今回、僕は長崎県初めてで、せっかくなので、 昨日は伊佐早に泊まらせていただいて、
僕は実はサッカーものすごい、 プロ目指してたんですね。
ご主人君の秋人さんとほぼ同い年で、 僕は80年生まれなんで。
若いですね。
いやいや、もう全然あれなんですけど。
本当にサッカー好きで。
僕もプロ目指してたくらいで。
この番組、今10年ぐらいずっとやってるんですけど、
長崎といえば、森安はじめ監督も長崎出身じゃないですか。
森安さんにも出ていただいて、そのくらい好きなんで、
まさかサッカーのJリーグの社長でもある高田さんに インタビューさせていただけるとは思ってなくて。
かつ、起業して今10年なんで、
今日は経営者の大先輩、かつ大好きなサッカーのJリーグの社長ということで、
一挙両得というか、今すごい緊張してるんですけど。
森安さんの弟はうちにいるんですか?
そうなんですよね、ダイレクターなんですよね。
あと気づいて、ちょうどこれにも拝見した元広島の松田博史さん。
結構あれですか、広島の方が長崎と。
たまたまでしょうね。松田さんもすごい方ですもんね。
そうですよね。
20年ぶりにJリーグを見させていただいて、
本当に街が、諫早湾から諫早駅から歩かせていただいて、
おもてなしという感じで、本当に素晴らしいなと思いつつ。
高田社長、ビファーレンの社長になれて、今もう3年?
2年と2ヶ月ぐらいですね。あっという間ですよね。
どうですか、おもてなしみたいな、こういう空気はもともとあったのか、
やっぱり高田社長が来られてからこういうふうに変わっていったのか。
それは僕がなっただけで、20数年の歴史の中で作られたもんじゃないでしょうか。
その都度やり方は違うでしょうけど、積み重ねの結果と思いますよ。
本当に、歩いているだけで始まる前に泣きそうになって。
そうですね、あそこは自主的にボランティアでやっていただいていますから、
諫早という地にそういうクラブがあるということをまた誇りに思っていただいているし、
それだけ自分たちからやっていただいている。
やっぱりビファーレンロードというのが、
一つのビファーレンの立ち位置をすごく高めているということは間違いないですね。
あれがあるから来るんだと。
そこにまず出会ったときに涙が出るとおっしゃるように、
これがホスピタリティなんだということを感じてもらえるということはありがたいですよね。
ホスピタリティという意味では、スタジアムに入った瞬間にも、
ガンバ大阪のサポーターの皆さんというふうに案内があって、
やっぱりその辺が、僕も何かの記事で拝見したんですけど、
高田さんがやっぱりアウェイでいらっしゃった方にももてなすみたいな。
いやでも、そんなに言葉にするほど大したことないんですよ。
普通のことですよね。
昨日はちょっと4点入れられましたからね。
4点は全て、相手のガンバさんが入れたチームのシュートが映像に映るたびに、
普通はこれが珍しいんだって言われながら、
これ当たり前よねって思いながら、
でもちょっと4回と1回では苦しいねっていう感じで見てましたけど、
それ自体も、サッカーの醍醐みたいなものを双方で感じるから、
なかなかいいことだなと思ってましたね。
あれですかね、もう100回、200回同じこと聞かれてると思いますけど、
やっぱり僕高田社長のイメージというとテンションが高いイメージなんですけど、
やっぱりこういうテンションが普通なのか、
それか昨日負けちゃったからテンションが低いのか。
いやいや、100回、200回じゃないですよ、何千回聞かれますからね。
でも、普段からあんな喋る人いないんじゃないですか。
あの調子ではいかないでしょ。
それも普通ですし、今の僕も普通だから、
常に自然体じゃないですか、
作って表情を作ることもないし、作って言葉を作ることもないんで、
そのシチュエーションによって自分であるっていうことの表現だと思いますけどね。
でも辞めてショッピングやってないんだから、
今ここで高い声で言ったらビックリするじゃないですか。
僕昨日思わずスタジアムで高田社長がやってたテレビショッピング風のビファレンのCM見て、
やっぱり買っちゃいましたよね。
でも正直どの映像か覚えてない感じですかね、何千回いろんなことを。
でもサッカーに関してはそんなに僕がやってるわけではないんで、
時々その事業部からこの商品をっていう時に依頼があって、
それも急にあるから、じゃあ今スマホで撮ろうって感じですよ。
どこで撮るのって、そこに公園があるから公園に行こうとか、
じゃあ水がいるね、じゃあその辺のバケツ持ってきてってこんな感じですよ。
スタジオの中で形をとってやるような撮影じゃないですね。
じゃあ今日は割と。
もう楽ですね、こんな感じで。
今撮れてるんですか?
もう撮れてます、映像と音声で。
行ってもらわないとカメラ目線が作れないじゃないですか。
基本そんなカメラ目線じゃなくて。
あるいはカメラ目線ですね。
こんな感じですよね。
実はですね、これ後から名前出したわけじゃないんですけど、
高田さんがやっぱりいろんな本とかの中で、
自己更新っていう言葉がすごい大切にされていて、
実はこのウェブマガジンがですね、
ライフアップデートっていう名前で、英語にしたわけじゃないんですけど、
やっぱり人生を更新する人と世界と出会い続けることが、
この時代すごい大事だなと思っていて、
なので本当に今日お会いできるだけでも光栄だったんですけど、
自己更新ってまさにおっしゃってる高田さんなので、
今日これ見てる方、聞いてる方にもいろいろお話いただく中で、
そういうお話伺えればなというふうに思ってるんですが、
今日はですね、ユーザーの方からですね、
ちょっといくつか質問いただいてまして、
早速なんですけど、まずその辺りから伺っていきたいと思います。
30代男性のNさんから、
事業継承の際、何を次の世代に引き継ごうと考えましたかということで、
ちょっと背景をもう少し詳しくお伝えしますね。
この方ですね、新しい職場で感じている疑問があり、
ぜひとも質問したいと思い、メッセージを送らせていただきました。
僕は今、父親の弟である叔父が経営する水道工事会社で、
今年の1月末から働いています。
叔父は今年で69歳を迎え、今も創業社長として手腕を振るっています。
3年前から叔父の息子さんが起業し、
後継者問題をひとまず心配しなくてもいい状態が整っていると思います。
このところ叔父本人の体調が優れないこともあり、
近いうちに俺は引退すると言っていますが、
まだまだ具体的な指揮は叔父が持っており、
言葉と行動が一致していないように感じます。
ここでですね、いろいろな記事を拝読しても、
実際のジャパネット高田の近況を見ても、円滑に事業継承が行われたと感じています。
事業継承の際、高田さんは何を次の世代へ継承しようと考えましたか。
会社はもちろん、理念や個人的な思いなどでも嬉しいです。
事業継承というのは、事業は創業しても創業で終わったら同じだし、
その事業は何年続かせるかというのが、僕は一番大事だと思っているんですよね。
いくら栄えて売りが上がったり利益が上がっても、
うよ曲折ありますから、どうなっていくか分からない。
でもそういうことよりも、何のために僕らは生きているんだろうとか、
何のために僕らはこうやって仕事をしているんだろうとか、
何のために会社があるんだろうとか、
若い時になかなか気づかなかったことも、
僕らの年代になれば1年1年、自己更新することをしながら考えて、
結論から言えば、やっぱり人は一回生まれてみんな死ぬじゃないですか。
その時に、俺はこんなお金を持ったよと言って死んだって何にも意味がないしね。
やっぱりどれだけの人と人生を共有して楽しんで、
どれだけの人に少しでも幸せ感を感じることができたかということが、
一番生まれてきた価値じゃないかと思うんですね。
だからそう考えれば、事業証券に一番大事なのは、やっぱりその会社が持つ理念。
何のためにこの会社というのは存在するんだ。
ジャパネットと言えば、ジャパネットという会社が何のためにあるんだということ。
この部分をしっかり引き継いでくれる人っていうのでないと、
事業証券はやっちゃダメだと僕は思います。
どんなにスキルとか経営能力が素晴らしくても、
そういうものを持たない企業というのは100年続かない。
20年続かないと思いますから。
そういう視点から、事業証券は大事だなということを一番感じていました。
これ松尾芭蕉が言ったのかどうかわかりません。
別の人が言った説もあるんですけども、
不益流行という言葉があって、不益の不益は変えちゃいけないもの。
流行というのは時代の変化だと思う。
特に今の時期はすごい変化が日々起こっているので、
変化に対応していくことが大事なんだけども、
どんなに変化が起こっても変えてはいけないもの。
それが人間の生きる理念だと思うんですよね。
人のためにやっぱりやるんだというね。
そこが事業証券の一番大事なところじゃないでしょうか。
実際、秋人さんが今社長に上がられて、
たまたまこの人でいいと思ったのが息子だったといろんなところでおっしゃっていて、
その言葉に偽れないと思うんですけど、
実際その決めるにあたって、
秋人さんでいいかどうかというところまでがちょっと分からないですけど、
何でしょう。
たださん、誰かにも、それこそ奥様にだったり、
何か相談とかってしたんですか、それにあたって。
答えはノーでしょうね。何もやってないでしょうね。
僕がそれをある時期に特にこれだと思ったことがあったし、
それでもいいと思ったし。
だから今のご質問では、秋人君に決めたっていう理由、何でですかと。
秋人君に決めなかった理由もあるかもしれないけども、
秋人君っていう言葉が出る必要もないんですよね。
たまたまそこに秋人がいたっていうことだから、
あまりそこにこだわるようなことじゃない。
ただ、さっき言うように不意気の部分を私以上に持ってるんじゃないか、
持ってるということを確信しただけのことです。
ジャパネットを僕は辞めて5年目になりますけれども、
いろんなことを自分なりに苦労しながら、苦労はしていると思いますよ。
企業って人が増えてきて、企業が大きくなればそれだけ責任が増えてきますから。
その中でもクルージング事業とか水の事業とか、今度はスタジアムシティプロジェクトとか、
そういうものを掲げていくっていうのは、
利益とかいうものから考えたら、全くそこに一致しない企業、ビジネスなんですね。
そこで利益を出していくっていうのは、出力は必要かもしれませんけれども、
おそらくその部分に至るっていうのは、もう本当に何十年も先のことだろうと。
でもそのリスクを負ってでもそれをやるっていうことは、
今やっぱり日本だけじゃなくて、世の中で求められているもの、
そこの部分に通じるものを彼自身が持ってるんじゃないかと思うんですよね、僕はね。
それをすごく尊重したいと思うんです、考えていることが。
例えば長崎県で言えば、どこの地方創生っていう、
もう人口は減っていくし、日本は全然元気なく、
過疎分所得ももう20年くらい誰も給与が増えてこないと、
どんどんどんどん追い抜かれていって、
もう全世界では20数万とかっていう順番になってきてても、
それはなぜかって、一生懸命やってるのは、さあ長崎県でいけば、
そうですね、ちょっとカジノのIRをちょっとやろうとか、
まあ今度はクルージングをもっと集客しようとか、
企業誘致をやろうとか、そんなこともう絶対に必要なんだけども、
それだけを47都道府県がやり続けてもですね、
なんかこう夢がないじゃないですか。
なんかその夢ってなんだろうってなれば、
やっぱこうワクワクするようなものっていう、
何か一つ足らないものがあるような気がするんですよ。
その足らないものが何かってなったら、
それをたまたまスポーツというものに出くわして、
サッカーというチームに出くわして、またご縁があったということで、
そこからこう多分発展されてるんだろうと思うんですよね。
なんかわかるんです、目指した夢がね。
そう考えたらね、応援したくなりますよね。
だから僕はそういうものがやっぱり会社の中でも、
本当に世の中はいると思うんですよ。
日本でも、やっぱり日本はこうなりましょうねって言った時代は、
明治維新これを考えてみたら、爆弾体制が壊れて明治の時代になりました。
そういう時に明治という国はどういうふうに作っていくんだろうっていうことを、
沢山、西郷隆盛とか和光都市のいろいろ話だったわけですよ。
その中で目指してきて、やっぱり日本人ってすごいなっていうのは、
そういう中でもう遅れもとっているどころじゃなかった国が、
あれだけ発展して今の日本があるって考えれば、
そこにはやっぱり一つの理念があったんじゃないかと思うんですよね。
西郷隆盛でこの武士の世界から、やっぱりみんなが平等な世界を作っていこうと考えた人がそこにいたっていうこと。
ちょっと比較がオーバーするかもしれないけども、
そういう夢を育んでいるっていうところに非常に僕は理念を感じるんですね。
だから応援したいと思っています。
ありがとうございます。
ちょうどね、スタジアムの今A案とB案が今日僕も見ましたけど、
これオフレコでもいいですし言えないかもしれないですけど、
高田さんはどっちがいい?
いや僕はどっちでもいいんですよ。
というのは僕はスタジアムシティには全く関与していません。ゼロパーセント。
あれ新会社なんですよね?
新会社ですね。
リージョナルクリエイション長崎という会社を作って。
それでどういう内容にしていくかっていう内容にも参画していません。
僕はただ美波里の長崎の経営を安定させて、
自分の範囲の子会社の社長としてそこを応援するという立場って僕は思っていますから、
そこの大きな夢っていうのは今の息子たちの世界、今ここにいるみんなの力で、
そういう夢をね、長崎から日本に世界に出していくっていう、
そういうミッションに向かっていることを何らかの方で応援しようと思っているだけですから、
あんまり知らないんですよ。全然。
だから新聞を朝見て、作るよっていうのを聞いたんですけど、
美波里長崎新聞を見て、その時の驚きって、
お、おい、500億と書いてあるぞ。
その時の2人が美波里の目を見て、もうその2人で黙ってるんですよ。
お、そうなんだって。それからさっきはもう話しませんでした。
だからそれぐらいに彼らがやろうとしていることはそれでいいんじゃないかと。
もう理研の研なんですね。
そうですね。
まさにそれ大変されているお話を伺って思ったんですけど、
やっぱりさっきの話、少し戻りますけど、ジャパネットを一戦を離れてというか5年っておっしゃいましたけど、
実際どうなんでしょう。今の実際お話、直接伺ってもそうだし、いろんな記事見てても、
やっぱりスパッと精神的にちゃんと切り離せているというか、
イメージ、今実際お話してもやっぱりすごいなと思ったんですけど、そうは言っても普通はちょっと気になったりとか。
だからすごいなって言うし、切り離せないんじゃないかっていうことが不思議なんですね。
僕はあまりそういうものでもなんでも、何ていうか関心があまりないんですよね。
ジャパネットができたと。だから辞める時のことを思うので、
そのスタジオの中で夜の12時になったらもうマイクを置こうと。
ちょっと桃江ちゃんの真似をしようと思ったんですけど、まさかこうして置くわけいけないんで。
そこでなんで終わるかなと思って、カラオケを歌いました。
その時に2、300人いたのかな。泣いてる人も結構いてくれたんですけど、ありがたいなと思いながら、
私だけニコニコしてるんですよね。
終わって12時切り替わる途端に、全くして新しい仲間が全部ショッピング続けていったんですけども、
そこに出てきた時に、妞婆と一言終わったね。もうこれだけですよ。
新しいメンバーが切り替わった時のメンバーがちょっと泣いてましたよね。
泣いてましたね。でもあれはいろんな思いが出てくるんでしょうから、
そういうものを積み重ねて人生って生きていくわけだからありがたいなって思いましたよ。
でもジャパンライトを辞めたからって、何かがやろうと思えば出てくるもんですよ。
だから僕はその後、A&LIVEという会社を、これデカい会社ですよ。
デカい会社?
デカいです。私入れて、彼女もそうなんですけども、4人かな。
デカい。
それだけの会社です。何かやろうかなと思ったら、いつの間にか、
いろんな人と知り合いにならせていただいた関係で、
公演の依頼があって、もともとそれも僕のやるべき仕事ではないかもしれないんですけど、
ついつい行ってたら、2年、3年で日本300ヵ所ぐらい回りました。
だから行ってない県というのは3県、4県なんですよ。
ほかはもうほとんど回った。北海道から沖縄まで。
やっぱりその業態もビジネスだけではないんで、
あらゆる業種の方と話をしながら、本当にいろんな方と出会って、
こんな出会いがあるもんだなと思うぐらいに。
だからA&LIVEで、そしたら今度サッカーがという話になるでしょ。
だから人生ってね、やっぱり僕は、あまり先のことの不安の中に生きないがいいっていうのが、
僕の一番大事なのは今なんですよ。
今っていう瞬間を積み重ねていく中に、人生ってやりたいことが出てくるんです、どんどん。
やらなきゃいけないことも出てくるんです。
やらなきゃいけないことをやるかやらないかの問題です。
成功、失敗、うまくいく、うまくいかないはもう問題ないじゃないですか。
やるかやらないかです。
それをやり続けていけば、必ず一歩一歩階段を登っていくんですよね。
その積み重ねの中に、自分というものが専門性のものと、多様性という広がりが出てくるんです。
そこの中には同じ価値を持った人がどんどん集まっていきます。
その仲間と一緒に自分も高まっていくし、そういう組織が高まっていくんです。
そして、極端に言えば、世の中を変えたいなという理念の方につながっていくっていう。
だから、もうやっぱりやってるかやらないかですよ。
だから商売でもね、暇だっていう人に対して僕はね、
暇だっていう人は何もやってないって言うんですよ。
暇だから何をやるかって考えたら、めちゃくちゃ忙しいんです。
そうですね。
今伺ってて、やっぱり高田さん、何かをものすごいこういう目標があって、
そこから逆算して一歩一歩っていうよりも、やっぱりその場その場に展開していってやっていくうちに、
何か今があるみたいな、そっちに近いのですか?
もう何もないんです。だから目指す最後のものは。
そうは言っても今までも、いろんな日々生きていく中で、
いろんな選択肢、こういう道もある、こういう道もあるみたいに、
いくつか道があった時もあるかもしれないですけど、
その時にこっちの道へ進むとかこっちの道に進まないみたいな、
何か指針にしているものってあるんですか?
それは悩みが多くないんですよ。
こっちに行こうか、あっちに行こうかってないんですよ。
だって今立っている自分っていうのは何かに携わっているわけだから、
それが自分の道です。それでいいんですよ。
こっちの方が興味があって走行に行けるんだったら行けばいいことだって。
別にこっちに行くから悪いとか、この道だけ行ってるから悪いじゃなくて、
ただ一つ、どっちの道にしてもやっている自分がいるかっていうことだって。
それしかないんです、絶対に。
だからそこにあまり迷いすぎて、こういう若い人たちが、
私は今のままだったらね、こんな新人の頃はシンプルな仕事をしていいんだろうかって思ってて、
場所を変えるって言ったら、僕はそういう人生を歩く人だなと思いますね。
やってみて先に進めばいいんだけど、
やる前に頭の中でそういうことを考えていたのでは、何にも結果を残せないじゃないですか。
必ず100人中100人、今を一生懸命生きたら、
ゲイテが言ったみたいに思う通りの自分になります、人間は。
って僕は信じているんです。
今を生きるって前的な考え方かもしれないですけど、
もうそのバックグラウンドっていうのは、ずっと昔からなんですか?
それこそご両親からなのか、気づいたら。
特に僕がそれを思ったのは、やっぱりサラリーマン時代を辞めて25歳で田舎に帰って、
それから16年間、41歳までカメラ展をやってまして、
それから通販の世界のジャパネットに出会うんですけど、
平戸に帰った20代後半ぐらいを振り返ってみた時に、そんなことをやり始めたなと思うんですよね。
じゃあその、今はもうブレない高田さん、高田社長しかイメージないんですけど、
その前はちょっとフラフラみたいな時もあったんですか?
常にフラフラしてるんですよ。でもフラフラしてるけども、
あまり先どうだ、過去はどうだって悩んでない自分がいるから、
フラフラの中でも自分があるんですよ。
それでいいんですよ。
いやいや、ちょっとうまく表現できないけども、
あまり自分がどうなるっていうことは、
特に今の時代っていうのはこれだけ変化がある時代だから、
もう誰も決められないんです。
だって、今トランプさんが一言言うだけで世界中大変でしょ?
そうですね。
だからトランプさんの言うことは誰も変えられないんですよ。
それだけで、川瀬が1円違えば、
豊田さんなんか100億、200億の利益が変わってくる。
でもこれは変えようがないんですよね。
そんなことを考えるんだったら、
今やらなきゃいけないことを一生懸命やっている豊田さんの価値ですよ。
そうですね。あまり先案じしてもできないことをやってもしょうがないですよね。
だからここにいるメンバーの若い人でも、
今は自分が与えられた仕事に100%じゃなくて、
300%の力を注いで自分がそこに向かっているか、
向かっている人は必ず川瀬でも成功します。
100%って僕は言います。
そうすると、今は先案じしてもしょうがないということもありましたし、
実は次の質問、答え今言っていただいたのかなと思うんですけど、
Sさん、男性からいただいているんですけど、
人生でやらずに後悔していることはありますか?
ないですね。僕は失敗がないんです。
失敗がない?
70年間。
失敗の原理って定義が何かって言ったら、
やらなかったことで失敗です。
それともう一つは、一生懸命やらなかったことで失敗なんです。
僕は一生懸命、25歳くらいからという自分の人生だと思うんだけども、
それを今でも僕何人やっている。
だから結果論じゃないんですよ。
結果がうまくいかなくてもいい。
プロセスの中に自分がそれだけのことに熱を入れて頑張ったかということ、
これがあれば失敗じゃないです、絶対に。
それは必ず自分の人の肉となります。
必ず。それが自分の人生を変えていくという。
それは僕が今何歳になったら、もし僕が普通にサラリーマンに勤めていたら、
もっとこれをやりたいと思っても、80、90歳に目が出るかもしれません。
だから何歳になってそれが結果として自分に変えてくるかは分かりません。
もしかしたら100歳まで生きて100歳になっても目が出ないこともあるかもしれない。
でもそれでいいんですよ。
100年間頑張ったということが人生の終わりに、
一生懸命俺は人のために頑張ったって言える人生だから。
それでいいんじゃないかと思うんですよね。
結果論じゃないんです。
なるほど。
やったかやらないか。今やってるかやってないか。これだけです。
今ですね。
でも一番怖いのは、やっぱりやってるつもりの人が多いんですよね。
ちょっとドキッとしますね。
やってるつもりね。
つもりになったらね、ずっとそれが堂々巡るでトートロジーって言うんですけどね。