第1巻『春の雪』の魅力
今回はですね、最近、豊饒の海という三島幸男という作家の長編小説を読み終わりましたので、読む作家ってなかなか長かった。せっかくですから、コメントを何か残しておこうということで。
この小説は4巻に分かれておりまして、非常に長い小説でしてね。原稿紙3000枚近くあるらしいですけど。
とにかく、なかなか読むのに時間がかかると思うんですけど、面白いと思う場合はかなり早く読めると思うので。
私も採読なんですけどね。結構前にその採読で読んだんですけど、
結構ぐいぐいと、だんだん巻を進めるごとに面白くなっていって、どんどん読めたっていう感じなんですけど。
これについてね。第1巻、春の雪、次は本場、次は赤月の寺、次は千人五水という4巻でありますけど、
1つそれぞれの巻ごとにコメントをしていって、最後に総合的なお話をさせていただくと思います。
ということで、今回もよろしくお付き合いいただければと思います。よろしくお願いいたします。
まずはですね、本場のみ第1巻、春の雪のお話をさせていただきたいと思います。
春の雪というお話では、大正初期の貴族社会を舞台に破滅へと運命づけられた激的な愛を豪華優雅絢爛たる筆に描くという、文化本の後ろに書かれておりますけれど、
こういうね、ラブストーリー、恋愛物語が展開されるという、まことに天仮名ね。
ヒッチと天仮名、ステーマで、天仮名時代にこう、なかなか恋を描くという、日本文学の王道を行くような、まるで現地物語の世界が近代に蘇ったかのようなね、
そういう術であると思われますけれども。私はこれは、初めて読んだときね、この前に初めて通読したときに、
三島由紀夫らしからぬ、一見ストレートな、非常に端正な、感性を目指したような、非常にど真ん中に立ったり直球を繰り出したような、ストレートを繰り出したような小説であって。
この小説は、私はもう完全に三島由紀夫の志向だし、この四部作が異作だということはわかっておりますから、包丁味が三島由紀夫の異作でありまして。
はい、これは本当に最後の小説と終わっていたので、どんなものを繰り出してくるかと思って読んだんですけど、
それまでにも三島由紀夫の小説は何とか読んだんですけど、
この小説を読みまして、非常に意外とストレートな感じで思ったんですね。
しかし読み通すと、これはもう何か完全な、ある種の感性されたテーマについて、非常によくできた、課金のほぼないような小説であって、感銘を受けた。
この感性との用意というのは感銘を受けたという小説でありまして。
この春の雪はかなり、この春の雪を読んだ後にかなり間が空いていて、
この春の雪は採読についてもかなり間が空いていった前の話になっているんですけども、
もう1年前とかになるのかな、採読したのは。
ソンバーなどは最近にバーッと読んだんですけど、ソンバー以降は読んだんですけど、
この小説を見たときにちょっと感動のあまり落塁しましたね。
落塁しましたけれども、なんでかよくわからないところで落塁してしまって。
この作品自体の象徴性というか、出てくるモチーフ、象徴というか、シンボルがモチーフ、メタファー、
こういうのが非常に目につきまして、これもかなり匠れた小説だったんだなと。
やはり4巻読んだ後の採読では、かなり気づかれされたっていう感じがありまして、非常に加盟があったんですけども。
まずこの小説は、本田茂国というか、松垣清明と本田茂国が出てきましてね。
綾倉佐徳子が出てきまして、タイのシャムの王子たちが出てきたり、
あとは井沼とかも出てきまして、非常に基礎だなと。
この象徴の基本となる人とかテーマがね、有識思想とか輪廻転生とかも出てきましてね。
タブーを破るとかそういうことも出てきまして、天皇的なものも出てきまして、テーマも出てきまして。
それが天下の文体で書かれている。
文体は一番4巻の中で非常に豊かな、ふっくらした文体だと言われてるし、私もそう思いますけども。
かなり丁寧な文体でありまして。
山場ではちゃんと盛り上げる山場ですよ。
僕がラグレーしたのはですね、佐徳子と清明が関係を持つみたいな、初めてかな、関係を持つようなところかな。
そこで非常にね、色っぽい場面なんですけど、全然福島もそんなに色っぽさを、
流刻とかは別ですけど、あんまり書かないかもしれない。
ちょっと男女の色っぽさって言うとなかなか、あれなんですけども。
その部分の色っぽさというか、非常にね、変な話ですけど、
刑事証学的というか思想的な、非常に、いわゆるラブロマンスみたいな感じじゃなくてね、
非常に思想的なものと描写が合体してるようなね。
禁止とか審判とかそういうものと、恋愛のですね、そういうものと。
宮、天皇のご子息っていいのかな、親類の方、後族の方と佐徳子が婚約した後に関係をちぎるわけですけども。
松垣清明が。そうすると、完全に審判してるところにタブーを犯してるところ、破ってるところにね。
タブーを破るためにあるなんてことも言われますけども、本当にタブーを破っちゃうんですね。
これ、2人が全てを投げ打つ覚悟で、清明もそうですけど、佐徳子ももちろんかなり覚悟の上で審判をするっていうところでね。
なんか非常に変な話ですけど、トリスタンとイズレレだとか、ワーグナーのヒレンの話を、これは完全に意識されたものでしたと思ったんですね。
バタイオとかもあるでしょうけど、やっぱりワーグナーのトリスタンとイズレレでの感じというか、大いなる愛みたいなところをタブー。
大いなる愛と言うと温かいものでしょうね。何と言うか、悲痛な愛することがその二人の破滅に繋がるような愛みたいな。
それが2人を超人的な存在にするっていう場面だと思うんですけど。
ある種のドストイスキーでもそういう場面ありますけども、タブーというか、ドストイスキーの場合はかなり聖書的世界との交通みたいな感じで、
形状的なものと現実的なものを繋ぎ、無理矢理というかかなり巧妙に繋げる素晴らしい場面がドストイスキーにありますけども、
そういうことを春の霧は山までしているということで、思わず落霊みたいな感動みたいな感じにしましたけども、
芸術的感動って感じだと思います。もちろん切ない悩むようにも感動したんだと思うんですけども、そういう記憶があります。
いろんな花とか鳥とかの、聞いたことのない花とか、僕はあんまり知らないですけど鳥とか花の名前とかが出てきて、
何らかの象徴なんだろうなーとか思いつつ、いろいろな挟まれるエピソードとかも、
いろんな巧妙な深い意味があるんだろうなーとか思いながら、非常にまた読み返してみたいと思われる。
本当に感性の高い小説でありました、と思いました。
まあ感性の高いっていうか、そりゃあ感性の高いだろうというお救いを受けるが十分だと思う。
私の正直な感想として、これは非常にいろんな仏教思想なども退廃しますし、
廃退しますし、埋め付けられますし、だんだんそれが徐々にアートになって効いてくるんですけども、そういう部分はあって。
第2巻『本場』の特徴
非常にいろいろなモチーフがうまく調和した、非常に感性の高い作品と思われます。
この作品はかなりエピソードも生き生きとしていて、非常にエンターテイメントなものになっていると思います。
非常に皆さんにお勧めする方が多い。この作品がいいという方とかお勧めする方が多いんですけども、
本当にその通りの反応だろうなという感じが出します。非常にそういう作品でございます。
1巻の小説としても面白いし、4巻の1巻目としても面白いという、そういった文学だと思われます。
次に2巻目の本場についてお話していただきたいと思います。
2巻目の本場は、本田市議組が裁判官に最初なりまして、
司法官、裁判官になって結婚をしていたら、
犬を取るという、気を上げる、生まれからなんじゃないかって、
市議組が思う、そういう本田が思う人間と会いまして、
その市議組と本田の交流とか、犬はイサオの行動というかね、
過劣な行動、かなり民族的な思想と信念を持っていて、
テロリズムを起こすという、継続的に失敗したけども、
また最後に反殺を追加して辞任するという、
そういう物語を展開しております。
この話はですね、結構春の雪やりは最近に読んで、
春の雪から結構経ってから読んだのに、最近ってことになるんですけども。
この話先はですね、1巻がタウヤ巡り、女性的なものだとしたら、
2巻はアスラオブリス、男性的なものだと本人が言っていたそうで、
確かにちょっと文体が違うかなって、かなりシャキッとした、
硬い感じになってるかなって感じがしますし、
内容もかなりアクションのようなものがあるというか、ワイヤレスなものがあるというか。
何か過剰なものはないですけども、かなり磨き抜けれた、
研ぎ澄まされた感じの文学ということで、非常によくできてるという感じがするんですけども。
この小説は、2回目に読んだ感想はですね、
かなり工夫してあるというか、ひとつじゃないといかないなという感じがしまして。
これもエンターテイメント性もありますし、かなり思想的な面もありますし。
途中に真風霊秘話みたいなものがありまして、
そういう小説誌の中に入ってるみたいな、あれもありますし。
あと最後のほうに、儀局形式のような、
とがきのような裁判のシーンとかもありまして、
文学的にもかなり工夫してるなと。
政治的なものもね、かなり面白い政治的な、思想的な文脈の文章とか一文とかもありました。
結構面白い。
ハニア豊かなどにくっつけて考えたような、引き寄せを考えたような文章がありました。
非常に面白いなと思いましたね。
1読目はこういう感じかと思って読みつけましたが、2回目はかなり凝ってるな、これも。
全部凝ってるんですけど、これもかなり凝ってるなというかね。
シンプルな秘話もそうだし、全体的にね。
ありまして、人の名前とかもかなり凝ってるし。
凝ってる凝ってる、あれですけど。
キコとかもいますしね。面白い系あるわけです。
サワーとかもいますし。面白かったですけども。
あんまりアクションないなという感じがしました。なんとなくですけど。
あんまりアクションを抑制して、最後の大アクションにコードに繋がるっていう話なんだろうなとは思いましたね。
そうですね、後で言うんですけど、ソウジョノビ全体的にアクション少ないっていうか、エンターテイメント性という感じじゃないし。
エンターテイメント性じゃなくてもアクションあると思うんですけど。
コード、結構ね、総集文というか字の文が多いような感じもしたんですね。
会話もそこまで長い会話を、美しい星とかドストリスキーの星とかとは違くて、長い会話をバーッてやるとかもあんまないです。
あるときはあるんですけど。
井上さんの最後の長ゼリフとかもあるんですけど、
そういうかなり欲的な部分もあるんですけど、セリフでミサイルみたいなのもあるんですけど。
政治劇とか心理劇というかね、全体的に心理劇の部分が多くて、かなり巧妙な展開になっているという感じが受けましたね。
またアラミタマというのも手間になっているようで、かなり荒々しい心みたいな。
あんまり他の漢字は見れないもんね。
その凶暴というか、すごい荒々しい怒りとかそういう感情とか、すごい熱い感じ、情熱みたいなところを書いてるというのもありました。
面白いなと思ったんですけど、これはまたちょっとよく読まないとわからないなと思って、非常に面白かったです。
シンプルに政治小説として読んでも面白いし、政治とか考えなく小説として読んでも面白いし、よくできている。
文量も一番長いぐらい長いんですけど、非常に面白い小説です。
面白いことしかいっぱい言ってないですけど。
すごい調べたり、研究書でもいくらでも研究できそうな、いろんな要素が入っている小説だと思います。
かなりこの辺からもう思想的なものとかね、そういう字の文とかがかなり強くなっていって、
本田も存在感が元からあったんですけど、かなりやや物語に介入するようになってきて、
傍観者かつ介入するっていうようなところなんですけど、本田の新職が始まってくる物語。
それは銀座先生とか、省とか、有識の新職とも言っていいかもしれないけど。
3巻の面白さ
本田も新職され、本田も新職しみたいな、だんだん面白くなってくる。
そういう部分が面白くなってくるって感じになっております。
これについてはこの辺にして本場はね、また語りどころがあったらコメントしたいと思います。
3巻、暁の寺ですね。暁の寺についてお語りたいと思います。
これはもう結構文体が完全に今までとは違ってきて、
三島行きようがこういうことになるっていうのが面白いなあと思います。
非常に奇妙だと思います。文体としては一番3巻で、4巻って奇妙なんじゃないかなと思うんですけど、
かなりここに来て戸惑う人が多かったんですよ。
まあありきたりの言葉で言えば、非常に異国情状あふれるというか、
まあありきたりですけど、そういう感じの文体を扱ってるし、
文体もかなり独特の文体になってますね。
これは非常に、まあでも僕は好きですけどね、非常にこの文体は面白いなあと思って。
1巻が美しさ、2巻が格好されて、3巻は不思議さというか神秘性みたいな感じが出てきて。
4巻とも違いますし。
本場はタイで、日本人の生まれ変わりだと訴える幼い姫に会った、
ジンジャンという名前の姫に会いました。
これは1巻にも同じ名前しか出てくるんですけど、その人は違う人です。
そして、認識の粉末に疲れた男と純粋な肉体としての女との間にかけられた、
壮麗なワイ雑の世界の端、神秘思想とエレクトリズムの迷宮で線路芸術を大胆に探る方法論に、
第3巻。これ非常に面白かったですね。
これ第3巻が好きって言う黒人の人もいるんですけども、それもわかりますね。
この巻はかなり面白いです。しかも相当深いですね、これは。
これがね、僕の読みでは、この北条の実の暁の寺の第1部と第2部でもう完全にトーンを変えてるんですよ。
トーン、テーマを変えてるんですよ。
前半のテーマの部分はね、というか三島行きをといって、
この作品だけで言っても、1、2巻の中の3巻のテーマが、
聖人戦証とかのテーマとか、絶対とか審判とかそういうものに、
完全に第1部でね、かなりクライマックス行っちゃってるんですよ。
虫の域になっちゃうんですよ、後から。そのそっちのテーマがね。
この最初のテーマはね、かなり……
これもね、ちょっとあそこ読みたいですけどね。
非常にね、これは本当にいいなっていう文章とか場面がね、非常に出てきてね。
これは、クライマックスだな、ここは、っていう感じでしたね。
この小説4巻自体がかなり、リンジェ先生とか演館とかを考えてますから、
かなり真ん中にクライマックスが送ってくるってのはね、日本的でもあるでしょう。
バッゲージモーターに中間にクライマックスが送ってくるんですから。
今読んだんですけどね、そういうものをね。
これですね、文庫版60ページ、今そのページかわかんないですけど、皆さんが持ってる。
自分は言わば、今、フスマというフスマの取り払われた大広間のような地下にいると本田には感じられた。
あまりに広く、あまりに自在なので、住み慣れたこの世の住みかとも思えぬほどだ。
そこに黒木の柱は必死と立ち連なり、何か人間の感情では届くはずのないところまで、目も届き、声も通りそうにこもわれた。
姫の幼さの私服が広げたこの大広間の、群れ立つ黒短の柱の陰には、まるでかくれんぼをしている人たちのように、あの柱の後ろに清明が、この柱の裏に伊沢が、それぞれの柱に数多の倫理の影が、息を潜め身をしてみているように思われるのだった。
ここも本当に感動しましたね、これ。僕、ある考察というか、ミシアニルが考えていた5巻目に、人間性のドッペンゲンゲル、日米製の仮面の大武道会みたいな、そういうものを書きかかったみたいなのがあって、
ああそういうのがあったんだ、読みたかったなって思ったんですけど、ここにあるじゃんっていう感じがちょっとありました。
短いけど、ここに入れ込んじゃってんじゃんって感じがしましたね。
あらゆる天理宣称の存在が、かなり開かれた、普通のタイという、シャムという非常に、異界のようなところで、非常に開かれた大広間のような所で、
銀ちゃんと言いながら、日米は笑いながら、そういう秘密を見てしまったというか、
日米先生の見取り図を大広間で見ているというかね、仮面武道会じゃないけど、そういう大団円的なものがここに来て、
そのさらに後にインドで絶対を見るんですね。インドで白い石の絶対を見るっていうのがあって。
もうクライマックスがバンバン来てるみたいな、超衝撃ででしたね。
採読してやっとわかったというか、ここがクライマックスなんだ、この書籍のという感じがあって。
非常に感動しました。感動というか、あぁーって思いました。ここに書いてあった。
第1部は非常に面白いですね。第2部からは違う面白さがあるんです。
虫の域になったテーマの別のテーマをね、見る見られるとかね。認識とか自意識とか。
でも認識とか自意識とかって、ほら、近代的じゃないっていうか、使い古されてるんじゃないっていうのもありますけれども、
でもなぞめ曽祥とかもそうですし、ストレス引きとかもかかってるんでしょうけど、
四関目、天人五水
ああいうものにそういうものが残るというかね、絶対とか。
何で戦争の仮面ブロー会みたいなのが行っちゃった後にね、時間と空間の彼方みたいなところが出ちゃった後に、
無残にも拾っていくっていう時間が来るかもしれないですけど、でもやっぱりそこでもまだ処理しきれてない部分が。
というか、その大落と大廃を表現していく。デキュレッシェンドをうまく表現していく。
デキュレッシェンドとカタストロフというのを表現していくっていう。そういう文学になっていく。
これは結構みんな言ってることですけど、1、2巻と3、4巻で違うし、3巻でも前半と後半で違うし、1部2部で違うし。
しかも全然違うんですよね、はっきり言って。特に1、2巻と3、4巻、それぞれ巻が全然違うし。
1巻と3、4巻はもうかなり断絶がある。特に3巻の後半と4巻はね、もうかなり断絶があって。
本当にこれを繋げられるっていうのがすごいな。これを輪廻転生とか有識とか、彼の文体とかそういうものでくっつけたんでしょうけど。
そこが見事にそこがされているから、あとは別に有識層の解釈のガタツキとか言われたり、文体がどうとかどうだとか、テーマがよくわからないとか盛り上がりがどうとかとかいうのも、
別に課金という課金ではないというか、別に1巻2巻のわかりやすい完成度とは違うね。
3巻4巻のわかりやすいものがいいっていう考え方がありますけど、3巻4巻の非常に厳妙な、何かがよくわからないカオスな、カオティックなもの。
テーマと書き方、この微妙さは面白かったですね。
やっぱり後でどんな感覚が好きかとか喋るんですけど、そういう意味では非常に3巻は面白いですし。
L地図っていうのがあってもいいですけど、確かにそういう書くのに適した文体でありまして、
非常にこう、安倍候補の箱男とかの、見る見られるみたいな、多分安倍候補これ読んだ後に箱男を書いたんでしょうけども。
あれも素晴らしい作品ですけども、そういうのがありまして、非常能力がですね。
ジンジャンとかも書いてありますし、ジンジャンとかはほとんどホンダの欲望の対象みたいな感じなんですよね。
ホンダのヤバさがあるとか、ホンダのキテレツさとしての思念みたいなのは、そういうのってありますよね。
ホンダ的なものって人間誰でもあると思うんですけど、そういう執着とかそういうものがかなり描かれていて。
ホンダの悪魔感が出てるんですけどね。非常にそれ以外のね、今西とか、プジンとか、マキコとかね。
今西は面白いですね。ユートピアみたいなのを書いちゃってね。
ロベルト・ムージルも、愛の戦乱の逆みたいな、まあ逆か、ちょっと儀学的なものかみたいな、
非常にすごい大背的なユートピアみたいなのを書いちゃったりしてね。
結局あの最後ですけどね。最後もかなり好きですね。全て燃える。面白い。
金閣寺、三閣寺とかすぐ行っちゃうのはありきたりすぎて嫌なんですけど。
なんか燃えるっていうかね。悪霊とかの最後も近いというかね。そういう炎中の炎みたいな。
いろいろ素晴らしく、これは僕は好きですけどね、今回も。
好きというか、かなり評価は分かるけど後で、後のようでかなり、この館は研究されるんじゃないか。
今研究されてるので、研究図が語られるんじゃないかと思いますけどね。
この宝塚の実が古典たれになるとしたらね。
三閣は重要な館でしょ。これはもう小田原さんとか、私の知り合いの方にも言ってますけど。
三閣は重要。これは間違いない。
非常に面白い館でございます。私にとっては。皆さんにとっては。どうでしょうか。
てことでね、それから天人の五水。四関目、天人五水。
天人五水は本当に僕は一番好きな館というかね。言っちゃいましたけども、十位はね。
これは一番好きですね。これはもう小説と言えるのかっていうところがありますね。
これは良い意味とか悪い意味じゃなくて、これは小説、三分詩なんじゃないかって感じがするんですよね。
小説なんでしょうけどね。とも言えるんでしょうけど。
冒頭の第一章からかなり、僕はもうちょっとびっくりして、
三島由紀夫文学で終わるか?
最後にこういうのは、「白鳥の棚」って続いて言いますけど、こういう文章を書くかと思いまして。
これ最高だなと思う。しびれましたね。
最独でもしびれるというか、最独でもっとこういう文章を書いてたんだなあと思って、
いろいろあの後に読んできて、体験してきたんですけど。
感動を受けるっていうかね。
痩せたとかニヒリスティックとか言われるかもしれませんけど、これはなんかちょっと違う文学というかね。
そこらへんのというか、他の文学じゃないみし。
ほとんど千人五水って感じられる文学であって、絶妙でしたね。
最近読んだばっかりの千人五水で、何を語るといったらなんでしょう。
自意識の問題とかが出てきましたね。悪とか出てきまして。
それが破滅するみたいなところもあるんですけども。
これも日本文学の王道っちゃ王道なんですけどね。
まあ結構、源氏物語を、和歌羅の下とかを同時に読んでたんだよね。
手紙で、渚の手紙。渚に手紙を桃子に送らせるみたいなところがね、結構。
手紙っていうのは三島文学でかなり重要な文化だと思ってるんですけども。
和歌羅下の、かしわぎと女の定めやの三つで手紙が見つかるとかそういうのが、これのパロディー的な部分もあるわけですね。
非常に最後も、最後の文字とかもよく言われますけども、これを言うとか、かなり。
結末とキャラクター
倫理先生と英語会議みたいな。前もこれ言ってるんですけどね、全然根拠ないんですけどね。
勘で言ってるんですけど、思想的にはね。
哲学的には勘で言ってるんですけども、倫理先生と英語会議の捉えが。
倫理先生というもので英語会議っていうのは折り合わないっていうのが僕の持論なんですけど。
他の方が言ってたんですけど、本田は佐渡に会うことで、倫理先生の考えを解消されちゃうとか、返されちゃうとか、なくなっちゃうっていうのもあると。
僕は結構スッキリするんですよ、この終わり方を読むたびに。
なんかこの部分だけ読み返したりもしますけど、かなりスッキリした、結構スッキリエンドだと感じます。
これでイヒリスティックになっちゃうとか、絶望するっていう方もいるらしいですけど。
そっちはむしろ違いますね。
結構第1課とかのほうが絶望しますけどね、なんとなくね。分かんないですけど。
好みが些細なことだと思うんですけど。
非常にカウンは面白いですね。僕はかなり好きですね、これ。
また女性キャラが面白いですね。
このケイ子、3巻から出てくるのかなり好きなキャラですし、キヌエもかなり好きなキャラです。
桃子はもう典型的な三島木原っていう感じもありますけどね。
異常な作品
桃子、薙刀子が出てきて、佐渡が出てきて、アソボスが出てきて、ケイ子もかなりビーズジャラジャラして出てきたりして、かなり好きですし。
キヌエもかなりいいっすよね。キヌエが最後、灰燼みたいになっちゃったトウルに、
謎の存在になっちゃったトウルに花をいけてるみたいなのもかなり好きで、あの場面が最高に。
うわーと思うんですけどね、最高ですよね。
生きてたらビスコンティーに映画化してもらいたいみたいな、4巻だけど、感じもしますけどね。
昔のビスコンティー映画化、天然汚水みたいなのやってほしいですけどね。
そういうぐらい、トーマスマンよりすごいですね、この部分はっきり言って。
全然すごいです。大敗ではいろいろ。
それがどうなんだっていうのは好みによるんですけど、非常に好きな場面です。
最後も完全に無くなったみたいな。自意識とか悪とかそういうもんね。
ここは佐藤子のほうもかなりピンチ場面だったと思うんですけどね。大対決みたいな。
したらその結果的に、本田は何もなくなって、佐藤子のほうもなんかあったんじゃないかなと思うんですけどね。
本田も負けたみたいになってますけどね。本田も相当の化け物ですからね。認識の化け物になってますからね。
本田と佐藤子の対決みたいなのがあるかなと思いますけど。
本田はもう本当に、石本言ってましたけど、トールが小悪魔みたいになっちゃって、ちっちゃくなっちゃったみたいな。
作品自体が言ってますけど。本田って化け物がいますからね。三階四階の本田は化け物ですからね。
なんか弱がったりしてますけど、やっぱり化け物ってね。
けいことを合わせると、本当にこんなキャラいないだろうみたいな。最強の悪役みたいになってますからね。
ドンキホーテ的なんですよね。簡単に言っちゃうとね。
本に狂うんじゃなくて、転生に狂うドンキホーテみたいな感じですね。
転生という物語に狂うドンキホーテ。認識の化け物みたいな。認識を完全に狂わせる。
狂わせつつも名責に見るドンキホーテみたいな感じですね。
非常にサンチョパンサがいない。けいこみたいなもんですけど。けいこはサンチョパンサっていう単語じゃないですけど、もっとすごいですけど。
3巻でも思いましたけど、4巻も、さっき2巻でも言いましたけど、字の分が多いっていうか、
信頼語みたいなのが多くて、送信字が多くて、行動とかほとんどない。認識とかなんですね。
認識とか思念みたいな、意識の流れとかになっちゃうんで。
これ小説なのかみたいな、動きねえじゃんみたいな。動きなくて三分詞みたいになっちゃう。大好きだった。
小説なんて別にないですから、ルールがね。どんどんどんどん破壊していただければと思います。
破壊というか、枠をはみ出す小説のほうが好きですけど。
これはもう非常に、ハラマンソンの兄弟とかの字の分の多さとかセリフの多さとはちょっと違うんですよね。
異常な文章なんですよね、これは。はっきり言って異常です。
特に4巻目は異常。こんなのはね、別に僕は非常に嫌いなんです。
三島幸男の死と文学をくっつけるみたいな考え方が、最近嫌いでして。
あとはやるかもしれないですけど。
だから最後の作品だっていうことを抜きにしても、これは異常な作品ですね。
こんなのスパークしたみたいな。反論とか思念とか認識みたいなのがスパークして、ハイになっちゃってる、文章というか小説というかね。
本当に性質差も最後はあるかもしれないけど、もうこれはこんな普通の文章じゃないです。
こういうテキストが残されたってことが事件というかね。
大げさで言われるかもしれないですけど、読むとわかりますよ。
こんなの書けんやろみたいな。書けんやろっていうのはもう作家を考えちゃってますけど、
こんなのあるのかいみたいな感じになりますよ。何も考えないやつにしても。
三島幸男は全然知らなくても、この文章だけ読んだら、なんだこれって感じになるんです。
見ちゃいけないものを見たなっていうものがあります。
でも見ちゃいけないものを見るのが文学だとしたらね、救いなんてなくて。
かなりいい文章とか文学だと思いますね。
天二五世大好きですけども、これ。非常にいいですね、これはまた。
おすすめ。おすすめというか、全部読むとさらに面白いですね。
これだけ読むとどうなんだろう。やばいのを見ちゃったみたいな感じになると思うんですけど。
4回読むとまた違ったのかもしれない。っていう感じの印象ですけど。
海の描写とかもあります。そこは総合コメントで読むかなと思います。
というわけで、総合コメント。この4巻続けて、何かコメントあるかなと思いますけども。
やっぱりこの小説は思想小説のように、最初は有意識の思想をどうなってるか、
この小説でどんなことが考えられるか見せろみたいな感じで再録したんですけど、
やっぱり違うんですね、これは。もっと違うものですね。
文章自体が思想であり、思念であり、常念であり、よくわからない物体になってますね。
4巻の長大な謎のよくわからない物体の存在になってますけど。
いや何だそれって感じですけど。
なんか読み返してね、やっぱりこれよくわからないんだ。
よく僕は、鉄川さんの「火の鳥」とかね、最近だったら「君は大蛇と生きる」とかね、ああいうものを。
本田と佐藤子の対決
もうよくわからない。現実ってそういうものだっていう乱暴なことを僕なんか思っちゃうんですけど。
でもよくわからないですよ、これは。
なんだか絵体の白いものですね。
だいたい傑作というか古典というか、よくわからないものが出てくる。
改作というか。
何でしょう。
間違いないのはこれは非常に表面的にも面白いけど、
裏面も面白いだろうけど、かなり危険さもあるというものだと思います。
なんかこう、秘密がわかったっていう人がよくいますけど、わからないってないと思うんですけど。
わかんないって言ってる人のほうが僕は信頼力がうーんとか考えちゃって、
いろいろ感想しか書けないような人のほうが、考察をしてる人より信用してもらう。
だってそんなんできないですよ、別に。
まだ50年、発表されて50年ぐらいしか経ってないし。
古典タリエルとしたら、その謎を謎として認識できる人間がどれだけこれからいるかっていうことに、古典タリエルとして。
これが全部わかったんだ、成功にしろ失敗にしろ傑作にしろダサくにしろ。
もう全部わかったんだっていう読者ばっかりになった世の中になったら、そんな世の中は嫌ですけど、
これは古典にはならないと思います。別にもうわかった、処理されても、コンテンツと処理されて終わりだと思います。
難しいとか簡単とかそういうレベルじゃなくて。でもこれはわかんないです、これは。
これ、これわかったって言ってる人は相当の狂気に近い。いや、こういうことじゃないですけど。
相当、その人もすごいものを持ってる人か、手前側で満足してる人ですね。
そうだと思います、これは。そういうことは思います、今読み返してみて。
あんまり僕も言えるくらいのことはないんですけど。非常にでっかいモノローグのような気がしますね、これ。
スケールのデカさとか色彩とかそういうのをね、完全に文体に頼ってるかもしれない。
モチーフにも頼ってるけども、文体というか文章というか表現とか表情とか、いろいろありますけど、言い回しとか語彙とかね。
そういうもので、だけで作り上げてる。
この表説の奥行きとかをそっちにやって、あとは非常に思念というか、でかい思想みたいな。
西洋哲学とかの夢が入っちゃうとわからないですけど、思想的なものをね、そういう文体で表現してるんです。
しかもそれを1巻、2巻、3巻、4巻でも全然別々のものを、一巻だとでも別々のものをくっつけちゃってるっていう、そういうおぞましき怪物の匂いがいたしますけども。
これはけなしてるのか褒めてるのかわからないですけど、私は結構褒めてます。
こういうものは採読したいですね、これからもね。
こういうものを採読していきたい、読んでいきたい。
こういうものが新しく書かれるんだったらそれを読みたいし、私は生きていきたいし、そういうふうに文学というものは生き続けるというか。
この作品はこれで完結ということになってますけど、それ以外にも続いていく。
勝手にどっかに繋がるだろうし、別にこれが終わるものではない。
武将劇は以上の完結をつけましたけどね。よくこれ以上はないような終わりとか言われるでしょうけど。
それじゃなくてその後にも続くだろうし、物語というか。
これで終わり、何かがこの中で終わり続けてるし、そういうとこはあると思います。
やっぱり一巻が完成度が高くて、パッケージングされてる、洗練されてるので、2巻もかなり洗練されてる。
難解さと複雑さ
3巻、4巻になると問題作になっちゃってね。
作品自体、作家とか歴史とかを文脈とかをくっつけて思想とかをくっつけて読むのもいいし、
これ自体でかなり複雑になっちゃってる。
この中のあれこれを考えるだけでもかなり複雑。
そういうふうに読み返すために読んでいきたいと思いますけど、私も。
そうやって地道にテキストを解釈してどっかにしていくしかないでしょうかね。
妄想とかも膨らんじゃいますよね、どうしてもね。
妄想というか、言葉にならない言葉が出てくる。思念が出てくる。
言葉にならない思念が出てくる。非常に詩的なもの。
詩で書かれた長説みたいな。
よくわからないですけど、自分で言っちゃわからないですけど。
若いとこは全然出てこないですね、俳句とかは。全然ほとんど出てこない。
それもなんかありますし、今現地物語をもう少し読み終わるんですけども、
そういうものに対しての返答というか応答というかそういう部分もありますし、
意識して書かれたものも間違いない。
モチーフとかそういう、処理の仕方とか、文体とかも、
かなりいろんな現地物語の現代訳も含めて、古典の世界から、
なんとか物語から、テンションの物語を取ったという研究が、
自分も三島さんも言っているようですけども、
そういうものもあってね、非常に好きか嫌いかで言われたらどっちでもないですけどね。
これの作品はね、どっちでもないんかーいって感じですけど、
好きとか嫌いとかって感じじゃないですね。
現地物語も好きとか嫌いとかってないんで、
ああいうような古典中の古典みたいなのは、
政治とかも好きとか嫌いじゃないと思うんですね、誰しも。
まあ信仰するかしないかとかあるかもしれない。
何とも言えないというか、圧倒されるかされないかは別ですし、
えーって衝撃を受けるというかね。
我々が生きてる間に体験してる間に、
ある種の文学とか現実以外では、漫画でもアニメでも、
受けられないような体験をしてしまったっていう感じ。
生きてる間にする人もいるかもしれないと思います。体験としてね。
現実をする人もいるかもしれない。
こういう虚構のものでね、大虚構、大嘘、大嘘で、
こんな衝撃を受けるっていうのはね、
あんまりそういう作品っていうのは、相性にもありますけどね。
ないとは思うので、非常にお勧めという感じもしますし、
お勧めしないという感じもすごくする。
これを読んだ後どうなるかって。
このイタラシ自体を聞いてね、
読みたくなる人がいるかどうかわかんないですけど、
結構ネタ悪くしちゃってるし。
それでも読みたい方に一つ言っておくと、
もしかしたら、これを言おうとしてたんですけど、
古本で99カナのね。
三島由紀は99カナで基本的に書いてたんで、
そのバージョンも手に入れて読んだんですけど。
やっぱり99カナで読むとまた違うっていうか、
そっちのほうが多分より本来的なんだろうね。
この場合はね、原点主義とかじゃないんですけど。
でも99カナのほうが、ジズラとかもそうだけど、
何かうねりというか独特のニュアンスを含んでいて、
非常にそこはもう完全に、当然ですけど、意識して書いているというか。
99カナのニュアンス
もちろん新自身カナになったときの、
99カナになったときの地下1の三島由紀たちをおっしゃうから、
99カナのニュアンスっていうのを質問文に発揮してね、
書いてるんだなーっていうのは後で、そっちもちらちら読んだんですけども、
思いますね。
今度は99カナで全部読んでみるかなと思いますけども、
別に発見があるとかじゃなくて、ニュアンスの問題、鑑賞の問題です。
鑑賞する態度の問題、私の鑑賞する態度の問題ですけども、
そういうのがありました。
99カナで読むのはいいとは言わないですけど、それでもやっぱり違う小説。
今、文庫で読む人が多いと思うんですけど、4巻ね。
全集で読む人もいるかもしれない。
でもそっちだと99カナですけども、
文庫で読む人も、いいなーって、この小説いいなーって思ったら、
99カナを読んでみるといいかもしれないです。
そういう小説です。
文章で作った、モーリス・ラベルは、白鳥の歌をドン・キホーテにしましたけども、
三島行きの白鳥の歌が、今、続続的な言い方ですけども、
北条民だとすれば、地味複雑なものを残したなと。
やはり、最後というものと、近づいてるかないんですけども、
そういう、コタンというものとほど遠いような、
でもやはり最後を見ると、そうでもないような、不思議な感じがしますけども。
そう考えると、何だろうな、
名もなき人が書いたある文字の連なりとして読んでも、
これはもしかしたらみなさんの心に残るかもしれない。
これを聞いてみなさんの一人の心にも残ったら、それは面白いことです。
作品の感想
幸福か不幸かわからないですけど、とにかく面白いことです。
何か始まるかもしれないし、何か終わるかもしれない。
そういうことだと思います。
非常に面白いね、文学。
文学の世界は面白いと思わせる作品でございました。
非常にいい時を過ごせることができました。
原文を読んだらまたその感想をいただきますけど、
今回はこれぐらいにして、またお会いできる日を楽しみにしております。
本日は4巻のレビューでした。
ありがとうございました。