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2023-05-23 31:39

生と向き合う:神谷美恵子"生きがいについて" #3

みきさん積ん読の1冊。

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「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」


神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。

本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。

1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた永遠の名著に執筆当時の日記を付して贈る。

⁠⁠Amazon⁠⁠より

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話したこと

  • 苦しみや悲しみから起こる内面から生まれたものこそが生きがいの原動力?

  • 「うまくやってるように見えるか」と生きがい感は違う話/上手くやってるかの話より生きがい感の話を聞くほうが楽しい

  • アンナ・コムネナはいいぞ

  • 次の本:ピープルウェア


Whisper要約

  • 本の中で紹介されていた聖書の詩が第1者にとって印象深いものだったと述べています。特に「苦しみと悲しみの十字架こそ我々の誇り得るものである」と記された詩は生きがいについて考える上で重要だと感じられました。

  • 生きがいの原動力は怒りや憂いといったネガティブな感情にあると考えています。手応えを感じるのも、摩擦を感じているときだと言います。第1者は人生の意味を見出す上で、喜びよりも悲しみの方がはるかに形態が豊富であると考えています。

  • 本の最後では、神谷氏が生きがいについて考える一方で、重度の知的障害を持つ人々が生きがいを感じることができるのかについて揺れ動いていたことが描かれていました。神谷氏は生きがいを感じる能力がない人も生きる意味があると信じつつ、常に生きがいを感じることのできない人との違いを意識しながら本を書いていたようです。

00:09
今の生きがいの根源みたいなところですけど、私たぶんいい感じの陶器を焼いてとか、それあんまり生きがいにならなさそうだなと勝手に思っていてですね。
この本全体的にすごく私よかったんですけど、その中に結構聖書の言葉だったり、いろいろ引用されてるじゃないですか。
私は中盤から後半ぐらいに出てきた詩がすごくよくて、
苦しみと悲しみの十字架こそ、我々の誇り得るものである。なぜならば、これこそ我らのものであるからだ。って書いてる詩があって、すごくいいなと思ったんですよ。
あ、生きがい喪失者の心の世界っていう章の一番最後ですね。
そう、一番最後に出てきて、すっげーいいなと思ったんですよ。
だから私たぶん、こういうのにグッと来るところからひるがえって考えると、苦しみとか悲しみとか、最近仕事で思ってるのは怒りとか、それがたぶん私の生きがいの原動力ですね。
確かにそうか。これその前からのところからいいですよね。ちょっと読みますけど。
いずれにしても、自分に課せられた苦悩を耐えしのぶことによって、その中から何事か、自己のせいにとってプラスになるものをつかみ合ったならば、それは全く独自の体験で、いわば自己の創造と言える。
それは自己の心の世界を作り変え、価値体験を変革し、生存様式を全く変えさせることさえある。
人は自己の精神の最も大きなやりどころとなるものを、自ら苦悩の中から作り出し得るのである。
って書いてて。まあその、もう続きもありますか。
知識や教養など、外から加えられたものと違って、この内面から生まれたものこそ、いつまでもその人のものであって、何者にも奪われることはない。
で、その詩の引用に言ってるんですよね。
で、詩が苦しみと悲しみの十字架こそ、我々の誇れるものである。
なぜならば、これこそ我々のものであるから。
内面から生まれたものこそ、いつまでもその人のものであって、何者にも奪われることはない。
私のすごい偏った偏見ですけど、
なんか大体喜びとか楽しさって同じ形をしてると思ってるんですよ。
一方で苦しみとか悲しみってすごいいろんな形があると勝手に思っていて、形だったり深さだったり強さだったりがあると思っていて。
で、生き甲斐みたいなものが一人一人によって違う世界を作るんだとすると、その根底って私は絶対苦しみとか悲しみとかの一般的に言われるネガティブな感情だと個人的に勝手に思ってますと。
03:08
だから私がさっきの生き甲斐と手応えみたいなものがあったとすると、手応えがあるなと思った仕事を大体めちゃくちゃ切れながら仕事してますもんね。
それは対象はいろんなものであるんですよ。自分自身に対して、俺はなんでこんな仕事ができないんだろうって切れてるのも当然あるし、
自分がもっと優秀だったらこんな風にならなかったのにみたいな悲しみとか苦しみみたいなこともあるんだけど、
そういうものにまみれてる時の方が私は手応えっていうか手触り感みたいなのがありますもんね。
確かに最初の方に言ってた摩擦を感じてる時こそ心未来に開いておくべきみたいなのにグッときましたみたいな。そことも通じることがありますね。
ランス・アームストロングっていう自転車乗りがいて、その人、一応ツールドフランスっていう有名な自転車のレースで7連覇するんですよ。
7連覇って結構エグくて、しかもその人がんかな脳腫瘍にかかって、それ復帰してから7連覇したんですよ。
かかる前は、言ったら多分世界の5位から10位ぐらいの軍にいて、復帰してから7連覇したのですげーって言われてて、結局その人ドーピングしてたって言って全部剥奪になっちゃうんですけど、
その人のことを描いた本で、ただマイオ・ジョーヌを食べてなくて、マイオ・ジョーヌっていうのがツールドフランスで1ヶ月ぐらいずっと走るんですけど、
前日時点でトップだった人が着るジャージのことをマイオ・ジョーヌって言うんですよ。
あいつが1位だってみんなが分かるようになってるマイオ・ジョーヌっていうジャージがあるんですけど、
名誉の1位を着るためだけじゃなくっていうタイトルの本があって、その中でその人が病気から回復して練習すると、当然病気から戻ってきたばっかりだから上手く体が動かないと、
その時にすっげえゼーゼーハーハー言いながら山を登ってくるんですよね。
すげえ急激な山を登ってトレーニングするんですけど、その最中に俺このために生きてるんだって思ったっていうシーンがあって、俺すっげえそのシーンだけ強烈に覚えてるんですよ。
へー。
病気から復帰して、体が上手く動かない、自転車を本当にこのままやっていくかどうかも分からない、なんだけど山を登って超苦しい、
あ、俺このために生きてるんだ、自転車乗ってるんだっていうのを気づくシーンが描かれてて、もう同じ流れにありますよね。
苦しみ、悲しみ、辛さ、怒り、ジャーみたいな。
へー面白い。
そうだなぁ。
私たぶんその点だとあんまり苦しみとかに全然向いてなくて、神谷さんが何を考えてたのかなとか、
06:08
もうちょっとハンセン病患者と向き合うときに何を考えてたのかなとかいうことの方が興味持って読んでて、
結構最後の方が、この本の結びの部分が結構面白いなーって思っていて、話変わりますけど。
どうぞ。
なんかその本の構成としてね、最初に生き甲斐とは何か、生き甲斐感っていうものはどういう特徴を持つかとか、
どういう時に生き甲斐っていうのは失われやすくて、どういう時にどのように獲得されやすいかって話があって、
最終的に生き甲斐、総括みたいな最後の章に入っていくんですけど、
本当に最後の1ページがすごい思ったのが結局、生き甲斐っていうものについて広く考えていたもの、考える本になったものの、
神谷さんにとっては、長島のハンセン病患者と向き合っている日々っていうものがずっとあったんだなーって感じて、
そっか、ずっとこの人たちのことを向き合いながらこの本を書いてたんだろうなーって思ったんですけど、
最後の章で、こんなに生き甲斐について考えてるけど、この長島には精神の病のために絶望や虚無の中で落ち込んでいる人とか、
高齢のために頭が働かなくなって、ただ食欲だけになってしまったような人など、こういう人などがいると、こういう人はもはや生き甲斐を求める心もそれを感じる能力も残されてないんじゃないか、
こういう人にも生きる意味っていうのがあるんだろうか、っていうことを、やっぱりこれこそ生き甲斐の問題を考える者にとって何よりも一番痛い問いである。
その痛さをひしひし身に覚えずには彼らに接することはできない。 彼らはみんな反目のうちにこの強烈な問いを投げかけているからであるって書いてあって、
だからつまり神谷さんは生き甲斐は絶対研究なんてしなくても必要だと思いつつも、
感情と比べちゃうと、でもこの人たちに生き甲斐を感じる能力ってあるんだろうかって、ちょっと揺れてしまう自分もこう言いながら考えてたって感じがすごい伝わってきて、
ただしこの問いに対しては、せっかくこういう人たちにも生き甲斐はありますって書いてるんだけど、でも常に違いを感じながら、こう言いながら書いてる感じがして、
こういう、ちょっとどうってことじゃないけど、いろんなことを考えたんだろうなって感じられる文章、この最後らへんすごい面白かったです。
たぶん2023年の5月とか6月、観光の生き甲斐の本があったとしたら、
生き甲斐を得るってこんなに良いことがあるよ、生き甲斐が得る方法はこの7つ!みたいなやつじゃないですか。
09:05
実際この本のまとめ記事みたいな、そういう風になっちゃってるやつありました。
なんだけど、みきさんが言うように、本当にこの人にとって生き甲斐ってそんな大きな問題なんだろうかっていう問いがけはもう圧倒的にリアルなものとして、
ありますよね、このライエンっていう書き方をしてますけど、患者さんがたくさんいて、みきさんが言うように、生き甲斐とか考えるだけの認知能力をこの人はもう持ってるんだろうかとかさ、
話しかけても何も返ってこないし、こうなるとね、わかんないよなぁ、わかんないよなっていうか、わかんないよなって思うだろうなぁ。
でもそこに対してわかんないよなって感じはない。わからないことを、わかることをあきらめたくないっていう感じがする。
だからわからないけど、わかることをあきらめたくないです。だってこの内病の患者の人たちとこれから老いていく私たちは何が違うんですか、私たちだってさ、50年後にはこういう風になってるんですよねっていうこととかも言ってて。
そのあきらめなさみたいなのとかが、でもやっぱり断定はしてされてなくて、書き方なんか工夫を感じるというか、
そこが結構ずっとこう揺れ動く間、境界線上に立ち直らなかったりしてたんだなっていう感じがして。
ご体満足の私たちと闇を蕩えた者との間にどれだけの違いがあるというのだろうと、私たちもやがて間もなく闇を蕩えていくのではなかったのかと。
でもこう書くってことはさ、もう全然違うじゃんって思ってる感じがすごいするじゃないですか。
そうね、いやそうだと思う。何かの線があるけど、まあ線があるように少なくとも見えるけど、果たして違いはあるんだろうかっていう問い立てだからね。
そう、そうか、こういう最後が面白かったなって。面白いっていうか。
そうだよなぁ。
本のテーマとしてはめちゃくちゃ人間の生きがいについてっていうふうへんのテーマで、あんまりハンセン病患者も1サンプルとしてしか感じられなかったけど、そういう書き方だったけど、
他の人にとっては本当にいつも目の前にいた話だったんだなってことが、最後にまたフッて見えてきて。
そういう動きが見えるのが面白かったし。最後に日記が載ってるじゃないですか。
載ってるね。
なんかそれでも、生きがいについての本を書きたくて夢中ですとか、私の血で書けたらいいのにとか、私の心血を注ぐ賞ですとか書いてて、
すごくない?私の血で書けたらいいのにって思えるぐらいの本を書けるのいいねって思ったり。面白かったし、そういう人柄が見えるところが面白かった。
そうだよね。
生きがいについてという本を書きたいと考えて夢中になったのは、夜お風呂の中らしいですよ。
12:02
しかも子供を2人育てながらね。
ちょこちょこ神戸女学院とか出てくるので、
土地柄を考えたんですけど、女学院に行く道結構急だよなと思いながら、頑張って登ったんだなっていう日記を見ながら思ってたですね。
うん。
私はそういう神谷さんの勝手な手触り感がある部分がグッときてました。
野杖さんが苦悩にストラグルしているシーンに思い馳せていた時、私は神谷さんの頭の中が見えるところに思い馳せておりました。
うーん、すごくすごい人なんだなっていうのを、
ウェキペディアのページを5分読んだだけでも感じるじゃないですか。
そこまでして一緒になりたい?みたいなのとか、そこまでして人生のハンドル切りますか?と思うとね、圧倒されたなぁ。
でもレイワンにいたら、ありがたいけどちょっと苦しいですね、みたいになりそうですよね。
なるかなぁ、すごいもんなぁ。
でもこういう人が切り拓いてくれたと思うけど、女性の活躍の道を。
そうだろうね。
主婦として2人子供を育てながら、
医者になって本も書いて、マルクス・アウレリウスの自生力の翻訳書を出してるっていう。
どういう活力で生きてらっしゃるんですかね?
すごいなぁ。
これだね、ミキさんが言ってたのは、どこでもちょっと切れば私の生き血がほとばしり出すような文字、そんな文字で書きたい、私の本は。
どっかで、ああ、いっそ自分の血で書けたら、書いてあったけど。
マジで?血好きなの?
自分の血を捧げてるようなものだから。
いっそ血で書いてある。
本当だ、書いてある。
パソコンとかないから、手書きですもんね、きっと。
そうだね。
今、苦しみと悲しみの意味というところを書いているので、文字通り心血を注ぐといった感じ。
ああ、いっそ自分の血で書けたらいいものって書いてるね。
はあ。
うーん。
そうですか。
全然関係ないんですけど、
これ、2018年、100分で名著で取り上げてて、
いろいろ調べてるときに、
100分で名著の司会をやってたNHKのアナウンサーの方がいるんですけど、
その方が、ちょうどこの生きがいについてを読んだり、それだけじゃないけどいろんなきっかけがあって、
NHKアナウンサーを辞めて、今、医学部、医者になるって言って、医学部生をやってました。
15:03
はえー。
やっぱり自分が本当にやりたいことってなんだろうって思ったときに、
そういえば私ってお医者さんになりたいって思ってたかもって思って、
それを目指すことにしたって。
はえー。
放題出て、NHKのアナウンサーになって、子供を2人産んで、
40過ぎて医学部入り直して、
研修とかもろもろ終わるとき50歳らしい。
いやー。
きがいですねー。
いくつになっても、これやりたいかもって思ったときに、
年齢とか理由せずやろうって思った。
はー、そうだねー。
なんかこの生きがいっていう言葉とさ、
すごく実感を持って感じるのは、うまく生きていくっていう言葉とは、
ちょっとニュアンスが違うじゃない?
生きがいのある人生っていうのとさ、うまく生きている人生って多分、
違うんだろうなーっていうのは改めて思うよね。
自分自身の日々の生活を感じても。
他の人から見て、あるいは自分自身の感覚としてうまくいってるなっていうのが、
それぞれ2個あるとして、
それと全然別軸で、他人から見るとうまくいってるんだけど、
生きがいがそうなっているときもあれば、
自分自身としてはすごい生きがい感じでやってるでっていうときもあれば、
思ってるんだけど、
自分自身も他人からしても、うまくいっているって感じではないっていう瞬間もあるから、
それはあれだね、全く別の軸として存在してるんだろうね。
それこそ生きがいの中には、生き応え面が要分が大きいものと、
もうちょっと将来的な気球に向けた要素が大きいものとか、
それが今将来に向けた6円進捗かとか、
そういうのとかとは関係してそうだよね。
そうなんだよなー。
ちょっと今言語化が進んだな、自分の中で。
うまくやるっていうことの軸をすごく優先して、
自分あるいは他人を評価する人っているじゃない?
人を評価したり物事を評価する人っているじゃない?
例えば、その生活ってコスパ悪くない?みたいなのもそうだし、
それで最終的な意思決断をするのは別にいいんだけど、
生きがい的な軸とかって全く独立に存在してるはずなんだけど、
そこが全く評価軸として、ベクトルとして存在してないっていう人、
結構いるなと思ってて。
なんかしんどいよね、そういう人と一緒にいると。
でもそんな人いっぱいいるけど。
いるので苦手なんですよ。
あと今難しいなって思ったのが、
私はそういう人から見てうまくやってるかどうかとかじゃなくて、
自分なりの手応えとか生きがいとか話し合いみたいなものを
シェアしていきたいと思っている人ですっていう
18:01
マインドを伝えるのがむずくない?
ちょっと分かった気がするけど、もう一回言って。
つまりお互い、この人はうまくやってる風に見せたい人が
ふーんっていう競争の理解で、雑な付き合いでいいやって思ってる。
そういう風に浅いところで片付けてるけど、
片付けちゃってお互いにとってつまらない人間っていうことで
決着がついてるように見えるけど、
そもそもそういう決着はつけたくなくて、
私は自分なりの生き応えとか張り合いとか
生きがいみたいなものをシェアしていきたいですっていう
ことを伝えることが難しくない?
それはそうだね。それは本当にそうだね。
あー、難しいね。
伝えるのも難しいし、感じ取るのも難しいね。
それは確かにそうだな。
どこまでやる必要があるのかっていうのもあるしさ。
全員とそんな深くつながっていくことは難しいし、
取捨選択ってあるかなとか思っちゃうけど。
さっきみきさんが言ってたみたいに伝える必要は別にないわけだからね。
自分の生きがいも生きがい感も別にどっちも伝える必要は。
必要と言ってしまうと、まあそうだね、ないから。
そうだね。そうなんだよな。
自分が超感受性豊かになればいいのかな。
親習性をいかに高めていくかっていうか、
同じくらいの心臓圧じゃないといいじゃないか。
そうなのよ。
ぶっちゃけさ、その人がどれくらい上手くやってるかなんて、
婚活とかでは大事かもしれないよ。
家庭としてね、経済力がもちろんないよりあった方がいいから。
大事かもしれないけど。
ほとんどのシーンってさ、上手くやるよりも生きがい、
あるいは生きがい感の構成要素を知る方がさ、
話してて楽しかったりするじゃない。
例えば会ってて、この人は何に生きがいを見出しやすい人なのか。
例えばスポーツなのか、友人関係なのか、家族なのか、
あるいは自分の静かな時間なのか、生きがいの対象物もそうだし、
その人の現状の生きがい感、高い低い、上がってる下がってるとかも含めて、
それを理解できる方が、もちろん必要はないんだけど、
人間性の合う合わないみたいなのはその辺の方がたくさんあるような気もするし、
確かに双方向は双方向だね、そういうのはね。
なんかこれを読んでからさ、いろんなことを生きがいというか、
神谷さんが書いてる生きがいのいろんな要素から見つめるようになったんだけどさ、
例えば分かりやすく生きがい的なものが創出する人って、
21:01
さっきミイさんが出してくれた騎士の先生とかさ、将棋の騎士が騎士辞めた時とか、
もうちょっと若手で言うと、例えば小学校の2年生とかからずっと将棋のプロを目指してて、
26歳でダメですって言われちゃった人とか、
あれはスポーツ選手でさ、有名な話だけど、
アメリカンフットボールのNFLっていうリーグがあって、
それを辞めた後ってすごい割合の人が破産するんだよね。
年望何十億ともらってた人がみんな破産していくわけ。
そういうのも本人なりの生きがいの創出なのかなとかさ、
スポーツ系のニュースをたくさん見る機会があって思っててさ、
生きがい創出者の心の中って難しいものなんだろうなというのを感じる。
1週間くらいですね。
ちょっと思ったのは、スポーツをやってると、
生きがいに近い感覚をすごい実感しやすいんだなと思った。
1つの閉じられたゲームをプレイすることになるじゃない。
野球でもそうだし、サッカーでも、陸上でもなんでもそうなんだけど、
生きがいの方向性の全部がスポーツって実感できるのよ、たぶん。
やってる感も体を動かしてるからあるし、
上手くなってくから将来みたいなこともあるし、
相手がいるから反響っていう反応もあるし、
勝ちっていうものが定義されてるから意味もすごい忠実。
抽出しやすいし、
ゲームのある種のコマとして自分がプレイをするから、
自己実現ってことも分かりやすいみたいな。
生きがいを感じるのも失うのも、
スポーツやってた人の方が感濃度が高そうだなっていうのを
今三木さんと話しながら思ってた。
それは楽器とかだと明確な勝ち負けとかがあるわけじゃないから、
スポーツより勝ちたいってこと?
スポーツのほうがそのフィードバックの、
得たり失ったりのループがすごい短いから、
分かりやすいんだと思うんだよね。
あと逃げ道が、
音楽だとさ、
腕なくなっちゃうとかっていうのだと難しいけど、
例えばピアノが失われても、
代わりにフルートやりますとかバイオリンやりますみたいなのって、
ある程度行き先が分かりやすいじゃない?
スポーツって野球プロ選手がクビになったら、
次他のもので頑張りますとかってできないからさ、基本的には。
もちろんプロのバイオリンリストがプロのフルーティストになれるかというと、
そういうことはないとはもちろん思うけど、
スポーツ選手のほうが○○ガイってものに対する、
右往左往度というか、
反応度が高そうだなっていうのは、今なんか思ったかな。
高校生のそこそこ強い部活の子が膝怪我して、
24:05
もうサッカーができないって言って何ヶ月も泣くとかさ、
スポーツをやったことがない人からすると信じられないらしいんですよ。
別に勉強もやればいいじゃん、他のこともやればいいじゃないとか思うらしいんだけど、
その人がここからするとそういう世界に生きてるからさ、
みたいな世界の作り方みたいなことがギャップがあるんだな、
感じ方のギャップというか作り方のギャップが、
スポーツをやった人とやらない人の頭の構造に結構差があるんだなというのは、
どっちが優れてる優れてないとかそういう話じゃなく、
差があるっていうんだなっていうのは思うかもね。
本当にスポーツ全くやってないから全然わかんない。
スポーツって苦しいもの、苦しいって本当に楽しくないものっていうゲージしかないから。
まあでも概ね合ってるよ。
苦しいと思うもん、真剣にやると。
あとなんだっけ、どれだっけなあ。
これじゃなかったかもしれないけどなんか面白かったから紹介をすると、
最近みきさん読んでるかもしれないけど、
アンナコムネナっていう漫画を読んでまして。
なんか世界史の漫画?
そう、ビザンツ帝国っていう、
例えば11世紀かな。
11世紀から12世紀にかけて実在に存在をした皇女、皇帝の娘さんが主人公なんだけどさ、
その人の周りにいる人をみんな描いて楽しくやっていくっていう漫画ですと。
それを読んでてさ、本人は皇帝になりたいわけ、女の子なんだけど。
弟が長男でそいつが皇帝になることはある種決まってるんですよ。
みたいな中でその人なりの生き甲斐というか、人生をどう描くかみたいな話がさ、
出てきてさ、この女の子が超まっすぐなわけ。
12歳くらいなんだけど。
結婚した夫とかにボコボコ、それでいいのあなたみたいな。
やりたいならやらなきゃみたいなことをめっちゃ言うんだけどさ。
生き甲斐応援女みたいなやつってめっちゃいいなって思ったんだよね。
あんな小胸な。
しめい感ある人好きだから。
しめい一直線女最高っていう。
しめい一直線女超最高。
皇帝にもなりたいし、歴史家にもなりたいし、
歴史家と同じなのか、いい文が描けるようになりたいって書く訓練もしてるみたいな。
人でさ、なんか超いいなと思って。
で、描いた人も佐藤双葉さんっていう作家でもあるんだけど、俳優とか演出家もやってて、
27:04
俺初めて知ったけど、ザ・高円寺劇場創造アカデミー演出コース修了っていう人でさ、
この人は俳優演出家で、ICUを卒業して、
首都大東京、今の東京都立大だね。
そこの博士の前期課程を中退して、今いろいろやってらっしゃるんだけどさ、
すごいいい感じでさ、この人の感性超いいなと思って。
器用だね。役者も演出もできて、漫画描けるって。
今3巻まで出るんですけど、超いい感じなのでオススメです。
読んでみます。
ぜひ。
私はだからどういう人が好きなんだろう。
氏名一直線型じゃないとして、それを考えてみたくなりましたね。
ここまでいろんな本を読んで、勝手に第三者的に感じているところで言うと、
みきさん美学特攻型みたいな人の方がハマる感じがするね。
確かに漢字性型っていうか。
漢字性も高いっていうか、すぐ泣いちゃうとか、何にでも感動できるみたいな漢字性っていうかは、
自分なりの美学の軸があって、それを一定の形で受け取って表現する努力をしてみたいな、
変換プロセスが一定ありみたいなそういう美学系の人。
しかもそれが独特であれはあるほど良いみたいな。
良いってことでしょ。
私より行きづらそうな感じがするよね。
確かに道端に生えている草虫って、痛み物にして出してくれる人が良いっていうか、そういう人ですね。
今日一共感できなかったけど、なるほど、そういうことね。
美学な。
美学っていうか、天才派だみたいな人が好きかもですね。
天才派だね。
そうだよな。天才は本当に行きづらいからね。
私の理解できる範囲の天才派だから、本当の天才はたぶん理解できないと思うけど。
次の本何にしますか?
何にしようかね。超良い本だった、この生きがいについて。
あとやっぱりこのテーマ的に私絶対読まなかった。
読まなかった。
読まなかった。
読まなかった。
読まなかった。
あとやっぱりこのテーマ的に私絶対読まなかっただろうから、選ばなかったら。
一緒に読めてよかったです。
30:01
生きがい不足なことを自分で向き合えなかっただろうから、一緒に読まないと。
そんなことないと思うけどな。
何がいいかな。何系がいいかな。
どうしようかな。
できればちょっと古いビジネス書で、ピープルウェアっていう本があって。
ニンニクロが新しいライフマガジンではないと。
すげーぽい。
ですよね。
すげー、ピープルウェアありそう。
1987年の本なんですよ、確か。
ソフトウェア開発っていうものが、87年だからちょっとずつシステムというものが出てきたタイミング。
もちろんWindowsの95とかは数字からわかる通り出てきてないんだけど、ソフトウェアってものがだんだん出てくる中で。
結局ソフトウェアも人間が作るものだよねっていうところから、このソフトウェアのソフトの部分をピープルに変えてるっていうタイトルの本ですね。
ピープルウェアかな。
いいですね。
これにしましょう。ちょっと長いけど。
じゃあこれで。
よし、じゃあまたこれを読んでお話しましょうぞ。
じゃあ残りのゴールデンウィークも楽しく過ごしましょう。
お楽しみあれ。
31:39

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