00:09
石を置く23回目、6月号を始めていきたいと思います。
代表のオヤマダです。
理事の赤石です。
理事のたかしです。
今月ちょっと遅れちゃいましたけど、さくっとやっていきたいと思います。
最近どう?みたいな話からいきたいと思うんですけど、赤石さんどうですか?
最近、林業で木を切って丸太を出すための道を、
ユンボを使って初めて道を山に入れさせてもらいました。
別に道作りを習ったことがないんで、
社長たじつさんが作ってる道はたくさん見てるんですけど、
実際自分でやってみると、わからないっていうか、
一回削ったら元に戻せないっていう怖さがありましたね。
なかなか進まなくて。
削るってさ、何を物差しに削っていくわけ?
丸太を下ろせるかどうかってこと?
なんで道を入れるかっていうと、
斜面の遠くっていうか、お根付近とかにあるやつって、
どんなに木が長くても、下の元々ある大きな林道みたいなのがあって、
そこからさらに斜面に、投稿線に沿って道を作っていくんですけど、
ちょっとでもお根に近づいて、
引っ張り出しやすいようにするんですけど、
その時に、どうやって作っていくかっていうと、
やっぱりそのまま斜面に垂直というか、上っていくとすごい急になっちゃうんで、
なんで投稿線に沿って、ちょっとずつ上っていく感じで、
03:01
スイッチバックってジグザグの道入れたりとか、
あとカーブ、緩やかなカーブを入れて道を作ったりとかしていくんですけど、
残ってる木とかもあるんで、木の根っことかをあんまりいじめすぎると、
残ってる木が倒れちゃったりとかすることもあるし、
水が流れるところとかも確認しておかないと、
道作ったらそこに水がすごい出てきちゃうとかも、雨降った時に。
その地域によるけど、やっぱ岩盤がその中に埋まってて、
砕く機械を持ってこないと、その岩砕けないみたいな感じで進めなくなることもあったりとかするんで、
やっぱその土地とかその場所、場所で全然やっぱ違うから、
よく見て、なんかどっから水出てるんだろうなーみたいな地形を見たりとか、
そこになんか生えてる植物だったりとか、
そういうものを観察してからじゃないと作るのってすごい怖いなって思います。
すごいあれだよね、仕事だよね。
うん。
それを初めて自分で作らせてもらったみたいな感じだな。
こんな感じで行ってみればいいよって言われて、こんな感じって言われても、
あの場所をやってみた結果、全然うまくいかなくて。
へー。
で、だいたい終わってから、これちょっとなんか、どうしたらよかったですかって聞いて。
まだアドバイスももらってないですけど。
なるほど。
すごい仕事してますね。
ありがとうございます。
じゃあ、あつし君どうですか?
僕は普段リンゴ畑で、今時期は適果。
だいたい花が咲いて、4つとか5つとか1つの花に対して、
1つの花って言い方、なんかちょっと難しいんですけど、
06:00
4個とか5つとかちっちゃい実がつくんですけど、
それを大きさだったりとか、どこにあるかとかで選んでひたすら取って、
1つなりって言うんですけど、1つなりにしていく作業とかを今はしてて、
最近外出てて、今年なんか変な降り方をする雨が多いなみたいな感覚があって、
言って僕も今ここにいるのって5年ぐらいしか津軽の広崎にいたのは5年ぐらいなので、
そのスパンでの話なんですけど、なんか急にすごい勢いで降ってきたりとか、
夕方が多いなとか、
あと雲も今の時期にしてはもう夏っぽいなみたいな、そういう感じとかもあったりして、
雨が多いからなのか、実が大きくなるのも今年早くて、
なんかもう重そうに枝がダラーンと垂れてて、
物によってはその重さに耐えきれなくて折れちゃったりとかしてて、
早く敵化をしていれば防げた折れなんですけど、
全然間に合ってないので、そういう枝も目立ち始めてきて、
あーやばいなーっていう感じですね。
今年も今年で例年通りのヤバさです。
そういう感じですかね。
自然を相手にしてるとなんかこう、去年と同じやり方ができないっていうかさ、
難しいよね。
確かに。
去年とか、なんか場所が変わればやっぱりやり方全然変わってきて、
方法はなんかね、技術とかは何個かしか、何個かしかっていうかたくさんはないけど、
山とか、道行けば全然やっぱり、なんだろう、道の入り具合が違ったりだとか、
そうなるとなんかこういうやり方、やっぱ変わってきて、
それが面白いですけどね。
そうですね。
面白いなって思います。
確かに。毎年同じとこにリモだったら、
なんだろう、ここをもぐかみたいな、この葉の葉を取るかみたいな、
そんなことはありえないけど。
そうですよね。
09:02
なんかだんだんこう体が、
体が覚えてくるじゃないですけど、
なんかこうなってる身とか、なってる位置とか見て、
ここにあるとよくないなとか、ここにあったほうがいいなとか、
なんかこう、その記憶じゃないですけど、
なんかたまってきてる感じとかもあって、
なんかそういうのも面白いなって思います。
逆に足らなくなることもあるんですけど、自然の変化で。
でもなんかこう繋がってるものがあるなって思う瞬間もあるっていうのも、
なんかまた面白いなっていうか。
うんうんうん。
繋がってるっていうのは?
自分が、なんだろうな、
やってきたっていうか、
やっていた時間って言うんですかね。
だから去年的化していた時間があって、
収穫の時間と剪定の時間を経た上で、
なんかこう、ちょっと微妙に修正されたりとかするんですよ。
自分のリンゴの木に対する見方というか、
その姿勢みたいなのが、その連続性みたいなのが面白いなというか、
なんかこう、ああやってる感じあるなみたいな。
ほんとだね。
生きてくる身も変わってくるんだもんね。
そうですね。
まあその、なんか雨の影響とかもあるかもしれないけど、
自分がそうやって手をかけてきた結果みたいなのが。
もうなんか現れてるのかもしれないなみたいなことを感じたりとかも増えてきたので、
そうですね、なんかそういう感じの。
なんかそういうのを感じられる仕事って、なんかすごい豊かでいいなって今思った。
じゃあちょっとやっていきましょうかね。
一応この石岡大学では報告みたいなことをやってるんですけど、
まずですね、
6月の1日なんですけど、サポーター会員の皆様含めてですね、
毎年会報を作って送ってるんですけど、今回6月1日に皆さんに会報を送りましたね。
12:01
おかげさまで、第6期に入ってるんですね。
でもこの会報もですね、なんかいろいろ内容のあるものにしたいなって毎年思うんですけど、
いつもなんかペラの1枚作って、今回はいつもなんかおまけみたいな作ってるんですけど、
今回は僕が今すごいワッペンにハマってるので、
ロゴのワッペンを作って、そのサポーター会員の皆さんにお送りしたところでしたね。
届きましたか?
届きました。
つけてくれてますか?
いやなんか使うのもったいないなと。
ずっと触ってます。
ワッペン。
いやなんか、仕事着の破れたところに貼るのもなんとか思いながら。
あーちょっともったいないね。
なるほどね。
それはそれでいいんだろうね。僕はね、もうリュックに合ってますね。
今回も、なんだろうな、メインビジュアルもなかなか自分では結構お気に入りなんだけど。
自分で作ったやつですよね。
自分で作ったやつだからね。
すごいですね。
スタツーだね。
そうそう、スタツーだし。
右側のこのVサインもちょっとお気に入りで。
右下か、右下のVサインのロゴが。
ワークショップ某のVとVサインかけてるロゴが結構自分ではお気に入りで。
細かいところだけど。
あれどういうのだっけ?
あのね。
部屋にある。
厚しく上がってる。
そうそうそうそう。
ほんとはなんかほら、よく革命とかロシアのさ、プロパガンダのサンポスターだと黒になってるやつがVになってるのがなんかめちゃくちゃオシャレと思った。
作りました。
そんなところですね。
ロッキーもまたよろしくお願いします。
今年も頑張っていきましょう。
はい。
ということでですね、その報告になるんですけど、まず議局ですね。
5月の14日に議局が読ませるやってて。
今日、さっきまでね。
9月の議局やってたんですけど。
確かにちょっとここ報告お願いします。
はい。
15:01
5月の14日、今日6月22日に議局が読ませるオンラインで行いました。
5度待ちながら白水ユーブックス版のものを使って、5月6月で46から69ページまで進みました。
内容としてはポツオとロッキーが出てきて、主にポツオとエストラゴン、ラジミルのやり取りが延々続いていくっていう内容のところです。
感想みたいなものも色々と皆さんで共有するんですけど、なんか今日自分で聞いてて面白いなって思ったのが、内容は覚えてないけど、その内容に対しての感想、誰かが言った感想が先に思い出されるみたいなのが、
すごい面白いなって思って聞いてました。
普通は逆、普通なのか分かんないですけど、内容がまず思い出されて、それに対して誰かこの人ああいうこと言ってたなーみたいなことになるのが、
普通の流れかなーってなんとなく思ってたんですけど、小説とか映画とかでもいいですけど、その内容よりもそれに対して誰かが何か言ってたとか、
その時、どういうところでその感想を聞いたかとか、どういう状況だったかとか、なんかそっちの方がよく覚えてるみたいなことの方がもしかして多いのかなーとか、そんなことをぐるぐる考えて、
毎回毎回やっぱりこう、その読んでて内容は相変わらず入ってこないですけど、それを中心にしてこう皆さんとするお話とかがやっぱりいいなーっていうことを思って、
5月、6月も参加していました。参加者の一人として、というような感じですかね。
18:03
いや、そうっすよね、確かに。やっぱりね、この某の方でやってる映画の上映会とかも必ず、
感想シェア会好きじゃないですか。
うん、好きですね。
どっちかっていうとその感想シェアして、自分はこう思ったとかっていう時間の方がなんか、やっぱりいいんだよね。いいっていうか、
自分の身になってくるというか、自分で感想を語れるっていうのは相手がいるわけじゃないですか。
相手がいるから初めて感想を言えるんで、まずだから相手が必要で、相手がいるから初めて自分の言葉で感想を伝えられる。
その伝えられたことで初めて自分のものになっていくみたいな感じは、やっぱり何にしてもあるなあ、それは。
一人だと難しいっすよね。
難しい。
確かに。何かに書くとかはあるかもしんないけど、書かなくてもいいかって思っちゃったりとかしやすいし、
毎月こういう、何だ、その、劇局だったりとか素振りスタジオだったりとか回るとやっぱり何かしらを言おうかなって思いながら、
その映画じゃないけど、だから何か出てきやすいというか。
映画とか見てさ、だいたい一人だからさ、見に行くのって、すごい映画館に行くときは機会ってすごいあるんだけど、
だいたい一人だし、これやべえ、すげえとか思っても、感想を言える人がいないから、
感想を言える、見てない人にすごかったよっていうのと、
実際にそれを見た人と一緒に感想をシェアするのって違うよなと思うんだよね。
21:04
この前、マイケルとって、マイケルジャクソンのやつを見に行って、すげえやべえとか思って、すげえ興奮しながら帰ってきたんだけど、
それをそのままうちの嫁に行っても、何か違うっていうかさ、見てない人にひたすら行っても違って、
一緒の時間を過ごしてるし、少なくとも同じものを見てるとか時間は違ってもさ、
そういう人同士で感想をシェアし合うっていうのは、そっちのほうが多分いいんだろうね。
それもなんか面白そうなあれですね。今ふと思うんだけど、
棒シネマはなんかこう、自分、棒が企画してやってますけど、
なんかそういう小山田さん好きなの見に行ってみたいな、それぞれに見に行って。
そうそう、それやってみたい、すごく。
ブリスタジオじゃないけど、その時のテーマ本みたいな、テーマ本じゃない。
そうだね、面白いかも。
いいですね。
確かに。そしたら全国でできるもんね。
いいかもな。
そしたら小山田さんすげーって語れるし。
ここのあれが神戸みたいな。
いいかもしれない、いいアイディア出たね。
ちょっとやってみましょうかね。
あとは?
あとは、また来月も引き続き、コツコツやっていきます。
じゃあよろしくお願いします。
あとは、あまり最近はやってなくて、スブリスタジオですね。
5月30日にやってますね。
赤石さんお願いします。
5月30日に土曜日でしたね。
3人、今回は3人でした。
あずし君はお休みして、でもあずし君も感想を寄せてくれてたので。
でもその内容についても、集まった3人の中でもそれについての話題が出てきたりとか。
今、ヴィクトル・フランクルの夜と霧ですね。
っていう本を読んでて、その時は11ページから86ページまで読んでました。
24:07
なんだろうな、自分も。
なんかその、愛とかっていう話とかが出てきたのとか、
あと山田さんが言ってた消毒されることとか、
すべてのものを取られること、体も剃られて、
そういうものって怖いなっていう話とか。
うんうんうんうん。
確かになと思ったのかな。
愛、日本国民性の違いかなっていう話とかも出てたんですけど、
妻への愛っていうのが出てくることに対する違和感みたいな意見が、
参加者の人もね、喋ってました。
辻くんも書いてたけど。
それに対して、確かに日本人ってそんな、
愛ってあんまり使わないよなっていう話をしてましたね。
山田さん、日本で行くと愛、日本でというか仏教だと何でしたっけ、
慈悲。
慈悲。
それについては何か発見があったんですか。
別の本読んでたら出てきてたんだよ、その愛への解説が。
そう、NHKの心の時代だ。
心の時代の、これは夜と霧の話じゃなくて、
ビクトール・フランクルの話で一冊になってて、
そこには、夜と霧では愛って書かれてるけど、
多分ね、これと合わせて読むと精神っていうことだと思うんだよね。
精神。
愛って訳すのが正解なのかどうか、ちょっとその辺はよくわかんないけど、
今のこのNHKの心の時代のムック本っていうか、
そういうの見てると読むと精神だと思うんだよね。
ここには何て書かれてるかっていうと、
ドイツ語ではこの精神っていうのはガイストであり、
27:00
哲学的な意味での精神とは少し違います。
日本語で表現するのは難しいのですが、
あえて言い換えるとすれば、精神的な愛情のようなものだと私は思っています。
愛情と言っても家族や恋人同士の愛、ラブではなく、
神の愛、ギリシャ語で言えばアガペに近いものです。
例えばどんなにひどいことをされても、
相手を憎まず、人間として扱うことをやめない、
そのような大きな愛がアガペですって書いてあって、
この話なんじゃないかなって思った。
これ読んだ時。
アガペ。
神の愛。
神の愛。
神への愛?
神の愛。
この夜と霧の中の話だと、
妻への愛っていうのが、
そういうアガペというか、
そういうものとして出てきたっていうことですかね。
妻に対して神への愛のような愛を感じて、
そこから生きる力を引き出していたっていうことだと、
なんとなくラブ的な愛で生き延びれたんだみたいな話よりは通りがいいというか、
それだったら確かにみたいな、確かにって言える立場じゃないですけど。
確かに。
読みましたね。
背景っていうか、このヴィクトル・フランクルと、
どういう文脈でできたかな、今ちょっと調べて、探ってるんだけど。
僕一周、
外で作業してる時とかのあれかな、
59のちょっと後ろぐらいからとか始まって、
30:00
これ読んじゃう?
59の最後ら辺の方かな。
今私たちは暗い中、大きな石ころや幅が数メートルもある水たまりを越えて収容所の道を外へとよろめき歩いていく。
護衛の監視兵はひっきりなしに隣、重傷で追い立てられる。
足をひどく痛めている者はそれほどでもない隣の男にすがっている。
私たちはほとんど一言も交え合わさない。
日の出前の風は氷のように冷たく口を聞かない方が得策なのだ。
隣を歩いていた仲間が立てた上着の襟で口元をかばいながら不意につぶやいた。
ねえ君、女房たちが俺たちのこのありさまを見たらどう思うだろうね。
女房たちの収容所暮らしはもっとましだといいんだが、俺たちがどんなことになっているか知らないでくれることを願うよ。
その時私は妻の姿をまざまざと見た。
っていうとこからなんか、そういう妻への愛っていう話が進んでいくのかな。
あと62ページとか、62の後ろから63とかにかけて。
そうね、62ページの。
そして私は知り学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在。
つまり哲学者の言う本質、造材に深く関わっているということ。
愛する妻のダーザイン、現在私と共にあること、肉体が存在すること、生きてあることは全く問題の外なのだ。
愛する妻がまだ生きているのか、あるいはもう生きてはいないのかまるでわからなかった。
知るすべがなかった。だがそんなことはこの瞬間なぜかどうでもよかった。
愛する妻が生きているのか死んでいるのかはわからなくても全くどうでもいい。
それは一向に私の愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心の中に見つめることの妨げにならなかった。
もしもあの時妻はとっくに死んでいると知っていたとしても、かまわず心の中でひたすら愛する妻を見つめていただろう。
心の中で会話することに同じように熱心だったろうし、それによって同じように満たされたことだろう。
33:03
あの瞬間、私は真実を知ったのだ。
我を汝の心に置きて、おしでのごとくせよ。
そは愛は強くして、死のごとくなればなり。
愛は強くして、死のごとくなればなり。
これが花瓶なのかどうかなんとも言い難いところがあるけど。
このような、本当に妻への愛みたいな感じで出てきた。
なるよね、確かに。
ただね、やっぱりね、このフランクル自身は奥さんと引き離されてるんだよね。
で、やっぱり、今読んだところにも書いてあったけど、やっぱり解放される前に亡くなってるんだよね。
もうちょっと言うと、奥さんはフランクルと一緒に行動することを初期に望んで、一緒の収容所に入ってたみたい。
確か。
それがやっぱり、引き離されてみたいな。
で、その後はどうなったか、二人とも分かんないまま。
で、解放された時に初めて奥さんが亡くなってるってことを知るっていうような感じ。
なんかその愛の話が出てくる前の段階として、教制収容所に入れられた人たちが、なんだその内面生活、内面的に深まる人たちもいたっていう話とかで、
そういう、なんていうんすか、愛の力みたいな。
そういうものも、そこで生きていくための力になったりとかはしてたんだろうなっていう。
消毒されたりとか、持ってる、自分の外側にあるものが全部こうなんか削ぎ落とされて、でなると、そこぐらいしか頼るものはないですよね。
青山さんが言ってた、お坊さんの修行の話とか、出てきたりとかしてましたけど、
修行だと、何か全てを取られるっていうことも、そこまではないってことなの?
36:05
いや、そんなことないよ。全部一回死ぬからね。
一回死んで入るから。
一回死んで入る?
一回死んで入るんだよ。
だから何にもなくなっちゃうよ、その時は。
現実的に何にもないわけではないけど、でも儀式とか考え方的には一回死んで入る。
定発とかもそうでしょ、たぶん。そういった考え方なんじゃないか。
あれだよね、愛っていう言葉に対しての印象って、
やっぱり、安土くん言ってたみたいに、この本の通り受け取るのがなかなか難しいというか、
愛という言葉を使ってる限り、
そうですね。
勘違いがあるよね。
なんかいろいろ考えちゃいますね。
愛わかんないですね。
なんか思ったのは、これは全然また違う話なのかわかんないんですけど、
無条件の愛とか、条件付きの愛とかっていう話があるじゃないですか。
だから、このフランクルが出してきたこの話に繋がるのかどうかっていうのはわかんないですけどね。
そういう話をしたいわけじゃないと思うんですけどね、ここの愛っていうか。
ここで結局何を言いたかったんですかね、何を言いたかったんでしたか。
それを掴めなかったです。
なので、メモに書いたんですけど、
他の文章から浮いてるような気がして、
内容が、ちょっと言い方悪いですけど、
愛についての話を取ってつけたような感じの印象がむしろ残れなくて。
収容所出た後に、フランクルが奥さんも亡くなってるっていうのを知って、
39:10
書いたから、何かそういう、何か亡くなってしまった妻への思いみたいな、
そういうものとかをここでただ書いてしまったって言っちゃったらあれだけど。
出ちゃったっていうか。
出ちゃったみたいな感じなのかな。
この場面っていうか、話を話してるか、その場面。
作業とかしてる場面とか思い出しながら、そうだったなとか思いながら。
その中で出てきたから。
だから何なんだっていう風な感じに。
フランクルってロゴセラピーっていうのを提唱してた人で、
ロゴセラピーっていうのは、心っていうのと体っていうのと精神っていうのの
3つの次元から人間は成り立つっていうような考え方なんでね。
心っていうのは、精神科医だからさ、心が病むっていうか。
心が病気になることもあるし、あるわけじゃない。
心が健康であるってことはすごい大事なこと。
体が健康であるってことは大事なこと。
もう一つ、心と体だけじゃなくて、精神っていうものが健康じゃなきゃいけませんよっていうのが
このロゴセラピーの考え方で。
精神って何かっていうと、今の愛っていうのときっと関係してくるのかなっていう。
ここで言ってるのは多分、まさしく精神のことで。
今の段階で言えるのは、奥さんが体があって実際いるかどうかもわからないっていう状態でも
愛っていうのを感じられたり、そういった人を愛することもできるっていうこと。
それが精神の健康って言ったらおかしいかもしれないけど。
42:00
その奥さんへの愛が感じられるとか、奥さんのことを愛しているっていうことが
この収容所っていうか、苦しい中で
ブランクルを他の収容所と収容されている人たちの力になってるというか。
結局ここしかなかったんじゃないかっていう。
心も病むしさ、体もめちゃくちゃだしさ、あとはこの精神しか残ってないっていう。
それがここでは妻への愛とかっていう形で出てきてるっていう。
今61ページにその言ってたことが。
名乗ってたっけ?
6行目ぐらいで。
収容所に入れられ、何かをして自己実現する道を断たれるという
思いつく限りで最も悲惨な状況。
できるのはただこの絶えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても
人は内に秘めた愛する人の眼差しや愛する人の面影を精神力で呼び出すことにより
満たされることができるのだ。
そうだね。
心と精神が同じものだと思ってるんで、
体、心、精神の3つがあるっていうのを知って聞くと
負に落ちかけてますね、なんとなく。
体と心がどっちもずたずたにされた後でも残っていたものっていうものが
精神、あるいはその愛っていうところ。
今日のところそんな感じかな。
長くなっちゃうよ、それ。
長くなっちゃうね。
こんな感じで素振りスタジオってやってるっていうのはちょっと、
ちゃんと。
沈黙の時間がある。
長すぎるみたいな。
ラジオで沈黙してる。
カットするけどな、今日のうち。
めちゃめちゃ長いから。
お願いします。
素振りスタジオも決まってるんだっけかな。
決まってるよね。
45:04
6月30日です。
そうだそうだ。
次回6月30日ということでよろしくお願いします。
デスカフェとかも色々要望があるんですけど
なかなかそこまで手が回ってないみたいな感じで
一応今の予定としては
6月30日の素振りスタジオと
それからちょっと先になるんですけど
10月4日、ジンフェス岩手に出展するので
ジン作んなきゃ。
新しいやつ。
新しいジン。
そんな感じかな。
じゃあこの辺で終わりにしましょうかね。
あつくなんかありますか。
ありません。
赤井さんは?
ないです。
じゃあこの辺で終わりにします。
また次回よろしくお願いします。
皆さんさよなら。
さよなら。