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2025-06-21 16:20

【ゲストハウス開業裏ヒストリー】 幻の『奥の院』構想と飲み会より茶会

ゲストハウス開業ヒストリーに“幻の構想”がありました🍵

【ジュリーさんと対談】山武市の異常上流・茶会に招待されました #030👇
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#中村淳彦
#さとみさん
#山武市
#異常上流
#飲み会より茶会
#ゲストハウス
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サマリー

ゲストハウスの開業に関する裏ヒストリーとして、奥の院という構想が語られています。このエピソードでは、飲み会から茶会への意識の変化や、こだわりの空間づくりについても触れられています。さらに、幻の『奥の院』構想とそのプロジェクトの背景が語られ、土地や建物の価値を見直し、家族の思い出と茶会の文化を引き継ぐことの重要性についても言及されています。

ゲストハウス開業の背景
こんにちは、東京でゲストハウスをやっているジュリーです。
昨日の夜ですね、ジャッキーチャンネル、中村アスヒコさんのジャッキーチャンネルをライブで拝見してたんですね。
で、その後、中村さんがおっしゃるには、ボイシーのプレミアムを録音した。
で、その後が今度スタイフで、これは普通に収録してすぐに配信されてたと思うんですよ。
で、このね、三連ちゃんの配信を聞いて、いやーもうね、その通りだなぁみたいな、聞いてたんですよね。
なんか面白いし、なんかね、いろいろとね、考えるというか感じることが多くて、ちょっとそのあたりをですね、サクッと話したいなぁと思って収録ボタンを押しました。
今年の2月の下旬だったんですけれども、その三無市の中村さんの別邸ですね、こちらのさとみさんのお茶会というのに招いていただいたんです。
なおさんと私がですね。で、その時の様子とその時の感動ですよね。
これをその直後にですね、なおさんと対談して話してるんですね。
で、そのライブのアーカイブはなおさんの方のチャンネルにあるんですけども、その対談の中で、いろいろ喋ってる中でですね、これからは飲み会より茶会だよって私がですね、発言したパートがあるんですけども。
本当にね、そのさとみさんのお茶会にお招きいただいて、それを体験した前と後とでは、ちょっとうまく言語化しにくいんですけれども、自分の中でやっぱりこう、
襟を正すっていうかね、
前向きに地に足つけてやっていこうっていうね、そういう、
肩に力入るっていう感じじゃないんですけれども、シュンとね、下、姿勢を正して前を向いて生きていこうみたいなね、そういう気持ちはもともとあったんですけれども、さらにそう思わせる何かっていうのが正直あったんです。
その中村津彦さんの昨晩スタイフでのね、自分の和室を正軌にしようっていうタイトルの配信でおっしゃってましたけども、本当にね、あのお宅の中村家三武市の別邸のですね、和室が本当に気がいいんです。
で、その時もお話浮かんがってたんですけども、もともとのね、あのオーナーがタバコをね、すごく吸ってたとか、ぶつまだったとか、なんかね、そういうの全くね、え、本当ですかっていう、信じられないっていう感じぐらい、
なんて言うんだろうな、異空間ぐらいな気の良さがあるんですよ。本当に普通の家なんだけど、そこだけね、空気が澄んでいて、えーと、2月の下旬だったからまあ寒かったはずなんですけども、そういうのを全然感じない、むしろこう、心地よい温かさに包まれたような、すごくお天気のいいですね、その日当たりのいい、
お庭というかね、に面したお部屋なので、非常にこう、ポカポカしたようなイメージのお部屋なんですけどね。
本当にあの空間は特別で、生意気というのがもうふさわしい空間だと、心から思います。はい、それ以外ではないですね。
で、社会に招かれるのか招かれないのかっていうね、ここのその人としてのですね、こう、人となりをやっぱり自分で作り上げていく、作り上げていこうというふうにね、私はそこで真剣に思わされたんですね。
すいません、ちょっと真面目になりすぎてあったかな。そんな堅い話ではないんですけれども、ザック・バランにもうちょっと言うと、人のお家ってなかなか行けないですよね。すごく仲のいい友達とかね、昔からの幼馴染とか、もちろん自分の兄弟とかだったらあれですけども、他人のお宅ってその人の空間じゃないですか。
客間があればね、まだいいんですが、今、客間とかっていうのをお持ちのお宅ってあまりないと思うし、そうなるとその人や家族がお住まいの空間にお迎えしてもらうって相当の関係というかね、信頼関係はもちろん必要ですし、
コロナ禍の影響もあるのか、自分もそういう年齢なのかわかんないんですけれども、昔って外食とか外で飲んだり食べたりする人と会う複数の人数で会ってワイワイするっていうのは、イコール楽しいことみたいな概念があったような気がするんですけれども、
本当にそういう機会って、もしそういうのにお誘いいただいても相当厳選して参加するようにしていますし、そもそも外で何かお食事するっていうのも、そんなに今っていいお店とかないんですよね。
食事はおいしいんだけれども、接客がいまいちとか、接客一生懸命やりすぎててちょっと熱いというかね、圧が強すぎるとか、全然よくわかってないのに、なんかわかった風な語ってくる店員とかね、そういうのがあって、いろんなバランス、いろんな考えてバランスいい心地よい空間ってね、やっぱり今ものすごい少なくなってるような気がするんですよね。
ちょっとその話とは変わるというか別の視点なんですけれども、実はこの私たちが今住んでるゲストハウスのあるね、カウンターのバーのあるね、お寿司をやってるバーのある建物を一番初め構想してたときはね、
奥の院の構想
これ去年ちょうど今頃ですかね、ゲストハウス開業ヒストリーっていうのを私が連続シリーズで話をしてるんですけれども、そこでも触れてますが、2017年にここの土地を買って設計する段階の一番初めはですね、そういった生意気なるものを我々の建物には入れるっていうのはあったんですね。
それを私たちの言葉で言うとね、奥の院っていうふうに呼んでたんです。奥の院っていうのを作って、そこにはですね、ゲストハウスの中のゲストだったのか、バーに来るお客様だったのか、ちょっといろいろ具体的にはしてたわけじゃないんですが、
その奥の院は本当に大切な客人をお招きするっていうコンセプトだったわけです。で、本当はですね、その奥の院を地下の地下の地下の奥に本当は作りたかったんですよね。だから地下2階の奥の奥みたいな、扉がいくつもあって奥みたいな、地下に本当は欲しかったんですけれども、なかなかね、こういった建物で
2、3メートル掘るってね、うちもちょっとは地下掘ったんですけども、2、3メートル掘るんでもね、わいわいわいわい、いろいろ言われたり工事費がかかるって言われたんで、地下2階の奥の院って意味わかんねえってなりますよね、普通は。なので、一番初め初期の希望の時には上ですね、上。結局上、一番上、最上階。
だから、その時の設計のプランだと、4階ですよね。4階。4階って言っても多分高さがそんなに取れないので、ロフト的な感じで一番上に奥の院を設置しようと。で、ここは茶室だと。和室ですね。っていう構想でした。
今でもこういう話をするとですね、あの時のプランが本当にこう、甦ってくるんですけども、奥の院である和室の横に小さいバルコニーがあって、そこからちょっと外に出れて明治神宮の森が見えるみたいなね、こういうイメージだったんです。
でもね、このそもそもね、この4階までじゃあ何で上がるのかっていうとね、一番初めね、これ螺旋階段っていうのがね、これも那穂さんがものすごいこだわってた螺旋階段があって、螺旋階段で上まで登るっていう構想だったんですけども、
その螺旋階段がやっぱり、その螺旋階段自身がスペースを取るっていうことと、それ自体が費用が高いよねっていういろんないろんな理由があって、諦めて設計方針を変えて、一回決めた方針を変えるっていうんで、そこでまた設計料みたいな感じでね、お金がかかったりなんかしたんですけどね。
なので、幻の奥の院、聖域プロジェクトがあったということですね。
ここでですね、もう普通の家、40年30年くらい前に建てた、大工さんが建てた普通の家に修繕やリフォームをすれば、それが価値になるっていう話なんですよね。
中村さんがおっしゃるには、そうかもそうかもって本当に聞いてたんですけども、私のですね、先週の日曜日かな、うちの父の土地の名義問題っていうのをね、ちょっとしゃべったんですけども、この実家の土地の上に建っている建物、私の実家の主屋っていうのは平屋なんですね。
だから2階の全部が居宅っていうか、家なんで、平屋づくりなんですよ。だから玄関ももちろんあるし、そこに巨大な庭園というかね、テラス庭があって、そこに父親の盆栽がたくさん置いてあるんですけども、まさに平屋の4LDKで、今まだ家族が住んでるから、
もちろん天森とかもないからね。ここはやっぱり注目しておいた方がいいかなと思って、その家の部分だけで多分100平米以上あるので、さらにテラスの庭があるんですよね。
和室が父親がですね、当時作った時に設計段階で、すごい彼はこだわっていて、庭とかも好きな人なんでね、和風建築みたいなものを別に勉強したとかじゃなくて、こういうのって言って、木はこういうのを使って玄関はこういうドマにしてみたいなね、相当木とか床とかそのあたりはこだわってたんですね。
彼が何にこだわったかっていうと、客間ですね。昔って人を寄せをして、宴会とかする映画とかテレビでよく昔の出てきますけど、彼のイメージは人寄せをして、10人、15、6人入る、その宴会ができる和室で床の間があって、
そこから自分の盆栽のある庭を見るんだっていうことで、その和室が多分10畳と8畳ぐらいの和室が、普段はふす間があって分かれてるんですけども、それを取っ払うと長い宴会場みたいになるんですよね。
で、そこにカラオケが置いてあって、床の間があって、その縁側がですね、縁側よりも大きい土屋っていうのかな、下屋っていうのかな、下屋、縁側よりも大きい屋根が張り出してる感じの出来がしてあって、そこから自分の自慢の盆栽見てくれみたいな感じになってるんです。
だからね、本当にね、父なんかはほとんど家にいないし、その数年後にはですね、もう家を出てしまって、なんだかね、その家に寄りついてないような感じで生きてますけれども、彼の思いもあって、彼はやっぱり盆栽とか庭とか大好きな人なので、割と本物志向なのかなと。
思ったりもするんです。で、それがまだもちろん残ってるので、多分あれを少し手入れをすれば、茶室になる可能性が大きいなと。
なんかこの中村さんの配信を聞いてたら、ものすごい励まされる感じでしたね。土地問題云々っていうのはあれだし、今すぐどうこうっていう話じゃないんですけれども、その実家の建物の方も。
ただ、この自分がね、その社会をするとか、その邸主になるとか、お招きするとか、招かれるみたいな、その人格形成みたいなね、この道のりと、うちの父のね、意向というかね、父が残したその建物を、いいところは生かして使うみたいなことっていうのは、
なんかものすごく意味があるような気がしてきましたね。この中村さんの不動産雑談の延長の配信を聞いて、なかなか感じ入っている次第です。
家族の思い出と茶会の重要性
本当に那尾さんと私がお招きいただいた、さとみさんの茶会にはもう到底及ばないと思うんですが、それをですね、お手本にというか、標榜してね、行きたいなぁと、まだまだですね、この本物を追い求める旅は続くと思いました。
という配信でした。はい、聞いてくださりありがとうございます。ではまた。
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