こんにちは、早川 洋平です。人生を更新するインタビューマガジン、LIFE UPDATE │ YOHEI HAYAKAWA │ 今月のゲストは、ジョコビッチ、リタオラ、ソン・マサヨシをはじめ、世界のトップランナーたちを撮影し続けるフォトグラファーのSHOKOさん。
秋風そよぐ外縁前の並木道を進みながら、彼女にお話を伺いました。
前編では、高校時代にロックバンドを撮影していた頃から、米国の名門ロチェスター工科大学での学び、そして世界的な写真家、ロクサン・ロビットの右腕として過ごした日々まで、写真家としての原点に迫ります。
人は自分の見ている世界しか撮れない、と語る彼女が、なぜカメラを手に取り、どのように感性を磨いてきたのか。キーワードは、情熱。
今日はですね、フォトグラファーのSHOKOさんにウォーキングインタビューということで、話を伺ってください。
よろしくお願いします。
ここは外縁前の市町並木ですね。
めちゃくちゃ久しぶりに来たんですけど、このロイヤルガーデンカフェは前からあるよね?
うん、昔からあると思う。
ごめんなさい、僕なんでゲストにいきなりため口なのかってね。
いや、全然全然。
元々ちょっとお知り合いでということで、すごい久しぶりに会うんで。
今年会ってないよ、たぶん。
今年会ってない。
去年の1月とかなんで。
そうそうそう。
超お昆布沙汰なんですけど。
挿し使いの範囲でいいんですけど、今日この場所を選んでもらったということは、ここに何か思い入れがあるとか、近所とか。
いや、ただ近くに住んでいるっていうだけで、散歩しながらって話だったから。
ここはね、散歩しながら気分がいいので。
実際散歩はよくする感じ?
目的があって、歩くことしかあんまり私はないので。
何目的って?運動?
いや、そういうことじゃなくて。
昔はゴルフの打ちっぱなし練習に向こうに歩くとか、品野町の方に向かうとか。
散歩するために散歩はないってことはあんまり。
散歩っていう一人ではない。
そうなんだ。
できる人羨ましいですけど。
僕はここ住んでたら絶対ランニングしちゃうけど。
そうですね、ランニングしてる人はいっぱいいそうだろうね。
季節感がすぐここわかるから。
すごいいいですね。
この辺に住んで長いんですか?
前は神宮前の方にいて、外縁前に引っ越してきたのは2年半くらい前ですかね。
じゃあ翔子さんはもう東京の人?
もう東京に戻って、というか日本に戻ってきて、もう来年の2月、今8年過ぎてます。
なるほど。
すごい。
戻ってきてということで、プロフィールもまた貼っておくのでみんな見てほしいんですけど。
ということはどこかにいたっていう話も聞きたいんだけど、その前に出身自体が東京?
出身は、何を出身と言うんでしょうっていうところなんですけど。
なぜかというと生まれは名古屋なんですよ。
そうなんだ。
でも2歳前だから覚えてなくて。
ほとんど記憶ない。
記憶ない。
その後も大阪。
じゃあ名古屋弁とか、大阪弁はあるのかしら?
ないないない。しかもそれも2歳から6歳くらいまでなので。
そうなんだ。
そうそうそう。
で、その後は?
その後は千葉。
近づいてきたんだ。
グッと近づいて。
千葉はどこですか?
千葉の今も実家が松戸というところにあるんですけど。
東京に結構近いですよね。
そうですね。隣は東京なので。
日本に戻ってきたという話もありましたが、
フォトグラファー松戸ということで、
すみません、ベタな質問なんですけど、
どんな感じの写真を撮って、
ポートレートとか、景色撮るとか、
クライアントがどんな人がいてとか、
どんな感じなんでしょうか?
すみません、ざっくりと。
私は多分、
フォトグラファーって一般的にすごいカテゴリーに分かれているとは思うんですよ。
広告ばっかり撮る人がいたり、
ポートレート撮る人がいたり、
山というか鳥撮る人がいたり、
電車を撮る人がいたり、
飛行機を撮る人がいたり。
かなり専門家が流れているのもあるよね。
料理専門とかもあるよね。
料理もそうだし、
いるんですけど、
その中で私は結構幅広くやっている方なのかなとは思うんですよ。
ポートレートももちろん撮るし、
友行きや地方の方にもよく行っていて、
地方の方に行くと、
観光向けの素材を撮りに行ったりするので、
そうとなってくると、
景色、建物、食、
お祭りとかも。
全部、祭りも。
動きのあるものも撮ったりもするので、
結構いろいろやっているかも。
それ以上はダメよっていう、そこのプレッシャーだけで上がったので。
そうか。
じゃあもう広大な大学とその周りに結構いた感じ?
そうですね。そんな感じでした。
でもそこでやっぱり授業を教える先生とか、
なんかもう著名なフォトグラファーの人たちもいたとか、そういうわけでもない?
そういう著名な方たちはたまに講師みたいな感じで、レクチャーとかそういうのはしに来てくれてましたけど、
なかなか田舎なので。
そうか。
でもさっきの環境は田舎であれ、技術は学べてっていうところ。
ただその中でもっといろんな外出たいとか、感性を磨きたいみたいないろいろあったと思いますけど、そこから?
友達じゃないですかね、やっぱり大学ってね。
同じ目的がある子たちに会えるっていうのは、そこは良かったのかなって。
今でも仲良くしてるし。
その先の道につながるにはどうなったの?どういう流れで?
で、もう私はアメリカに行くって決めた時からニューヨークにしか目がないので、もうLAとか他のところには全く興味がなくて。
それはやっぱり世界のニューヨークのあそこがもうクリエイティブの中心だからみたいな?
ですね。で、卒業してすぐニューヨークに。
本当のニューヨークね。
本当のニューヨークってのは怒られちゃうけど、どっちも本当のニューヨークですね。
行くって言っても、別に電車乗って行く話じゃなくて、本当にそこに拠点を置いて仕事どうするのとか。
さっきもちょっとね、冒頭で話してましたけど、どうやってつながっていくのか。
それこそ、ふとこの辺でどっか座ってでもいいですかね。
すごい、こんなとこ知らなかった。
ここは新しいんですよ。
ビージーパーク。
っていうかもう話飛びますけど、それもインタビューの醍醐味だと思いますけど、何て言うんだろう。
普通に行くとプライベートでも何か写真撮りたいとか撮っちゃうとか。
その辺の境ってある?
ある。もうずっと撮りとってた。
なんかやっぱり綺麗なもの見たり、なんか面白いもの見たり。
やっぱり心を動かされるときって、そういうときカメラマンに撮って、たぶんシャッと押したくなる瞬間だと思うので。
でもね、あんまりね、やりすぎもなんか嫌がらない。
嫌がらないけど、タイミング見ながら回せるときはこう回して。
僕もそんなしょっちゅう撮るわけじゃないけど、自分自身もそうだけど、
日本人の人は特に写真撮られないでないとか、何に使うんですか?みたいな感じで。
あるね。
あるから、海外だとね、割とハードル、そういう意味では日本より低いと思いますけど、
日本だと、日本でも普通に街で本当になんかいいなみたいに思った時は声かけたりして撮らせてもらうときもある。
めったにない。
そういうストリート系で、なんでしょう、声かけちゃうと、
その人の目が欲しいとき、目線をもらってちゃんとポートレートを撮るって言うんであれば、
ちゃんと私は聞きます、まず。
写真撮る前に。
すいませんって声かけて、お写真撮らせてもらっていいですか?って聞くけど、
そうじゃなくて、このいわゆるストリートの写真を撮るときは、そのまんまのあるものを撮る。
そりゃそうだね、そうしないとストリートじゃないですよ。
そうですね。
話戻りますけど、すいません、飛びまくって。
大丈夫ですか?これ編集超大変ですよ。
大丈夫、これも含めて。
でもやっぱ考えてくれちゃいますね。
クリエイティブだとみんな常に編集とか、これ画角どうしようとかいろいろ考えちゃいますけど、
今日は忘れていただいて、
でニューヨーク行くって言ってもね、つてとか何か足掛かりがないとって普通の人は考えちゃいますけど、
でも正子さん、なんか僕のイメージだと、全く何にもなく勢いでってタイプではなさそうだろうから、
どういう感じで行ったんですか?
それこそ語学学校にニューヨークはどれくらい行ったんだろう?半年くらいかな?行った時があって、
ニューヨークシティでね、いわゆるマンハッタンで、みんながイメージするマンハッタンで、
そこで私の先生だった女性がいて、語学学校の時まだ。
彼女に大学卒業する時にニューヨーク戻るんだけど、ニューヨークシティに戻るけど、誰か写真が知らないと。
そうやって聞いたら、彼女の幼馴染のお母さんが写真家だと有名な。
日本人大好きだからインタビュー行ってみなさいって言って、
卒業式の2日前にインタビューを組んでもらって、
その時にはもう向こうを雇うつもりのインタビューみたいな。
そうな感じで、インタビューの後私は部屋を探しに行って、
卒業式の2日前なので、親も来てて、両親も2人とも来てて、
ニューヨークシティ行った時はインタビューと部屋探しみたいな。
インタビューの時は撮る前提でみたいな話だったから、
よっぽどじゃない限り多分採用されるだろうみたいな。
なぜかというと、彼女が私の師匠としているロックさんっていう女性がいらっしゃるんですけど、
彼女の元にもう日本人の一人働いてたんですよ。
だから日本人ってよく働くし、丁寧だからっていうので、
すごい日本人が好きだった彼女が。っていうのはすごいプラスだったと思う。
だから話が早かった。
で、その卒業式2日前っていうことで、そのインタビューもあって、
じゃあご両親はそのインタビューに行かなかっただろうけど、
ご両親もそれは聞いて安心?それから日本に帰ってくるとは思っていない?
来るとは思っていない。私は帰るつもりは全くなかったので。
卒業してくれれば後は?みたいなところはお父さんお母さんもあった感じ?
そうか。
ここまでね、まだ本当に前半の部分の話を伺ってますけど、
聞いてる人からすると、どうしてもそういう視点で考えちゃいましょう。
しょうこさん自分で自分を俯瞰するのは難しいかもしれないけど、
ここだけでも既にアメリカンドリームなわけですよ。これマジで。
僕とか聞いてる人たち。
もちろんその実力とか努力全部あったと思うんだけど、
でもここまでの今のこれからキャリア始まるところまでも、
僕からするとある意味最初からもうすげえなっていう風に。
もちろんいろいろあったしあるんだろうけどその過程。
でもその時、22、23?
23。
その時はもう本当に何て言うんだろうな。
どういう心境だったのか。当然まだこれからだし天軍なるとかそういうのはないだろうけど、
全都要用でもう私未来明るいわみたいな感じだったのか。
どういう感情だったんだろう。さあ世界に出るぞみたいな感じ。
ウキウキはしてたと思います。やっぱりニューヨークシティで働くって。
まだカメラマンとしてではないけど、
まず日本人にとってビザの問題とかもあるのでまず。
だから彼女との出会いは本当にありがた大きいものでしたね。
じゃあそれがどのくらい?2000年くらい?
いやもう2000年に私は向こうに行ってるのかな。
4年後とか。
だからそう、2005、6年。
17、8年前で無事採用されて、だから師匠の名前が?
ロクセン・ロエット。
もう一回。ロクセン・ロエット。
日本語で書くとロクサン・ヌー。
ルイットってロエットなのかな?
エル。ロクサンのRね。
一番英語の勉強になりそうな名前ですね。
確かに。
じゃあその師匠の写真事務所?
そうですね。彼女のスタジオ。
アシスタントみたいな感じ?
そう。当時はすごいいっぱいいて、私が入った時は。
で、私の最初の仕事はリタッチング。
リタッチングってなんですか?
リタッチングって写真の加工ですね。
一番最初の写真が、ほんとマジ忘れない。
シェアってわかります?
その中でちょっと月並みだけど、いじめ、いびり、差別?
そんなのはない。
そういうのを許すような女性じゃなかったし、
本当に素晴らしい女性だった。
それはステレオタイプな質問で恐縮ですけど、
本当にスタジオとかはその人次第なんだろうけど、
アメリカの他のフォトグラファーの事務所だとやっぱり色々ある?
ある。
じゃあショウゴさんは本当にそういう意味ではすごく幸せだった?
本当に幸せだったと思う。
日本人の先輩もまだ行った?
先輩はその後、多分数年後に辞められて、
結婚されてニューヨークで今も暮らしているのかなと思うんですけど、
彼女はどちらかというと事務的な仕事を淡々とやっていて、
カメラマンになるという意識は彼女にはなかったので。
そうなんだ。
そういう意味では8年の間に、
そうは言っても途中で辞めちゃう人もいたりとか、
色々あると思う。
今の話を聞いているとショウゴさんは最後、
片腕というか右腕じゃないけど、そこを勤めるまでに、
信頼、価値得ていろんなお仕事ということは?
なんか普通に日本のサラリーマンじゃないけど、
毎年必ず昇格していく、そういう話じゃないだろうから、
何がそうなし得たんですかね?
でもね、ちょっとこれ言っていいのかあれだけど、
別に全然自分の人生だからだけど、
その8年の間の中に、私、長く付き合っていた方がいらっしゃって、
ニューヨークに住んでいなくて、
一瞬だけニューヨーク、その仕事も辞めて、
ニューヨーク離れた時期がある。
アメリカにはいたの?
アメリカにはいたの。
これどっちでも入れなくてもいい?
いやいや、入れますよ。
NGじゃなくても入れますよ。
何が起きたかというと、
もうずっと離れているの前だから一緒になろうって言って、
私が引っ越しました、彼の方に。
その2週間後に、
彼はマンハッタンから2時間ぐらい離れている、
ピッツバーグっていうところに、
ピンスルベニアのフィラデルフィアっていうところに、
仕事が決まるんですよ。
転職が決まるんですよ。
もっと遠くに私は引っ越したんです、彼のために。
そしたら2時間ぐらいニューヨークから近いところにまた引っ越してきたの。
新しい場所で2人で始めるじゃないですか。
それがもう大変で、
仕事も私もないし、
そんな簡単に辞めちゃってね、
これからどうしようってことなのに、
引っ越し引っ越しが続いて、
その時にその奥さんから、
2時間ぐらいで行ける範囲だから、
彼女も私がいなくなったことでたくさんのことが、
どうしようどうしようみたいになっちゃったみたいで、
来れるときに来てくれほしいと。
っていうんで、またそこからバイトみたいな感じで、
社員ではないけど、
バイトみたいな感じで始まるんですよ。
2、3ヶ月後かな、
今度私別れるんだよ。
はいはいはいはい。
それはその奥さんから言われて?
でも彼女からのオファーだったの?
もちろんね、ずっと信頼されて、
仕事っぷりもそうだし、よく分かってるし、
多分愛情もあったからだろうけど、
さっきの話、
仕事的に当たり前だけど、
実務的にというか、
彼女にとって本当に必要だったっていうのは、
それは細かい話ですけど、
その時の当時の翔子さんの仕事ってのは、
彼女の何かマネジメントみたいなものもやりつつ、
プレイヤーとして自分も撮る?
プレイヤーとして、
彼女の撮影のためにプレイヤーになることはないです。
自分は自分で撮る?
自分の撮影はまた別の話なんですけど、
彼女の元にいた時は、
電話を取るところから、
いろんな人をブッキングするところからとか、
彼女はすごいアーカイブ、
要は昔からの写真、
70年代からの写真がたくさんあるので、
それが欲しいって言ってくる雑誌があったり、
そういうやることはいっぱいあるんですよ。
じゃあその時、自分の写真は別でって言ってましたけど、
それは事務所の仕事として、
翔子として受ける仕事なのか、
それはもう自分で普通に、
ある意味フリーランスとしてやってたみたいな。
もしくはその時は仕事としてというより、
その時は、
私の写真家としての仕事は全く別ラインなので、
私は彼女のビザも出してもらってるし、
彼女の元に基本的には100%いて、
だけどファッションウィークとかがあって、
私もその当時イタリアンボーグをクライアントに持って
やらせてもらってたので、
この1週間はファッションショーに行くし、
いろいろ出たり勝手に出たりするけど、
彼女の元でやらなきゃいけない仕事は、
ちゃんとやるからっていう条件で出させてくれてたの。
それが普通のフォトグラファーはやらせてくれないから、
絶対無理だと思うけど、
彼女は私がカメラマンになりたいことを分かってたから、
それを許してくれたのね。
それはもう結構ずっと8年の間、
最初の最初はあれだろうけど。
最初の最初はないですけど、最後の数年。
でもその今のイタリアのボーグとかクライアントっていうのは、
どういうふうにさらっといったけど、
そんな簡単にクライアントに当然なるわけじゃないわけ?
それも一番最初は多分、
アイスランドファッションフェスティバルみたいなのに行って、
しょうこさんがこう今やっぱりいろんなね、もう誰もが知るようなすごいトップランナーから姿勢の人とか普通の人を撮ったり、
地域お祭りいろいろ撮ると思いますけど、
その時にやっぱシャッター切る時ってもちろんクライアントからもこうだみたいな時もあると思うけど、
でもその中でも多分選択肢って無限にあるわけで、
感覚的かもしれないけど、でもなんかシャッター押す時にこういうことだけは大事にしてるとか、逆にこういうことだけはしないようにしてるとかなんかあります?
特に人を撮る時はですね、私その最初にさっき話したように音楽、ロックバンドが好きで、
でその歌ってる人が好きで撮り始めたって言ってたじゃないですか。
やっぱりそこってすごい大事だなと思ってて、
感情いうのはすごいすると、それがいい結果か悪い結果かは別としても、
私の場合はそれでそれが認められて裏ジャケになって写真が使われてっていうところが元にあるので、
私はその被写体を好きになって、その人のいいところを見ようとする努力はしてる。
いいですね。
でもなんか比べるのも恐縮ですけど、僕もインタビューも本当にね、老若男女有名国内外話聞きますけど、やっぱり好きになっちゃいますよね。
なっちゃうというか、努力してなってる時もあるし、逆になんか昔駆け出しの時に、誰々にインタビューしてあげてよみたいに言われたことがあって、
なんか当時やっぱりもう駆け出しだったから、そういう話にもらえるだけでもありがたいみたいに思って、
でもその時正直お相手には失礼なんだけど、この人はないよなみたいな人にインタビューしてその時全く気持ちが乗んなくて、
最悪なインタビューになってもちろん相手にも失礼だったんだけど、それ以来は絶対好きになることも大事だし、
あと絶対的に言い方あれだけど、共感できるものがない人だったら、そういう人ほぼいないと思うんだよ。
後から今から振り返ればね、いろんな共通点絶対ある。
今の翔子さんが言うような、好きになるとか共感するとか、そういうのは本当に大事だなっていうのは、
大事だし、私は楽しいので写真を撮っていること自体が。
それを好きな人を撮っているのってもう最高にアドレナリン出るんですよ。
だからそこに持っていくために勉強をしておくっていうところ。
この女優さん撮ってって言われた時に、私はテレビとかもないのであまり分からなくて、
でもその人が出ているインタビューだったり、映画だったり、ドラマだったり、いろいろ見てから、
どうしてみんなこの人が好きなのかなっていうところとかを考えたり、
めっちゃ足綺麗この人、肌綺麗な。
その人に興味を持って撮影に臨むと、楽って言ったらおかしいけど、
すんなりそこにいることが楽しくて、その人と話せることが楽しくて、
その人と撮影できることが楽しくてっていう波動が出れば、
多分それって周りの人にも伝わるなと思うし、
やっぱり撮影って現場ってすごい大事なので、たくさんの人がいればいるほど、