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2024-11-22 30:21

【#257】東京で見つけた光 ── 写真家としての再生 │ SHOKOさん(フォトグラファー)

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--------- 『LIFE UPDATE CREW』始動中! https://yohei-hayakawa.com/luc.html 『LIFE UPDATE』プロジェクトを共に進める仲間を募集中です。 Crewメンバーは、早川洋平オススメの秘蔵リスト公開、メールコンサルティング、CREW限定食事会ご招待などの特典があります。 ------ 人生を更新するインタビューマガジン「LIFEUPDATE」。今月のゲストは、ジョコビッチ、リタ・オラ、孫正義をはじめ、世界のトップランナーたちを撮影し続けるフォトグラファーのSHOKOさん。秋風そよぐ外苑前の並木道を進みながら彼女にお話をうかがった。前編では、高校時代にロックバンドを撮影していた頃から、米国の名門ロチェスター工科大学での学び、そして世界的な写真家Roxanne Lowitの右腕として過ごした日々まで、写真家としての原点に迫る。「人は自分の見ている世界しか撮れない」と語る彼女が、なぜカメラを手に取り、どのように感性を磨いてきたのか。キーワードは「情熱」。 ▼目次  外苑前でのウォーキングインタビュー  出身地  フォトグラファーSHOKOについて  写真への道  海外留学の決断  ロチェスター工科大学へ  プライベートでの写真  ニューヨークで就職  師匠との出会い  写真スタジオでの仕事スタート  プライベートの変動  師匠の右腕的存在に  師匠の教え  写真を撮る技術  何をしても楽しむ姿勢 【SHOKO】しょうこ/フォトグラファー。16歳の時に父親の一眼レフを手に、夢中だったロックバンドを撮り始める。アメリカへ渡り、ロチェスター工科大学で写真を専攻し、卒業後、バックステージのパイオニアであるRoxanne Lowitをメンターとし、ニューヨークでフォトグラファーとして活動を始める。2016年に16年ぶりにアメリカから日本へ拠点を移し、現在、ニューヨークでの経験をいかし東京を中心に活動中。SHOKOは人との出会いや繋がりを尊重し、ファッションをはじめ、アスリート・俳優・ミュージシャンなどジャンルを問わず, そして数々の日本を代表する政治家や経営者まで幅広く撮影をしている。帰国後はインバウンドビジネス向けのくらいクライアントも多く持ちトラベル撮影を始め海外進出の手助けとなる撮影もしている。これまでのクライアントは、ANA・Asics・Bloomberg L.P.・ Bloomberg Businessweek・Billecart-Salmon Champagne・Cadillac・CASIO・Forbes Japan・Google Japan・Mizuno・Manchester City・Microsoft・New York Times・SONY Music・Warner Music・London Observer・ServiceNOW・Paramount Pictures・楽天・吉本興業・森ビル・福砂屋・DELTA SKY・Purple Magazine・Nylon・ Bullett・Black Book・and DSW・Vogue Italy・Vogue Japan・Harpers Bazaar・25ans・Cosmopolitan・ などを含む。 https://www.shokophotography.com/ 【早川洋平】はやかわ・ようへい/1980年、横浜生まれ。中国新聞記者等を経て2008年起業。羽生結弦、よしもとばばな、髙田賢三、ケヴィン・ケリーら各界のトップランナーから市井の人々まで国内外分野を超えてインタビューを続ける。13年からは戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』等メディアプロデュースも多数。インタビューメディア『LIFE UPDATE』配信中。 https://yohei-hayakawa.com/ ------ ▼ケヴィン・ケリーさん×早川洋平対談原稿を無料プレゼント! 早川洋平の最新インタビュー情報やエッセイ等をお届けする無料ニューズレター『LIFE UPDATE LETTER』に登録頂いた方には、WIREDの創刊編集長で世界的な思想家としても名高いケヴィン・ケリーさんと早川洋平の対談原稿全文テキストをプレゼントさせて頂きます。 『LIFE UPDATE LETTER』 登録無料 https://yoheihayakawa.substack.com/ ▼時代や環境に左右されない力を。 『会う力』養成講座 https://www.auchikara.com/ ▼本やセミナーでは見つからない あなたの可能性や悩みの解決の糸口を プロインタビュアー早川洋平が引き出す 『LIFEUPDATE SESSION』 https://yohei-hayakawa.com/session.html ▼僕のメンター北川先生の教えの核心を 音声プログラムとしてまとめました 『才能がもたらす平和感』 https://pro.form-mailer.jp/lp/e8613bc9321246 ------

サマリー

フォトグラファーのSHOKOさんは、父の病気をきっかけに16年ぶりに日本に帰国することを決意しました。帰国後、再生のプロセスを経て、日本での新しいキャリアに挑戦し、写真界での信頼を築くまでの道のりについて話します。彼女は東京での生活を通じて自己成長と仕事のスタンスについても語ります。写真を撮ることを通じて、信頼と信用を築く重要性を感じており、自己啓発を行いながら自身の感性を磨いています。SHOKOさんは、東京での生活を通じて再生の過程を語り、ポジティブなエネルギーが周囲に与える影響を強調します。また、将来的なプロジェクトとして自身の作品集を出版する意向も示しています。

帰国の決断
こんにちは、早川 洋平です。
人生を更新するインタビューマガジン、LIFE UPDATE ── 世界で活躍するフォトグラファー、SHOKOさんとの対談後編をお届けします。
秋風そよぐ、外縁前の並木道を進みながら、お話を伺いました。
お父様の病気を機に、16年ぶりに帰国を決意したSHOKOさんは、当初、写真家を辞めるとまで考えたと言います。
しかし、その後の苦闘を経て、政治家からアーティストまで幅広い層から信頼を得るフォトグラファーへ進化を遂げました。
異文化で培った感性と、日本での再出発。
新天地で自分らしさを取り戻すまでの軌跡と、写真家として大切にしている価値観に迫りました。
キーワードは、再生。
で、また話がすみません。行ったり来たりだけど。
行ったり来たりだと、ほんとすみません。
いや、俺、俺。
じゃあ、私もね。
いや、いいの、いいの。SHOKOさん何にも考えない。
僕ね、プロインタビューやって言っときながら、僕自体が型に良くも悪くもはまんないから、行ったり来たりするんですけど。
で、ほら、その16年いて、ズバリ日本にはなぜ帰ってきたんですか?そのままいるっていう。
日本に帰ってくることなんか、もうこっちも考えてない。
今の感じだとね。
うん。あれ?こっちも考えてないし、もうニューヨークが住むべき。
ニューヨークが住むべき場所。
オンリープレイスみたいなとこもあったから。
あったんですよ。
2015年の8月。忘れもしないわ。
なんかね、母親とか、親とか、兄弟とか、ちょっとこう、距離を置かれてる感じがあった。
へー。
数ヶ月間ね、こうね。
で、あんまりメールとかもそんな来なくなったりとか。
電話とかもなかったり。
まあ元気?みたいな、適当なあれはあるけど。
それでなんかおかしいなと思って、私は父親にフェイスタイムでいきなり電話したんだよね。
顔がもうバーンと出るよね。
そしたら、病院にいたの。
え。
よう、元気か?みたいな感じでキラキラした顔なんですけど。
病院にいて、で、話を聞くと、その4ヶ月くらい前に、
ガン。
お父様が?
うん、ステージ4。
で、ステージはちょっと覚えてないんですけど。
プラス、そのガンが発覚した後に脳梗塞もやっちゃって。
で、その手術が伸びて、どうたらこうたらで。
手術が、要は、私は手術が終わるまで、その父親が電話出た時まで知らされてなかったの。全部。
何も。
家族は、私の心配させないためっていうことで、兄弟みんな証拠には言うのやめようっていうことだったと思うんですけど。
父が病気になったという事実よりも、私はそれがすごい辛くて。
知らされてなかったこと?
で、そんなことがあって。
で、ちょうどビザの切り替えで、弁護士さんと色々やり取りをしてて。
そしたら、その1ヶ月後くらいに、ビザが下りないっていう知らせが来て。
で、私も相当長いので、色んなビザも持ってきて。
とりあえず簡単に、書類が少なくて済むビザでいいやって言ってて。
そしたら、下りなくて。
それは想定外でしょ?
それは想定外なんですけど、結構周りのイタリア人、トルコ人、色んな人に起きてたの。
これトランプの前なんですけど、数ヶ月前なんですけど。
で、結構難しくなってて、ビザを取ることが。
アーティストビザに戻せば大丈夫だよって言って、弁護士さんも。
じゃあちょっと切り替えで行こうみたいな感じだったんですけど。
もう私その時も、アメリカに対しての怒りみたいなのもちょっとあったんですけど。
こんだけやってきて、何今更みたいなところもあったし。
で、これ不思議なんですけど、ほんとよく呼ばれてるっていう感覚がすごくあったの。
日本に?
なんか親なのか何なのか。
全部のタイミングが。
全部のタイミングもそうだし。
でもうちの親って、こうしなさい、愛しなさいって一言も言うような人たちじゃないので。
ニュアンイレブンとか会った時も、日本帰ってきたいとは聞かれたけど、帰ってきなさいっていう親ではないので、絶対に。
その時も別に帰ってきなさいなんて、親が病気になったかとかのこともなく。
だけどその時ばかりは、ほんと不思議。呼ばれてるっていうイメージが、すごい感覚があったから。
当時私も34とかで、結婚もしてない、子供もいない。
動くんだったら、今しかないなと思って。
で、日本に帰ってくる決断をしたんです。
もうその時は、呼ばれてるから日本にっていう感じはあるけど、後ろ髪引かれるような感じはなかった?アメリカに。
全くなかった。
帰国後の苦闘
もちろんニューヨークは大好きだし、ニューヨークのことは思ってなかった。
日本に帰る恐怖はあった?
あった。
その恐怖って言語化するとどういうことですか?
仕事してないしね、こっちで。
せっかく世界でやってたら日本に戻ってきちゃうの?自分の中で。
キャリアを考えるとそうなのかもしれないんですけど。
呼ばれてるっていうのは、それ以上でもそれ以外でもないかもしれない。
やっぱりこれで、仕事とかいろんなこともあるけど、
当然お父さんもそういう状況なんで、家族と一緒にいたいみたいな気持ちは…
違う、そういうのではない。
もちろん顔は見たいだろうけど。
呼ばれてるっていうのは親にね。言わないよ。言わないけど、思いがきちゃったんだろうね。
その時、帰国するって決断したときはご両親は何か言わなかった?
そうですか?分かったよ。いいよ。っていう感じですね。
じゃあ日本帰ってきて、いろんな恐怖というかある中で、仕事もだし実際帰ってきて、
どんな状況でも楽しむってさっきしょうこさんあったけど、実際どうでした?
楽しんでなかった。
あら、母国に帰ってきたけど。
だって辛かったもん、最初の4年間。
4年長いですね、意外と。辛い。
逆カルチャーショックですよ。
例えば?
例えば?
えー、もう全てが息苦しい。すげー失礼だけどね。
いやいや、はっきりしてください。せっかくだから。
ちょっと何?オブラートにすると逆に分かんないんだよ。
何が?とかじゃない?たぶん。
恥ずかしい感じは何だろう?
えー、何だろう。みんな同じ顔してるって同じ顔じゃないけど、
みんなアジアとね、それは普通なんですよ。そこで育ってるし。
ダイバーシティーじゃないですよね。
ダイバーシティーはないですよね。
ダイバーシティーはないけど、みんな整ってるじゃないですか。いろんなことが日本はね。
カオス感はない。ニューヨークに比べたら。
で、ましてや自分も日本人だから。
彼らと同じように動かないとまた違う目で見られちゃったりするから。
そういうのは最初は苦しかったのを覚えてますね。
それこそ言語化するのちょっと難しい話ね。
同調圧力とかもそうだし、空気を読むとか。
あとは仕事、全然お友達とか生活する分には全然合いないんですけど、仕事はすごく苦しかった。
苦しいっていうのは最初こっちで成形を成り立たせるの大変でした?
うん。で、私最初会社員になったから3ヶ月間だけ。
それは写真と関係ない?
関係ない。
何の会社?
モデル事務所製作もやったり、タレントなさんなんかもいらっしゃったりっていう会社があって。
そこに入ればそこの業界のことが見えてくるのかなと思って。
社長とはすごい馬があったので、今でも仲良くさせていただいてるんですけど。
3ヶ月の使用期間でやめちゃうんですけど。
最初とか電話とかも何言ってるかわかんなくて。
本当に日本語なのに、どこどこの会社は何なんですけど、何されてますかって。
本当に全然入ってこない。
新たな道の模索
外国みたいな?
外国みたいな感じで。
芸能事務所っていうかそこの業務。
マネージャーみたいな。
写真は撮らないでしょ?
撮らない。マネージャーみたいな。
でも人はみんな良かった。
人は楽しくて。
とはいえ、日本って入った順番に先輩じゃないか。
年とか関係なく、能力関係なく立った社会があるから。
それもめんどくせーなーみたいなところもあったし。
海外の会社ばっかりの私にとっては。
でもそこ入る時に、帰国して何か働かないとって時も、
フォトグラファーを辞めるつもりは全然なかった?
一回辞めようと思って辞めたんだから、その時に。
だって写真家で、誰も日本で誰も知らなくて、
どうやって食べていくのよって話があった。
すごい低俗な話で恐縮ですけど、
日本人って言うとまたみんなから怒らそうだけど、
やっぱりニューヨークでやってて、
そういう実績もあって、
最後は実力とかね、やっぱり人間関係だと思いますけど、
最初の取っ掛かりとしては、
言い方僭越ですけど、
結構フリーでやってもいきなりすごい、
フラントできるかわかんないけど、
ある程度いけそうな気がするけど、そんなことはない。
そんな簡単じゃない。
そんな簡単じゃないし、
私がそれこそバリバリニューヨークでもやってたんだったら、
それはできたかもしれないけど、
中途半端だし、
もう食べていけるには2,3年かかるなと思ったから、
自分でわかってたんだ。
そう。思ったから会社入った。
ソラリーマンやってた。
じゃあその辞めるっていうのも辞めてるけど、
別に本当にずっと辞めるとは思ってなかったってこと?
辞めたと思う。その時は辞める。
2,3年かかるからもういいや。
もう写真は諦めようと。
それちょっとでも意外ですね。
だからそのくらいその時の状況を言語化するのは難しいかもしれないけど、
なんか結構いさきよくスパンみたいな。
想像できなかった。
描けなかった?
多分そうだと思う。
そのくらい異国っていうかもう別の星でいかんのかと思う。
だって本当誰も知らなかったし、
高校の時のお友達とかみんなママになった。
全然その、私向こうにいた時に日本人との繋がりもほとんどなかったので。
そこで。
それでどっかね、どっかのカメラスタジオみたいなところで写真とかは、
そういうことはできたかもしれないけど、
そういうことをしたいんじゃない?と思ってたから。
どういうことをしたいと思ってたんですか?
なんかその同じ場所に私はいるっていう、
とかはちょっと無理なのね。
そんなこと言ったらそういうことされてるカメラマンに失礼だから言うんだけど、
でもタイプだからね。
タイプだからね。
と思って辞めたんです。
わずっと。
でも3ヶ月で辞めちゃってさ、また青写真が。
いやもう本当に2ヶ月で、2ヶ月過ぎたあたりで、
社長にも、はいお前社員になる契約書にサインしろみたいなこと言われた時に、
本当すいません、無理ですって言って。
でも本当その3ヶ月が大事だった。
逆にね。
私にとって。
やっぱり写真撮りたいってなってたし、
でそれがお金にならなくてもいい。
どっかでバイトしながらでもいいから写真撮ってたいっていうのは明確になったから。
じゃあそこでなんかもう迷いなくなったし、
東京での再生の始まり
日本での意味で腹くくったというか。
腹くくった。
だから私にとってはあそこの3ヶ月は大事だった。
そういう意味では感謝ですね。
でそこからさ、腹くくってもう8年9年前でしょ。
でそこからこう。
もうそこからよ。
どうやってここまでたどり着いたんですか。
とりあえずいろんな人に紹介してもらう。
でそれは仕事になるならない関係ない。
まず私という存在を知ってもらうために、
いろんな人に手を通して、
こういう子いるんだ、こういう子いるからこうやってみたらってこういう人たちは周りにいて、
写真で必要なことがあればお声掛けくださいっていう感じでした。
これやっぱ聞いてる人、プロの人もいればもういつかはみたいな人とかセミプロの人もいると思います。
やっぱ写真で食えるようになるとか写真でお金を得るっていう、
ちょっと生々しい話ですけど最初の時とかって今のスタンスでいくと、
どういう感じでお金決めていただいていいですよみたいな感じなのか、
それも段階があったりあえて、どんな感じだったんだろう。
いやもう最初は1日1万円だろうがなんだろうが、
1日1万円の仕事も今でも変わらないそこは。
私は思っているのは1日1万円の気持ちで、
ずっと変わらないスタンスで仕事を受けてるつもりで、
お金とかって当時はね、
もう本当そんなこと言ってらんないから、
とりあえず食べてらっきゃいけないから、
それよりもまず最初は本当本当最初本当その時はもうとりあえず、
その年はもう自分に投資くらい思ってるので、
とりあえず写真を撮らせてくださいっていうところはありましてね。
そこでやっぱり撮って、もうそこからはもうほんと口コミって感じ?
そうなんですよ。
まあそれでね、皆さん是非しょうこさんのサイトを見ていただきたいですけど、
なんかね、なんか著名な人、著名な人っていうのも逆にあれですけど、
でも先ほど冒頭で申し上げたような、
はっきり言ってあのクラスまでどうやってたどり着くんだろうっていう、
著名な人が全てじゃないと思いますけど、
でもあえてどうしたら岸田さんにたどり着くんだろうっていうのがみんなやっぱり。
コツコツ。
コツコツ?
私はコツコツやってきたって思ってるし、
なんか地味にね、別に有名でもなんでもないし、
一つ一つの仕事を切々にはそれしかないと思ってたから。
やっぱ辞めて、この新しい東京という街でやっていくには、
一人一人関わった人全ての信頼、信用を得ていかないと無理だなと。
信頼構築のプロセス
だから私はドカーンとか大きいことを求めてはあんまりないんですよ。
人生細々、長く。
バーチャルになってても写真撮ってたい。
どちらかというと私はそういうビジョンがあるかな、あります。
気づいたら実績としてアイリンもあったっていう、
得ようと思って得たわけじゃないって感じかな。
もちろんね、有名な人を撮ると、撮ったりすると拍がつくから、
それはもちろんありがたいことだし、大事なことだと思ってるんですけど。
他の人と比較ってなかなか難しいからあれでしょうけど、
やっぱりそういうチャンスをものにするっていう言い方もあれだけあえて言うと、
ものにできる人とできない人、
あと一時期そういうチャンスを得てもそれを継続できる人できない人って、
それこそ翔子さんも日本帰ってきてから、
帰ってくる前なんかもっとそれこそニューヨークのど真ん中で見てきたと思うんですけど、
その差って境目って何ですかね。
自分自身の経験も踏まえて。
つまりそういうトップの仕事を掴める人と掴めない人で、
掴み続けられるかっていうのもまたさらに次の次元であると思うんだけど。
私全然トップだと思ってないし、
撮ってる人はトップかもでしょうけど、
全然まだまだだし、
全然亀、本当亀。
亀。
だなって、この歳になって思う。
だって今23歳とかなんとかでめちゃくちゃ有名なフォトグラファーとか、
ガンガン働いてガンガンかっこいい広告撮ってバンバンやってる人もいらっしゃるし、
そういう世界があるのも知ってるし、
そういうのも見てると、
この歳になって、本当亀みたいにこの子やってんなって思う。
でもそこに嫉妬とか羨ましいとかない?
もうない。
もともとない?
いや、若い時はあった。
あった?
あったけど、私の大学の時の友達とかもめちゃくちゃ活躍してくれてる子がいて、
嬉しいし、
嫉妬とかはないな。
なんなんだろう。
なんか嬉しいし、
本当人との試合の活躍は本当心から嬉しいし、
嫉妬とかではなくて、
自分はどういう形のフォトグラファーになれるかなと。
それは考えるところかもしれない。
自己啓発と感性の重要性
それはまさにこれからの未来にも関わると思うんですけど、
どんな形のフォトグラファーになりたい?
じいちゃん、ばあちゃんになってもアサイメントとか来たら受けるよね。
いいですね。
今の話聞いてると、
いい意味でこういう、最初の話に戻っちゃうけど、
どういうジャンルの撮りたいとか、
例えば僕なんか目を聞かれるんですけど、
どんな人のインタビューするのとか、
ジャンルって聞かれるんですか?
僕全くなくて、いい意味で。
やっぱり全ての人にこの人魅力的だってなったら聞きたいから。
僕はそういう感じなんですけど、
しょうこさんはどういう感じなんだろう。
そうは言っても、やっぱり好きなジャンルとかスタイルとかあんのかなとか。
でもそれなんか人間も一緒じゃないですか。
いろんな人に多分会うけど、
友達になるわけじゃなかったり、
たぶん仕事とかもそんな感じなんじゃないかなって私は思っていて。
さっきの話、コツコツ?
結果的には進化していたらいいみたいな感じなのかな。
いや、進化してて欲しいですよね。
あとちょっとだけ。
もうくだらない答えでも全然いいんですけど、
いわゆる今までで一番投資してきたことなんですか?
今までで自分に一番投資してきたんだよね、たぶんね。
自分のマインドを作ることにたぶん今まで時間増やしてる。
時間かもしれないなって思ったからね。
考えることだったり。
具体的にっていうのもあれだけど。
なんでかっていうと、
やっぱりさっきも言ったように、
自分の見てる世界がそのまま写真になってしまうので、
自分の心だったり目をクリアだったりきれいにしないとダメ。
それが出るからなんですかね。
人をこう…
心で写真って人の心動かないと商業的にとってあんまり意味ないんですよね。
そういう写真を撮れるようになるために、
自分の心を鍛えるみたいな。
そのために何してるんですか?
ちょっと作能的な質問で恐縮ですけど。
そのためには何してるんでしょうね。
自己啓発系の結構本はよく…
意外、めちゃくちゃ意外。
嘘?
アメリカ自体が自己啓発でできてるっていう本、
最近出てるぐらいアメリカはね。
でもそれは必ずしもアメリカにいたからってわけではないかも。
日本に帰ってきてからだと思う。
自己啓発のどんな本読んでるの?
昔から…
小林聖漢さん。
俺ちゃんと読んだことないけど。
心の宝島だったかな。
がいいんだ。
何度聞いただろうみたいな。
オーディブル?
オーディブル。
あったな、そういえば。
聖漢さんの本もいっぱいあるけど、
あれはよく仕事中聞いたりとかして。
リタッチングでね。
そのとき聞けるよね。
本が読めないから聞いたりしてる。
そうすると、例えばどんなことを心掛けて、
マインドフルネスみたいなことをやってるの?
マインドフルネス。
でも、いわゆる仏教も多分そうだろうし。
それはメディテーションしてるとかそういうことじゃなくて。
ではなくて。
でもやっぱり自分を整えるというかさ、
そういうのは大事にしてるわけですよね。
そうそう。
それ完全にはもちろん全然できてないんですけど、
汚い言葉も使うし、楽しんで。
いいじゃないですか。
だけどやっぱり言ったことが返ってくると思ってるし、
人に笑顔で、接したら笑顔で返してもらえる人と同じで、
言葉にしたらいい人になる努力って言ったらすごい安っぽいし、
あれだけど、
でも自分にまず素直に、
自分の気持ちに気づいてあげられる自分にならなきゃいけないし、
それをうまく世界と。
何言ってんだ。
いいと思います。
でも今の話、特に自己ケアは日本に帰ってきてから?
日本に帰ってきてから。
多分年を取り始めてからかもしれないですね。
でも何だろう、年もあるのかもしれないけど、
日本に帰ってきてからっていうのは、
なんでって言われてもよくわかんないんだろうけど。
でも徐々にかもしれない。
それこそ最初にお母様から言われて、
どんな状況でも楽しむみたいな、
ある意味それも自己啓発の考え方。
それをずっと地でやってきて、
ホームシックにもならなかったぐらいの、
しょうこさんにとって一番意外だったわけですよ。
むしろ知ってんじゃない?
しかもその国にいたんじゃないの?っていうぐらいだったから。
それがポジティブかネガティブかわかんないけど、
やっぱり日本に帰ってきて、
日本の閉塞感とか、
ある種のネガティブな部分とかに入っていく中で、
やっぱりそこが必要になってったのかなとか、
無理やり理屈っぽく思ってるんですけど、
どうなんだろうね。
そんなこともないのかな。
苦しくてそういうのを読むみたいな。
僕は結構そういうのを大学卒業して鬱っぽくなって、
そこからはばったみたいなのがあったんですけど。
苦しくてじゃないと思う、そういう意味では。
どっちだかというと、
苦しくてじゃないんだな。
やっぱりさっきの目とか感性とか神秘感とか、
そういうものが大事だっていうのも
既に当たり前だけど帰国してる時点で持ってて、
それをよりキープしたり、
さらに進化させるための、
どちらかというとそっちなのかな。
そう、やっぱり目に見えない、
目に見えない世界でもないけど、
目に見えないものじゃないですか。
心とかね、特にね、マインドとかって。
多分そこに重要視するようになってきたのは、
マジ最近本当すごいあるかも。
面白いですね、写真ってさっきの話で、
ここまで話聞けて、
目に見えないその相手のものを、
自分の目に見えない感性を使って、
すごい仕事ですよね。
一瞬で切り取るっていうか。
くだらない話だけど、
自分で写真これいいなって思った時に、
別にいつもカメラ持ち歩いてるわけじゃない?
東京での再生
やっぱりなんかちっちゃいのは持ってる?
なんかね、今日もバッグも一つもこもっててない、
この身軽さがもう幸せすぎて。
だよね。
手ぶらもある?全然。
全然。バッグここで撮ってるもん、結局。
全然。それ何、最新のの?やっぱり。
16?
いや、16。
15?
もうこの色も、これも15なんだけど、
一緒だ。
この前は11だったからね。
だから、なんでかって言うと、
いいものじゃないってことを。
あ、ですね。
そうか。
そう、それを。
まさに。
で、みんなさ、なんかインスタとかでも、
なんか、しょうこのストーリーってさ、
いつもさ、違う。
カメラじゃない。
やっぱりいいねつけていいんだよとか言うからさ。
いや、違うと。
なんならこの前までのiPhone11よ。
そう、よくカメラ何買ったらいい?みたいな。
あるけど、
そういう相談来た時は、
カメラも大事だけど、レンズだと。
いう話もするし。
人に教えるとか興味ない?
でも話はあるでしょ、いっぱい。
そう、なんか教えて教えてって言われるから、
なんか個人レベルで、
ワインとかなんかお酒飲みながらの。
いいね、いいね、いいね。
セミナーみたいな人でね、めんどくさいよね。
そうそうそう。
そういうのは多分続かないから、私たちの性格上。
そうなんだ。
せっかくなんか交渉の話になったんですけど、
ちょっと俗物的な話ですけど、
なんか最近買った、この半年ぐらいでいいんだけど、
1万円以下のベストバイ、
セレクト、セレクティットバイ、しょうこ。
なんでもいいです。
なんでもいいの?
なんでそんな難しいの?
リスナーをそう考えなくていいです。
これ1万円以下で本当に最高だったわ、みたいな。
トリガーポイントかな?
トリガーポイントって何ですか?
あの、ストレッチポールみたいな。
ストレッチポールはわかるけど、
ストレッチポールってなんか背中ゴロゴロするやつ?
背中とかいろんなところ、ゴロゴロ足の上とかゴロゴロできるんですけど、
それの短くて固いバージョンみたいなトリガーってやつがあるんですよ。
そういう商品がある?
そう。
物の名前がね、健康グッズ。
うち健康グッズめっちゃ多いから。
あ、そうなんだ。
いや、やっぱ機材とか変な体勢ですごい写真撮ったりとかするから。
コアフォームローラー。
コアフォームローラーだ。
これ?
それ。
フォームローラー。
割とリーズナブルですね。
そう、全然。
背中で腹筋とかストレッチみたいにゴリゴリやってて気持ちいいみたいな?
そう。気持ちいいし、その10分間、まずここ背中の方がいいですね。
いいですね。
それも撮影で出会った方に教えてもらって、バレーダンサーで教えてもらって会ってるんですけど、
足とか、とにかく柔軟に体をしとかないと、まず心と体を。
いいですね。いい感じに綺麗にまとめてもらいましたけど。
本当に最後なんですけど、海外でも長くやってきて、日本にもだからもう帰ってきた8年?9年?ぐらいで、
有名な人でもそうでなくて、この人すげえなみたいな。本当になんだろうな。
時代や環境とかに左右されずにというか、一斉に立ち続けてる人とか、魅力的であり続ける人っていっぱい見てきたと思うんですけど、
そういう人の共通することを1個挙げるとしたらなんですか?
ポジティブ。
即答でしたね。
うん。
ポジティブ。
ポジティブ。
ポジティブに解説してもしょうがないかもしれないけど、あえてちょっと解説すると。
やっぱりその場を一生懸命楽しんでる気がする。
やっぱりそこ。
特に本当、社長さんレベルの暮らし持ちの人たちもそうだし、ハリウッドスターたちもそうだし、みんな楽しそうですよね。生きてて。
で、やっぱりそのエネルギーが周りに伝わって、だからすごいオーラ持ってたりとかするんだと思うから、
だから一緒にいても話も楽しかったね。
いいですね。
しょうこさんこれから2024年も終わりですけど、来年とかこの5年10年、これだけは成し遂げたいみたいなことを言うのただですから。
まあでもちゃんといつか本は出したいね。自分のね。
本?写真集?本?
うん、本、写真。
どっち?
写真集。
写真集。ほら本だと自分のなんかこう、しょうこの。
あ、そっかそっか。
もちろんフォトエッセイとかもあるかもしれないけど、なのか作品集なのか。
うん、まあちゃんと作品が載ったものはいつかは出したいですね。
それはもうやっぱりポートレート?
いや分からない。
分からないんだ。
そういう意味ではちょっと一旦整理。自分のしてきたこと、自分の仕事を一旦整理しなきゃいけない。
なるほどね、すげえ分かる。
なので、まあ何ヶ月かかるのか、できるだけ早く終わらせたいけど、
ウェブサイトもやり直す予定でいて、だからね、一旦整理。まず自分の仕事を整理。
いいですね、じゃあ。
そうしたらやっぱり、たぶんこう何か聞かれたときにもっとはっきり出てくると思うよね。
なんかたぶん今ゴチャゴチャしてるのかもしれない。あれも撮ってる、これも撮ってる、だし、全然私はそれが好きだし楽しいけど。
じゃあ今ちょっとカオスなところあるけど、でもそれがまたちょっと整理されて。
作品集の出版
これでも今ウェブサイト作り直すかもって言ってる時にタイミングがいいか分かりませんが、これはやっぱりね、聞いてしょうこさんをフォローしたいなっていう方はどこに当たればいいですか?
まずウェブサイト見ていただけると。
もうすごいね、しょうこフォトグラファーで出てくるよね一発で。
本当ですか?ただ英語で書かなきゃダメなんですよ、ローマ字でね。
私は一応苗字もあるんですけど、たかやすというしょうこたかやす、でもそれも漢字ほとんど使うとこないので、クレジット入れるときもローマ字でタイプアウトしてもらってるんですよ。
でもしょうこ、SHの方ね。
SHOKO。
でフォトグラファーは日本語でやっても一発で出てきました。
じゃあぜひそちらをチェックしていただいていると思っています。
ということでありがとうございました。
こちらこそ。
30:21

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