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福永均の「繊維の泉」。
フィッシャーズのみなさん、こんにちは。ラメ糸大津の石川です。
福永均の「繊維の泉」、今週も始まります。
福永社長、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
社長、今回ですね、ゲスト企画の第28弾でですね、一応年内、12月に入ったんですけど、
今年2023年、ラストのゲストということになります。
満を持しての。
では早速ちょっとご紹介させていただきます。
明林繊維株式会社の村上社長にお越しいただいております。
村上社長、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
国陸からの。
とうとう福井から、福井出身の方の福井からですね、ようやく出ていただけることになりました。
ありがとうございます。
はい、では村上社長早速なんですけども、まずは会社紹介の前にですね、村上社長ご自身の自己紹介ということで、
いろいろとお送りしていきたいんですけれども、
まず、村上社長のほうからお話しできる範囲で経歴などですね、
お話、自己紹介いただければと思います。
それ聞いてなかったですね。
1976年生まれ、
B型で乙女座です。
今年47歳になって、
今9歳と5歳の息子が2人おります。
息子さんお二人なんですね。
はい、息子二人です。
9歳ってことは、小学校3年4年?
今3年生ですね。
もうすぐ下の方が小学校に入る?
まだ、来年が年長さんです。
なるほど。
高校までは福井におりましたけど、
大学からは県外に出て、
ちなみにどちらに?
留学がしたくて、アメリカの大学に行かせてもらって、
卒業後にニューヨークの日系の招職者に勤めることになりました。
アメリカの大学って何年行くんですか?
私は4年で卒業できましたね。
日本は入るのが難しくて出るのが楽やけど、
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アメリカは入るの楽やけど出るのが難しいって言いますもんね。
本当にその通りで、人生初めて勉強しましたね。
あきらめて帰るのが格好悪くて必死でついていきました。
最初から英語ができたわけではないので、
一年間は英語をみっちりやって、授業全部英語だったので、
ほぼ3年で卒業したみたいな感じで結構苦労しましたね。
4年っていうのは通常の卒業ぐらいの感じなんですか?
そうですね。
すごいですね。
でも行かれるときはある程度英語に自信はあったんですか?
いいえ。好きでしたけど、ほぼ喋れませんでしたね。
英語専用のクラスがあるので、
そこでしっかりやってから授業でしたね。
なるほど。
それででも一年間、ほんまに英語を必死でやってっていう感じですよね。
卒業後にニューヨークの庄舎に勤務してまして。
総合省庁さん。
はい、そうです。
主に何をされてたんですか?
製品を含むいろんな貿易の業務をさせてもらってました。
輸出乳ともに。
そうですね。アメリカのお客さんに売る。
そうです。輸出乳両方やってましたね。
例えば日本のものをアメリカの人に売るとかっていう。
それこそヨーロッパのものをアメリカの人に売るとか、いろいろですか?
そうですね。日本とかアジアの商品をアメリカのお客さんに売るんですけど、
アメリカのお客さんは、工場はアジアにあったりするので。
例えば縫製は中国でやるってなると、日本品を中国に輸出したりとか。
出来上がった製品を今度アメリカに持ってくるとか。
そういったこと。
なるほど。やっぱ繊維がメインの業務になってたんですか。
そうですね。ただ貿易がメインだったので、そこまで繊維に触れる機会はあまりなかったし、
繊維にあまり興味もなかったですね。
当然すいません。お父様はお仕事をメイリン繊維さんとしてされておられる状態だったんですよね。
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そうです。
当然お父様がメイリン繊維っていう社会に繊維にやられてるっていうことももちろんご存知なわけで。
はい。
繊維にあまり興味がなかったってことなんですね。
ずっとなかったですね。
僕も子供の時禁止に興味あったけど、全然なかったですけどね。
なるほどなるほど。
で、その後、メイリン繊維さんに実際に戻ってこられたのはもう何年ぐらいになるんですか。
ニューヨークで仕事してる時は2001年だったんですけど、9.11っていう事故がありまして、
その時もまだ仕事してたんですけど、
ニューヨークで。
はい。そのテロの後、いろいろお客様もなかなか仕事が止まったりとか、
いろんなことがあったタイミングで、うちの父の会社、ここメイリン繊維に欠員も出まして、
そのタイミングで帰ってきてくれないかってことだったので、
翌月にも日本に戻りましたね。
前振りはあったんですか。お父上から。
いえ、ないです。
突然。
だからテロがなければもう少しアメリカで仕事も覚えて楽しくなってきたところだったので。
視聴者さん何年行かれたんですか。
2年と数ヶ月おりました。
じゃあもうほんまにおもろなった時ですよね。
はい。
ちなみにすみません、同時多発テロのタイミングはマンハッタン島にやられたんですか。
はい、おりました。
大惨事ですよね。
トレードセンターはちょっと南の方だったんですけど、
私が働いてたビルはミッドタウンという中間ぐらい。
でもすごいことですよね。
すごいことでしたね。
それをニューヨークで経験されてるってすごい日本人ですよね。
いやいや、運が良かったです。
運が良かったのか悪かったのかちょっと分からないですけど。
命があって運が良かった。
亡くなられた方も非常に多いですもんね。
前職から今の業界に来られたときに感じられたことってことで、
生産のサプライチェーンと販売ルートが複雑だと感じたってことなんですけど。
今の会社に入って、
まず生地ができるまで、当社にいたときは気づかなかったんですけど、
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例えば糸から布になるまで、
サプライチェーンは本当に長いんですよね。
糸メーカーさんがあって、
それを面紙とかサイジングする加工屋さんがあって、
ビームに巻く成型工場と、
それを折ったり編んだりする畑屋さんとかニッターさんがあって、
うちの場合は後染めが多いので、それを後で染色するんですよね。
染色工場とか4つとか5つの股がある。
今度できた商品は、
いろんな商社経由とか物価とか問屋を介して、
その中に2,3件入ることもあったりして、
後染色工場のアパレルさんに届いて、
そこからさらに小売に届いてとか、
ちょっと煩雑だなと。
もうちょっとシンプルになるといいのになってのは、会社に入ったときに思いましたね。
なるほど。
それはやっぱり商社さんのときにはそこまでのことは思われてなかったって感じなんですね。
知らなかったです。
なるほど。
三本商社さんという立ち位置におられるので、
よりそういうふうに思われるところがあるのかもしれないですね。
我々原子メーカーからすると、
当たり前というか、そういう感覚はあるんですけど、
やっぱり三本さんにおられるっていうのが、
立ち位置が真ん中になるので、
前も後ろもめっちゃ長いなみたいな。
そういうのはあるのかもしれないですね。
時間のいいかな。
ちょっといいお時間になってきましたので、
もう少し案件と言うよう、
社長の個人的な趣味とか聞いていただきたいなと思ったので、
それまた次回にお聞きしていこうかなと思いますので、
一旦このあたりで第一話を締めさせていただきます。
最後に村上社長のほうから、
会社のお知らせとかPRとかあれお願いします。
ありがとうございます。
メイリン繊維では今自社ブランドの
ドリーミンっていうブランドがありまして、
そのドリーミンでは自社で生産したキュプラを使った
パジャマとか枕カバーとか、
そういう眠りに特化したものを国内生産したものを
ECで販売しておりますので、
ぜひ一度チェックしてみてください。
はい、ありがとうございます。
最後に弊社ゆくみ工業からのお知らせです。
来年ですね、2024年2月15日と16日に
愛知県で行われますジャパンヤンフィアに出展しますので、
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ぜひそちらにも皆さんお足を運んでいただければと思います。
はい、ということで村上社長、福永社長ありがとうございました。
ありがとうございました。
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泉工業株式会社 福永ひとしの繊維の泉
この番組は提供
アトゾメラメイトメーカー 泉工業株式会社
プロデュース・製作 キラテン
ナビゲーター 潤天堂でお送りしました。