三島由紀夫の文学
イタラジ、今回は三島由紀夫と埴谷雄高のそれぞれの文学の位置についてお話ししようと思います。
最近、天人五水を読み返しておりまして、ふと気づいたのですけれども、
三島と埴谷は、ちょうど魔学のこと柄、事故の状態についてのアプローチで、ちょうど対立する位置で、その文学を展開しています。
誰かがもう考えているかもしれませんが、少し語ってみたいと思います。
まずこの場合、作家本人と文学を一旦分けて、その上で考えてみたいと思います。
荒切田の陰者などといったイメージは、この場合巧妙なノイズにはあるわけであります。
まず文学史的には、ドストエスキーなどが現れて、文学というのは、ある問題意識を培養できる巨大な入れ物であることがはっきりわかってきました。
彼らはそういう血脈の系譜にあります。
彼らの文学は、もちろん20世紀のジョイスやプルストの後にいて、それらに多大な影響を受けているわけですが、
しかし思想的な思考は、むしろハルトリやムージルなどを読むように読まないと、とても理解しきれるものではございません。
三島文学というのは、自意識の問題、自分は自分だ、それなら自分というものの認識を広げていって、
どこまでもどこまでも、ついには世界までも飲み込んでしまうような人間の持っている根源的な活動、それを担っていくという文学であります。
ハニア文学、これは言ってみれば、言うまでもなく自動率の不快、つまりそもそも自分が自分であるということは認めがたい、許しがたい、実感しがたい、こういう問題意識から始まって、
しかしそれでは世界というものを認めがたい、ではどうするべきか、どう考えるべきか、ひたすら絶えず不快感とともに答えを渇望していく、そういう文学であります。
試しに式にしてみますと、こういう形にでもなるでしょうか。
三島、事故イコール事故、では事故イコール世界であるか。
ハニア、事故ノット事故、つまり事故ノット世界、ではいかにするか。
両者は、こういう非常に鮮明なコントラストを成しています。
この場合の物主戦場は文学でありますから、提示は非常にシンプルであります。
その培養液が海であったり宇宙であったりするのでありましょう。
意識としての夢、海、夢としての宇宙、こういうことでございます。
こういうわかりやすくも厄介な問題を文学で扱っている日本語圏の代表的な作家が三島とハニアであろうと思います。
埴谷雄高の文学
日本の文学というのは、豊かな歴史と海外からの様々な影響と、持ち前の素晴らしい感受性がありますから、
かえってこういう単純な問題について点は落としない、しにくい土壌がございます。
途中までは模索していても、文学人生の途中で何らかの変説をしてしまいます。
残念ながら、文学的に長生きすることと、文学的に諸志を貫徹することはイコールで結ぶことはできません。
少し寂しいことでございますが、それが現実なのであります。
ですから蒸気の描写はなかなかに貴重であるわけではあります。
大井健三郎や蒸し中部春樹のように、途中で変説してしまって、非常に無残なことになってしまうということもあるのであります。
しかしそれも一つの在り方であり、否定するものではございません。
互いに地球の反対側から地面を掘ると、いつか繋がるように、案外似ていることもあるかもしれませんが、出発点はそれなくながら全く違うわけであります。
しかも両者とも、問題に対して思想的な結論を出したのかというと、つまりよく読んでいかなければならない。
それに三島ともかく、三島についてはおそらく今後一層その文学にそのものに対する検討が必要になっております。
まだまだ語読や誤解が非常に浅はかな解釈が広がっていて、
例えば三島の文学と人生を無意味に結びつけたり、その巨猛性などを浅はかな読みで指摘したりする、
そういう非常に馬鹿らしい三島の理解が増えておりますけれども、そういうものをまた淘汰していかなければなりません。
司令は未完でありますから、我々はこういった問題を引き継いでいく余地があると思います。
そしてそれは文学において達成することであります。
あれだけについてのイメージも、まだイメージ専攻といった形で、非常にまだまだ検討がされていないと思います。
三島ほどに大事としても、まだまだ徹底な理解しかされていない文学者であると思います。
ですから、この両者は非常にこれからもずますますの検討が進められるべきの作家だなと思われます。
というわけで、今日は石間諭吉夫と羽生豊の文学の位置について語っていきました。ありがとうございました。