1. LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA
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2024-11-08 44:18

【#256】人は自分の見ている世界しか撮れない│ SHOKOさん(フォトグラファー)

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人生を更新するインタビューマガジン「LIFEUPDATE」。今月のゲストは、ジョコビッチ、リタ・オラ、孫正義をはじめ、世界のトップランナーたちを撮影し続けるフォトグラファーのSHOKOさん。秋風そよぐ外苑前の並木道を進みながら彼女にお話をうかがった。前編では、高校時代にロックバンドを撮影していた頃から、米国の名門ロチェスター工科大学での学び、そして世界的な写真家Roxanne Lowitの右腕として過ごした日々まで、写真家としての原点に迫る。「人は自分の見ている世界しか撮れない」と語る彼女が、なぜカメラを手に取り、どのように感性を磨いてきたのか。キーワードは「情熱」。


【SHOKO】しょうこフォトグラファー。16歳の時に父親の一眼レフを手に、夢中だったロックバンドを撮り始める。アメリカへ渡り、ロチェスター工科大学で写真を専攻し、卒業後、バックステージのパイオニアであるRoxanne Lowitをメンターとし、ニューヨークでフォトグラファーとして活動を始める。2016年に16年ぶりにアメリカから日本へ拠点を移し、現在、ニューヨークでの経験をいかし東京を中心に活動中。SHOKOは人との出会いや繋がりを尊重し、ファッションをはじめ、アスリート・俳優・ミュージシャンなどジャンルを問わず, そして数々の日本を代表する政治家や経営者まで幅広く撮影をしている。帰国後はインバウンドビジネス向けのくらいクライアントも多く持ちトラベル撮影を始め海外進出の手助けとなる撮影もしている。これまでのクライアントは、ANA・Asics・Bloomberg L.P.・ Bloomberg Businessweek・Billecart-Salmon Champagne・Cadillac・CASIO・Forbes Japan・Google Japan・Mizuno・Manchester City・Microsoft・New York Times・SONY Music・Warner Music・London Observer・ServiceNOW・Paramount Pictures・楽天・吉本興業・森ビル・福砂屋・DELTA SKY・Purple Magazine・Nylon・ Bullett・Black Book・and DSW・Vogue Italy・Vogue Japan・Harpers Bazaar・25ans・Cosmopolitan・ などを含む。 公式サイト https://www.shokophotography.com/


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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。

公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。


▼目次

 外苑前でのウォーキングインタビュー

 出身地

 フォトグラファーSHOKOについて

 写真への道

 海外留学の決断

 ロチェスター工科大学へ

 プライベートでの写真

 ニューヨークで就職

 師匠との出会い

 写真スタジオでの仕事スタート

 プライベートの変動

 師匠の右腕的存在に

 師匠の教え

 写真を撮る技術

 何をしても楽しむ姿勢

サマリー

フォトグラファーの翔子さんは、彼女の視点から世界を捉える写真の道に入るまでの経歴を語ります。情熱を持って多様な写真を撮影し、国内外の著名人との仕事を通じて写真の奥深さを探求しています。音楽やアートに興味を持ち、写真を通じて表現する楽しさを学びました。高校時代の経験がカメラマンになるための重要なターニングポイントであり、アメリカでの留学を選んだ理由についても語ります。アメリカでのフォトグラファーとしてのキャリアを詳しく説明し、大学時代やニューヨークへの移住についても触れます。ニューヨークに特別な魅力を感じ、多くの人々との繋がりを持ちながら成長していく様子を共有しています。翔子さんは、キャリアを通じてビジュアルアートにおける個々の視点の重要性を強調し、他人のアプローチや独自の視点が写真に与える影響について説明しています。また、優れた作品には撮影者の感性が反映されることを示しています。撮影時には被写体への感情や共感を大切にし、それが良い作品につながることを重視しています。どんな状況でも楽しむマインドを持ち続けることが、彼女のアメリカでの経験にも影響を与えています。

SHOKOのフォトグラフィーの原点
こんにちは、早川 洋平です。人生を更新するインタビューマガジン、LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA │ 今月のゲストは、ジョコビッチ、リタオラ、ソン・マサヨシをはじめ、世界のトップランナーたちを撮影し続けるフォトグラファーのSHOKOさん。
秋風そよぐ外縁前の並木道を進みながら、彼女にお話を伺いました。
前編では、高校時代にロックバンドを撮影していた頃から、米国の名門ロチェスター工科大学での学び、そして世界的な写真家、ロクサン・ロビットの右腕として過ごした日々まで、写真家としての原点に迫ります。
人は自分の見ている世界しか撮れない、と語る彼女が、なぜカメラを手に取り、どのように感性を磨いてきたのか。キーワードは、情熱。
今日はですね、フォトグラファーのSHOKOさんにウォーキングインタビューということで、話を伺ってください。
よろしくお願いします。
ここは外縁前の市町並木ですね。
めちゃくちゃ久しぶりに来たんですけど、このロイヤルガーデンカフェは前からあるよね?
うん、昔からあると思う。
ごめんなさい、僕なんでゲストにいきなりため口なのかってね。
いや、全然全然。
元々ちょっとお知り合いでということで、すごい久しぶりに会うんで。
今年会ってないよ、たぶん。
今年会ってない。
去年の1月とかなんで。
そうそうそう。
超お昆布沙汰なんですけど。
挿し使いの範囲でいいんですけど、今日この場所を選んでもらったということは、ここに何か思い入れがあるとか、近所とか。
いや、ただ近くに住んでいるっていうだけで、散歩しながらって話だったから。
ここはね、散歩しながら気分がいいので。
実際散歩はよくする感じ?
目的があって、歩くことしかあんまり私はないので。
何目的って?運動?
いや、そういうことじゃなくて。
昔はゴルフの打ちっぱなし練習に向こうに歩くとか、品野町の方に向かうとか。
散歩するために散歩はないってことはあんまり。
散歩っていう一人ではない。
そうなんだ。
できる人羨ましいですけど。
僕はここ住んでたら絶対ランニングしちゃうけど。
そうですね、ランニングしてる人はいっぱいいそうだろうね。
季節感がすぐここわかるから。
すごいいいですね。
この辺に住んで長いんですか?
前は神宮前の方にいて、外縁前に引っ越してきたのは2年半くらい前ですかね。
じゃあ翔子さんはもう東京の人?
もう東京に戻って、というか日本に戻ってきて、もう来年の2月、今8年過ぎてます。
なるほど。
すごい。
戻ってきてということで、プロフィールもまた貼っておくのでみんな見てほしいんですけど。
ということはどこかにいたっていう話も聞きたいんだけど、その前に出身自体が東京?
出身は、何を出身と言うんでしょうっていうところなんですけど。
なぜかというと生まれは名古屋なんですよ。
そうなんだ。
でも2歳前だから覚えてなくて。
ほとんど記憶ない。
記憶ない。
その後も大阪。
じゃあ名古屋弁とか、大阪弁はあるのかしら?
ないないない。しかもそれも2歳から6歳くらいまでなので。
そうなんだ。
そうそうそう。
で、その後は?
その後は千葉。
近づいてきたんだ。
グッと近づいて。
千葉はどこですか?
千葉の今も実家が松戸というところにあるんですけど。
東京に結構近いですよね。
そうですね。隣は東京なので。
日本に戻ってきたという話もありましたが、
フォトグラファー松戸ということで、
すみません、ベタな質問なんですけど、
どんな感じの写真を撮って、
ポートレートとか、景色撮るとか、
クライアントがどんな人がいてとか、
どんな感じなんでしょうか?
すみません、ざっくりと。
私は多分、
フォトグラファーって一般的にすごいカテゴリーに分かれているとは思うんですよ。
広告ばっかり撮る人がいたり、
ポートレート撮る人がいたり、
山というか鳥撮る人がいたり、
電車を撮る人がいたり、
飛行機を撮る人がいたり。
かなり専門家が流れているのもあるよね。
料理専門とかもあるよね。
料理もそうだし、
いるんですけど、
その中で私は結構幅広くやっている方なのかなとは思うんですよ。
ポートレートももちろん撮るし、
友行きや地方の方にもよく行っていて、
地方の方に行くと、
観光向けの素材を撮りに行ったりするので、
そうとなってくると、
景色、建物、食、
お祭りとかも。
全部、祭りも。
動きのあるものも撮ったりもするので、
結構いろいろやっているかも。
写真家としてのキャリア
なるほど。
実際、翔子さんのサイトを見ると、
やっぱり分かりやすいところじゃないけど、
どぎも抜かれるのが岸田前総理だったり、
孫さんだったり、
あとジョコビッチなんかもあったりとか、
本当に国内外のトップオブトップみたいな人もいっぱい撮ってますけど、
それだけじゃないってことですね。
もちろん、もちろん。
今の話ですよね。
そうですね。
依頼があれば、
どんな方でも、
どんなものでも撮りますし。
そうですね。
なんでしょう。
そこに行くまでって、
まず私に頼むまでに、
多分いろんな人はね、
フォトグラファーがいる中で、
私に来てるから、
なんかそこにまず理由があるのかなとも思うし、
それは縁だと思って。
これちなみに散歩ならではですが、
これは翔子さんにお任せなんですけど、
どっかに向かってるんですよね。
いや、特に向かってないよ。
大丈夫?
じゃあ、適当なところで。
ご馳走します。
そのくらい言ってください。
こういうのも、
このウォーキングインタビューの持ち味なんです。
じゃあ、なんだろうな。
でも、本当にプロフェッショナルに、
こういうことにちょっと失礼かもしれないんだけど、
僕もいろんなフォトグラファーの人を
お仕事させていただいたり、
見てきましたけど、
逆に聞きたい。
いやいや。
やっぱりサイトを拝見して、
当たり前に100部が一見に近づいて、
ドギも抜かれたんです。
これお世辞じゃなくて、
翔子さんの撮ってる写真に。
いやいやいや。
言葉ではもう一度、
解説できないというか、
だから本当に共通の知人でね、
紹介してもらって、
本当にすごいインパクトを受けて、
いつかお話を伺いたいなとは思ってたんですけど、
そうすると今フォトグラファーに、
いつ思ってしてってあるかもしれないけどなって、
何年ぐらい?
うーん、
どこからフォトグラファーというのか、
あれなんですけど、
もう私は大学から写真を専攻して、
勉強してたので、
その後も働いていて、
カメラマンの下でついて、
師匠みたいな方がいらっしゃって、
その彼女の元にいながらも、
撮影は始めてたし、ちょいちょいと。
で、もう完全に不利になったのは、
多分2008年、9年あたりだったかな。
なるほど。
じゃあ完全に不利っていう意味では、
15年とか16年。
同い年です。
僕も2008年、9年あたりです。
何が?
起業して、ちょうど会社がね、
今16年で。
はいはいはい。
光栄です。
今ちょっと話出てきちゃいましたけど、
じゃあここでちょっとね、
過去に遡りますけど、
本当にそもそもなぜ、
その写真の道に、
そしてさっき日本に戻ってきて、
みたいな話もありましたけど、
ということは、
外国に行ってたのかな、
っていうところもあると思うんですけど、
遡っていただくと、
どんな感じでしょうか。
こういうの大丈夫ですか?
うるさくないですか?
全然、これも含めて、
ウォーキングインタビュー。
後で困ってきちゃう。
多分大丈夫。
これバスです。
観光バスです。
なんか小さい頃から多分、
ファッションとか、
芸術、色、
そういうものにはすごく興味があって、
要はね、
私の自分の部屋にも、
切り抜きの素敵な写真を
いっぱい貼ったりとかは、
してたなって。
中学校で、
がっつり部活をやってて、
スポーツやって、
バレーボールやってて、
体育会系。
超体育会系。
そうなんだ。
キャプテンやったり、
エースやったり、
みたいな、
運動神経もそういうのに、
まあまあだったから、
中学校の先生には、
お前はスポーツ先生に
どっか行くのか、
みたいな。
ああ、なるほど。
そのくらいの感じだったんだ。
行ったんですけど、
いや、私、
女子部に行きたいんですと。
女子美術高等学校って、
ちょっと美術系の高校があって、
そこに行きまして、
なんで結構、
高校に入ると、
いろんなところからね、
それこそ地方から、
来てる女の子とかもいたり、
美術やりたくて、
なんでまあそういう面では、
もうゴギャル世代だったんですけど、
めちゃくちゃ。
そうですね。
ほぼね、同じですからね。
もう、
みんなルーズソックス履いて、
ミニスカレーっていう時代だったんですよ。
ガングロレーとかね。
ハムラーとかね。
そうそうそう。
だったんですけど、
うちのやっぱり学校は、
まあいろんな子がいらっしゃって。
なるほど。
なんかいい意味で、
なんかすごい楽しかったですね。
そこで、
基礎的なレッスンしたり、
絵描いたり、デザインしたり、
っていうところはやってて、
その中で、
写真を撮りに行く朝から、
みたいなことを
友達同士でやってたりとかして、
そういうところから、
たぶん写真とは触れ合い始めて、
で、うちにカメラがあった。
それはお父さんのカメラ?
父の関係で、
父が昔、
Kodak社を使ってたので、
すごいカメラとかも好きで、
それこそ、
父親が亡くなった時に、
いろんなアルバムとか出してたら、
今で言うインスタグラムの
写真と音楽の出会い
アルバムマージョンみたいなのが出てきて、
なんか父親のセルフィーみたいなものがあった。
リアルインスタグラム。
こんな趣味あったの。
しかも全部結婚する前の。
あ、そうなんだ。
まずそれは置いといて。
お父さんがそんなに写真撮る人までは、
そういう目は見てないもんね。
見てないし、
子供の写真を好きでよく撮ってたから、
それは、
だから私たちは小さい頃の写真がたくさんあるんですけど、
まさか自分の写真も撮ってたなんてみたいな。
お父様は別にそういう
メディア関係の仕事をしてたわけではない?
全然全然。
なんかまだ暑い。
暑いね。
今日はね、10月ボーディスなんですが、
暑いんですよ。
で、そうか。
お父様のカメラなんかもあって、
うん、関係もあって、
まあ一眼レフ。
はいはいはい。
いわゆる一眼レフが家にあって、
で、高校時代、
高校に入ってから、
私すごい音楽も大好きで、
昔から洋楽とかも
はいはいはい。
早いうちから結構聴いてて、
えー。
で、
どんな、僕多分わかんないけど。
なんか私、
それこそ本当同級生の
うんうん。
マジに。
俺がなんかハイスター聴いてる時の
お前はセックスピストルズ聴いてたみたいな。
なるほど。
あー、俺でもわかる。
すごい。
なんかそういう。
そうですね。
で、
高校に入って、
そう、みんなこう結構アートとかが
好きな子が集まってる中で、
そうですね。
写真ね、
朝から始発で集まって、
写真撮りに行こう原宿にみたいな。
始発ですげえ。
ほんと、
それこそ今は表参部ヒルズになっちゃいます。
表参部ヒルズになっちゃいましたけど、
あそこにあったじゃないですか、
アパートが。
確かに。
なんかああいうとこに撮りに行ったりとかして、
で、
で、
同時に音楽、
ロックが大好きだったので、
その当時、
インディーズのロックマウンドの
追っかけみたいなことをしてて、
すげえ。
そうそう。
それが、
その時の写真が、
いいものが撮れたので、
あげたんですよ。
うん。
そしたらなんかこう、
彼らのCDの裏ジャケかなんかに使ってもらえて、
うん。
それがすごい、
初めての多分、
パブリッシュトラック。
ああ、なるほどね。
それがだから何歳?
まだ高校生なんで、
17、18とかですね。
でもその時は、
それをもちろん仕事にしようとまでは?
まだそこまでは思ってなかったと思うけど、
それ、
うん、
でもそれは大きかった。
やっぱり人に見てもらえるっていうことを、
楽しさを多分そこで学んだから、
じゃあ人生で当然いっぱいターニングポイントあると思うけど、
今、
もうなんか迷わず出てきたから、
それ一つの、
いや、
最初の現体験というかね。
そうだと思います。
海外への挑戦
うん。
カメラマンになりたいって多分、
思い始めたのってもう多分、
完全にそこだと思うので。
へえ。
そうか。
またそこから人生が動く。
うん。
そこから。
でもそれで別にね、
普通にじゃあ、
まあその高校の中でも、
うん。
なんか広い意味での芸術だから、
なんか当然それも写真みんなでやろうみたいなのあったから、
そこで学んで、
うん。
例えばそのまま日本で何かまた次やるとか、
いろんなこともあったかもしれないんですけど。
うん。
なんか、
日本の大学に行きたくなかったと思った。
なんか、
なんか、
なんかおじいちゃん外国の人とか。
いや、
なんか話聞いてても、
ほらちょっと最初から海外っぽいから。
いや、全然。
お父さんお母さんは。
全然。
なんか勝者とか。
もう全然。
全然。
もう本当に、
もう母親農家の娘らしいみたいな。
あ、マジで。
その逆でみたいなもんないんでしょ、
別になんかそこまで。
いない。
なんかすんごいドメスティックだったから。
うん。
すごい普通にかなりドメスティックだった。
うん。
でも反動で海外っていうようなもんでも。
あ、でも兄が2人いて私。
あ、そうなんだ。
先に海外出てくれてるんですよ。
あ、そうなんだ。
どこに?
うん。
一番上はなんかオーストラリア行ったり、
イギリス行ったり、
アメリカ行ったりみたいな。
うんうん。
で、下の兄もオーストラリア行ってたりとか。
あ、そうなんだ。
なんか、
それはある、大きいから。
あるでしょ、絶対。
うん。
そこが多分、
あ、そう、
なんでかって言うと、
私海外興味なかったんですよ。
そうなんだ。
高校の時。
信じられない。
私が帰ってきて覚えてるの、
本当に忘れるあれも。
何?何?
なんか兄が友達を、
なんかちょっとおじさまの。
はいはい。
当時45、50とかだった。
私たちに。
18歳の私にとってはもうおっさんでしょ。
うんうん。
で、なんか来ててうちに。
で、なんかアメリカ、海外行きたいみたいな話を。
写真やりたいっていう話をしてたんだ。
海外とかじゃなくて。
うん。
なんか写真やりたいみたいな話をしてて。
そんな無理よみたいな。
その人に?
その人にも言われたの覚えてるんですよね。
なんか写真家になるなんてそんな簡単じゃない。
だから何見てんだみたいなことを遠回しに言われて。
その海外の人に?
海外の人じゃなくて、
なんか兄がついてきた誰か。
日本の人?
日本の人です。
びっくりした。
海外の人だったらむしろなんか羽ばたけていいそうな。
うん。
言われたし、
なんかね、
ホームシックになって帰ってきちゃうよみたいな。
うん。
まあそういう人たちをたぶんいっぱい彼らは見てきたからと思うんですけど、
なことを言われたのをすごい覚えてます。
なんかそれに反動、
ちょっと怒りじゃないけど、
いやちょっと待ってくださいみたいな。
私やりますみたいな。
やっぱりちょっとこう、
負けん気みたいなのは?
いやあたしね、あんまり競争心がない。
ない?
だってさっきのなんか部活のキャプテンとか。
いやだけど部活はなんで、
それはスポーツはね、
競争しないと頑張らないといけないし、
戦わないといけないけど、
基本なんか競争心すごいマイナスぐらい。
そうなの?
なんか戦い始めたら、
もう大丈夫ですどうぞみたいな。
そうなの?
ちなみに今更ですけど、
こういうスタイルでなんかインタビュー受けたことは?
こういうスタイルっていうかこういう、
あ、もう散歩しながらファジー?
いや散歩しながらファジーはないですよ。
あ、よかったです。
ないない。
人生経験豊富なしょうごくん。
いやいやいやいやいや。
まあいいや、
僕の話はいいんですけど、
で、
だからおじさまたちに言われて、
でもちょっとそこで反発じゃないですか。
なんか反発心というか、
挑戦したくなったのかもしれないですね。
それで海外行くことを決めて、
あんまり兄とかを見てても、
日本の私大学にすごく疑問があったのは、
なんとか経済学部とか行って、
なんかみんなやってて。
はい、俺政治経済学部。
でもインタビューらしかったって。
インタビュー。
関係ない。
しかもまさに勉強ダメだと。
はいはい。
学部で学んでることと、
結局外に出てやってることが伴ってない人が多くて、
もちろんそんな簡単に人生はいかないんですけど、
もうちょっとなんかこう、
なんかみんな目的あって大学行ってんじゃないの?
みたいなところがあって、
それでちょっと海外に興味持ちだしたっていうのはありますね。
アメリカでの学び
で、高校卒業してすぐ向こうの。
もう1週間後にはアメリカにいました。
すごい。
それはまた海外人もほら、
アメリカ以外にも当たり前だけど、
世界に選択肢。
そう。
なぜアメリカ?
そうなんですよ。
アメリカのなぜその大学?
まず私イギリス系の音楽が好きだったので、
UKロックみたいなね。
いいですよね。
だったので、ずっとそっちにしか目が行ってなかったんですよ。
全然逆だよね。
それでなんかこう留学するって決めた時に、
なんかアッセンショーみたいなとこに行って、
いろいろ話を聞いてもらってる中で、
なんかこう全く違う文化を見たいんであれば、
アメリカだと。
イギリスも島国で、
ちょっと日本と似てるから、
アメリカの方が多分全然違うよみたいな。
価値観壊す感はね。
そうそうそう。
っていうことでアメリカに行ったんですよ。
なるほど。
そのおばちゃんの一言で。
で、何大学で何を専攻とか?
最初は語学学校とか行きながら英語学んで、
で、私はロチェスター工科大学っていうところを出るんですけど、
そこは写真ではナンバーワンって言われてるアメリカの大学なんでね。
すげー。
なんでかっていうとちょっと理由があって、
何を持ってナンバーワンなのか私はあれなんですけど、
すごい遠い田舎にあるし。
何州?
ニューヨーク州にあるんですけど、ニューヨーク州ってすごい大きいんですよ。
あのニューヨークだけじゃないってね。
あのニューヨークだけじゃない。
ほんともう北海道みたいなニューヨークもあって。
で、そんなところに大学はあるんですけど、
アメリカでの学び
CODACとXeroxの本社があるところなんですよ。
まさしくCODAC。
まさにもう亡くなってしまいましたけど。
で、その大学には、ロチェスター工科大学にはすごい支援があって、
で、もうスタジオとかも30個ぐらいあったり、学校になるに。
もう機材とかも何でもあるみたいな、
カメラマンにとってはもうパラダイスのような学校なんですね。
っていう環境があるっていうところで多分ナンバーワンであって、
ただ田舎なので、技術は学べるかもしれないけど知識とかは、
実践に使える。
ちょっとノウハウは少なかったかな。
でも学校ってそんなもんなのかなとか。
これでもそもそもやっぱり聞いてる人僕もですけど、
アメリカ一のそういうところに入れるっていうのは、
ご自身では謙遜するかもしれないけど、当然試験があるわけじゃないですか。
語学はあります。
でも誰でも入れるわけじゃないんでしょうか。
ポートフリオとかも見せましたね。送りましたね。
それもあって、先に語学も学んでて。
簡単ではないでしょ。
日本と違って入りやすいとまではいかないけど、
卒業の大変だみたいなステオタイプなイメージ。
それはそう。絶対そう。
私、人生であんなに勉強した4年間ないもん。
それは言えるくらい、やっぱり。
それもあったんですよね。
日本って入るの大変で、みんな単位取って終わるみたいな。
それもちょっとクエスチョンマークだったので、
勉強しないと卒業できなかった。
勉強って写真とか以外に何を?
写真とかいっぱい教諭ももちろんあるので、経済とか普通に歴史みたいなのもあったし。
ホームシックとかは何だった?
ホームシックは2日もかかったことがないんです。
すごいな。やっぱり根っからの日本人じゃないっぽい。
いや、何なんだろう。楽しかったの。
そうか。
多分楽しかったんだ。
じゃあ、4年間?
コミュニティカレッジその前に行ったりもしたんですけど、大学は4年で。
大学行ってる間もちろんニューヨーク州自体が広いから、
簡単に渋谷全体もあるってことじゃないんだろうけど、
勉強大変だとなりに休日だったり、
いろんなところに羽根を伸ばすとか出て行ったりとかした感じ?
ない。
そんな時間も余裕もなかった?
私の親からのプレッシャーはやっぱり安くないので、大学が。
向こうの大学って私立で、
インターナショナルスチューデント、海外から来るスチューデントにはあれがないんですよ。
奨学金?
奨学金みたいのもインターナショナルスチューデントにはないし。
そうなんだ。
そうなんですよ。だから、とにかく4年で卒業しろと。
さすがにそうか。
ニューヨークへの運命
それ以上はダメよっていう、そこのプレッシャーだけで上がったので。
そうか。
じゃあもう広大な大学とその周りに結構いた感じ?
そうですね。そんな感じでした。
でもそこでやっぱり授業を教える先生とか、
なんかもう著名なフォトグラファーの人たちもいたとか、そういうわけでもない?
そういう著名な方たちはたまに講師みたいな感じで、レクチャーとかそういうのはしに来てくれてましたけど、
なかなか田舎なので。
そうか。
でもさっきの環境は田舎であれ、技術は学べてっていうところ。
ただその中でもっといろんな外出たいとか、感性を磨きたいみたいないろいろあったと思いますけど、そこから?
友達じゃないですかね、やっぱり大学ってね。
同じ目的がある子たちに会えるっていうのは、そこは良かったのかなって。
今でも仲良くしてるし。
その先の道につながるにはどうなったの?どういう流れで?
で、もう私はアメリカに行くって決めた時からニューヨークにしか目がないので、もうLAとか他のところには全く興味がなくて。
それはやっぱり世界のニューヨークのあそこがもうクリエイティブの中心だからみたいな?
ですね。で、卒業してすぐニューヨークに。
本当のニューヨークね。
本当のニューヨークってのは怒られちゃうけど、どっちも本当のニューヨークですね。
行くって言っても、別に電車乗って行く話じゃなくて、本当にそこに拠点を置いて仕事どうするのとか。
さっきもちょっとね、冒頭で話してましたけど、どうやってつながっていくのか。
それこそ、ふとこの辺でどっか座ってでもいいですかね。
すごい、こんなとこ知らなかった。
ここは新しいんですよ。
ビージーパーク。
っていうかもう話飛びますけど、それもインタビューの醍醐味だと思いますけど、何て言うんだろう。
普通に行くとプライベートでも何か写真撮りたいとか撮っちゃうとか。
その辺の境ってある?
ある。もうずっと撮りとってた。
なんかやっぱり綺麗なもの見たり、なんか面白いもの見たり。
やっぱり心を動かされるときって、そういうときカメラマンに撮って、たぶんシャッと押したくなる瞬間だと思うので。
でもね、あんまりね、やりすぎもなんか嫌がらない。
嫌がらないけど、タイミング見ながら回せるときはこう回して。
僕もそんなしょっちゅう撮るわけじゃないけど、自分自身もそうだけど、
日本人の人は特に写真撮られないでないとか、何に使うんですか?みたいな感じで。
あるね。
あるから、海外だとね、割とハードル、そういう意味では日本より低いと思いますけど、
日本だと、日本でも普通に街で本当になんかいいなみたいに思った時は声かけたりして撮らせてもらうときもある。
めったにない。
そういうストリート系で、なんでしょう、声かけちゃうと、
その人の目が欲しいとき、目線をもらってちゃんとポートレートを撮るって言うんであれば、
ちゃんと私は聞きます、まず。
写真撮る前に。
すいませんって声かけて、お写真撮らせてもらっていいですか?って聞くけど、
そうじゃなくて、このいわゆるストリートの写真を撮るときは、そのまんまのあるものを撮る。
そりゃそうだね、そうしないとストリートじゃないですよ。
そうですね。
話戻りますけど、すいません、飛びまくって。
大丈夫ですか?これ編集超大変ですよ。
大丈夫、これも含めて。
でもやっぱ考えてくれちゃいますね。
クリエイティブだとみんな常に編集とか、これ画角どうしようとかいろいろ考えちゃいますけど、
今日は忘れていただいて、
でニューヨーク行くって言ってもね、つてとか何か足掛かりがないとって普通の人は考えちゃいますけど、
でも正子さん、なんか僕のイメージだと、全く何にもなく勢いでってタイプではなさそうだろうから、
どういう感じで行ったんですか?
それこそ語学学校にニューヨークはどれくらい行ったんだろう?半年くらいかな?行った時があって、
ニューヨークシティでね、いわゆるマンハッタンで、みんながイメージするマンハッタンで、
そこで私の先生だった女性がいて、語学学校の時まだ。
彼女に大学卒業する時にニューヨーク戻るんだけど、ニューヨークシティに戻るけど、誰か写真が知らないと。
そうやって聞いたら、彼女の幼馴染のお母さんが写真家だと有名な。
日本人大好きだからインタビュー行ってみなさいって言って、
卒業式の2日前にインタビューを組んでもらって、
その時にはもう向こうを雇うつもりのインタビューみたいな。
そうな感じで、インタビューの後私は部屋を探しに行って、
卒業式の2日前なので、親も来てて、両親も2人とも来てて、
ニューヨークシティ行った時はインタビューと部屋探しみたいな。
キャリアのスタート
インタビューの時は撮る前提でみたいな話だったから、
よっぽどじゃない限り多分採用されるだろうみたいな。
なぜかというと、彼女が私の師匠としているロックさんっていう女性がいらっしゃるんですけど、
彼女の元にもう日本人の一人働いてたんですよ。
だから日本人ってよく働くし、丁寧だからっていうので、
すごい日本人が好きだった彼女が。っていうのはすごいプラスだったと思う。
だから話が早かった。
で、その卒業式2日前っていうことで、そのインタビューもあって、
じゃあご両親はそのインタビューに行かなかっただろうけど、
ご両親もそれは聞いて安心?それから日本に帰ってくるとは思っていない?
来るとは思っていない。私は帰るつもりは全くなかったので。
卒業してくれれば後は?みたいなところはお父さんお母さんもあった感じ?
そうか。
ここまでね、まだ本当に前半の部分の話を伺ってますけど、
聞いてる人からすると、どうしてもそういう視点で考えちゃいましょう。
しょうこさん自分で自分を俯瞰するのは難しいかもしれないけど、
ここだけでも既にアメリカンドリームなわけですよ。これマジで。
僕とか聞いてる人たち。
もちろんその実力とか努力全部あったと思うんだけど、
でもここまでの今のこれからキャリア始まるところまでも、
僕からするとある意味最初からもうすげえなっていう風に。
もちろんいろいろあったしあるんだろうけどその過程。
でもその時、22、23?
23。
その時はもう本当に何て言うんだろうな。
どういう心境だったのか。当然まだこれからだし天軍なるとかそういうのはないだろうけど、
全都要用でもう私未来明るいわみたいな感じだったのか。
どういう感情だったんだろう。さあ世界に出るぞみたいな感じ。
ウキウキはしてたと思います。やっぱりニューヨークシティで働くって。
まだカメラマンとしてではないけど、
まず日本人にとってビザの問題とかもあるのでまず。
だから彼女との出会いは本当にありがた大きいものでしたね。
じゃあそれがどのくらい?2000年くらい?
いやもう2000年に私は向こうに行ってるのかな。
4年後とか。
だからそう、2005、6年。
17、8年前で無事採用されて、だから師匠の名前が?
ロクセン・ロエット。
もう一回。ロクセン・ロエット。
日本語で書くとロクサン・ヌー。
ルイットってロエットなのかな?
エル。ロクサンのRね。
一番英語の勉強になりそうな名前ですね。
確かに。
じゃあその師匠の写真事務所?
そうですね。彼女のスタジオ。
アシスタントみたいな感じ?
そう。当時はすごいいっぱいいて、私が入った時は。
で、私の最初の仕事はリタッチング。
リタッチングってなんですか?
リタッチングって写真の加工ですね。
一番最初の写真が、ほんとマジ忘れない。
シェアってわかります?
翔子さんのキャリアの始まり
ミュージシャン。
わかった、発音がいいからね。
日本語映画だとシェール。
正しいな、しょうこさん。
鼻毛のリタッチングしてた。
リタッチングってそれも日本語だろ?レタッチ?
レタッチ?そう、レタッチよ。
ごめんなさい、僕が日本人でしょうこさん海外の方なんで。
リタッチングね。
確かにカタカナにするとレになってますね。
すみません、僕日本番組だから。
本当にこんなこと言う。
シェールの前で言うのもあれだけど、
僕も広告会社で撮影やってて、
本当に日本の芸能事務所もそうだけど、
本当にこれ消すの?みたいなくらい細かいよね、やっぱり著名な人って。
鼻毛。
それが最初の一枚目だったの覚えてる。
なるほど。シェールの鼻毛から始まり。
始まり。
どんどん色んな仕事を任せてもらって、
最後は本当に彼女のビジネスを一緒に回させてもらってるっていうところまで、
クライアントとのやり取りは全部私通して、
みたいなところまでやらせていただいて。
その彼女の事務所にいたのは計何年?
8年くらいいました。
8年か。
結構長いからね。
その事務所、8年の間に色々人数も変わったんだけど、
だいたいどのくらいの規模の事務所だったんですか?
いや、でも当時、スタジオに入ったばっかりの時は、
バイトの子もいたり、社員の子もいたり、
多分4,5人じゃないですかね。
信頼と成長の過程
その中でちょっと月並みだけど、いじめ、いびり、差別?
そんなのはない。
そういうのを許すような女性じゃなかったし、
本当に素晴らしい女性だった。
それはステレオタイプな質問で恐縮ですけど、
本当にスタジオとかはその人次第なんだろうけど、
アメリカの他のフォトグラファーの事務所だとやっぱり色々ある?
ある。
じゃあショウゴさんは本当にそういう意味ではすごく幸せだった?
本当に幸せだったと思う。
日本人の先輩もまだ行った?
先輩はその後、多分数年後に辞められて、
結婚されてニューヨークで今も暮らしているのかなと思うんですけど、
彼女はどちらかというと事務的な仕事を淡々とやっていて、
カメラマンになるという意識は彼女にはなかったので。
そうなんだ。
そういう意味では8年の間に、
そうは言っても途中で辞めちゃう人もいたりとか、
色々あると思う。
今の話を聞いているとショウゴさんは最後、
片腕というか右腕じゃないけど、そこを勤めるまでに、
信頼、価値得ていろんなお仕事ということは?
なんか普通に日本のサラリーマンじゃないけど、
毎年必ず昇格していく、そういう話じゃないだろうから、
何がそうなし得たんですかね?
でもね、ちょっとこれ言っていいのかあれだけど、
別に全然自分の人生だからだけど、
その8年の間の中に、私、長く付き合っていた方がいらっしゃって、
ニューヨークに住んでいなくて、
一瞬だけニューヨーク、その仕事も辞めて、
ニューヨーク離れた時期がある。
アメリカにはいたの?
アメリカにはいたの。
これどっちでも入れなくてもいい?
いやいや、入れますよ。
NGじゃなくても入れますよ。
何が起きたかというと、
もうずっと離れているの前だから一緒になろうって言って、
私が引っ越しました、彼の方に。
その2週間後に、
彼はマンハッタンから2時間ぐらい離れている、
ピッツバーグっていうところに、
ピンスルベニアのフィラデルフィアっていうところに、
仕事が決まるんですよ。
転職が決まるんですよ。
もっと遠くに私は引っ越したんです、彼のために。
そしたら2時間ぐらいニューヨークから近いところにまた引っ越してきたの。
新しい場所で2人で始めるじゃないですか。
それがもう大変で、
仕事も私もないし、
そんな簡単に辞めちゃってね、
これからどうしようってことなのに、
引っ越し引っ越しが続いて、
その時にその奥さんから、
2時間ぐらいで行ける範囲だから、
彼女も私がいなくなったことでたくさんのことが、
どうしようどうしようみたいになっちゃったみたいで、
来れるときに来てくれほしいと。
っていうんで、またそこからバイトみたいな感じで、
社員ではないけど、
バイトみたいな感じで始まるんですよ。
2、3ヶ月後かな、
今度私別れるんだよ。
はいはいはいはい。
それはその奥さんから言われて?
でも彼女からのオファーだったの?
もちろんね、ずっと信頼されて、
仕事っぷりもそうだし、よく分かってるし、
多分愛情もあったからだろうけど、
さっきの話、
仕事的に当たり前だけど、
実務的にというか、
彼女にとって本当に必要だったっていうのは、
それは細かい話ですけど、
その時の当時の翔子さんの仕事ってのは、
彼女の何かマネジメントみたいなものもやりつつ、
プレイヤーとして自分も撮る?
プレイヤーとして、
彼女の撮影のためにプレイヤーになることはないです。
自分は自分で撮る?
自分の撮影はまた別の話なんですけど、
彼女の元にいた時は、
電話を取るところから、
いろんな人をブッキングするところからとか、
彼女はすごいアーカイブ、
要は昔からの写真、
70年代からの写真がたくさんあるので、
それが欲しいって言ってくる雑誌があったり、
そういうやることはいっぱいあるんですよ。
じゃあその時、自分の写真は別でって言ってましたけど、
それは事務所の仕事として、
翔子として受ける仕事なのか、
それはもう自分で普通に、
ある意味フリーランスとしてやってたみたいな。
もしくはその時は仕事としてというより、
その時は、
私の写真家としての仕事は全く別ラインなので、
私は彼女のビザも出してもらってるし、
彼女の元に基本的には100%いて、
だけどファッションウィークとかがあって、
私もその当時イタリアンボーグをクライアントに持って
やらせてもらってたので、
この1週間はファッションショーに行くし、
いろいろ出たり勝手に出たりするけど、
彼女の元でやらなきゃいけない仕事は、
ちゃんとやるからっていう条件で出させてくれてたの。
それが普通のフォトグラファーはやらせてくれないから、
絶対無理だと思うけど、
彼女は私がカメラマンになりたいことを分かってたから、
それを許してくれたのね。
それはもう結構ずっと8年の間、
最初の最初はあれだろうけど。
最初の最初はないですけど、最後の数年。
でもその今のイタリアのボーグとかクライアントっていうのは、
どういうふうにさらっといったけど、
そんな簡単にクライアントに当然なるわけじゃないわけ?
それも一番最初は多分、
アイスランドファッションフェスティバルみたいなのに行って、
写真と視点の重要性
その時に撮ってた写真。
アイスランドに行ったんですか?
うん、アイスランドに。
それはロクサーヌの仕事で行って、
いいですね、いいとこですよね。
そうそう。
それで、その写真を使いたいからみたいなところから始まって、
で、またちょっとニューヨークにいるんだったら、
ファッションウィークも撮ってみたいな。
でもそれも今の話で聞くと、
そのきっかけはロクサーヌ?
うん、いやもうほんとやっぱ人ですよ、全部ね。
でもなんか私がこうしてあげたりとか一切ない、
もう器のでかい人だったっていう感じなんでしょう。
何をこう、いわゆるちょっと素人に説明するの難しいかもしれないけど、
彼女からそのいわゆるフォトグラファーとして、
なんか学んだことを3つぐらいあげるとしたら何でしょうね。
まあその技術的なことでもいいし、もちろん今の。
彼女カメラの使い方も分からなかった人だから。
あ、そうなんですか?
うん、ほんと彼女がインタビューできるんだったら、
彼女をインタビューしたらめちゃくちゃ面白いっていうくらいの人ですけど、
彼女は亡くなってしまったので、
彼女から学んだものはね、まず人への優しさ、とんでもない。
あの人はなんかブッダみたいな人だった。
なんかこれだっていう思い出をあげるとしたら、
これはブッダだわみたいな。
いや、何でしょう、常に穏やか。
で、彼女の写真が全然穏やかじゃないの。
すごいパワフルなんですよ。
で、彼女はお酒も飲まないし、なんだけどパーティー大好き。
もう夜中まで遊んでるの。みたいな。
なんか両面持ってる人なんですね。
もうほんとね、不思議な人ですよ。
なんだけどほんとに常に穏やかで優しくて、
っていうのがほんとに残ってるね。
なんかその技術を具体的に教えるみたいな感じのタイプではなく。
そういうことはあまりなかった。
どちらかというと、カメラこうこうこうなのよって使うかどうか知ったのは周りの人だから。
なのにすごいフォトグラマー?
目がある。
目があるんですか?
目がある。だからいいものがわかるから。
いい瞬間がわかるから。
やっぱり今の話、フォトグラファーやってる人もそうですし、
なんかちょっとでも撮る人はちょっと震えましたけど、
なんていうんだろう、当たり前だけどもちろん技術ね。
大事だけど、なんか今の話に翔子さんとかロークさんとかが思ってる、
いい写真を撮る神髄っていうのがちょっと見た気がしましたけど、
やっぱりそうすると感性っていうと月並みになっちゃうけど、
それは磨けると思うけど、でもやっぱり結構もっと生まれたもんってあるんでしょうか?どうなんでしょう?
でもなんか私ほんと最近すごく思うんですけど、
なんか写真ってもちろんね、技術も光がこう入ってるからこう写るとか大事なんですけど、
やっぱりその前にその人が目の前のものをどう見てるのかっていうところがほんとに出ちゃうから。
つまりその人のものの見方とか考え方とかある意味目に見えないものが見えちゃうってことですね。
だから100人いたる100通りの写真が出てくるっていうのは同じものを撮ってても絶対同じものはなくて、
でもそれが面白いところでもあるんですけど。
ここでちょっとその仕事っぽい話になりますけど、
撮影時の心構え
しょうこさんがこう今やっぱりいろんなね、もう誰もが知るようなすごいトップランナーから姿勢の人とか普通の人を撮ったり、
地域お祭りいろいろ撮ると思いますけど、
その時にやっぱシャッター切る時ってもちろんクライアントからもこうだみたいな時もあると思うけど、
でもその中でも多分選択肢って無限にあるわけで、
感覚的かもしれないけど、でもなんかシャッター押す時にこういうことだけは大事にしてるとか、逆にこういうことだけはしないようにしてるとかなんかあります?
特に人を撮る時はですね、私その最初にさっき話したように音楽、ロックバンドが好きで、
でその歌ってる人が好きで撮り始めたって言ってたじゃないですか。
やっぱりそこってすごい大事だなと思ってて、
感情いうのはすごいすると、それがいい結果か悪い結果かは別としても、
私の場合はそれでそれが認められて裏ジャケになって写真が使われてっていうところが元にあるので、
私はその被写体を好きになって、その人のいいところを見ようとする努力はしてる。
いいですね。
でもなんか比べるのも恐縮ですけど、僕もインタビューも本当にね、老若男女有名国内外話聞きますけど、やっぱり好きになっちゃいますよね。
なっちゃうというか、努力してなってる時もあるし、逆になんか昔駆け出しの時に、誰々にインタビューしてあげてよみたいに言われたことがあって、
なんか当時やっぱりもう駆け出しだったから、そういう話にもらえるだけでもありがたいみたいに思って、
でもその時正直お相手には失礼なんだけど、この人はないよなみたいな人にインタビューしてその時全く気持ちが乗んなくて、
最悪なインタビューになってもちろん相手にも失礼だったんだけど、それ以来は絶対好きになることも大事だし、
あと絶対的に言い方あれだけど、共感できるものがない人だったら、そういう人ほぼいないと思うんだよ。
後から今から振り返ればね、いろんな共通点絶対ある。
今の翔子さんが言うような、好きになるとか共感するとか、そういうのは本当に大事だなっていうのは、
大事だし、私は楽しいので写真を撮っていること自体が。
それを好きな人を撮っているのってもう最高にアドレナリン出るんですよ。
だからそこに持っていくために勉強をしておくっていうところ。
この女優さん撮ってって言われた時に、私はテレビとかもないのであまり分からなくて、
でもその人が出ているインタビューだったり、映画だったり、ドラマだったり、いろいろ見てから、
どうしてみんなこの人が好きなのかなっていうところとかを考えたり、
めっちゃ足綺麗この人、肌綺麗な。
その人に興味を持って撮影に臨むと、楽って言ったらおかしいけど、
すんなりそこにいることが楽しくて、その人と話せることが楽しくて、
その人と撮影できることが楽しくてっていう波動が出れば、
多分それって周りの人にも伝わるなと思うし、
やっぱり撮影って現場ってすごい大事なので、たくさんの人がいればいるほど、
楽しむマインドの重要性
そういうのもあるでしょうね。
確かに、本当に波動、バイブスって絶対あるから。
僕も最近そういう波動というか、雰囲気というか、空気というかって非常に大事だと思うんですけど、
そういう意味では翔子さんがアメリカ時代もそうだし今もそうだし、
当然いろんなことあって精神的に落ち込んだり大変な時もあると思うんですけど、
常にグッドバイブスを保つために大事にしてることってありますか?
どんなことでもいいんだけど。
何してても楽しむのって大事だと思ってる。
私が結局アメリカに16年行ったんですけど、
行ったのに一度もホームシックにかかってないのって多分そこなんですよ。
言ってましたね。
母親にね、どこにいても離れるじゃないですか。
この先9-11みたいなこともあったし、
どこで何が起きるか人生わからなくて、
だけどどこにいても楽しめるマインドを持ちなさいみたいなことはよく言われてたのね。
すごいお母さん。
そう。だからそれがたぶんすごい粘り付いてて、
どんな状況にいてもその場を楽しんじゃえみたいな仕事だってやらなきゃいけないんだから、
だったら楽しんだ方がいいじゃんっていうそれだけのことでね、たぶん。
確かに。ちょっと禅の世界みたいですけどね。
そうか。
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