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2022-02-03 10:08

「車輪の再発明」ってムダですか?


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メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。
2月3日の木曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日は節分ですけど、立春っていうのは明日みたいですね。
この辺の違いというか、その知識がほとんどないんですけど、
最近仕入れた豆知識をですね、ここで皆さんに披露させていただくと、
24節句っていうのがありますよね。
あれは1年を4分割した、その中の立春なんですけど、
一番有名なのは当時と下旬。
それが時計でいうところの12時と6時みたいなところですよね。
それで3時と9時にあたるのが秋分と春分か。
それで1時15分みたいなところにあたるのが立春。
たぶん他の立秋とか立冬とか、夏が経つのは何ていうのかわかりませんけど、あるんですよね。
それで節分っていうのは日本独自の小読みらしくて、
もともとその24節句っていうのは中国から来たけど、節分っていうのは雑節って言ったかな。
そういう日本が独自につけたものらしいということですね。
曖昧な春分豆知識でしたけど、もう一つですね。
去年も言った記憶がありますけど、絵法巻きというのはセブンイレブンが広めたもので、
もともとは関西の一部にしか存在しなかった風習をセブンイレブンがビジネスで展開したというですね。
今いろいろあるみたいですね。絵法トルティーヤとかですね。
絵法ロールケーキとかあるらしいですけど、そこまで来ると何が何だかわからないという話ですが、
今日話してみたいことは、車輪の再発明というのは無駄なのかっていう、そんなテーマで話してみたいと思います。
車輪の再発明という言葉を聞いたことがある人は結構いるんじゃないかなと思うけど、
ビキペディア的な情報を言っておくと、車輪の再発明というのはもともと誰かが発明されている知識とか、
そういう実績を知らずか知らずにしてか、またゼロから作り出してしまうということですね。
車輪というのはわかりやすいですけど、車輪というのがあると重い荷物とかを例えば台車とかに乗っけて、
力をあまり使わずに運べるという優れた発見ですけど、それを知らずにですね、いろいろ頑張って研究をして、
こういうふうに丸いものを二つつけると思うものがすごい簡単に運べるんだということを気づいたとしても、
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それもありますけどということになるわけですね。
それのことは多分車輪の再発明ということみたいです。
最近よく使われる文脈というのは、IT、特にプログラマーとかで使われることが多いって言ってたかな。
プログラムというのはもともといろんなコードとかパッケージみたいなやつが、僕も全然詳しくないですけど、
その中でそういったパッケージの存在を知らずにまたそれをゼロから、
ここでは多分お金と労力をかけて作ってしまうということになると思いますけど、
それは確かに無駄だよねって話ですね。
それで僕の本題なんですけど、僕の結論で言うと車輪の再発明は決して無駄じゃないと僕は思っているっていう、
これが僕の主張なんですけど、なんで無駄じゃないのかっていうのは、
これは頭で考える領域において、車輪の再発明的なものは決して無駄じゃないって僕は最近思っているっていう理由について話してみたいと思います。
よく僕は考え事が好きな人間なんですけど、自分の頭だけで考えているとなんか閃いたことがあって、
例えば今日のあれですね、車輪の再発明は決して思考の領域においては無駄じゃないって、
僕は昨日か一昨日ぐらいにパッと思いついたんですけど、
もしかしたらGoogleとかノートとかで検索したら同じことを言っている人はいるかもしれないですよね。
それは言ってみれば車輪の再発明なんですけど、それは無駄なのかどうかっていうと僕は決して無駄じゃないと思っていて、
なんでかっていうとそれは自分の頭で考えたからっていうことですね。
自分の頭で考えて自分の言葉で自分の結論を出すっていうことは、
僕は人生の中で結構トップ2本ぐらいの指に入る大事なことだと思っている人間なんで、
これは無駄じゃないっていうことなんですけど。
でも問題なのはですね、確かに前例があることをもう一回考えてしまうのは有意義ではないっていう理屈は分かるんですよね。
例えば本とかに書いてあることだったら、それを本を読んでいればそれをもう一回ゼロから考える必要はなくて、
それを知った上でその上からですね、さらに積み重なるように考えうることができたわけだから、
車輪の再発明は決して無駄ではないけど、でももし勉強してもっと知識があったらもっと上に行けたよねっていうのは確かにあると思います。
それで僕はこの勉強って部分が結構適当というか、ある分野では全然できてないところが結構あるので、
それはこれからの課題かなって自分では勝手に思っていたりしますけど、
巨人の肩に乗るっていうですね、これは多分西洋のことわざだと思うんですけど、
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昔、アイザック・ニュートンが言った言葉で有名らしいんですね、この巨人の肩に乗るっていうのは。
どういう文脈で使われたかというと、何か表彰されたときにニュートンが、私は巨人の肩に乗っていただけですっていう言葉をですね、
これは確か誰かの手紙に当てて書いてあるっていう話でしたけど、
ここでいう巨人の肩っていうのは先人たちの積み重ねっていうことですね。
その上に乗って、それでさらに思考をすることによって新しい発見を生み出せたっていうことで、
これが理想的な思考ですよね。巨人の肩に乗って、さらに自分で頭で考えてものを作るっていう。
僕がさっき言ったのは、巨人の肩に乗っていない状態だったとしても、
自分の頭で考え事をして、自分の言葉で何かを発見するっていうのは無駄じゃないっていう。
それはその行為自体、例えば巨人の肩に乗ってジャンプしてる人と、僕が地べたでジャンプしてるだと、
その到達地点っていうのは全く違うわけですよね。
だから世間から見たら、あいつは何百メートルも上にいるけど、
あいつはたった2メートルぐらいじゃないかっていうことになるけど、
僕にとっては割とというか、ジャンプしている行為が大事なんですよね。
ここでいうジャンプっていうのは思考のことですけど。
でもどうせジャンプするんだったら、高いところから巨人の肩に乗ってジャンプした方がいいよねっていうのはもちろん分かっているんですね。
それで巨人の肩に乗るためには勉強をする必要がある。
先人たちの業績とかをちゃんと知る必要があるっていう。
これは本を読むだけじゃなくて、そういう人たちと触れ合ったりとか、
もっと総合的なものだとは思うんですけど。
特に今の世の中っていうのは、車輪の再発明みたいなことをしている人に、
割と冷たい雰囲気があるんじゃないかなと思ったんですよね。
一番にならなければ無意味だみたいな。
成功していなければやってないのも同じだっていうようなですね。
結構そういうドライな風潮ってあると思うんですけど、
でもこれはですね、つまりそれは、
ジャンプをするのが無駄だって言ってる、さっきの巨人の肩の例で言うと、
ジャンプをするのが無駄なことだからしない方がいいよって言ってるのと、
僕には同じに聞こえるんですよね。
僕は決してそうじゃないと思っていて、ジャンプをすることが一番大事で、
できるんであれば高いところから、高いところに登ってジャンプするのがいいっていうことで。
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両方必要なんですけど、ただ巨人の肩に乗っていないからといって、
ジャンプするのが無駄だっていうのは、僕は違うんじゃないかなと思っているっていうですね、
そんな話でした。
訳が分からないかもしれませんけど、最近考えていることでした。
最近あんまり時間がないんですけど、できるだけ音声配信をしようと思っていて、
それはなぜかというと、もしかしたら近い、もうちょっとしたらですね、
こののんびり音声配信をする時間が、僕のスケジュール上取れなくなる可能性がありまして、
それがまだ決まりではないんですけど、
僕の仕事上の業務内容がちょっと変わる可能性があって、
そうなると、この日中にのんびり音声配信を吹き込む時間が取れなくなる可能性があるので、
今のうちにできれば録っておこうと思いましたという。
はい、そんな話でした。
おしまい。ありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。
さようなら。
10:08

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