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2024-02-09 13:19

21世紀文学の展望:ささやかな序論

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今回は、21世紀における文学の展望について語ることで、皆さんと考えていけたらと思っております。

サマリー

21世紀の文学について考え、統一した見解を持たずに多様的な相対的な見方を持ち続けることが重要です。一人一人が批評家となり、メタ的な要素を持つ文学視点を提示していきますことで、豊かな共同体が生まれます。

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イタラジ、今回は趣向を変えまして、 わりと固めの話題にお話ししてみたいと思いますけれども、
今回はですね、21世紀の文学はどうなっていくかということについて、 考えながらお話ししたいと思います。よろしくお願いいたします。
皆さんは、21世紀ももう4分の1を過ぎようとしていることについて、何か考えのようなものをそれぞれ持たれていると思いますけれども、
21世紀も来年でもう4分の1を過ぎようとしております。
さて、そんな4分の1を過ぎようとしている21世紀における文学とは、果たしてどのようなものだろうか、
どのようなものであってほしいのか、どのようなものになるだろうという展望があるのかということを考えていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
20世紀以前の文学の解体
20世紀初頭から長頃にかけて、モダニズムという文学潮流がありました。
それは、バルセル・プルーストや、ジェームス・ジョイス、ローベルト・ムージルなど様々な作家、キラー星のごとき作家たちがそれぞれの文学を作り上げた時代でありましたが、
しかしその時からすでに小説というものは、文学、特に小説や詩というものは解体を始めており、非常に不安定な時代が始まりました。
破壊された、壮大化された後の不安全な時代が始まりました。それをいわゆるポストモダンの時代とみなさんもいいかもしれません。
戦後の混乱期にも加え、その後のポストモダンの潮流、その中でいわゆる大きな物語が解体されたであるとか、また大きな物語を作り出す必要があるだとか、いろいろな言説が生まれました。
我々は、そういう競争の20世紀が過ぎた後、我々21世紀においてどのような文学的営みをしていけばいいのかという問題がありますが、それについて考えていきたいと思います。
思いますに私は、まず21世紀の課題というのは、まず20世紀において徹底的に批判され解体されたはずの物語や文学というものが、やはりまだ生きている、生きながらえているということについて、やはり深く思考を巡らす必要があると思います。
そしてその分析を検討し、そしてやはり新しくベースとなるような、そういった文学の一税となるようなものを積み立てていかないようにならない時期だと思われます。
そのためにはまず20世紀のかなり詳細な、徹底的な、いや20世紀以前からの文学の営みというものを、やはりまとめ上げ、統合し、我々にある程度のまとまった回答を与えなければならない。
我々は、まずそのためには今までの文学とは何であったかという大きな問いを、また改めて検討する必要がある、そのように思われます。
これまで様々な文学批評家や文学理論者や文芸評論家などなど、様々な思想家、哲学者が文学についてのアプローチを行ってきましたが、
まだ包括的なこれといったまとまったアプローチがなされているとは到底言えないかもしれません。
ということは、やはり10人というより100人100色の客用の文学的価値観が曝光している状態であります。
もちろんそれはそれで相対的な多様性のある良い状況であるという見方もできるかもしれませんが、
やはり何らかのそれらをつなぐようなネットワークでもせめては作り出す必要がある。
第一、読書、本を読むことはかなり、少なくとも日本国内ではかなり減っているというこの現状において、
文学というものの質もやはり漫画やアニメなどのサブカルチャーによる方に文学性があるという見方もありますし、
それに文学はもう好きな人が享受すればいいんだということもあります。
いい意見もありますので、なかなか様々なんですけど。
しかしそういった事柄は、その媒体や人間の営みの面であって、文学そのものについてのやはりまとまったネットワークというか、
まとまった意見、固い岩盤のような、ベースになるような統合された見方、視点、
そういったものを、やはり我々は積み立てるべきだと思います。
やけやとあれっち、そういったものから、一から積み立てていく、そのような視点に我々は立っているのではないでしょうか。
しかしとは言いましても、やはりどうしても様々な意見というものはありますので、なかなか難しいものではありますけれども、
そこでヒントになってくるのがやはり、我々の文学は果たして本当に、我々が営んでいる文化現象、文学というのは本当に終わりを告げているのかという問題があります。
つまり文学というのは終わっているのか。終わっているという意見もありますし、終わっていないという意見もあります。
しかしそれにもまた、文学とは何かという問いも続いてきますし、終わるとは何かどういうことかという問いもありますし、
一切どうなっているかという科学的なデータ的な検証をしていきたいという人もいるでしょうし、様々でございます。
一つはっきりしていることは、我々は文学が文学という固定化された枠組みの中に閉じこもっていられるような状態ではないのかもしれないという一つの視点であります。
つまり本が作られ、その本を見ながら書い、読み、それぞれ考えるみたいな、そういう時代が終わりつつある可能性もあります。
また人間が文学を書くのではないという言い方もあります。
AIが書くというか、AIよりもっとすごいものができてそれが書くとか、よく分かりませんが、いろいろあると思います。
そういう科学的な視点もあると思われます。
21世紀の文学の展望
では我々は本当にこの中で統一した答えを出すことができるのでしょうか。私にはそうは思えません。
思えないのかという声が飛んできそうですが、
しかしこうした非常に広い射程を持つ文学というものが、統一した答えを持つというのは、なかなか難しい問いになると私は考えております。
ということは、我々はやはり何も統一した見解を持たず、多様的な相対的な見方をそれぞれ持ちやり続けるのかということになりますけれども、
しかしにもかかわらず、我々はやはりそこに基準を求めます。
それはアカデミックな基準かもしれないし、主観的な基準かもしれませんし、理論的な基準かもしれませんし、歴史的な基準かもしれませんし、
いろいろな基準がございます。
その基準というものを、我々は一人一人が批評家となり、理論家となり、見合者となり、我々はその基準というものを提示していかなければならない。
気分や感想も大事ですけれども、やはりその人の見方というものを積極的に、効果的に表現する。
例えばブログで文学の読み方を披露してもいいですし、こういうポッドキャストで披露してもいいですし、そういうことをしていく時代ではない。
つまり、この小説が面白かった、こういう小説であってこうだ、こういう評価を受けている、よかった、ではなくて、
私がどのようにこれを見て、それがどのように私がこれを見ているのかということをまた見て、
というふうにメタ的に私自身の文学のものの見方というものを提示していく。
そのような営みが重要なのではないか。
それによって、我々は一人一人が批評家であり、理論家であり、文学者であるという、
そういう非常に豊かな共同体が、世界共同体が生まれるのではないか。
このインターネット社会、グローバル社会で、情報化社会、AI社会、IT社会、いろいろありますが、
この社会、21世紀において、我々が必要なのは一人一人が新たな批評家となり、文学者となることで、
また新たな文学の視点を手に入れる、再確認するという、メタ的な要素があるということでございます。
私はそのように思います。
つまりまとめますと、21世紀はカオス状態であるが、以前、20世紀の後を斬首をすって、
しかし、カオス状態の中でも唯一わかることは、我々は21世紀に同時代に生きているのだという、
同時代ゲーム的な人間であるということです。
このポッドキャストを聞いている方は少なくとも今、21世紀、もしくはその20世紀以後に生きているわけでございますから、
その方々が、一人一人がその文学観を作り出し、提示していけば、
そこには何らかのコミュニティ的なネットワークが、コミュニケーションネットワークができるはずでございます。
このネットワークのこそが、我々がまず後世に残せる、ようやらしくも確実な、確かな遺産ではないでしょうか。
確かに我々は力がなく、頭もそんなに昔の人より優れているわけではなく、文化的な自慢できるものもないかもしれないという見方もあるかもしれません。
しかし、我々ができるのは、その中で、その自利品の中でも少しずつ、あるいは持ち寄って、あるいは小裸に叫んで、あるいは小声で囁いて、
そのように我々は、文学というものの営業、灯火を消さない、電気を、電流を流し続ける、精神の利用をし続ける、そういうことが必要なのではないでしょうか。
それによって後世において、我々の予想なりしなかった文学的な花が開くかもしれず、ビッグバンが起こるかもしれず、また深淵が広がるかもしれず、そういった楽しみができる。
私は、そう、つまり、絶望をしていても、絶望をしているからこそ、その絶望している自分というものを出し続ける。
そのようにすることが、将来の絶望以外のもの、希望とは申しませんが、絶望を超えるものに変わるかもしれない、そのように考えています。
ですから、我々はとにかく、今、生きている我々がすることは、発信していくこと。
それは、我々をメタな視線で見て、それをまたメタな視線で見て、そして文学というものをまた見て、その視線で見て、その中で考えている、感じていることをまとめ上げ、鍛え上げ、
それを出していくこと、世界中に拡散していくこと、ウイルスのように拡散していくこと、これが非常に重要なのだと思います。
そうなのではないでしょうか。皆さんはどう考えるでしょうか。しかし、このような考え方もあるということを、ぜひ知っておいていただければと思います。
今回は、21世紀文学のテーマについて、このようにお話しさせていただきました。聞いていただき、誠にありがとうございました。
またのご来店をお待ちしております。さようなら。
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