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2024-11-26 19:13

マックス・ヴェーバー『職業としての政治』 #3

責任倫理と信念倫理の狭間で。


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「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず! 』と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への『天職』を持つ」。マックス・ヴェーバー(1864-1920)がドイツ敗戦直後、自らが没する前年に行った講演の記録。政治という営みの本質、政治家がそなえるべき資質や倫理について情熱を傾けて語る。


●AI要約--

この会話では、ミキとのぞみが「職業としての政治」に関する本の内容について議論しています。主な話題は政治の定義、責任倫理と信念倫理の緊張関係、言葉の意味の変化、そして個人の仕事に対する姿勢でした。


マックス・ウェーバーの政治の定義が広範囲であることが指摘され、政治が様々な場面で見られることが議論されました。また、責任倫理と信念倫理のバランスの重要性が強調され、それぞれの仕事における姿勢について意見交換がなされました。


言葉の意味の変化については、「ヒューラー」という言葉がヒトラーを連想させるようになった例が挙げられました。


最後に、次回の読書会でモンテクリスト伯を読むことが決まりました。


チャプター


政治の定義と範囲


のぞみは、マックス・ウェーバーによる政治の定義を紹介し、それが非常に広範囲であることを説明しました。銀行の為替から労働組合、都市や村の運営、さらには夫を操る妻の行動まで、自分の信念や意図に基づいて他者を導こうとする活動は全て政治であるとされています。


組織内での「政治」の使用


ミキは、大企業の組織内で「政治ができる」という表現が使われることに言及し、それがマックス・ウェーバーの定義に沿った正しい用法であることを認識しました。


言葉の意味の変化


のぞみは、「ヒューラー」という言葉が元々カリスマ的指導者を意味していたが、ヒトラーの台頭後にその意味が変化したことを例に挙げ、言葉の意味が時代とともに変化することを指摘しました。


政治家の類型


のぞみは、政治を仕事にする人には「政治のために生きる」と「政治で生きる」という二つの類型があることを説明しました。これらはドイツ語で「フュア」と「フォン」という前置詞で区別されると述べました。


近代的政党組織とリーダーシップ


のぞみは、近代的政党組織においてリーダーのパーソナリティが選挙戦に及ぼす影響について説明しました。リーダーの個人的性格が政党全体の選挙結果に大きく影響し、その周りの人々が自分たちの利益を最大化しようとする構造があることを指摘しました。


責任倫理と信念倫理のバランス


ミキとのぞみは、自身の仕事における責任倫理と信念倫理のバランスについて議論しました。ミキは責任倫理を優先しつつも、バランスを取ることの重要性を認識し、のぞみは状況に応じて両者のバランスを取ろうとしていることを述べました。


次回の読書会の計画


のぞみは次回の読書会でモンテクリスト伯を読むことを提案し、ミキもこれに同意しました。のぞみは特に「忍耐せよ、そして希望せよ」という言葉に興味を持っていることを述べました。


00:11
私は、職業としての政治を、別に政治は結構いろんなことに置き換え可能だな、みたいな感じで読んでたんだけど、でも実際そんな気がしてて、どんな仕事をやるにしても、責任利益と信念利益の緊張関係が必要だよな、とか思うし、どっちかに偏ってたらあまり楽しくないだろうなって思うし。
なんかこの、仕事としての政治っていうことの中の、私は政治によりで読んでたからどういうことなんだろう見てたんだけど、政治の定義っていう項目が一応、なんか真ん中ぐらいにあってさ、すごく幅がある概念で、マックス・ヴェーバーさんの定義によると、何かに依存することなく導く活動であれば、どのような種類のものでも政治の概念に含まれると。
そんなこと言ってたっけ?
銀行の為替をどうするかとか、銀行周りの諸々もあるし、労働組合の中にも政治はあるし、都市や村の中にもあるし、さらには夫を上手に操ろうとする賢い妻の政治だって政治であると。
誰かに言われたからこういうことをするっていうのではなく、自分の信念とか意図とか、そういうことを通じて何か個人だったり集団を導こうとする活動は漏れなく政治であると。
あ、そっか。じゃあやっぱりいいんだ。なるほどね。
三木さんの言っていることはそういうことなんだろうね。いろんなところにこの仕事っていう。
政治はあるんだ。
そうそう、政治はあって、そこの中につまり緊張関係というものは必要であるっていうことなんだよね。
じゃあさ、よく大きい会社の組織の中とかに言うと、あいつは政治できるからとか、いや私は政治できないからとかっていう会話ってあるじゃないですか。
それって比喩かと思ってたんですけど、一周回ってマックスウェーバー的には正しい用法なんね。
まあそうだね。あの人は政治できるからっていう時のニュアンスって、さっきの三木さんの働く人を機械と、マシンという比喩と同じように、なかなか含みのある例えですよね。あの人は政治っていう。
そう、でも実はマックスウェーバーの定義に寄り添ってみるとすごく正しい使い方なんだ。
うーん、確かにな。なんかすごく私、この本、注釈がたくさんついててさ。
ついてた。もしかして全部読んでますか?
ちょこちょこ読んでる。これはこの本から来てますみたいなやつは読めないんだけど、そういうことか、言葉って面白いなっていうふうに思ったやつがさ、どこだったっけな。
なんか支配みたいな、この国家による支配みたいなことをちょっと語ってるところでさ、そのカリスマみたいな話がポコポコ出てきて、そのね、どこだっけな。
03:08
そのカリスマっていう人が、その個人の力によっていろんな人を魅了して、聞く人たちを導いていくっていう時に、この導く人っていうのがいるじゃない。
その人を一応この本の中ではリーダーって訳してるんだけど、訳中を見ると原文だとヒューラーって書くらしいのよ。
その時には、この時にはヒューラーっていうのは一応一般的言葉として、自分のカリスマ性によって、個人の力によっていろんな人を導いていく人っていう意味だったんだけど、
その後ヒトラーが出てきたことによって、ヒューラーっていうのはつまりヒトラーを意味する単語になっちゃったんだって。
へー。
っていうのが書かれててさ、面白いと思って。
だから日本のリーダーっていうとなんかいろんなイメージが、むしろなんかいい意味っぽいじゃない。
けど、この本を今の当時の人が読んでるのと、今の人が読んだ時に、ドイツ語の原文で読むと意味合いがなんかちょっと感じるニュアンスが全然違うんですみたいなことが中で書かれてて。
へー、それ面白いね。
英語のリーダーっていうことの意味合いだと、ちょっとこのヒューラーっていうのを表現すると物足りなさが残るなーっていうことは否定はできませんっていう注釈が書いてあって、面白いみたいな。
でもあれかもね、だから日本だったら、なんか信仰宗教の教祖みたいなのがさ、オウム心理教とか以降ちょっとダメなニュアンスになってたけど、それより前は教祖っていうのはポジティブに使われてたとしたら、なんかそういうことって起きるかも。
そうかもね。
まるで教祖みたいななんか褒め言葉だった時代があったかもね、わかんないけどね、適当に言ってるけど。
あー、確かにその言葉としてさ、悪いっていう単語とか、なんかこのノットの火とかさ、使ってる飛行とか、ブレーとかなんかさ、そういう悪い言葉を使って悪い意味になるってのは自然だけど、教祖って教える祖だからさ、悪い意味全くないし、
なんなら洗脳とかも脳を洗うだからさ、別にそんなに悪い漢字2つじゃないのに組み合わせると、悪い印象をなんとなく残すっていうのは面白い単語ですよね。
だから例えばそういうことなのかなと理解しました。
そうだね、そうかも、そうかも、そうかも。
面白いね。他面白中ありました?私、中を実は全く読んでなかったです。
面白中ね。どこあったかな?いくつかあった気がするんだよな。
まあちょっと中じゃないんだけど、ドイツ語面白で言うと、政治を仕事にする人には2つの類型があるっていうことを言っていて、日本語の訳だと政治のために生きるっていうのと、政治で生きるっていうことがあって、
06:06
政治のために生きるだとフュアかな、FにウムラウトのついたUにR、FURでためっていうのと、政治で生きるフォンっていう、VONでフォンの政治で生きるっていうのがあって、
人はどっちの側面も抱えてるんだけど、内面的な意味でどっちになってるかは全然違いますね。フィアーオアフォンっていうのが出てきて、ドイツ語面白ってなったね。
それがすごく印象に残ってる中は、中というか本文とのセットなんだけどさ、これなんていう章なんだろう?近代的政党組織と人民投票的なデモクラシーっていう、4分の3ぐらいのところに出てくるんだけど、
そこでリーダーのパーソナリティが、その政党の選挙戦に及ぼすデマゴーグ的影響が、票と議席、それとともに権力を供給し、そしてそれによって取り巻きたちが自分たちの望んだご褒美を手にする偶然を最大限に拡大するっていうのをさ、
その、つまり、政党の一番偉い人が代表になっている人の個人的性格とか、それとかどういう人かっていうことが、たとえその人自身だけじゃなくて、政党の選挙、
例えば、自民党って入れる、民主党って入れるっていう選挙が何か仮にあったときに、本当は自民党と民主党の選挙なんだけど、実質的には自民党の代表と民主党の代表が争ってるみたいな構造になっていて、そのパーソナリティに動かされるっていう影響がめちゃくちゃ増えていて、
で、その人の取り巻き、周りにいる人たちがそれをうまく使いながら自分に預かるおこぼれを最大化するっていうことが、今のこの近代的政党組織だっていうことが書かれていて、その中にもちろん現代の方がこの傾向は強まっているって書かれてて
本当に今思った、あれ?今の話しかと思ったんだって
100年と思って、100年経ってもそうなんだっていうことを思って、その時にもう共和党トランプってやってるからさ、そりゃそうだよなみたいな
思ってすごくうんうん頷いた内容と注釈とのワンセットだったね
めちゃくちゃ政治についてうんうんとしながら読んだから、逆にミキシさんが言っている政治家の資質みたいなところ確かに今振り返ってみると後半の方に出てきてたりしてたなと思いながら、でもあんまり気づいてなかったのは確かにそうだなと思って
09:13
お互い違う観点で読んでたからすごい意見交換できてよかったです
よかった、よかったよかったですよ緊張関係ね、そりゃそうなんだよな
何か言い残したことはありますかミキさん
面白く読みました、いいヒントになった
私の職業観を考えようっていうことで読んだ本でしたけど、結局仕事のヒントにもなって旨味の多い本だったなと思いました
最後にこれだけ聞くとミキさんのその責任倫理と信念倫理はミキさんはどっちにどっちに寄りがちっていうか緊張関係とかは自分のことを考えるとどういうあれなんですか
私は緊張関係を自覚的に持とうと思ってなかったタイプなんで、基本だから責任倫理バランスを取るときに責任倫理ばっかは果たせるけど信念の方は果たせないなっていうときに普通にその仕事を抜けるっていう感じでやってきたなと思います
なるほど、それはつまり仕事をお願いされていることを自分はできるんだけど、あんまり自分の大事にしていることが合わないなとか、この人と思想が合わないなみたいなときにはその仕事に取り組むことそのものからじゃねってなるっていう
そこに緊張させて私の信念に満たないからこれ本当はこうじゃないですかとかあまり言わずスッて抜けてきたっていうタイプだからつまりそういう意味では責任倫理の方を少しだけ優先して責任を果たしたいだから果たしたいと思うと自分が何か損なわれる気がすると思うとやめるみたいな感じでしたね
逆側のその信念倫理のために責任倫理を放棄するみたいなことはミキさんの放棄するまでいかなくても弱めるとか
ない気がする私はないと思う
なるほどね
そういう意味ではあれか責任倫理
が少し優位なんだけどそう先行なんだけどやっぱバランスを取る行為だったなって思いましたからそればっかりだとすぐやめちゃうのは
なるほどね
緊張関係という表現がピンときたので
もしかしたら自分なり会議をするという行為を一度挟むかもしれないですよね今後は
そうねこれは自分の信念に見合うんだろうかとか
もしか見合わせることができるのかもとかみたいなことを考えるみたいなことはするかもしれないですね
なるほど一回退散する前にその緊張関係を作りに行くっていう
作りに行くっていうことをしてみてもらうことができるかもしれない
のぞみさんはどうですかどっち優位ですか
12:02
うーん
そうねどうだろう
どっちもあんまりないかな
どっちもあんまりないかな
じゃあなんで働いてるんですか
酒のあるオフィスで
酒のあるオフィスで酒物混ぜりを働いて
職業としてのコンサルタントをやってんじゃないんですか
なんかすいませんごめんなさい
なんでしょうね
なんでしょうね
仕事より大事にしてることは
あーたぶん
今言われて思ったのはその責任倫理の方も信念倫理の方も
なんか一貫したものがたぶんあんまりなくて
なんか瞬間瞬間に全然違うものがピュッピュッて出てくるっていう感じ
でなんか緊張は確かにしてるかも
だからその例えば演劇人のプロパフォーマーの人たちが
私は絶対こういう形の何かを届けたい社会にとか
絶対この人のために仕事は頑張りたい果たしたいみたいな
そのかくたる責任倫理かくたる信念倫理を持ってる方っていらっしゃるじゃないですか
どっちについても
私はそれ全然なくて
その瞬間その瞬間でいうと
この仕事のこれは頑張りたいなっていう責任だったり
この主張はなんか私としてすごいしっくりきてるから
なんとしてでも通したいなっていう
瞬間瞬間のものは強烈に強くあって
確かにそれはバッティングすることは多いです
多いかなっていう気はするかな
この人にこう言ってあげるのが
特にコンサルタントとかだと
なんかあったりするじゃないですか
自分のお客さんの人たちが会社的に正しいと思えないことを言おうとしているときに
でもプロジェクト的にはその人が金を払ってるから
その人を応援してあげるのが責任倫理的には正しいんだけど
信念としては会社全体として
いいことをするっていうためにやっている仕事でもあるから
それをどうするかっていう緊張関係はよく直面する
そういう時に私はもういいやみたいになっちゃうわけですよ
なるほどね
イマイチなお客さんだなと思いながら
そうそうイマイチなお客さんだないいや抜けようみたいになるわけです
だからのぞみさんはそこで戦わせられるってことですねバランスを
そうね毎回緊張関係の中でなんかうまくできないなと思いながら
仕事を続けてるっていう感じかな
そういう意味では常にバランスを大事にしてるってことだと思った
だから責任と倫理のどっちを大事にしてるっていうか
常にバランスみたいなところを大事にしてるってことかな
そうかもね
ちなみに昨日ちょうどご飯食べてた人俳優だったんだけど
15:02
ちょうど責任倫理と信念倫理で話はしてなかったけど
そのバランスの話してて
俳優は何と戦ってるかっていうと
演じることが好きで自分の演じたい欲求っていうものと
演出家の意図に沿うとか
お客さんにとって見やすいものにするみたいなところで戦うんだって
自分の演じたい欲求ちょっとなんだろう
それは何を喜びにするかは多分俳優によるんだけど
めちゃくちゃ難しい役をやってみたいとか
テクニックの必要な繊細な演技をやってみたいみたいな欲望と
演出家の意図通りにしなきゃいけないとか
お客さんにとって見やすいものにしなきゃいけないっていうところ
そういう自分の欲と人の意思みたいなので戦うって言ってたよ
なるほど
その責任っていうのが演出家に対する思いっていうか
演出家の意思とお客さんじゃないですよ
それは最終的にお客さんに見やすいもの面白いものを提供するってことなんだけど
そっちを優先するか自分のやりたい欲みたいなのを満たすか
なるほど
地下芸人みたいに俺がおもろいのはこれやねっていうのを
受けとか気にせずやり続けるっていう
それが信念強い人だよね
そうそう
役者もそういうので戦うって言ってた
なるほどね
その緊張関係は難しいね
100年前からそういうのを構造的に考えていた
おじちゃんっていうのは
なるほどね
あまり仕事とプライベートとか
仕事って仕事っていう単位で考えがちだったから
その仕事の中でもこの要素みたいなのを分解できてありがたかった
そうだね
良い本だった気がするね
良い個展でしためっちゃでした
次の本どうするのぞみさんのターンですけれども
どうしましょうかね
ずっと読みたいなと思ってた本があるんだけど
その個展なんだけど
全5巻あるっていうのをちょっと知っておる
また自制力?
いやあのね
モンテクリストハクっていう
デュマが書いてるんだけどさ
最近平凡者から新役が出て
アレクサンドルデュマビールによる小説
小説なら読める気がする私
本当?
全5巻あるから全部は読み通せないかもしれないけど
ちょっと読んだところまで
OK
でやるというのはどうでしょうという提案
なんでそれを気にしてたの最近
確かみきさんと一緒に読んだ東大教養講座のやつあったでしょ
三部作の
はいはいはい知識の技法みたいな
技法3つみたいなやつ
あれの中にデュマの名言みたいなのがあってさ
モンテクリストハクの名言みたいなのが取り上げられててさ
18:06
それを文字って誰かが書いてるとこがめっちゃよくて
私今SNSのプロフィール欄に
笑えそして希望せよって書いてあるんだけど
モンテクリストハクの中に
待てしかして希望せよっていう言葉が出てくるっていうのがあってさ
すごいなんかグッときちゃって
この待てしかして希望せよっていうのに
それ以来ずっとモンテクリストハクをどっかで読みたいなと思って
読みましょうじゃあそれやりましょう
なのでぜひ行けるとこまで読んで話すというのをやりましょう
じゃあ次回はモンテクリストハクで
はい行けるとこまで話すで言いましょう
じゃあ今日はそんな感じで
はいありがとうございました
ではではでは
ありがとうございました
はいいつかオフィスで遊びに行きます
ぜひ寒くなってきたから体調に気をつけてね
はーい頑張ります
じゃあねー
ではでは
19:13

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