サマリー
シリアの職人たちが製作する手作り製品や工業製品の質の高さについて考察しています。特に、指先で感じられる職人のこだわりや、シリアで受け継がれている伝統的な技術が大切にされていることに焦点を当てています。このエピソードでは、指先や手のひらで感じる情報の重要性について語られています。特に人と直接触れ合った経験から得た情報の価値が強調されています。
小絵日記の紹介
2025年11月15日、土曜日、朝の9時45分です。
はい、今日の小絵日記です。
小絵日記というか、昨日の小絵日記の残り、残りというのはね、写真をアップしたかったんですよ。
なぜか、うまくアップができなかったんですよね。
鞄とお財布の写真、昨日カフェで撮影したね、こちらでDAMの街で買ったシリアさんの鞄とお財布ですけれども、
これをね、ぜひね、紹介したかったのに、概要欄になぜか写真がアップできなかったので、
今日のサムネイルにしたいと思って、そのためにこれを収録しています。
でもせっかくなので、写真だけじゃなくて、その後つらつら考えたことも一緒に話します。
シリア人の職人さんたちのレベルが高い、そして国内産業が発展している近隣のね、近隣というか典型的にはイラクとの比較ですね。
何でもトルコやイランという第三業国から安く輸入できてしまうイラク、特に北部のドホークなどに比べて、
シリアの人たちは何でも自分たちで作るということで有名で、
それは工場で作るような製品、タオルとか、プラスチックバッグとかも多分作ってるね、シリアで。
お店で買い物したときにくれるバッグがあるじゃないですか、それがちょっと珍しいんですよ、透明なバッグ。
そんなのどこでも見たことないから、これシリアで作ってるんだろうなと思う。
それからそういう工場で作るタイプのものもたくさん工場があるんだと思いますよ、ここには。
お菓子とかね、スナック菓子、袋に入ってるスナック菓子、シリア産のものたくさんあります。
チョコレート系のお菓子とかもね、子供の食べる安いお店に行くといっぱい売ってるようなお菓子もシリアで作ったものたくさんあるんですよ。
だから袋に入ってて、印刷されたものでメイドインシリアって言って工場で作ったものもいっぱいあります。
それからもっと手作りのものですね、工芸品、お土産品とか、木のモザイクのおしゃれなアクセサリー入れみたいなものとか、家具。
モザイクの家具、素敵な家具、それからお洋服ですね。
お洋服はだから工場で作ったようなお洋服もあるし、ブチックみたいなものもたくさんあります。
そして靴、革の製品、靴とかバッグ、お財布、そういったもの、工芸品と言った方がいいような感じのもの。
工芸品というよりはちょっとバッグみたいなものですね、革の。
たぶん金製品みたいなものをいっぱい作っていると思う。
銀製品の詳細な織りとか飾りが入っているもの、そういった職人さんたちもたくさんいるはずです。
少なくともいたはずです。
そういった手作りがシリア人はできるという話を昨日もしていました。
それは30年前に住んでいた時にも知っていたことですし、今でも今回来てもそれがまだ残っているんだなという片鱗を日々見つけたり感じたりしております。
さらに経済制裁がそういったことを一部投資したという面もあるという話をシリアの同僚とお話をしたという話をしました。
それで手で作ったもの、指が触って作ったものなんだなと思わせるものってあるじゃないですか。
だから工場製品というよりは、工場製品でもこれは指のタッチが加わっているんだなと思うタイプのものってあります。
質が高いものね。それにもっと手作りのものね。
本当に職人さんたちが手をかけて作ったんだろうなって思うようなもの。
それからお菓子、その指触りを感じさせるようなものの品質が本当に高いと思うんですよ、私、ここの国。
多分センスということがそこには加わるし、職人の意気込みというようなものを感じさせるものがあるんですよね。
心を込めて作ってるんだろうなっていう感じと、こだわりを持って作ってるんだろうなっていう感じ。
情報の伝え方
これは職人さんが指で触りながら作ったんだろうなって思わせる感じ。
それをシリア産のものには感じるんですよ。
それってあんまり他でそんなことを考えたこともなかったですね。
ドホークでスーパーマーケットに行って何でもありますけど、そこにある製品に、
これは指で触って作ったんだろうなって思うことなんて全くなかったです。
これってもしかしたら日本の江戸時代とか明治とかすごい昔だったら全てがそうだったと思うんですよ。
着物の仕立てとかね、それって本当に布地の選び方から着物を仕立てる技術から全て指で触って作ったんだろうなっていう感覚じゃないですか。
そういうものってものすごく素敵でものすごく高級で質が高いっていうイメージってある?
そんな感じのイメージなんです。
その絹の着物とかね、そういうものがあるんですよ、ここには。
これはもうね、世界中から今それって消えてなくなっていませんか?
それがここには残っている。
それってすごいことだなと思っていて、
起業家さんとか今はちょっと注目した方がいいと思いますよ。
本当にまだ入れないと思いますけど、
世界から失われてしまったこだわりを持って指で触って作った高品質なものっていうのを
ここの国の人たちは今まだ作ることができると思うんですよね。
そういったものって失われてしまっているけど、
そういった工業製品への反発、ファーストファッションとかね、
低価格でゴミを大量生産して、ゴミを大量生産っていうのは言い過ぎですけどね、
使ってすぐゴミになっちゃうようなもの。
大量生産する社会への反発って今あるじゃないですか。
そう考えると、例えばヨーロッパの中とかではもうすでにそういう原点回帰というか、
こだわりを持って作った良いものを長く使いましょうっていうような価値観というのは、
ヨーロッパ人にはだいぶ浸透してるんじゃないかなっていう感じがするんですよね。
日本ではそれはまだ贅沢な価値観っていう感覚はあると思いますけど、
そういう気持ちを持った人っていうのは多いと思います。
そっちにシフトしたいという気持ちね。
実際にそっちにシフトするってより一層お金がかかることだから、
ちょっと贅沢っていう感じもあるんだけど、
でもやっぱり大量生産、大量消費から動いていかないとならないっていう危機感っていうのはあるから、
やっぱりそっちにシフトした方がいいと思うんですよね。
高くてもこだわりを持って丁寧に作った、指先で触って作ったものを長く使うという価値観。
その中でここのシリアの人たちが作ったものっていうものが使われていくようになったらいいなと思いますね、世界の中で。
私は残念ながらね、そういうタイプの起業家では全然ないと思うので、
もし自分が起業するとしてもそういったものを作って売るみたいな起業は合わないと思うんですよね。
センスもあんまりないし、デザインができるわけでもないし。
でもそういったお友達何人もいますからね、日本の女性で難民支援などでそういうことをしてきた人たち。
シリアの中でもそういった起業っていうのがどんどん活発になるだろうな。
日本人が関わらなくてもね、ここの人たちがどんどんそれをしていくだろうなという感じの予測を、強い予測を持っています。
その話だけじゃなくて、指先が触って触れたものっていうものがいいよねっていう話と合わせて、
じゃあ私、バッグを製産するという企業は多分私はしないだろうけど、私がすることは何なんだろうなっていうふうに考えたときに、
私の場合はね、指先で丁寧にっていう感触はすごい大切にしたいんですけど、
多分手のひらが触れたみたいな感じの距離感なんですよ。
情報を、昨日も点と点をつないで線にしてから出すんじゃなくて、点のままだしていきたいっていう話を、
昨日の声日記の中でも少ししました。
それに関連して、点のまま情報を出すってどういうことだろうなって考えたときに、
自分自身がやはり目で、自分の目で見た、その場に足で立った、
自分で話をした、自分の耳が聞いた、同じ空気を吸った、
手のひらで触れた情報の大切さ
そういうゼロ距離感の情報というのが私にとっての点だなというふうに思ったんですよ。
本で読んだとかウェブで読んだとかではなくてね、自分が見て、自分が触れた情報。
そしてそこにやはり人というファクターがあるなというふうにも思ったんです。
それが大切だなって。
手のひらが触れたっていうのはどういうことかっていうと、握手をした人っていうことですね。
人というのもやはり名前のないたくさんの人というふうにして情報を出しがちですけれども、
例えばダマスカスの人はこういう人が多いですっていうふうに言ったときは、
ダマスカスの人っていうふうに括っているわけなので、
そういう話もたくさんすると思いますけど、名前のないグループとしての人として語っているんですよね。
でもやはりあるAさん、Bさん、Cさんという名前のある私の目の前に立って直接話を交わした人の話っていうのは、
まず私はその人の名前を知っている。
その人を本当によく知っているかどうかって、そこまで入っていくのは本当に大変なことなんですけれども、
少なくともお互いに自己紹介をして、名前を紹介しあって、そして握手を交わした人という話、
そこで得た話というのを私は大切にしていきたいし、
声日記とかポッドキャストの中でも紹介していきたいなというふうに思っています。
それが私にとっての点の情報なんだなというふうに思っているんですよね。
それから、人じゃなくて場所だとしても、やっぱり自分が一度入ったカフェとか、
行ったお店の話とか、でもやっぱりそこには人がいるからね。
自分の場所でもやっぱりちょっと挨拶を交わしたり握手をした人、
そして自分が自分の手のひらで触れたことのあるものの話、
それって何というのかな、100%真実じゃないですか。
私が受け取ったものを自分の感想、自分としてのこのように受け取りましたという話をする限りは、
そこには情報操作はないわけです。
私というフィルターを通しているという事実はありますけど、
私自身がそれをさらに解釈をしたり、
そこにプロセッシングを加えていない、
その点と点をつなごうとしていないという時点で、
自分自身が分析をしたり、解釈をしたり、解説をしようとしていないということ、
指先と手先の感覚
ここに立ってこれを見て、こういうものを見ました、これを聞きました、
そしてその時これを感じましたという点の情報をする限りは、
そこには何というの、絶対的な真実、少なくとも私にとっては絶対的な真実というものがあると思っています。
その点をまずはたくさんたくさん集めたいんですよね。
そのたくさんたくさん集めた時にその点と点のつながりが見えてきて、
このように線になっていく、面になっていくということは見えてくると思うんですけど、
それはもうちょっと後でやればいいことかなと思っています。
あまり早い段階からAとBとCの3つぐらいの情報から、
AとBとCというのがあるということはダマスカスは今こうです、
みたいな先走ったまとめ方、分かりやすくはなるんですけど、まとめるとね。
でもそれってやっぱりリスクがあるし、努力を放棄している、
その点を集めるという努力をどこかで放棄して、
はい、こういう面になりました、AとBとCという3つの点があるから、
ここはじゃあもうこの同じ色に塗りましょう、みたいな作業はちょっと乱暴になっていくので、
せっかく中に入れる人で自分の目で見る機会がある人がやることとしては、
それは乱暴だなというふうに思いますね。
他の人がそれをやるのを否定しているわけではありません。
ジャーナリストとか大学の研究者とかそういう人たちっていうのは、
少ない文献化された情報とかの中からそれを分析して、
それをつないで解釈を加えていくっていうのはお仕事で、
それも大切な大切なお仕事だと思うので、
そういう他の人が他の文脈でそれをすることを否定したいわけではない。
私もそういう情報にも頼ってもいる、とってもね。
でも自分がやることはやっぱり手の平で触った距離で集めた情報と、
集めた感覚と、集めた感想、自分のというのを大切にしたいなということを改めて思いました。
という指先と手先の触れた話、2つの違う話ですけれども、
その指先の感覚というのをここの人が大切にしていて、
そういった技術が高いなっていう感想から、
私自身はその手の平の感覚、温度も含めて、
それを大切にしていきたいなという感じをすごく連想して持ちました。
というお話でした。
以上にします。聞いていただいてどうもありがとうございました。
ではまた今度。
16:57
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