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2024-04-08 16:20

麻雀プロを目指した落ちこぼれの記録

麻雀プロを目指して養成機関で研修を受けていました。
講義、実技、懇親会、試験、面接、どれもこれもはじめての体験で充実していたけれど、いかんせん、落ちこぼれでした。

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こんにちは、ジュリーのスナックリアスでおしゃべりしよ。東京でゲストハウスのオーナーをしたり、スナックのママをしています、ジュリーです。
さて、今日は雑談的にですね、私が過去にプロの雀士、麻雀のプロですね、を目指していたことがあったよ、という話をしてみたいと思います。
結果的にですね、プロの雀士になれなかったので、それを名乗って活躍しているわけではないんですが、
私がなんでそんなことをですね、やっていたのかということと、その天末についてお話できたらと思っています。
当時ですね、私、鰹さんの鰹塾というのが入ってまして、その麻雀部というのがあって、そこに出入りしていたんですね。
そこに斬草に行って麻雀をやると。私、麻雀はですね、もともとは家族麻雀、母親が麻雀大好きで、母親がやる人を欲しいということで、家族、私だったり妹に麻雀を教えて打ってたんですね。
で、就職してから、まだ結婚前ですね、実家から通ってたんですけども、夜になると母親が待ってて、私がご飯食べ終わると、さぁ麻雀だって言って毎晩毎晩ですね、麻雀をやってたんです。
もう結構昼間働いて、帰ってきて疲れてるんで、全然私勝てないんですよね。どんどん負けが込んで、母親にあるレートでかけて、いつもお金を取られてたなという思い出があるんですけれども。
そんな感じで麻雀はですね、楽しむ、趣味の麻雀としてやっていて、当時職場で麻雀を好きな女性がいて、私、彼女とすごく仲良かったんですけども、2人で私たち麻雀やりますよとかってやってたら、社内のSEさんとか麻雀好きな人が声をかけてくれるんですよね。
まあそうですよね、20代の若い女子と麻雀できる。しかも私たち2人でSEさんのお家に鉄まんとかやりに行ってたので、2人で麻雀コンビみたいな感じで、社内でちょっと話題になってしまって、いろんなところからですね、お声をかけてもらって、土日とか金曜日の夜とか麻雀をやっていました。
そうこうしているうちにですね、実は私のペアの女性は、麻雀をきっかけに知り合った社内のSEさんと仲良くなって、あげく結婚まで至ってしまったということで、なぜか私はその女性と、後そのご主人ですね、SEさん。
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元SEさんというか、元職場の同僚だったSEさんに、めちゃめちゃですね、感謝されちゃってて、私たちを引き合わせてくれたのは、あなたのおかげですみたいな感じで、何か言ってくださるんですけれども、私は好きで麻雀やってただけなんで、こちらこそおめでとうということでよかったねとは思っているんですけれども。
そんなこんなでですね、麻雀は結構ですね、ずっとのめり込むというまではいかないんですけれども、趣味として楽しんでました。
その勝間塾の麻雀部に所属していたおかげで、勝間和夫さんが主催する麻雀大会みたいなのがあったんですね。それにも参加していて、行くとですね、勝間さんのところの麻雀部の方はもちろん勝間さんだったり、あと堀江孝文さんですね、堀江門さん。
あと西原さん、西原理恵子さんとか、そういった麻雀好きな有名人も参加していて、彼らとですね、勝負できると、同じ宅で麻雀ができるというですね、大変光栄な機会にもいただくことができて、ものすごい楽しかったですね。
そんな感じでですね、当時トーイックのオタクもやってたんですけれども、麻雀もですね、ちょっと私の中で火がついて、勝間和夫さんがプロの雀士になったんですよね。
実際はですね、プロの雀士としての活動は大変短い期間だったと思うんですが、やっていたので、ちょっと私もですね、興味があるなと思って、プロの雀士になれるその養成塾みたいのがあったので、それにちょっとトライしてみることにしました。
最高位戦というですね、麻雀のグループ団体があるんですね。麻雀にお詳しい方だったらもちろんご存知の団体だと思うんですが、そこがやっています。
プロに興味はあるけれども、ものすごくいきなりプロの試験を受けるのにはちょっとという人向けの、その間をですね、つなぐような研修で、私が受けた時は7回コースでした。
4月から始まって、6月の最終試験まで、ほぼ月に2、3回かな、日曜日、正午から夕方まで講義と実技、両方ありました。
ルールとマナー、もうルールとマナー徹底でしたね、ルールとマナーでプロとして生きていくにはとか、あとその点数のもちろん数え方はもちろんそうなんですけれども、そういったですね、メニューを昼に集まって夕方までみっちりやられるというのがありました。
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私が入塾した時にはすでに1回目の授業が終わったタイミングで私情報を得たもので、1回目はちょっと出れなかったんですけれども、途中入塾できますかって言ったらいいですよって言ってくださって通いました。
当時ですね、麻雀の宅で3つぐらいだったから、4,3,12、15人ぐらいだったんですかね、同期が。女性が私含めて3人、それ以外は男性でした。麻雀の皆さん、みんなちゃんとビシッとスーツで着てるんですよね。
なんかちょっとそれもかっこよかったんですけども。なので私もですね、普段会社にはスーツ着ていかないんですけども、麻雀塾に行くときはスーツ着ていきました。
講師の方々がですね、早々たるプロ中のプロって感じで有名なプロの方が講義に来てくださるんですよね。その講義もものすごく興味深いもので、皆さんすごいかっこよかったですね。
実技の方が全くもって、私なんてレベルが全然なってなかったんですね。なので見かねた同期の男性が、彼ももちろんこれからプロテストを受けるというプロではないんですけども、
彼が私を含めた、特に女性陣はですね、レベルが全然及んでなかったので、その4時以降の時間を使ってまた別のジャンソーに行って、実践の練習を付き合ってくれたりとか、
あとその筆記試験っていうのがあるんですね。筆記試験っていうのは、麻雀を上がるまでの上がりのですね、パターンを瞬時にして解くみたいな問題があって、麻雀やってない方はもう何のことやらって感じだと思うんですけども、
計算問題みたいなものがたくさん出されて、それを限られた時間の中に正解していかなきゃいけないみたいな感じで、そういったテストのポイントだったりとか、そういうのをレクチャーしてくれたり、すごく親切な同期がいて、みんなその人に頼ってですね、いろいろ教えてもらったっていう記憶があります。
何か青春でしたね。
で、その最高位選の代表の方が、ニーズ会長、ニーズ会長っていうんですけど、代表っていうんですけども、彼がですね、その塾の中盤ぐらいだったかな、皆さんね、同じようにプロを目指してるんだから、一回懇親会でもしませんかっていうふうに呼びかけたんですね。
それで、懇親会を4時に終わった後に、その斬草の近くの中華料理うまいところがあるからみんなで行きませんかって言うんですよ。で、まあみんな行きますよね、そりゃ。その業界にも興味があってきてるわけですから。
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そしたらその代表が結構ですね、一見コアモテなんですよね。写真、ネットで調べると出てくるんですけども、かなりコアモテな代表なんですけども、すごくですね、物腰の柔らかいですね、素敵な男性なんですけども、実際お会いすると、その方がですね、その懇親会の会費について言うときにすごく口ごもったんですよね。
もごもごもごっていうふうにして、え、なになに、いくらなの会費って、私ちょっとこう、あの、なにって、なに今言ったのって言ったら、なんか会費2500円ぐらいで収まると思うんだとか、もごもご言うんですよね。え、懇親会2500円でなんで口ごもってんだろうって、ものすごいですね。そこを記憶に残ってます。印象深かったです。
で、なんなんだろうこれってちょっと思ったんですけども、まあその会費2500円の中華料理を食べる懇親会にも出てですね、それでプロの方とか、そのニーズ代表はもちろんみんなでですね、懇親をしたんですが、その後にですね、やっぱカラオケが皆さんお好きなようで、カラオケボックスに行ったんですよね。
で、その日多分土曜日だったかな、日曜日だったか、まあ日曜日か。で、カラオケボックスの夜だったんで、まあそんなに安くなかったんでしょうかね。で、みんなでずーっとですね、あの歌が盛り上がっちゃってずーっと盛り上がってたんで、なんかそのカラオケボックス代で1人割ったら8000円とかになってたんですよね。
だから懇親会2500円の会費でクシゴ持ってたのに、カラオケがえらい高いやんって、なんかちょっと私ツッコミを入れたくなりました。で、結果的にですね、残念ながら当時はですね、結構まあ自分でも練習したし、勉強もしたんですけれども、最終試験というのがあってですね、実技と試験ですね。
筆記試験がまずあって、その後実技だった気がします。で、同期の中でも、その私たちに一生懸命親しくしてくれた、教えてくれた人なんかは、そんなに成績が良くなかったんですけども、やっぱりガチで来てる人たちっていうのは、もう子供の頃からですね、いわゆるオンライン麻雀、ゲームの麻雀ですね。
それでもう腕を鍛えた人たちが、もうプロになって一旗上げるみたいな気合で来てる人たちが結構いたので、そういう人たちっていうのも全然麻雀へのスタンスも違うし、実技とかやっててももうレベルが全然違うんですよね。
なので、その最高位の方の講師陣も、今回この中から受かる奴らはこの人たちだなって、ちゃんともう分かってるんですよね。選別もされている。
なので筆記試験の後に実技があったんですけども、筆記試験で足切りレベルをクリアしている、その後実技でOKだったら合格出したいっていう人たちは、もう実技の方では別の卓でもうやらせてましたね。
で、その時に3つだか4つだか卓で一斉に実技始まるんですけれども、もう私なんかは多分筆記もダメだったし、塾の間の実技も合格レベルに達してなかったので、とりあえず実技やるっていう程の卓になって、
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でも自分はもうダメだと思っているけれども、いっぱいいっぱい精一杯やってるんで緊張してるわけですよね。で、その人数がちょっと足りなくて、私が配置された卓に、私以外の2人と同じくそのプロのテストを受けている2人プラスその代表、ニーズ代表が卓に入ったんですよ、メンバーに。
ニーズ代表と卓を囲むっていうだけで、もう彼のオーラでこっちはもう緊張で緊張でマックスだったんですよ。そしたらあんなとこですね、何打ち迷ったか、代表が捨てた範囲に、私いきなりローンとか言ったんですけど、なんかそれチョンボだったんですよね。
要は違反、ペナルティだったんですよね。ああもうこれ終わったって言って、別にそれ振り込んだというか、なんかそのローンで終わったわけじゃなくて、総合評価で落ちたんですけれども、その実技の後だったかな、なんか面接もあったんです。
最終試験が筆記と実技と面接があって、履歴書を持っていくんですけども、そこに私当時もうTOEICで満点取ってたんで、TOEIC満点とか書いて履歴書出したら、その最高位制のプロの方が講師なんです、面接官だったんですけど、あともう1人事務局の方が面接官だったんですけど、
えーって、ジュリーさんTOEIC満点なんだ、すごいねって言うんですよね。ちょっと好きで英語の学習がとかって言ったら、なんか我々麻雀界も今後はグローバルでやっていくと思うんで、ぜひあなたみたいな人に入ってもらえると、運営側もそうだし、とっても助かるってすごい言うんですよ。
だからプロの上司としてはもちろんそうだけれども、今後運営のスタッフとしてなんとか頑張ってもらえないかみたいな感じで、急に面接がスカウトの方になってしまって、えーそうなんだと思ってケラケラ笑いながら私面接してたんですよね。
結果的にもちろん落ちて、落ちた人もプロテストまだ毎年あるし、後期の養成塾っていうのがあるので、引き続き塾を経験してまたプロテストも受けられるよっていうアナウンスが来たんです。
そしたら私落ちちゃったしどうしようと思ったんですけども、正直ですね、趣味で麻雀やるのはいいけど、プロは無理だなって思いました正直。
なので別にそれはチャレンジしたということで、清々しく結果は受け止めていたんですけれども、その後ですね、電話で面接で話をした事務局の上の方が連絡があって、
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面接の時に話したようにね、運営側にぜひ加わってほしいんだけれども真剣に考えてくれないかってすごい言うんですよね。
しかももちろんね、プロのジャンスとしてももちろんやっていきたいんだと思うから、後期の塾の方も是非受けてほしいし、これで諦めないで頑張ってほしいみたいな感じで。
時期的にですね、お子供もいただいちゃって、半年もいかないかな、2、3ヶ月の間ね、自分の人生の中で麻雀に対して向き合った時期に面白い展開になったなということがありました。
今となってはですね、面白かった楽しい思い出ということなんですけれども、やっぱりね、プロのジャンスを目指したことがある人ってそんなに特に女性ではいないと思うので、私の失敗談の一つということで語ってみました。
ちょっと長くなってしまいましたが、お聞きいただきありがとうございました。フォローの方、是非よろしくお願いします。ジュリーでした。
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