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  2. 誰にも縛られない独立系人間と..
2024-07-04 29:50

誰にも縛られない独立系人間として生きていく!

起業に戸惑っている50代女性のための「わくビズ」をはじめて1ヶ月。奇妙なことにわくビズの活動を通して私は「他人の面倒をみないという生き方」が存在することに気づきました。私もそろそろ解放されたい。

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こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田イクコです。
7月4日木曜日の11時11分、1111でございます。
今日は天気がすごい良くて、とにかく冬物を洗って、干して、片付けたいと思って、洗濯機を3回ぐらい回したというところでございます。
乾かす仕事は、太陽が着々とやっておりまして、2時間ぐらいでカリッと乾くっていう、太陽の仕事量すごいっすね。
乾燥機とかでやっても、なかなかこんなにパリッと乾かないっていう、太陽恐るべしって感じですね。
今日話しとしては、いろいろあるはあるんですけど、結論から言うと、私、人の困っている人を助けるみたいな、そういう活動を今、ワクビズっていうのをやってるんですけど、
助けるってどういうことっていうのを今週はね、ちょっとねじっくり考えたっていう、週になりました。
助けるっていうのは、その人の代わりにやってあげるっていうふうに、ちょっと若干私、勘違いしてる向きがあったんですけど、代わりにじゃなくても、一緒にやってあげるみたいに思う向きがあったんですけど、いやこれ根本的に全然違うなっていう、そういう気づきがありました。
考えてみたら当たり前の話で、例えば中学校とかの授業で調理実習があったとしますね。先生が前に行って、作り方の説明とかをして、さあじゃあみんなでやってくださいって言って生徒が作るじゃないですか。
それが普通の教育ってもんですよ。ところが、私がついやっちゃうことっていうのは、この説明をした挙句に、じゃあ私がやるねって言って料理を作っちゃうっていう。ちょっと待ってくださいって感じじゃないですか。
先生が説明した上に、自分で作っちゃったら、生徒は何も手出しができないですよね。見てるだけになっちゃう。
これではダメだっていうことですね。先生がすべき役割は、説明をしたらば、それを実際に生徒に作らせて、作っている様子を見守るですね。困っていることがあったら教えに行くけど、そうでなければ見守るっていう。
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この見守るっていうことが、私の中にない言葉でしたね。見守るとは何ぞやと。見守るとか超絶イライラするぞと。しゃべりながらも思ったりしますね。
本当、たぶん気が短いんですね。物事が成し遂げられていない状況っていうのが嫌いすぎて、さっと解決したいんですね。ホームページ制作なんかいい例なんですけど、私が作ったら本当に3時間で作れるのに、これを教えると教材動画だけ作る。
教材動画を見てもらうのにまず1ヶ月。見た上に作らせたら3ヶ月とかかかるわけじゃない。その間、私何してたらいいですかっていう話で、とてもじゃないけど付き合ってらんないわけ。
1個のホームページ作るのに3ヶ月もグズグズしてて、今日時間がありませんでしたとか、知らんしって。だから、教材動画あげて自分でやりなっていうか、めんどくさいから私にやらせてって言って作ってあげるか、もう二択ですよね。
やり方を教えてその通りにやってもらうっていうことじゃないので、やり方を考えてみんなでそれぞれのやることをね。やることを決めたら実際やってもらうなんですね。
それってどういうことって。実際そういう局面になってきたら、私どういうふうに関わったらいいんだろうっていうのがちょっと戸惑いました。
で、やっぱり自分がそこに出かけて行って一緒に会ったりとかしたら、元も子もないし、ぶっ潰してる以外の何者でもないし、それって。さりとって放置しとくだったら最初から何もやってないのと一緒だし、見守るですよね、できることって。
見守るだったり成果を要求する。どこまで進捗したか進捗報告を要求するとかそういう感じ。いわゆる会社であれば上司に当たるような感じでしょうかね。マネージャーとかそんな感じですか。私よくわかりませんけどそういう会社で働いたことないので。
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ただ、その人たちがちゃんと自分たちの目標に向かって進んでいるかどうかチェックはしないといけなくて、その過程で失敗しててもいいんですけど、何かをしたかどうかっていうとこだけを確認しないといけないですね。
何かやってみたけどダメだったはOKって感じですよね。大成功って。だけど時間がなくてできませんでしたは大失敗ですよね。そのイエスのというか合格不合格みたいなジャッジか、ジャッジだけはしてあげないといけないのかなっていうことになりまして。
よしワークビジネスはそういうふうだねってそこはいいんですけど。問題は私の日常生活ですよ。私が楽室をやっていてサポートというかそのウェブ周りをやってて、あと企画とかやってて私は何をしてるかってことですね。
2016年にこのことが始まったんですけど、始まったきっかけはTSUTOMUの生徒さんから言われたんですね。先生講師の要請をやってくださいよ私も教えられるようになりたいですってズバッと言ってくれた人がいて、それを断ったTSUTOMUっていうのが言って、3回目ぐらいに言われたときに私に相談してきたらこんな人がいてさあこんなこと言うんだよどう思うって。
すごいなんか非常識なこと言ってくるみたいなネガティブな話として言ってきたんですね。私はその時びっくりしてそんなふうに求める人がいるんだってことは要するにニーズがあるってことでしょ。やりましょうってなってTSUTOMU本人はやったことがないことだしそんなものできっこないって思ってるのでできるわけないじゃないかって喧嘩になったりしたんですけど。
そもそもこのTSUTOMUを含むある種の人たちってすでにできてること、この世にすでにあることはものすごく受け入れてるんですけど、この世にまだないことっていうのが想像できないっていう人ってかなりいますね。
多分一定数いるかなと思うんですけど、この世に成功しているそういう教育する人とか成功している作家さんがいるのはわかるけど、自分はそれじゃないじゃないですか。今現在。だからそんなものになれるわけがないと思ってるんですね。自分とその人たち違うって。
確かにそれ当たってるんですけど、現時点での。今この瞬間での話だし、1年後にどうなるか。10年後にどうなるか。逆から言ってもいいや、今成功している人たちが10年前も偉い先生でしたかって言ったら名もないただの筆文字書いてる人だった。作家だった。売れない作家だったとか。
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よくあることでしょ、それ。10年ってものすごいゼロだった人が100になるぐらいのそういう人もいるし、生まれつき大作家だったって人っていないじゃないですか、逆に言うと。
バブバブって赤ちゃんで生まれたときすでに大作家だったって人っていなくない?摂集生の歌舞伎とかだったら将来そうなるって約束されてるかもしれないけど、ほぼほぼ99.9%の人は自力で、いずれかの時点でそういう道を歩んだんですよね。
だからどの時点で切ってみるかによってどの人が有名とかどの人が偉いとか違うと思うんですけど、そういう時系列で過去と現在とか現在と未来とかそういうふうにお話で見るっていうか、変化して今があるんだっていうことがどうもピンとこない人っているんですよね。
過去のことはもういいですけどどうでも、ここから未来のことが描けないってもう壊滅的で、だって今現在のこの自分が固定しちゃうピタッとこのまんまずっといくって思ってるわけじゃん。
今が大成功してるんだったらピタッとそのままでいいけど、大成功してる人が10年間大成功し続けてるってことはないわけですよ。大成功してる人で10年20年30年と大成功し続けてるとしたら、その人たちは大成功し続けるための努力をいろんなことをしてるわけ仕掛けてるわけですよ。
何もしてないのに大成功してる人っていうのはいないはずです。必ず意図的に何かを行った結果として大成功的な感じになってるんだ。
でも今この瞬間の絵しか見えないんだったら、もうあの人は偉いこの人は偉くない以上終わりそうになっちゃうじゃない。自分が偉くなっていこうとか自分が有名になっていこうとか自分が新しいことをしていこうという発想は一切生まれてこないですよね。全然進歩がない。
でも進歩がなくても現状維持できるんだったらまあいいかって話ですけど、実は現状維持さえ難しいですよね。だって年をとっていくのでどんどん時代遅れになっていくのでそのまま何もしなかったらどんどんどんどん過去を曲線にいくんですよね。
若い時はいいですよ。10代20代の時は何もしなくたって元気でどんどん出会いもあるしいいことがわっと起きてくってあり得ると思うけど、もうそんな中年以降はさ過去をしていくだけじゃない。今までできてたことができなくなっていくとか、今までその価値があったことが世の中の変化によって価値がなくなっていっちゃうとか。
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とにかくあなたが動いていなくても世界は動いているので、キャッチアップするなりそれを超えていくなり、何らかの本当に川の中にぷかぷかと浮かんでるって言うんだったらいいですけど、ちょっと何て言うんですかね。
やっぱり川にぷかぷか浮いてるんだとしたら、ぷかぷか浮いててくださいよって。そうしないと沈みますよって話ですよね、たぶん。たとえがよくわかんないですけど。
で、そうそうそうそう。だからほんのちょっとでいいから未来の、今と違う未来の姿を頭の中に思い描いてほしいと。このことを想像力って言うんですね。想像するって作るじゃなくて、空想するみたいなやつ。想像力。
この想像力がない人っていうのが世の中にいるんだっていうのを、最近私はちょっと疑念を持って、想像力がない人がいるのかもって思ってびっくりしてるんですけど、
まあどっちにしてもですね、そういう想像力がない人を目の前にして、でも明らかにここにニーズがあってチャンスが来てるって思ったときに、私がここで手を出し口を出しをしなかったら、
ツトムはその講師養成コースっていうのをやらなくて、だってそんなのできんもんって。なぜって言ったら今までにやったことがないもんって。
言って何にもしなかったら、その人々もダメなんだねって言って去っていくでしょ。消えていくじゃないですか。チャンスってそんなもんですよ。その人が3回も声をかけてくれたって本当にすごいラッキーなことで、
ほぼほぼ1回ちょっと言ってダメならもう二度と言わないのが普通ですよ。
それなので私としてはラストチャンス3回目っていうのをようやく小耳に挟んだので、もうそこではツトムが何を言おうが関係ない。
とにかくやるって言って、何をどうやるか、会場を押さえてそこで説明会をするとかそれをやるとかっていう段取りを全部組んで、名前も当時落室があったかどうかわかんないけど、
それから一晩でそれをやるって決めたら次の日までにホームページ作って立ち上げたし、もう手も出し口も出しっていうか私が全部やったんです。
なぜなら私が手を出し口を出しをしなかったら誰も作らずにこの世に落室の孔子養成っていうのが出現せずに終わっちゃったからです。
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でもこのことの弊害ですよ。今も続いているのは。新しいことを考えれるのは幾個だけみたいになっている。全部私が考えるってなっちゃってる。いや考えるのはいいですが私好きです。
だけど手も出し口も出しすべての責任を負っていくら広告費をかけるかとかそんなことの決定まで私がやらないと何にも進まないんで。
私が手を引いたら現状維持になるんですね。もう新規の顧客も入ってこない。だって広告とか打たないし何もしないし。新規流入がない状態で今いる人たちでやっていくとみんな卒業していくからさ。
うひゅーって言ってまたゼロに戻るだけじゃないですか。これはこの状況を許し状況だった。私は前からずっと思っていてどうしたらもっとやってる当事者が自発的に動いてアイデアも出すけど手も動かして口も出し。
自分でやっていてくれるようになるのかと。待てど暮らせどそんな風にならないのでここが私の抱えている一番の問題点だったのかなって。
私がね筆文字とかアートが好きで好きでたまらないって言うんだったらまた話は全然違うんですよ。断られてもやりたいぐらいの。そんな好きなことだったらこの話は全然違う要素に抵してくるんですけど。
まず興味がないので内容にね。じゃあそのマーケティングが好きかって言ったら内容に比べればマーケティングの方がマシなんですけどさりとて所詮は他人のやってる活動ですからそれにも限界があるわけ。
でこのジレンマを引き起こしているのは多分自分の中の何かの何かだろうとは思っていたんだけど、昨日のワクビス運営ミーティングで気づいたのは私が人を助けようっていうかこの局面を打開しようとかね。
問題を解決しようと思った時に必ず自分で手を出すからだって。そこに一人きりしかいないんだったらそれはそれで全然問題ないんですけど、誰かがいてその人が抱えている問題を解決するんだよってなった時にその人が動くのを見守るってことは私は一切していない。見守りたくないんですよね。
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なんかクッソイライラするんで早く片付けたいこの問題をって。で、その人を押しのけてでも私がやると。一瞬にして解決するというふうにしたくてしたくてしょうがないっていうこの気の短さをが結果として皆さんに依存的な
人に皆さんを依存的な人に変えてしまうっていうことだなって思いましたっていう。以上は終わりなんですけど、そりゃあそうっすよね。自分が口出しも手出しもしなくても物事が解決していくんだったら誰だって何もしませんよ。
でも私は自分が口出し手出しをしなかったらその問題が解決しない可能性があるじゃない。ありますよね。その可能性が1%でもあったら悔しすぎるので、だったらもう私がやってでもいいからこれを完成させたいと思っちゃうってことなんです。
で、私がなんか貧乏症っていうか、諦めればいいじゃない、うまくいかないこととかもさ。それが何%自分の生活に関係するんだっていうことを打算的にもっと考えて。
落筆はかなり私の生活に直結しているので、それは手出し口出しはもうやむなしと。だとしてもそれ以外のことってよく考えると、それがダメになったとってさ、相手の人が困ってるっぽいその困りが解決しなかったとしても、私の生活は悪くならないよねっていうことってほぼほぼ大体のことってそうじゃん。
だから手出しも口出しもする必要なくないっていう、そういう事例がよく考えてみるとほぼほぼ全部そうだなって思って。
でも私はどんな人どんな場合でも、最短距離でその問題解決に向かってほしいので、こうすべきという方法があったらそれをやってほしいんですよね。
でもそれは多分間違いだ。
っていうか間違いってことにしようと。
昨日ちょっとね心変わりしました。
そう、だって何が幸せかってその人によって違うし、私から見てめっちゃ不幸って思ってるようなことでも、その人そういう人生を生きたくて生きてる可能性があるじゃないですか。
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すべての魂はね、なんかほらお空の上でさ、議会を眺めてて、自分の理想の家庭環境を見つけて、そこを選んで生まれてくるっていう説もあるぐらい、何かしらのテーマを持ってこの世に生まれてくると思うので、そのテーマが私が理解できないテーマって可能性もすごいありますよね。
ちょっと信じられないぐらいダメな人生を送るとか、それを一生極めるとか、解決しない人生を生きるとか、わかんないけど、もしそんなテーマで生まれてきたとしたら、めちゃくちゃ独創的でしょ。
多分独創性を競っている可能性があると、魂たちは。
そういうふうに考えると、せっかくその人が展開している独創的な生き方を、私が私の基準に照らして、そんなのは非効率だからこういうふうにしたほうがいいって言ったって、そんな話は通るもんじゃないですよ。
彼とか彼女は生まれる前から決めてきた生き方っていうのがあるんだから、それを全うする気しかない。
同じ愚痴をずっと何年も何十年も言ってたとしても、そういう人生を生きたかった。
同じ一つのテーマでずっとうまくいかないっていうことを達成しようと。
もし決めてるんだとしたら、その人はその愚痴を言い続けるし死ぬまで。
私が取れる行動としては、その人の選んでいるその生き方を無理くりに変わらせようなんてするよりも、その人と距離を取るっていう。
別にその愚痴は私聞く必要ないよね、解決しないんだったらっていう話じゃん。
解決したいってなった時だけちょっと来てくれるっていう話に。
手伝えることがあるかどうか考えるねって話で。
でも別に来てほしくもないので、私は私で人の悩みを解決するっていうテーマを持って生まれてきてないと思うんですよね、多分。
だからそういう人たちとご縁が消えても特に困らなくないかなっていう風に思ったっていうことですね。
なんか何言ってるかわかんないような話ですけど、でもそのほんの小さなね、この人たちの悩みは私解決しなくてよくねって。
この人たちの言ってる愚痴を聞く必要もなくねって、間に受けてそういうのを聞いて解決する方法を考えちゃうとかっていう。
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もう自動でスイッチ入るんで聞いた瞬間から思っちゃうんですけど解決方法を。
だったら聞かなきゃいいですよね。聞かないようなシチュエーションを作っていくってことにすればいいだけだし、
私ももうその辺は大人としての対応でクリアできるんじゃないって、何でもかんでも。
とにかく私の目の前に来てちょっと愚痴れば私がなんかしてくれるみたいな、ごみ捨て場みたいな人間でいる必要ないなっていう。
ごみ捨て場とか無料便利マシーンみたいな。
しかも人によっては全然それ解決する気なくただ喋ってただけなのに、私が解決しようとし始めてびっくりするとかね。
やめて解決しないでみたいになるっていうことすらあるわけだから。
もう他人のことはほっとくってことですかね。どうなんですかね。
でもそれがいいんじゃないかなっていうふうに思ったっていう話です。
だから面白いよね。ワクビズっていう何かを今困っていることがある人に寄り添う活動をしようって言って始めてる結果、
どんな人にでも寄り添う必要はないんだっていうことに気づくっていうことで、
ワクビズをやればやるほど、それ以外の生活の中では私はしがらみから解き放されて、
勝手に自分で縛られているそういう鎖みたいなやつからちょんちょん切り離されて、どんどん自由になっていくっていう、
そういう現象が起きているのかなというふうに思いました。
どんなものにせよ、どんな素敵な人にしても本当に一期一会っていい言葉だなと思うんですけど、
その日あってその日楽しい時間が過ごせたらもうそこで終わりにしようと。
その人のご縁をつなぐためにお付き合いを続けるとか、そういうふうに思うから物事が長日ややこしくなるので、
その時その時にしようっていうふうに。
どこの団体にも属さないし、どこの文化にも入らないし、独立系も最後まで死ぬまで一生誰の下にもつかない、
その代わり誰の上にも立たないっていうザ一匹狼みたいな感じで生きていきたいなというふうに今思っています。
おかげさまでよ、多大なるその転校生生活を繰り返す10代、10代以前から、5歳ぐらいから、
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転園、幼稚園を変わるね、転園に始まり転校も何回、5回、6回ぐらい、5回か。
繰り返したおかげで、誰にも頼らずに、自分を個の状態で存在できるっていう、そういう技術、ポジション取りはできるんですよね。
一人ぼっちだから誰とも付き合わないのかって逆なんですよね。
どこにも所属してないからこそ新しい人たちと気軽に組んで何かできるわけ。
ダンスなんかいい例ですよね。
どこの先生の文化生でもないから、どこの先生のレッスンも受けに行くし、
知り合った誰かと、また関係ない誰かと適当に集めて、ダンスして遊ぶみたいなこともできるわけね。
どこにも入ってないからだと思うんですよ、多分。
で、あちこちで集めてきた人と遊んでるだけだから、
逆に誰かのなんとか先生のところでやってますっていう人って、なかなかに他の先生のレッスンが受けづらいとか、
あとその慣れ親しんだメンバーがいないところでは、移宿してしまって何もできないとか、
そういうパターン結構あるんじゃないかと思ったりするので、
逆に、それこそ私は一匹狼で、一匹狼っていう言葉は良くないと思う。
独立系な人、独立系人間として、この世の楽しみを謳歌して、いろんなことにチャレンジして、好き放題やって生きていくっていう、
その使命を全うするために、ちょっと過酷だった子供時代を用意していただいて、天からね。
それでそういうダンジョンをクリアして現在に至ってるわけで、その間にいろんな能力を手に入れてるわけよ、武器とかもね。
そうしよう、一人で生きていこうっていう感じになりました。
人の面倒は一切見ないと。
私が用意した枠別とか、そういうとこ来てもらった人以外は面倒は見ないというふうにしようと思いました。
But I'm happy.
はい、本日は以上です。
一匹狼ワンダーランド
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