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2022-03-31 16:25

【Playback#35】大人の感性、子供の感性│ 横尾忠則さん(美術家)(#3:2018年11月)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/C91u8Pub6O4

今回のUpdaterは、美術家の横尾忠則さん。
長年世界で活躍し、評価される彼の生き方の源泉はどこにあるのか? 
横尾さんにとって「描く」ことと「書く」ことはどんな意味を持つのか直感や大切にしているご自身のルールについてもうかがった。
(2018年11月横尾さんアトリエにて対談)

【プロフィール】よこお・ただのり/1936年生まれ。72年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ベネチア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館での個展など海外での発表も多い。95年毎日芸術賞、2001年紫綬褒章、06年日本文化デザイン大賞、08年小説集『ぶるうらんど』で第36回泉鏡花文学賞、11年旭日小綬章、同年度朝日賞、14年山名賞、15年第27回高松宮殿下記念世界文化賞など、受賞・受章多数。12年神戸に横尾忠則現代美術館開館。13年には香川県豊島に「豊島横尾館」開館した。

【横尾忠則さんへのインタビュー】
〈3月29日(火)公開〉Talk.1|「画家宣言」の背景
〈3月30日(水)公開〉Talk.2|生き方の源泉
〈3月31日(木)公開〉Talk.3|大人の感性、子供の感性
〈4月1日(金)公開〉Talk.4|死後の世界で会いたい人
 *再生リスト| https://bit.ly/37EeAcW

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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

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■目次
OP
言葉の取り扱い方
手にしたものを手放す
人生で一番反復したこと
自身に存在する子ども心
大人の感性・子どもの感性
「なぜ」という問い
横尾忠則が影響を受ける人

▼関連キーワード
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Editor : Kimi

00:26
──お考えと、僕も言葉に関わる仕事ですけど、 言葉って良くもあり難しくもあるというか。
早川 そうね、言葉は今も言葉でしか喋れないから 言葉で喋ってるわけだけども、
これがてっかくに僕の思いとか感じたことが、 じゃあ言葉になってんのかっていうと、
なってないような気がするんですよね。 じゃあボキャブラリーが足りないから、
なってないのかっていった場合、 ものすごくボキャブラリーがあると、
逆にそれはボキャブラリーに翻弄されてしまって、 逆に自分の本意が伝わらないと思う。
ちっちゃい子供なんていうのは、 ボキャブラリーがうんと少ないじゃないですか。
少ないけれども、自分の気持ちを ものすごくストレートに表しますよね。
わずかな言葉で。そこに真理がもしかしたらあるかもわかんない。
神の言葉じゃないかと思うような言葉を 子供は言うかもしれません。
だけど大人になってしまったら、 神と全然離れてしまった人間の、
作った人間の概念で、 人間の言葉でしか喋れなくなっちゃう。
そういうもの同士がぶつかり合っているわけですよね。
毎日の新聞を見ても、テレビを見ても。
そういうのにある意味、大人の社会は 一揆一揆しているわけですよね。
知識とか教養とかね、それを身につけることに 社会力になっているわけですよ。
だから本がたくさん売れるんですよ。
ある子、講演会があるとみんな聞きに行くとか、 そうなってきて、言葉に頼りすぎてしまってて。
自分を表現するときに、言葉の材料というか、 素材をたくさん持っていれば、
相手に的確に喋れる。
あるいは相手に通じていないかもわからないけど、 賢そうに思われるかもしれない。
ということもひっくるめて、 それもその人の生き方になって。
その生き方が何となく、いつも重苦しい。
何で重苦しいんだっていうと、
自分の言葉というのが考えに翻弄されているので しんどくなっているということもある。
だからその言葉がなければ、どんなに楽に生きられるかわからない ということもありますよね。
03:01
本当に横尾さんにさっきインタビュー始まる前も お礼を言わせていただいたんですけど、
本当に横尾さんの最近のアホになる修行とか読ませていただいて、
なんか俺って自分の部屋で一人で空振りばっかりしてたんだなと思って。
一切怖かったんですけど、基本的に全部やめてみたら 何も起きなかったみたいな。
一回ね、集中するのはいいんですよ。
僕が座禅やってたときに、禅ってなんだかわからない。
お坊さんに聞いたって何言ってるのかさっぱりわからない。
お坊さんも説明しない。
ただ黙って座りなさいっていう、これしか言わないわけです。
そんなこと一年やってても、これ何なんだろうっていうのを言葉で、
それを自分で理解しようと思っても、言葉で理解できないし、
お坊さんも言葉で説明してくれないんですよ。
ただ黙って座る、これだけがいいっていう。
それでお寺に参禅してて、そのとき何がなんだかさっぱりわからなくて、
やめて、禅とさよならをしたわけですよね。
さよならしたあたりから、体験がなんとなく体の中からじわじわとにじみ出てくるみたいな。
だから一回手放した、手に入れたものを一回手放してしまう。
これは大事だと思うんですよね。
せっかく得た知識とか教養を話すのが怖いかもしれないけど、
それを手放すんですよね。手放す勇気っていうのが。
そうですね。
そのときに、その人はステップが上がっていくんじゃないかと思う。
話さないことにはわかんないですかね。
一回全部手放しちゃおう。
八十歳以上の方にインタビューしてた本、すごい楽しくて、また続編も出してもらいたいんですけど、
続編も90代で期待してるんですけど、
時間的に何を何時間とかどのくらいやったかより、何回やったかの方が大事だっていうふうにおっしゃってたと思うんですよね。
それに関して、横尾さんご自身が今までの人生で一番反復したことというか、
身体的特性、呼吸とかままたきとかそういうもの以外で。
子供時代ですよね。子供時代にしょっちゅう反復してるような気がしますね。
大人になっていこうとしますよね。
身体で言えば老化していくんだけども、大人になっていくっていうのも老化の一つだと思うけれども、
子供時代っていうのは、子供の感性っていうのか、子供の時間、子供の時代の記憶、経験、
06:08
そういったものは子供時代が終わるとみんな忘れてしまうんですよ。
忘れるっていうのが関係ない。早く、一刻も早く大人になりたいと思って捨ててしまうわけですよね。
そうじゃなくて、それをいつもでも持ち続けている人は何歳になってもそんなに年取らない。
だけど、年取れない、あの人大人だけども子供みたいだねって言われる。
それが嫌だから子供を捨てる。
それが嫌でなければ、子供時代を自分の中で育成させるっていうのかね、それを成長させるっていうことはできないけども、
その子供時代をいつも自分の中に温存して、その子供時代の時間と会話、対話をいつもする。
だから年を取らないっていうことですよね。
だから年を取ると病気にもなるし、寿命も縮むし、見た目にも老人になっていくってことはあると思うんですよね。
そういうのは早く子供を捨てようとした結果じゃないかなと思うわけね。
まさに横尾さん、子供っていうそういう内在しているのをすごく感じるんですけど、
身体的な重ねていくこととは別に、ご自身の幼児性というかそういうものってどうでしょう?
70代、80代って、ちょっと増してきたりとかってあるんですか?
増してはいないんだけれども、子供の時間と記憶は僕の身体の中にずいぶん大きいスペースを占めているんですよね。
そのスペースを大人になった自分が圧縮してしまって、ちっちゃい時にはポンと掘り出してしまうんですよ。
だけど、圧縮されない子供が頑張っているというので、その子供を育てるというか、育てなくてもいいんですよね。
もともとあるんだから。
だから、子供の時間とか記憶とか、いろんな子供の要素を大人になっても、
それを守るというか、自分の一部として強制共存するということじゃないかなと思うんですよね。
僕が一つ例を挙げると、どこかで書いたかもわからないけれども、
中学の時に南代一郎という人がバルーバの冒険という本を書いて、その時に全5巻あるのに4巻書いたところで出版社が潰れてしまった。
09:11
最後の1巻は出なくなってしまった。
ところが何十年か、30年か40年して最後の巻が出たんですよ。全く別の出版社から。
で、僕はそれを買いました。
前の4巻でこれを読めば、終わった、完結するんだけども、
これを読んでしまうと、僕が中学の時に読んでいた4冊のバルーバの冒険という、子供の血湧き肉踊る僕の感性が、
これを読むことによって終わっちゃうわけですよ。
だから未だに読まないで。
今日現在もやっぱり読んでない?
読んでない。
5巻目はまだあるんですよ。
読まないまま死んじゃうかもわからないけれども、それは幻想だけども、読んだら僕の子供がそこで死んじゃうなって、終わったなっていう気がするわけ。
だからギリギリまで持っていって。
それは一つの例えだけれども、そういうのは僕の中に、みんなできるだけたくさん持っていればいいんですよ。
確かにそういう楽しみというか、子供の一番楽しみをそのまま持っていた方が、
ちょっと例えが、私説なんですけど、エロティシズムじゃないんですけど、
すっぱだかにするよりも、意外とすっぱだかにしないで、服着てたままの方が、意外と見ない方が良かったみたいな。
例え悪いんですけど、今のと同じものを感じて、そのままにしといた方が。
でもね、それは大人の感性なんですよ。子供はね、すっぱだか見たいわけですよ。
だから早くすっぱだかにしてしまえばいいんですよ。
それを見ないっていうのは、それは理屈の世界で、大人の考える理屈なんですよ。
そんなことをしたら、子供時代が終わるんじゃないかって、そうじゃないんです。
欲しいものは欲しいで、飛び込んでしまえばいいけど、それは子供の感性なんです。
なんか美味しいものが出ると、美味しいものから食べていきますよね。
だから、だんだん大人になると、美味しいものは後に回せて、っていう風になっちゃうんだけども、
そういうのを見たい、何とかしたい、語感、特に語感、聞きたい、見たい、食べたい、触りたい、
そういったものは抑えないのが子供なんですよ。
飛びつけばいいんですよ。
確かに、この間ちょうどうち小さい子供がいるんですけど、
なんかおかず食べてて、それ最初に食べちゃっていいの?後に残さなくていいの?って言ったら、
12:00
いや、だって最初に食べたいと思って、もう一言で終わりです。
子供さんは、物の本質をよく知ってるわけですよね。
大人は、お父さんは、それは最後に取ってきなさいって、これは大人の法則みたいなものを言ってるわけで。
職業柄もあいまって、すぐなぜなぜって自分にも人にも聞いちゃうんですよね。
なぜなぜを聞いていくとね、つまり答えが欲しくなるわけ。答えなんてそんなもんないんですよ。
ないのに答えが欲しい。また聞く、また答え。もう限りなくするわけです。
僕は禅をやってたときに、ここに花が咲いてます。
禅の同士に、なんで花が咲いてるんですかって聞くと、咲いてるからそれでいいんじゃないですかっていうわけ。
それでいいんですよ。
花が自分を咲こうと思って咲いたわけでもないし、なんでっていうこと自体は、そんな質問はすることない。
綺麗かったら綺麗なと思ったり、持って帰りたいと思ったら引っこ抜いてもいいし、
なんでなんでなんでっていう質問をすると、最後は人間が覚悟を作る。
科学者が問わなきゃよかったのに、問うたらそれを作ろうとするわけ。答えを出そうとするわけ。
頭のいい人たちはそうなんですよね。
頭のいい人。
これでも非常にこの後のインタビューの展開しづらいですね。僕もうなぜなぜ言えないんですけど。
まあでもね、別にそれも、
聞きたきゃ聞けばいいんですよ。
それをまた問わなくていいと。
聞く前から聞くべきか聞かないべきかなんて考える必要ない。
聞きたきゃ聞けばいいわけですよ。
さっきの南陽一郎さんでしたっけ。さっき横沢大輔さんの話を聞いたんですけど、
実はその南陽一郎さんに直接会って、5巻か何か出しませんかって言ってるんですよね。
本を出しませんかって。
おっしゃってたんですよね。だからその後5巻が出た時はもう南さんは亡くなってるんですか。
亡くなった。南さんは知らない人に、その後の話を聞いてます。
だからその後5巻が出た時はもう南さん亡くなってるんですか?
亡くなった。南さんは知らないまま死んじゃったんだけどね。
いつか出ると思ってらっしゃるかもわかんないけどね。
その中でやっぱり南さんもそうだと思うんですけど
横尾さんがこれもツイッターですかね何かで書かれてたんですけど
人に会うっていうことはすごいインスピレーションが降りてくることがあるから
この人だっていう人がいたらたとえ1分でも極端に1秒でもいいから
15:04
っていうことをすごく何かで読ませていただいて
僕まさにその会うことが職業なんで
非常にわかるんですけど
横尾さんが今この世の中で生きている人で
最もインスパイアされる人って誰ですか?
もう会いたい人はみんな死んじゃってるからさ
ピカスに会いたいと思ってもキリコに会いたいと思ってもみんな死んじゃってるわけ
今現存で会いたいと思う人ってそんなにいないね
もう今から会ってどうするのってめんどくさいよ
わざわざ行かなきゃいけないのめんどくさいなと思うしね
質問はこういうちょっと理屈っぽくなっちゃいますけど
そうはいっても今のこういう関係の中で
なんかこいつ面白くてよく会ってるみたいな
人いると思いますけど特に
誰かってこと?
会うたびに
いやそんな考えなきゃいけないぐらいだからいないんじゃないですか
上手いことなってますよ人生っていうのは
いかないようにブレーキをかけられるっていうのかな
僕の運命が
いかないような条件を作るんですよ
16:25

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