音楽活動歴40年の音楽プロデューサー伊秩弘将が過去、現在、未来を俯瞰しながら音楽の魅力と本日をプロの視点でゆっくり共有するラウンジトーク番組。
第7回は SPEEDデビュー30周年①
出演:伊秩弘将
佐久間誠
制作・著作:アワーソングス第2制作部 2nd Lab.
https://oursongs2ndlab.com
https://x.com/OS_2ndlab
感想
まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!
サマリー
音楽プロデューサーの伊秩弘将が、SPEEDのデビュー30周年を記念して、彼らとの出会いからデビュー曲「Body & Soul」、そしてセカンドシングル「STEADY」の制作秘話までを語る。伊秩は、森高千里のアルバム制作中に突如舞い込んだ小中学生ダンスユニットのオファーに衝撃を受け、彼女たちの持つパワーを最大限に引き出すべく、当時のトレンドであったユーロビートではなく、休符を活かしたスタイリッシュなサウンドを追求した。メンバーの歌声やパフォーマンスビデオから受けたインスピレーションを元に、「Body & Soul」のコンセプトを固め、TLCのようなサウンドではなく、子供たちの夢に向かうまっすぐな気持ちを表現する楽曲を目指した。デビュー曲の制作過程では、タイアップの喪失やキーの変更など紆余曲折を経ながらも、ドラマ主題歌となった「STEADY」でオリコン初登場18位を記録し、その後ミリオンヒットへと繋がる礎を築いた。また、「STEADY」のタイトル決定の経緯や、ミックス制作での海外での苦労話など、デビュー当時のエピソードが詳細に語られている。
SPEEDデビュー30周年と伊秩弘将の音楽活動
伊秩弘将のMusic Share Lounge
皆さん、こんばんは。音楽プロデューサーの伊秩弘将です。
伊秩弘将のMusic Share Lounge、この番組はですね、来年で音楽活動歴がなんと40年になるという、
私、伊秩弘将が過去、現在、そして未来を俯瞰しながら、音楽の魅力と本質を共有しながら皆さんとお話したいと思っておりますが、
このラウンジトーク番組、今日は佐久間君と一緒にお届けしたいと思っているんですけども、
3週連続、スピードについて語りたいと思っております。
やはり皆さんの僕に対する印象の中では、やっぱり80年代は渡辺美里さんと森高千里さんというのは一番大きいと思うんですけども、
90年代以降はスピードの作詞作曲プロデューサーという感じが多いかなと思うので、
この番組でいよいよその上の、かなり深掘りをしながら、今から30年前、今年30周年になるわけですけどデビューして、
ちょっと触れていきたいなと。それこそ俯瞰しながら話す感じなんだけどね。
当時はど真ん中にいて、本当に、俯瞰しながら話せるのってすごい楽だよね。
やっぱり時も経ったし、でも懐かしいという気持ちよりは、
今年、メンバーのヒロコともよく話してるんですけど、やっぱり懐かしいことじゃなくて、
もう一回あの時の気持ちとか、パッションとかを呼び起こしながら現役としてやってきたよねって話をつい最近しているので、
そういうところに今回3週やった後につなげていきたいなとは思っています。
SPEEDとの出会いと「Body & Soul」の誕生
まず出会いの話なんですけど、僕はね、96年、1996年今からだから30年前、
1月から3月まで森高千里さんの太陽ってアルバムを作ってたのね。
6曲7曲僕の曲作って没頭して、毎日毎日8ビートと僕の個性的なコード進行。
千里はああいうコード進行だったから、分かりやすいというよりも分かりにくくて、
それでああいう彼女の歌詞が入ってという世界でずっとやってて、
とにかく僕の中で8ビートでずっと1月から3月まで来てる中で、
小中学生のダンスユニットのオファーが来たの。
当時はだって小学生とかってほんといなかったから、フィンガーファイブいなかったでしょ。
だから僕はもうやること忙しいからさ、へーっていう感じで、
それで7月の頭に打ち合わせをするということになり、
その直前に本当に直前2日3日くらい前に森高のアルバムの制作が終わったのね。
もうちょっとだからもう1日2日休みたいんだけど、
小中学生のダンスユニットの話があると。
僕は夜も引っ張れっていう番組に彼女たちはもうその打ち合わせの半年くらい前から出てたの。
僕は1回も見たことなかったの。忙しかったしね。
だから何の予備知識もなく、力むこともなく、
むしろ当時小室さんが流行ってたユーロビート、もう前世だったからね。
ああいうものを書いて、あんまり書いたことなかったんだけど、
なのかなという感じ。
できればさっと終わらせたいくらいの気持ちで打ち合わせに臨んだの。
そしたら夜も引っ張れで彼女たちが歌ってるパフォーマンスの声と、
あと沖縄アクターズスクールっていうところで、
アムロナミネさんと一緒にやってきたレッスンのビデオ。
もうそれを見せられた時に、もうね、すっごい衝撃を受けた。
これはものすごい出会いだなと。
8ビートの僕がね、めちゃめちゃ16ビートで、
とにかく夢に向かって、チャンスに向かってまっすぐに、
もうそういうのをビシバシフィルターを通してるんだけどね、ビデオって。
ものすごい僕にアプローチしてるような気がして。
分かったよって、ほんとその時思ったんだよね。
分かった分かった任せてって。
何の根拠もないんだよ。
分かった、このパワーを任せてくださいと。
僕はほらよく分かってるけど、こういう性格じゃない。
来た来た来たと思った時にさ、絶対に100%自信がありますって言っちゃうんだよね。
その時だから事務所で、トーズファクトリーの方と、もちろんライジングの方とね、
全部もう早々とのメンバーでね。
だいたいそこ行った時にこんなにすごいプロジェクトなんだと思ったんだもん。
そこで任せてくださいっていう風に言い切りまして。
その時に人絵がTLCというヒップホップのグループに憧れてると。
一応、話の方向性の一つの参考として、そういうメンバーがちょっとかっこいいことを言ってるよというような気持ちももらってたんだけども。
TLCを僕聞いてみたら、今は全然いいと思うんだけど、
ああいうところに戦いの中にスコーンと入っていく中では地味に聞こえちゃったんだよね。
すごい地味に聞こえて、いやいやそうじゃないよな、あの時僕が受けた衝撃はTLCじゃないよなと思う。
しかもユーロビートを僕は大否定したね。
大否定。
ユーロビートだと四つ打ちの、ずっと四つ打ちっていうのはぐるぐる回ってるじゃん。
ああいうところに彼女たちのスピリットとかやる気とかいろんな僕は衝撃を受けたものが埋没されちゃうような気がした。
あの中に。
だから休符に存在感を出したいと。
いわゆるカッチキャーン、カッティングギターとか。
そうすると踊りも多分僕は踊り素人なんだけど、
ステルとムーブ、動いてるところと止まってるところがすごいスタイリッシュに出ると思ったのね。
そうなると子供たちの夢に向かう気持ちとかっていうのがスコーンと来る気がした。
なぜかって言うと当時コギャルとルーズソックスの大前世だったわけよ。
みんなダラーっとしてて。
どっちかって言うとそういうことと真逆のカッタリな学校も人生もカッタリなっていう16歳17歳が満員してたよね。
渋谷とか。
そこに彼女たちのニューパワー、ニューエイジ感を出すにはやっぱりそうじゃないなって。
小室さんのアムロ奈美恵に対するプロデュースで僕が一番すごいと思ってるのは音程をジャストじゃなくてちょっとフラットで撮ってるとか。
あれがちゃんと奈美恵ちゃんがフラットじゃなくてジャストで撮ってたらああいうスイートナインティングブルースとか
ああいう感じが彼女たちの街の子供たちのところでフィットしなかったかもしれない。
というかまあ奈美恵ちゃんがフリちょっとしたっていうところもあるんだけどね。
本当は奈美恵ちゃんっていうのはねもうレッスンもレッスンでもう実習トレから何時からめちゃめちゃ頑張ってる子なのに
そういうファッションとか風俗とかムーブメントっていうのは彼女のそういうところだけをコピーして満員してあったんだけど
本当は彼女は誰よりも努力家ですごいんだけどそれとか真似しないであんまり。
だからそういうところをスピードでスコーンと出したいと思った。
だからボディアンドソウルという言葉もクラブとかディスコの照明とかで踊るんじゃなくて
太陽とかの自然光で自分たちの本当にTシャツと短パンの世界で沖縄の海砂浜で本当に自分たちがパワーを出すという一つのコンセプトでもあるわけね。
だからそういうものがめちゃめちゃくっきりと浮かんでこれどうですかって言い切るぐらいのものを感じた。
それは僕が作ったっていうよりも彼女たちが僕に書かせてくれた。
このぐらい最初は普通に1時に行くんだって感じで行った打ち合わせがね。
わずかその3曲ぐらい見せられたものでそういう気持ちにさせられたっていうのすごくない?
「Body & Soul」のコンセプトと制作の苦労
すごいですね。でもそれで感じ取る方もやっぱすごいと思いますけどね。
感じ取っちゃったんだよね。だからもしかしたら普通に僕じゃなかったらユーロビートで行ってると思うよね。
引っ張りちゃっていろんな曲歌ってさ。逆に言うとものすごくポピュラリティがあったじゃない。華やかで女の子っぽくてスカートとかも履いてて。
だけどそうじゃない部分かっこいいなっていうものを同世代に対して出したいのと
プラス絶対に女の子って早いから2,3年経ったらあんなダサい曲歌いたくないよっていう風になると思うわけ。
子どもっぽい曲とかだとね。それもすごい嫌だったしね。
だから3年経っても4年経っても歌える。しかも10年経っても30年経っても歌えるじゃない。
そういうものを作りたかったっていうのがボディアンソウルだったね。
その時はまだスピードっていう名前はなかった?
スピードって名前はその年、僕は4月に出会ってんだけど、その年の1月に番組で公募してスピードって名前が決まった。
11月くらいからレギュラーで4人が引っ張りに出始めてたのね。
僕が最初に見せてくれたビデオはその11月の一発目の。
だから一発目でやられちゃったんだよ。初めての初出演のテレビ。
だから本人たちも東京に来て夢を掴んだ瞬間だよね。
あのグローブの曲歌ってたんだよね。
それが95年のテレビですね。
そうそう95年の11月にJoy to the loveって歌ってたんだよ。
多分エリーとヒロの声がスコーンと来たんだよ。
それでタカも一人も歌えるしね。
あの時も均等に歌ってたんだよね。
とにかく高音の張りと突き抜け感がすげーな。
あとは本当にもうみんな顔がめちゃくちゃ良くてね。
それぞれ本当に真っ直ぐすごい出てた。
そこを出さないと本当に責任感じちゃう。
だから曲を作ったっていうよりも
イントロデュースをちゃんとしたかったっていうこと。
すげーだろってみんな。
いわゆるプロデュースですよね。
だからプロデュースの始まりだよね。
僕はプロデュースだとあんま思ってなかったんだけど
責任を持たされたと思う。
それに対してちゃんと一個一個の段階を経て
皆さんがちゃんと確認して賛同してくれたから
それがデビューに至ったんだけど
最初はユーロじゃなくて大丈夫ですかっていう方が普通にあった。
だからボディ&ソウルのシングルの3曲目に
一応ハンドバックミックスっていうユーロも
一応入れてるんだけど
僕は入れてないんだけど入れさせられたのよ。
保険としてですね。
もし本当にこのカッティングで僕のアイディアが外れたら
こっちにすり替えようと思ってたんじゃない?
そのぐらいの冒険。
これで大丈夫ですよねっていう感じがすごくあったんだけど
やっぱり周りからしたら若干大人っぽすぎるようなイメージがあったんですかね。
周りというかそういう人たちもいたっていうことかな。
それは別に悪いことじゃないんだよね。
ちゃんと考えてるからね。
なんだけどやっぱり片方では絶対こっちの新しいですよっていう声がちゃんとあり
というところでの戦いがありつつ
7月の22日デビューだったんだけどね。
キーを1音半上げたんだよ。
だから今思うとキーを1音半低かったらやっぱり
それはそれで同じテンポなんだけど
もっと遅く感じたかもしれない。
そういう作業をやってるうちにデビューがちょっと遅くなっちゃった。
本当は夏休みの最初から
全国から渋谷に来た子供たちが
渋谷に来た人たちは全員スピードを知るぐらいのプロモーションを
夏休みにかけるという風に言われて
ビルボードから何から。
なんだけど8月5日になっちゃったんだよね。
申し訳なかったんだけど。
だけどそれまでに
まず最初の出会いはね
それで4月に打ち合わせして
触発されてそういうボディアズソウルみたいな曲を
1週間以内に書き
あとアイリメンバーって曲も同時にレゲエっぽい感じ
沖縄だからちょっとこうマイナーで切ない
2曲を書いて沖縄に送っといた
それでそれを僕のピアノ1本よ
デビュー曲「Body & Soul」とセカンドシングル「STEADY」の制作
かわいそうだよね
皆さん知らないと思うけど
僕は全曲ピアノ1本で書いてるんで
それをダンスで一生懸命鍛えられた彼女たちが送られてきたら
なんじゃこれ
ピアノで僕は歌ってるだけのデモという
だけどしょうがないからメロを覚えて
その間に裏ではアレンジのことをずっとやりながら
そういうものもギリギリ間に合って送って
4月の29日に初めて僕と彼女たちは出会うんだけど
普通に会った時は椅子で座ってるんだけど
足ブラブラさせてる感じが
みんな子供だから
はいじゃんけんしてって言って
順番に歌おうねって言って
一重が多分最初歌ったのかな
一重が歌って
そういう順番で歌い始めて
っていう感じから始まったんだけど
だから意外とその高音がすごいと思ってた割には
ヒロコとエリンの低音部
アイリーメンバーなんかのAメロなんか聞いた時に
大人っぽいやったと思ったね
いわゆる子供っぽくないから
これはすごく合うな
こういう曲も
っていうのも発見したし
でそれから5月6月ぐらいまでずっと
レコーディングボディアンドソウルは続くんだけども
すごい期待されてるグループだから
タイアップの話がいっぱい来てて
それに対してラブバイブレーションっていう曲と
GO GO HEAVENをもう書いたの
早いですね
デビューするまでにその2曲は
完璧にレコーディングが始まってて
その2曲ともタイアップ落ちちゃったの
そうですか
GO GO HEAVENは
DDRポケットって昔の
昔の通信会社の
携帯の前の
ポケベル?
ピッチ
その時にGO GOって言葉使ってくれとか言われた
それでGO GO HEAVENになったの
これ誰にも言ってない話
それでダメだった
せっかくGO GOつけたの
セカンドはGO GO HEAVENだったんだけどね
そういう間にデビューする直前に
テレ朝のドラマの主題歌が決まって
ラブストーリーだから
デビューする前だからね
だからもういろいろちょっと悩んじゃって
ただメロは良くなきゃいけないなと思って
ステディーなんだけど
良いメロを作ってサビでちょっと
印象的な転調をするような感じで
ABメロとサビと全然別の曲も
あったわけ僕の中で
それをくっつけてみたらピタッとハマった
ハマったと思ってさ
それで全然ダンスミュージックじゃないのね
どっちかというとポップスなんだけど
それをあえて
ヒップホップにしてくれっていう風に
水嶋くんが言って
ヒップホップの曲を書いてるわけじゃないんだよね
だからそういうドラマ主題歌で
良い曲をちゃんと出さなきゃいけない
デビューしてどうなるか分かんないのに
デビューする前に作り始めて
8月5日のデビューを迎えた
結構準備万端でデビューって感じ
だからベスト30に
オリコンの30位には入りたいよなと思ってた
30位に入らなかったらやばいんじゃないのって思って
18位に入った
もう18位かと
よく覚えてるけどね
18位、12位、8位、5位、4位まで行った
3位まで行けなかったけど
もうステディが出始めたから
だんだん上がってくる感じ
テレビも全部出させてもらってね
だから一応最初のデビューは
うまく羽ばたけたかなと思ってて
そのステディっていう曲の2枚目めっちゃ大事じゃない
「STEADY」のヒットとミリオンセラーへの道
やっぱりそこで矢印になるからね
落ちるか上がるかね
当時の方がね
ミリオン行った
ミリオンって100万枚だからね
ミリオン行ったらみんなでニューヨーク行こうね
っていう発言が出たのね
だからもうミリオンを視野に入れられてたから
当時は基本すごい時代ではあったけども
それはそれでもまたすごい責任を感じたから
ステディのレコーディングに入ったんだけど
最初大サビがなくて
大サビのメロを
レコーディングスタジオ
銀座の横の新富町にあった
今もあるのかな
あそこ駐車場がちょっと遠いっていう
3分くらい歩くところになるね
その駐車場止めて
スタジオに行くまでの間に
大サビのメロディーが浮かんだの
ラブレボリューションっていうのが浮かんで
ただ絶対地声で行きたいなと
トップがFファの音だから
ヒロコ出るかなと思いながら
ちょっと浮かんじゃったんだけど
試してみるっつって
試したらスコーンってなって
これがさ期待に応えるわけよ
であの大サビができた
このまま行っちゃおうねっていうことで
で大サビができて
ステディっていう曲が
やっぱりそのドラマのサイドも
プロダクション側も非常に聞いてもらえて
プロダクションの確認を取りに
初めて僕は沖縄に行くのね
8月の終わりに
デビューして間もないよねまだ
初めて彼女たちのふるさとの沖縄に飛んで
きれいな海とね
そこでナミエちゃんのライブがあったから
夜はナミエちゃんのライブ見て帰ろうつって
泊まってね
でちょっと食事をして
食事するために
部屋から降りてくるときに
シースルーエレベーターって
ガラス張りのエレベーター
そっから浜辺が見えるわ
浜辺にね
あんときちょうどだから夕方くらいだから
たまたま男女の
一組のカップルしかいなかったの
振って歩いて
それ見てステディーってタイトルが浮かんだ
それまではフィールマイソウルだったね
フィールマイソウルっていう
でもなんかフィールマイソウルだとなんかちょっと
ボディアンソウルの第二弾なんだけど
ちょっと弱いなと思ってて
ステディーいいじゃんって
すごい思って
あの飯食には皆さんステディーに決まりましたから
あの男女がいなかったらステディーになってなかった
ありがとう
あの男女ちょっと会いたいよ
探せないでしょ
探せないよ
みんな私たちと
多分今50歳くらいだったんですけどね
「STEADY」のミックス制作と海外での苦労
だからあんときはそういうステディー
っていうタイトルが浮かんで
ここでみんなでナミヤちゃんライブ見て
ここで9月になりました
ステディーの話はまだ続くんだよ
それで終わんないんだよ
これが大展開になるんだけど
悪い意味でね
悪い意味で
悪い意味でね
ミックスをね
ボディアンソウルの時もTLCが好きだっていうことで
マスタリングはTLCのマスタリングエンジニア
ハーパージュニアニューヨークに飛んで
そこでやってもらったのね
マスタリングだけのためにね
非常に贅沢なんだけど
今度はステディーはミックスはアトランタで
やろうということで
まずニューヨークにまた飛んで
その時はメンバーいなくてね
まだビリオンとかいう話じゃないから
出る前だからね
ただちょっとナミヤちゃんも来ててね
18歳の終わりくらいで
来週19歳になるんですって話聞いて
ただちょっと
飯食おうってことになったんで
ニューヨークで僕バッグ
ハンドバッグちょっと小さいやつかな
小ぶりのやつを買ってプレゼントで
みんなで何食べたいって聞いたら
彼女はチーズフォンデュ食べたいって言うから
アムロナミヤってそういう時は小ギャルの神様だったから
すごいのリムジンなのよ
マックスのナナちゃんもいてね
ナミヤちゃんとナナちゃんと一緒にリムジン乗って
チーズフォンデュの店に行って
めちゃめちゃ楽しくやって
じゃあ明日からアトランタ行ってきます
っていう感じで別れたのよ
アトランタでいいのできました
これは僕のまだプロデューサーのまだ
1年目っていうかまだ3ヶ月目の甘いとこなんだけど
帰ってきて聞いてみたら
一生懸命書いた歌詞と本人たちの歌が
立ってないんだよね
その時はすげえかっこいい
このミックスかっこいいと思うじゃない
本物だよねって舌が効いててさ
ヒップホップで
俺が最初に大事にしてた
ヒップホップはいいけどいいメロディっていうところが
埋没ちょっとしてたのを
やり直しましょうってことになって
世田谷でやり直したの
アトランタ行く必要なかったんだよ
そんな違うもんなんですか
全然違う
現地で聞いた時は埋もれてなかったんですか
いやだからこれはまだ3ヶ月目の新米プロデューサー
と思っちゃう現地に行って
そのミックスはアトランタミックスって言って
後で後にベストアルバムに入ってんだけど
聴き比べてみたらみんないいと思うよ
そのサブスクで
やっぱりボーカルが弱いっていうか
肝心な一生懸命僕も歌い入れしてる時は
ものすごいアクセントとかこだわってたのに
ちょっとマスキングされてる
でも大事なのはそのドラマ主題歌で
大事なセカンドシングルだよね
やり直し世田谷
っていうのがステディだからもうほんとね
大変だったね
だから11月に出してスマップが1位だった
1位取れなかったんだけど
やっぱりようやくボディアンソロが4位くらいまで来た時に
ステディが2位だったから
そりゃもう嬉しかったし
年当ててミリオンに行って
じゃあみんなでニューヨーク行こうねってことになるのね
ここまででもだいぶ最初の感じって
一番立ち上げる時だから
エピソードもいっぱいあるし
ロケットの立ち上げる時っていうのはものすごいものがある
立ち上がってからも大変なんだけどね
立ち上がってからの方が大変なこともあった
これ次週やろうかなと思ってますけど
27:22
スクロール