モラルの話
イタラジ第9回ということで、今回も始めていきたいと思います。
1984、2009年頃に村上晴樹さんが発表した小説。
Book1,Book2,Book3とありまして、僕はBook2まで読んだので、 そこで考えたことを今回お話ししてみようと思います。
トピックとしましては、4つありまして、 僕が表面的に簡単に読んだだけの意見でありますので、
4つほどなんですけども、1つはモラルの話、 次がリーダビリティの話、次は魔術の話、
最後にニーチャーの影響という、 この4つをお話してみようと思います。
まずはモラルの話からお話してみようと思います。
モラルというのは、この作品の中に描かれているモラル、 道徳というよりは、この作品自体の持っている倫理観というものでしょうか。
中に書かれている倫理観というものについてお話したいと思います。
僕が初めに読んで驚いたことは、非常に読みやすいという問題、 これは問題特徴があって、
これは次にお話しするリーダビリティの話とも関わってくるんですけども、 それ以上にリーダビリティよりも読みやすくしているのは、
文体よりも読みやすくしているのは、 この作品の中に書かれているモラルやロジックが非常に普通の取り立てて、
なんと特徴のないツルツルとしたモラルであるということで、 これは非常に巧みな操作となっております。
これがこの作品の一つの特徴であるかなと私は思いました。
この1984の小説は非常に大ベストサーレンであって、 一番ヒットした小説なのでしょうか。
わかりませんけれども、だという話を聞きましたけれども、 村上春樹さんの中でもヒットした小説だという話を聞きまして、
多くの方が読んでいらっしゃると思うんですけれども、 おそらく楽しんで夢中になって最後まで読むこと、
つかむとBook2までは読むことができたのではないかと思います。
その理由がですね、モラルという問題、 これが非常にわかりやすく調整されて、
薄められて、いい意味でですね、 薄められて扱われているからだという話ができると思います。
普通、文学作品、というか小説というのは、ある種のモラルをエンジンとして、 構造としてその中に入れなきゃいけない。
入れないと駆動できないので、どんなに無意識的に書いたと思った小説でも、 必ずモラルが入ってきてしまう。
独自の倫理が入ってきてしまうものでございますが。
この1984というのは、そこの肝をよくわかっていて、 つまりあんまり悪の強い倫理観、癖の強い倫理観を入れてしまうと、
価値観を、尺度を入れてしまうと、なかなか歯応えのある、 非常に難しいと思ってしまうような小説になってしまう。
多くの読者はなかなかヘキヘキしてしまうというところがあります。
そこをこの1984という小説は見事にクリアしていて、 するすると読み進めることができる。
これは非常にいいことだと思います。 いいことというか特徴だと思います。
例えば登場人物の考えることですことか、 思考する、思考を考えと目指すところの思考も入ってると思いますけど。
ここに非常に何ら読者に違和感を与えたとしても、 考えさせるような違和感ではないという、
非常に引っ掛かりどころが少ない、 引きつけなく操作している小説であると思います。
これは非常にうまいところであって、 たくさんの読者を獲得することのできる技法だと思います。
モラルの問題というのは、ある種の読者や作者は 非常に重要だと思っているのですが、
この村上春樹さん自身もかなり重要なことだと思っていると思います、 モラルについて。
作者なりに考えているのだと思います。
そのたびに、押しつけがましくするのを嫌うというのが この作家の特徴なのだと予想します。
ですから、非常に読むと引っ掛かりどころが少なくて、 するする読めて、物語にも楽しいということがあって。
そして、伝えたいことが要所要所に山場に含まれている。 そのモラルが私にとってはあまり引っ掛からなかった。
その山場が私にとっては山場ではなかった。 これは私が別に変な倫理感を持っているというわけではなくて、
すでに私が体験したようなこと、 見聞きしたほかの本や実体験で体験したようなこと、
人から聞いた話や自分が考えたことで体験したようなことが書かれている。 これは何もこの1984の傷ではなくて、
リーダビリティの話
非常に村上春樹さんの真っ当なモラルと、 そこすらもおそらく洗練したものとなっているという意味だと思います。
ですから私は不満、不満足感は全く覚えませんでした。 ただ何か引っ掛かる考えさせるような衝撃を受けるような体験というのはありませんでした。
しかしそれでいいと思っているのが現代の俗書であると思いますから、 別にそれの方がいいと思います。その書き方の方がいいのだと思います。
ただ、そうですね、この作品は現代的なものだと思います。 極めて現代的な、今を書いている作品だと思います。
この試験の舞台は1984年を舞台にしているんですが、 全くそういう意義はなくて、それについて考えることはあまり意味がない。
意味はあると思いますが、そういう観点から見るとあまりよくはできていなくて、 むしろ現代、平成とか、令和も含めてもいいかもしれません。
とにかくそういう現代に向けて書いている作品、現代向けの作品だと思います。 ですからこの作品がこの先に残り続けるかとか、そういうことは私には分かりません。
残り続けるかもしれないし、全く一括性のものかもしれない。 でも、とにかく現代というものを読者に対して書かれているという点では非常に素晴らしい、 よくできた作品であると考えています。
これは現代の読者のモラルにぴったり、 立地するかのように書かれているからでございます。
ですからこれは毒とか薬になるという書説ではないと思います。 ただ、現代の読者はこれを読んで楽しむことができるという、音楽的な作品であると思います。
非常にその点では優れています。芸術であると言ってもいいかもしれません。 次にリーダビリティという、読みやすさの観点から、読み取りやすさの観点から見ると、
この文章、文体というものがありますけれども、 もちろん文章や文体の素晴らしさというのは村上春樹さんの特徴とよく言われておりますけれども、
それ以上にこの語の選択や配置みたいなものが、 これが文体ということなのかもしれませんけども、
そういう文章を操作するものっていうのがすごく極めつきに専念されていて、 なかなか新しい風を吹き込んでいるのかもしれません。
小説という世界に、文学という世界に、日本の小説という世界に、 世界文学と言ってもかもしれませんが、非常に面白いユニークな位置を占めていると思います。
ですから文章の上手さは名文化という意味では、 もう非常に文豪と言ってもいい作家だと思います。
もちろんこれは相対的、絶対的なものではなく、相対的に見ると非常に現代的なやはり、 現代を扱っている作品ということで、
小説は現代を常に扱っているものとすれば非常に良くできた作品でありますし、 また、
我々の今の価値観では裁けない文体だと思います。 つまり、我々がこの作品や村上春樹の作品全般や、
モラルや文体を裁こうとしても裁き得ないという意味。 意味では非常に、
韓国では村上春樹っていうのが神様っていう、 村上春樹というふうに評価を受けている韓国の方々、ファンの方々、
おっしゃってるっていうことですから、でも確かにそういう神的な、 現代の小説の神様、しがなおや横光立がそう言われたように、
川田康成やら、小説の神様ということもできると思います。 私としましては、個人としましては非常にこの作品は現代的な作品だと
思います。 だから、しがなおや横光立のように、現代でも、
神的な一王に祀り上げられるということは全くあり得ることだし、 意義あること、意味があることだと思います。
リーダビリティという観点からして、非常に現在の読者にあった、 おそらくこれはもうどんな人でも読むことができる、
読んで頭の中に入れることができるという、スラスラと作品だと思います。 もちろんしっかりと誠読していって、何事かを考えていくっていうこともできるかもしれません。
私がスラスラと読んだ漢字では、非常に読みやすい、リーダビリティに溢れた小説であって、 もしかしたらそれ以上の価値もあるかもしれません。
しかしこの文体というのは、やはり現代的なものであって、 これからどうなっていくか、どのような評価になっていくかとかはわかりません、私には。
ですから、非常に今を切り取った作品であると思います。 それは2009年の作品であってもそうです。
これが一つの標準になっているのだろうと思います。 そういった意味では非常に純文学的だと思います。
というのは、つまりメッセージというよりは芸術、技術。 技術、技術、技術のコンパレードというか、技術の追求という、文章技術。
もちろん技術には絶対に技術が必要であるとは思いますから、 非常にその面では上手い作家という感じがいたします。
上手い作家というより上手い作品である、 見事な作品であると思います。
魔術の話
完成度という点でも、Book2までの段階では非常に高いものがあると思います。 Book3はこれから読む機会があったら読んでみようと思います。
3つ目が魔術という感じですね。 この作品はモチーフの一つに宗教が使われていて、非常に宗教団体などが出てきますけれども。
宗教団体が出てきて、宗教の内容、 もちろんモラルの問題と関わってくるかもしれませんけれども。
人間の神話性、宗教性というのを扱っている小説でありますけれども。 この点に関しましては私は非常に宗教的ではないと思いました。
これは言葉の上での定義の問題になってしまいますから、 非常に別に意味のあることではないんですけども。
私は宗教というもの自体を扱っているとは思いませんでした。 これはむしろ魔術を扱っている小説であると思います。
ここで当然問題になってくるのが、 宗教と魔術の関係になってくると思います。
この小説では宗教というものが、 実際に読通までの段階では、その宗教というもの自体の言語化。
宗教にも持っている論理性、言語性、記号性みたいなものがあまり出てこない。
むしろ宗教の醸し出す神秘性、非論理性、夢幻性、魔術性が非常に出てくる。
これは宗教を内部から捉えようとするというよりは、 外部から捉えようとしているということだと思います。
これは非常に重要な点でありまして、 宗教というものの現象、持っている魔術性の現象を外側から捉えようとすると、 こういうことになるということです。
こういうことになるというのは別に悪いことではなくて、 こういうふうになるということです。
例えば宮沢賢治の詩などは非常に、 魔術性と宗教性というのを非常に巧みに織り込んでおりまして、
非常に根前一体となった文学作品なんですけども。 詩など、ある種の童話もそうですね。
宮沢賢治はそうなんですけど、村上春樹さんの作品については、 これは魔術性のほうが強いと私は考えます。
宗教の問題、社会の問題というものについては、 描こうとはしていない、描いてはいないと思います。
非常にここは定義の問題になってしまいますので、 別に強い主張ではないわけ、強い分析ではないわけですけど。
非常に魔術性の高い、魔術的文体。 特に主人公と深襟の交渉の場面、
セックスする場面などが出てくるんですけども、 そういった部分も非常に魔術的であって儀式的であって、
少し聖書や外典などをかじった人なら、 これはあの話の変装なのだなということはわかると思います。
神話的なキリスト教的な話や、 他の宗教のいろんな神話などのパロディというか、
意識の奥なんてことも出てきますけど、 意識の裏側みたいなことも出てきますけど、
そういうことは非常に魔術的なモチーフでありますので、 価値逆転というか、そういうものが書かれているということでありますね。
あと、リトル・ピープルも、 次に言うニーチェの影響だけでなく、 魔術的な局面もあると思います。
これはあくまで何か宗教性を突き詰めたというか、 宗教について奥深いところまで踏み込んでいってしまったというものではなく、
そういうものよりも、我々の生きてるこの場所、 現代、今この場所、今この時間から見た、
そういう遠くにある、深いのか高いのかわかりませんけど、 そういう何か名付けようのないものについて見ているという小説ですね。
ですから、当然、この男女の青豆と天狗のラブストーリーが 中心に展開されるわけです。
これは非常に1984という作品の特徴だと思われます。
最後にニーチェの影響ということで。
ニーチェの影響というのは、 これはもう本当に手短に話しますけれども、
このリトル・ピープルという存在、小人的な存在が、 非常にツラツラに出てくる小人などとちょっと近い気がしたなという。
ニーチェの影響と現代的な要素
この村上春吉作品自体が、非常にツラツラ、 画家たる気のような、偶和性を持った、
非常に現状学的なことを偶和に落とし込んだというか、 そういう部分もありますし、
非常に思想的なものとかモラル的なものは薄められたり、 癖がなくなったり、磨かれているんですけれども、
そういうふうにしている作品だなという。
それ以外にもいろんな文学作品からの引用、影響があり、 非常に楽しい作品になっていると思います。
非常に現代的だと思います。
そういう意味でもパッチワーク的な、 切り張りした要素、散りばめた要素などがあって、
非常に面白い作品だと思います。
このように素晴らしい読みやすい文章で、 継ぎ接ぎしていくというのを見事に完成して作にする、
ということは非常にうまい作品でありますし、 ベストセラーになるも当然という感じがいたします。
ちょっとこの作品の最後、ブックツーまでだと、 まだどういう結末になるかは全くわからないというか、
まだまだ続いていくという感じがしますけれども、
非常に楽しめる作品であることは、 ブックツーにも楽しめる作品であることは予想しております。
そうですね。それで非常にニーチェの影響というのはね、 道徳的には、思想的には全くニーチェと関係あるかというと、
ああいう力強さというのは全くないんでありますけど、 ああいう人を動かすようなものはないんです、ありますけれども、
でもそういう技術的な、技法的な面、 それこそメタファー的な、偶和的な、
技術技術技術で押し切っていくというのは、 非常に現代的でありますし、
テクノロジーの時代という感じがいたしますね。
ですので、非常に皆さんも1984オススメですので、 読んでみただければと思います。
はい、いかがでしたでしょうか。村上春樹作1984についての ブックツーまでの印象を語っていただきましたけれども、
非常に面白い作品でありまして、非常にオススメできる。 現代を着ている人間に対してなら、
万人に、世界中の人にオススメできる。 一つずつありますので、ぜひ興味のある方、
まだ読んでないという方は読んでみて、 とりあえずブック1、ブック2までからオススメですので、
ブック3もこれから私が読んでいきたいと思いますので、 そのうち、ぜひちょっと難しい文学とか哲学に
ヘキヘキしたというか、飽きてしまったというか、 絡み取られてしまったという方々は、宗教とかね、
そういう宗教的な施策とかにちょっと疲れたという方は、 ぜひ1期8読んで7休み、リラックスして、
楽しいひと時、音楽的なひと時を過ごしてみるのも いいのではないかと考えております。
非常にオススメできる作品です。 オアシスのように広大な文学の砂漠の中に空いた、
小さなオアシスのような作品でございます。 作品を多くの現代の人たちが評価するのも分かることであります。
非常に救済的な要素があるのではないかと思います。 ですから、あなたを救ってくれる
一文一場面に出会えれば、それは文学はいいのではないか という見方もあると思いますので、ぜひそういう方は
1期8読を手に取ってみてください。 オススメです。
では、今回はイタリア第9回、これで終わりいたしたいと思います。 ありがとうございました。