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  2. 昨日より今日、今日より明日。..
2024-05-27 27:17

昨日より今日、今日より明日。ダンスイベントに参加してきた話

最後のほうで思い出せなかった浜松のダンスチーム名は「ソウルフルフーズ」さんでした。検索してみて。きっと動画が出るから!


ということで今回は何も気にせず自分が楽しいように踊ってきました。上手にとかかっこよくとかは忘れて、だけど、リズムキープと体重移動だけは気をつけて。


動画はインスタで公開しています。

https://www.instagram.com/fusigi.ikuko

00:04
こんにちは、自由で楽しい毎日を。IKUKO Laboの金田 イクコです。
このポッドキャストは、私の音声日記です。
毎日の暮らしの中で気になったあれこれを、気ままにおしゃべりしています。
よかったら、最後までお聞きください。
こんにちは、IKUKO Laboの金田 イクコです。
5月27日月曜日の午前11時45分になりました。
えっと、今日はまた新しい週の始まり、月曜日ということで、
ポッドキャストを撮っているんですけれども、お天気の方は非常に荒れておりまして、
雨で風も強いっていう感じです。
昨日はね、天気良かったんですけどね。
いいっていうか、なんていうか、降らなかったというか。
えっと、昨日は久しぶりでもないんですけど、
ヒップホップの教室からイベントに出まして、
名古屋の金山でやってまいりました。
昨日のとこは、小さなバーですね。
そこを貸切にして、そこでやるっていう、何チームも来てやるっていう、
もうなんか、ステージっていうのもなくて、真ん中辺の広いスペースを開けて、
DJブースの前ですね。
で、その周りに観客が取り囲むとか、体育座りするみたいな、そんな感じでやってます。
今回そこの同じ会場でやる同じイベントが、3回目になるんですけど、
さすがに場の雰囲気にも慣れてきて、
毎回参加するチームってほぼほぼ一緒なので、
なんとなく見覚えのある人とかもいたりして、
先方も、なんか私覚えてくれるのかよくわかんないけど、目が合うようになりましたね。
で、お互いの出番が終わったらハイタッチして、グータッチとかして、
励まし合い、喜び合うみたいな、ちょっと仲間みたいな、そんな雰囲気になってきてて、
昨日はとっても楽しかったです。
正直ダンスについては、もう本当に伸び悩んでいるんですけど、
なんで伸びなきゃいけないんだっていうね、そもそもね、
何のためにやっているんだったっけっていう、
そういう状態なので、
なんていうのかな、モチベーションは下がりまくりな感じなんですけれど、
今回のイベントの直前に、
めんどくさくなっちゃって、いろいろ考えるのか、
せっかくのヒップホップイベントだから、
ヒップホップっぽく、かっこよくやりたいんだけど、
自分の引き出しにそういう動きがなくて、全然できないと。
03:02
練習していくんだけど、やっぱりうまくできないっていうことが、
もうずっとずっと考えているんですよね。
だから、やっぱり、
できないと。
練習していくんだけど、やっぱりうまくできないっていうことが、
もうずっと続いていたので、
もうなんか、ソロやだなって本当に思っていたんですけど、
今回の本番、昨日の何日か前に、
どうしようって考えるときに、もうめんどくさくなっちゃったんです。
考えることが。
どうせ、それで採点されるとかっていうわけじゃないんですし、
私にできる動きを、私にできるようにやって何が悪いんだって、
いうふうにポンと思ったんです。
特に、私がやりたいようにやって何が悪いんだっていう、
そういう言葉じゃないんですけど、考えがポンと浮かんで、
それでよく考えたら、
ダンスって、私がやりたいように踊って何が悪いんだったっけって、
そもそもダンス全体について。
だって、仕事じゃないし、義務じゃないし、
誰かに強制されてやってるわけじゃなくて、
先生も自由にやっていいよって言ってるのに、
何を私は肩にはまりに行こうとしてるんだろうっていう、
言葉で言うとこういう感じのことがポンと分かって、
確かにって思って、
今回は、何々っぽくやるとか、
誰々みたいにやるっていうことを一切考えず、
それ振付の部分も一緒で、
決まってる振りなんでそれやるんですけど、
別にかっこいい誰々の真似をするとかいうことじゃなくて、
今の自分にできる動きを最大やるっていうことで、
良しとしました、自分の中で。
ずいぶん自分に対するハードルを下げたっていう感じなんですけど、
結果的に、全然普段と変わらない出来栄えで、
その割に自分的には楽しかったし、
これで良くねって思ったっていう話です。
本当に上目指さなきゃいけないだったりとか、
人前で踊る以上はかっこよくとか、
いろいろあるんですけど、考えても無駄だし、
考えれば考えるほど嫌になっていっちゃうし、
萎縮するし、カチコチになるだけだし、
良いこと一つもないと思ったっていうのが、
今回の新しい発見です。
毎回何かやる度に発見ってあるし、
発見っていうか、自分と向き合うっていうのかな?
自分は何でこういうことしてたんだったっけ?
っていうのと毎回向き合うので、
それに対して答えは誰も持ってないわけじゃん?
06:00
隣のAさんがこういうことのために頑張るのよって、
Bさんに聞いたらまた違うこと言う、
いいんじゃない?そこそこでって、楽しくやればって言うって。
結局みんなに聞いても、100人に聞いたら
100人が自分のことを言うだけで、
でも誰一人この私はどうしたらいいのかっていうことに関して、
答え持ってる人はいなくて、
だったら誰に聞く必要もないし、
自分で決めたらいいって。
言ったら当たり前の話なんですけど、
特にダンスって私の一番苦手なジャンルっていう分野で、
よくわからないし、ずっとやってたわけじゃないし、
引き出しもないし、
あとどんなダンスがいいダンスかっていうことも
よくわかんないし、知らないですよね。
こんな中でどういうふうにやっていったらいいんだろうって、
人に聞くしかないっていうとこなんですけど、
聞いても聞いても答えが出ないので、
私はキレて、もう好きにするって思ったっていうことでございます。
でもこれダンスの話をしてますけど、
多分他のすべてのことについて、
家族との関係もそうだし、
お仕事のやり方もそうだし、
こういうふうにやらなきゃいけないっていう方が、
人に聞けばみんな言うので、
まるで方があるかのように思うんですけど、
実は全員自分のことしか喋ってない。
仕事のやり方にしてもですよ。
こうやったらうまくいくとか言うけど、
そうやってみてうまくいったことは、
申し訳ない。一回もないって言っていいぐらいでしょ。
いつもいつも最終的にジタバタして、
自己流でやったときに
結果が出てるだけなような気がする。
とはいえ、何にも情報がなくて
何かしろって言われてもできないので、
最初は型真似でみんなのやり方を教えてもらって、
またはセミナー受けたりとか、本読んだりとかして、
やり方を習ってやり始めるんだけど、
でもちょっとやった後に
本当にこれからどうしていったらいいんだろうっていう
局面が出たときは、
自分でこうじゃないかなっていう仮説を立ててやってみる。
これしか行く道はないんだなっていうことが
もう今はっきりと分かったりしております。
自分でやり始めるときは、
このところずっとそういうお仕事の話を
わりと考えたんですけど、
結局仕事もそうだけど、
ダンスもそうだし、
きっと全部のことがそうなんだろうなって。
学校に私たちが通う理由は、
赤ちゃんのとき、幼児のとき、
型がないから、
とりあえず学校に行って、
自分でやり始めるときに、
自分でやり始めるときに、
自分でやり始めるときに、
幼児のとき、型がないから、
とりあえず学校に行って、
これはこういうもの。
お友達とはこういうふうに関わる。
先生の前ではおとなしくする。
国語の勉強はこう。
算数はこう。
みたいなことを習っていくんですけど、
それが最終形態ではなくて、
型を一応覚えました。
さあ次何します?みたいなところでは、
09:01
自分で探していってねっていうことだったのかな
というふうに今思っています。
でもその辺のどういうふうに生きていくっていうのも、
親とかその親とか、
じいちゃんばあちゃんとかね、
お父さんお母さんとか、
それから上の兄弟たちがやってることを
そのまま真似しちゃうので、
考えもせず真似しちゃうので、
それも仕組まれた道になっているので、
自分で考えてやってるつもりだけど、
要はその与えられた、
敷かれたレールの上しか走れないんですよね。
だって他の道を知らないから
そこしか走れないじゃないですか。
もう当然走るっていうか、
走ってなくてじっとしてても
時間の方が動いていくので、
何もしてなくても歳は取っていくわけです。
気がついたら何十歳とかになっていて、
あれって、私の人生ってこうだったっけって。
もうちょっとなんか他のやり方があることない。
隣の誰々さんはあんなことしてる。
この誰々さんはあんなことしてる。
この誰々さんはあんなことしてる。
私はどうしたらいいのかなってみんなに聞くと、
さっきの話になる。
この仕事はいいわよ。これやるといいわよ。
このサプリは飲むといいわよ。これいいわよ。
みんなだって言うじゃん。自分の信じてることをさ。
100人に聞いたら100個のことをやらなきゃいけないですよ。
だから、そこで自分が問われる。
じゃあ自分はどうしようかって言っても、
選択肢が今出会っているものしかないわけだから、
その中からどうしていこうって選ぶし、
選んでもみんながやるようなことをやっても
うまくいかないとか当然あるし、
その時に初めて自分と向き合って、
私ってどうしてこれやりたかったんだったっけって。
こんな理想があったからやりたかったんだよねって。
でもやり方わかんないどうしようっていうところが
ようやくスタートで、
こうしてみたらこうなるんじゃないかなって仮説を立てて、
自分でやってみるっていうことをある日始めるんですよね。
それまでは人が言うことをやってみた。
あるいは人にやってもらっていたみたいなところから、
誰もいない。
自分一人で自分で考えたことをやってみる。
っていうのを始めた時にようやく答えが返ってくる。
イエスとかノーとか。
それからイエスを見つけるまでそれをやる。
イエスが見つかったっていうことは成功している。
成功するとか成功への道に乗っているっていうことなんですよね。
だから世の中で成功してるみたいな、うまくいってるみたいな人って
早い段階でそれをやった人っていうことですよ。
あの人はいいよね、できるからとか言うんですけど、
いやいや違うよっていう。
生まれた時から何でもできる人っていないんですよ。
みんな生育環境のどこかでうまくいくやり方っていうのに出会っているんですよね。
でもそれはその人独自のうまくいくやり方なので、
その人からやり方を教えてもらったとてできないんですよ。
12:03
本当に再現性ないですよ。
私いろいろやってみたからわかるんですけど、
なぜ再現性がないのかっていうとキャラクターが違うんですよ。
人格、性格、その人となりが違うからですよ。
その信頼しているAさんに言われたらそうだよねって思うけど、
バカにしているBさんからは同じこと言われても、
はっ、なんであんたが言うって思いませんか。
AさんとBさんのキャラが違うから。
じゃあBさんは失敗者なのかって言うと、そうじゃなくて、
Bさんは自分の話を聞いてくれる人だと思うんですよ。
Bさんのこと好きって、あなたみたいな謙虚な人私大好きって言う人を見つけて、
その人と一緒にやっていけばいいじゃん。
じゃあBさんのキャラを好きな人をAさんが見つけれるかって言ったら、
実は見つけられないんですよね。
だってBさんのキャラを愛する人たちって、
Aさんのようなキャラは嫌いですよ。
推しが強くて。
Bさんのキャラを好きな人をAさんが見つけられるかって言ったら、
実は見つけられないんですよね。
Bさんのキャラは嫌いですよ。
推しが強くて。
でしょ?
ってことは、Bさんが成功しようと思ったら、
Bさん独自のやり方で人と出会っていくとかしかないわけでしょ?
お仕事って大体は人と出会うってことですからね。
でしょ?
で、これが仕事のことかなって言ったら、
いやいやいやダンスでもそうだよねっていうような話で、
何でもやろうと思ったことってみんなそういう仕組みだよねって思いましたっていう話です。
で、私はですね、
今までボーッとして生きてきたというか、
自分はこうだと思うよと思って生きてきただけなんですけど、
ワクビズとかをやるにあたっては、他の人もそうでなきゃいけないと思うので、
必ず再現性のある話をしたいんですよ。絶対に。
そのAさんBさんの話で言うと、
私はこうやったからできたわよ、あなたもこれをやってみなさいっていう方法は再現できないって思うから、
もうちょっと一般化して誰でもができるようにっていう風に絶対したいので、
これをずっと考えてたんですね、こういうことを。
どういう風に説明したらいいかなとか。
そうすると自分がどんどん気づいてきて、
あ、そうかそうかって、こうなってるんだって思ったら、
もう私には他にすることないなと思って、
もう今や仕事であれ何であれ、ワクビズであれ、ワクビズじゃないところであれ、
必ずこうやったらうまくいくかもっていうアイデアが浮かんだら、
すかさずその相手に言うようにしております。
さっきも関係ない話で関係ない人とLINE電話で喋ってたんですけど、
聞いてるうちに、この人こういうことしたらいいわって、
あの人はこうしてるし、あの人はこうしてるし、この方法がいいわと思って、
15:01
お伝えしたら大変喜んでいただいて、
そういうやり方があるのねとか言って、
よかったよかったよかった。
もうね、誰ってことないです。
周りにいる人が全員が仕事とか生活で成功して充実してうまくいってほしい。
成功した人としか付き合いたくないので、付き合いたくない人っていうのは、
頑張ってるけどうまくいかないんですとか、どうせ私はダメだからとか、
あの人は力があるからできるけど私にはできないのとかいう人たちと一生縁を切りたいので、
そういう人と出会ってしまったらそういう人には元気になってもらわないといけないし、
なるべく縁がないようにするためには自分自身も先ほど言ったAさんみたいなキャラになるってことですかね。
成功している人とか成功しそうな人しか寄ってこないような体質になりたいなって。
そうしたら物事がとっても楽だし、何もかもうまくいくし、
自分がへこんでたら頑張りなさいとか言ってもらえる。
いいんじゃないそれでとかって、何々なこと言わなくて、私頑張りたい人なんで、
なんかこう厳しい言葉とか投げてもらえるみたいな、私を引き上げてもらいたい派なので、
私を引き上げてくれる人たちとどうやったら出会っていけるんだろうっていうのが、
私のミッションというか課題というかチャレンジしたいことですね。
話ダンスに戻りますけども、先週しばらくやってみたいなでもなと思っていたハウスダンスの体験に行きましたっていう話をしたんですね。
そうしたら別のもっと近くでやっているもっと簡単な初心者向けのハウスダンスのレッスンがあるよっていう情報にいただいて、
喜びさんでそれにも行ってきたっていう話ですね。
こんな感じなんですよね。だいたい自分に動いていれば、だいたい自分に合いそうなものがだんだんチューニングされてくるっていうか、
無理なものは無理なんで、レベル高すぎるとかはやっぱり無理だし、やる必要もないので、
だいたい自分に合うものが自然と用意されてくるけど、絶対私が勇気を振り絞って一回その最初に行った体験に勇気振り絞って行ったっていう、
そのことが次からの変化を引き寄せていると思うんですね。
行動した人しか、行動でしか、現実に楔は打ち込めない。
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現実に楔がちっちゃくてもいいからカチンって入ったら、そこから割れ目が広がって、壁の向こうにある新しい世界が見えてくるって思ってて、
私たちは常に壁に取り囲まれて、狭い壁に閉じ込められて生きているんです。
どんな人でもそうです。成功している人でもそうだし。
だから何かやって成功した体験のある人っていうのは次々と新しいことにチャレンジしたりとか、研究しに行ったりとかするはずなんですけど、
もうその壁に閉じ込められないように早いうちから楔を打って穴だけ開けとこうっていう、そういう感覚じゃないかと思うんですよね。
もう本当に10年前にやっていたことと同じことをずっと同じように続けていたり、10年前に付き合っていた人たちとだけ今も付き合い続けて、
新規産業を許してないっていう友達関係とかに、そういうのも壁がどんどん固くなって、もうカチンコチンのコンクリートみたいになっているので、
ある時点で自力では壊せないっていう硬さまで行くと思うんですよ。
そのまま死ぬまでそういうふうで行くことになると思って、居心地がいいのであればそれでいいと思います。
けど可能性を制限するっていう意味では、ちょっともう犯罪に近いようなことだと私は思っております。
可能性って年とともに広がっていくって思ってるんですよね。
年とともにっていうのも赤ちゃんの時もいっぱいあったからそうじゃないかもしれないけど、常に昨日より今日、今日より明日とできることが増えていくっていうのが人だと思っていて、
意識不明の昏睡状態になっちゃったとか、そうなったら自分の意志では動けないので、それはまあダメでしょうけど、体が動くとか言葉が喋れるとかっていう考え事ができるっていう限りは必ず昨日より今日、今日より明日の方がより良い優れた考えをすることができると思っているので、
それを自ら放棄するなんてどういうことって、本当にどういうことって、何のために生まれてきたのって、死なないために生きてるのっていう感じですよ。
じゃあその死なないために生きているってその時間って何?って感じですね。
朝から晩まで田んぼを耕したりとかしないと、本当に食料が生産できなくて生きていけなかった時代が長いわけじゃないですか。
そんな自分の可能性とか言っている場合じゃないっていう、そういう社会がずっとあったんですよ。
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こんな自分で新しいことチャレンジできてなんていうのは、本当に戦後ですよね。
第二次世界大平洋戦争の後にようやく女にも人権があるよみたいにようやくなって、それともみんな意味がよくわかんないじゃないですか。
私は終戦後15年とあった、昭和35年に生まれたんだけど、その頃からようやく、あれ男でも女でも好きなことやっていいのかもみたいな考えがちょっとずつ芽生え始めたけど、
それでもそんなことはないって言って、大きな会社に入らなきゃダメとか公務員にならなきゃダメとか言ってたのが私たちの世代です。
でもその後何十年かしてインターネットができてからはもう決定的に人は自分の使える安い技術を使ってできることをやっていいと、誰かにお伺いを立てずにやれることをやっていいと。
男女という性別とか年齢とかを、あと国籍とかを問わず、人種とかも問わず、インターネットっていうのはそういうことを開いた場所なんですね。
当初のインターネットは使うのが本当に難しくて、一部の限られた人しか使えなかったけど、どんどんこの20年の間にどんどん一般化されて、今ではインターネットっていう言葉を知らない人でさえLINEが使える、インスタが使えるでしょ。
何でもできるんですよ、LINEとインスタがあったら。今、波入るプロもみんなLINEとインスタで商売してるじゃないですか。っていうぐらいのすごい最先端のツールを私たち無料で使えるようになってるんですね。何の資格もなく。
っていうような時代に生きてて、でも心は江戸時代ぐらいの感じでいるわけ。田んぼを耕さなきゃいけない、村から出ちゃダメだと、新しい仕事がしてみたい、とんでもないみたいな。
お前そんなことやってると村八分になるぞ。江戸時代はそういう勝手なことを許すと本当に尊楽の共同体が維持できないと困るから、お米は食べ物でもあり、お金でもあっても全ての財産ですから、
それはそうだろうと。私だって江戸時代に生きてたらみんなにそう言うんだけど、好きなことやっていくように言いませんよ、絶対。自分もそもそもこういうことが言える環境にないわけじゃないですか。でも今は令和なんですよ。江戸時代じゃないんです、少なくとも。
なのに、頭の中だけ江戸時代ってどういうことっていう、それを私は言いたいっていうことでございますよ。
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ダンスの話でしたよね。ダンス一つでこんだけ話が膨らむってすごいと思うんですけど、とにかくできないと思っていることをやってみる以外にチャレンジってないでしょ。できることをやっても何もチャレンジじゃないじゃないですか。
だからいかに昨日と違う、今日と違う明日っていうのをもうちょっとずつでもいいからチャレンジしていくかっていうことで、10年単位で見たら絶対人生が変わってる。私たち60代、60代でそういう新しいことにチャレンジしてなかったら70になった時どうなっているかっていうことですよね。
昨日のイベントに浜松から来ているソウルフルなんとかっていう、ごめん名前忘れちゃった、ダンスチームがいるんですけど、中心になっている人の年齢が77ですね。
平均的に一番若いのが50くらいかなみたいな感じでした。キレキレにダンス踊るんですけど、その人たちの先生が昨日来てて、先生も自分が出るために子供、息子さんと2人で踊ったんですけど、先生もキレキレ。
あれなんていうダンスになるのかな。ポッピンじゃなくって、そういう、名前が出てこない。そういうとにかくダンスなんですけど、先生曰くこのソウルフルブラザーズじゃなくてシスターズじゃなくてのチームの人はこんなコンテストあるけどどうですかって言うとやりますって言うんですって必ず。
また違う奴来たらやりますって言うんですって。その結果各地のコンテストに出て賞を取ったりして、この間はシンガポールまで行ったそうです、どういうあれか知らないけど。行きますって言うんですって。
それでもう先生も本当にお年もね、お年なのになんだこのやる気っていうことで、自分も励まされるって言ってました。励まされるし見習わなくちゃいけないなって学ぶところが大きいですって。
先生は30代かな。息子さんが小学3、4年な感じだったからっていう、まだお若いんですけど、だから結局年齢ではなくて、なんかあったらやりますって言った人が一歩先に進むわけだから、というふうに思いました。
だから私もなんかハウスダンスやってみたい、どうですかって言うとやりますって言って、どんどん昨日の自分と違う自分ということにチャレンジしていきたいなと思っております。はい本日は以上です。
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