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2024-11-09 06:24

政治への無感動

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今回は、さいきん自分の感覚に対して気づいたことについてお話ししたいと思います。

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皆さん、ごきげんよう。イタラジの時間でございます。
今回お話しするのは、政治への無感動というテーマでお話ししようと思います。
これは先ほど私が気づいたのでお話ししたいんですけれども、
例えばニュースとか、現実の生活の中などで、我々は政治というものについて直面して、何らかのアクションをしたり、アクションをされたり、アクションを受けたりということがあると思います。
それで私もそういう中で生活していて、昔から、誰しも若い頃から、私もその一人で政治というものに直面して生きているわけでございますけれども、
最近気づいたのが、自覚していなかったんですけれども、反省というか見返してみると、いつの頃からか政治というものに対して、
無感心というのではないですけど、無感動というか、特に大きな衝撃というか、感動というよりは反響というか反応というのが生まれないという感じがありまして、
考えてみるとそうだなと思いました。
これはいくつかの理由が考えられると思いました。
つまり一つには、政治というのはいつも新しいことが起こってばかりいるということではなくて、
選挙があって、選挙というのは法律に則って定期的に起こりますし、
政治上の事件というのもある程度のパターンがありますから、歴史上のいくつかのモデルがありますから、
そういうのに繰り返し慣れてしまえば、大体こういうことが起こったんだねということがわかれば、
そんなに衝撃を受けるという程度も軽くなってくるということがあると思います。
そして次に、やっぱり私は思いましたのは、フィクションの世界というものですね。
小説というものとか、小説じゃなくて本とか映画とか音楽とか、そういうものに表現されている政治というものですね。
そういうものがやっぱり私に政治というものの形を学ばせてくれたというかね、
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そういうものをそこで勉強を受け取ったわけでございますけれども、
それによって私は政治というものに対して慣れてしまった部分があるかもしれません。
それで政治と言って大きいですけど、主語は大きいかもしれませんけど、あえて主語を大きくして構わず話していきますけれども、
そういう政治というものに対して、別にそれの全体がわかったということではなくて、慣れですね。
そういう非常に特徴的な部分が、例えば小説な小説、例えば司令の第5章とかを読んでいると、
政治というもののメカニズムが書かれているわけですけれども、
6章とかもそうですけれども、そういうものを書くこと、読むことによって、読んで考えることに、考察することによって、
だんだんとそういうものが、例えば熊の撃退方法ですね。
我々が学ぶときに、熊の生態とかを学ぶと思うんですけど、
あとこっちのアクションの方法とかをね、映像とか文章とかに学ぶと思うんですけどね。
それを十分に学んで練習したら、いざ本番ってなるときにも、ある程度は心構えができていると思います。
一層と不注意でない限りは。
それと同じでですね、私もそういう政治というものの形というか動きというものをですね、
メカニズムをそういうもので摂取して慣れてきてしまって、
それで無感動というのが起こってくるんだと思います。
といってもですね、私もまだそんなに長く生きておりませんから、
無感動が完全に続くかというとね、そうもなくて、多分大きな動きとかがあればね、
トランプさんが大統領になったというぐらいでは別にそんなに大きな衝撃とかはなかったんですけど、
そういうこともあるよなということで思ったんですけど、
そういういろんな意味で、いろんなある意味での政治の大なじみというかね、
そういうものは先に残されているので、
私もいろいろ思ったりすることがあると思うんですけどもね、
今のところは結構無感動になっているなというのがありました。
皆さんいかがでしょうかね。
いろんなことがあると思いますから、いろんな感想というかね、そういうものがあると思うんですけどね。
もし何かあれば是非、そういう無感動な自分というものを皆さんも発見するのか、
それともまだ結構関心があるというか、政治から何らかの印象を受け取っているなというのはあるかもしれませんし、
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そこは皆さんの次第だと思います。
そういうことで、そういう発見があったなということが今日思いました。
というわけで、ちょっと短い話でしたけども、この辺で終わりしたいと思います。
政治の無感動というタイトルでお話しさせていただきました。
ありがとうございました。
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