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2023-09-19 05:12

イタラジ#11 老子について語る(老子の思想は退歩的で人の自由を奪うのか?)

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今回は、古代中国の思想家、老子についてお話ししたいと思います。

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サマリー

イタラジ#11では、中国の思想家・老子の思想について話し合われています。老子の教えは退歩的で人の自由を奪うのか、その点について考察されています。

老子の思想の特徴
イタラジの時間がやって参りました。
今回は、中国の思想か老子の思想についてお話ししていきたいと思います。
よろしくお願いいたします。
老子の教えは、退歩的であり人の自由を奪ってしまうのか、
このことについてお話ししていきたいと思います。
老子の教えは、時に退歩的で、神秘主義的であると指摘されます。
その理由はしばしば、道、他を捉えることが難しいからだと思われます。
しかし、退歩的かどうかであるかは、一向の余地があるかと思われます。
例えば、1章。
これが他をですと示せるような他をは、工場の他をではない。
40章。
根元に回帰していくのが他をの運動であり、
重弱なのが他をの作用である。
世の中のものは存在から生まれ、存在は無から生まれる。
こういった文言はまるで全問答のようです。
渡り谷にこれを解釈すると、
他をは万物を生む根本だけれども、人間には決して把握することはできない。
そしてその特性は回帰性だったり、柔らかさ、弱さだったりとマイナスの属性を持っています。
さて本題に入りますと、
例えば、56章。
知恵の鋭さを弱め、知恵によって起こる煩わしさを解き除く。
知恵の光を和らげる。世の中の人々に同化する。
私はここで言われている知恵または意思というものは、
老子にとっては表面的な他をには程遠い知恵なのだと考えています。
なぜなら知恵にとって真の知恵とは、他をに近づくためのものだからです。
私は上記の部分で彼が他をの特性、つまり常に原則に変えることだったり、
繊細な優しさを持つことを説いているのだと思います。
老子の教えと人間の自由
ですから、もしある才能を磨くことが他をに合致しているなら、老子はそれを否定しないでしょう。
彼は他を水にたたいたように見える空っぽの容器に例えます。
つまり他をはどんなものでも内包してしまう深みでもあります。
努力や進歩も含めてであります。
逆に言えば、老子が他をの名のもとに努力や進歩を否定していたら、それは矛盾しているということになります。
ひょっとしたらそういうこともあり得るかもしれません。
また81章にはこうあります。
私は人々に文字の代わりに結び目のある着物仕様に戻るようにさせる。
逆、目の届くところに輪郭があり、そこから我々のところまで鳥や犬の声が聞こえてくるはずだが、
生いても死んでもその国と交わらないようにさせようと思う。
これも自由を奪うような言論だとも捉えられますが、私はこれは異性者の視点から見た言葉だと解釈します。
そして61章にはこうあります。
大国が小国に併立であれば、小国の基準が得られるし、小国が大国に併立であれば、大国に受け入れてもらえる。
両方がそれぞれ望むことを実現しようとするなら、大きいものの方が併立であるのがいい。
61章の記述は、大国によって統一された小国における話ではないかと考えます。
これは池田智一先生の説を参照したものです。
つまりこれは単なるユートピア論ではなく、大国、神や観音のようなものが、
いかに暴力や圧縮を行わずに民を幸福に討ち取るかを論じた実践的な思想であるとも考えられます。
ただ、それが実際にうまくいくかどうかはわかりません。
最後に、他をの曖昧さと他を根拠にすることによる宗教性についてですが、
これは神秘的な部分が大きいと考えています。
実際に牧草思想の流れは道教という宗教に変化いたしました。
このように牧草の思想についていろいろな観点から考えていくことは、
とても有益であり、とても我々に久を与えてくれるものであります。
ご静聴いただきありがとうございました。
05:12

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