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半分信じて、半分信じない、そんな自分をあっけらかんと信じる
2026-02-19 11:01

半分信じて、半分信じない、そんな自分をあっけらかんと信じる


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こんにちは、看護師と漢方と私、12回目の配信です。
今日は、私の人生にとってなくてはならない、クリティカルシンキングの話です。
クリティカルシンキングって、様々な業界で使われているみたいで、よくご存知の方もいるかもしれないし、
初めて聞くわーって方もいると思うんですけど、今日はあくまで私流の話し方になります。
私、クリティカルシンキングって好きってね、いつもやってるんですけど、
そのコツって何?って言われたら、何事も半分信じて半分信じへん、
そういう自分をあっけらかんと信じるってことだと思ってて、
おそらくこれは、私自身が何かに縛られたりすることを窮屈に感じたりとか、
自由でいたいっていう性質から来てるんかなと思ってます。
あと、いろんな考え方に触れたいっていう、そういう欲みたいなのを持ってる気がしています。
いつからそういう風になったのか、よくわかんないですけど、思い出す一つの出来事があって、
遡ることね、小学校5年か6年の時のこと。
私、クラス員をしてたんです。
クラスで決め事をみんなとしている時に、何を決めようとしたのか覚えてないんですけど、
決めたことを職員室に行って、担任の先生に報告したんですよね。
そしたらその時に先生から言われたのが、どうやって決めたんやって言われた。
だから私は多数決で決めましたって答えたんですよ。
そしたら先生が、多数決が民主主義なんかって言われたんですよ。
その時民主主義は何かわかってたのかは、わからないんですけどね、私自身。
ただ、少数の意見に目を向けれてなかったし、
その人たちの意見もちゃんと耳を傾けなあかんやんなって思ったんですよね。
その時に思ったことが、その後の私の人生に結構影響を及ぼしていると思います。
それからは、クラスの中の少数意見みたいなのを一人一人聞いたりしてたわけですけど、
なるほどなっていうかね、そういう見方もあるんやみたいなことがあって、
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多数派の中でも意見を言う人って限られてるんですよね。
意見を言わない人の中には、もういろいろあって、
意見あるけど言わない人もおるとか、
それが自信がないとか、こんなの言っていいんやろかみたいなのもあるし、
どっちでもいいと思ってる人も中にはおるし、
意見自体見つからへんみたいな、何言ったらいいかわからへんっていうような人とか、
いろんな人がいることがわかって、
表には出てこーへんみたいな人の意見とか心とかにすごい興味を持つようになったんですね。
それから声の大きい人がいつも正しいと限れへんなと思うようになって、
多数派が正しいとも限れへんなと。
正しいと思われてることとか、世間で常識やと思うことって、
ほんまはすごい非常識なことかもしれへんっていうね、
そういう仮説を自分の中で持つようになっていったんですよね。
さらに自分自身が今正しいと思ってることが、
実はちょっとおかしなことかもしれへんとか、
自分のことも疑うようになったんです。
で、聞いててどう思われるかわからないですけど、
これって全然しんどいことじゃ全くなくて、
私にとって楽しくてワクワクするような感じなんです。
というのは、この過程の先には自分のそれまでの世界より狭まるってことはないし、
逆に広がっていくからなんですね。
今、世の中には情報が溢れてるじゃないですか。
課題広告とか、フェイクなこととか、その中にもたくさんあると思うんですよね。
それをたくさんの情報の中で、
自分にとって必要なものか必要でないものかっていうのを、
それぞれ見極めていかないといけないと思うんですけど、
どうやって見極めていくかといったら、
自分の知識とか、これまでの体験とか、
人からの聞いたり見たりしたことも含めて、
自分の感覚とかも含めて、直感とかも含めて統合して、
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次の選択につなげていくと思うんですけど、
全てをシャットアウトしてしまったら、
それ以上の世界というのは見えないし、
全部受け入れてしまったら、それはそれでめちゃ危険ですよね。
なので、こういう時に私は、
そういったものを一旦自分の中に受け取る。
半分信じて、半分信じずに保留にするみたいなことをしています。
つまり、そこでジャッジしないということだと思うんですけど、
情報に対して、そこに反応せずに、
へーみたいな、ふーんみたいな感じで、
ジャッジして行動に移す必要が出てくるときまで、
なるべくニュートラルな状態に入れておくというようなことをしています。
その状態は10年も20年も自分の中に持ち続けているみたいなことがあるんですけど、
例えば、職業的に私はこういう場面によく出会うんです。
治らないと言われている病気。
医学的に治らないと言われている。
なぜなら、そういう統計も裏付けにありますし。
それも理解している。
でも、同時に治るという可能性がゼロとは言い切れないなという余白も残して、
その間に立って、佇んでいるみたいなことを。
というのが、いつもの自分の立ち位置だったりします。
本当にそうすることで、すごい視野が広がったり、
その人、患者さんとか自身って、そもそも希望を持っていますから、
私自身もそこに希望を持てたり、それでも本当に良くなったりということがあります。
クリティカルシンキングというのは、物事をただ鵜呑みにせずに、
自分の考えや他者の意見を客観的に見つめ直す力、否定する力ではなくて、
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それって本当?別の見方はある?と問い直す姿勢と言われています。
自分の認識って不完全なものだと思うんですけど、
自分は間違っているかもしれないと思うことも大事みたいですね。
もっと学べるかもしれないと思えると、
人と対話していくときにも感情的にならずに済んだりもするし、
そういうことで、クリティカルシンキングって、
私にとって良いことだらけやから、おすすめをするんですけど、
おすすめをするんですけどって、普段こういう話はしないですから、
友達同士ですることもないですけど、
クリティカルシンキング、皆さんにとってはいかがでしょうか。
医療とか介護とかの現場って、生きるって何かみたいなことを考えさせられるような仕事をしていて、
正解なんてないなって、その中で問い続けていくこととか、
考え抜くことって、大変な時も多々ありますけど、
でもこれからもね、そんな風にクリティカルシンキングをしながら、
問い続け、考え抜いていきたいなと思っています。
この看護師と看護師と私でも、この姿勢を大切にしていきたいと思っていますので、
またよろしくお願いします。
今日も聞いてくださってありがとうございました。
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