今の話だけでも、すぐ学びって言っちゃって、こうやって勉強にしたいのがあれですけど、やっぱりそうですね、喋んないとっていうのはあるかなと思うんですけど、
その中でまたちょっと話に戻るんですけど、海外生活が来年で30年、ジャーナリストとしてはもう20年っていうことだと思うんですけど、
今はパリにいらっしゃって、スペインとか他の海外も取材していらっしゃってっていうので、僕も死刑のある国で生きるだったり、
あとアンラクシーの本読ませていただいたり、一つのアウトプットとして、本の著者の宮下洋一っていうものを結構見てるんですけど、
普段って当然本を書いてるだけじゃなくて、日常の取材だったりいろんなことあると思うんですけど、いわゆるジャーナリストっていう言葉ってみんないろんなイメージだけど、本当人それぞれじゃないですか。
ましてや海外でやってる方って、これだけ長くやってる方って多分いらっしゃらないと思うんで、どんな感じに今、どんな仕事してどんな日常を送ってるのかなっていうと。
これはもう正直な話、本を書いてもう生きていくっていうことはもうそう簡単にはいかない。
やっぱりこれだけ人が本を読まなくなったり、新聞を読まなくなってきたり、雑誌っていう紙を買わなくなっていくと、
もう書く人間もそれなりの収入を得られないわけじゃないですか。それはすごい残念なことで、本を書き続けたいんだけれども、本を書き続けるためにはすごい時間がかかるし、
それはかかってもいいんですけど、やっぱりそれなりのリターンがないと続けられない。
だからすごい自分ではその情熱はあって、いろんな現場に行って必ず現場に行くことを主義にしてるから、そういう生き方をしてきたんですけど、
本と他の雑誌とかだけをやってても、1年間で生活するのギリギリっていうのが、今はたぶんジャーナリストの世界だから思うんですよ。
そうなってくると、どうしても他の仕事とかも手を出さないといけない。
日本で有名なジャーナリストの方とかっていうのは、テレビを活用してます。
テレビの場でいろんな発言をして、同時に本を書いて、講演してというようなサイクルができれば、生きていく上ではそれで回っていくのかもしれない。
だけど、僕はどちらかというと、テレビとかラジオとかで発言するということよりも、本の中でじっくり取材して、書いて伝えていきたいんですね。
ジャーナリストって僕みたいなタイプって、一般的にそうなんじゃないかなと僕は思うんですけど、話すことがあんまり得意じゃないんですね。
だからこそ、書くのかその逆か、一つのことに対して、例えばフェリエに関して話しても、これを5ページで書くっていうくらいの思考で考えるわけですよね。
だから、それだけの情報を自分で言いたいことはいっぱいあるんだけど、それをテレビとかだったら、端折って喋んなきゃいけない。
それって簡単なことじゃない。だから多分話すことがすごい苦手で、自分が見てきたいろんな世界を、例えば10秒で要約して喋るとかっていうのはやっぱりできない。
そういうのが苦手。だからどちらかというと、本を書いてじっくり伝えていきたいっていうのが自分のタイプだと思う。
でもそれだけで生きていくっていうことが今の時代難しくなっちゃったから、これからどうやって生きていかなきゃいけないのかっていうことをいろんな試行錯誤をしながら、
他の選択肢も探りつつ、今フランスでは、例えばヨーロッパ全体的に日本人のジャーナリストっていう人たちがあんまりいないんですよ。
だけど、ヨーロッパのメディアっていうのは、アジアの視点とか日本人が考えてることとか知りたいんですよね。
その点に関して言うと、日本ってものすごい多様性があって、実は多様性ないって言われてますけど、あんなに昔からデイブ・スペクターがいて、ケント・デリカットがいて、ウィッキーさんもいたしね。
で、そういう人たちが、サンコンさんとかいて、すごい多様性があって、そういう人たちをテレビで見るほどに、日本人ってもう抵抗なかったですね。
だから、そういう需要が、アジア人に関してはヨーロッパないんですよ。全くないわけじゃないんですけど、
ヨーロッパの人たちの価値観っていうものに対して、自分が見てきた、アジアの育ってきた環境とかを、日本人の価値観っていうのをこっちの人たちにも伝えながら、いろんな見方があるっていうことも伝えていきたいなと思って。
こっちのメディアで仕事ができればいいかなって。
今ちょうど伺いたかったんですけど、今は基本は、こっちでいろんな取材されてて、僕はアウトプットを日本語で宮下さんの本だったり記事を拝見してるだけなんで、
なかなかこっちでの、今のお仕事のあえて割合で聞くとすると、日本人向けの何か記事を書くことが、やっぱりそれでも圧倒的に多いんですか?
そうですね。やっぱり書きってなると、バイリンガルで育ってないんで、地元の言語で書くっていうのはすごい難しい。それはだって、現地の人でさえも書くっていうことは難しいことだし、
日本人だってみんなが新聞の記事を書けるわけじゃないじゃないですか。だからそれはすごい難しいですけど、挑戦はしたいと思います。
リアルでありシビアな話を伺いましたが、最初にスペインのところで記者をやってらっしゃったという、それはでも本当にガッツリ記者っていう感じだったんですか?
そのまま続けるみたいな、そういうのはなかったんですか?
本当はそれが夢だったんです。スペインのバルセロナで、ラジオの番組とかもレギュラーで持つところまで行ったんですけど、
寸前になって、そのラジオ局のディレクターから電話を奪ってきて、あと1時間後にその番組始まるけど、その番組がなくなった。
マジですか?
その時すごいショックで、やっぱりこの人たちって、多様性、多様性とかって言ってる割には、そういうことに感じて、ちょっとやっぱ差別みたいなのがあったかなと思ったりとか思いましたね。
自信買う前はね。
そういう意味では日本って、すごい外国人に対して、日本語がそんなに上手じゃなくても、どんどんテレビで使うじゃないですか。
すごいと思いますね、これは。
そうか。ありがとうございます。
今、パリに住んでらっしゃいますけど、プロフィール的な感じで、ハイドクシもやっぱりスペインとフランスを拠点にしてるってずっと書かれてきてて、
宮下さんの中でスペインとフランスっていうのは何か意味があるんですか?スペインはスペイン語好きだからみたいな、そっからのイメージなんですけど、何でまたフランスも入ってる?
フランスに2003年から住んでて、2010年くらいまでずっと住んでたんですよ。
結構いらっしゃった。
そしたら、2拠点にして、「バルセロナにも住む?」みたいなことをしたんです。
その時に、あえてバルセロナとナーフツを拠点にしているっていうプロフィールにしたのは、日本のメディアの人たちに対して、「この人どっちなんだろう?」って思わせる。
フランスのルポをお願いしてもいいのかな?スペインでも行けるのかな?みたいな感じにしておいたほうが、フランスだけよりも注文が多く取れるかなって言った時に思ったのが、駆け出しの頃で。
そうしないと、本当に日本に行って持ち込み取材とか、全部自分の企画とかを、ありとあらゆるほぼ全出版社を回ったんですよ、その時。ほとんどモンゼンバルフだったんで。
だって無名だから、あと会社の看板ないし。
すごいわかる。
これはもうアーティストと同じ世界で、ミュージシャンと同じで、もう自分の名前が売れない限り注文は来ない。
だから、スペインとフランスみたいにしておいたほうが、まだ両方掛けるテーブルに重ねておいたほうがいいかなっていう戦術ではあった。
何年ぐらい前ですか?
15年ぐらい前までそういう風にしてて、今ではその両方の国に結構詳しくなったから、どっちでも行けるし、言語もスペイン語とフランス語は同じくらい喋れるから、言語に入れたら問題もないし。
でもさっきね、言語の話、本当にいい話していただいて、僕も言い訳できないなと思ってたんですけど、語学を学ぶ、正直才能とか、そういうのって人によってあったりなかったりとかってあると思います?
僕はその才能って、これはぶっちゃけあると思います。
じゃあ、メッシャーさんはやっぱりある?
自分で言うのもあるんだけど、たぶんあったんだと思います。今は少し劣ってきてるけど、それはどういう時に思うかっていうと、これはもう実戦の上で同じタイミングでスタートしても伸びてくるスピードが全然違う。
これは1人アメリカ人の友達とスペインで学校一緒に入ってスタートした時に、僕がスペイン語をすごい早く覚えたんですよ。
でも彼は1年経っても喋れない。
でもこれっておかしくて、スペイン語はものすごい早く覚えた。
ちょっと想像つかないっすね。
英語とスペイン語って、日本人が英語を覚えた過程があるからこそ、外国語を学ぶっていうステップを知ってるわけですよね。
それがあったから、3カ国語ではすごい簡単に入れたし、文法のテクニックもわかったし、とにかく街に出て旅行して、いろんな人たちと喋るっていうことを繰り返してたら、本当に3ヶ月くらい喋るようになったんですけど、
その彼は初めての外国語なんですね。だから1年経ってもなかなか喋れないっていうのは、やばい耳だと思ってて。
でも彼は今弁護士なんですけど、そういう能力には長けてます。
そうか。面白いっすね。
その中で今フランスいてスペインいて、また今パリですけど、この2023年、取材させていただいた9月時点でですけど、いざパリのここに住むのは初めてじゃないですか。
実際住んでみて、前は南出に住んでた。パリじゃないわけですね。
いわゆる本当にパリに住んで、今実際今まで感じてなかったこの国とか、このパリの面白さとか、この現在進行形で感じてることってありますか。
ずっとバルセロナにも住んでたんですけど、コロナになった時に、もうちょっとバルセロナではビジネスはないなって思ったきっかけがあって、
日本のテレビとかを見てると、スペインで最初コロナがすごい爆発的に死者が出て、すごいニュース、国内ではニュース、ヨーロッパではニュースになってた。
だけど日本的にはスペインは存在しないから。
あんまニュースになってなかった。
やっぱイタリアでした。
そうそう、イタリアまで行って、イベリア半島っていうのは存在しないんですよね、ほぼ。
確かに。なんでだろう?
だから、いくらこっちは伝えたいことがあっても、コロナのニュースに関してはパリから初。
で、パリの住んでる人たちとか、パリの有名人多いじゃないですか。
そういう方たちがどんどん日本に、フランスはこんな大変なんだみたいなことを発信してるじゃないですか。
それを見た時に、自分がずっと伝えた社会的な現象とか、政治もそうだし、経済もそうなんだけど、
スペインとポルトガルというときには、スポーツと文化だけがあればいいっていう捉え方になってたんです。
確かにスポーツジャーナリストはいっぱいいる。スポーツライターはたくさんいますけど、
サッカーなんかもたくさんいるね。
そうそう。だからそういう意味では、この人たちにはビジネスはある。
僕みたいな生き方をしてる人にとったら、それ以上できることはないなって思ったんですね。
で、パリに来て、やっぱり日本人はパリ好きなんです。
僕からすると、もちろんね、食っていかなきゃいけない、生きていかなきゃいけないっていうから、
やりたいとか、いたいだけじゃ決められないとかあると思うんですけど、
バルセナからパリに移ってきたり、今みたいな事情があったり、
自分がこれをやりたい、ここに住みたいっていうものよりも、いわゆるニーズとかを、
でも、どっちかだけに偏っている感じはしない。
あとジャンルも、例えばサッカーしか書かないとかって感じ。
上、当然いろんなジャンル。
その辺がどういう感覚でやってらっしゃるんですか?
一番は何でも知りたがり屋だと。何でも知りたいし、いろんなことに挑戦したいっていうのもあるし。
だけどそれは、30代まではそういう感じだったんですけど、
さすがに40代になってきたら、増えなきゃダメなの。
安定は僕は求めてない。
安定した生活ほどつまらないことはないなっていうのは、昔から思ってきて、
自分の自由は必ず拡大する。
自由は本当にお金に変えられない。
すごいお金をもらえるよりは、自由をたくさんもらえる方がいい。好きで。
そういう人生をずっと歩んできたからこそ、全く稼げない時期もいっぱいあったし、
でもそれでもよかった。自分がやりたいことを優先的にやるということが一番目的ではあったわけです。
その中でも、今回僕も読ませていただいた「死刑のあり国で生きる」とか、
やっぱり孫玄師の本だったり、その本でアウトプットしてることだけは全てじゃないと思いますけど、
やっぱり僕個人的には宮下陽一といえば、人の死というか死生感とか、
そういうものに、特に最近ずっと語られてるイメージがあるんですけど、
何かそこのきっかけとかあるわけですかね?
自分が書いている作品のテーマっていうのは、実はメッセージは一つなんです。
安楽死のテーマに主力性を、死刑のテーマに主力性を、その前に不倫治療の話を。
やっぱりいろんな国で生活して、いろんな世界の人たちと交流するようになってきて思ったことが、
価値観って一つじゃない。いろんな形があって、いろんな人たちの普遍性っていうのが、
実は普遍ではないっていうふうに僕は思って。
人生は普遍ではない。
いわゆる人権とか、今世界でいろいろ騒がれていることが、
その欧米主流の価値観で世界を変えていくというか、
金庫の振りもこういう価値観を持って変えていかなきゃいけないっていうような、
その普遍的な価値観っていうものに対して、僕はそこにすごい疑問を持っているので、
価値観の変性っていうのは、実は欧米人派いう面性なんじゃないかな。
なぜかというと、30年、欧米人と付き合ってきて、
彼らの価値観についていけないところがいっぱいあるんです。
例えばどんなところ?
この人たちにとったら、そういうことが当たり前っていう。
例えば安楽死でいうと、その人が死にたいと思っているのであれば、
その人の個人の意思を尊重して、叶えてあげようという思い。
これは今、ヨーロッパで主流になっていて、
フランスもいよいよ安楽死を法制化するというところまで来ているんですよ。
そうなると、ヨーロッパほとんどの国が安楽死を認めているということになるんですけど、
その方法にある理由っていうのは、
その人が苦しんでて死にたいんだから、
その人の幸せのために叶えてあげようじゃないかっていう、
安楽死を叶えてあげたいっていう思いが共通しているんです。
それが、その人の個人の生き方に対する宣言、
それを尊重するという考え方。
これはもう当たり前なんだ。
だから、死にたい人は本当に苦しくて死にたいんだったら、
死なせてあげましょうっていう。
だけど、それが彼らの言う普遍性だとしたら、
日本人にとって、じゃあ、はい、どうぞって言えますか?
言えないです。
だから、日本人の価値観間違ってると思います。
分かるけど、死んでほしくないとか、
みんなで守ってあげたらとか、
そういう死に対する価値観っていうのは、
アジアと欧米諸国って全然違うんです。
だけど、それを死ぬ権利っていう欧米の価値観を
世界に広めようとするっていうことに対する
違和感があるな、あいまいです。
日常の生活でも、いろんな人たちで見て話をしてても、
30年経っても意見が合わないっていうところもあるから、
でも、この人たちにしてみると、
アジアの世界で生きてきてないじゃないですか。
アジアの価値観を知らないのに、
彼らの思想だとか、
普遍性というものを世界に広げようとするっていうことは、
ちょっと違うんじゃないかなっていう。
そういうことを、今まで自分の作品の中で提示してきて、
世界の流れに乗る前に、
ちょっと考えてみませんか?
日本文化に基づいて、
日本人の価値観に基づいて、
同じテーマだとしても、
安楽詩にしても、
試験にしても、
ちょっと日本の考え方で考えてみませんか?
っていうことを、
気づかせてあげたいっていうのが、
今まで自分がやってたジャーナリストの問題で、
だとは思います。
そのやってることがA面だとさっきおっしゃってた、
今後逆に、
裏表だと思うんですけど、
こっちの人は日本のこと、
アジアのこともよく、
やっぱりそういう意味ではまだ、
日本のことも宮下さんみたいなことを
視点からちゃんと伝えられるジャーナリストがいないから、
逆にそっちを伝えるのも今後やりたいと思うんですね。
例えば死刑の話で言うと、
つい最近、今年の夏へ、
暴動があったじゃないですか。
あの暴動があった背景ですっていうのは、
17歳の少年が警察に射殺されたわけです。
それで周りの若者たちが怒りまくって、
いろんな暴動を全国で起こして、
3500人が逮捕される、
というような事件が起きてるわけです。
警察の現場射殺っていう問題は、
この国では結構横行してて、
去年1年間だけでも12人が市場で、
警察の正当防衛ではない形で、
一般市民を殺してるっていうことは、
日本じゃ考えられない。
日本だと戦後に、
僕が知ってる関係では3件しかない。
戦後で3件。
こっちの国では1年間で12件、去年。
彼らは裁判で裁かれる前に、
もう疑いの段階で殺されてるわけじゃないですか。
それって、やっぱり形を変えた死刑なんじゃないの?
っていうことを取材してきたんです。