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2022-04-01 16:38

【Playback#36】死後の世界で会いたい人│ 横尾忠則さん(美術家)(#4:2018年11月)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/jqn6djRSQys

今回のUpdaterは、美術家の横尾忠則さん。
長年世界で活躍し、評価される彼の生き方の源泉はどこにあるのか? 
横尾さんにとって「描く」ことと「書く」ことはどんな意味を持つのか直感や大切にしているご自身のルールについてもうかがった。
(2018年11月横尾さんアトリエにて対談)

【プロフィール】よこお・ただのり/1936年生まれ。72年にニューヨーク近代美術館で個展。その後もパリ、ベネチア、サンパウロなど各国のビエンナーレに出品。アムステルダムのステデリック美術館、パリのカルティエ財団現代美術館での個展など海外での発表も多い。95年毎日芸術賞、2001年紫綬褒章、06年日本文化デザイン大賞、08年小説集『ぶるうらんど』で第36回泉鏡花文学賞、11年旭日小綬章、同年度朝日賞、14年山名賞、15年第27回高松宮殿下記念世界文化賞など、受賞・受章多数。12年神戸に横尾忠則現代美術館開館。13年には香川県豊島に「豊島横尾館」開館した。

【横尾忠則さんへのインタビュー】
〈3月29日(火)公開〉Talk.1|「画家宣言」の背景
〈3月30日(水)公開〉Talk.2|生き方の源泉
〈3月31日(木)公開〉Talk.3|大人の感性、子供の感性
〈4月1日(金)公開〉Talk.4|死後の世界で会いたい人
 *再生リスト| https://bit.ly/37EeAcW

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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

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■目次
OP
生き方の根幹にあるもの
死後の世界で会いたい人
60〜70s 時代の寵児と呼ばれた頃
「定義」に対して感じること
「横尾忠則」のルール
やりたいことの表現方法
「向こうの世界」を学ぶ方法
因果応報は本当にある?
明日全てゼロになっていたら

▼関連キーワード
#横尾忠則
#早川洋平
#インタビュー

Editor : Kimi

00:01
その意味では、本当に昔からこだわらないというか、そういう時はそういう時みたいな。
それで行けなくなって、がっかりしたとかしまったとか全然思わない。
これが僕の生き方のある瞬間だなと思うだけですよね。
だから、残念なことをしたとか、惜しいことをしたとか、目の前で仕事をしている編集者に、
お前がいるからこうなったんだよ、とかいうことは全然ないわけ。
さっきも、今となっては会いたい人はいないし、めんどくさいっていう話だったんですけど、
佐藤愛子さんとの対談で、死後の世界とかその辺の話がありましたけど、
横尾さんはまだまだ長生きされると思うんですけど、
その向こうの世界に行って、まず会いたい人って誰ですか?
それはね、僕が会いたい人じゃなくて、
死んだ人が僕に会いたいっていう人は会えると思うんです。
僕の方から出かけて行って、トーマス・エジソンに会いたいですって言ったって、
エジソンが僕に会いたいんだったら、向こうへやってくると思うし、
だから、僕が誰それって、それは選択できないと思うわけ。
それはあの本にあった階層の話とか関係ある。
そうそう、階層と、冷静の高さによって階層が多分あるんじゃないかと思うわけね。
だから自分の階層よりも、下の階層の人とは会えると思う。
だけど、下の階層の人と会ったってしょうがないじゃないですか。
会うんだって、上の人と会いたい。
自分からじゃなくて、上の階層の人が。
だから、その人と僕が波長が合えば、向こうの人は会えると思う。
だから、波長の合わない人って、キリストさんとかブッダさんには波長が高いし、
会いたいと思っても、もし会っても、あまりにも波長が違うために会って、
どうするんですか。キリストさんと握手して、どうするんですか。
それは、会う意味がないわけよね。
三島さんとか層は一緒なんですかね。
三島さんだって、誰それさんだったって、僕との波長で決まるから、
三島さんが波長が高い方だとしますよね。
まあ、波長高いと思う。
そんな人が現れたって、こちらで会ってた時のような感じで、今や三島さんと会えない。
だから、その時は別に残念だとも思わないし、
自分にとってふさわしい人と会えるわけだから、それでいいじゃないですかって。
03:07
そこもまた理屈をこねないで、やっぱり自然体なんですね。
僕が自然体っていうよりも、死後の世界自体が自然体だと思うわけ。
我々のこの世界は自然体じゃない、すごい不自然体だからさ、
名誉とか知恵だとかお金とか、そんなことで会えるわけでしょ。
全然人工的世界じゃないですか。
向こうの死んだ世界は人工的世界じゃないから。
今、知恵とか名誉とかって話がありましたけど、
やっぱり横尾さん、僕リアルタイムではその時代生まれてないんですけど、
60年代、70年代とか特に、いわゆる横尾さんのことを描かれているものを見ると、
まさに時代の長寿。
ご自身では、その鬱の中にいた時ってどうなんでしょう?
正直天狗になったり、調子に乗ったとかそういうのはないんですか?
いや、ものすごく不安だったです。
不安?
不安っていうのかな、自分が望んでない場所に置かれちゃうわけですよ。
そうした時、やっぱり不安になるわけですよね。
だから、大きなステージがあるとしますよね。
武道館みたいな、東京ドームみたいな大きなステージがあるとか、
ステージがいくつでもあるとするじゃないですか。
自分が最もふさわしいステージはあると思うんですよ、サイズから。
そこのステージじゃなくって、それより高いステージに
メディアがそこに僕を連れて行って置かれた時、不安になっちゃうんですよ。
何か喋りなさいって言われた時、何喋っているのかわからないです。
そういう意味では、自分の本来の遺体ステージと社会が求めるステージが違っていたわけですか?
ずれはありましたね。それがねじれだと思うんですけどね。
でも、そこがうまく向き合ったり、自分の中で何かを整理していかないと
人によっては極端に命を絶っちゃったりする人とかもいると思うんですけど、
横尾さんは?
今はね、僕が求めて出て行こうということがしない限りは、
ごく自然の状態でなんとなく収まっているような気がするんですよね。
今は?
今も、もっと前もそうだけどさ。
60年代のいきなりマスメディアにボーンと掘り出された時は、何だかわけわかんなかった。
長い目で見れば、ちゃんと本来の持っているまま来れているわけですよね。
06:00
その時は、戸惑った僕が多分そこで出たと思うし、
自信があったら自信があったふうに出たと思うし、
一応非常に多面的な出方をしたと思うんですよね。
そういうことが逆に、その時のメディアと横尾は何を考えているのかわからない。
こういう人だと思っていたら、そうじゃなくてこんなこともする。
こんなことをする人かと思ったら、あんなこともする。
どれが本当なんだということになって、
非常に多面性みたいなものがメディアでおむしろがられたんですよ。
その頃から時代がだんだん多面化していったんです。
それ以前は一元的だったんです。
ありとあらゆる場所で戸惑っていくわけですよね。
そのありとあらゆる場所で戸惑るのが、その時代の精神でもあったと思うんですよね。
そうですね。自分もそこを出したいと思っているんですけど、
さっきのどうしてもかっこよく言えばコンセプチャルというか、
定義づける癖がついてましたね。
特に美術の世界はね、コンセプチャルという言葉は美術用語でもあったと思うんですよね。
美術の世界からコンセプチャルアートみたいなのが流行りだして、
僕は美術の世界でコンセプトの仕事があると最先端へ行けるんですよね。
行けるというのがいつも最先端を目指すことになるんだけど、
僕はそこからそれに興味ないので、僕自身はあんまり関与しない。
だけど関与しないということがまた別のところから取り上げる。
そういうメディアもまたいるんです、一方でね。
だから面白いと言えば面白い。
そうですね。
世の中は全部同じ方向を向いている。
その時には同じ方向を向いたらメディアも求めている。
それでそういったと取り上げればいい。
だけど中には反対の方向を向いている人もいる。
そうすると別のメディアが反対の方向の人間も
こっちじゃなくてこっちじゃないかなっていう風に取り上げる場合もあるし。
必ずあるわけですよね。
僕はずっとそれを見てきたからね。
だからあえて時代の潮流の最先端を走るっていうことは必要ない。
だから60年代70年代の僕がやってきたことは
時代の最先端なんか全然やってないわけ。
時代と反対のことばっかりやってるわけ。
世の中はデザインの世界でいうとあの頃はモダニズムの世界だと。
僕は反モダニズムなことをやってたの。
なのに反モダニズムがモダニズムより面白いっていう見方をする人種がいたってことですよね。
しかも当時は横尾さんは別にモダニズムの逆
とにかくみんなが行ってくから左行こうっていう意識があった?
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全然ない。
僕には無理だって思ってあんなことできないって。
だから僕はもうちょっと違うことやってた。
そうするとできないと思ってる人も世の中いっぱいいるわけ。
だからできないと思ってる人がたまたまできないよって言ってる僕に
関心持ってくれただけの話じゃないかな。
他人のルールではなくて自分のルールに従っていれば
そんなに人生外すことないというか
そのニュアンスのこと書かれてたと思うんですけど
横尾さんのルールって何ですかね?
僕のルールは自分のしたいこと。
他人のしたいこと。社会のしたいことじゃなくて自分のしたいこと。
たまに自分がしたいことが社会がしたいことと一緒の場合もある。
全く社会が興味持ってないことをしたいっていうこともある。
それは僕のルールだから。
社会の法律とか法則に従おうとすると
それはいつも火の当たるところに自分を配置できるけど
そんなことはいつまでも続くもんじゃないから
自分のしたいことをする。
だから今自分がしたいことは
世間は全然関心持ってないとするじゃないですか。
そうしたら競争相手いないからやったねって感じするわけよ。
こちらへ行くと競争相手ばっかりだからさ。
競争相手のいないところでコツコツやってるほうが面白い。
それで自分のやりたいことがそこでできるわけ。
でも最近インターネットとか普及も含めて
何か表層的には自分らしく生きやすくなったような
自分らしく生きようという標語が巷に出たりとか
いろいろ出てますけど
今の横尾さんがおっしゃった
自分がやりたいことをやるという部分と
自分勝手に生きるとか
同じようで違う気がするんですけど
似て非なるものかもしれないけども
重なってる部分もあるかもわかんないし
自分のしたいことの中に
自分勝手なものも入ってるかもわかんないけどもね
それはグラデーション状態じゃないかな
自分勝手で自分気ままでいいんですよ
自分のために生きてるんだからね
誰かのために生きるんだったら
ちょっと考えてもいいかもわかんないけどもね
そうじゃないんだからね
わがまま気ままで結構ですよね
初対面で伺うのもあれですけど
ある種の興味をさせていただいていて
気遣いとか
自分というキーワードがいっぱい出てくるんですけど
他者との関係性をすごい大事にされてるように受けるんですけど
別に大事にはしてない
大事にそんなの気を使ったりすると
その気遣い疲れするじゃない
それは全然ない
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自分がそうしたい
自分がそうしてれば気持ちがいいだけで
モラルとか道徳とか倫理とか
そんなことはあんまり興味ないね
死んでしまえば一番わかりますよ
向こうには道徳も倫理もそんなのないですよ
全然
あんのはこっちだけで
向こうの世界を想定して
向こうの世界はたぶんこんなんだろうと思う世界を想定して
その想定した世界観で
こちらで生きていった方が面白い
世の中の人たちとうまくいけないかもわからないけど
自分とはうまくいく
そのかに向こうの世界はどんな世界だっていうのは
こちらの世界のことよくわからないと
向こうの世界のことがわからないよね
相対的だから
向こうの世界とこちらの世界は相対関係で持ってるから
だからこちらの世界を徹底的に学べば向こうが見えてくる
向こうの世界を学べばこちらが見えてくるみたいな
相対的な関係だと思うんですよ
だから別のものじゃないんですよ
死んだら終わりじゃないんですよね
向こうの世界を学ぶっていうのは
ハウツーになっちゃいますけど
どうやって学ぶんですか?
どうやって学ぶんですかね
というのはね
自分もかつて向こうの世界にいたんですよ
向こうの世界からこちらの世界が生まれてきたんですよ
それでこちらの世界で今度死んでまた向こうの世界に行くんですよ
その時にまたこっちの世界に戻ってくる
だから向こうの世界を経験してるわけですよ
皆さんも誰も
だからそれを思い出せばいいんですよ
思い出すか
横尾さんが因果応報
悪いことしたら悪いことっていうのはわかるんですけど
良いことしたら良いことが返ってくるんですかね
ひねくれ者なんで
良いことして悪いことが返ってくるっていうことはないかもわかんないね
その代わりに今すぐ答えは出ないかもわかんない
10年後かもわかんないし100年後かもわかんない
死んでからかもわかんない
良いことしたから必ずしも良いことが
明日起こるとか明後日起こるっていうことはないと思う
ある場合もあるけれどもね
横尾さん最後に聞きたいんですけど
明日朝起きたら横尾忠則の今までの実績とか知名度ゼロで絵も描けない
そしたらどうしますか
最高だね
それを求めてるわけ
アホになるってのはそういうことだと思う
絵が描けなくなるっていうことは大事なことなんですよ
絵を描けるっていうことは大事じゃないんですよ
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絵が描けない状態で初めての絵を描いてみたいと思うわけ
初心っていうのはそういうもんだと思うんですよ
勝ってやったことをやるんじゃなくて
描けない状態
その描けない状態が一番求めてる状態だと思うんですよね
だから明日の朝起きて絵を描くの忘れてしまった
それ最高ですよ
明日起きても絵を描くことを覚えてるんだ
これはまだダメなんですよね
ある意味理想の状態ってことですね
そうです
その状態が自分にとって一番いい状態で
毎日広げる新聞の生き方で生きるのはしんどいですよ
一誌だけ読んでてもダメだから
二誌読み三誌読み全部読まない
スポーツ誌まで読まないと収まらないぐらい
世の中のことすべて知らなきゃいけないっていう生き方はしんどい生き方です
次の映像でお会いしましょう
またね
16:38

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