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2022-02-02 23:35

第9回「読書メモ『だれも死なない日』」

ジョゼ・サラマーゴ『だれも死なない日』について、感じたことを取り急ぎしゃべります。初っ端から著者名を言い間違えていますがご了承ください。
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こんにちは、今日もお疲れ様です。
このポッドキャストは、自分の意見というものを言うのがすごく苦手な私が、言いたいことを言う練習帳と題しまして、日々考えていることとか、こういうことを勉強しているんだけど、ここがわからないみたいなところをこねくります。
ポッドキャストです。
さっき、ちょうど一冊本を読み終えたので、忘れないうちにその感想というか、思ったことみたいなのをメモがてらしゃべっておこうかなと思ってマイクをつけました。
読んだのが、ジョゼ・サマラーゴが書いた、「だれも死なない日」という本です。
私、この作者さんを不勉強ながら知らなかったんだけど、98年にノーベル文学賞を取っているポルトガルの作家さんで、
えっとね、この本、「だれも死なない日」という本は、どこに書いてあったかな、あと書きにちょっと解説があったんだけど、このジョゼ・サマラーゴが83歳の時に書いた小説らしい。
というのも、この人が結構波乱万丈というか、紆余曲折ある人生を送っていて、作家として名を成したのが60歳、70歳で全盛期を迎えるという遅咲きの作家というふうに書いてあるんだよね。
死の前年、前の年まで2年に一作のペースで新作を発表するなど、87歳で英明するまで着実に仕事を続けたということで、
83歳っていうのを後書きで読んでめちゃくちゃびっくりしたぐらい、なんていうんだろうな、存在感はあるんだけど軽妙な語り口が随所にちばめられてて、面白かったんだよね。
ネタバレにならない程度にあらすじをちょっと話しておくと、もうタイトルの通りかな。
ある時、とある国の国民が全く死ななくなるっていうところから話が始まります。
事故とか殺人、病気、なんでもそうなんだけど、これは確実に近いうちに息を引き取るだろうと思われていた病人も、
死の淵に足をかけたその状態から全く病状が進行も改善もしなくなって、死のギリギリの状態のまま歩みを止めるというか、になってしまう。
死なないんだけど、良くなるわけでもないから、ずっと、言い方悪いけど死にかけの状態で、時が止まったように生き続ける。
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どんなにこれは命はないだろうというような事故にあっても、死ななくなるという不思議な状況に置かれた国の話から物語が展開していきます。
前半は、その国の政治家とか、保険会社とか、いろんな業者、警察とか、軍部とか、
そういう人たちが、国民が死ななくなったという状況において、どういう影響を受けるのかというのがちょっと風刺っぽく描かれていて、これは皮肉なんだなと思いながら私は読んでいたんだけど、
後半に行くと、だいぶ物語のトーンが変わって、私の印象としては、そういう下々の者たちが、死ななくなってしまったという状況に右往左往して大混乱しているところから一歩引いた目線で物語が展開していく。
どこまで喋っていいのかっていうのはね、ちょっと人によってネタバレの定義が違うので、あれなんだけど、私は後半入ってからぐっと面白くなったと感じて、前半ね結構読むのきつくて、これ私読み終えれるのかなと思って、ちょっとこれ難しすぎて無理かもしれんって思ったんだけど、
後半に連れてどんどん読むスピードが上がって、最後は一気に読み切ったっていう感じでしたね。
死ななくなるっていうのは、それだけ聞くといい状況というか幸せじゃないっていうふうに思えるんだけど、これがねそうはならないっていうのが非常に人間的な心の動きというか、見にくいところみたいなのも垣間見える感じがしてすっごく面白かった。
そもそも死ななくなったからといって不治の病が治るわけではないわけ。
怪我をしなくなるわけでもない。事故にあったときに身体を損傷しないわけではない。ただ死なないっていうだけ心臓が止まらないっていうだけなんだよね。
だから一番直接的な影響としては、病院が死にかけの人間で溢れ始めるっていう状況が訪れる。
そうなったときに命を救う場所であるはずの病院が、人が死なないせいで困った状況に陥るっていうその逆説的なことになるっていうのが皮肉っぽいというか、風刺っぽく書かれてるんだけど、現実を言い当てているというか。
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そういうのがすごく面白くて。
あと葬儀会社、お葬式を主催する、取り開く会社も亡くなる人がいなくなるわけだから仕事が全くなくなっちゃうんだよね。
そうなって政府にどうにかしてくださいって泣きついてくるとかね。
あとは保険会社も人が死ななくなるわけだから死亡保険っていうものの需要が全くなくなってしまって、顧客が保険を解約したいっていう連絡に追われてどうしようもなくなってしまうとか。
その状況を打開するために保険会社はこういう策を漏して何とか顧客をつなぎ止めようとするみたいなところとか。
人が全く死ななくなるっていう舞台装置というか設定自体はありえないことではあるんだけど、そこから巻き起こる人間社会の引きこももみたいなところはものすごくリアリティがあるというか。
高齢社会とか超高齢社会って言われている日本で暮らしている私にとってはあんまり夢物語とも思えない近い将来あり得るかもしれない情景だなと思いながら読んでましたね。
死なない人間が家にずっといるっていう家族も、ただおじいちゃん亡くならないってよかったねとはならないんだよね。そこがまたちょっと悲しいところではあって、それはそうなんだよね。おじいちゃん元気になるわけじゃないんだから。
その辺も物悲しいんだけど、すごく現実的なリアリティラインを攻めているみたいな感じがして面白かった。
その物語を83歳の人間が書いたっていうのが、この人は年齢からして自分の人生の終わりっていうのも視界の中に入っていたはずなんだけど、
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そういう年齢において、死っていうものをこんな風に捉えていたんだなぁみたいなことを考えたかな。後書き読んだときにね。
後書きによると、この著者のジョゼ・サワラ・マーゴは無神論者というか、神などいないっていう立場をとっていたみたいで、語ってる言葉の引用が残ってるんだけど、
神はどこに?信じるのは自由だ。声を大にして言うが、私にはいない。とか、そういう言葉を残しているみたいで、神がいないっていう立場をとっている人間が死について考えた。
その作者の考えが色濃く出ている本、読み物としても面白かった。
神っていう点でいうと、この本の中にはカトリック教会が出てくるんですけど、カトリック教会ってイエス・キリストを信仰していて、
イエス・キリストって十字架に貼り付けにして殺された3日後に復活を遂げている。
死から蘇ったっていうことによって神性というか、神たるゆえんっていうのが確かなものになって、人々の信仰の対象になったっていう背景があるわけじゃないですか。
でも、この物語に出てくる国では、死っていうものを全ての国民が乗り越えちゃったわけなんだよね。
そうなると、死から蘇ったから神は尊いのだっていう教会の主張っていうのも、何の価値もないものになってしまう。
死を超えた存在だから神だっていうんであれば、国民全員が対等というか、神と同じになってしまう。
逆に言うと神は何の特別な性質も持たないものだったっていうことになってしまう。
教会の人間たちは困り果てるわけですよ。神たるゆえんがなくなってしまったって困るって言うんだよね。
国民が死ななくなってしまった、人間が死ななくなってしまったっていう状況に対して困るという見方を示していて、
なるほどーと思って。
実際、私は今キリスト教を信仰しているわけではないので、しかもね、人が死ななくなるっていうのはとりあえず現実には起こらないだろうから、
実際カトリック教会がどういう見方をするだろうみたいなのは推測しようもないんだけど、
この本を読む限りなるほどねっていう納得感があって面白かった。
人が死ななくなったっていうことを喜ぶべきなのか、それともこれは悲しむべき状況なのかっていう見方がいろいろ出てきて、
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それは個人の信仰とか、家族は先日亡くなったのに私は死ななくなった、その後国全体が死を乗り越えてしまったことによって私だけが生きているっていう奥さんが出てきたりとか、
死によって生活が成り立っている職業、葬儀会社とかね、人たちは何を良しとするのかみたいな、そもそも我々は何のためにこの仕事をやっているのかみたいな、
そういうところも改めて読んでいるこっちに想像させるものがあって、うーむと思いながら読んでて。
っていう話をしていると、あまりにも説教臭い本であるかのような感想になってしまってるんだけど、全然そんなことはなくて、
さっきも言ったけど、後半になってからの物語の彩りが、変化の仕方がかなりすごくて、こういう感じで進むんだ、みたいな。
この書き出し、その1ページ目を開いた時の書き出しから、こう展開するとは思わなかったなーっていう執着地に向かっていくのが、すっごい面白かったなぁ。
この最後の一文の解釈っていうのが、私がまだちょっとまとまってないので、自分の意見がまとまらないうちに他人の考察とか読んじゃうと、私マジでそれに引っ張られちゃって、
自分の最初に抱いた感想とか全部忘れちゃうので、まだあんまり考察とか検索できずにいるんだけど、これね、どういうことなんかなぁ、もうちょっと考えたいなぁ。
でね、この人の本、初めて読んだんですけど、ジョゼ・サマラ・サラマーゴの本。
めちゃくちゃ文章がね、難しくて、最初の何ページか読んだ時に、これちょっと無理かもしれんってね、最初に言ったけど思ったんですよ、マジで。
本当に難しくて。何が難しいかっていうと、まず、開業がないっていう。
えっとね、単行本、ハードカバーの単行本では270ページってあるんだけど、開業パラパラめくってても、パッて身につくところに見当たらないぐらい開業がないんだよね。文字がびっしり載ってて。
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本当にちょっとね、途方もない気持ちになるぐらい開業がなかった。
まずその文字が多い、密度が高いっていうのが一つと、あとね、会話文はめちゃくちゃあるのに、会話っていうかその人のセリフね、人のセリフはいっぱい結構盛り込まれているのに、鍵カッコが一個も出てこないんですよ。
全部字の文と一続きに、セリフがバーって書いちゃうの。
それがね、全然慣れなくて、難しかったなぁ。
だから2人の会話が続いているところも、なんていうの、なんとかが言った、鍵カッコ、なんとかかんとか、なんとかが答えた、鍵カッコ、なんとかかんとかとか、そういう書き方をしてないんだよね。
ずっと字の文と一続きで、ちょっとこっちに来てくれ、なんとかかんとか、そういうことなの?いや違うよ、なんとかかんとか、みたいな感じで。
セリフがね、全部続いてて、今誰が喋ってるんだ?みたいな、単純にそれが難しいっていうのもあって。
あと、びっくりマークとかクエスチョンマークっていうのも一個もなくて。
で、一文がめちゃくちゃ長い、ずっと等点、点ね、丸じゃなくて、点でずっと続いてる長い文章がいっぱい、開業なしで、ほぼなしで、ずっと200何ページ続くみたいな感じで。
キッチーだって、なんかその、私が翻訳小説に慣れてないからこんなに難しく感じるのかと思って。
翻訳小説ってこんなんだったっけ?みたいな、やばいと思いながら読み進めて、なんとか読み切ったんですけど。
後書きに、役者の方、翻訳した方が書いてたんですよ、これ。
読み上げると、サラマーゴの作品では必ず読みにくい一風変わった文体が話題になります。
よかった!と思って、これ読んだ時に。よかった、話題になるくらいだったから、私が読むの下手なわけじゃなかったんだと思って、すっごい安心しましたね。
続きが、「一冊でもお読みになった方はご存知のように、文法の規則を逸脱した独自の表現スタイルは一目瞭然。
本書の途中でも、自らの文章を揶揄するユーモラスな下りがあるほどです。
まず、開業による段落と句点がとても少なく、文の多くは、当点だけで連綿と言葉をつないでいきます。
ページを改めるいわゆる章には、数字やタイトルがないため、読み進める途中、前を振り返るのに苦労します。
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さらに、かぎ括弧や丸括弧、ダッシュ、クエスチョンマーク、エクスクラメーションマークといった記号も全く用いないため、会話の区切りが分かりにくく、その文がセリフかどうかは、冒頭の大文字・小文字で判断するしかありません。
欧米の言語では固有名詞を表すのに大文字を用いますが、サラマー語はここでも規則に反して小文字で通します。
例えば、ホメロスといった名前は通例Hで始まるのが普通ですが、サラマー語は小文字のHを使うのです。
さらに、登場人物はほとんどが固有名詞を用いません。
職名、もしくは老人やおばといった年齢・家族関係を表す一般名詞で区別します。
文意自体はそれほど難解ではなく、慣れると案外苦にならないのですが、普通の文体に馴染んだ目にはとても読みづらいものです。
この表現スタイルは、いわば無名を重んじるサラマー語の世界観の鏡でもあり、
1980年の作品《大地より立ちて》で話し言葉を生かす交渉的手法として考え出され、以降の作品はすべてそのようになりました。
はーんって感じで、それそれって感じ。
本当にね、鍵かっこもないし、章のタイトルとかもないんですよ。
だから目字もないんだよね、いわゆる目字もなくて。
すっごい難しかった。
でも、これを読み切ったことで、なんか自分に自信がついたかな。
これが読めたから、ちょっとぐらい難しい小説も取り組めるぞっていう。
この家族関係を表す一般名詞で区別します。
登場人物がほとんど固有名詞を持たないっていうのは、私正直読み終わって、後書き読んでから気づいたんだよね。
そういえば、固有名詞出てきてないんですよ。
女とか、例えばその何とか会社の社長とか秘書、首相、敬語団員。
そういえばそうだわっていう感じ。
その辺も、なんていうのかな、その名前に印象が引っ張られることを防ぐというか、
そこで物語の方向性が左右されないようにするという意図が含まれているのかな。
無心論者であるというサラマーゴの思想とも重なるような気がしますね。
すんげえ難しかったんだけど、すっごい面白かった。
読み切った後に脱力しちゃって、しばらくぐったりしてた。
疲れたと思って、そんぐらい疲れた。
体力使ったけど面白かったですね。
このサラマーゴが一躍脚光を浴びた本っていうのが、
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白い闇っていう95年の小説みたいで、
突然の失明が人々を襲う衝撃的な長編だそうです。
世界的ベストがセラーになったと。
私は不勉強なので、読んだことがないんですけど、
この本、誰も死なない日を途中まで読んで、あまりにも面白かったから、
この間に図書館で白い闇を予約してますね。
これはね、タイトルからもちょっと予想がつくけれども、
すべての人間が突然失明して光を失うっていう舞台設定になっているみたいで、
それもまたこの小説と通じるよね。
突然人間が死ななくなるっていう、
もしこういう状況になったらどうなるっていうテーマを、
ファンタジックな世界というか設定から描いていく。
でも、そのファンタジックな設定ではあるんだけど、
すごく人間的なところが現実味を持って炙り出されるみたいな作風なのかなと。
一冊しか読んでないですけど、推測しているので、
白い闇もね、図書館に届いたら読んでみようかなと思います。
面白かったー。面白かったけど疲れたー。
という感じで、とりあえず今思ったことを喋ってみました。
今日読んだのはジョゼ・サラマーゴ作。
訳した方の名前もね、
アメザワヤスシさんという方が訳したそうです。
君によむ物語とか、宇宙戦争、透明人間とかを訳している方だった。
この辺は知ってるな。うん、なるほど。
というわけで、今日はジョゼ・サラマーゴとアメザワヤスシ、
漁師による誰も死なない日の感想でした。
以上です。
この後もどうぞお元気でお過ごしください。バイバイ。
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