そういう人はちょっと、この本は参考になるよっていう感じの本だな。
でもやっぱ大人になって、これちょっと今、学校のクラスで、教室の一クラスの中で考えたんですけど、例えば40人、40人のうちの1人か2人が例えば、本当にちょっと障害がある方って考えて、そうするとグレーゾーンの人が十数パーセントいるとどんぐらいですか?
4人から6人。
4人から6人ですよね。
うん。
で、その、あの40人の中で、4人から6人。
4人だった自分がやっぱ、箱の中に入れられて生きるのって超大変じゃないですか。
うん。
もう自分はここ、ここなんで。
そう。私なんかやっぱ、だって本当に人付き合いが苦手なの。本当に。だから、学校とかマジ辛かったです。
でもさ、考えたらさ、クラスでさ、4、5人さ、変な男子いなかった?
変な男子?
授業中にもずっと立ち歩いていたり、なんか規制を発したりする、たまに。
鼻クソ食べたりとか。
そういうのいたよね。
またいた。
なんか大人になると、一応そういう人はあんま見なくなったけど、子供とかも。
子供の時の方はそのままいましたね。
うん。見たいた。
え、でも解放されませんよ。学校とかなんか、会社とか、そういうなんか枠にとらわれなくなった時から楽になった気がする。
まあまあ、それはあるかもね。
それはあるかもね。
変な、同じ変な人と出会えるようになってから楽になった。
社会ドロップアウトするとね。社会っていうか会社ドロップアウトすると。
それと、発達障害の元々の形としては、12歳ぐらいから発症して、大人になるにつれてだんだんと楽になっていく。
あ、そうですよね。
開放に向かっていくんだって。
確かに。
だから自分となんか折り合いがつけられる、社会ともう折り合いがつけられるようにだんだんなってくるんじゃないのかな。
でも面白いよね。
十何パーセントにさらに数パーセントとしたらこれ、下手したら20パーだから。
5人に1人。
5人に1人ってことは日本人全部で2500万ぐらいいるってことだね。
なんかその、やっぱ何が難しいって、その、喋ってて、どうその他人と折り合いをつけていいのかがわからないっていうこと。
でもそれみんな悩んでんじゃないの。
そうなのか。
だからさ、今のさ、なんか私ここだったかもしれないみたいなさ、思ってる人って、これ見てる人も実は、この実際のパーセンテージは別として、ほとんど人なんか当てはまりるとかあるかもしれないですよ。
あれってありますよね。
人間って過剰に反省するじゃない。
自分が悪かったんだみたいな。
全然悪くない時でも。
話の折り合いがつかないじゃなくて、相手が無茶なことを言ってるだけの時でも、話の折り合いがつかない私が悪かったみたいな風にいい人は思うから。
いい人ほど。
そう、このグレーゾーンだなってみんな思ってるんじゃないかな。
でも自分がいい人なのか、その、ちゃんと状況を見極められてないのかがわからないっていう、そこもちょっと。
特に日本人はよく考えそうですね。
そうそうそうそう。
そうだね。
なんか強く押し切れないみたいな。
これ、この本の中にありましたっけ、いわゆる日本のデータだけでしたっけ。あんまり海外の話になかったかな。
でもなんかほら、今、精神科のさ、こういう診断基準って、アメリカのDMSっていうあの。
うんうんうんうん。
リオットのガイド本があるんだよね、それを元に付いていっているんで、多分ほぼ一緒だと思う。
じゃあ日本人だから特にみたいな感じだよね。
うん、でもただ、あの、この人ね、臨床もやっている精神科のお医者さんなので、自分の患者さんとか日本の状況のことを話してるんだと思うよ、基本的に。
ありましたよね。なんか今の話でいくと、ね、まあちょっとステレオタイプですけど、特に日本人が、やっぱりさっきの反省とかもそうだし、自分はみたいな、そもそもなんか明らかにとしてはこういうこと自体考えない。別にお褒めの人は考えないって意味じゃないですよ。
だからやっぱり日本にはこの本というか、この切り口はやっぱりみんななんか刺さるだろうなとはちょっと思いますよね、今。
そうだね。確かに。
っていうより発達障害グレーゾーンって聞いたときに、ああ、なんかやばいんちゃうんみたいなの考えるんですね。
そうそうそう。で、そこで、まあね、あの、後で話出てくるかもしれないけど、なんかそこに入ると解決するか別にして、ちょっとなんかある意味納得、ほっとするみたいなのがあるかもしれない。
あのさ、僕今から何年前だろうな、5、6年前かな、あの、Eテレでさ、ハートをつなごうっていう障害者の人が、
ハートの人に出てもらう番組やってたのよ、MC司会を。そこで発達障害の人にはずいぶんたくさんあったから、いや、実際大変だよなって思うね。
だから、ほんとにあの、みんな今これを見ている人は、ここで、こっち側の人はなかなかいないと思う。
あの、僕が会って大変だった人は、例えば、あの、見直し行動とかが止まらないの。
見直し。
そう、例えばベンチに座って立ち上がる公園でね。
で、そこで何か忘れ物をしたんじゃないか。
何か悪いことをしたんじゃないか、汚したんじゃないかみたいなことで、立って歩き出すんじゃなくて、その前にこうやって20回も30回もチェックするんだよね。
で、家に帰って、まあ、不潔、恐怖症みたいなのがあるんで、1日に200回手を洗っても肌はガサガサに荒れちゃうとか、それが止められないぐらいのものなので、
なかなかあの、僕たちが、わあそうかもって言っているこの甘い世界とこっちとはすごい大きな差があるっていうのは確かなんだよね。
そこはちょっと悪い。
分かっておいたほうがいいかもね。
こちらの方たちも、ある程度、その何か訓練とかお薬とかで改善したりはするんですか?
うん、あの、それに関してはこの本にもよくあるけど、いろんなトレーニングの方法なんかもあるんだよね。
うんうんうんうん。
なので、それでまあ完全に、その、消化がなくなるってことはないんだけど、生きやすくなるような方法はいっぱいあるって言ってた。
そっか、でも最近ですよね、こういうのちゃんとなんて言うんでしょう、その、みんなが生きやすいように何か働きかけをしたりとか、
うんうん。
自分も。
あの、なんで、そうじゃないかとか、相手に対してどう接すればいいのかとか、深く考えるようになったのってね。
そうね、だってさ、江戸時代とかはさ、あいつはちょっと変なやつとかさ、あいつはちょっとバカなやつみたいなのがいっぱいいて、それが落語でね、落語の中でさ、ね。
あ、落語だね。
クマさんとかさ、なるわけだから、まあ普通だったんだよね。そういうちょっと変わったやつもいるよな、ぐらいでみんなOKだったので。
うんうんうん。
そういう点ではやっぱり今の方が、まあ分類が細かくなったっていうか。
人をね、入れるこしきりが多くなったよね。何々系の人だから、みたいなさ。