1. いせさきFM(FM76.9:ナナロック)
  2. 第22回 伊勢崎市長のこんにち..
2025-08-06 11:20

第22回 伊勢崎市長のこんにちはラジオ(『終戦80年について』)

spotify apple_podcasts youtube

2025年8月 第22回「伊勢崎市長のこんにちはラジオ」

毎月第1水曜日,第3水曜 8:10OA

伊勢崎市長に毎月ご出演いただき、伊勢崎市についてお話をしていただきます。

今回のテーマは

『終戦80年について』です。




#伊勢崎市 #いせさきFM #伊勢崎市長 #臂泰雄 #広報いせさき

いせさきFM公式ポッドキャスト

①Spotify: https://x.gd/1CmIY

②Apple:https://x.gd/ezX9t

③Youtube:https://www.youtube.com/@isesakiFM-76.9/

④LISTEN:https://listen.style/p/isesakifm

※LISTENポッドキャストではAIによる自動起こしも実施中です。誤字、脱字もございますがご了承ください

Instagram: https:/ Instagram:https://x.gd/F7jYn

サマリー

伊勢崎市長のラジオ番組では、戦後80年の節目を迎え、伊勢崎空襲の歴史とその影響について語られています。特に、空襲による被害や先代市長の決断、語り継ぐことの重要性が強調されています。

戦後80年の伊勢崎空襲
伊勢崎市長のこんにちはラジオ。こんにちは。
伊勢崎市長のこんにちはラジオ。この番組は、伊勢崎市のひじやすお市長とともに、
終戦情報などをお伝えしていく番組です。ひじ市長よろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今回は、終戦80年についてお話を聞いていきたいと思います。
今年、戦後80年の節目となりますが、伊勢崎でも屈折があったと聞いています。
はい。もう80年経つのかなというふうに思いますけれども、戦後80年、伊勢崎空襲が伊勢崎で起こった、
全国で最後の空襲というふうになっているところですけれども、
80年前の昭和20年8月15日の午前0時、14日から15日に変わったところですよね。
焼夷弾によって空襲を受けました。これは終戦の前夜ということですけれども、ある意味で当日の朝ということですね。
同じ時刻に埼玉県の熊谷市も空襲を受けていますし、
秋田県の石球生成をするところ、ここなども空襲を受けていまして、
全国6カ所で一つの空襲の作戦の中の一つとして実行され、伊勢崎市でも大きな被害を受けたわけですけれども、
この一連の空襲が、米軍によるとフィナーレ爆撃というふうに言っているみたいですけれども、
本当に最後の最後の日の爆撃空襲となったわけです。
この傷跡というのは、じゃあもう80年経って何もないのかと言ってもそうではなくて、
一つは旧地方焼炉というのが北小学校織物共同組合さんの北側にありますけれども、
ここの焼炉のレンガの本体に焼け焦げた跡が残っているんですけれども、
これは空襲の火で焦げたレンガが溶けた、そういう印ですし、
伊勢崎工業高校の北の玄関のところにクスノキがあるんですけれども、
ここの一部がやはり焼け焦げてその跡が残っているんですけれども、
これも空襲で焼けた時になったものと。
それから先ほどの地方焼炉のすぐ東に公園を今整備をして、
まだ区画整理中ですのできちんとした形になっていませんけれども、
ここに当時羽尾商店さんというのがあったんですけれども、
そこのレンガの建物が焼け焦げた跡があって、
これも一部保存をしてその公園のところに、
その由来を書いたものと一緒に設置がしてありますので、
興味ある方は見ていただければと思いますけれども、
とに身近に私たちの地元で空襲があったということです。
空襲の実態と影響
実際にはどのようなことがあったのでしょうか。
一石空襲は、これは米軍の方で残っている資料や、
日本にも資料がありますけれども、
こういったものを研究されている方もいらっしゃってお話を伺うところ、
8月13日に作戦を実行しようということが決定をされて、
8月14日の午後5時ごろにガムの飛行場から大型爆撃機B-29、
伊勢崎を目指して出発をしたと、離陸をしてきたと。
ちょうど日付が変わった頃、15日の午前0時過ぎに、
86機のB-29が伊勢崎上空に押し寄せてきて、
中心市街地のところ、市街地を中心に大量の焼夷弾を投下したということです。
空襲には当時使われていた焼夷弾2種類が使われたということですけれども、
約9000発、大変な数の焼夷弾が落とされて、
そういったことがアメリカの資料からも読み取れるということです。
焼夷弾というのは、自分も知らないんですけれども、
中に粘着性のある燃料というか、ガソリンのようなものが入っていて、
落ちると、それが跳ねて広がって、木造の家屋なんかには貼り付くという形が取るので、
要するにモスということですね。
焼くということが目的の武器ということだと思います。
この空襲によって伊勢崎市は、今の駅の南側の市街地、
その他に三農町、田中島、当時は田中島村、波志江町、
こういったところで40名の方が亡くなられているということです。
この時に行政はどんなことをやったのかというと、
当時は防空砲という防空というのは防ぐ空襲ですよね。
防空砲というのがあって、とにかく空襲を受けて焼夷弾が落ちたら
それを消しなさいという法律なんですね。
だから住民の方も逃げるわけにはいかなくて、
それを消さなきゃいけないというのが決められていたんですね。
ただ伊勢崎の前の8月5日から6日にかけて前橋でも空襲が起こって、
そこで前橋では500人以上の方が亡くなっているんですね。
そういう状況を当時初代の伊勢崎市長だった
板垣厳次郎という初代市長さんが前橋の状況を見て、
これは焼夷弾という攻撃を受けた時に消そうとしても無理だと。
逃げようと、伊勢崎の場合には逃げようということで判断をして、
当日全員退票決断をしたと。
それでも40名の方が亡くなられていますけれども、
ただやはりこの板垣厳次郎さんの取った決断というのは大変大きなものだったと思いますし、
平和を願う取り組み
行政として適切な判断だったのではないかと思っています。
当時の方のことを思うと何とも言えない気持ちになりますね。
伊勢崎空襲ですが、現在赤堀歴史民族資料館で
終戦前夜の伊勢崎空襲という企画展が開催されています。
どういった内容なのでしょうか。
これは8月31日まで行っていますけれども、
赤堀の歴史民族資料館で企画展ということで、
終戦前夜の伊勢崎空襲を行っています。
戦争をテーマにした企画展、伊勢崎市として行うのは初めての開催となります。
企画展では先ほどお話をさせていただいた
アメリカ軍の作戦の任務報告書から読み解いた空襲の実態とか、
実際に投下された焼夷弾だとか、空襲の熱で焼けたガラス瓶だとか、
レコードなんかも溶けて、形が崩れているもの、
これを実物の資料を展示していますし、
また先ほどの板垣市長の決断、
こういったもののところも説明の方からお話をさせていただいています。
また、これまで赤堀歴史民族資料館に多くの市民の皆様から、
戦争資料というのをご寄贈いただいていますので、
こういったものも併せて展示をさせていただいております。
それに併せて、戦争に向かった昭和6年の満州事変から太平洋戦争、
そして石崎九州と、戦争の経過をずっと紹介するような、
それが理解できるような企画展となっています。
また、昭和16年にハワイの真珠湾工技で戦死をした前橋氏出身の岩澤中佐という、
軍神と当時、軍の神様ですね。
軍神と言われたこの岩澤中佐の軍神像、
これも所有者の方からご理解をいただいて、
初公開をさせていただいております。
今、2点、2つこの像がありまして、2つ展示をしていますけれども、
こういったものを見ていただきながら、
戦争と平和、こういったことを考えていただく機会になればというふうに考えておりますけれども、
また、8月10日には平和記念、平和を願う平和記念講演会ということで、
講演会と音楽劇を行っておりますし、
その他にもいろんな団体、取り組みをされていて、
戦争と平和展を長く続けていただいた団体さんも、
これも取り組みを行うということで予定をされております。
さまざまな機会、さまざまな場所で市民の皆さんにこういった石崎空手を
もう一度考えていただければ、見ていただければというふうに思います。
ありがとうございます。
たくさんお話を伺いました。
最後になりますが、市長から皆様へメッセージをお願いします。
前にもちょっとお話したかもしれませんけれども、
コロナのことで、コロナが一瞬にして世界中に広がったという経験を我々は知っているわけですよね。
世界が本当につながっている、自分だけ逃げるわけにはいかない。
世界がつながっているということが分かっていながらも、
ロシアやウクライナでは今でも戦争が終わらない。
また、アメリカでもさまざまな関税を含めて、
大国がそういった経済を武器に何か自分の力を大きくしようとする、
こういった混乱も起こっているということです。
もう一度、世界がつながっているということを考えながら、
その中で争いが、戦争がどういうものなのか、
本当にそういう分断を深めない、
そういったことを自分たち、自分事として考えていくことが大事だと思います。
80年前の暑い夏に伊勢崎を戦場として空襲が行われ、
伊勢崎の市民に大きな犠牲者が出ました。
市民の皆さんとそういったことを忘れずに、
足元で起こったということを次の世代の子どもたちにも伝えていく。
そんな戦後80年にしたいと思います。
平和な世界を作るために、まずは自分たちの足元から一歩一歩進んでいければと思いますので、
ぜひ企画展を含めて皆さん見ていただければと思います。
伊勢崎市長のこんにちはラジオ、伊勢崎市の藤安夫市長にお話を伺いました。
この番組は毎月第一水曜日に本放送、第三水曜日に再放送が行っています。
臂市長、本日はありがとうございました。
ありがとうございました。また9月の放送でお会いしましょう。
11:20

コメント

スクロール