るから、やるならA研っていうタイプじゃ私なかったんですよね。
だからやるならTOEICかな、ちょっとね、スピーキング、ライティングではないんだけれども、LR、TOEICを何とか人に出せるぐらいのスコアにはなりたいなっていうのがちょっとあって、それで2011年の年末ぐらいまでに、もう来年、2012年は何とかTOEICやろうと。
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で、やるならもう900点だと。もう一気に900いくぞと。3ヶ月で900点だと言ってスタートしたんですよね。
ここからこのTOEICオタクシリーズの配信第1回目に繋がる感じでしょうかね。
もうね、自分のダメさ加減を少しでも薄めたくて、ちょっとでも英語コンプレックスを薄めたくて、やっぱり30代は英語喋れなかったですよね。金融機関から転職して外資系にもう一回転職するんですけども、その時もね、外国人がいると逃げてましたよね。
みなさんね、ハーイとか言ってね、スモールトークって言ってね、本当どうでもいい話をね、軽くするんですよね。目が合ったりすると。そういうのもね、嫌だから逃げてましたよね。
だから、何かしら取っ掛かりが欲しくて、スコアで見えやすい、結果の見えやすいものということでTOEICをまずはやってみようと。
TOEICをスタートした、TOEIC学習を始めたというのがきっかけです。
はい、ということで、今回はですね、そのTOEIC IAの過程ということで、ご質問にアンサーする形で話をしてみました。
ちょっとね、自分のダメなところをですね、討論する形になってしまったんですが、聞いていただきありがとうございます。
まだTOEICオタクシリーズが続くと思われます。はい、どうぞよろしくお願いいたします。ではまた。