00:05
こんにちは、いわみです。
5月15日の水曜日、いかがお過ごしでしょうか。
僕のApple Watchをもう2,3年使っているんですけど、これね、便利なんですよね。
スマートウォッチを使っている方って今増えていると思いますけど、僕はApple Watchを使っていて、何が便利かというと、
あと、いろいろありますけど、今日思ったのは、心拍数を勝手にモニタリングしてくれる機能があるんですけど、
1分間に何拍とか、それをもとに病気というか、脈のリズムが一定か一定じゃないかみたいな、
そういう判定もしてくれる機能とか、いろいろあるんですけど、
今日、普通に過ごしていたら、昼前ぐらいにApple Watchがプルッと震えて、トレンドに変化がありましたというのを教えてくれるんですね。
トレンドというのは、いろんなトレンドがあって、最近運動量が減りましたよとか、
他にも階段を登り降りしている量が減りましたよみたいな、そういうのがあるんですけど、
ちなみに、僕は引っ越して2階建ての家に引っ越したわけですけど、
それまでは集合住宅の1階だったので、階段の登り降りに変化がありましたというのが、
ちょうど引っ越してきて1か月後ぐらいに、1年前ぐらいですけど、教えてくれたりとか、だから結構測定は正確なんですよ。
それで今日のトレンド変化は何だったかというと、心拍回復数のトレンドに変化がありましたというのを教えてくれたんですね。
心拍回復数って僕が初めて聞いたので調べてみたんですけど、運動中に心拍数が上がって、
それがどのぐらい早く回復するかというのを示した数値らしいんですね。
つまりこの心拍回復数が多ければ多いほど、健康というか心拍機能が正常というか強いということを意味するわけですね。
ちょっとおかしいなと思ったのは、心拍回復数が下がりましたということなんですね。
グラフで推移を見ることができるんですけど、今年の2月とか3月ぐらいに心拍回復数がすごいぐわっと上がってて、
ここ7週間だから2か月ぐらいですよね。2か月弱ぐらいで下がった。
これ変化があったってことが僕にとっては重要なわけですけど、何で重要なのかというと、
ちょうど2月、3月なんですけど、このラジオでも何回か話しましたけど、僕は怪我をしたんですよね。
03:03
調子に乗って走りまくってたら肉離れを起こして、本当にまるまる1か月ぐらいですね。
ろくに走れなかったっていう。歩くのに不便をしたのは本当に2、3週間だけど、
でも本当にジョギングができないのを1か月近く続いたんで、その間運動不足になったんですね。
それでその間の心拍回復数がやたら上がっているっていう。
心拍回復数が高くなるっていうのは心臓が元気になっているってことだから、
それはちょっと何かの測定に心拍回復数っていうのは本当はもっとピークまで
心拍数を上げてから回復させるっていうのを測るデータだから、
ジョギング程度、とは言っても心拍数1分間に140とか50とかなるときもあるから測れるとは思うんですけど、
それがなくなったから正しく測れなかったっていうのはあるかもしれないけど、
でも心拍数がその間、たぶんデータとしては逆だけど、怪我をして動けない間、
心拍回復機能が下がってたと考えると、ここに来て怪我をして心拍回復が下がってた。
3ヶ月目にしてようやくそれが回復してきたんだって思うと。
確かに僕も実感としてようやく怪我する前の状態に戻ってきたなっていう感覚があるから、
それ実感とも合うわけで、ちょうど怪我していた時期ともぴったり符号するので、
なるほどなって思ったわけですよ。
別の視点で言えることがあるとしたら、体の状態っていうのは感覚値だけじゃなくて、
数値で表してみるとより客観的に見れるし、数値だけで見るのもちょっと頭でっかちというか、
合わない場合もあるけど、感覚値と数値を両方照らし合わせて、
こういうことなんだなって思いながらやっていくっていうのは合理的だし、
モチベーションにもなるしっていうことはあるなと思っています。
昔の人は、装置がなかった頃は本当に自分で脈を測って、
1分間にいくつってやっていた人もそんなに多くはないだろうけど、
でも本なんか読んでいると、そうやって測っていたっていうね。
特にランナーとかはみんなそうですよね。
ちゃんと血圧計とかバンドをつけて走る前と走った後で測ってっていう、
ちょっとしたイベントというか意識してやらなきゃいけなかったわけだけど、
それが今は腕時計をしているだけで測ってくれるっていうのは便利だなと思いますね。
どの程度信憑性があるのかって多分僕もつける前には思っていたんですけど、
結構信憑性があるというか。
これ多分どうやって測っているのかって、
06:02
前にちょっとだけ調べたことがあってうる覚えなんですけど、
ただ単に物理的にそのトクトクってやつを感じ取っているだけじゃなくて、
この腕時計のアップルウォッチの裏に赤外線がついていて、
それで血液の流れをモニターしているらしいんですよね。
ちょっとぐらい腕時計が緩かったりとかしても、
割と正確に測れるみたいなことなのかなと思っていますが、
でも自分の心拍数というか健康状態みたいなデータをモニタリングするっていうのは、
一回やっちゃうと癖になるから、
これ多分アップルウォッチ壊れたり使えなくなったりしたら、
多分またすぐ買ってしまうんだろうなって。
今のところまだ睡眠時間とか寝ているときにはつけたりしていないので、
そこまでやるようになると、
睡眠の筆とか、睡眠中の心拍数とかいろいろ測れるやつ、
指輪型のオーラリングだったから、
ああいうのをつけると、
寝ているときもずっとつけられて測り続けられるっていうアップルウォッチにもあるらしいんですけど、
寝ているときの腕時計をするというのはちょっと僕はまだ抵抗があるので、
寝るときは外して充電していますが、
話は変わりまして、ちょっとだけ本の、読んでいる本の話をしようかなと思います。
もう10年以上前の本だと思うんですけど、
リーダーシップの旅っていう本があるんですよ。
結構名著というかいろんなところでいろんな人が紹介をしていて、
多分前に読んだことあるような気はしたけど、
あんまりにその時はひび割れがあって、
ここ最近何人かというか紹介している人がいて、
また気になっていたんですよね。
ちなみにこれはデータを見ると、
公文社から2007年に出ている。
だから17年前。
すごいですね。
17年前にあったんですよね。
著者が一応2人いるんです。
野田本義さんと金井俊博さんが書いたリーダーシップというか、
マネージメントに関するどっちかビジネス系の本ですけど、
最近ボイシーでブックカフェの荒木さんがですね、
これのリーダーシップの旅の回をやっていて、
その前にも誰だっけな、
多分ボイシーで粋早さんがこの本の話をちょうどしていて、
前に読んだなってでも内容を忘れちゃったなと思っていたら、
オーディブルで、最近僕は9回から復帰してまた聞き始めているんですけど、
オーディブルでリーダーシップの旅が出ているんですよね。
だから耳で聞きながら、
5時間ぐらいかな。
もうちょっとあった気がしますけど、
まだ今聞き途中なんですが、
聞いていて、
初めの方というか、
細かい内容はですね、
読んでもらうとして、
僕が最初にリーダーシップに関しては、
細かい内容はですね、
読んでもらうとして、
09:01
僕が気になった部分というか、
なるほどと思った部分だけを、
触れてみますと、
リーダーシップというのは、
思っているのとこれは違うよというのが、
本の要点なんですね。
リーダーへは偉大だというのは幻想に過ぎない。
リーダーシップとかリーダーというのは、
あらかじめ準備されたものではなく、
一人の人間が冒険を始めるようなものだというのが、
リーダーシップの旅という、
本の言いたいことなんですけど、
それで、
その中に、
リーダーシップというのは、
状態じゃなくて、
能力じゃなくて、
ちょっとごめんなさい。
リーダーシップというのは、
能力、スキルじゃなくて、
状態のことだということを書いてあったんですね。
ちょっと細かい表現は違っているかもしれませんけど、
どういうことかというのを、
僕なりに神くだいというと、
よくリーダーシップというのは、
持っている何かができる、
速く走れるとか、
心配機能みたいな、
能力というのは、
持っている機能みたいに思われがちだけど、
本当はそうじゃなくて、
リーダーシップというのは、
行為そのものだという、
状態と書いてあった気がしましたけど、
なんだよということを書いてあったんですね。
どういうことかというと、
誰でも、
リーダーシップというのは、
リーダー的な行動を取ったときに、
それはリーダーシップになって、
それを取っていないときには、
誰でもリーダーじゃなくなるという、
つまりだから、
この本の中に書いてあった例として、
子供が何人かで遊んでいて、
誰か一人が、
新しい遊びをどこかで覚えてきて、
なんとかかくれんぼでも、
鬼ごっこでも、
新しい遊びを、
どこかで覚えてきて、
それをやろうぜってみんなで言って、
こういうルールがあってって教えて、
みんながそれを面白いじゃんって、
じゃあやってみようってなったときがあったとしたら、
それを教えた人は、
その瞬間はリーダーであり、
リーダーシップを発揮している、
ということなわけですよね。
反対に、
例えば大企業の社長とか部長でも、
リーダー的な役割を与えられた人でも、
リーダーじゃない振る舞いをしているときは、
リーダーだとしても、
リーダーに振る舞いをしているときは、
役割に関係なく、
それはリーダーとは違うっていうような、
それがこの
リーダーシップの旅っていう本の最初の方に
紹介されていて、
なるほどなって思ったわけですよね。
確かにリーダーシップって、
あんまり一般人というか、
普通に暮らしていると、
縁が遠いものと思われがちだし、
僕もそんなに意識したことはなかったけど、
でも多分、
欧米とかアメリカとかの
学校だと、
割とリーダーシップっていう、
科目があるみたいなことを聞いたことがあるし、
12:01
多分ビジネス系の
ビジネススクールみたいになると、
必ずリーダーシップっていうのを
習うっていう話を聞いたことがありますけど、
要するにそれは、
資質じゃなくて、
スキル、
この本ではスキルじゃなくて、
それよりももっと細かく、
瞬間的な状態なんてことを
言ってたわけだけど、
ちょっとあれですよね、
あれに似てますよね。
親になることにちょっと近いのかなって、
僕はこの本を読んで思ったんですけど、
親になる前は自分が親になるなんて、
ちょっと想像もつかないし、
子育てをするなんて、
どうしていいか分かんないけど、
その状態に置かれちゃうと、
できるようになるというか、
もうやんなきゃいけないから
やるようになるし、
その結果として、
なんとなく親っぽくなるというか、
ならざるを得ないというか、
状況に押されてなるっていう
ことでしたよね。
だからこの本にも、
親のことは書いてなかったと思うけど、
リーダーシップとして、
別にリーダーはなろうとして
なるわけじゃなくて、
結果的に旅の過程で
リーダーと呼ばれるようになるんだみたいな、
そういう書き方がしてあって、
ちょっと能力ではなくて
状態だっていう、
この対比みたいのを読んだときに、
何かに見覚えが、
聞き覚えがあるなって思って、
それもちょうどね、
読んでいた本、
いろんな本を僕は
同時並行で読んでるんですけど、
本に書いてあったことと
ちょっと近いなと思って、
その本がですね、
これも何年か前の本ですけど、
ブレイディ・ミカコさんの有名な本、
僕はイエローでホワイトで
ブルーっていう、
これ黄色い本、
読んだことある方も多いかもしれませんけど、
僕前に読んで面白かったんで、
図書館でまた借りてきて、
今ちょっと読んだんですけど、
その本の中に
シンパシーとエンパシーっていうね、
対比のことが書かれているんですよね。
真ん中編の話だったと思いますけど、
確かこのシンパシーとエンパシーは、
でも、
この本の第2作目というか、
第2部というか、
続編みたいなね、
緑色の、
イエローでホワイトでちょっとブルーの、
第2巻にも書いてあったような、
記憶がありますが、
それはともかく、
そこで書かれていたシンパシーと
エンパシーの違いで、
この場合はシンパシーという、
共感と言われますけど、
これは心的な状況、
感情みたいな状態であるのに比べて、
エンパシーというのは、
感情移入とか、
自己移入というふうに訳されますけど、
エンパシーの方は能力であるっていうね、
ふうに書かれていたんですよ。
だからリーダーシップのあれとはちょっと、
なんていうんですか、
テレコというか、
逆になりますけど、
リーダーシップは能力じゃなくて、
15:01
状態だよって、
この本では書かれていたのに対して、
ブレディ・ミカコさんの本だと、
シンパシーとエンパシーの対比として、
シンパシーは、
感情、
心情、
感情的な状況であるのに対して、
エンパシーというのは、
スキルというか、
身につけられる能力だよっていうことを
言っているわけですよね。
この能力と、
瞬間的な状態とか、
心的状態の対比ですけど、
僕ここでもう一つ、
観点を付け足してみたいというか、
ふと思ったことがあって、
そのもう一つが何かっていうと、
傾向っていうか、
傾向って、
傾向と対策の傾向ですけど、
こういう傾向があってっていう、
さっきの対比でいうと、
シンパシー、
心の状態でエンパシーが
能力であるっていうと、
その状態っていうのは、
傾向とどう違うのかなって思ったんです。
同じなのか違うのかなって思って、
結論から言うと違うわけですけど、
これ全然違うんですよ。
これ全然違うんですよ。
これ全然違うんですよ。
結論から言うと違うわけですけど、
これどう違うのかなって考えてみたことを、
ちょっと自分なりに考えたことを
話してみたいんですけど、
皆さんにもちょっと質問というか、
投げかけてみたいんですけど、
その瞬間的な状態と能力と、
それと傾向っていうのは、
それぞれどんな特徴があって、
どういうふうに違うと思いますか。
これを考えてみるのは、
何といっても、
自分なりに考えたことを
話してみたいんですけど、
これを考えてみるのは、
言葉の理解だけじゃなくて、
物事の捉え方に
ちょっと役に立つような気がしたので、
投げかけてみたんですけど、
シンパシーを感じるっていうのは、
瞬間的な状態ですよね。
自分に近い人とか、
自分の考え方と
同じ人に出会ったときに
シンパシーを感じるっていう。
これは明らかに傾向とは違いますよね。
これは明らかに傾向とは違いますよね。
これは明らかに傾向とは違いますよね。
これは明らかに傾向とは違いますよね。
それに比べて、
エンパシー。
自分とは違う状況の人に
自己移入というか、
感情を移入して、
その人のことを想像してみるっていう。
ここでは能力と言われてましたけど、
その能力とか、
そういうスキル、
何て言うんでしょうね、
行為ですよね、この場合は。
自己移入をしてみるっていう、
動詞というか、
それと傾向っていうのは
何が違うんだろうなって、
僕は思ったんですよ。
何でそんなこと思ったのか忘れましたけど、
でもなんか傾向とも
ちょっと近いような気がするけど、
でもやっぱり違うし、
その違いは何なんだろうなってことが
気になったので、
今考えながら喋っているんですが、
結論としてというか、
今のところ僕が思ったのは、
傾向っていうのは、
18:01
その瞬間的な状態で
その状態と
持っている能力との
中間ぐらいだなって
思ったんですよ。
両方に共通している部分っていうか、
両方の真ん中ぐらいにあるね。
それがどういうことかと言いますと、
シンパシーとエンパシーの対比で言ったら、
あの人はね、
共感力が強いとか
言いますけど、
でもその共感力が強い人のことを
傾向、
共感力が強い傾向があるとは
ちょっと言わないですよね。
何となく意味は通じるけど、
状態と傾向っていうのは
何て言うんだろう、
間違いがあるとしたら
時間的な回数の頻度の問題
みたいなことだと思うんですけど、
で、エンパシーをね、
使えるっていうか、
能力だとしたら
エンパシーの行為が
できるっていうのも
それも
傾向とは違いますよね。
あの人はエンパシーのね、
用いる傾向があるみたいなことは
多分言葉として
言わないと思うんですけど、
でもこれも何ていうか、
意味的には
エンパシーを多用する傾向がある
みたいなことは
何となく言っている意味は
わかるじゃないですか。
別の対比というか、
最初に持ち出したのリーダーシップの話で
言うと、
リーダーシップが
能力ではないと
言ってましたけど、
リーダーシップが能力だとすると
リーダーシップの
強い人だっていうのは
これも傾向、
リーダーシップが強い傾向がある
とは言わないし、
リーダーシップが状態だとすると
リーダーシップをね、
取りがちな傾向があるっていう。
これも何とかちょっと意味は
外れるけど、
何となくね、
当たらず、
もう遠からずというか、
それじゃあ逆にというか
反対にというか、
傾向っていうのはどういうときに
使う言葉なのかなっていうのを
考えてみると、
例えば僕の場合は
何でしょうね、
割とその論理的に考えがちな
傾向があるとか、
何でもね、その言葉で
説明したがる傾向があるっていう。
これは傾向ですよね。
それが何を意味しているのか
というと、
その一つの瞬間的な行為を
よくやるっていう、
回数の頻度の分布の問題ですよ、
これね。
そう考えると、
その瞬間的な状況とか行為を
続けていくと、
それが傾向になって、
その傾向がずっと続いていくと
能力というかね、
高級的な永続的なものになるのかなと。
マザーテレサの言葉に
ちょっと通じるものがありますね。
思考が行動を作って、
行動が人格を作って、
人格が運命を作るでしたっけ、
もっと刻みがあった気がしますけど、
21:01
まあね、
最小単位からだんだんその行動とか、
その継続的な傾向とかになっていって、
確か傾向もありましたよね、
マザーテレサの言葉の中にね。
それが続いていくと、
人格になったりとか運命になったり
っていうね、
そういう傾向があって、
そういう傾向があって、
人格になったりとか運命になったり
っていうね、
するっていうことで、
だからその思わぬところで、
なんて言うんでしょうね、
2つの話が繋がったなっていう、
今日の話はそれなんですけど、
リーダーシップっていうのは、
僕らが、
僕らというか、
僕が思っているのに、
思っているのとしては、
人格とか運命までいかなくても、
人格に近いものはあるなって思いがちだけど、
この
本の
リーダーシップの旅の本からすると、
それは
リーダーシップというのが、
人格っていうのは、
幻想であって、
もっと細かい単位の行動とか、
もっと言ったら思考ぐらいの単位が
リーダーシップなんですよっていう、
それがリーダーシップの旅っていうね、
旅になぞられているわけだけど、
その思考とか行動が
ずっと続いていくと、
それが結果として
リーダーシップというふうに呼ばれるようになる。
この対比というか、
この思考のフレームワークみたいなのは、
他のいろんなことにも
応用できる気がして、
物事の最小単位に分けて、
それが続くと
呼び方が変わっていって、
それがずっと続くと、
人格とか運命っていうね、
なるけど、
でも元はといえば、
一つの最小単位みたいなのがあって、
それを継続していくと、
その捉え方がね、
言い方を変えると、
捉える視点によって
呼び名が変わるみたいな、
魚でいうとあれですよね、
ブリがカンパチとかね、
ワラサでしたっけ、なんだっけ、
分かんないけど、
なっていくのとは、
それとはちょっと違いますけど、
名前が変わるって意味では、
ブリとカンパチは同じ
魚の成長系であるという、
うまくまとまってませんが、
そういうことを思ったということを
今日は話してみました。
割とダラダラ、
ダラダラ喋った気がしますが、
お聞きいただいてありがとうございました。
今日も良い一日をお過ごしください。
さようなら。