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福永均の繊維の泉
リスナーのみなさん、こんにちは。ラメ糸大津の石川です。
福永均の繊維の泉、今週も始まります。福永社長、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、社長ではですね、今週はゲスト企画の第22弾になります。
22番。
で、今年2022年ですね。最後のゲスト様に。
2022の22弾。
22弾で、ラストの。
素晴らしい。
いろいろちょっとややこしい。
で、その2022年の最後に、素晴らしいゲストに来ていただいております。
株式会社松川レピヤンの松川次長にお越しいただいております。
松川次長、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。最後に選んでいただいてどうもありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、ではでは早速なんですけれども、松川次長の自己紹介ですね。
まずは簡単な経歴とかお話しできる範囲で結構なので、よろしくお願いします。
では改めまして、松川レピヤンという、福井の会社ですね。
福井の会社で松川レピヤンという会社をやっております。
何をやっている会社かといいますと、皆さんが着ているお洋服だったり、
今、カバンですね。に着いているブランドタグですね。
あれを折り物で作っている。いわゆる折りネームと言われるものを作っている会社です。
はい。
あ、次長すみません。先に次長個人の何か。
ああ、すみません。
すみません。僕個人です。僕個人で言いますと、どこから言いましょう。今の年齢から言いましょうか。
もうどこからでも。生まれる前からでも大丈夫。
そうですね。僕の話にしますと、出身は福井なんですけど、中学3年生からずっと音楽をやってまして、
15歳からですね。15歳からバンドマンで、26歳まで音楽をしてきました。
で、高校も当時オムニバスCDを出させていただいて、
高校生のくせに全国ツアーみたいなことをやっていった。
知れてますよ。全国といっても、大阪、名古屋とか。東京は行ってないか。
静岡とか、これは毎年行きますね。
へー。
そこら辺もちょっと回ったりみたいな感じで、高校生時代そういったツアーをやりながら、
そのままどうしようかなみたいな進路をね。
はいはいはい。
僕が卒業してからどうしようかなと思いながら、そのまままた音楽の道に進もうということで、
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専門学校に、名古屋の専門学校に行って、
そこでひたすらドラムを叩きながら、
いつしかそのバンドで事務所がつき、メジャーデビューをして、
一曲だけ武道館でやらせていただいて、みたいなバンドをやってました。
すごいなー。
そうなんですが。
うそうそう、ミュージシャンとは気づいてたんですけども、
もうそこまで行かれてたんですね。
一応そこまでは行かせていただきました。
すごいなー。何人ぐらいのバンドをされてたんですか?
一応4人ですね。
最初は5人だったんですけど、
それが次々辞めていくんで。
初犯の事情かなんかね。
最終的には僕とギター2人しか残らなかったんですけど。
事情はずっとドラムなんですか?
僕はずっとドラムです。
ドラマーなんですね。
そうです、ドラマー。
めっちゃかっこいいなー。
過去はそういう感じで。
26歳で福井県に戻ってきまして、
家業をずっとそこから継いでいるといった。
すみません、実はうちの専務もずっとミュージシャンをやってまして。
そうなんですね。
そんな事情ほどのレベルのものではないと思うんですけども、
今でも楽器弾いてんのちゃうかなとは思うんですけども。
お父様とかは特に何も言わずに自由奔放に活動されておられたんですか?
そうですね、結構自由にやらせていただいてたんですけど、
親に後を告げって言われたことは実はなくて。
言われてたのは祖父ですね。
ずっと祖父と小さい頃暮らしてきたみたいな感じですね。
祖父の部屋の後ろがこうやったんですよ。
祖父は旗を見ながら自分の部屋で旗を巻くみたいな。
その膝の上で僕は銀杏食べるみたいな。
そんな幼少期ですよね。
その頃は小幅か何かですか?
シャトル食器ですね。
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シャトル食器がありました。
当時何台かはちょっとお分かりなんですけど、
多分10台ぐらいはおそらくありましたね。
おじい様が普通にてけんたんですか?
手けんぴんです。今でも僕らの業界は手でけんぴしてますよ。
なるほど。細幅やからっていうことですか。
すみません。何から聞いたらいいか。
ごめんなさい。
すごいですね。
26まではずっととにかく音楽をやってたってことですね。
自分の部屋を拠点にずっと音楽活動をしながら、
事務所は東京だったんで、毎月東京に行って、
そのついでにツアーをしてみたいな感じで、
そういう活動をずっと繰り返して。
ちなみに、26で家業に掘られるっていう、
何かきっかけがあったんですか?
いろいろあったんですけど、
大きいきっかけっていうのは、やっぱり結婚ですかね。
子供ができて、いろいろできちゃった子なんですけど、
それのきっかけに、ようやく吹っ切れたっていう思いがあって、
僕本当は25で福井に帰るっていう約束をして、
旅に行っていったので、
その約束というか、期限を1年過ぎて、
その1年は、25歳から26歳の間は、
本当にクソみたいな。
約束されてたのは、奥さんとの約束ですか?
奥さんって親ですね。
親に、僕18から名古屋に行ったんで、
18に名古屋行くときに、そういうつもりで僕は出て行って、
その時に、何かしら成功したいなみたいな。
十分成功されたんじゃないですか。
本当は一発でもいいんで、ちゃんと売れたっていう功績を残したかったんだけど、
また固まっちゃいましたね。
まあまあ、音声はいけてるんで。
でも、メジャーデビューされたってことは、
即席を残したってことですよね。
もう一度お願いします。
メジャーデビューっていうことは、
もう何かしらその音楽業界においては即席が残せたってことですもんね。
そうですね、いまだにカラオケ行くと、
僕がやってたバンドの曲は入ってたりします。
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すいません、何曲?
ダムにしかないんですけど、
バンド名もなかなか恥ずかしいんですけど、
桃色ハニーって言います。
ダムで桃色ハニーって検索すると、
5曲くらい出てくるかな。
すげー。
すいません、バンド名が桃色ハニーですよね。
今度は検索してみますね。
別に聞かなくてもいいと思います。
いいや、いいや。
それだけ聞きにカラオケ行くかもしれないですね。
遊ぶぐらいで、ぜひ一緒に行きますよ。
ぜひお願いします。
いいエピソードを聞いたところで、
第1話は議長の個人的なお話を聞けたので、
次回以降は会社の話を続けていこうと思います。
では、議長最後に何かオンシャイからのお手出しがあれば、
お願いできればと思います。
あとでまた説明しようかなと思いますけど、
会社で何度もやってまして、
リピアリボンっていうリボンブランドですね。
あとはワッペンブランドのフワッペンっていうものをやってるんで、
そちらもぜひネットのほうで検索していただければすぐ出てきますので、
カタカナでレイピヤンディオン
リボンブランドです。
カタカナでフワッペン
フワッペンブランドのフワッペンというものが出てきますので、
ぜひプレッシャーをアクセスしていただけると嬉しいです。
ありがとうございます。
では弊社イズミ工業からのお知らせですね。
各種SNSですね。
インスタグラム、フェイスブック、ツイッター、ラジオ、
あとYouTubeもやっておりますので、
概要欄からぜひチェックしていただきたいのとですね。
あと来年2023年の2月ですね。
2月16日、17日とジャパンヤーンフェア
愛知県美衆で行われる
ジャパンヤーンフェアに出展しますので、
よかったらそちらにもぜひご来場いただければと思います。
はい、ということで、
長田社長ありがとうございました。
ありがとうございました。
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イズミ工業株式会社 福永ひとしの繊維の泉
この番組は提供、後染めラメイトメーカー
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