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メタ音声配信ラジオ、こんにちは、いわみです。
4月20日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
4月も、もう後半に差し掛かってですね。
今日は、関東は、夏日。
25度ぐらいあるみたいですけど。
僕も、今日はTシャツで過ごしています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
さあ、今日の話はですね。
Facebookが嫌いな理由という、いきなりなんだよと思うかもしれませんが、そんな話をしてみたいと思います。
Facebook、皆さん使っていらっしゃる方も多いと思いますが、
どうですか、今でも投稿したりとか、人の投稿をチェックしたりっていうのはやっていらっしゃいますかね。
僕は元々、アカウントは一応持ってますけど、
多分、Facebookに自分で投稿したことは一回もなくて、
なぜかブログと連携してあるので、ブログの更新みたいなのがたまに行くみたいですけど、
繋がっている人も、リアルの友達で繋がっている人は数人で、
多分その人も投稿しないので、僕は見ていなかったりとか、
それは別にただ僕がFacebookとあまり関わっていないっていうだけなんですけど、
よく考えてみると、こういうものがあまり好きじゃないんだなっていうことに思い立ったので、
それについて考えて喋ってみます。
こういうものがっていうのはどういうことかというと、
一言で言うと、ドメスティックなものがあまり好きじゃないっていうことなんですよね。
つまりですね、僕は同じSNSでもTwitterは割と好きなんですよね。
Twitterは別に見ているだけでも楽しいし有益だなと思うんですけど、
Facebookは時間を無駄にしている感がすごくあって、
この違いは何かっていうと、これはSNSの特性、アプリとしての特性というよりも、
繋がっている人なのかなっていうことも思うんですけど、
Facebookってだいたい自分の知っている人とか、
何かしらのリアルの繋がりがある人と繋がると思うんですけど、
それでだいたいそういう人たちの日常を垣間見ることになると思うんですよね、僕の知る限りは。
でもそんなこと別に知りたくないじゃないですか。
これは僕だけなのかもしれませんけど。
ちょうど今僕が読んでいるスマホの面白い本を読んでいるんですけど、
これは人がスマホばっかり見るようになった現代人は、
だんだんおかしくなっているみたいな。
読んでいる途中で今度改めて話してみようと思うんですけど、
その中にこういう本の中に書いてあったことがあって、
Facebookが世界で一番使われているアプリなわけですよね。
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多分20億人以上。
日本だと多分Twitterとかとそんな変わらないかもしれませんけど、
世界だと完全にFacebookがまだ独断上というかトップなわけで、
それの大きな理由の一つに人間には本能的に隣人というか、
自分の近しい人が何をしているのかという知りたい欲求があるというふうに書いてあって、
Facebookがそこをうまくついたということを書いてあったんですね。
あと面白いのは、いいねというのを発明したのもFacebookらしいですけど、
そのいいねを発明したFacebookの元幹部の人は、
それをすごく後悔しているみたいなことが書いてあって、
ちょっと面白いなと思ったんですけど、
本当に人を虜にしてしまう魔性のアイディアを世に送り出してしまったみたいなことを、
Facebookのいいねを発案した人はどこかで発言したことがあるみたいです。
それはいいとして。
人間にはもともと隣の人というか、自分が知っている近しい人が何をしているのかという、
生活を除き見ることにもともと根源的な欲求があって、
それを見ることでドーパミンなり何なりの放出系の物質が分泌されるということらしいんですよね。
それが放出される理由というのは、
昔の原始の時代の人間は、それがすることが生存に必要だったということが書かれていて、
昔の人たちは150人くらいの村単位で過ごしていて、
他の人が何をして何を考えているのか知っておくと知らないだろうという、生存にするのに。
村八部みたいなのは、ほぼ死を意味したような時代には、
そういうのはすごく重要な情報だったわけですけど、
今ではそういう世界ではないけど、
人間の体とか脳の構造というのはその時と同じような機能をまだ残していて、
Facebookというのはそれをうまく利用してですね。
だから何を言いたいのかというと、
今の時代で自分の友達とか知り合いとか会社の人が何をしているのかを逐一調べることはですね、
どう考えても幸福にはなれないんですよ。
本にも書いてありましたけど、
見れば見るほどFacebookを使っている人ほど孤独感を感じているみたいなのがあって、
だから僕がFacebookを嫌いな理由というのは、簡単に言うと無意味だからということなんですけど、
なぜ無意味なのか、どう嫌いなのかというと、
それがスマホの本に書かれていたことによってというと、
間違った、現代にそぐわない人間の機能をつつかれているような気がするからという、
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その不自然さがあるんじゃないかと思ったんですよね。
つまり僕にもですね、やっぱり友達とか知り合いがどこに行ったとか何をしたというのを見ると、
なんか無意識的に目が行ってしまうところはあるんですけど、
でもそれを見た後で別に自分に何の意味も、何の効果もないし、
必要もないという、割と自己嫌悪に陥ることって、
こういう経験ってどのあたりにもあると思うんですけど、
そういうのを繰り返していくと、そういうのに嫌悪感が出てくるようになるんですよね。
だからミクシーとかも同じでしたけど、僕ほとんどやらなかったんですよね。
ミクシーの時は20歳くらいだったかな。
ちょこちょこっと、その時もあれですね、知り合いの人の動向を見たりして、
俺何をやってるんだろうって思った経験はありますけど、
そういうのがだんだん経験値として残ってきて、こういうのは触れないほうがいいなって思った。
Twitterは僕はSNSというよりは情報収集のツールとして使っていて、
自分で発信するようになってからは自分の発信力のツールとして使っているということですね。
それで最後に音声配信はどうなんだってことについて考えてみたんですけど、
不思議なことに音声配信も別に僕の日常とか、他の人の日常とかを話しているわけですけど、
音声で聞く限り無意味なことをしたって思わないのが不思議だなと思っていて、
おそらくですけど、この僕の配信を聞いている人ですね。
僕のことをリアルで知っていようがいまいが、これを聞いた後につまんねえなと思う人はいるかもしれませんけど、
無駄な時間を過ごしてしまったなっていうのはちょっと違うんじゃないかなって僕は思ってるんですよね。
少なくとも僕はどなたかの配信を聞いて、話つまんねえなって思うことは正直ありますけど、
それで無駄な時間を過ごしちゃったなっていう、自己嫌悪に陥ったことは多分一度もないと。
これは何なんだろうなって思うと、声の特筆とか何かをやりながらだったりっていうのもあるんでしょうけど、
何でしょうね、これに関しては分からないですけど。
テキスト、写真とかのSNSと音声による発信というのはですね、
何かその人にもたらすものが違うんじゃないかっていう。
今僕これ喋りながら思いましたけど、ここ結構重要なポイントですね。
Facebookは時間を無駄にしている感があるけど、音声配信はそれがないっていうのは、
これはちょっと考えてみる価値があるなと思いましたが、最後にこんなですね、問いを残して終わりにするっていう。
なんか歯切れの悪い放送になりましたが、終わりにします。
本日もお聞きいただいてありがとうございました。
良い一日を過ごしてください。さよなら。また明日。