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2022-03-08 16:42

#43:異国で遭遇した震災とコロナ 二つの災禍を経て思うこと │ リチャード・ロイド・パリーさん(ジャーナリスト)

▼本パートのインタビュー映像
https://youtu.be/tLe63mv8l44

【リチャード・ロイド・パリーさんへのインタビュー】

Talk.1〈3月1日(火)公開〉
まず焦点を当てたのは
大川小の物語だった
https://youtu.be/36-OpPTnlAs

Talk.2〈3月4日(金)公開〉
外国人としての震災取材
ハードルをどう乗り越えたか?
https://youtu.be/ZstunBGe3ag

Talk.3〈3月8日(火)公開〉
異国で遭遇した震災とコロナ
二つの災禍を経て思うこと
https://youtu.be/tLe63mv8l44

Talk.4|〈3月11日(金)公開〉
3.11で初めて知った
日本人の精神性
https://youtu.be/m_5vkQFwbSk

リチャードさんへのインタビュー再生リスト| https://bit.ly/36u8cV4

『津波の霊たち 3・11 死と生の物語』 https://amzn.to/3Iklqlz

【プロフィール】リチャード・ロイド・パリー/1969年英国生まれ。英『ザ・タイムズ』紙アジア編集長および東京支局長。オックスフォード大学卒業。95年に『インディペンデント』紙東京特派員として来日。2002年より『ザ・タイムズ』紙へ。東京を拠点に、日本、韓国・北朝鮮、東南アジア地域を主に担当。これまでにアフガニスタン、イラク、コソボ、マケドニアなど27カ国・地域を取材し、イラク戦争、北朝鮮危機、タイやミャンマーの政変などを報じてきた。著書に『In the Time of Madness』『黒い迷宮』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)などがある。『黒い迷宮』は、アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞の「最優秀犯罪実話賞」およびサミュエル・ジョンソン賞の候補作に選ばれ、邦訳版も大きな話題を呼んだ。また本書は、18年ラスボーンズ・フォリオ賞、19年日本記者クラブ賞特別賞を受賞。

【通訳】浅野浩治 (Just Global Media)
ウェブサイト:https://www.justglobal.jp/japanese

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【目次】
OPトーク
二つの災禍を経て日本と日本人はどう変わったのか?
垣間見えるこの国の光と闇とは?
EDトーク

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https://www.auchikara.com/

▼ニューズレター(早川洋平のエッセイ・最新情報をお届け)
https://yoheihayakawa.substack.com/

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日時:3/30(水)19時00分〜20時00分
URL:確定後お知らせします
アーカイブ:https://bit.ly/3Dw3rWE

▼番組への感想・質問はこちら
https://bit.ly/INTERVIEW_QandA

▼「QR CAFE」(毎月開催)
https://life-upd.com/cafe/index.html

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。
https://linktr.ee/yoh.haya

▼【キクタススタッフ・中江公大プロフィール】
なかえ・きみひろ/横浜を拠点に映像・音声制作。
「INTERVIEW│YOHEI HAYAKAWA」「石田衣良 大人の放課後ラジオ」「メンタルサポーター成田儀則|愚か者がやっと気付いた成幸法則」などの番組を担当。

▼関連キーワード
#リチャード・ロイド・パリー
#津波の霊たち
#東日本大震災

Editor : Kimi

00:01
こんにちは、早川 洋平です。
インタビュー、この番組はYouTube、そしてポッドキャスト各プラットフォームでお届けしています。
番組登録の方、よろしくお願いします。
さあ、ということで、きみさん、今日はさっきね、収録前に言われて驚いたんですけど、一応通算第何回なんですか?
これ、43回目です。
すごいですね。僕ね、それまでまた極端な人間なんでね、
月1でやってるぐらいにかなり、いっときに比べたらトーンダウンしていたんで、月1だと要は年間12回じゃないですか。
43回って言っても4年目に突入してるはずなんですが、これ週2だとね、10月から始めたので、10、11、12、1、2、3月とか半年目か。
そうですね。
でも43回とか40何回とかどうですか?きみさんね、普段は制作の方から座ってもらってますから、一緒に重ねてるんですけど、何かあっという間感なんですかね。それが結構かかってるようになる。
いやいや、全然あっという間です。週1配信でも1年かけてたどり着く回数なので。
半年でね、43回ということで、自分でも驚きですが、引き続き皆様のアップデート、役立つようなインタビューをお届けしていきたいと思いますので、今回もよろしくお願いします。
さあ、今回のインタビューはイギリスのジャーナリストリチャードロイド・パリーさんに、この彼の著書「津波の霊たち3.11死と生の物語」についてお話を伺ってきましたが、
君さん、いきなり振られないと思って油断していたと思いますが、先ほどね、収録のスタッフとしてということで、Zoomだったんですけども、インタビュー入ってきて、
率直に、本当に何でもいいんですけど、インタビュー聞いてて感じたこと、どんなことでもいいので、せっかくなんでシェアしてもらえますかね。
そうですね、日本でインタビューをされたっていうことで、言葉のところ、いろいろある中でどういうふうに取材されたのかなっていうことにもお答えいただいたと思うんですけど、
仕事をする上で、パートナーとか仲間とか、ジャーナリズムとかジャーナリストとかって、僕のイメージなんか一人でどんどん切り込んでいく、そういうイメージがあったんですけど、
でもやっぱり、人とか周りの人たちを頼りながら進めていくっていうところに、なんかそういう働き方が素敵だなって、そういう感想なんですけど、リチャードさんのお話を聞いて感じました。
そんなリチャードロイド・パリーさんのお話、第3回です。お聞きください。
もうちょっと俯瞰した質問になりますが、リチャードさん、ちょうど1995年に日本に来られたということだと思います。
その後、もし一時帰国とかがあったかもしれませんが、基本的に日本にいらっしゃるということだとすると、多分もう27年。
震災からちょうどもう11年ですけど、今まさにこのパンデミック、コロナ禍。
03:03
同じコロナ禍を、ある意味天災かなと思うんですけども、このコロナ禍の今ですね、リチャードさんの今日現在、やっぱり日本と日本人は何が変わって何が変わらないと思いますか。
光も闇も含めて、ザック・バランに聞きたいなというのが、今日の実は裏ミッションでですね、聞いてみたいなと思います。
実際に関しての答えとしては、実際のところまだわからないというのが正直なところです。
というのも、このコロナウイルスなんですが、まだ蔓延していて、まだパンデミックの最中というところで、これが終わった後にどういったことが起こるのかというのは、まだこれからしかわからないことなんじゃないかなと思います。
これから今まで2年間ぐらいで変わったことっていうのは多くあるでしょうし、それというのも実際にこれが終わったらわかることかと思います。
私に多くの人々が同様の質問を聞いたこともあるのですが、答えとしては、日本は実際には今までいつでも日本は変わってきたということもあります。
例えば東京の渋谷なんかも日常的に変わっていて、道を歩いていればビルが取り壊されていて、また知らないビルが建っている。そして町行く人々の服装というのも全然また変わっていくというところもあります。
でも日本で変わらないということも多くあります。例えば江戸時代から明治時代になったりとかいう時代の流れの中でも変わらないものというのは多くあります。
そして311の震災で被災した方々に関して言えば、大変な生活、被災されて大変な生活、なかなか生活するの難しい環境であるにもかかわらず文句も言わずに尊厳を持って生きている。
なかなかすごい生活をされている方もいらっしゃいます。
他にも日本国外から来ている同僚が言うには、日本には歴史的にもなかなかいろいろなことがあって、例えば今までにも黒船が来襲した時も大きな変化を日本にもたらしましたし、明治時代に入ったら日本が近代化されていきました。
そして第二次世界大戦の時は大きな被害を被ってなかなか大変な時代でした。そしてその後でもやはり日本は大きくまた変わりまして近代化を進めて今のような時代になりました。
少し前の2011年になりますとまた大きな自然災害とともに経済的に少し後退します。それをきっかけにまた変わらないといけないという声をかけたのは当時首相だった関直人がそういった言葉を言っていました。
それというのは彼がこの災害事態があったからそういったことを言ったのかもしれませんが、こういったいろいろなことを述べましたが、これはちょっと質問自体には答えになっていないかもしれませんが、日本は多くの変わる面と変わらない面があるということが言いたかったというわけですね。
06:06
実際にその答えを質問に対しての答えをさせていただくと、やはり最初に言った通りにパンデミックが終わらない限りはなかなかわからないですし、実際にパンデミックが終わった時にどういった形で日本が変わるかというのはわかるでしょうということです。
今のところでもう少し聞きたいんですけど、当然今はパンデミックの最中なので、そういう意味では何かを言うというのは難しいというのは非常にわかるんですけど、ちょっと聞き方を変えたいんですけど、当然今回聞きたかったのは震災時、この本の中でも書かれてますけど、震災が終わってからなんですけど、やっぱり何か
震災にしても天災にしても大きな出来事がその国に訪れた時に、当然その国の国民性、良いところも悪いところも両方出ると思います。で、この本の中でもね、例えばあるステレオタイプ、僕ら自身もわかってくるんですけど、やっぱり日本人のその精神性、思いやりだったり丁寧だったりとか、いろんなところすぐパニックを起こさないとか、その辺のこと、良きところをこの本にも書いてあったと思います。
で、一方で当然政府だったり組織だったりの、いろいろすぐ動けないとか、いろんなネガティブな部分も両方あったと思います。で、今まさにパンデミックの最中ではあるんですけど、やはりこの大きな今こういう大惨事の中にあってですね、
リチャードさんは震災から11年経った今のパンデミックの中で、大きい意味では同じ災害の中にあって、日本人、日本、ここは成長って言い方がいいかわかんないですけど、変わったわ、成長、ここは震災の前回の時の惨事の時の対応の仕方、精神性どっちでもいいですけど、ここは変わったわみたいな新たな発見ってあったんですかね。
やっぱり良くも悪くも変わってなかったのかっていう、なんかその辺を聞きたいんですよね。今、さなかではあるんですけど、それは無理になければないで全然構わないんですけど。
津波とこのコロナのパンデミックという点では両方とも大きい天災であるという点では似ていると思います。で、もちろんそういった津波などはない方がいいのですが、でももしその津波が起こる、その津波を経験しなければならないとしたら、日本でする方が私はいいと思っています。
というのも2004年に大きな津波が起こった時には30カ国に被害をもたらしました。その時には25万人が死亡していました。で、その似たような大きさ、スケールの東北の震災、そして地震、津波の時はそれでも多い死亡者なのですが、18,500人ぐらいの方が死亡されたということで、この比べてみるとかなり人数の違いがあることがわかります。
09:02
まあこれだけ多くの方が亡くなられたという意味ではかなりひどい災害ではありますが、でもやはり日本の方がそういった災害、津波に対して準備ができているという点で、先ほどその津波を経験するなら日本が一番安全だということを申し上げました。
それというのもその国、政府、そして人、そして会社などそういった地域がすべてが準備、そういった災害に対して準備をよく行っています。でもその中でも本でも取り上げた大川小学校だけがひどかった。そこで多くの子供が死亡したというのはありますが、そういったものもありますが、まあでも日本政府や市などの政府、すべてがダメだった。
そういった災害の時にすべてがダメだったわけではなかったんですね。でもその小学校で行けなかったのは、避難をするとかそういったことをするための出足が遅かった。しなければいけないことをするのが遅かったというのが問題でした。
で、私はその災害地に災害被災されたところ、東北ですね。そこに災害が起こってから数週間ごとに訪れていました。そこでかなりひどい状態になっているのを見てきました。でもそれが1年後、2012年にはほとんどすべてがきれいになっていました。もう瓦礫もない。ほとんどそういった津波があったという形跡がないような感じ。災害があったとは思えないようなきれいさになっていました。
そういった形で日本は効率が良いというところは多いにあります。先ほどおっしゃっていたパンデミックに関して言えば、日本はワクチンに対しては少し対応が遅かったと思います。
例えばヨーロッパではかなり早く行われていたものが、日本だとヨーロッパなどの国の6週間後で日本で行われていました。そういった行われるとなれば、日本の対応はすごい効率的で、受ける現場に行けばすぐにワクチンを接種できるという効率さがあります。
日本国民の多くの方は、このコロナパンデミックに対して、そんなに政府に頼らないということを思っている方も多いと思います。このコロナパンデミックに対して政府は大きなミスは犯していないけど、今までいくつか対応してきたものは良くないものはありました。
他にもヨーロッパや北アメリカなどの国と少し違うところは、日本の国民性というところもありまして、日本は人々がこういった何か問題があったり、パンデミックがある、津波があるなどがあるときに協力的であるということが言えます。それというのは、例えばソーシカルディスタンス、人の距離を保つ、そしてマスクをするなど、そういったことを進んでやるということがあります。
こういったものは法律で決められていないにも関わらず進んで協力するということは行われています。こういった協力してくれるという国民性は、311の被災地区でもそうでした。人々はこういった被災した大変な状況にも関わらず協力的で、泥棒、そういった行為もないですし、人々が協力していろいろなことを成し遂げていた。いろいろ協力して生き延びようとしていた。
12:05
そういったことが津波の後にも行われていましたし、その後にも行われていた日本の良いところなのではないかと思います。
さあ、エンディングです。けみさん、インフォメーションをお願いします。
インタビューでは、皆様からの早川さんへのご質問や番組への感想、取り上げてほしいテーマなどを募集しております。エピソード説明欄のURLからお寄せください。また、いただいたご質問等は月末のYouTubeライブでお答えします。
今月のライブは3月30日19時からです。たくさんのご質問を募集しております。
そして、人と一対一で会う前、会った時、会った後に何をするか。
巨名人から正の人に至るまで18年間で2000人以上にインタビューし発信を続けるプロインタビュアー早川陽平が、そのすべては余すことなくお伝えしている会うちから養成講座。
コロナ禍で経済が厳しくもっとリーズナブルに学びたい。日々忙しいため動画を見る時間が取れないから音声で学びたい。
そんなご要望にお答えして、会うちから養成講座の音声コースをリリースしました。
映像コースでお伝えしている講座内容を音声でいつでもどこでも受講していただけます。
詳細や受講のお申し込みは概要欄に記載してある会うちから養成講座のホームページをご覧ください。
また、早川さんと参加者お気に入りの本をシェアし合うQRカフェも3月16日19時からZoomで開催します。
こちらも概要欄のURLをチェックしてみてください。
お疲れ様でした。今日も一仕事終えたような安心感を抱えている君さんです。
油断したところ突然の質問ですが、これまでの人生で不動産と車以外で一番お金を使ってきたものは何でしょうか?
本ですって言えればかっこいいんですけど、学び勉強関係が結構多い気がしますね。
学びでトータルってたまに何十万何百万って言いますけど、っていう言い方でもいいし、単独のものでもいいし、どんな感じですか?
単独のもので言うと英語やっぱりお金かけましたね。
いわゆる駅前のスクールみたいなところでも通いましたし、あとはニュージーランド行っていたら、そういうのも広い意味で行くと留学って言ってもいいのかもしれないですし。
英語ですね。
そうか、僕は何だろうな。英語は時間はかけてるな、たぶん一番な。
10年以上英語の勉強も英会も含めて欠かさなかった。少なくとも週はないしね。
早川さんは学生時代の英語の成績ってどうでした?僕ものすごく英語苦手で一番苦手だったんですけど。
でも正直どうだろう。大学時代は英語って授業あったけど恥ずかしながらまともに受けてなくても単位取れてたから、そもそも成績ってあってなかった。
15:01
いわゆる高校中学はね、英語すごい好きで小学校の時から英会話スクールとか通ってたかな。
ものすごく良かったです。ただまぁ所詮ね、小中高の内輪でできてただけなんで全然喋れなかったし。
そういう意味では君じゃないけど、英語にはずっと時間はかけてきたかな。途中ね、いろいろフラフラになりながらも。
あと君もそうだけど、英語と連動して、やっぱり旅ですよね。
そこはね、この2年、ちょうど2年前の今ぐらい、コロナで横浜で船でね。
あのイギリスの客船でコロナが出た出ないとかで、その時に今でも覚えてるのが、イギリスのロンドンとかの帰りの飛行機がポルトガル、クルアチア、あの辺に行ってそろそろ帰ってくるみたいなね。
まさかここまで世界が変わるとは思いませんでしたか。
まあでもね、ポジティブに考えればまた次の2年後は明るい未来も待ってる可能性もあると思うので、そんな感じでね、いろいろ日々また歩んでいけたらなというふうに思っています。
ということで今回も皆様ご視聴いただきましてありがとうございました。また次回お目にお耳にかかりましょう。さよなら。
おしまい。ご視聴ありがとうございました。
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