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今回はですね、最近、豊饒の海という三島由紀夫という作家の長編小説を読み終わりましたので、読む作がなかなか長かった。せっかくですから、コメントを何か残しておこうということで。
この小説は4巻に分かれておりまして、非常に長い小説でして、原稿紙3000枚近くあるらしいですけど。とにかく、結構なかなか読むのに時間がかかると思うんですけど、面白いと思う場合はかなり早く読めると思うので。
私も採読なんですけどね、結構前に読んで、その採読で読んだんですけども、
結構グイグイとだんだん勘を進めるごとに面白くなっていって、どんどん読めたっていう感じなんですけど。
これについて、第1巻春の雪、次が本場、次が赤月の寺、次が天人御祭という4巻でありますけど、その1つそれぞれの巻ごとにコメントをしていって、最後に総合的なお話をさせていただくと思います。
ということで今回もよろしくお付き合いいただければと思います。よろしくお願いいたします。
まずは法上論文第1巻、春の雪のお話をさせていただきたいと思います。
春の雪というお話では、これは確か大正時代ですかね。
大正初期の貴族社会を舞台に破滅へと運命づけられた、喜劇的な愛を豪華優雅絢爛たる筆に描くという、文化本の後ろに書かれておりますけれども、
こういうね、ラブストーリー、恋愛物語が展開されるという、まことに天仮名ね。
ヒッチと天仮名ステーマで、天仮名時代にこう、なかなか恋を描くという、日本文学の王道を行くような、まるで現地物語の世界が近代に蘇ったかのようなね、そういう術であると思われますけれども、
私はこれは、初めて読んだ時に、この前に初めて通読した時に、
三島由紀夫らしからぬ、一見ストレートな、非常に端正な、感性を目指したような、非常にど真ん中に立ち直球を繰り出したような、ストレートを繰り出したような小説であって、
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この小説は、私はもう完全に三島由紀夫の志望だし、この四文作が異作だということはわかっておりますから、包丁味が三島由紀夫の異作でありまして、
これは本当に最後の小説と終わっていたので、どんなものを繰り出してくるかと思って読んだんですけど、
それまでにも三島由紀夫の小説は何とか読んだんですけど、
この小説を読みまして、非常に意外とストレートな感じで思ったんですね。
しかし読み通すとやはり、これはもう何か完全な、ある種の完成されたテーマについて、非常によくできた、課金のほぼないような小説であって、感銘を受けた。
この完成度においての感銘を受けたという小説でありまして、感銘を受けた。
この春の雪は、この春の雪を読んだ後にかなり間が空いていて、
この春の雪は、つまりこの採読についても、かなり間が空いていった前の話になっているんですけども、
1年前とかになるのかな、採読したの。
ソンバーなどは最近にバーッと読んだんですけど、ソンバー以降は読んだんですけど、
この小説を見たときにちょっと感動のあまり落塁しましたね。
落塁しましたけれども、何でかよくわからないところ落塁してしまって。
作品自体の象徴性というか、行動語というか、出てくるモチーフ、象徴というか、シンボルがモチーフ、メタファー、
こういうのが非常に目につきまして、これもかなり匠れた小説だったんだなと。
やはり4巻読んだ後の採読では、かなり気づかされたっていう感じがありまして、非常に加盟があったんですけども。
まずこの小説は、本田茂国、松原清明と本田茂国が出てきましてね。
綾倉佐藤子が出てきまして、タイのシャムの王子たちが出てきたり、
あとは井沼とかも出てきまして、非常にプロタイプというか、基礎だね。
この象徴の基本となる人とかテーマがね、有識思想とか輪廻転生とかも出てきましてね。
タブーを破るとかそういうのも出てきまして、天皇的なものも出てきまして、テーマも出てきまして。
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それが天下の文体で書かれている。
文体は一番4巻の中で非常に豊かな、ふっくらした文体だと言われてるし、私もそう思いますけども。
かなり丁寧な文体でありまして。
山場ではちゃんと盛り上げる山場ですよ。
僕がラグレーしたのはですね、佐藤子と清垣が関係を持つみたいな、初めてかな、関係を持つようなところかな。
そこで非常にね、色っぽい場面なんですけど、全然、
西間もそんなに色っぽさを、夕刻とかは別ですけど、あんまり描かないかもしれない。
ちょっと男女の色っぽさっていうと、なかなかあれなんですけども、その部分も色っぽさというか、
非常にね、変な話ですけど、刑事上学的というか思想的な、非常にいわゆるラブロマンスみたいな感じじゃなくて、
非常に思想的なものと描写が合体してるようなね。
禁止とか審判とかそういうものと、恋愛のですね、そういうものと。
宮、天皇のご子息っていいのかな、神類の方、皇族の方と佐藤子が婚約した後に関係をちぎるわけですけども、
松垣清明が。そうすると、完全に審判してるところにタブーを犯してるところ、破っているところにね。
タブーを破るためにあれなんてことも言われますけども、とにかくタブーを破っちゃうんですね。
これ、2人が全てを投げ打つ覚悟で、清明もそうですけど佐藤子ももちろんかなり覚悟の上で審判をするっていうところでね。
非常に変な話ですけども、トリスタンといずれずれたとか、ワーグナーのヒレンの話を、これは完全に意識されたものでしたと思ったんですね。
バッタイオーとかもあるでしょうけども、やっぱりワーグナーのトリスタンといずれずれの感じというか、大いなる愛みたいなところをタブー。
大いなる愛というと温かいものですけども、何と言うか悲痛な愛することがその二人の破滅に繋がるような愛みたいな。
そういうものをね、それが2人を超人的な存在にするっていう場面だと思うんですけど。
ある種ドストイスキーでもそういう場面ありますけども、タブーというか、
ドストイスキーの場合は聖書的世界との交通みたいな感じで、形状的なものと現実的なものをつなぎ、
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無理矢理というかかなり巧妙につなげる素晴らしい場面がドストイスキーにありますけども、
そういうことを春の霧は山までしているということで、思わず楽類みたいな感動みたいな感じにしましたけども、
現実的感動って感じだと思うんですけども、もちろん切ない悩むようにも感動したんだと思うんですけども、そういう記憶があります。
いろんな花とか鳥とかの、聞いたことのない花とか、僕はあんまり知らないですけど、鳥とか花の名前とか出てきて、
何らかの象徴なんだろうなーとか思いつつ、いろいろな挟まれるエピソードとかも、
いろんな巧妙な深い意味があるんだろうなーとか思いながら、非常にまた読み返してみたいと思われる。
本当に感性の高い小説でありました。
まあ感性の高いっていうか、そりゃあ感性の高いだろうというお救いを受けるかというと、
私の正直な感想として、これは非常に、いろんな仏教思想なども退廃しますし、
廃退しますし、埋めつけられますし、だんだんそれが徐々にアートになって効いてくるんですけども、
そういう部分はあって、非常にいろいろなモチーフがうまく調和した、非常に感性の高い作品と思われます。
この作品はかなりエピソードも生き生きとしていて、
なんていうかな、非常にエンターテイメントなものになっていると思います。
非常に皆さんにお勧めする方が多い。
この作品がいいという方とかお勧めする方が多いんですけども、
本当にその通りの反応だろうなという感じが出します。
非常にそういう作品でございます。
1巻の小説としても面白いし、4巻の1巻目としても面白いという、そういった文学だと思われます。