桑原佑輔
IBUKI STATION、桑原です。 近藤です。 IBUKI STATIONです。
近藤淳也
こんにちは。 今日もですね、スペシャルゲストがいらっしゃっています。
いろんな方がいらっしゃってくれますね。 年末にいろんな方が来てくださるんですけど、井原知一さんです。
井原知一
こんにちは。 横須です。横須です。 フィジカルアーティストです。
近藤淳也
そうでしたね。 以前もね、ちょっと藤城さんのインタビュー会で、
実は1回収録させていただいたことがありますけど、今回はなんと、僕たちのオフィスがある安納京都にて、年末の合宿?
井原知一
そうですね。 忘年ランという形で、毎年四季、春、夏、秋、冬と、
トモスピットで忘年ラン含め、合宿やってるんですけども、冬は毎年この時期に、今まで奥多摩でやったんですけども、
さすがに関東B期ということで、関西の方にもやろうということで、それで京都ということで。
じゃあ初めて関西開催だったんですね。 そうですね。
近藤淳也
記念すべき第一回を会場安納京都に選んでいただいて、
井原知一
もうめちゃくちゃ快適でした。
近藤淳也
よかったです。ありがとうございます。
もうね、トモスピットの皆さんが全館貸し切りとかになっているということで、2日間、2泊3日、全部貸し切りは実は初めてです。
井原知一
そうですか。 じゃあまた今度、3日、4日と。よろしくお願いします。
近藤淳也
伸ばしていく方向に。
結局何人ご参加されていましたか?
全部で35名。 35人。
関西の方ですか?
井原知一
期待したんですが、5分の4くらいは関東から来たっていう感じでしたね。
近藤淳也
それはどうだったんでしょう?
井原知一
そうですね。またこっちの方はちょっと来れなかった。仕事の都合だったり、いろいろと来れなかったみたいなんで、
また、ただ京都がよかったっていう声があったんで、早速もう来年も京都来たいなって。
近藤淳也
じゃあ逆に皆さんで年末に京都旅行みたいな感じで楽しまれてるんですかね。
すごいですね。
井原知一
初日は嵐山の方からスタートして、大群がいる所が倉間まで26キロぐらいで、
2日目が倉間から伏見成という形で、全部で一通り京都通りを満喫したという感じでした。
近藤淳也
結構走られてましたよね。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
初日ちょっと待ちしてたんですけど、もう暗くなってるのに全然帰ってこなかった。
そうですよね。
桑原佑輔
皆さん集まられた初日からナイトランスかと思って待ってましたけど。
井原知一
ヘッドヘッデン付けて最後帰ってきました。
そうですよね。
井原知一
僕たちは今日の朝3時半からここで全員の端末を起動して大塚に行って行くという。
そうなんですね。
近藤淳也
今日朝やってました。
井原知一
今回はどこかでレイクビアみたいに交換っていう作業はないんですね。
桑原佑輔
今回はなくてですね、選手全員にモバイルバッテリー皆さん持っていただいているので、それで充電をしてもらっておりますね。
井原知一
あと一応実況ポッドキャストもやってまして。
なるほど。
近藤淳也
もう2個上がってるんですけど、昨日のオープニングセレモニーのやつと、あとMCのトモティさん、わかります?FTRとかにもいらっしゃったんですけど。
夜通しでマイクを回し続けるっていうのをやっていて、その様子が2本目上がってる状態で。
井原知一
結構尺は長いんですかね、そうすると。
近藤淳也
セレモニーのやつが1時間と、トモティさんのやつが今30分ちょっとのやつが2本上がってるんですけど。
井原知一
上手く編集してギュッと。
近藤淳也
そうですね、さっきまでその編集してたんですよ。
井原知一
なるほど。
近藤淳也
今もうNOW進行中っていう感じ。
桑原佑輔
そうですね。
井原知一
じゃあこの年末だけでもかなり。
近藤淳也
そうなんですよ。
井原知一
ポッドキャストがドドドドッと。
近藤淳也
そうですね、ちょっと伊原さんのやつはもう少し年上げになるかもしれないですけれども。
そうですか。
桑原佑輔
いろんな方が京都の周辺に集まってきて。
この貴重な機会を生かそうと。
近藤淳也
すいません、イベントの最後に皆さんまだいらっしゃる中、お時間作っていただきまして。
井原知一
ありがとうございます。
近藤淳也
本当にありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっとじゃあ改めて、まずそのトモズピットの今回そういう年末ランということで。
トモズピットのご紹介をいただいてもいいですか。
井原知一
そうですね、トモズピットは主にオンラインコーチングって言ってまして。
僕自身が、生徒さんが僕がウルトラランニングをしてるので。
結構ウルトラランニングの方を目指して100マイル走りたいとか。
100マイルもう既に走ってるけどもうちょっと伸ばしたいとかいう方が多くてですね。
そういった方向けにオンラインでトレーニングピークスっていうプラットフォームがあるんですけども。
それを使って日々トレーニングメニューを作ってあげて。
目標に向けて効率的に練習していこうということでコーチングさせていただいてます。
その他には物販だったり自社の今かぶってるキャップとかそういったものを販売したり。
あと香港のT8っていうスポーツブランドがあるんですけども。
その輸入代理店で日本のトレーショップに下ろしたりとか。
そういった全て100%ランニングに関わる仕事をしてます。
近藤淳也
そうなんですよね。
そのトムズピット、さっきのシステムがあるっていうのはお作りになられたんですか?
井原知一
いや、それはもう最初からあるプラットフォームがあって。
そういうプラットフォームがあるんですか?
はい。
近藤淳也
何ておっしゃいました?
井原知一
トレーニングピークス。
近藤淳也
トレーニングピークス。どこの国の?
井原知一
これはアメリカのものになってますね。
近藤さん、日本のトレーニングピークスをお願いします。
近藤淳也
何か不満はあるんですか?改善点はあるんですか?
井原知一
いや、そんなことないですね。
唯一言えば英語なんで。そこだけ日本になったりとか。
今思いつくものはないんですけど、改善するところとかありそうですね。
もうちょっとこうなってほしいっていうのは。
近藤淳也
急に商品企画の話。
ちなみに何ができるんですか?
井原知一
そこはですね、イメージしてもらうのがアウトロックのカレンダー。
月曜日から日曜日までありまして。
そこは僕もクライアントも共有して見えるんですけど、
そこの月曜日はジョギング。
火曜日はインターバル。
水曜日はジョギングみたいなメニューとかを僕のほうで入れていくと、
クライアント側もPCブラウザーだろうと携帯のアプリだと見れて、
それでトモさん、今日ジョギングのメニュー入ってる。
明日はインターバルで、週末は5時間。
いや、もう走んなきゃいけないんだっていうのが見れて、
それが時計と連動して、時計でスタートストップを押して、
ストップを押すと僕にメールの通知が来て、
だれだれさんが練習終わりましたと言って、
僕がトレーニングフィックスを覗きに行くと、
僕が当てたメニューと走ったログが結合して同期して、
その中身を見ると、要は時計がくれるデータなので、
GPSの位置情報から心拍、経電数、パワー、ピッチとか、
そういった経電数とかもありますね。
そういったものが全部見れると。
なので地図上でどこで速く走って、どこでサボって、
っていうのはすべて見れますね。
近藤淳也
じゃあオンラインコーチングをするためのいろんな機能が
井原知一
そうですね。
近藤淳也
全部詰まってるってことじゃないですか。
だいぶ便利そうですけどね。
作るのかなり大変そうだなと。
アプリと時計の連動とかが結構できてるのはすごいですね。
なかなか大変そう。
それを活用して、今、会員の方にいろいろトレーニングのアドバイスとか
プランを作られたりとかなんですかね。
何人くらいいらっしゃる?
井原知一
今、50名くらいですね。
かなり。
50から60名になります。
近藤淳也
じゃあ伊原さんが50名の方のトレーニングメニューは全部見てるんですか。
はい、そうです。
全部?
井原知一
はい。
近藤淳也
それがたまにパソコン開いてカレンダーみたいなの操作されてる映像を見たことがありますけど、
あれはそれをやられてる様子なんですか。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
50人分見るって毎日上がってくるわけですよね。
そうですね。
結構な量じゃないですか。
井原知一
日によってはジョギングとかレカバリランぐらいだったら
特にあんまりやり取りはそんなになかったりするんですけど、
やっぱりしっかりインターバルとかポイントレーンやったりとか、
山行った時のトレーニングとかはしっかり見てっていう。
近藤淳也
それで、逆にトモズフィットに入ると何をしてもらえるかっていう視点で言うと、
じゃあそのトレーニングメニューを作っていただけるっていうのが大きいんですかね。
井原知一
そうですね。
毎月オンラインでZoomでミーティングをしまして、
先々の1年後とか、
2025年だったら2025年の目標のAレース、Bレース、Cレースっていうのを話していって、
毎月オンラインでミーティングをやるんで、
その次の予定とかも聞かせてもらって、
この日は仕事で走りに行けないとか、
この日は家族との時間があるからちょっと練習入れられないとか、
この日は3連休でどこどこ行くんでとか、
そういった情報を聞いた上で、
僕のほうでメニューはこういうメニューを入れていきましょうっていうことで打ち合わせをして、
それを毎月やっていくという形ですね。
近藤淳也
そこまでするんだ。
じゃあそのオンラインのミーティングっていうのは全員マンツーマンで、
一人一人目標のレースを聞いて、
それに目指して何をやっていくかっていうのを一緒に組んでいただける。
かなり手厚いですね。
井原知一
あとはその1個1個の練習が終わったら、
僕はデータ見れるんですけども、
それでもやっぱり足が痛かったとか、
ここで転んで怪我しちゃったとかっていうのがやっぱりデータ、
時計のデータだけじゃ伝わらないものが、
やっぱり主観的なフィーリングっていうのはこのコメント欄がありまして、
練習1個の中でコメントのやり取り、赤ペン先生みたいなことできるんですけど、
それをメッセージでやり取りして、
じゃあちょっと今日体調悪かったから明日ちょっとメニューを少なくしましょうかとか、
そういったのを微調整していくっていう感じですね。
近藤淳也
で、だいたいじゃあ入られている方はやっぱり変わります?
入ると。
井原知一
そうですね。
基本的には目標を叶えてあげるっていうのは、
叶っている方が多いんじゃないかなとは思うんですけどね。
井原知一
ちょっと八塚滝行きましょうとかそういったのがあるんで、なんだかんだ言って年に5、6回ぐらいはオフラインで会うっていうような機会はあります。
近藤淳也
それでじゃあ皆さん結構チーム感というか。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
ちょっとその30人今回いらっしゃる方の雰囲気も、結構だいたい基本お知り合い同士っていう雰囲気で楽しくお話しされてる感じがしましたけど。
井原知一
やっぱりチーム感が出てきたことによって、今日もみんなでレースを応援にしに行ったりとかサポートしに行ったりとか、クライアント同士でペーサーっていうような中にもなったりっていろいろ勝手に始まってるんで、僕としてはみんなが分け合い合いやってるのが嬉しいですね。
桑原佑輔
レークビュアの時もトモさん自身がレークビュアの応援のたしか次の日にはまた神戸にも行かれたりとかもされてましたけど。
近藤淳也
バンビも行ってませんでした?
井原知一
バンビは行ってないですね。
近藤淳也
神戸の方行ったんですか?
神戸の方。
すいません。
なんかね、あちこちで。
井原知一
やっぱり教えてるんですけど、いわゆる発表会、我が子の発表会じゃないですか。
そこで何ができるってわけじゃないんですけど、頑張れっていうことしかできないんですけど、やっぱり僕自身もこの前FTR走った時にトモスピットの生徒さんたちが応援にしに来て、一言頑張ってとか、あともうちょっとで会おうってそういったことを言ってくれるだけでもすごく励みになってですね。
なんかこう、ウルトラだから何かを食べさせてくれるとか何かを用意するとか、こんなギアを用意するとかそういったものじゃなくて、やっぱりウルトラってフィジカルが30%とか20%でメンタルが80%70%のスポーツなんで、やっぱりメンタルに一番効くのって物とか食べ物とかじゃなくて、やっぱり頑張れっていうその一言っていうのが一番メンタルを切り替えるスパイスなんじゃないかなと思うんで。
だからなるべく僕の予定が合う限りはもうみんなのレースを見たい。正直見たいですね。僕自身走るのも好きですし、応援するのも好きですし、やっぱりとにかくもうこのウルトラがどんな360度のどんな角度からもやっぱり大好きなんで、だからその応援するっていうのも僕の一つのウルトラに対しての大好きななんか集団ですね。
近藤淳也
じゃあトモズピット始めた頃からずっと現場に行ってるんですね。
井原知一
行けるときは行ってます。
近藤淳也
なんかよく応援に行きましたっておっしゃってて、なんかTJRの時もすれ違いましたけど出らっしゃいましたよね。
井原知一
生徒さんもいたので最後の日尻日尻だったかな。そこで応援してました。
近藤淳也
あとは拠点があるんですかね。
よく出てくるLDが
井原知一
がアンサー4が使ってる店舗なんですけど、僕はトモズピットっていうオフィスをタカオのKO52ビルっていうビルが、もともと雑居ビルだったんですけど、そこが今コア機内があったりとか、アンサー4が入ったりとか、ストライドさんが入ったりとか、
うちもトモズピットもオフィス兼ちょっとした、今倉庫みたいな形になってるんですけど、月に1回しかオープンしてないんですけど。
近藤淳也
じゃあそのメンバーの皆さんがそこに集まってたりとかするわけじゃないんですか。
井原知一
そうなんですね。その建物の名前がLDAなんですか。
KO52。KOさんのビルで、KO伝説の。タカオがKOで言うと52番目の駅番号らしいですね。それでKO52っていうビルの名前になってます。
近藤淳也
そこは何ですか。山関連しか入れないぞみたいなビルなんですか。
井原知一
そんなことはないですね。いろんな業種の方がいますね。よかった点は山だけじゃなくて、他の業種さんもあるんで、縦と横のつながりがあって、みんなで何かこうできないかということで、もともと募集したんで。
だからKOさんも山だけを入れるっていうことはおそらくやらなかったという感じだと思います。
じゃあかなり大きな建物でいろいろ入っている。
1階にモスバーガーがあって、2階にタカオビールとコーヒー屋さんがありまして、そして3階に小垣内のスペースがあって、全部で10部屋ぐらいあって。
そんなにあるんだ。
4階にアンサーフォートストライドさんがあって、5階に美容師さんとお花屋さんと施術員があって、そんな感じです。
近藤淳也
じゃあ僕はそこに行くと三原さんがいて、チームの方々が集まってたりするのかと思ったんですけど、そういうんじゃなくて、どっちかというとオンラインでつながっているのがトモズビットになりますね。
井原知一
そうですね。
オンラインなんで、日本だけじゃなくて、シンガポールと香港とスイスにもクライアントもいまして、それがオンラインコーチングの便利なところですね。
僕がどこにいようと仕事になるというところがメリットですかね、僕としても。
近藤淳也
それで関西のメンバーの方も結構いらっしゃるっていう。
井原知一
そうですね。
なんですよね。
近藤淳也
なるほど。
だいぶ全貌が。
確かに。
同居にいらっしゃる方結構皆さん知ってるのかもしれないですけど。
桑原佑輔
そうですね。
近藤淳也
高尾さんもね、なかなかここにいるといかないんで。
桑原佑輔
本当にいるとそうですね、なかなか疑えないので知れてよかったです。
近藤淳也
ちょっと行ってみたいですね。
ですね。
じゃあちょっとね、トモズビットのお話から入っていただきましたけど、そもそもちょっとトモさん、自己紹介というか。
近藤淳也
皆さんもだいぶご存じの方多いと思いますけど、一応、IBUKIステーション的には単独で初めてインタビューさせていただくので、一応ちょっと自己紹介をお願いしてもよろしいでしょうか。
井原知一
三原智一です。年齢は47歳になります。出身長野県になります。
学生時代は、そうですね、小学校の時にイギリスに父親の仕事の関係で、5年間住んでまして。
近藤淳也
それで英語が得意なんですか。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
なるほど。
井原知一
それでまた6歳まで長野にいて、そこから5年間イギリスのスコットランドっていうところにいまして、ジンバラの近くにいまして。
また日本の長野に帰ってきまして、中高は長野で、大学はアメリカのワシントン州のほうに、エドモンズコミュニティカルチっていうところがあって、そこに行ってまして。
で、帰ってきて日本でIT系の仕事をしておりまして。
近藤さんと一緒、僕は何作るっていうよりも、フジフィルムとかでのヘルプデスクだったんで。
主に工場に3,000人ぐらいいるんで、それでワードが使えないとかエクセルが使えないっていうところから、パソコン立ちがわからないんだけど、ちょっと伊原君来てくれないみたいな形で自転車、かなり大きな工場だったんで、自転車をこいで。
近藤淳也
車内向けにってことですか?
井原知一
そうですね、車内向けの。
なんで、じゃあこれちょっとOSインストールしなきゃいけないから、ちょっと一回代替機貸し出しますんで。
引き取って、ハードウェアとか交換したりとか、OS入れ替えたりとか。
近藤淳也
自分で直したりもしてたんですか?
井原知一
はい、そうですね。
そんな感じでした。
近藤淳也
なんかね、有名なかつての伊原さんみたいな写真がよく映像とかに上がってきて。
90何キロあった?
井原知一
8キロぐらい。
近藤淳也
8キロのサラリーマン時代の写真みたいな。
井原知一
ありましたね。
近藤淳也
ちょっとびっくりしましたよ、彼、初めて見たとき。
今の伊原さんしか知らなかったので、別人すぎて、本当に同一人格ですか?って今も疑ってます。
信じてない。
なんか顔も全然違いません?
井原知一
そうですね。
近藤淳也
じゃあ、その時はあんまり運動もされてなくて。
井原知一
してないですね。
近藤淳也
仕事されてて。
井原知一
そうですね。
要はストレス太りなのか、やっぱりよく食べるんで。
それがウルトラには生きてるんですけど。
なんで、ブクブク太っていって。
それで、フジフィルムでもやりましたし、デルでもやりましたし。
で、またIT系でアメアスポーツジャパンっていうところで採用されたときに、
同じIT系でも周りがスポーツブランドなんで、
普段から走ってる方もいれば、
昔、スノーボードでオリンピック出た人もいたりとか、
そういった方がいるんで、
すごい体育会系で、
夜5時くらいに仕事が終わると、
よし、走りに行くぞ、みたいな感じで。
走りに行って、シャワー浴びて、ビール飲み、酒飲みに行くぞ、みたいな感じで。
その姿がすごくかっこよく僕に映ってですね。
もともと僕もスポーツ大会系でサッカーやってたんで、
そのときに年に1回やる展示会で、
トレッドミルを使ってBMIを減らそうと、
ダイエットしようという企画で、僕が98キロあったんで、
中途採用で、僕が一番年下だったんで、やるぞ、みたいな形で、
はい、みたいな形でやります、みたいな形で、
トレッドミルを歩き始めたりして、
最終的には少し走れるようになって、3ヶ月で7キロ痩せて、
それで、やっぱその頃ってあんまり98キロあると、
あんまり自分の姿を鏡で見るっていうのもあんまりしたくないというか、
でもやっぱり徐々に7キロ痩せると、鏡見る回数も増えていて、
それで、やっぱり明るくなってきますよね。
で、その7キロ痩せた後に、
次、先輩何やりましょうかね、みたいな話をしたときに、
社内にあったマダラフォローセストレートレールって、
石川さんがやってる15キロと50キロのその当時のレースはあったんですけど、
それで、いやら、これ15キロ出るぞって話で、分かりましたって言って、
じゃあ、トレールのレース1回出るんだったら、
じゃあ、どことのこの部署の清水さんっていう人がトレーラーやってるから、
ちょっと連れてってもらおうって言って、
神馬さんに初めて連れてってもらったときに、
もう僕は本当に漫画のような衝撃が、
もちろんきついんですよ。
もう登りもすごいきついですし、
でも天気がすごく良くて、
小鳥のさえずりとか、真っ青な空で、
土の匂いの香りもして、
食べるおにぎりも美味しかったりとか、
山頂のおばあちゃんの作ったうだんごがめちゃくちゃ美味しかったりとか、
梅をサービスしてくれて、
その梅がめちゃくちゃしょっぱくて、すごい美味しくて、
で、また帰りも足も膝も痛いんですけど、
なんとか駅に着いて、それで駅に着いて、
お風呂入って、で、居酒屋でみんなでビール飲んで、
楽しかったねみたいなのがすごく衝撃的で、
そこからもうトレーラーにハマってしまって、
もう今でもその、
井原知一
あの時の感動っていうのは今でも続いてるっていうか、
ただ、レベルは違ってるんですけど、
その濃さ、トレーラーに対する濃さっていうのは今でも変わってない。
で、今もその進行、現在進行形ですね。
近藤淳也
ちなみにそれは、いくつの時ですか?
井原知一
29に転職したので、そうです。29で今47ですから、はい。
近藤淳也
18年前ですね。
井原知一
そうですね。はい。17、8年前ですね。はい。
近藤淳也
じゃあ結構衝撃的な出会いって感じだったんですね。
井原知一
そうですね。はい。
近藤淳也
で、そこからもどんどん、
井原知一
どんどん、
近藤淳也
トレーラーも。
はい。
井原知一
15キロの距離から20キロ、25キロ、50キロ、
破節ねーとか、音だけーとか、
で、そこから160キロ走るようになったっていう感じですね。
なるほど。
近藤淳也
そしてその100マイルレースを100回走るっていうことに今取り組まれてます。
はい。
77回ってことですけど、
その100回走るぞって思われたのはいつ頃?
井原知一
14回目とか15回目ぐらいに。
はい。
やっぱり100マイル走ると100マイラーになるじゃないですか。
はい。
で、100マイルを100本走ると1万マイラーになるっていう。
ただそれだけですね。
近藤淳也
それはなんか世界的には前例はあるんですか?
井原知一
もうすでに多分全世界でも50名弱ぐらいいると思いますね。
100マイラー、1万マイラーさんは。
近藤淳也
そういう名前があるんですか?1万マイラーって。
井原知一
それはもう僕だけが知ってるだけで。
近藤淳也
伊原さんがつけたんですね。
井原知一
はい。そうですね。はい。
で、2万マイラーの方もやっぱりいるんで。
近藤淳也
そうなんですか?
はい。
200の方も。
井原知一
僕知ってる方で一番多いのは250本ぐらい走ってると思いますね。
近藤淳也
年間10本走っても25年ですよね。
そうですね。
井原知一
すごくないですか?
近藤淳也
はい、すごいですね。
井原知一
そういった方は本当にやっぱり、
乾燥する、ギリギリ乾燥の方もいるとはいえ、
2週間に1回とか走ってる方もいらっしゃいますね。
近藤淳也
すっごい。ちょっと一元すぎて。
まあでもじゃあ、100回目指す予定になって、
で、今日本人ではそんなにたくさん走られてる方ってほかにいらっしゃいますか?
井原知一
そうです。まだ1万マイラーさんはいないと思いますね。
僕が知らないだけかもしれないですね。
近藤淳也
今のところじゃあ伊原さんがトップっていうか回数が一番多いですよね。
井原知一
だとは思うんですけどね。はい。
近藤淳也
じゃあまあ日本人で一番100マイルを走ってる方。
はい。
井原知一
どこで走ってるか。
もしかしたら山奥にインターネットとかそういった世界がないところで、
すでにもう当たり前のように。
厳人みたいな。
近藤淳也
そうですね。
井原知一
いるかもしれないですね。
近藤淳也
連続で100マイル走る理由がなさそうですね。
そうですね。
でもなんか鹿を追っかけて。
井原知一
追っかけて。
食べなきゃいけないから。
っていう、あるかもしれないですけど。
近藤淳也
まあじゃあ、はい。
たぶんおそらく日本で一番たくさん100マイルを走られてる。
伊原さんは今年も数々の大会で出られてますけど、
FTR100でついに国内初優勝。
初優勝しました。
井原知一
おめでとうございます。
近藤淳也
ありがとうございます。
これは何が起きてこうなったんですか。
井原知一
そうですね。
やっぱり、何ですかね。
何かを優勝するためにやってきたっていうことはないんですけど、
本当におまけでついてきたっていう形だったんですけど、
とにかくまず嬉しかったですね。
僕自身、FTRとはちょっと話がずれちゃうんですけど、
バークレーっていうレースをですね、
唯一100マイルで完走してないというレースがありまして、
それが2018年から走り続けてきて、
5回挑戦して5回ともダメでというような感じなんですけども、
やっぱり難しいことをやり続けてきた結果、
バークレーは失敗してますと。
バークレーの中でも最初は1周しかできなかった。
全部で5周して完走っていうレースで、
全部で225キロとか22,500メーター登らなきゃいけないっていう
コースマーキングもないですし。
近藤淳也
距離そんなにあるんですか。
井原知一
そうなんですよ。
全然100マイルじゃないんですよ。
近藤淳也
225キロ。
井原知一
最短距離で行くとそんな感じなんで、
コースマーキング内で道間違いするともっと走る判明になっちゃうんですけど、
それが5周しなきゃいけないっていうレースなんですけど、
それが完走できないと。
1周、2周、3周、やっと4周目行けるようになりまして、
4周目はまだ帰ってこれてないんですけど、
そういった僕にとっては本当に針の穴を通すような難しいことを
ずっと挑戦続けてきて、
失敗すると自分にはこれが足りない、これが足りない、これが足りない、
いろいろ出てきて、
また1年後にまた挑戦したいので、
じゃあダメだった、自分のポテンシャルをどうやったら
もうちょっと成長させるかということで、
体力面、地図読み面、メンタル面、いろいろとあるんですけど、
それを鍛えていって、
また挑むんですけど、
またやらたまかず、まだ足りないということで、
跳ね返されて、また帰ってくる。
そういう作業を毎年毎年やっていくんですけど、
いろんなもの差しがある中でも、
バークレーというもの差しは確かに完走できないんですけども、
それ以外の、僕バークレー以外にもレースも出るんで、
そうすると自分自身のレベルがバークレーのおかげで上がったせいで、
他のレースでも結果が出始めた。
2018年からずっと挑戦し続けて、年代では気づかなかったんですけど、
今年初めてFTRの話に戻すと、
やってきた5年間の頑張ってきた蓄積が、
結果、確かバークレー完走できないけど、
自分自身のレベルを上げるための最短距離は進んできたんだな。
だから国内のレースでも今年はFTR優勝したし、
ディープジャパンでも3位だったし、
去年、今年も地図読みのレースとかでも上位に入ることもできましたし、
もともと地図読みの地の字もわからなかったんで、
そういった自分がバークレーを通して、
そういったレースでも上達してきてっていうところが見られたんで、
失敗するってことは悔しいですけど、
でもその悔しさのおかげで自分自身が成長できたということがあるんで、
井原知一
FTRは本当に嬉しかったですね。
47年間生きてきて、17年目にして初めて国内で優勝できたのは正直嬉しいです。
もしかしたら国内の最年長100マイル優勝記録かもしれないので、
井原知一
また来年48になったときももしかしたら優勝できる大会があれば、
近藤淳也
頑張っていきたいなと思ってますね。
井原知一
今日は王様のガオンは持ってくるはずないですかね。
FTRのときにうちで働いてくれてる奥村君が、
これはもう来てもらうしかないって言って、
本当は毎月1日店長ということで、うちのトモスピットを開放して、
僕も店舗にいて、皆さん買い物しに来るんですけど、
そこでコミュニケーションを取ってるんですけど、
そこで着るつもりで買ってくれたんですけど、
ちょっと最初は恥ずかしいなと思ったんですけど、
いざ着てみたらマンザラでもなくて、
そのまま電車に乗って八王子行ってラーメン食べに行って、
また帰ってきてっていうことを大人げなくやってました。
結構目立つやつなんですね。
近藤淳也
街を歩いてるの見かけましたっておっしゃってましたもんね。
井原知一
ハロウィンでもないし、この人何なんだろうなみたいな。
近藤淳也
どういう、赤いとかですか?
井原知一
もう完全に赤でフチがキンキンの、よくある。
近藤淳也
本当の王様のオオカンとか被ってそうな。
井原知一
オオカンもあるんですか?
オオカンのコスプレもあったんで、それも被って。
近藤淳也
本当の王様ですね。
それを着けて街を歩いてたんですか?
井原知一
歩いてたですよ。
近藤淳也
電車に乗ったんですか?
井原知一
で、ラーメン屋さんも行って、結構人気あるラーメン屋さんだって。
そこでガオン着たまま待って、ガオン着たままラーメン食べて。
近藤淳也
何も言われませんでした?
井原知一
苦笑いしてました。
近藤淳也
でもね、街中が凱旋パレードに湧いたということですよね。
桑原佑輔
そうですかね。
近藤淳也
すごいな。
じゃあそのバークレーマラソンがレベルを上げてくれてるみたいな感じが結構ある。
井原知一
だと思います。
近藤淳也
じゃあせっかくその話も出たんで、バークレーマラソンの話も伺いたいんですけど、
5回やって、いまだに完走できずという最難関のレースで、
もう1回また挑戦されようとしてるということで、
今クラウドファンディングもされてるっていうことですよね。
先日YouTubeの動画が、メインクエストが公開されたので見させてもらったんですけど。
ありがとうございました。どうでしたか?
まあ厳しそうだなっていうのと、
全然、いはなさんが喋ってなかったじゃないですか、最後の。
何があったんだろうっていう、カメラも入れないエリアが多いっていうことなんで、
めちゃくちゃ険しいっていう言葉だけがあるんですけど、
一体その先に何が起きてるんだろうっていうのが、すごい興味はわきましたけど。
言える話と言えない話があるんでしょうけども。
やっぱ厳しいんですかね、あれはかなり。
井原知一
そうですね、やっぱりコースも、コースマーケティングがないんですよね。
まずエントリー方法もわからないっていう状態から始まるんで、
まず主催者のラザレス・レイクっていう、
ラズのメールアドレスをまず知るっていうことから始まって、
どっかから入手しなきゃいけないんですよね。
それで過去に参加した人を洗い出して、
その人にいつエントリーするのっていうのを聞くっていうところです。
彼らが知ってるんで。
そうすると、何月何日何時何分何秒ですよという感じで教えてくれて、
そこに対して自分が何でバークレーマラソンを走らなきゃいけないかっていうエッセイをメールで送る。
そうすると、一週間以内にお悔やみのメールっていうことで、
あなた残念ながらバークレーマラソンに当選しました。
来年は何月何日にやりますんで、ここに集まってください。
しか送られてこないんで、そういう詳細もないんですよね。
それは全部自分で調べてくださいと。
そんな感じで送られてきて、実際にそこに行くと、前日受付があって、
その時点でも前日受付でやっと今年のマップがですね、紙の説明書と地図のマップですね。
地図を配るわけじゃなくて、地図もフローゼンヘッドナショナルフォレストパークっていうところの
オフィシャルのマップが紙のやつがあるんで、
それを買ってきて、それを自分のマップに写し込むっていう作業から始まるので。
だから写し込みミスがあると、もう自業自得みたいな感じですね。
紙のマップなので、それをラミネートするっていう。
透明のテープとかああいうのでやる人もいれば、
僕は図書館の本を袋とラミネートするような大きめのA3のやつでラミネートするんですけど、
そこからラミネートして、スタート時間も土曜日の0時から、
例えばですよ、土曜日じゃないかもしれないですけど、
1日の0時から12時の間にスタートするっていうのは分かってるんですけど、
ラズっていう人がホラガエを吹いた1時間後に、
その12時間の間でスタートするんで、
そういったところから始まってて、ホラガエが鳴ったら1時間後にスタートするんだっていうことで慌てて用意して、
ラズが煙草に火をつけたときにスタートみたいな形で、そこから60時間かけて、
1週目は12時間、2週目は24時間、3週目は36時間、4週目は48時間、5週目は60時間制限で、
その週回ごとにその時間内に帰ってこれないと、
3週目を40時間かけて帰ってきたらもう4週目はいけないっていうような形で、
完走できないとラッパーをタップって言って、
アメリカの兵隊が亡くなったときにやるタータターっていうタップっていうのがあるんですけど、
タップされるという感じですね。
近藤淳也
だいぶ個性のある大会で、
ちょっと悪ノリっていうか、もともと囚人の方が逃げたときにもっと走れるだろう、そんなに時間があったらみたいな話なんですよね。
60時間もあればもっといけるだろうみたいな。
井原知一
マーチン・ルーサー・キングがジェームズ・R・レイっていう人に1977年に暗殺されて、
そのジェームズ・R・レイがアメリカで一番悪い奴が集まる刑務所がフローズンヘッドステートバーク内にあって、
そこから逃げたっていうのが全米にすごく大きなビッグニュースになったんですけど、
3日ぐらい走った結果直線距離で8キロぐらいしか進んでなくて、
そこで普段ラズはトレイルランナーとして練習してて、
なんだあいつが8キロだったら俺だったら100マイルいけるぜみたいなのがきっかけで生まれたレースなんですよね。
近藤淳也
そこのきっかけもね、だいぶ面白いなって感じですけど、
リハラサーをもってしても4周目まで入られたのが今一番いかれるっていうのは、
一番の難しさって何なんですか?
井原知一
そうですね。過去のスタッツを見てると、
1周目完走できる人たちのパーセンテージが確か40%とか30%ぐらいなんですよね。
2周目になってくると20%で、3周目だと10%。
4周目で2%になって、5周で1%弱っていう感じなんですね。
なので僕はもう過去に5回挑戦してて、1回目が1周、2回目が3周、3回目が2周、4回目が4周目突入。
結果としては3周、5回目が4周目突入って形で、
実際3回、3周するとファンランナーって言われてるんですけど、
ファンランナーって言われてるんですけど、全然ファンランナーって言われてないんですけど、
ファンランナーされてる3回実際してると。
だから10%の男には慣れてるんですけど、その2%、1%の男にまだ慣れてないっていうところで、
まずそこが難しさがあると思います。
だから僕も5回挑戦してて、ファンランナー3回してるって言っても、
バークレーって4周目が本当のバークレーなんだなってそこまで言って当たり前というか、
本当に完走しなきゃいけなかったら。
4周目を完走すると、今度5周目完走する確率って今までのスタッツを見るとかなり上がるんですよね。
おそらく4周目が一番きつくて、メンタル的にも。
4周終わるとラストもう1周だっていう人間のそのウルトラのメンタルのところでグッと完走率が上がる。
あとは過去のタイムとかも全部見れるんですけど、やっぱり4周目のタイムより5周目のタイムの方が早いんですよね。
どの選手も。本当だったら遅くなっていくっていうのが想像すると思うんですけど、
バークレーだと5周目がグッと上がるっていうのがやっぱりそこら辺メンタルなんだなと思いますね。
近藤淳也
じゃあそういうシリーズ化するかもしれないっていう名前なんですね。
これは出場できるかどうかは決まってるんですか?
井原知一
出場してるか決まってるかを言っちゃダメって言われてますよね。
近藤淳也
それは言っちゃダメですね。
井原知一
日にちとかなんか言っちゃうとですね、
フローゼンヘッドステイトパークのキャンプ場がすごく小さなキャンプ場で、
車も30台とか40台弱しか止められなくてですね、
その日にやるってやると、
矢島みたいな形でいっぱい来ちゃうと、
選手たちが駐車スペースがなくなってしまったりとか、
コース上に前もあったんですけど、
YouTubeでライブで流してる、
してしまう人とかがいたり、
それを厳密にね、何やっても自由だと思うんですけど、
そのラズっていうのがもう、それはもうけしからんっていうことで、
そういったことで言っちゃいけないと言われてます。
なので、SNSとかもダメというふうに言われてるんで。
ただ、バークレーが始まるとですね、
バークレーのゲロゲートっていうスタートゴールに、
ツイッターおじさんっていう人がいて、
ツイッターでバークレーが始まったってツイッターするおじさんがいて、
近藤淳也
なんすかそれ。
井原知一
普段は猫のツイッターしかあげないんですけど、
猫関係の猫が大好きで、
バークレーの時期になるとバークレーのツイッターをあげてですね、
その人、バークレーの時期になると、
要は3月、4月ぐらいになると、
ツイッターのフォロワー数が満タインで増えて、
桑原佑輔
で、終わると全部減ります。
井原知一
用がなくなったらもうみんな、
まだ猫しか、猫好きな人はいいんですけど、
猫にあんまり興味ない人は、
もうバークレーしか興味ない人は、
桑原佑輔
とにかくフォロー外すみたいなことがあるらしいですね。
おもしろい方もいらっしゃいますね。
近藤淳也
いちいちちょっとおもしろいですよね。
ラズさんどういう方なんですか?
帽子をプレゼントされて。
井原知一
老人。
近藤淳也
ずっと被られてましたよね。
今回。
井原知一
気に入っちゃって。
近藤淳也
愛嬌もあるし、でも厳しいとか厳しそうだし、
だいぶ個性的なというか。
井原知一
見た目がまずすごい見た目してますよね。
ラズもともと英語でギーザーっていう帽子を被ったんですね。
要はおじいちゃんとかそういう意味なんですけど。
で、自分は老人っていうやつをプレゼントしたんですよね。
そしたらすごい気に入っちゃって、
メイクレッスンでもバンって被ってるんですけど。
近藤淳也
ずっと考えてる。
井原知一
とにかくラズはですね、
仕事はアカウンターとなる数字系の仕事をやってる人で、
とにかくもうウルトラマラソンが言われてる時代から、
前からアメリカでもかなり走ってきてですね。
テネシー州って長方形みたいな細長い州なんですけど、
そこの山だろうが町だろうが、
全部走り尽くしても、
そんなランナーさんなんですね。
20畳ぐらいの部屋の大きさのテネシー州のマップをくっつけてですね、
通ったとこ全部赤く線引いて、
近藤淳也
全部やってるんですよ。
井原知一
すごい昔からウルトラランナーで、
だからこそすごいいっぱい走ってきたからこそ、
辛いことも経験してるから、
バークレイマラソンみたいなちょっと変わったレースだったり、
バックヤードウルトラっていうレースも聞いたこともしかしたらあるかもしれないですけど、
それもラズが考えたフォーマットで。
ああいった変わったことが出てくるんですよね。
近藤淳也
そういうちょっと企画屋さんというか、
そういうところがあるんですかね。
井原知一
そうですね。
今退職してレースディレクターとして、
近藤淳也
全部で10個ぐらいレースやってるんですかね。
そうなんですか。
井原知一
そんなにやってるんですか。
近藤淳也
何個も出られたんですか。
井原知一
僕はバークレイ以外にバックヤード、
あとはバークレイフォールクラシックっていうミニバークレイっていうのがありまして、
それは出たことありますね。
あとはテネシー州の端から端を対角線にずっと走るレースもあったりとかですね。
近藤淳也
長そう。
はい。
井原知一
面白いことやって。
あとはレースフォーディエイジーズといって、
年齢を制限時間にして、
その年齢の時間だけ走る大会ですね。
なので18歳の人は18時間、
80歳の人は80時間。
面白い。
で、1ブロックなんで、
本当にもう本当に1周1キロないかぐらいのところをずっと走らせて、
やっぱり年配の方が優勝するんですけど、
そういったフォーマットを作ったりとかしてますね。
ちょっとじゃあそういう面白いこと考えるのがお好きな方なんですね。
近藤淳也
でもちょっと風貌からそんな走る方だったんだっていうのは、
ちょっとあんまり知らなかったんで。
なんか猫で卵をポンって。
桑原佑輔
動画からはちょっと伝わってこなかったですね。
近藤淳也
おじいちゃんって感じだったんで。
そうですか。
ちなみに伊原さんが被られてる帽子もその影響なんですか?
オレンジ色の。
そうですね。
あれも同じ。
井原知一
ギザーで。
ギザーで。
近藤淳也
それはラズさんの影響で。
井原知一
影響で。
近藤淳也
そうなんですね。
井原知一
ギザーで入れて、
で、僕のやつこうひっくり返すと老人って出てくる。
近藤淳也
あれ裏老人になってるんですか?
井原知一
そうなんですよ。
そうなんですね。
はい。
なんで日本の多くの老人の方に被ってほしい。
なんか老人の方が老人の帽子被ってるってなんか面白いですよね。
桑原佑輔
確かに。
近藤淳也
そういうことなんですね。
じゃあだいぶ愛情というか、そこのリスペクトがあるんですよね。
井原知一
ラズは大好きですね。
なんか話しててもすごく面白いですね。
必ずなんかこう、先を読まれてる感じがして、そこら辺がなんか好きですね。
近藤淳也
とりあえずこのクラファンは目標が達成してますが、2月15日まで。
井原知一
そうですね。
第1目標と、第1目標が400万円で、第2目標が600万円で、第3目標が800万円という形でやってまして、
もうすでに400万円を達成してるんですけど、そういった先々の目標もあってですね。
なので引き続きやっていきたいなと思ってます。
近藤淳也
はい。じゃあご興味ある方はね、ぜひこのきびだんごのサイトからサポートになってみましょう。
井原知一
はい。
近藤淳也
そして、いはらさんといえばポッドキャストもされていて、
IBUKIステーションやってる僕たちとしてはそちらも興味津々という感じなんですけど、
ポッドキャストの方も100マイルズ100タイムズということで、
2018年からなんで6年半ぐらい?
井原知一
ですかね。もう最高。やってますね。
近藤淳也
今で123エピソード配信という感じですけど、だいぶ古いですねこちらも。
はい。
こちらはなんかどうして始められたんですか?
井原知一
そうですね。もともと走りながら僕は英語のポッドキャストを聞くのがすごく好きで、
で、ウルトラもやってるときに自分が走ったウルトラのお話、
結構海外に行くケースも多かったので、そういったものを含めて発信して、
このウルトラランナーのための情報として残したいですし、
あと自分の軌跡としても残したいですし、
井原知一
ということを当時ドミンゴさんという方がいるんですけど、
今も死んだわけじゃないですけど、今もいるんですけど、
に相談したら一緒にやりましょうって僕が相手やりますよっていうことで始めました。
近藤淳也
確かにアメリカとかかなり慣れがってますからねポッドキャスト。
やっぱりその100マイル系の方とかも多いんですか?
井原知一
めちゃくちゃ多いですね。
今も結構聞きますね。
よく聞くのは僕もコーチなので、だからコーチ系のコーチング系の情報、
あっちって結構早いんですよね情報とか。
結構やっぱりそこら辺のレースにしろ補給にしろギアにしろいろいろな情報って
やっぱりアメリカから結構流れてくるものが多いんで、
そこら辺の鮮度っていうのがやっぱりポッドキャストが一番鮮度いいんで、
そこを聞いてああそうなんだこんなの流行ってんだっていうのは情報源としてよく聞きますね。
近藤淳也
じゃあそこがモデルとしてあってこういうのを日本でやってみようと思われてっていう。
さすが早いなという。
今ちょっとIBUKIステーションもあるんですけど、
リッスンっていうポッドキャストのサービスも開発してまして、
温度車でIBUKIと一緒に合わせて。
だからすごいポッドキャストのシーン、日本のシーンっていうのもちょっと興味があって、
ただやっぱりアメリカがとにかくいろいろそういう意味で進んでいて、
ビジネス的にも規模が大きいですし、
というので、日本がこれからどこまで盛り上がるかみたいなところなんですけど、
トレランはやたら人気カテゴリーっていうか、
今すごくたぶん走りながらとか聞かれてる方が多いんで、
番組も増えてきますしっていう感じですけど、
やっぱ一番早かったぐらいですか、トレラン系。
井原知一
その当時あんまなかったかもしれないですね。
今はすごく増えて、それもまたいろんな人の情報がまた、
やっぱり一番いいのがやっぱり聞き流しができるんで、
我々としては走りながらとか歩きながらとかやりながら作業でできるっていうのが一番大きいんで、
だからすごくマッチングしますよね、やってることに。
それも長い距離走るし、長い距離走るときはこれとこれをダウンロードして聞くみたいなこともできますし。
近藤淳也
割と長くても聞いてくれるっていうのもありますしね。
他のカテゴリーと比べてやたら長いのが多いんで、トレランの番組って。
桑原佑輔
1時間超えとか。
近藤淳也
100も1時間超えとか多いですもんね。
でもむしろ長いほうがね、ボタン操作しなくて楽みたいなとこもありますけど。
聞かれます?他の。
井原知一
はい聞きます。
近藤淳也
日本のやつも。
井原知一
日本のやつも、そうですね聞きますね。
この前、近藤さんのトレイルヘッドも。
ありがとうございます。
あれすごくいろいろと共感させてもらうところが多くてですね、勉強になりました。
近藤淳也
いやぁ、光栄ですそれは。
千葉さんありがとうございます。
ここに。
千葉さんに聞いてるかな。
井原知一
人生を楽しく生きるっていうのがすごく、そこに何か重きを置いてるっていうところがすごく伝わって、それが共感しましたね。
近藤淳也
嬉しいです。
今はアンサーフォーさんがスポンサー?どうなってるんですかね。
井原知一
そうですね、相手のコバ君がアンサーフォーで働いていまして、そこと一緒に今やってるんです。
スポンサードバイアンサートフォーという形でやってますね。
近藤淳也
これは最初からではないですよね。
井原知一
そうですね、途中からジングル入れようということでやりました。
近藤淳也
で、スポンサーですけど、全然そのアンサーフォーさんの話っていうわけじゃないじゃないですか。
井原知一
そうですね。
近藤淳也
その辺とかって、いやちょっとあの、IBUKIも一応企業ポッドキャストなんで、ちょっとその辺も聞きたくて、
すごい参考にさせていただいたのは、ほぼその製品の紹介とか広告的なことはされないじゃないですか。
でもそうじゃないと聞かないよなっていうのがあって、僕たちも全然そのIBUKIでやってるんですけど。
流れで出てくることはあるんですけど、KGRのIBUKI見ましたみたいな。
ただ別に何の宣伝もしてないっていうか。
みたいな。
そのままちょっと真似もさせていただいていて。
なんかその辺もちょっと伺いたいんですけど、アンサーフォーさんとしては別にそのおばさんが出ていればもう別に。
井原知一
そうですね。
あとまあ僕自身アンサーフォーアスリートでもありますんで。
あのレース走るときは基本的なアンサーフォーから出してるギアはそこを来て走るっていうところで、
たまに走ってるギアとかはアンサーフォーですって話すだけで、そこら辺はあんまりこだわってないですかね。
とにかく僕の今はもう本当に僕の100マイルを走ったら出すっていう不定期な100マイルなんですけど。
そうですね。
井原知一
そういったアンサーフォーを出していきましょうっていうのはないかもしれない。
近藤淳也
じゃあもうそういう話は最初から特になくて。
ないですね。
今までの番組のままでいいからスポンサーしますみたいな感じになったってことなんですかね。
最初。
井原知一
スポンサーも何もないと言いますか。
そうなんですか。
近藤淳也
はい。
じゃあそのウェアとかが供給されてるだけで。
そうですそうです。
井原知一
僕自身あるアスリートなんで物品はアンサーフォーから提供してもらっててっていう形ですね。
近藤淳也
そういう感じなんですね。
井原知一
ポッドキャストに関してはスポンサーってなってますけど、特にないですね。
そういうことなんですね。
コバ君が編集をしてくれてるんで、そこがスポンサーです。
近藤淳也
だいぶ本格的なすごいクオリティが高いんで、しっかりしてるなと思いますけど。
井原知一
だいたいジングルが決まってるんで、前後が決まってるんで。
今こういった形で話して、で終わりますって言ったら、コンテンツ編集するってことはないんですよね。
桑原佑輔
そうなんですか。
井原知一
もうトリッパで前後にジングルつけて終わりなんで、
もういつも収録終わったって言ったらコバ君が5分後には僕にバイルビンでデータくれて、
で僕はそのデータをウェブ形式で上げて、ワールドプレスか、ワールドプレス形式で上げて、
で更新なのでも収録の本当に30分後にはもう上がってるって感じなんですよね。
近藤淳也
どうよ。
桑原佑輔
編集しまくってる身としては。
井原知一
そうなんですか。
近藤淳也
なんか言い間違いとか、ちょっと言い淀みで長く間が空いたとかそういうのないですか。
井原知一
ありますけど、まあそれも。
桑原佑輔
まあとかめっちゃ詰めますで。
井原知一
そうなんです。
近藤淳也
言い間違いも多いので。
井原知一
ただこだわってるのはやっぱり音声ですよね。
音声コンテンツなんでやっぱり静かな場所でなるべくやったりとか、品質の良いマイクでちゃんと合わせるってことはやるんで、
やっぱり聞いてる方が不快にならないようにやるっていうのは一番大事なのかなと思ってます。
近藤淳也
いやそのお二人の声が良すぎて。
いや本当に。
井原知一
いやだってお二人だってめっちゃ声良いじゃないですか。
近藤淳也
いやいや。
なんかその低音、低音成分が。
しかもお二人とりあえず僕の身の前の人に百々聞かせると、この池尾寺二人何?みたいな。
井原知一
いやいやいや。
近藤淳也
池尾寺っていう声がだいたい返ってくるんですよ。
井原知一
そうなんですか。
近藤淳也
池尾寺特集で載られてましたもんね。
井原知一
あ、そうなんですか。
あれは声だったんですね。
近藤淳也
いや全体的に、全体的にいろいろ池尾寺だと思うんですけど、声もね、なんていうんかな、ダンディーっていうか。
ダンディー。
まあ低音がやっぱり多いんで。
井原知一
そうですか。
近藤淳也
すごい聞いてて落ち着くし、聞きやすいですし、音質ももちろんいいですし、場内の。
すごいなんていうんかな、ね。
桑原佑輔
いや、それこそ喋り方とかもなんか聞き心地が良すぎるみたいな感じがするので。
井原知一
いやー。
近藤淳也
あの辺は。
井原知一
動きステーションだってね、面白いですよね。
近藤淳也
ありがとうございます。
井原知一
はい。
近藤淳也
なんか意識されてるんですか、その喋り方とか発声とか。
井原知一
いやもう普段通りにこう話してる感じだと思います。
近藤淳也
素で話してるだけですか。
井原知一
はい、そうですね。
うーん。
桑原佑輔
素が凄すぎるというか。
近藤淳也
はい。
でも僕はちょっと正直、樋原さんの写真とかも雑誌とかで見てて、ちょっとなんか怖いじゃないけど、
あの、まあ怖いというか、ちょっと近寄りがたいみたいな。
はい。
そのなんかね、ひげの怖い。
井原知一
はい。
桑原佑輔
笑
近藤淳也
飛ばされてて、なんかどういう方なんだろうと思ってたけど、やっぱりそのポッドキャスト聞いて、ちょっとなんていうかお茶目っていうか。
はい。
なんか妙になんかそのカンタ君の話してて。
井原知一
笑
近藤淳也
なんかご飯食べまくって、餅6個とかそんなに食べれるみたいなのとか。
井原知一
はい。
近藤淳也
なんかちょっとこう楽しいとこがあるんで。
はい。
凄い僕それで親しみが。
井原知一
あ、そうですか。
近藤淳也
わかります。
はい。
井原知一
結構やっぱり同じくやっぱり、怖そうっていうふうに、なんか話しかけづらそうっていうのはよく言われますね。
近藤淳也
あ、そうですか。
井原知一
最近、やっぱりポッドキャスト聞いてる方が多いんで、ポッドキャスト聞いてますとか、さっきもKJR応援したら、あ、トモさんだみたいな。
結構、なんかそういったポッドキャストとかやってるおかげで、写真だけで言っちゃうと多分、なんかこう話しづらいかもしれないですけど。
この音声コンテンツがいくことによって、親しみが出てきたんですかね。
近藤淳也
トモさんって言って酔ってていいんですか。
井原知一
あ、もちろん。
桑原佑輔
笑
井原知一
だいたい僕より形の大きい男性の方が、トモさんって結構言われるケースが多いですね。
ポッドキャスト聞いてます。ありがとうございます。
近藤淳也
聞いてると確かに、ちょっと近寄っていってもいいのかもって思うかもしれないですね。
井原知一
今日もやっぱりKJRの応援したらいましたね。
うーん。
嬉しかった、嬉しいですね。
そうですか。
近藤淳也
最近話題の牛因理論について。
牛因理論。
走りたいじゃないですか。
牛因理論。
そうですね。
最近立て続けにその話出てきますね。
井原知一
そうですね。
人間にはいろんな行き地があると思うんですよね。
越えてはいけないゾーン。
行き地を越えると、やっぱり急激にそのゾーンを越えるとやっぱり体力が、要は使いすぎて、
車もそうですよね。
アクセルベタ踏みしたらレッドゾーンに行ったら、車も燃費も悪いですし、壊れやすいですし、
最後まで持たなかったりもするんですけど、
走るペース、食べる量とかタイミングとかに関してもそういった牛因っていうゾーンがあって、
要はグラ、なんていうんですか、こういう線、曲線っていう。
二次曲線。
二次曲線ですね。
二次曲線で、ある程度のところまでは行ってもそこを越えると急激にギュッと上がって効率が悪くなるっていうところがあるので、
そこのところをギュインっていう。わかりますかね、聞いた人。
近藤淳也
ちょっと勘違いしてるのかな、みたいなの聞いてました。
そうですね。
井原知一
最後のそのギュインっていうところ以上行っちゃダメですよっていう話なんですけど、
勘違いしてる人たちは先を行こうとしてるっていう、ギュインまで行こうとしてるんで、そこは違いますよ。
逆ですよと。
ギュインまで行かないように、二次曲線の一番効率がいいところにいましょうよっていうところが、
それを今の時計とかはなかなか教えてくれないんで、
井原知一
え、あの100々、ほっこり感とか。
一緒ですか?
近藤淳也
何もないですね。なんかあるんですかね。
桑原佑輔
いやでもその、人気な秘訣はあるはずですよ。イケオ時間とか。
井原知一
いやでもイケオ時間はありそう。
おそらくなんか構成がもう決まってるというか。
大体オープニングがあって、まず僕が走ったレースなので、何々レースとはっていう。
そこの歴史なところとか何回目の開催で、距離は何キロ、上りはどのくらいっていうスタッツを伝えて、
僕が何で出ようと思ったか。
どんな練習をしたのか。
どんな行動色だったのか。
どんな装備だったのか。
どんなレースだったのか。
で最後にトムズセオリーがあって、最後クロージングして終わるっていうシンプルな構成があるんで。
多分一通り流れが決まってるからいいんですかね。
どうなんですかね。
近藤淳也
確かにスタッツっておっしゃったレースの情報もね、すごいしっかり教えてくださるんで。
まず情報番組として、世界中のレースがこういうレースがあるんだっていうことを勉強できるっていうのも、
ちゃんとそこがしっかりしてるのも結構いいなと思いますけど。
桑原佑輔
でもやっぱり池尾寺?
冒頭のカンタ君の話とか。
そこも好きですよ、あの感じ。
近藤淳也
なんか雰囲気が洗練されてるっていうか、おしゃれな感じっていうかね。
井原知一
そうですか。
あとはコバ君のこだわりで、必ず海外レースだと羽田ですか成田ですかっていうところを聞いてくるんですけど、
どうでもいい話とかも何なんですかね。ユーザーとしては、ヘビーレスナーとしては期待してるんですかね。
あとはトムズセオリーっていうのもあってですね。
それを毎回言ってるところですかね。
近藤淳也
最初すぐ分からないっていう。
井原知一
そうですね。掘り下げてもらっていいですかっていうセオリーですね。
近藤淳也
でもじゃあ、例えばレースの背景のこととか、セオリーとか事前にトモさんがご準備されて、
今回これでいくぞっていうのをちゃんと準備されてから。
井原知一
そうですね。大体の概要で話しますね。
僕なんかいっぱいあると苦手で話せないっていう。
たまにお仕事でトモさん、どこどこの製品で、この通り台本通り喋ってくださいっていうのはすごく苦手で。
近藤淳也
わかります。
桑原佑輔
10提起くらいして、相手もこれそろそろイライラしてるんじゃないかなっていう。
井原知一
あれ、全然ニコニコ対応してくれてないぐらいな、ビリビリしてるんじゃないかなっていう感じで。
じゃあトモさん、このフレーズだけ言ってくださいって言うと、僕はもう一発とかでできちゃうんですよね。
自分の言葉で言えると。
決まった言葉と普段そういうふうに言わないんで。
なので言えなかったりしますね。ぎこちないっていう。
近藤淳也
でも本当レースの情報とか、ちゃんとセオリーを毎回ご用意されてると思うんで、結構準備されてるんだろうなと。
井原知一
セオリーはもうあれですね、そのレースのセオリーっていうよりももう普段走ってて、いいセオリーが思いついたらもう携帯のメモ帳、セオリーのノート帳があるんで、そこにとりあえず入れてて。
で、毎回それを小出しにしていくって感じですね。
なるほどね。ちょっとピザの、ピザのてっぺん目指すって面白かったですけど。
そうですね。
近藤淳也
みんな先っぽで会えるんだって。
井原知一
そうですね。だとは思うんですけどね。
近藤淳也
いや結構説得力あって。
そうですか。ありがとうございます。
100マイルのオタクになりたい。確かにいいと思いました。
井原知一
最後は多分10になるんでしょうね。
近藤淳也
日本一のオタクを目指す。100マイルオタクを目指すっていうことです。何番ぐらいですか今。
井原知一
僕ですか。オタク。
近藤淳也
100マイルオタクドア。
井原知一
結構なオタクだと思うんですけどね。
ですよね。と思いますけど。もう一番ぐらいじゃないですか。
なんかいろんな面でね、本当に選手にすごい詳しい人もいれば。
確かに。
なんかいろんな、やっぱりそのオタク、トレランのオタクのピザも多分あると思うんですよ。
近藤淳也
確かに。
井原知一
トレランピザっていうのがあって、選手にすごい詳しい、コースにすごい詳しい、海外情報にすごい詳しい。
なんかいろいろな角度でみんなやっぱり10になっちゃうという感じですかね。
近藤淳也
なんかご興味あるのはどの辺ですか。100マイルのいろんな角度があるとして。
強弱あると思うんですけど、興味の範囲としては。
井原知一
そうですね。コーチングに関してはやっぱりそういった面もあるんであれば、そういった面もやっぱり興味はありますね。
僕自身もまだトム・スピッドのコーチとして5年目なので、まだコーチとしては未熟だと思ってるんで、
そういった意味では、そういった視点もやっぱりどんどんそっち側のピザの一切れもちょっと伸ばしていきたいなっていうのもありますし、
あとはいろんなレースが海外にあるんで、そういったのも面白いですし。
近藤淳也
あとは今後の話を伺えたらと思うんですけど、ホームページの方には100に向けたスケジュールが結構書いてありますね。
2025年のみならず、2026年も94番くらいまで載っていますけど、いつもこういう感じで2年分くらいは埋まってるんですか?
井原知一
なんとなく出たいなっていうのを書いてて、それぞれにならないこともあるんですけど、自分がちょっとやってみたいなっていうレースの一覧をいつも作るようにしてます。
先々の目標として。
僕もレースが決まると半年後でも半年後までのスケジュール、練習スケジュールは全部入れちゃうんで、予定とかも分かってるんで、そこを省いて練習はこの日に練習しようっていうのが分かってるんで、
そういった先々の2年目標、5年目標っていうのもなんとなくイメージできてると、今やるべきことが具体化されてくるというか。
近藤淳也
なるほど。結構計画的な方ですね。
井原知一
ですか?
近藤淳也
2年後のレースまで入れられていたら、昔からそうですか?結構先の計画を綿密に作られる方ですか?
井原知一
トレランし始めてからですかね。
いろいろとトレランを、とかウルトラランニングを始めてから、仕事面でもうまくいくことがあったりとか、そういった経験はしましたね。
井原知一
走ることって、仕事と一緒でレースが決まった、プロジェクトが決まりましたって言ったら、ここに到達するためには今3ヶ月前だから何々しなきゃいけないっていうのも仕事とすごく似てるなーなんて思ってるんですけども、
走ることをやってたら、逆算して何をやらなきゃいけないっていうことも自分自身できるようになってきた。だから仕事も同じようにそうしてるっていうふうに思いますね。
なるほど。じゃあそういう中で来年は、さっきのバークレーのもあるのかもしれないですし、他は何か目指されてるというか大きな目標があるんですか?
近藤淳也
そうですね。トムズーピットで来年ソフトロックっていう、ハードロックっていうレースがありまして、二羽さんも出たことあるレースなんですけども。
井原知一
二羽さんはドライバーで行ってました。
近藤淳也
そうなんですね。
井原知一
現地はよく知ってます。
近藤淳也
シルバートに行ったんですか?
シルバートに行きましたし、今回のペイさんのお話も興味深く聞きました。
井原知一
本当ですか?
近藤淳也
それで毎年7月ぐらいにハードロックっていう大会があって、その1週間前にコースにマーキングがついてるところで勝手にハードロックを走ることはアメリカでソフトロックって。
そうなんですか。じゃあ同じコースなんですか?
そうです。
井原知一
ハードですね。
全然ソフトじゃないですか?
近藤淳也
ソフトではないです。
なんやコースが柔らかいんじゃないんですね。
井原知一
違います。勝手ハードロックをソフトロックと言ってます。
なるほど。
それをトムズーピットでツアーを組んでみんなで行こうと。
近藤淳也
こっちは誰でも出れるんですか?
井原知一
やろうと思えばもう。
近藤淳也
勝手にやるってことですか?
そうです。
そういう意味なんですね。
それをソフトロックという。
なるほど。
井原知一
レイクビアの1週間前にコースマーキングがあるところで、じゃあビアレイクやろうかみたいな。そんなノリだと思いますね。
近藤淳也
なるほど。
井原知一
山は多分自由に入っていいと思うんで。
そんな感じで行く予定ですね。
スタートゴールがシルバートンというところなんですけど、真ん中の中間地点が幽霊っていうところがあって、そこに宿を取って、宿からシルバートンに行って、まず半日、日中。
全コースをほとんど日中で全貌を見てほしいなと思って。
半分までを日中、おそらく暗くはなると思うんですけど、1回ホテルまで半分走ったら帰ってきて、5、6時間ぐらい仮眠して、また日が昇ったら半分走って帰って。
ハードロックってバックルって変えるんですね。事務局みたいな。そこでみんなに感想してバックルを変えに行って。
翌週はハードロックのレースもやるんで、そういったハードロックの雰囲気ですね。
ハードロックってスタートゴールに大きな岩ですね。動物でいうと。
近藤淳也
あれは。
井原知一
アンテロープみたいな。
牛系じゃないですか。
鹿か牛みたいな。
近藤淳也
キスするやつですね。
井原知一
キスするやつ。ハードロックのマークがダーンと書かれた岩をキスするんですけど、そういったものも置いてあるんで。
いろんな選手もいるところに行って、雰囲気も味わって、それで帰ってくるっていうのがあったりとかですね。
あとはトム・スピッドでもアメリカの100マイル、僕の友達アメリカにいるんで、そういった人たちとコラボレーションしてアメリカに連れて行ってレース走って。
また来年もマサナッテンっていうレース走るんですけども、毎年東海岸のレースをやってて、レース終わったらメジャーリーグのベースボールをスタジアムに行って見て、
ワーってやったりとか、この前はシャノンドゥレバーっていうのがあって、そこを川下りしたりとかやってましたね。
結構楽しい。楽しいですね。
近藤淳也
結構メンバーの方と一緒に行くこともあるんですね。
そうです。
それはまた面白いですね。
結構アメリカが多いですか、じゃあ。
井原知一
そうですね。来年は初めてヨーロッパのTDSっていうレース出るんですけど、これは初めてヨーロッパのレースに出てくる予定です。
近藤淳也
それは急にヨーロッパに行くのがきっかけだったんですか。
井原知一
アメアスポーツ時代は僕はアジアの担当で、職業がAPACのオペレーションマネージャーっていう仕事だったんで、
営業とマーケティング以外全ての業務で、サービスとか在庫管理とかそういったのが僕の仕事の内容だったんですけど、
井原知一
そのAPAC担当で、本社もアメリカにあったので、本社に行く機会は年に2回ありました。
アジアに行く機会は結構ありました。ヨーロッパ1回ってEMAはあんまり行く機会がなくてですね。
だから僕も出張のついでに100マイルは走るみたいなのをよくやってたんで、
その影響もあってあんまりヨーロッパに行く機会もなかったんで、ヨーロッパのレースは走ってなかったっていう。
近藤淳也
そうなんですね。
井原知一
今回、やっぱり今フリーで僕やってますんで、いずれはやっぱりUTMBみたいな、今世界一のレースと言われてる、そういったシリーズで出てみたいなと思ってTDSに出る予定です。
近藤淳也
じゃあなんかすごくアメリカだけにこだわってるとか、そういうのは。
井原知一
そういうのはなかったんですよね。
近藤淳也
たまたま出張のついでに。
井原知一
ついでに行ってた。
近藤淳也
出ていたらどんどんアメリカのレースになることになって。
井原知一
そうですね。結構入れてるんで、そうすると入れる隙間ないなみたいな、そんな感じでしたね。
近藤淳也
なるほど。そして10月はレイクビアが書いてありますけど、これは確定ですか?
井原知一
はい。ニワさんにも相談してですね。毎年ニワさんがお声かけてくれたんですね。
その時期ってレイクビアと、バンビもそうですよね。
で、コーミもありますし、5年間トムスピットで、4年間トムスピットでコーミが完走できない方がいらっしゃいまして、
毎年絶対完走、コーチングしてて、絶対今年こそって言って完走できるって言って応援に行ってたんですけど、完走できなくて。
で、毎年お声かかったんですけど、またちょっと応援に行かなきゃいけないんで、応援に行きたいんで、
だからちょっとまたこの方が完走したらぜひ行かせてもらうんで、もうちょっと待ってくださいっていうことを続けていて、
あまりにもずっと断ってたんで、ニワさんそろそろもう誘ってくれないですよねって、
ちょっと冗談でメッセンジャー打ったら、いやそんなことないですよ、毎年声かけてくれるんでということで、
その方が今年コーミ完走してですね、すごい感動しましたね。
なので僕もコーミの応援は一旦ちょっと卒業して、レイクビア出たいなと思ってますね。
近藤淳也
お待ちしております。
ありがとうございます。
一応レイクビアは実行員も入ってまして、運営もちょっと変わってますんで、ちょっと楽しみですね。
桑原佑輔
そうですね。
近藤淳也
多摩さんにどんな走りを見せるのか。
井原知一
今年も少しコースの方行って、なかなか険しいですよね。
そうですね。
ああいったコース嫌いじゃないんで、楽しみですね。
近藤淳也
あと26年、再来年は結構TJRとかトルディジアンとか東海自然歩道FKTっていうちょっとその100マイルじゃないものがちらちら見えますけど、この辺りは。
井原知一
おそらく多分全部は無理だと思うんですけど、もうちょっと長いやつもやってみたいなっていうところで、どれか走ってみたいなと思ってます。
ただまぁTJRにしても今年は初めて、僕も100マイル100タイムスっていう前に、まずTJRに出たいっていうのは、やっぱりそのウルトラを始めて、
その頃アドベンチャースポーツマガジンっていうのがあって、その時にちょっと選手が誰かちょっとわからないんですけど、そのTJRの手作り感あるゴールで、
太平洋の波がドカーンって、もう本当にダーンってなって、その選手がゴールする写真がものすごくかっこよくてですね。
これ絶対出てみたいということで、まずそういった思いがあって、どんどんどんどん距離を増やしていったところで100マイルっていうのに出会って、
そのTJRじゃなくて100マイル100タイムスの方に軌道修正するんですけど、なのでいつか出てみたいっていうレースではあったんですけど、
あんまり身近なところのレースではなかったんですけど、やっぱり自分のクライアントが唯一出るって話になると、実際にレースに足を運んだら、すごいレースだなって。
聞いてたものと実際に行ってみると、やっぱり選手の最後の方で足とかもすごい状態で走ってきて、声もかけられないぐらいのオーラで、
とにかくかっこいいなって、みんなトップの選手から最後の人までみんなかっこいいなって思って、ちょっと身近な存在になって、ちょっと僕もっていうのは今年やっぱり行ってみてる思いですね。
まだ先行とかには出たこともないですね。
ただ、2年後とはいえ、TGRやる年ってもうアルプスにちょうど入れる時期ぐらいなので、じゃあTGRの前でアルプスで練習しようって、その開催される年にはおそらく練習できないんですけど、
前の年にアルプスに行ってたくさん練習しなきゃいけないんですけど、来年そんなにアルプスにいっぱい入れないようであれば、2026年じゃなくて28年とか30年とか32年とか、そういう形になっていくと思うんですけど、
でもどこかしらやっぱり自分の中では、一回やっぱり日本海から太平洋なんてロマンチックじゃないですか。なので、いつかやっぱり出てみたいなと思いますね。
近藤淳也
そういう思いがあるんですね。
日本アルプスの山とかは結構行かれてるんですか?
井原知一
最近やっぱり興味出始めてですね。今年とかも結構行きましたね。南も行きました。南結構行きましたね。北も数回行きましたし、だからちょいちょいやっぱりTGRのコースとかも思想しながら行きたいですね。
大会中もずっと息吹を追ってましたね。
近藤淳也
ちなみにこの100マイルを超えるやつに出て換算したら、さっきの1万マイルの換算に入るわけではないですか?
井原知一
そうですね。1個ですね。400キロでも100マイルカウントですね。
近藤淳也
さすがにそうですね。
最後でも100終わるときは本当は100、1万、なんか300マイルとかなってそうですね。
井原知一
そうですね。なってそうですね。なんか計算したら。
近藤淳也
長いので始めると。
井原知一
あともう23本ですか。
近藤淳也
今のまま行くと何年頃とかも。
井原知一
そうですね。年後5本だと4年ぐらいだと思いますね。なんで僕47なんで、51ぐらいで達成はするんですけど、やっぱりもう100本達成したら、もういろいろと200マイル200タイムとかなんかいろいろ考えたりしたいんですけど、あんまり現実的じゃないなと思ってるんですけど。
やっぱりとにかく100マイルが好きなので、そこはもう本当に90歳とかなってもやっぱり100マイル走ってみたいっていう大きな夢があるので、そこまではずっと数を続けていきたいなとは思ってますね。
近藤淳也
じゃあ100で終わりというわけではなく、次はいくつって出てくるかもしれない。
井原知一
そうですね。100回目は1本目に走った僕がやってるTDT、息吹も使わせてもらってありがとうございます。息吹入れてからめちゃくちゃ便利ですね。
息吹のないTDTなんてもう考えられないですね。
今まではもう予測で何時に来るみたいな本当に原始的なことをやったんで、今はもう全員どこにいるかもわかるし、安全だし、そういった面も含めて入れない理由がどこにもないと言いますか。
なのでまた使わせてもらって、その100本目もTDTって決めてるんで。
近藤淳也
そこは決めてるんですね。かっこいいホームでね。
井原知一
僕が100マイル100本目の時にもう100人仲間を呼んでですね、みんなにも走ってもらいたいなと思ってて、みんなが1人100人走ると1日で1万マイルになるんで。
僕が20年間くらいかけてきた100マイル100タイムスを1日で見る瞬間を同時にやりたいなっていうのがちょっとした夢になってますね。
いやー楽しみですね。
近藤淳也
ちょっといろいろ興味にまかして聞きまくりました。
桑原佑輔
いやもう近藤さんの興奮がすごい伝わってきてまして。
近藤淳也
いはらさんからこれ話しておきたいとこありますか。
井原知一
そうですね。失敗することはもう恥ずかしいことでもなんでもないんで。
僕は失敗しちゃいけないっていう感じで生きてきたんですかね。
分かんないです。どうですか皆さんもどうですかね。聞いている方も近藤さんもどうですかね。
いはらさんも。失敗って悪いことって固定概念があるような感じがするんですよね。
でもウルトラランニングを通して逆にうまくいく方が珍しいというか。
なのでもう本当に失敗とか恐れず失敗ってすごい良いことだと思うんです。
同じミスを毎回するっていうのは良くないと思うんですけども。
何かを挑戦して失敗してまたそれを与えられた課題をもう一回復習して練習してまた挑戦してまた失敗っていうのは
どんどんどんどん自分が成長できることだし
そもそも失敗するって挑戦する勇気があったっていうことだと僕は思ってるんで
失敗しないってことは挑戦もしすらしなかったっていうことだと思いますんで
どんどんランニングだけじゃなくていろんなことに挑戦して成長してほしいなというふうに思ってますし
僕自身も成功することもあれば失敗もするんで
そういったところを含めて僕自身も成長したいですし
そういった姿を見せて僕の教えている生徒さん達にも成長してほしいですし
いつも応援してくださる仲間もみんな成長していってほしいですし
何かこういつか失敗って何かこう悪いことじゃないっていうのが
辞書で失敗って成功みたいな何か何かなればいいかなとは僕は思ってますけどね
近藤淳也
なんか今日のセオリーが聞けた感じが
確かにそうですよね失敗してるっていうのは挑戦してる証拠でもあると思いますし
井原知一
なんか成長のきっかけが得られたっていうポジティブに捉えるっていうのはいいですね
近藤淳也
ちょっとじゃあそれを胸に失敗楽しんでいきたいと思います