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2024-08-08 16:17

私が見たヤバ銀②リストラされて、面接に行った会社が事件を起こし市場は大混乱?!

新卒で入社した会社はITバブルはじけたあと、ワークフォースマネジメント、いわゆるリストラを実施していきました。自分もその対象となり、ショックとさみしさもありましたが、再就職活動としていただいた時間を有効活用しようと思い、新しい会社、仕事見つかるかなあ、といった焦りはまったくありませんでした。
そんなときわたしのことを心配してくれた先輩が転職エージェントを紹介してくれました。そこからすぐに紹介された求人は極秘案件でした。
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【私が見たヤバ銀シリーズ🏦】
①まるで時代劇の会議 飲み会会費は銀行振込 手ぶら出社の理由他👇
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こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。
前回の配信から、しれっと始まった私の見たヤバ銀シリーズ、今回は2回目となります。
前回の配信でも、私は大企業のサラリーマンたちのビヘイビアがとても苦手です。
大企業の会社員たちが集団、組織になると醸し出す何か微妙な雰囲気、おかしな言動がとても苦手で、今では拒絶反応が出てしまいますという話をしたのですが、
なぜ、自分が苦手な大企業の金融会社に足を踏み入れてしまったのか、この戦いについて話します。
私は大学を卒業してから、アメリカに本社のあるグローバルの企業、ITの会社に入りました。
90年代は営業アシスタントをやっていて、業績も悪くなかったと思うのですが、
理系の人たちがメインの会社で、エンジニアがメインの会社だったのです。
お客さんが何しろ理系の会社で、エンジニアだったり、研究開発だったりとか製造とか、そういうお客様を相手にするビジネスをやっていた会社だったので、
営業職もみんな理系出身の人だし、自分みたいな文系の人にキャリアを積み上げていくというルートがほとんどなかったのです。
そのため、わりと早い段階で、どこかで自分のキャリアを長く積み上げていけるような専門職に変更していきたいと思って、
それで人事の仕事をジョブチェンジという感じで、同じ会社ですが、社内で移動していきました。
その時は、カウンセリングの勉強だったりとか、いろんな勉強もしましたし、人事の基礎みたいな勉強もしましたし、それなりにアダプトしてやっておりました。
会社も90年代はとてもとてもとても儲かっておりまして、景気が良かったのですが、
2000年以降ですね、ITバブルがはじけた以降、とても業績が悪くなって、やっぱり人が多すぎますということで、
グローバル全体でですね、ワークフォースマネージメントという言葉を使ってたんですけども、
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要は労働力をマネージメントしていく、つまりリストラですね。これがどんどんどんどん行われていくようになりました。
一応これロジックがあって、いきなりね、その社員、従業員、あなた、はい、じゃあもうリストラですって言うんじゃなくて、
一応ね、建前というかロジックがあって、例えばある社員がいて、あなたの今やってる業務、仕事は今後うちの会社では必要ありませんと、やらなくなります。
つまり、あなたがやってる仕事なくなるってことは、あなたが必要なくなってしまうので、別の会社、別の場所で働く機会を見つけてください、再就職支援はいたします、
こういうロジックでリストラ、ワークフォースマネージメントっていうのをやっていきました。相当の数の社員の方に辞めていただきましたし、
実際自分は人事の担当者だったので、そのプログラムを遂行する立場でやっておりました。
ただですね、それずっとやっていったら、どんどん社員が減っていくわけですよね。
そうすると今度いよいよですね、その管理部門というか、人事の方もこんなに人いらないんじゃないっていうことになって、
人事部の中でもあなたの仕事は今後やらないから、つまり外に働くチャンスを見つけてねっていう感じで、自分もその対象になりました。
それが2005年の秋のことでした。
新卒で入った会社でしたし、とてもその職場、会社は私は好きだったんですよね。
なのでやっぱりそこを離れるということに、ちょっと寂しさは正直あったんですが、
その時にですね、その再就職支援のパッケージって言って会社が提示してくれるパッケージがですね、かなり良くて、退職一時期もそうですし、
あと半年間ですね、会社に所属していながら仕事を探す活動をしていいわけですね。
つまり出社の義務もないし、特に報告の義務もなくて、休んでても極端な話を言うといいんですよね。
別に上司にこういうふうに今日は1日やりましたみたいな日報の報告もないし、なんかもうこれはいいって私は思いまして、
家族でね、母親と妹とおば、4人でハワイに行っちゃったりしてね、それなりにその時間を楽しく過ごしていました。
再就職に関してはですね、ほとんど心配は自分はしてなかったんですね。
どっか決まるかなっていう、当時30代半ばでだったんで、
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心配してくれた先輩が、先に会社を去って別の会社に転職していった先輩が、私のことを気にかけてくれて、
自分が親しくしているエージェントを紹介するよと言って、ある女性ですね、Kさんという女性を紹介してくれました。
エージェントなので、私は職務経歴書とか履歴書を持って面談に行ったわけですね。
どっか会社を採用の情報があったら教えてくださいっていう感じで面談に行ったら、そこにですね、Kさんという女性の上司、Yさんという男性が同席してたんですね。
このYさんという人はね、ちょっとね私は、もう今でも印象に残ってるんですけども、とても苦手なタイプで、
口数は多くないんですけれども、ちょっとね、人を見定めるような、さすがにエージェントの方なんですけども、その人でその後、割と大きなエージェントの会社だったんですけども、
その後社長になってた人だったんですよね。なので、そういう人を見極めて、どこに紹介しようかっていうのを見ていたんだと思います。
なので私結構ね、際どい質問もされたんですよね。今まで仕事をね、人事部でどういう仕事をしてたんだとかね、あなたのね、その価値観とかね、仕事に対するマインドはどうかとかね、なんかいろいろ聞かれたんですよね。
なのでちょっとね、嫌だなっていう感じはしました。
そしたらですね、もう面談して翌日ぐらいにですね、そのYさんから直接私に連絡が来て、すぐにね、面接を受けてほしい会社があるって言われたんですね。
しかも会社名と人事部ですって話だったんですが、これは極秘案件だから誰にも言っちゃダメだって言われたんですね。
でも誰にも言わないのはね、まあ処避義務は得意なので、はいわかりましたって言って、面接に向かいました。
それがね、2005年の11月の下旬でした。
で行ったところがですね、大手町のビルで、大きいビルでしたよね。
で私がその前に勤めていたというか、新卒卒業してから勤めていた会社は東京の都下にあったので、
大手町とか丸の内とか、あの辺をうろうろするだけでですね、なんかちょっとね、圧倒されるというか、こんなビル群があるんだみたいな感じで、
ちょっと居心地はあんまり良くなかったんですけれども、とにかく面接に向かいました。
通常であればですね、採用って、その採用担当者、その人を採用する部署の課長レベルっていうかね、
なんかまずタイトルの下の人から会っていくと思うんですよね、順番に。
で2時、3時、最終面接ってなるとどんどん上がっていくというか、部長が出てきて、本部長が出てきて、内定みたいな、こういうプロセスが通常だと思うんですけれども、
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これはね、極秘案件だったから、いきなり人事部長との面接だったんですね。
でこの時会った人事部長さんが、大変親子的な方で、お話の仕方も穏やかだったし、話をすごくよく聞いてくれるっていう、好印象な中年の男性でした。
で私の履歴書を見てですね、「おおっ!」とか言って、「ジュリーさんは剣道部なのか?」っていうね、ここにすごい食いついていて、そういうの好きな方だったんでしょうね。
で、「はい、そうです。」って言って、私高校の時に剣道部で書断を取ってたんで、それを履歴書にピーって書いてあったんですよね。
で、そういうことだったりとか、あとですね、その時はもうその人事部長としか喋らなかったんですけれども、
彼曰くですね、基本的にはその会社は銀行をベースにした会社なので、大学を卒業して新卒して、機関職っていう職務になった人がずっと同じ会社で長々と勤めるっていうような人がほとんどで、
外から転職で入ってくる人ってほとんどいないと。で、人事部ももうほとんどいないと。ただ、あなたみたいな私ですね、私のような外資系の企業で人事のお仕事を経験してくれてる人が入ってもらうことによってね、
より良い組織作り、会社作りをしていきたい、みたいなことを言ってくれたんです。それで、翌週ぐらいにはですね、もう次の面接ということで、今度はその同じ人事部の課長レベルの人に会って、3人出てきたんですね。
3人出てきて、同じ日にもう一人副部長に会って、もう一人副部長に会ったんだ。だから、2回目に行った時は課長レベルの人3人に会って、副部長に会って、もう一人副部長に会ってっていう感じだったんですね。
ただね、その2回目に行った時に会った人は全て、私がそれまでに一緒に働いたことのないような人種の方で、何て言えばいいんだろうな。まず目が笑ってないんですよね。
で、その人事部長に感じなかった印象を持ちました。人の話を聞いてるんだか聞いてないんだかちょっとよくわかんないし、なんか表面的な薄笑いを浮かべるんですよね。目が笑ってない。
とってもガードが固い印象を持ちました。正直居心地は全く良くなかったんですね。そういうこともあって、私は最終職焦ってなかったんですよね。だから、こんなところに面接来たのもいい経験だったな、面白かったな、ぐらいな感じでその場を去りました。
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それで、今後の面接の結果については決まり次第ご連絡しますと言って、こちらも待っている状況だった中で、2005年の12月の8日、この時に事件が起こりました。
証券会社の男性の担当者が新規上場した株式を誤発注と言って、一株61万円の売り注文を間違って誤って61万株を1円、61万の株をたった1円で売るという売り注文を流しちゃうんですね。
当初の株式売買システムに元々バグがあって、すぐに間違えたって言って取り消しをしたんですが、取り消しができずに売買が成立してしまったんです。
これによって株式市場が大混乱してしまったという事件、誤発注事件と言って大混乱になったんですけれども、この証券会社は400億円以上の損失を出してしまいました。
ちょっとすいません、私もこれ喋ってて噛み噛みなんですけれども、400億円超える損失って、ドラマ自免死たちで100億円の土地、騙された騙したって言ってる4倍以上なんですよ。
400億円も損失出しておいて、存続できる会社って一体何?って逆に思うんですけれども、この証券会社が私がこの面接に行っていた会社だったんです。
1個あたり61万円ですって言って新規で売り出されたものを間違って61万個あたり1円ですっていう超超超超破格で売り出しちゃったんですよね。
この混乱に乗じて20億とか儲かったというトレーダーもいるっていう話が今でも都市伝説的に伝えられておりますが、つまり100円あったら6100株買えちゃうみたいな超破格超異常値だったんですよね。
なのでこの会社はとてもとても混乱に陥って、その日のうちに記者会見をしていました。
さすがに私もニュース見てあれこれ私が今受けてる会社じゃんと思って大変大変と思ってたんですが、さっきも言ったようにあまりにもなじみのない人たちとの面接で、人事部長の方は別なんですけれども、
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正直泣いてもらえるなんて思ってなかったし、大変なことになってるなぐらいしか思わなかったんです。
そこへ12月の中旬過ぎたぐらいかな、その事件が12月8日で、少しして12月中旬過ぎぐらいだったかな。
またエージェントのYさんから連絡があって、もう一回人事部長が会いたいと言っているので行ってくださいと言われて、私はそこに行くことにしました。
ここで引き返せばよかったなという感じだと思うんですが、人事部長と会って何を言われたかについては次回またお話ししたいと思います。聞いていただきありがとうございます。ではまた。
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