ロジカルになりたいなら、とりあえず書かれていないことを読み取らない技術を身につけろ!
イエーイ!
というね、記事がちょっと話題になっていて、いい記事だなと思ったので、今日はこれについて話そうと思います。
放送の概要欄に、この記事のリンクを貼っておくんですけれども、軽くチャットGPTに予約お願いしたので、それを読み上げますね。
この記事は、ロジカルに考えるためには、書かれていないことを勝手に読み取らない技術が大切だ、という主張です。
SNSの短い文章などでは、読み手が自分の経験や感情をもとに、書かれていない意味を補って誤解することが多いとしてしています。
ロジカルな人はまず、書かれている内容をそのまま受け取り、複数の仮説を立てながら文脈を考える。
その上で、自分のバイアスや思い込みを意識的に排除し、事実ベースで理解する姿勢が重要だと説いています。
という記事です。
僕、これ読んでね、
ていうか、タイトルだけ見て思ったんですけど、僕はこれすごい気をつけなきゃいけないなと思いまして、
僕は結構、書かれていないことを読み取っちゃうんですよ。
日本人だね。
そう、ていうか、読み取っちゃうっていうか、ちょっと長めの文章だと勝手に、
あ、これ相手は怒ってるんじゃないのかと思ってしまう癖が、なかなか抜けなくて、
仕事でもそうだし、プライベートのLINEとかでも何でもそうだし、
最近気づいたのは、日本語でも英語でもそうなんですけど、
なんかね、長い文章を見ると、
ていうか、長い文章を見た瞬間、ちょっと怖いと思っちゃって、
相手が怒ってるベースでちょっと読み始めてしまうという癖があって、
なかなか直らないなと思っているところにこの記事を読んだので、
なんかすごい定説だなと思ったんですよね。
なんか仕事とかでも、日本にいたときのことを思い返してみても、
PMの人とかに、これってバグですか?みたいなことを、
本当はカジュアルに聞かれているんだけど、
なんか勝手に、あ、これバグを出したことを怒られてるんじゃないのかとか思っちゃって、
ちょっとなんか勝手に気分が萎えてしまうっていうことがあったりしてですね、
これ確実にもう書かれていないことを勝手に読み取って、
自分のバイアスで変なコンテキストを勝手に決めつけて、
全然違うことを読み取ってるから、全然ロジカルじゃないなと、
この文章を読んで、改めて反省したんですよね。
独自的な感情を読み取ってるのかな?
いや、そもそも読み取ってないと思うんですよ。
勝手にバイアスで、独自的な感情をテキストに身につけてるって感じがするんだよね。
あれかね、過去の経験とかからなんかあったんかね、長文に対しての苦手意識とかわからんけど。
って思って考えてみても特にそういうのない気がして、
しかも自分の頭ではこういうケース大体起こってないんだよなっていうのは分かってるのに、
なんか勝手に毎回毎回ちょっと身構えてしまうみたいな。
大体そういうの来たとき、これはいつものパターンだって思うんだけど、
それでもなんか勝手に身構えてしまうという。
ちなみに私、長文より短文の方が怖いと感じるような気がするから。
多分なんかそこも人の価値観なんだろうなって、
いやどちらかというとって今考えたんだけど、
短文でなんか日本語で言うと、
○とか絵文字とかなんもない短文結構怖いなって思ってる。
なんかさ、逆に○怖いのもあるじゃん、○原とか。
あー、確かに。
結構人によるのかな、それ。それとも文化とか世代によるのかな。
この受け取り手によってね、同じテキストでも多分感じ方全然違くて、
それはなんか文章をロジカルに読んでるわけではなく、
自分の感情で色付けしちゃってるから、
この本に、この記事に書いてある通りのことを私たちがしちゃっているところはあるだろうね。
ほんとそうだよね。
この記事の途中のサブタイトルにも出ている、
書かれてることを読み取る前に、書かれてないことを読み取らない能力を身につけろっていうのは、
もちろん肝に銘じてやっておきたいなと思いつつ、
いやでもこれ、前々からやりたいと思ってるけど身につかないんだけど、
これどうやったら身につくんですかねっていうのを思ったりして、
2人にアドバイスをいただきたいな。
なるほどね。
なんかさ、読み取れたら読み取れたで得するときもあるじゃん、場合によっては。
日本人だね。
現外のことをちょっとこういうこと言ってんだろうなみたいなのをニュアンス読み取ってさ、
ちょっと先回りしとくと得するみたいなパターンもあったりしてさ、
結構ケースバイケースもあるのかなっていう気も出るんだよね、これ。
なるほど。
例えば出てこないけど、
それはね、日本人のコミュニケーションだよ。
やっぱそうか。
なんか、それならコンテキスト確認をきっちり事前に取るべきだし、
日本人はわたし、わりかしローコンテキストでも、
なんかそれを勝手にやるのが当たり前だみたいなのがあるけど、
それが、なんか当たり前で許されるのは我が国なんだなっていうのはすごい、最近めちゃくちゃ思う。
さすが、外国の方と一緒に仕事をしているチーズさんの知見ですね。
これ、日本人だったら伝わるけど、これ、海外の方には伝わらない名はめっちゃあるんよね。
なんか、これやっといてくださいみたいな、いわゆるヨシナギって言葉あるじゃん、日本人の。
ヨシナギね。
ヨシナギなんてね、国を越えたらね、存在しないですよ。
ないね。
ヨシナギこそ、ハイコンテキストだから。
それで言うと確かに、僕、ヨシナギ能力を使って結構うまく仕事をできる人っていう感じの立ち位置を日本で築いてきていたような気もするから、
余計そういうのはあるのかもしれない。
だから、読みたくなるんだろうね、この文章。
たぶん、文章を読んで、読みたくなってしまう自分がいるんじゃないかな、その読むことによる成功体験があったわけじゃんね、たぶん。
確実にそうだ。
読むことによって、相手がまだ言ってないけどやってほしいことを理解して、先にやっておくことで、
え、それやっておいてくれたんですか、さすがっすね、みたいな。
っていうのはたぶん何回かあった気がするんで。
てか、それを自分の強みにしてきた部分も確かにあるので。
読みたくなるんだろうね。
それもあって確かに。
そうですね。
読みたくなってるんだ、私は。
あー、なるほど。
ちなみに海外で、そういうことで勝手にやるというか、周りの人がやってたときに、それは褒められるのかな、それとも、
事前に宣言したほうがいいのかな、宣言駆動のほうがいいのかな、どっちのほうがいいのか。
それもケースバイケースな気がするけど、別にそれを前提として成り立つ職場じゃないから、
あんまり、なんか嬉しいこともあるけど、そんなに他の人からそれを期待されてやるっていうのはないと思うし、
それこそ、僕は今カナダの会社で働いてて、僕も実は女の人で英語を使って働いてるんですけど、
やっぱり英語を使うと、そもそも相手に裏の情報を読み取らせる意図ないなっていう感じは多々あるし、
単純に言うと自分の捉え方として、なんか僕はその癖でどうしてもコンテキストを読み取ろうとしてしまう。
英語であったとしても読み取ろうとしてしまうんだけど、
多分言語能力の制限とかもあって、全然読み取れないみたいな。
日本語でこれ書いてあったら、日本語で話してる人の顔を思い浮かべて、ちょっとなんかどういうテンションかをもっとより探りやすい気はするけど、
英語だとそれができなくて、なんかちょっと戸惑ってる自分は最近ある。
で、しかもさっき言ったような、言語関係なく長い文章を怒ってるように見えるっていう悪い癖があって、英語が全部怒って見えるみたいなのあったりちょっとしたけど、
最近は、やっぱ怒ってるわけじゃないよなと思って、あと言われていないことは別にそんなに期待されてないんだなとかも思って、あんまり気にしないようにしたりしたりはする。
なんか若干話はそれるけど、あと英語の文章だと、日本で働いていたときのことと比べてみると、絵文字使われる確率が全然低いなと思って。
え、そう?そうなんだ。
日本だと、なんかありがとうとかだけど、ありがとうサムズアップとかお願いします、両手合わせたらお祈りマークみたいな。
あとはなんかいろんな絵文字デコレーションで、ちょっと若干こう自分の感情をわかりやすくするというか。
あーでも確かにな。
あんまり怒ってないんだったら、ちょっと優しめの絵文字を使って、なんか若干こう怒ってないように伝わるようにちょっと書いてアピールっていうのが、
なんか自分もやってたし、そういうことをしてくれる人多かったようなイメージがあるんだけど、
こっちだと、そういう普通の会の中の絵文字ってほぼほぼなんか出てこないなと思って、たまに使う人はいるんだけど。
だからそこはなんか結構大きい違いだなと思って、やっぱ絵文字って日本で生まれた絵文字という言葉が英語になってるぐらいには、やっぱ日本人に一番近い文字なんだなと思ったりしました。
確かに。私は日本の会社で海外の方と働いてるから、絵文字のオンパレードなんだけどさ、割かし。
なんだけど、確かに絵文字ってさ、何であるかっていうと、絵文字で相手にコンテキストちょっと与えてるよね。
うん、いや、めっちゃくちゃ与えてる。
与えられてるよね。
たぶん与えたい欲望もあるし、読んでほしい欲望もあるんだよね、日本人って。
確かに与えたい欲望も、それを読んでほしい欲望もあるわ、確かに。
そうか、俺は逆に絵文字あんま使わないからさ、逆に絵文字使ってくれって言われること結構あったんだけど、日本に行ったときに。
昔、前の会社行ったときに結構絵文字使わなくて、俺は全然。で、絵文字使ってほしいって言われることは結構何回かあったりとかして。
同時使ってほしいも面白い。
それは単純に同僚に?それともなんか人事評価であなたは絵文字を使ってないから使ってください。
同僚に。
同僚に。
で、なんかこれだとすごい冷たく聞こえちゃうみたいなことよく言われたことあったんだね。
こっちは別にそんなに全然なくて、単的に伝えてるだけみたいな。
ロジカルじゃん。
そういうの結構あったからさ、まあだからそういうふうに思う人もいるよなみたいなのを、逆に俺はこっちのスタンスだったから。
面白いね。
絵文字リクエストっていう概念めっちゃおもろいね。
おもろいね。
でも確かになんか、コロナが流行ってリモートワークが普及してテキストのコミュニケーションが多くなった時にも、なんかそういう会話をどっかで見てるような気がしないでもないかも。
テキストだとわかりにくいんで、なんか通話で話してやり取りした方が明確に相手の考えてることわかるんでいいですよとか、
なんか絵文字とかでちゃんと自分のスタンスをよりはっきりさせるみたいなのは、なんか見たような気がしないでもないかも。
すごいね、それもなんか正直自分の立場を表明する的な意味で言うと、言葉で伝えればいい話でもあるじゃんね。
だけど、そういう絵文字とか、フィーリングを文字から多分伝えるっていうところ、日本人はわりかし得意なほうなのかなとか思うし、日本人は読み取るものが当たり前だっていう前提で働いてるところがあるじゃんね、多分。
いやーそうだね。
で、それが評価される世界になっていると思うのよ。
いや、ある。あの人は一応言っただけで十理解してくれて仕事がすごい進む。さすがだーみたいな。
あるね。
空気を読む、空気を読むっていう言葉もさ、多分あんまり海外にはない言葉だもんね。
そうね、空気を読む、聞いたことがない。
カナダに特徴的かもしれないけど、カナダはさらになんか移民の国でもあって、結構オリジナルの国が違うと共有できるコンタクストもないから余計そうなのかなとか思ったりもしたけど、まあでも結構一般的な話なのかもしれない、カナダに限らず。
でもなんかそのロジカルに伝えるとかって、なんかAI、相手が人間だから読み取ることを期待してしまうっていうところはあると思うのよ。
だから一旦相手はAIだと思って、AIが正しく読み取るための必要なコンテキストはって考えると、なんかちゃんと正しくコンテキストを与えることができて、
自分自身もAIだとしたらどのようにこのコンテンツを読み取るかって考えたら、与えられたコンテキストの内部で判断するだろうなって思ったから、もうわからない。
AIと会話しすぎて私が頭おかしくなってるかもしれないんだけど。
AIさ、割と感情出してくるときない?でもなんかめっちゃいいですね。
感情の色付けも確かコンテキスト次第だと思ってて。
そうか。
私たちが与えたコンテキストによって変わってくるとは思うんだよね、こういう感情を出してくださいっていう。
まあわかんない、そのモデル次第のところもある気がするけど。
あとなんかコンテキスト欠落するし、あいつは。
あいつの愚痴は言ってはいけない。
すごいな、恋人の愚痴をポッドキャストで言ってるみたいになってる。
まあそんぐらい話してるだろうね、恋人と同じぐらいね。
やだな、なんか悲しいじゃん。
いやいや、そんぐらいね。
でもさ、なんかロジカルに話すと冷たく見えると思う人が多いのは。
いるいるいる。
実は日本人の中だと。
ちょっと前に話題になった、エンジニアって性格悪い人多くね?みたいな。
出た出た、私たちも喋ったね、ポッドキャストで。
そう、アテナ特命ダイアリーの記事があった気がするんですけど、それも例に出してたのが情報なんかコミュニケーションする中で、
エンジニアの人は結構その相手への伝わり方とかを、営業の人からすると考慮せずに、
なんか結構事実だけを羅列して報告してくるみたいな。
はいはいはい。
それってでも、実はなんかロジカルに伝えようとしていたのではとか思ったりもして、
余計な情報とか余計なコンテキストを付け加えずに、必要なことを必要な分だけ事実を伝えるべき事実を伝えた。
でもそれが結構そのロジカルだけじゃなくて、受け取り側の気持ちも考えて、
やり取りしてねってスタンスの人から見ると、すごい冷たく見えて、結構避けられてしまうみたいなのがあって。
なんか僕はこの記事、このロジカルになりたいならっていうこの記事を読んで、
僕自身のこう、自解というか今しめとしてこの記事はいいなと思ったんだけど、
これをなんか日本のすべての人に、日本国民すべての人に当てはめられるいい記事か、
というかいい考え方かと言われると、なんかよくわかんないなっていうところもある。
これはそうね、なんかロジカルって必要な時と必要がない時もあるかなと思ってて、
仮にセールスマンだとして、この商品を魅力的だって思わせる説明って、
ロジカルに伝えたい相手と感情を動かす。
で、相手によって、なんかそのロジカルに説明された文章、文章というか言葉と、
その感情を含みで表現された言葉、どっちが好きかって多分相手によって変わると思うんだよ。
変わるね。
だからすごいケースバイケースかなって思ってて、
仕事の場ではある程度ロジカルであるっていうことは重要だと思うけど、
一緒に働いてる相手も人間であるわけで、
この相手の特性を理解するっていうのも結構大事なのかなって思ったりはする。
確かにね。
ちなみに私趣味が人狼ゲームなんだけど、
久々に聞いたね。
人狼ゲームって議論ゲームだから、
8分という与えられた時間でコミュニケーションを取り、
持っている情報が異なる人物を追放するっていうゲームだから、
これどうなるかって、
感情的になる人物とロジカルで詰める人物だいぶ分かれるのよ。
確かに確かに。
基本的にはロジカルにこういう思考回路でこう判断し、
こうやりましたって、この投票になりましたっていう方が相手には伝わりやすいんだよね。
まあね、確かに。
でも感覚でなんか白い人物とかいるっていうのは、
あれは多分コンテキスト読み取ってんだろうなって思って。
確かに話すときの、相手の話すときの声のトーンとか、
間の取り具合とか、目の泳ぎ方とか、
全てをひっくるめて判断するみたいな。
感情派からするとさ、ロジカルの人逆にちょっと怪しく見えちゃったりとかね。
多分通じてないんだよね。
そうそうそうそう。だからそういうのあるよね。
本当に特性があると思うから、ケースバイケースだなって思いつつ、
人狼ゲームはロジカルの方が強い。
なるほどね。
結論。議論ゲームなんで。
そうだね。
正しく相手に伝わること大事です。
人狼を強くなりたい人は、このロジカルになりたいなっていう記事を読んで、
議論から気をつけてると人狼も強くなるかもしれないということか。
あと、人狼ゲームやるとある程度ロジカルになるよ。
ああ、そっか。
そうかもね。
まあ、それはね。
ならない人もいるけど。
でも、この記事だとそもそも発端が、Xのポストへの反応が結構勝手にコンテキストをつけていってる人が多くて、
お前らロジカルになりたいなっていう感じで文章書いてるけど、
でもSNSでそれをみんなに強制するのは難しいよなという感じで。
大抵リブラウン盛り上がってるやつって、全くコンテキストを読み取らずというか、読み取らずというか、
コンテキストを切り取ったり、色付けしたりしたコメントがあっておもろいよね。
そういうのがSNSで伸びるから、SNSで伸ばすのを専門にしている人とかで、
結構、マーケの中でも情報商材よりみたいな人は意図して、炎上しやすいような書き方をして、
色んな人が自分のコンテキストで勝手に怒りをつけ加えられるようにして、拡散しているっていうのを見かけたりもするから、
そもそも、だけど一応ロジックっていうものを理解はしていると思ってるのよ。
だからどちらか側にも共感する立場を示せる立場ではあるから、
そこまで拒否反応、なんか片一方に偏っていることがないかなと思って。
ていうのと、なんか最近自分の特性理解したんですけど、
性善説があまりにも強すぎるから、まずは面白いと思えるっていう。
なるほどね。
え、面白そうじゃーんから入るから。何もかも。
なるほどなー。
だからそこに抵抗があることがあんまないかもしれないかも。
仮に本当に自分がいいものだと思ったとして、
例えば保険の営業とかわかりやすいかもしれないけど、
この保険がめちゃくちゃいい保険ですって思ってたとしても、
保険を無理矢理売りつけるってことに対して、
すごい抵抗感はやっぱあるわけよね。
これがロジカルにその人がどうやって保険買ってくれるかとかを、
感情的な部分をロジカルで誘導しようとするのがすごい抵抗があるわけですよね。
あー、なるほど。
すごいいい商品だと思ってたとしてもね、それが。本当に。
うーん。
それって多分、ちゃんといい商品だと思えてないんじゃないかな。前提が。
そういうことかな。そうなんかな。
いい商品の良さをもちろん伝えるところには多分抵抗感はなくて、
この商品はこういい商品ですっていうのは多分抵抗感はなくて、
最後の買わせるための相手の賃をつくみたいなところをやるのがすごい抵抗がある。
これも多分、自覚してやっているからなんか嫌なんじゃないかな。
そういうことか。なるほどね。
これをご利用しているんだよっていう、営業しているんだっていう自覚があるから嫌なだけで、
あんまりロジカルである、感情的である関係ないと思ったんだけど、どうかな。
ロジカルである、感情であるは関係ないのかもしれない。
確かに。そうかも。確かに関係ないかもね、あんまり。
関係ないけど嫌な気持ちは出てしまう。
えー、ちょっとまだね、私2人の言っていることあんまり共感できていないからね。
なんだろうな。
なんだろうね。
ちゃんと正しく理解できていない気がする。
なんでだろうと自分に問うてみても、確かにちょっとなんでなんですかね、僕は聞きたくなる。
でもなんか半分嘘じゃんと思ってしまうタイミングがちょくちょくあるから。
だから柔らかいものに対しての信頼度が低いんじゃないかな。
柔らかいものっていうか、なんか人の感じ方とか、物事の捉え方って、
なんだろうな、その時の、その人の環境によっても全然違うと思う。
同じ物事でも、その人のその時の気分とか、その人のその時の置かれている状態というか環境によって、
同じものに対しての見方は全然変わるし、感じ方も違うなと思うんですけど、
なんかそれをこちらの意図で一つの方向にコントロールしようとしているっていうこと自体が、
なんだかちょっと、それが例えいい方向に向いていたとしても、
やっている構図が詐欺師とか情報商材で勝手になんか高いもの売るとかと、
構図としては同じだよなと頭にチラつくことがあって、
その人たちと同じようなことをしているっていうことに、自分のプライドがちょっと拒否反応を示しているのかもしれません。
うーん、そうかも。
なるほど、だから感覚、それもロジックではなく感覚として悪いことをしているような気がする感があるんじゃない?
そうですね、ロジックではないですね。
プライドとかそういうものがかかってる気がするからね。
ロジックとかもう全然関係ない。
全然関係ないけど面白いから話を続けると、
そういうそう、そういう感情ではあるんだけど、
なんか自分があんまり好まない、なんなら嫌いと思っている人種の人たちと同じような行動、
中身が違ったとしても形式上結構似ているっていうことをしているという事実が多分嫌なのかな。
はいはいはい。
そうだね、確かに確かに。
あー、なんかわかってきたわ。
確かに保険でめちゃくちゃ良いものを売っていて、結果それが将来役に立つとしたらそれは絶対良い商品だと思うんですけど、
営業をかけている時って形式だけ見たら情報商材を売っている人が適当に聞こえの良いことだけを言って相手の思考をコントロールするのと、
なんか外から見たらすごい形一緒じゃんと思ってしまうのがあり、
それは自分が営業に対しての知見がなくて、全部一緒に見えているからっていうこともあるのかもしれないけど、
何にせよそういうバイアスというか、最初に持っちゃっているので、
その中身、本当の営業の中身を学ぼうと思っても、そもそも拒否反応を示してしまって、
もしその中身を知ったら感じ方が変わるのかもしれないけれども、そもそもその中身を知るっていうこと自体がちょっとすんなりできないというジレンマに陥っているみたいな。
なるほどね。ちょっとだけ理解したかもしれない。
ちょっと変わった。
マーケティングとかの話もね、すごいいいプロダクトのいいマーケティングはめちゃくちゃ尊敬するし、
例えばデュオリンゴとかのマーケティングもすごい上手いなと思うんですけど、
マーケティングっていうものに対しての自分の知見がなさすぎて、
嘘で人を囲って人を誘導するのと大枠何が違うのかよく分かってないというのもあり、
マーケティングというものに対して若干身が入らないというところもあるのかもしれない。
それは若干バイアスかかってそうだけどね。
バイアスは結構かかっていますね、確かにね。
話聞いてると。
バイアスはめちゃかかってる。
知識を身につけた上でその方法が、プラクティスがちゃんと理論に基づいているか否かっていうところが、
今多分見えてないから、自分の経験であったりとかで色づけしているような気がしてて、
小倉くんの話を聞くと。
だから営業とは結構感情の押し付けがあるものだっていう前提であったりとか、
マーケティングはそういう感情を動かす戦略を使っているっていう前提が。
あと、マーケティングでいうと、それプラス、やっぱなんか、
ウソでは、ギリギリウソではないっていうものを使って、
何かをアピールするっていうことは少なからずあると思ってて、
例えばその、何々でナンバーワン、この商品は何々でナンバーワンですみたいなのって、
マーケティング的には、ちゃんと色々調査をした上で、
ナンバーワンですっていう根拠を一応なんか書き書きで示したりはするじゃないですか。
うんうん、あのちっちゃい文字で書くやつね。
でもそのナンバーワンって別に、その調査の中での恣意的なデータの操作によって全然変わるから、
ナンバーワンじゃないやんみたいな。半分ウソじゃん。
いや、ウソじゃないんだけど真実でもないじゃんって思うことがあるよね。
それはわかる。
ウソでもないけど真実でもないみたいなことに対する、
なんか嫌な感情がちょっとデカすぎるのかもしれない。
あーなるほどね。
なんかエンジニアとかプログラミングってそういうのないじゃないですか。
うん。
ウソがなんか存在しないじゃないですか、プログラミングがあったら。
ちょっと今、なんかそういうのどうやって行動に表すことができるんだろうって考えたけど、難しいね。
そもそも全然そういうのしないし、
もしその書いてる行動と違うことを人が説明してたとしたら、
その明確な要素はもうすぐ明らかになって、
結構プログラミングというかソフトウェア自体にはマイナスに働く。
だから、なんかそういう力学が働く、やっぱりエンジニアリングとは結構全然違う力学が発生しているんだが、
そっちの方に最適化しようとすると、
ウソでもないし真実でもないみたいなことを使わなきゃいけない世界なんだなとちょっと隣とかから思ってて、
なんだかっていう、自分で話してもなんだこいつはと思ってるんですけど。
コードってさ、コードを書いた人の感情とか見えないからさ、