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2024-07-01 20:25

【INTERVIEW#248】オーストラリアとバイロンベイの今│倉本貴之さん(カフェ経営/バイロンベイ〈オーストラリア〉)

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▼前回、2015年4月にバイロンベイで倉本貴之さんへのインタビュー
環境に左右されない経営(前編)
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環境に左右されない経営(後編)
YouTubeメンバーシップ https://youtu.be/KZu_UhZRLNw
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【オーストラリアとバイロンベイの今】
今回は、オーストラリアのバイロンベイ在住で「Federal Doma Cafe」オーナーの倉本貴之さんのインタビューを全4回にわたってお届けします。
コロナ禍を乗り越え、今年で創業12年を迎えるFederal Doma Cafeの魅力と海外で活躍するコスモポリタン倉本さんへのインタビューをお楽しみください。
また、2015年に実施したインタビューはメンバーシップ限定でお楽しみいただけるので、ぜひ概要欄をチェックしてください。
(2024年6月取材)

【倉本貴之】くらもと・たかゆき Federal Doma Cafe オーナーシェフ2004年にワーキングホリデー・ハネムーンで渡豪。妻の妊娠をきっかけに、そのまま永住することに。12年からバイロンベイのヒンターランドでカフェを経営。
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第一回 オーストラリアとバイロンベイの今 第二回 Good Vibes, Good Life 第三回 メルボルンで出合った人生を変えた1冊 第四回 オーストラリアで20年やってこられた理由再生リスト

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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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▼関連キーワード
#バイロンベイ#オーストラリア#DomaCafe

▼目次
() バイロンベイってどんなところ?
() Federal Doma Cafe について
() カフェの強み
() 家族構成とカフェの規模
() コロナ禍を経て起きたバイロンベイの変化
() メンバーシップ随時募集中

00:01
──今日はですね、フェデラルドマカフェオーナーの倉本貴之さんにお話を伺います。
──貴之さんよろしくお願いします。 ──よろしくお願いいたします。
──実はですね、貴之さんにはもう10年ほど前にオーストラリアのバイロンベイでですね、お話を伺って以来
──その後、ご帰国の際に、ちょっと某港未来でライブに出ていただいてトークライブ以来なんで──そうですね。
──でもそれも多分7年ぐらい前かな。 ──うーん、それぐらいかもしれないですね。
──なので、今日は実は一時ご帰国のおりにですね、無理に時間を作っていただいて、この港未来でまたお話を伺っているんですが
──そもそもですけど、倉本貴之さんがフェデラルドマカフェと言いましたが、ちょっとオーストラリアバイロンベイって話も出ましたけど
──これ聞いてない方、バイロンベイってどこって言ったんですか? オーストラリアと言ったんですけど、どんな場所、どんな人がいるようなとこなんですか?
──最初にね、早川さんがインタビューしていただいたのが多分2015年ぐらいだったと思うんですけど、その頃とはだいぶ変わりましたね、今はね。
──もともとは、サーファーとかヨガ、ヒッピーとか、オーガニックフードとかね、そういうのが好きな人たちが集まっていた街だったんですよ。
──結構オーガニックな、オルタネティブな街と言われてたけど、たまにそのリゾートで来ると。
──だけど、今2024年ですよね。この間にだいぶ変わってきて、まず物価や家賃が高くなって。
──もともと高いですよね。
──もともと高いんですけど、さらにさらに上がっちゃって、ヒッピーの人たちはまずいないですね。
──前も詳しく言うと、ヒッピーの中でも隠れ富裕層みたいな人だけ残った感じですね。
──そうですね。
──ヒッピーでよく見たら富裕層だった。
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03:00
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──倉本隆之さんが、フェデラルドマカフェ、バイロン・ベイ、ハテナみたいな感じで思ってる方もいらっしゃると思うんで、
──フェデラルドマカフェ、今、倉本隆之さんはオーナーということですけど、
──フェデラルドマカフェについて、もうちょっと詳しく、どんなカフェで、バイロン・ベイのどんなところでやってるんでしょうか。
──フェデラルドマカフェっていうのはね、バイロン・ベイから車で山道を25分か30分くらい、慣れると、慣れないと多分40分とか45分とかかかっちゃうような、何もない道を行くんですけど、
──そこに小さなフェデラルという街があって、そこで始めたちっちゃいカフェなんですけど、
──そこでコーヒー、あとはオーストラリアのブレックファーストとか、あとはランチ、最近はディナーも始まったんですけど、そういうものを提供してますね。
──要は街のカフェとして、街のそのローカルのカフェとして始まったカフェですね。
──今何年目になりました?
──今は9月で12年です。
──すごい、おめでとうございます。
──ありがとうございます。
──そうか、12年です。江戸が一周したってことですね。
──そうなんですよ。
──すいません、どうでもいい。
──どうでもよくなくて、それが結構自分にとっては大きくて、1年目がドラゴンの辰年だったんですよ。
──でもどうしようかな、どうしようかなって、やろうかな、こんなちっちゃいところで、こんな誰も通らないようなところなんですけど。
──その時にドラゴンをいっぱい見たというか、今年は辰年だなと思ってたら、
──例えば、ボロボロのカフェだったんですけど、なんかドラゴンのカレンダーが飾ってあったりとか、ちょっと忘れちゃったんですけど。
──パッとマグカップを見たら、「あれ? これもドラゴンだ!」とか。
──これは、なんかわからないけど、「あれ?って言ってんのかな?」みたいな。
──え? 向こうに江戸ってあるんですか? バイロンで。
──意識してる人はごく稀にいると思うんですけど。なんか知らないけど。
──なんでかって言うと、自分は竜が好きで、竜人っていうのをちょっと信じてるんですけど。迷ってる時に、いっぱいドラゴンが見えてて。
06:06
──家に行ってて初めて。で、今年がそのドラゴンの年なんで、一周したなって。重要だな。
──今年の12年目はすごく感慨深いですね。 ──いいですね。
──で、高木さんは辰年じゃなくて。 ──全然違いますね。
──ネズミとして。でもね、篠が、篠ってうちの奥さんが辰年なんですよ。
──そうなんだ。奥様の名前も出てきましたけど。
──今日本当はもうたっぷり、ここに至るまでの話も聞きたいんですけど、その話だけで前3時間くらいしてるんで。
──箱のリンク貼ってあるんで、そこはまたぜひ皆さん聞いていただきたいんですけど。
──でもね、本当にこれだけはお伝えしたいんですけど、僕もそういう意味では、高木さんとその10年前にバイロン米でインタビューさせていただいて、
──その後、日本に帰ってきた時とか、逆に紹介させていただいた方の方がみんなハマっちゃって、みんなたくさん言ってるんですけど、
──本当にドマカフェ、フェデラルドマカフェの雰囲気もですけど、本当に森の中で鳥とかもさえずってて。
──でも一番やっぱり料理。
──このホームページの言葉をちょっと曲訳してみたんですけど、曲訳すると、
──朝食とランチのメニューにはハンバーガーやフレンチトーストなど西洋風の定番料理が並びますが、
──日本風の味付けも常に取り入れており、ユニークなキッチン、ユニークな料理がありますと。
──こう書くとちょっと普通なんですけど、全然普通じゃなくてですね。
──高木さん、ちょっと僕が言語化できないんで、オーナー本人にお願いするのもちょっと失礼を承知ですけど、何が違うんですかね?
──まあ、自分たちができることをやってるんですけど、このホームページも最近できたんですよ。
──めちゃくちゃかっこいいですね。
──なんですかね、ちょっとあんまり見ていないんですけど。業者さんに頼んで、最近これが動いてるってことを知り、つい本当に先月リンクさせたんですよね。
──はいはいはい。
──すみません、話が脱線しましたけど。
──トマカフェって、最初本当に何もないところで始めたんで、とにかくバイブスを上げていこうっていうところから。
──やはり来ましたね。
──料理にいかにバイブスを入れられるかというか、その料理一個一個がいかにバイブス高く出せるかっていうのをずっと目指してるんですね。
──オーストラリア定番のカフェの食べ物なんですけれど、やっぱり自分たちが知っている調味料だとか食材の方が扱いやすいじゃないですか。
──はいはいはい。
──まあ素直にやってたら、ジャパニーズカフェって言われだして。
──なるほど。
──そうなんですよ。お寿司も出してるんですけど、自分たちは普通のカフェのつもりだったんですけど、いつの間にかジャパニーズカフェジャパニーズカフェって言われだし。
──うんうん。
──まあ料理で言ったら、オーストラリアの定番のものと日本の自分たちが知っている食材や調味料を使った料理を出してます。それこそハンバーガーとか。
──お腹空いてきますよな。本当にもう、なんて言うんでしょう。言ったらもうパラダイスですね。
09:04
──この世の楽園としか思えないような環境の中で、やっぱりカフェの雰囲気もいいですし、料理が何より美味しいっていう感じなんで。カフェっていうグリに留まらないというか。
──まあそうなんですよ。カフェって最近ついてるなーって自分まで気になってるんですよ。フェデラルドカフェかーって。
──まあその中でね、当時ね、高木さんも奥様もいらっしゃって、やっぱり日本からバイロニアやってきてる方達もスタッフの方も来てて、
──すごく本当にそのバイオスがいいなっていうことをすごく大事にしてきてる感じは受けたんですけど、
──今、高木さんご自身の家族構成というか、そことあとスタッフの方、どんな感じの人がいて、どのくらいの規模でやってるんですか。
──うちの家族構成ですか、奥さんと子供が今3人います。スタッフは、メインとなる日本で言ったら正社員さんと純正社員とか言うのかな。
──ちょっと働く時間が違うだけでほぼ全く一緒なんですけど。
──そのスタッフが大体10人くらい、11人とか。あとアルバイトさん、日本で言ったらアルバイトさん含めて25人くらいのチームですかね。
──前より多い?
──もちろんそれは、前よりはね、もちろんどんどん10年も経てば忙しくなるし、前よりはだいぶ多くなってきてますね。
──日本人以外の方もいる?
──もちろんもちろん。半々よりちょっと今は日本人の方が多いですね。
──そうなんですね。
──ただ日本人でも一時滞在っていうよりも永住権を持ってる人がいる。オーストラリア人と一緒のくくりなんで、そういう意味ではもう半々以上かな。
──今ね、もう10年前というか以前とのビフォーアクターみたいなことを聞きつつはありますけど、改めて、やっぱり10年というか特にこのCOVID、2020年からこの4年、5年くらいから今に至るまで、一番変わったこととか変わらないこととかっていうのをちょっと聞いていきたいんですけど、
──ズバリさっきもちょっと出ましたけど、バイロン、ドマカフェ、倉本、高池って切り口で順番に聞いていきたい。
──同じこともあるかもしれないですけど。
──まず大きな街、バイロン・ベイっていう意味では10年前とは違いよってあったと思うんですけど、特にこのコロナ禍経って大きく変わったことって、あと変わらないものも。
──バイロン・ベイですか。コロナ前まで、むしろそのコロナ後、やっぱバイロン・ベイブームっていうのがあったんですよ。コロナ前の何年か前、ちょっと正確には忘れちゃったんですけど、バイロン・ベイって夏に忙しくて、冬にパタって人がいなくなるっていうのがバイロン・ベイだったんですよね。
──それが冬も、あれ、なぜか人がいるなっていうバイロン・ベイになってたんですよ。それはメディアとかね、そういうセレブが来てるとか、バイロン・ベイが流行ってると。日本からもいっぱい人が来てたりとかもしたことがあったんですけど。
12:07
──それがコロナになり、コロナのロックダウンだなんだってあるじゃないですか。国内しか移動ができないってなった時に、またバイロン・バブルじゃないですけど、それがあり、ずっと忙しかったんですよね。ただその2022年ぐらいから、海外に行けるようになったりとか、リストレッションがもう全部終わってから、
──ちょっと今はね、普通、前のバイロン・バブルの前ぐらいが完全に戻ってますね。冬にパタって人がいなくなる。それが去年ぐらいからだったんですけどね。
──そのリストレクションがあった時は、そのバイロン・バブル来たってのは、当然国内の人たちがみんなバイロン・ベイに来たみたいな感じな。
──そうなんですよ。だいぶ忙しかったですね。
──めちゃめちゃ忙しかったってことですね。
──不安の中で、たぶん皆さんそうだと思うんですけど、ロックダウンがあって、これからどうなるんだっていう、スタッフもいたし。
──しかも、自分たちは日本人のスタッフが多くて、オーストラリア人はサポートをもらえたんですよ。お金を配ってると。
──それもあって、みんなはオージーの人もオーストラリア人も、ここから自分たちはどうなるんだ。
──だけど、お金を政府がくれる。使うとこがないから、みんなレストランに使い始めたんですよね。
──だけど、自分たちのスタッフ、日本人のスタッフって、そういうサポートがなかったんで。
──なんとかお店をやり続けなきゃいけないって、細々と長い時間やりだしたら、空いてるとこがあんまなかったんで、またどんどん忙しい。
──最初は1人やってたのが2人になり、2人が3人で働くようになってて、だいぶ忙しくしてたっていうか。
──1人しか働けないとこが、元の状態に長い時間かけて戻ってくぐらい忙しくなったんですよね。コロナ禍でもね。それぐらい忙しかった。
──そのリストリクションがあったときは段階的だったかもしれないですけど、日本だったら完全に休業みたいな。
──それは要望があったり、自主的にだったと思いますけど、バイロンは完全にダメみたいなのもあったんですけど。
──完全にね、テイカウェイというか、持ち帰りだったらいいっていう風になったんですよ。日本も多分そうだったと思うんですけど。
──結構、閉まってるカフェとかレストランが多くて、その中で開けて、やっぱ需要があったというか、お客さんが喜ばれるじゃないですか。
──ありがとう。
──開けてくれて、それが遠くというか、バイロンの街からも来てくれたりとかはしましたね。テイカウェイで開けてたんですね。細々と。
──デモっていうのもあれですけど、元々オープンに近いじゃないですか。テイカウェイじゃないけど、森の中でみたいな感じだから。
──でも、テイカウェイ以外はやっちゃいけなかった。
15:01
──やっちゃいけなかったですね。
──オーストラリアって最初は幻覚だったの?
──幻覚で、そのうちワクチンを接種してないと働かないといけないって出たんですけど、バイロンの人たちって大体打たないですよ。
──いかにも打たないですね。個人の意見です。
──まあ、打つ人ももちろんいるんですよ。
──義務じゃない。
──そうそう。別に良い悪いをちょっと置いといて。で、打ってないスタッフは働いちゃいけないってなってたんですけど、取り締まりがあるよって、確かちょっと記憶が定かじゃないんだけど、オーストラリアのニュースハスフェルスって自分たちの州の人が発表したんですけど、バイロンの警察が自分たちはそういうのを取り締めることはしませんって。
──独立実習みたいですね、アメリカのね。
──だからもうみんな、そうなんだみたいな。でも、ワクチンしてなくても関係ねえや、自分たちと様子見てたんですよね。2日3日ちょっと閉めてみようかと。罰金がいくらっていう風に出てたんで。だけど開けてるとこは開けてて、もし来たら戦うみたいな感じの姿勢で開けてたんですよね。
──なったら、まあそういう声明が警察から出てるよとか、みんながいろいろね、フェイスブックとかで情報交換してたんで。でもそういう感じでした、コロナ禍は。
──コロナの時って、まあ当然人にもよってますけど、日本人はやっぱり慎重なんで、お店やる人もそうですけど、逆に僕ら行く方がやっぱり慎重になった人が圧倒的に多かったと思うんですけど。
──これはあえて偏った見方ですけど、欧米というまた大きな括り、特にバイロンの人たちとなると、どちらかというと、会いちゃいさえすれば、もうすぐ行きたい人たちなのか、割と意外と庁民制というか町っていうか、コロナになったらちょっと内向きになったみたいなのあった?そんなことは全然ない?
──コロナって来るじゃないですか、お客さんが。もともと住んでる人で、やっぱり来てほしくない人たちは。
──外から来てほしくない?
──そうなんですよ。だいぶ、例えば通報されたりとか、そういう何人かハッピーじゃない人たちはいましたね。すぐにあそこを並んでるけど、間隔が短い。
──そういうことか。コロナが動向で、移るから嫌だとかじゃなくて、いわゆるハッピーなね。
──なんですかね、呼んでほしくなかったんでしょうね。街にコロナがワーって蔓延してる時に、要はコロナの人がまた来るかもしれないじゃないですか。あんなアイソレートされたちっちゃい街にコロナを持ってきてほしくないみたいな人たちは、声を上げてる人は何人かでしたけど、もしかしたらもっといたのかもしれないですね。
──いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。この度スタートしたメンバーシップでは、各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで、2000人以上にインタビューしてきた僕が、国内外の取材、そして旅の中で見つけた人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。ここでしか聞けない特別インタビューや非蔵トークにもアクセスしていただけます。随時、これは面白い、これはいいんじゃないかっていうコンテンツもアップデートしていきますので、そちらも含めてどうか今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。
18:12
なお、いただいた皆様からのメンバーシップの会費は、インタビューシリーズの制作費だったり、国内外のインタビューに伴う交通費、宿泊費、その他取材の諸々の活動経費に使わせていただきたいと思っています。
最後に、なぜ僕が無料でインタビューを配信し続けるのか、少しだけお話しさせてください。この一番の理由は、僕自身が人の話によって、うつや幾度の困難から救われてきたからです。
そして何より、国内外のたくさんの視聴者の方から、これまで人生が変わりました。毎日済む勇気をもらいました。救われましたという声をいただき続けてきたからに他になりません。
この声は、世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から一層増えたように思います。これは本当にありがたいことです。
ただ、同時にそれだけ心身共に疲弊したり、不安を抱いたりしている方が増えていることに関わらない、その裏返しであると僕は強く感じています。
正直に言えば、かく僕自身も15年以上前に起業して以来、最大のピンチといっても過言ではない時期をこの数年送り続けてきました。
でも、こんな時だからこそ守りに入ることなく、インスピレーションと学びにあふれる、まだ見ぬインタビューを送り続けることが、インタビュアーとしての自分の使命なのではないかと強く感じています。
世界がますます混迷を極め、先の見えない時代だからこそ、僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや戦争体験者の方への取材はもちろん、今後は僕たちと同じ姿勢の人、普通の人の声に耳を傾けたり、ややもすると打ち抜きになってしまう、今こそ海外でのインタビューに力を入れていきたいと思っています。
そして彼らの一つ一つの声を音声や映像だけでなく、本としてもしっかりと残していきたい、そう考えています。
そんな思いに共感してくださる方がメンバーシップの一員になってくださったら、これほど心強く、そして嬉しいことはありません。
ぜひメンバーシップの方でも皆様とお耳にかかるのを楽しみにしています。
以上、早貝大平でした。
20:25

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