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こんにちは、いわみです。
7月2日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
今日もね、むしむしと暑いんですが、
今日は、エアコンのない部屋でね、自分の作業部屋で、いつも通り録音しているんですが、
あまりにも暑いんで、真後ろで扇風機を結構強めに回しているので、音が入るかもしれません。
一応ね、パソコンのガレージ版とか、あれを使って収録しているので、ノイズゲートというノイズを除去したりとか、
最終的にアップするときに音を上げたりとかするので、雑音とかはそれなりに消して入れる気はするんですけど、
扇風機の音とかはピンポイントで消せるような技術はないので入っているかもしれませんが、
まあ別にね、そんなに気にしていない人の方が多いと思ってですね、好きに話していきたいと思います。
といっても今日はちょっと時間が押していて、もうすぐ子供が帰ってくるので、その前に短く収録だけしておきたいなと思うんですが、
読んでいる本の話をまたちょっとしてみようかなと思います。
あのね、ブレイディ・ミカコさんのね、ちょっとうまく言えないですけど、ブレイディ・ミカコさんの本を最近よく読んでいるんですよ。
一番有名なのはあれですね、僕はホワイトで、イエローで、ちょっとブルーですよね、確か順番ね。
これが一番売れて有名で、僕も1と2と両方読んで面白いなと思ったんですけど、
そこからですね、いくつか、結構この人本をいっぱい出してるんですよね。
その前から、多分最初に出たのが子供たちの階級闘争って、この本はまだ読めてないんですけど、
基本的にはイギリス在住で、そこでアイルランド人の夫さんとパートナーと、
子供が一人ね、ダブルというかハーフの子供が一人いて、その中で気づきみたいなのを書いて、
一回多分売れてからなのか、その前からなのか、フィクションの小説も書いているんですよ。
前回僕が読んだのはリスペクトっていうですね、それはフィクションだったんですけど、
基本的には舞台がイギリスで、大体この人のテーマっていうのは核差とか、
貧しい人たちの置かれた状況に対して問題を提起するみたいな、そういうテーマが通定していると僕は思ってるんですけど、
今読んでいるのはブロークンブリテンに聞けっていうですね、リスペクトブロークンブリテンっていう本で、
これはエッセイですね、これはエッセイ集ですけど、僕が何冊かこのブレイディ・ミカコさんの本を読んで思ったのは、
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この人はエッセイストっていいんですよね、エッセイを書く人だなと思ったんですよ。
フィクションがつまんないっていうわけじゃないんだけど、
なんでこのブレイディ・ミカコさんのエッセイが面白くて、フィクションはそれほど惹かれないのかなっていうのを自分なりに分析してみたんですけど、
多分この分析は当たっているというか、多分他の人も思っているであろうことな気がするんですよね。
それをちょっと考えながら言語化してみようと思ったんですけど、
僕が思ったのは、このブレイディ・ミカコさんの本を読んで、僕らが面白いって思うポイントは、
この人もともと文章がめちゃめちゃ上手くて、すごい洞察が深いんですけど、それが最大限に生きているのがエッセイで、
そのエッセイによって僕らは何が面白いのかと思っているかというと、
僕が何が面白いのかって思っているかというと、
日本人の人がイギリスに長く住んでいて、その視点から見たイギリスのことっていうのを知れるっていうことなんですよ。
つまり、ある種のジャーナリズムみたいな感じで、報告書みたいな感じで読んでいるなというのに気づいたんですね。
だからフィクションだとあんまりそれが発揮されないから、発揮されないというかその視点がないから、
だからそんなに面白くないというか。
フィクションも確かによくできていて、すごく文章は上手いなと思ったし、構成とかもよくできているなと思ったんだけど、
でもなんかそこにね、わざとらしさみたいなのがね、それはエッセイと比べてしまうからなんですけど、
僕はイエローでね、ホワイトで、逆かホワイトでイエローで、ちょっとブルーのほうも、
それも基本的に息子さんを主人公にした主人公というかも中心に添えたエッセイなんですけど、日々のエッセイなんですけど、
それによって僕らが何を読んでいるかというと、そのイギリスのね、とある小学校とか中学校に通っている子どもが立ちはだかるというか、
ぶつかる問題とか学校のね、なんかあれやこれやとか、それによって僕らは今イギリスではこういうことが起きているんだなっていうのを疑似体験できるみたいな。
イギリスってね、僕も行ったことがないし、ほとんど情報でしか知らないわけですけど、でもやっぱり歴史的にすごい色々あった国だから、ある意味でね、
多分世界で一番進んでいる国だと僕は思うんですよね。アメリカとかもその文化というか経済的には進展しているけど、
その文化の大元としてはやっぱりヨーロッパ、中国とかアジアの文化というのももちろんあるけど、
僕らが今基本になっているのはその欧米の文化であるわけで、やっぱりその大元にはイギリスとフランスがあるんですよね。
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特にイギリスの方は多分歴史は古いから、そこでイギリス人たちの思考みたいな、それによって作られた文化とか、
学校の教育の方法みたいなのはなるほどなって、この本がどこまで全体的な事実を映し出しているのかわからないけど、
少なくとも僕が思うには日本の教育とは全く違うなっていうことをイギリスの教育には思うわけですよね。
例えば、小学校とかの授業で演劇を必須でやったりとか、社会というかソーシャルみたいなことを普通に学んで、
多様性みたいなのを当たり前のように学んだりとかそういうことですよね。
日本の学校でも徐々にそういう多様性とか、LGBTとかもっと移民の人とかに対しての考え方とか捉え方も
徐々には変わってきていると思うけど、やっぱりイギリスとかに比べるとだいぶ遅れている。
これは自分も含めてですけど、感覚が遅れているなと思うし、そういう意味でこのイギリスのとあるブライトンという街で、
多分港の街だと思うんですけど、ロンドンよりちょっと南の方にある人に近いけど、
いろいろ貧しい人とかもたくさん住んでいるという、かなり多様性のある独特な街だと思うんですが、
そういうところの状況というのは日本人の視点で見れる、日本語で読めるという、そこがたぶんブレイディ・ミカコさんの真骨頂みたいなところですよね。
だからある意味では、これは現地にいる駐在しているジャーナリストが描く視点みたいな、そういう楽しみ方を、読み方をしているなと思ったんです。
それで今読んでいるこのブロークンブリテン日記というエッセイ集の真ん中あたりに、面白い話題というか興味深いことが書いてあって、
エッセイのタイトルというかテーマは、パブVSフットボール抗争に見るジベタの社会学その2というやつなんですけど、
パブって日本で聞くとパブってちょっといかがわしい飲み屋みたいな感じがしますけど、
僕これで初めて知ったんですけど、パブの語源はパブリックのパブらしいですね。パブリックハウスが日本に入ってきて、なぜかいかがわしい飲み屋がパブと呼ばれるようになったっていうね。
今でもイギリスにもパブはいっぱいあって、そこは要するに飲み屋、居酒屋というか、みんなが地元の人が集まる飲み屋みたいなね。
赤ちょうちんみたいなことですよね。日本でいうところのね。今はそういうのはあんまりないでしょうけど、そういうことで。
それでその中に、サムウェアとエニウェアという話題が出てきて、これ僕前にも何回か聞いたことがあって、最初に提唱したのはデイビット・グッドハートさんという方が書いたことで、
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僕これポッドキャストで野村さんとかがやってるアースコープというポッドキャストで、宇野恒博さんという方がゲストで出た回で知った言葉で、その時もなるほどなと思ったんですけど、その話がここにも出てきたんですね。
何かというと、人口にサムウェアな人たちとエニウェアな人たちがいるっていう、そういう分け方なんですよ。
サムウェアっていうのは、どこかってことですね。これはだから言ってみると、どこかにずっと住む派、住む人たちっていうことですね。
それに対してエニウェアっていうのは、どこでも生きていけるよっていう人たちっていう、こういう分け方で。
言ってみればあれでしょうね。ずっと地元にずっと住んでいる人か、割とどこにでも行って住める人か、どこでも生きていける人かみたいなことだと思うんですけど。
それでね、多分このデイビッド・グッドハートさんの説だと、アメリカだったかな、イギリスだったかちょっと忘れましたけど、その比率がね、サムウェアな人が半分ぐらいいて、エニウェアな人はだいたい20から25%だっていうことを言ったらしいんですね。
これは多分昔の話ですけど、その当時の話だと思うんですけど、日本にいても大体想像つく通り、どっちかっていうとサムウェアの人のほうが貧しくて、エニウェアの人のほうが富裕層というか、どこでも生きているし、自由を謳歌しているみたいなイメージがありますよね。
まずこの区分け自体がね、結構興味深いというか、ある意味二極化してるよなって思うんですね。まだちょっと考えがよくまとまってないんですけど、まず2つ話したいことがあって、まず1つはね、自分はどっちだろうって思ったときに、一応僕は現象としては、行動としては明らかにエニウェアなほうにいるんですよ。
なぜかというと、縁もゆかりもない土地に今住んでいるからっていう、そこの一点というか、あと引っ越しも何回かしてるしとか、いくつかの場所に住んだことがあるっていうところですけど。
でもそういう人ってやっぱり結構いると思うんですけど、田舎で生まれて、学校とか仕事で東京に出てきて、そのまま東京とか郊外、関東、首都圏で暮らしている人。
で、そのときにですね、この区分けみたいなのがどこまで生まれつきのもので、どこからが肯定的なものなんだろうっていうことをちょっと思ったんですね。
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でもこれに関しては、ほぼ肯定的だと僕は思っているんですけど、今言ってて、言ったそばからちょっと変わってきましたけど、肯定的っていうのは、後から周りの友達とか知り合いとかの考え方によって影響されて、だからエニウェアな人の周りにはエニウェアが集まるし、サムウェアな人の周りにはサムウェアが集まるっていう。
もう一回言いますけど、エニウェアっていうのはどこに行っても大体生きて生きるっていう。仕事もあれですけど。
仕事っていうよりもあれですよね。僕は人間関係みたいなのも結構大きいなって思ったんですけど、それに比べてサムウェアっていうのは大体どこかに、どこかでずっと住んでいて、そこで人間関係を完結というか、ほぼの人間関係をそこで構築して、そのままそこでお空でとかをして、死ない人もいますけど大きくなって死んでいくっていうことですよね。
これのどっちが良い悪いとか、そんなのはないと思うし、それによって貧しさとか格差みたいなのもそこに現れてくるみたいなのも、僕はそんなに興味がないというか、僕はどっちかというとエニウェアな行動をしてますけど、別に富裕層では全然ないですからね。
ただ自由がいいし、住むところは自分で決めたいし、生き方は自分で決めたいなと思ってそういう行動をしているだけで、別にお金はあるに越したことはないけど、今はそんなに余裕があるわけではないというか、むしろ結構大変な思いをしているところもありますけど、話はちょっとずれますけど、多分こういう生き方をしている方が時代の流れにはついていきやすくなるというか、
例えばもっと円安がどんどん進んで、日本の国内の産業が弱っていった時にネットの仕事をできる方が、ネットから仕事を受注できる意識とか習慣を持っている方がお金は稼ぎやすくなりますよね。
いろんなところからお金が出てくるから、お金を稼げるから、会社員だけよりも、会社員にもいろいろあるから、会社員の中にもエニウェアな人というのはいると思うし、それで先天的と後天的という話をね、実は僕はそこを考えたかったんですよ。
そんなのどうでもいいと思うかもしれませんけど、僕はこの区分け自体をちょっと疑うというか、場合によって変わるよということの方が今の僕には興味深かったので、それについて話してみたいんですが、どういうことかというと、
サムウェアな人が大体人口の半分いるという、これは国によってもあれでしょうけど、結構日本でもサムウェアとエニウェアの比率を分けたら、大体倍以上にはなるというか、本当にエニウェアな人というのはたぶんね、仕事も人間関係も含めてどこでも生きていけるという人はたぶんもっと少ないというか、本当の富裕層みたいな人じゃないと、
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気持ち的にはエニウェアなんだけど、仕事するためにね、会社員で引っ越せないからしょうがないからサムウェアになっているという人もいるだろうから、そういう意味でね、50とあと2割半くらいというのは、なかなか考えられた比率だなとね。
大体予測というか、それなりの統計をとってはいるんでしょうけど、大体当てずっぽうで言っているけど、日本でもそれなりに通用する数字じゃないかなと。50%と25%だとしたら、残り25%が空くじゃないですか。その人たちはどこに行ったんだって思うんですけど、どこにも属さないというか、どっちでもあるみたいな感じだと思うんですよね。
で、この僕はどっちでもあるということに結構なんか、すごいいろんな学びというか、現象が含まれているような気がして、つまりどっちでもあるというのは、さっきもちょっと言ったように、本当はね、その性質としてはどこにでも行きたいし、どこでも生きていけるような性格をしているんだけど、
事情があって、どこかにずっと留まっているっていう人もいれば、本当はどこでも生きていける派なんだけど、今逆のこと言いましたね。本当はどこかにずっと留まっていたいんだけど、逆に状況があれで、転勤とか仕事の関係とか家族の関係でいろんなところに飛んでしまう人っていうのもいるから。
それはね、結局その状況によっても変わるし、性質によっても変わるから、なんかその辺の曖昧なところが残りの25%に含まれていると考えたら、まあなんと、なんか納得感がありますよね。
それで僕が今住んでいる高知県は、ほとんどね、たぶん7割か8割、もっと9割近くが、状況としてはサムウェアな人なんですよ。つまり、そこにずっと住んでいるっていう、土着と言ってもいいんですけど。
僕が前に住んでいたのは埼玉県なんですけど、埼玉県ではだいたいその住んでいるところの周りを見渡すと、だいたいその出身地がバラバラなんですよね。
特に子育てなんかをしていると、東北の方から結婚してからパートナーのどちらかの実家というか、住んでいる土地に引っ越してきたとか、仕事の関係でどっちも埼玉にはゆかりはないけど、今はここに住んでいるとかね。
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そういう人がいっぱいいたので、むしろこの埼玉県の近くの出身という方は比率としては少なかったですよね。でも今住んでいるところは、ほとんどが何世代ものにわたってこの高知県にずっと住んでいるという人が多いんですよ。
それは子育てをしていても、だからその県外に住んでいたことがある人というのは極端に少ないんですよね。その中で僕が何を思うかというのは、結構これはもう1年ちょっと経ちますけど、だんだん変わってきているんですよね。
最初は結構不思議な土地だなって思ったこともあるし、あまりその閉塞感とか疎外感みたいなのを感じたことはほとんどないんですけど、でも見えない何か壁というか、見えない暗黙の了解みたいなのを感じることはあって、
それは今外で働いている家族の方が、あと学校に行っている子どもとかの方が感じているかもしれないと思うんですが、これに関しては特に結論というか行き着くところはないんですけど、本の話に戻ると、このイギリスの中でサムウェアとエニアに別れる中で、イギリスはこの本が書かれたときにすごい大事件が起きているんですよね。
それがブレグジットと言われるEUの離脱がね、多分2017年、18年ぐらいに書かれた本ですけど、ブレグジットって多分その辺の時に起こっているわけですよね。
それで面白いなと思ったのは、統計をとってみると、ブレグジットを、つまりイギリスがEUなんか抜けちゃうべきだって思っているのは、どっちかというとサムウェアの人の方が多いっていうね。
もっと言うと、土着型の移民とかを受け入れたくないおじさんたちの方がブレグジットに賛成して、どっちかというとどこでも生きていける人とか若い人たちはEUに残ろうっていうね、別れ方をしたらしいんですよ。
でも結局、近差でブレグジットの賛成派が選挙で勝って、イギリスはEUを離脱して怒っていると思うんですけど。
この社会構造というか、変化が起きていることも、僕は結構これからの日本の参考になるなって思っている部分があって、どこがどのように参考になるかっていうのはうまく今、頭がまとまらないんですけど。
でもね、多様性が増してくるとか、移民が増えてくるとかね。あと、全然違う考え方の人と一緒に生活とか仕事とか学校をやっていかなきゃいけなくなるとか。
多分今もう既に起きているんでしょうけど、それでそれは地方にいるとあんまり感じにくいことではあるんですけど、だんだんこういうのが浸透してきて、人によってネットとかで過ごす時間が多い人はそういうのね、割と普通に受け入れられると思うし、僕もどっちかっていうとそういうタイプですけど。
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今日の話はテーマ設定がうまく絞り切れていないまま喋り始めたんで、あっちゃこっちゃいったような自分の中で反省がありますが、一応ね、僕が喋りたかったというか考えてみたかったのは、サムウェアとエニメーアっていうね、この考え方は面白いと思ったし、
でもその中でね、そういう比率とかどういう人がどのぐらいどこにいるのかっていうことよりも、状況によってサムウェアになっている人とかエニメーアになっている人の違いみたいなのを考えた方が面白いなってことと、
性質的にはサムウェアかエニメーアなんだけど、状況によってね、追い立てられて反対の方向に、自分の性質とは反対の生活を強いられている人っていう人も結構いるような気がして、
これは話は言わなかったですけど、結局ね、生活としてはエニメーアな生活をしている人の方が、やっぱりなんていうか、簡単に言うと強いというか、どこにでも生きていけるスキルとか考え方を持っている方がやっぱり今の時代でもこれからでも有利になると思っているんですね。
それはなぜかというと、これからは日本でも多様性とか、日本人以外の人と触れ合ったりとか、仕事する機会が増えたりとか、観光でもそうかもしれませんけど、多分僕の場合は性質的にも自分の行動的にも、どっちにしろエニメーア、どこでも生きていけるタイプだと思うんで、
それは別に一貫していると言えば一貫しているんだけど、そういう僕から見てみると、サムエアっていうのは結構これから大変になるよなっていうことを思いました。
このブレイディ・ミカコさんの本に書かれていることによると、エニメーアな人っていうのは基本的にはどこか壊れているって書いてあって、それはちょっと面白かったんですけど、つまり人としてちょっとどうかしているっていうか、もっと言うと人出なしみたいなところがあって、それがエニメーアなんて言ってましたけど、
まあそうですよね。年老いた親を置き去りにして、自分の好きなところで暮らしているわけだから、ある意味ではそう言われても仕方がないのかもしれませんけど、そうは言っても別に自分の人生なんだから、自分の好きな場所で好きなように暮らしていけばいいんじゃないかと基本的に僕は考えています。
みなさんはどうですか。みなさんはサムウェア、どこかに定住したい、どこかに住んでいたいと、一箇所に住んでいたいと思う人か、エニメーア、どこでも生きていると、どこでも生きていける派の人か、どちらでしょうか。こういうのちょっと考えてみると面白いのかもしれないと思ったので話してみました。
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はい、終わりにします。ありがとうございました。良い一日をお過ごしください。さようなら。