家族への愛情
みなさん、おはようございま〜す。
おはようございま〜す。
おはようございま〜す。やってまいりました。
やってまいりました。
金曜日、今の金曜日ですね。
素敵な金曜日やってまいりました。
今日は3月21日、3・2・1ということで、始めようとしてるんですね。
あ、そうかそうか、カウントダウンなんですね。
カウントダウンになるんですよ。
そうことですね。
新しいチャレンジを始めるのにいい日なので、
今日もみなさん、新しいことを始めてみてください。
我々は新しいことをやっているのに、いつものように、
ひろ兄さん・ひろ兄さんのコラボを始めます。
やっていきましょう。
まずは名古屋の兄さんのこと、ひろ兄さんです。よろしくお願いします。
そして、名権を代表する兄ちゃんです。よろしくお願いします。
そして、いいじゃん、すげえじゃんでおなじみのひろのぶです。よろしくお願いします。
今日は私は酔っ払ってません。大丈夫です。
大丈夫です。
わしらくもないね、朝から。
大丈夫です。
今日のテーマは、「自分ってこういうところあるんだよね?」ですね。
実はこんなふうに、3人ですけどそれぞれね、
え、こんなところがあるの?っていうところは絶対あると思うんですよね。
なのでちょっと、実は自分ってこういうところってあるんだよねって話をしたいと思います。
はい。じゃあ、いつものように兄ちゃんからお願いいたします。
はい。ありがとうございます。
僕、これね、こんな一面があったなっていうことがですね、
ほんとここ4年とかぐらい前、数年前に気がついたことが一つありましてね、
家族で過ごしてたときにですね、
子供が、うちの子供がですね、うちの奥さんを攻撃するというかね、
ちょっと喧嘩をするような場面があったんですよ。
でですね、僕はそれを、今横で聞いてるか、なんか横にいてですね、
なんかそれはちょっと違うなみたいな、それはないなっていうかね、
なんかちょっとこう、そんなふうに思ったんですよね。
嫁さんを守ろうみたいな形で、ちょっとこう、子供に対してガッときつく言ったときがあったんですよ。
で、ふっと我に耐えたときにですね、すごい必要以上にカッカカッカ来てたなって自分で思い返しまして、
なんだろうなって思ったんですけど、
よく考えたらね、自分のことをとにかく言われるのは我慢ができるんですけど、
この耐えている、身内は嫁さんとかね、のことを馬鹿にされたり罵倒されたりしたときに、
やっぱりこう、なんかこう、いてもたってもいられない自分がいるなっていうことがわかりました。
なるほど。
それは奥さんへの愛情なんじゃないですか。
愛情ですよね。
愛はないんで、情です。
愛はないんですか。
情です。
愛はないんで。
愛はないんで、情です。
なので、どんだけ自分のことをあんぽんたん言われてもですね、あんまり聞き流せるんですけれど、
大切にしている人、友達、友人、家族が双輪に当たるんですかね、
そのことをちょっと馬鹿にされたりとかですね、
ことをこう言われると、なんかこうやっぱり、
自分の違ったAちゃんが出てくるなっていうことがわかりましたね。
熱く、こんな自分がいたんだなっていうことがよくわかりました。
いやー、でも素晴らしいですね。
相手のことを大切に思ってるってことですよね。
なんかね、我慢ができなかったですね、その時はね。
ちょっといいかという形で言わせてもらったんでね。
はい、Aちゃん、以上です。
他人の言葉の受け止め方
はい、ありがとうございます。
じゃあ、ひろのぶさん、お願いいたします。
そうですね。
僕ね、こうやってペラペラペラペラ喋ってるし、配信なんかでもね、
何も考えずに話してるように、どうですかね、見えるところもあると思うんですけど、
僕ね、人から何か言われたりとか、
人が何か話をしてる時に、
もうね、癖なんでしょうけど、
いろんなことを考えるんですよね。
皆さんもそういうとこありますかね。
いろんなことを考えるんです。
いいことも悪いことも。
なんかね、もっとね、もっと正直に相手の言う言葉を、
そのまま受け止めればいいのにって思うんですけど、
最近ね、ひろ兄さんと僕仲良くさせてもらってるから、
気が付いてられてるかもしれんけど、
何か言われた時にね、
いいことも悪いことも勝手に想像するんですよね。
なんかこう思ってるからこう言ってるんじゃないか。
今言ってることは本心じゃなくて、
こういうことがあるからこう言ってるんじゃないか。
っていうようなことを、なんかそのとっさに考えてしまうんですよね。
なので言ってることと、僕が返事をするときに、
向こうが言ったことをそのまま捉えて、
ちゃんと返事をすればいいのに、
いろんなことを考えちゃってるから、
きっとこう思ってるんじゃないか、
っていうことで返事しちゃったりするので、
噛み合わなかったりするんですよね、話がね。
なおかつ、しかもね、
想像してることがあってればいいんですけど、
あってないこともあるんですよね。
あってないこともあるじゃないですか。
だからそうなるとね、
もう頓珍感な話になっちゃうから。
だってあってても、
その人はそれを隠して違う言い方をしてるから、
あってたとしてもそれを言うのはあんま良くないし、
間違ってたらもっと良くないし、
だから本当は、
人からなんかこう話をされたときとか意見されたときには、
その言葉を直接考えて返事をするべきなのに、
僕はそうじゃないことを考えてしまって、
変な会話になってしまうことがあるなと。
そういうところってね、僕はあるんです。
思考の癖と成果
というね、今日は自分開示の告白でした。
なるほど。
裏を書くというか、
その人の裏にはっていうような心理が働いてるんですかね。
そうそう。
だけどね、そういう思いがいつもいつもあるから、
僕ね、プチノブの部屋っていうエッセイが書けてるんですよ。
あの視点はいつも意識してるんですけど、
普通考えたらこうだけど、
こういう見方もあるんじゃないのっていうコンセプトなんですよね、
基本的には。
あなたはこう思ってるかもしれないけど、
こういう考え方もあるよというようなことを
伝えたいと思ってるので、
僕のそういう考え方の癖っていうのが、
プチノブの部屋っていうエッセイには
やっぱり反映されてるなってことは感じるんですよね。
エッセイ書いてたから、
エッセイがずっと続けてたから
そういう考えだったんじゃないですか。
ああ、そうかもしれない。
そうかもしれないな。
一番初めにね、実はプチノブの部屋は
日記に近いもんだったんですよ。
僕はこんなことをしましたぐらいの感じで。
みんな楽しかったですよとか、
そんなぐらいの始めエッセイで始まってるので、
そうだなあ、ひろにんさんが言ってくれたように、
プチノブの部屋が僕のこういう考え方を
作っていってくれたのかもしれないですね。
でも、良くない面もあるけど、
いい面もあると思うんですよね、やっぱりね。
そういうふうにいろいろちゃんと相手の考えを
しっかりと認めて喋れるっていうことですよね。
考えてしまう。
でもそれができるから、
その力が長けてるからこそ、
大学でのアドバイザー的な、
学生さんと寄り添うことができる、
っていう面があるんじゃないかなと思う。
そういう面もあるかもしれないね。
本当はこの学生何を言いたいんだろうっていうね。
それよく思います。
やっぱりそこの心理を、
声のトーンであったり、
口調であったり、顔色であったり、
それを総合して読み取る力が長けてるからこそ、
ひろのぶさんはそういう力が
よく出るっていうか、
良い方向に転んでるんじゃないかなというふうに思います。
やっぱり表裏一体ですね、そういうのってね。
そういう気がしますね。
素晴らしい、面白い。
面白いですね。
自分の感情の二面性
ひろ兄さんはどうですか?
私はですね、
自分でもそう思ってるし、
よく言われるんですけど、
優しい。
温厚。
温厚ですよね。
私もそれは間違っていないし、
その通りだなと思うんですけど、
私は本当にね、
切れると怖いですよ。
切れるときがあるんで。
よく昔の漫画で、
気づかないお父さんがチャブダヤを
急にひっくり返すときがあるじゃないですか。
分かりますね。
あんな感じです。
切れたらもう、
周知つかなくなるタイプ。
切れたら、
切れないんですけど。
最近はいつそんなことがあったんですか?
いや、最近はないですよ。
チャブダヤひっくり返したのは、
いつだったんですか?
最近って言ったら、
子供がもうちょっと、
学生10代の頃ぐらいですかね。
子供いたりで、
起こったことが、
そんな切れたっていうことがあるぐらいですかね。
基本的にそんなにないんですけど、
多分怒りの沸点が、
例えば普通の人は100℃とすると、
私は200℃ぐらいだと思うんですよ。
でも200℃を足したときには、
もう触れないじゃないですか。
そんだけ熱量があるっていうことですかね。
むしろもう水じゃないですよね。
金属の液体でしょ。
そうそう。
そんな感じですよ。
切れることはそんなにないんですけど、
切れたときはもう、
すべて爆発するし、
止めれないっていうところがあるので、
私を切れさせないように。
気をつけてください。
火傷するぜって。
天ぷらのつゆに、
大根のあれが入ってるときは切れそうなんですけど。
なんだこのおろし大根はっていう。
ちゃんと入れるときは、
ちゃんと別に置いててくれる。
ていうふうに切れるときはどっかあります。
ここはもうちょっと振ってみます。
いつの間に何大根乗せてくれてんだよ。
普通の例えば、
うどん頼んだのに、
なんか大根が乗ってるところしかない。
いやいやいや。
もう切れそうになるんですけど。
そんなことはどうでもいいとして。
切れたら怖いというところが実はあるんです。
講演会の紹介
誰しも怒ると怖いですからね。
そういうことありますかね。
はい、いかがでしたでしょうか。
皆さんもね、
こういうところあるんだよねって、
もし教えていただける範囲で、
コメント欄に書いていただけると嬉しいですね。
みんなあると思うんですよね、必ずね。
そうですよね。
はい、じゃあ今日はこれで終わりたいと思いますけど、
最後に告知ですね。
まず私のほうからですね。
3月23日のあさって、
夜の6時半から、
名古屋市名東区の
名東文化衝撃場というところで、
若手講演家の古市和樹さんと、
小学生の講演家の
木村ライト君が
コラボ講演いたします。
お二人とも交通事故でね、
本当に大変な思いをして、
その交通事故があったときに、
いろいろ周りの方に、
親、そうですけど、
いろいろなサポートがあって、
幸せがあるっていう話をね、
してくれますので、
皆さんもちょっとどん底で
つらいなとか思った方は、
聞いていただけるといいと思います。
特に今回お母さんの話は聞いているので、
そのお二人とも。
事故があったとき、いろいろ大変だと思うんですよね、
お父さんがね、
お母さんがどうしたら
こういうふうに幸せになって思えるような
お子さんになったかっていうのを
お話にしてくれるのと、
それをですね、
実は大島圭司さんが
お母さんと対談してくるんですよね。
これはね、
ぜひ行ったほうがいいですね。
なので、
概要欄に申し込みリンク貼っておきますので、
ぜひ来てください。
はい。
今ね、
ヒロニーさんがお伝えしてくれた
講演会ね、
僕もボランティアスタッフとして会場にいますので、
ぜひ来られる方は
そちらで僕とも会ってもらいたいな
というふうに思います。
僕は
5月の18日に
レジェンドホール、
名古屋のレジェンドホールというところで講演会を行います。
そのテーマはね、
居場所をなくした人に
居場所を作っていこう、広げていこうというテーマです。
きっとね、
皆さんも過去、
居場所がなくてつらいなと思ったことがあるんじゃないですかね。
今そういうふうに
思っている、つらいなと思っている人が
今この時点でも
いるんですよね。
なので、その人たちに
手を差し伸べていきたいという思い。
そういう思いがある方は、
ぜひですね、
キャンプファイヤーというね、
クラウドファンディングのサイトがありますので、
そちらに行ってもらって、
このアドレスの解説のところにも
リンク貼ってくれてますかね。
はい、貼ってます。
そこから入っていただいて、
共感できるなというふうに思ったら、
リターンしていただいて、
5月の18日、
レジェンドホールに来てもらったら
嬉しいなというふうに思います。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
資料欄にリンクを貼っておきますので、
ぜひ、
興味があった方は、
よろしくお願いします。
はい、お願いします。
今日はこれで終わりたいと思います。
今日も聞いてくださって、
ありがとうございました。
ありがとうございました。
今日も素敵な一日を
いただきますよ。
はい。
せーの。
いいじゃん。
すげーじゃん。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
はい、失礼します。