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2024-05-06 21:47

【INTERVIEW#240】欧州でトップテーラーになるということ│鈴木健次郎さん(テーラー)

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【欧州でトップテーラーになるということ】
今回のゲストはパリで約20年にわたりテーラーとして活躍してきた鈴木健次郎さん。
2014年にお目にかかって以来、10年ぶりのインタビューとなりました。
厳しい審美眼を持つ世界中の顧客から「欧州トップのテーラー」と評される健次郎さんに、これまでの経験・この先の展望を伺いました。今回から全4回にわたってお送りします。
(2024年4月取材)

【鈴木健次郎】すずき・けんじろう(テーラー/タイユール)
1976年東京生まれ。メンズファッション専門学校を卒業後、某デザイナーの下でモデリスト、クチュリエとして勤務。

▼▼▼
2003年:渡仏。ドイツとの国境の街、Strasbourgにてフランス語習得の後、パリのモデリスト養成学校 Académie Internationale de Coupe de Parisを首席で卒業。
2004年:フランス政府認定モデリスト技術者レベル4を取得。
2004年:パリの名店ARNYS,ブリュッセルNo.1テーラー Pierre DEGANG , LANVIN PARISでの研修を経て、 パリの老舗タイユールCAMPS De Luca にて仕立て職人として研鑽を積む。
2007年:フランスNo.1 タイユール Francesco SMALTO にて技術責任者であるカッターとして招聘。
2009年:Francesco SMALTO にてチーフカッターに就任。日本人でチーフカッターに就任したのは鈴木健次郎が初めてのこと。
2012年:フランスで自身の法人を立ち上げる。
2013年:パリ8区に自身のテーラーショップをオープン。
2019年:パリ8区、フランス大統領府から徒歩数分の場所に2店舗目をオープン。日本人がパリでタイユールとして独立するのは過去に例がない。
2023年:20年住んだパリを離れ日本に帰国。東京都内にパリの空気を感じる、プライベートサロンをスタートさせる。
▲▲▲

お客様と真摯に向き合い、決して手を抜く事なく、最上のスーツを仕立てることを指針にしている。
東京を拠点にしながら年数回フランスに行き、審美眼の高いパリジャンの要求に応え続けている。ミリ単位で顧客の身体に合わせていく手法は、テーラーの枠を超えオートクチュールの服作りと言える。

・関連情報
2013年NHK『プロフェッショナル仕事の流儀』出演。
2013年『夢を叶えるパリのタイユール鈴木健次郎』(著:長谷川喜美、写真武田正彦/万来舎)

・Web媒体:
Instagram
KENJIRO SUZUKI’S EC SHOP
Web Site
STAND FM

第一回 欧州でトップテーラーになるということ
第二回 フランスのリアル
第三回 ものを創るうえで一番大切なこと
第四回 日本人が世界で勝負するために絶対に必要なこと
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▼【聞き手・早川洋平プロフィール】
はやかわ・ようへい/1980年横浜生まれ。新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、コシノジュンコ、髙田賢三など世界で活躍する著名人、経営者、スポーツ選手等ジャンルを超えて対談。13年からは「世界を生きる人」に現地インタビューするオーディオマガジン『コスモポリタン』を創刊。 海外での取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を世界へ発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。 公共機関・企業・作家などのパーソナルメディアのプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を超える。『We are Netflix Podcast@Tokyo』『横浜美術館「ラジオ美術館」』『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』などプロデュース多数。近年はユニクロやネスレ、P&GなどのCMのインタビュアーとしても活躍。 外国人から見た日本を聞く番組『What does Japan mean to you?』で英語での発信もしている。

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▼関連キーワード
#鈴木健次郎#テーラー#タイユール

▼目次
鈴木健次郎さんのご紹介
現在の活動スタイル
お店の特徴
ヨーロッパでの功績
メンバーシップ随時募集中

00:01
さあ、今日はですね、テーラーの鈴木健次郎さんにお話を伺います。健次郎さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ご無沙汰してます。
お久しぶりです。
お久しぶりです。前回、インタビューさせていただいたのが2014年トークショーだったので、実に10年ぶりということなんですけども、
初めてお目にかかったのはその前の年、パリででしたので、もう10年以上お付き合いさせていただいているんですけども、
健次郎さん、ご存じの方も多いと思いますが、鈴木健次郎さんはですね、パリで数百年にわたるタイユールテーラーの史上日本人として初の独立を果たしたって言ってもいいんでしょうか。
そうですね。
そうですね。そういう意味でね、パリにアトリエも開くという夢も実現された、そういう形で2013年にね、お話を伺ったんですけども、今回はですね、この都内のここもアトリエということで。
ここはそうですね、ショップ兼アトリエで、プライベートサロン的な感じでお客さんをお呼びしている感じですね。
そうですね。隠れが的なところということで、本当に非常に歓声なんですね。周囲もすごく静かなんですけども、この中もパリに伺ったかのような。
そうですね。
疑似体験させていただくんですけども、ここはいつ頃からですか?
ここは大体約1年ちょっと前くらいからですね。
なるほど。これまるでね、けんじろうさんのお店のためにあるかのようなスペースだと思うんですけど、元は。
元はワークショップみたいな形で使われていたみたいで、いろいろな作り手の方が6人、8人とか、そういった形でいろいろなものづくりを教えるという形で使っていたみたいですね。
なるほど。けんじろうさんね、ご存知の方も多いと思いますが、鈴木けんじろうさんの略歴をご紹介します。
鈴木けんじろうさん、2003年に都府津、2005年にパリのモデリスト養成学校AICPを主席で卒業。型紙技術者としてモデリスト国家資格を取得。
アリニス・ランバン、フランチェスコ・スマルトといった数々の名テーラーにて検証され、2005年パリの老舗テーラー、カンプス・ドゥルカーにて仕立て職人として修行をスタートされました。
そして2007年フランチェスコ・スマルトにて技術職の最高峰であるカッターとして招かれます。
そして2009年にはフランチェスコ・スマルトにて日本人初のチーフカッターに就任され、2012年パリ8区にフランス法人を立ち上げ、ご自身のテーラーショップをオープン。
日本人として初めてパリでテーラーとして独立されました。2013年にはNHKプロフェッショナルにも出演され、記憶に新しい方もいらっしゃるのではないでしょうか。
2019年にはパリで大統領府から徒歩数分の場所に2店舗目を構えられているということでですね、僕は前回お目にかかったのは、個人的には2018年ね、少しお目にかかったんですけども、お話かかったのは2014年か。
03:02
その後2店舗目も構えられたんでね、今日いろいろね、前回のインタビューから10年近く経ってるんで、その後の鈴木健次夫がっていうところと、今現在、これから何をいただいてらっしゃるのかっていうことをいろいろ盛りだくさん語っていきたいんですけども。
さっそくですね、今ここね、日本でこのお店はありますけど、今はどんな形で健次夫さんはテーラーとして活動されているのか。つまり日本で店舗があり、パリにもあるのかとか、店舗は日本だけでなのか。どんな感じでお仕事されてるんでしょうか。
基本はですね、今までやっていたことを逆転させたという形ですね。つまり今まではパリに法人会社がありまして、お店もアトリエが2つなんですけど、その1つはショップでして、いわゆるフォーブール・サント・ノレっていう目抜き通りのところの門地にですね、お店がありまして。
先ほど読み上げた2店舗目ってことですかね。 そうですね、2店舗目。そこでやりながら営業もしながら作ることもやってたんですけど、同時にもう1軒の1号店の方も活かしつつ、その2つのお店を運営しながら現地のですね、フランスのお客様、あとはイギリス、スイス、イタリア、アメリカも少しっていう形で、ヨーロッパのお客様中心にオーダーをいただきつつ、
あとは日本のお客様が約40%くらいなので、6対4のバランスくらいでやってたんですね。スタッフの数も私と妻入れて、外注も入れると大体11人くらいいまして、営業をしていたんですが、今はですね、それを完全に逆転させてるっていう感じです。
つまりですね、テイラーさんっていろいろなテイラーがいるんですけど、来る注文を全部受けるよっていうテイラーさんもいれば、自分たちはこれぐらいの人数しかいないからキャパシティが高だと。なので年間に受けれる数はこれだっていうことで、もうそれ以上は無理ですとお断りする場合。もしくは予約っていう形で2年待ちとか、そういうふうに形になる場合もあるんですね。
で、私は今までやってきたやり方は、スタッフの数も多かったので、いただける注文はもう全部受けて、全てこなすっていう形でやってたと。なのでその時は年5回日本にも往復して、受注会、トランクショーをさせていただいてたと。
ただ今はもうそういったやり方がもう10年それやりまして、いろいろ歪みも出て問題も多いし、それはもうやめようと思ってですね、真逆にした。つまり人数を私と妻とあともう一人のスタッフ。基本的にはその3名でこなしまして、受け入れる注文をかなり狭めてます。
私自身が縫うところをかなりな部分縫うようになりまして、もっともっと服作りに関わる、深く追求していくっていう姿勢ですね。今までももちろんそれは追求してるんですけど、そうは言っても11人もスタッフがいると、回さなきゃいけない。
その全員がですね、服作りがAからZまであるとしたら、それをみんながみんなAからZまでできるわけじゃないんで、この人はここまで、別の人はここまでっていうような形で、それぞれのスキルがバラバラだったので、その人たちに合わせて渡すお仕事をお願いする。
06:15
で、それのできない部分を自分が間に入っていくっていう形だったので、ものづくりのクオリティを追求することはできるんですけど、難しかったんですよね。ただ今はその大多数を自分が作ってるっていうこともあって、もっとよりシンプルに簡単にクオリティっていうものにフォーカスすることができるようになったっていうこともあって、数も狭めてクオリティをさらに高くっていうのが今のスタイルですかね。
そういう意味では10年前に最初にお話がかかった時におっしゃってたのが、やっぱりその当時はですけど、その当時も確かケンジロウさんと奥様と1人か2人、日本からの研修の方がいらっしゃって、その時に大体年間でたぶん50着ぐらい。本当にそのくらいっておっしゃってたと思うので。ある意味そこにちょっと立ち戻ったっていうところですかね。
ただ当然ね、表層的にはそう見えますけど、たぶんいろんなことがあってね、原点というか戻ったっていうところがあると思うので。そのあたりね、今日もいろいろ伺っていきたいんですけど。
あとその前に、せっかくなんでね、映像の方はインサートで少しお店の様子なんかも出ると思いますけど。せっかくなんで、鈴木ケンジロウを全く知らない人に簡単にはなってしまいますけど、ケンジロウさんのテーラーとしてのお仕事っていうのは、スーツのスタイルも含めて基本の着ですけど、どういう特徴があって、価格帯も含めてとか教えていただけますか。
私の作る服作りはフランス仕立てなんですね。日本だといわゆるテーラー、仕立て服ですよね、日本語で言うと。そのテーラーっていうものは25年くらい続いているイタリアブームが、もうそれが主流になってまして、なのでいわゆる柔らかくて肩パッドがほとんどなくて、肩苦しいような感じじゃないイタリアンスタイル。それが日本ではベースですね。
で、プラス昔から続いているイギリスのブリティッシュスタイルっていうその2つがメインで、あとは銀座に昔から続くような日本のジャパニーズスタイルみたいな、そういった形が一般的なんですが、私がやっているのはそれのどれとも当てはまらないフランス式ですね。
フランスの仕立てっていうのが、あんまりというかほとんど日本で浸透していないっていうのは、やっぱりいろいろ理由がありまして、それと同時に日本のジャーナリストさんが昔からイタリアのナポリとかローマとか、そういったところにいっぱい取材に行って、その結果これだけ25年も日本にイタリアブームが入ってきたっていうその理由はですね、やっぱりその敷居の高さなんですよね。
つまりそのヨーロッパの中でも一番格が高いって言われているのがパリとロンドン。その中でもパリっていうのは言葉がまずフランス語、ロンドンは英語ですよね。英語だとまだ日本でも喋れる人は昔からたくさんいると。
09:14
ただフランス語喋れる方ってそれほど昔から多くない。そういうこともあって、ジャーナリストの方がパリに行ってですね、外から見ても豪華な石畳の街でラグジュアリーなテイラーに入って行って、注文もしないのにインタビューをさせてくれっていう、そういうことできるジャパニーズの人がほとんどいなかったと思います。
そのまあ難しさですね。それもあって日本に浸透してこなかった。でまたそのパリのお客様っていうか、パリのテイラーのお客様っていうのは、やっぱりフランスっていうのが第二次世界大戦で戦勝国だったわけです。
イタリアは負けた方、日本と同じように負けた方の国。それが日本だと、そんな何十年前のこと言ってるの、あなたみたいなふうに世界大戦のことみたいなふうに思うかもしれないんですけど、ヨーロッパではやっぱり第二次大戦とかっていうのは全然近い話なんですね。
なのでそこで、戦勝国だったフランスは数多くの植民地を持ってる。その植民地の多くがアフリカなんですね。そういうこともあって、アフリカ大陸の王族が大多数なんです。お客様が。だからロイヤルファミリーを相手にしているっていうことが常なんですよね。
そういったテーラーさんに、日本のジャーナリストでフランス語もほとんど喋れない人たちが入って行って、棒印しか言えなくて、注文もしないのに何だろうっていうふうな。向こうって基本的には注文をしない人がウィンドショッピングじゃなくて、中に店頭に入って日本みたいにいろいろ商品を触って試着をして何も言わないで出てくるっていうのは、ものすごいダメなことなんですね。
買う気があるから店内に入る。それまではウィンドショッピングで楽しむっていうのが暗黙のルールみたいなものなんです。
敷居を跨いだら。
そう、だから跨ぐってことは、自分は買う意思があるよっていう、そういったアピールでもあるので、注文もしないのにインタビューだけさせてくれっていうのは、やっぱりしにくいことなんですね。そういった理由から、昔から日本にフランスのテーラードの文化も入ってないし、パリのテーラーって一体何っていう、そういった情報もほとんど皆無っていうのはあると言えると思います。
その中で私たちがやってることっていうのは、パリのいわゆるものづくりのサボアルフェフって言うんですけど、伝統工芸品の作り方ですね。そういったものをしっかりと継承して、それを作ってるっていう、そういうやり方ですからね。
その中でもケンジローさんは非常に独自性があると思うんですけど、これ一般の方が誰でも、さっき王族って話があるぐらいですから、いわゆる顧客の対象って言い方がよくわかんないですけど、やっぱりそれなりに社会的地位が全てではないかもしれないけど、それなりのアッパーの方がやっぱり多いんですか?
今も含めて。 今までフランスで店をやってたときは、やっぱり会社経営者の方、弁護士、弁護士さんが多かったですけどね。そういった方がほとんどで、彼らの社会的地位っていうのは非常に高い人たちばっかりですよね。
12:12
ただ日本にはその階級っていうものもほとんど表面的にはないですし、そういうことはないかなと。どなたでも興味ある方は注文されるっていう感じかなと思います。
そこでですね、日本にまた軸を置いて戻られて、1年1年半ぐらいだと思うんですけど、やっぱり今日ね、ズバリいろいろ伺っていきたいのが、ケンジロウさんがそういう意味で軸足を戻るというか、日本にされたっていうのを聞いたとき、率直にちょっと驚いたんですよ。
もうケンジロウさんはフランスに、これは僕の試験ですけど、骨を埋められて、っていうイメージがあったんですね。やっぱり2013年、14年にお話が伺ったときに、その時におっしゃってたのが、今は年間50着ぐらいで、やっぱりやってるけど、ヨーロッパで3本の指に入る提案になりたいと。
そして、そのためにもっていうところで、もう少し受注を受けられるようにして、やはり人を少し増やしてっていうふうにおっしゃってたので。そういう意味ではね、順番前後しますけど、最初冒頭でね。以前は、戻られる前は、もう本当に10人とかそのくらいの規模で2店舗っておっしゃってたので、ケンジロウさんのことですから、描いた通りにいろいろありながらも積み上げていったと思うので。
今回に至る経緯というのは、やっぱりまずそもそもヨーロッパで3本の指に入るっていう最後、2010年のインタビューでもおっしゃってたので、そのあたり、ケンジロウさんの中でどういうことがあって、やっぱり今回に至るのかっていうのをズバリ伺いたいなと。
ヨーロッパで3本の指に入るっていうのは、それは自分で言ってしまうと簡単なんですけど、私的には叶ったんですよね。なので満足してる。それは自分がですね、僕はそういう風になったっていうことじゃなくて、周りのお客様の声でそういう評価をもらったっていうのが大きいかな。
もっと具体的に言うと、例えば私自分のベースというのが、とにかくお客様にやっぱり喜んでほしい。それがすごい強いんですよ。ご注文いただいた方にはとにかく喜んでほしい。例えば日本人のお客様がパリに旅行に来られて、その時に私に注文されたり、借りぬい、納品っていうことがあると、やっぱり旅行中皆さんいろいろ困ったことがある。
例えばあるメーカーの名殻のシャンパンが欲しいとして、ただいくら探してももう手に入らない。見つからない。そういった場合だと、私がパリ中のワインショップに連絡して、見つからないところをなんとか見つけてきて、一緒に同行して、アテンドして、通訳もしてやるとか。
例えばジョン・ロブだとか、そういったラグジュアリーなシューメーカーですね。そういったところのフルオーダーをもう注文しているお客様。もしくは既製品を買ってるんだけど、これからフルオーダー。あそこだと1足160万ぐらいするんですけど、そういった靴が欲しい。
ただどんな靴作ってるか知りたい。なのでアトリエを見てみたいっていう場合は、責任者の方に連絡をして、そのお客様がジョン・ロブのフルオーダーの工房を見学できるように手配をして、同行して通訳をするだとか。
15:14
シャツ屋もそうなんですね。シャツのシャルベンに関しても、今まで何十人のお客様を紹介してお連れしたか覚えてないぐらいなんですけど、そういったことをやって、シャツのアテンドから通訳、仮縫い、納品まで全部責任を持って私が立ち会う。それらは一切追加費用はいただかないで、すべてそのまま無料っていうかでやってた。
それはすべて根底には喜んでもらいたいっていうのがあるんですね。なのでそういった気持ちでやってるっていうのが自分のベースで、それをずっとやってますと10年以上も、どのラグジュアリーショップ、パリのですね。それがエルメスにしろ、ジョン・ロブにしろ、シャルベンにしろ、でも、ムシュ・スズキっていうのを知らないっていう人がいなくなっていくんですよ。
いつも僕が通訳でやり取りをしてるから。シャルベンの社長にも会ったことあるんですけど、お話をしても、シャルベンの社長がと話した時に、いやびっくりしたよ、ムシュ・スズキって。あなたに連絡をしようと思って、うちの従業員にムシュ・スズキ知ってるかって言ったら、僕よりもみんなが、全員が知ってるって言うじゃないか。これどういうことだって言うんです。それぐらいやっぱり密にコンタクトを取ってやり取りをずっとしてた。
そうやってラグジュアルショップに、僕のことみんなが知ってくれるホテルのコンシェルジュとかも結構そういうふうになりましたけど、そうなってくると、スーツだったらスズキのとこに行ったほうがいい。こんだけいろんなお客さんが満足してるから、スズキが素晴らしいんだってことを、お店側の、パリのお店側の人たちがどんどんどんどん進めるようになる。そういったことがまずあったのと。
あとはパリじゃんですね。実際のフランスのお客様がこんなに丁寧にやっぱりものづくりをして、クオリティが高い服を作るっていう人はいないっていうことで、例えば、ポッドキャストだったり、どっかのインタビューを受けたり、いろいろな形で、マイベストテイラーはムシュ・スズキだみたいな形で言ってくれたり。
そういったことがいっぱい続いて、自分の中ではフランスでもトップクラスに入れたなっていうのがあって、その夢も叶えられたかなっていうのがあるってところですかね。
そういう賢人さんの中で、ある意味ね、もう分かりやすい目標としておっしゃってたので、そのご自身で、もう本当にそういうのを多分野暮だと思う方だし謙虚なんで、ご自身では言わないと思いますけど。やっぱりそういうふうになったかなっていう感覚は、今おっしゃったいわゆる客観的な評価のと、ご自身で思っている感覚。
俺行ったかなって、正直そういうものは当然あるじゃないですか。それでどっちが先でした?
周りですよね。客観的評価の方が高いですよね。そうですね、私自身としては、やっぱりその修行事態、今まで私も修行事態いっぱいあるんですけど。師匠っていう人がタームタームで、もちろんいたんですが、学べた期間がものすごい短いんですよ。
チーフカッターになれた時も、その当時チーフカッターの方が引退したから私がチーフになったんですけど、まともに習えたのは1年ぐらい。短いし、習ったテクニックとしても、だいたいこのテイラーっていう仕事で、1人前になるのに大げさじゃなくて、35年とか40年かかるっていう中で、1年間一緒に働いている程度で、何が学べるの?っていうぐらいのことなんですよ。
18:20
本当に表面的な部分の技術は教えてもらえたんですけど、それ以外はほぼ全部自分で本を読んだりとか、トライアンドエラーをしたりとか、端を書いてヒントを下さいっていうふうに頭を下げたりだとか、いろんな形で独学でほとんど身につけていったものが多いですよね。
その中では、まだまだ自分はできないみたいな。コンプレックスっていうか、なんでこんなこともログインできないんだみたいな。周りから見ると、ケンはこんなによくできるじゃないかっていうふうに評価されても、党の本人としては全然逆で、こんなにもできないみたいな。まだまだ改善したいところがこんなにいっぱいあるっていうことが出てる。そういった感じだったんで、自分の自負として、俺はもうこんなにできるよみたいな、そういう感覚はほとんどないですね。
いつもインタビューをご視聴いただいてありがとうございます。この度スタートしたメンバーシップでは、各界のトップランナーから戦争体験者に至るまで2000人以上にインタビューしてきた僕が、国内外の取材、そして旅の中で見つけた人生をアップデートするコンテンツをお届けしていきたいと思います。ここでしか聞けない特別インタビューや、地蔵トークにもアクセスしていただけます。
随時、これは面白い、これはいいんじゃないかというコンテンツもアップデートしていきますので、そちらも含めてどうか今後の展開を楽しみにしていただけたらと思います。なおいただいた皆様からのメンバーシップの会費は、インタビューシリーズの制作費だったり、国内外のインタビューに伴う交通費、宿泊費、その他取材の諸々の活動経費に使わせていただきたいと思っています。
最後になぜ僕が無料でインタビューを配信し続けるのか、少しだけお話しさせてください。この一番の理由は、僕自身が人の話によって、うつや幾度の困難から救われてきたからです。そして何より国内外のたくさんの視聴者の方から、これまで人生が変わりました。毎日済む勇気をもらいました。救われましたという声をいただき続けてきたからに他にありません。この声は、世界がコロナ禍に見舞われた2020年頃から一層増えたように思います。
これは本当にありがたいことです。ただ、同時にそれだけ心身共に疲弊したり、不安を抱えたりしている方が増えていることに関わらない、その裏返しであると僕は強く感じています。正直に言えば、僕自身も15年以上前に起業して以来、最大のピンチといっても過言ではない時期をこの数年送り続けてきました。
そんな時だからこそ、森に入ることなく、インスピレーションと学びにあふれる、まだ見ぬインタビューを送り続けることがインタビュアーとしての自分の使命なのではないかと強く感じています。世界がますます混迷を極め、先の見えない時代だからこそ、僕はインタビューの力を信じています。
これまでのようにトップランナーや戦争体験者の方への取材はもちろん、今後は僕たちと同じ姿勢の人、普通の人の声に耳を傾けたり、ややもすると打ち抜きになってしまう、今こそ海外でのインタビューに力を入れていきたいと思っています。そして彼らの一つ一つの声を音声や映像だけでなく、本としてもしっかりと残していきたいと考えています。
21:13
そんな思いを共感してくださる方がメンバーシップの一員になってくださったら、これほど心強くそして嬉しいことはありません。ぜひメンバーシップの方でも皆様とお耳にかかれるのを楽しみにしています。以上、早貝大平でした。
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