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2023-05-16 24:13

生と向き合う:神谷美恵子"生きがいについて" #2

みきさん積ん読の1冊。

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「いったい私たちの毎日の生活を生きるかいあるように感じさせているものは何であろうか。ひとたび生きがいをうしなったら、どんなふうにしてまた新しい生きがいを見いだすのだろうか」


神谷美恵子はつねに苦しむひと、悲しむひとのそばにあろうとした。

本書は、ひとが生きていくことへの深いいとおしみと、たゆみない思索に支えられた、まさに生きた思想の結晶である。

1966年の初版以来、多くのひとを慰め力づけてきた永遠の名著に執筆当時の日記を付して贈る。

⁠Amazon⁠より

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話したこと

  • 生きがいを得た、失った体験はある?

  • 「張り合い」がしっくりくるみき、「手応え」がある感じが近いのぞみ

  • 使命感っていいよね

  • 欲求が「精神化」されることが生きがいの第一歩?

  • 応援されやすい生きがいとされづらい生きがいはあるよね…


Whisper要約

  • 2人の会話では、「生きがい」と「張り合い」という概念について話し合われていました。

  • 第1者にとって、生きがいを感じる瞬間はあまりなく、むしろ毎日を楽しく過ごしている実感があるといいます。過去を振り返れば、自由な生活を送れるようになれたことに満足感がある一方で、未来に期待感を持っているわけではないとのことです。

  • 一方、第2者は生きがいと張り合いを異なる概念と捉えています。第2者にとって、生きがいとは手ごたえのある生き生きとした状態を指し、張り合いとは自己充足感や生存充実感を重視する状態を指します。第1者の考える生きがいには張り合いが含まれないと考えています。

  • 第1者は使命感という概念を重要視していないと述べています。一方で、本の中では生きがいを感じている人はある程度使命感を持っているはずだと書かれていることから、生きがいと使命感は深く関係しているのかもしれないと考えられます。

00:11
Mikiさんが生き甲斐を感じる瞬間とか、あるいは感じていた時期、あるいは失っていた時期、疑ったタイミング、何かあったりするんですか?得た?失った?
どこにない。ない。 平坦に生きてきた気がする。
だから、実感もそんなにどこかって言われるとどうかなってなるし、失われたかって言われるとどうかなーってなるっていう感じ?
そうなんですよね。ただ、それなりに毎日楽しくやってるし、自由なこととかをすごい重んじてるから、自分努力で自分の選択肢を作ってきた実感みたいなのとかはあるから、そういうことができるようになって良かったなとかって振り返って満足することとかあるけど、なんか生き甲斐って感じじゃないなーとか。
うーん。
自己充足感はあるけど、なんかもうちょっと、それこそ未来に向けて、未来に開かれていることとか、それが自分の価値と紐づいていること、価値観と紐づいていることとかが生き甲斐には大事だって書いちゃって。
あと、生き甲斐っていう言葉が日本語だと張り合いみたいな風に言い換えてもいいっていう風に書いてあったかなと思って。その張り合いって言葉がすごいわかりやすいなって思った時に、別に私が好きな時に旅行に行けることとかって別に張り合いとかじゃないよなーみたいな。
うーん。
張り合いあるなーって感じではないかなーって思いながら読んでました。
うーん。
そうね。なんか序盤の方で生き甲斐と同じように張り合いって出てきて、私は逆に張り合いと生き甲斐って同じかと思って、でも私の中ではちょっと違う感じがするんですよ。
うんうんうんうん。
なんて言ったらいいんだろう。私の中でどっちかっていうと、ごたえみたいな生き甲斐と、生き甲斐って言葉がないんですけど、紙ごたえとか手ごたえとかあるじゃないですか。
はいはい。
手ごたえみたいな感じの方が私の中での生き甲斐イメージと合うんですよ。
はいはいはいはい。
よくコンサルタントの人とかが好きな手触り感のあるとかっていう表現あるじゃないですか。
うんうんうんうん。
私の中では生き甲斐のある状態ってことをイメージした時に浮かぶイメージとかそういうのがあるとすると、それは生きてる手ごたえがある感じとかなり近いんですよ。
あーなるほどねー。
別に私の中で生に張り合いがあるっていう状態は、生き甲斐と正直そんなに関係ねーなっていう感じが私の中ではしていて。
03:02
なるほど。
そう、この張り合いだけ私はどうかなーって思いながら歩んでたっすね。
でも例えばその生き甲斐の中の反響への欲求とか未来性への欲求とかを重んじるんだったら張り合いって感じがすると思うんですよね。
そうねー。確かに。
自己実現、自己充足感とか生存充実感とかそういうのを重視するんだったらその生き甲斐みたいな感じがするなーって思って。
あー確かにねー。
そうかもねー。
生き甲斐っていうか、まあ私の中でもまあまあいいんじゃないみたいな、なんかそういう手応えみたいな生き甲斐はあるけど張り合いがないなみたいな感じでした。
そうかー、なるほどね。
それは生き甲斐があるというのかどうかっていうのをミキさんとしてはこう覗かないようにしてるってこと?
結構その本、この本の中でもその使命感って言葉キーワードがすごい出てきて、やっぱり生き甲斐を感じている状態の人の心っていうのは何かしらの割合で使命感みたいなものが含まれてるはずだって書いてあったときに、特に使命感みたいなふうに思ってないですねって思ってるからそれ難しいことが今で感じてる。
ちょっと話ずれちゃうかもしれないですけど、その使命感っていうのが出てきたときに、ちょうどツイッターかなんかを見てたらサンテグジベルの夜間飛行を紹介してる人がいて、すごい私好きなんですよサンテグジベルの夜間飛行。
星野王子様より個人的には夜間飛行推しなんですけど。
昔人間の大地一緒に読みましたよね。
そうそう、人間の大地本人のエッセイで、その小説版が夜間飛行みたいな感じですよね。
なんか夜間飛行って、人間の大地もそうなんですけど、夜間飛行の方が使命感を絞り出すために書いてるみたいな感じがすげーして。
あそこに出てくる人って、使命感で生きてるみたいな、あるいは使命感を疑って悩んで生きるの苦しんでるみたいな人ばっかり出てくる小説だと個人的には思っていて。
もちろん故障して燃料切れて今から死んでいきますっていうパイロットもそうだし、リリエールっていう出てくる支配人がずっと最初から最後までいるんですけど、その人も自分がやっている仕事とは正しいんだろうかみたいなことを疑ったりいろいろしながら最後は自分の仕事に戻っていくっていう話なんですけど。
登場している誰の役も自分はできる気がしないわけですよ。
私の中にはあまり使命感感がないから。
使命感憧れはすごく個人的にあるんだなーって思ってていたら楽なんだ楽というか、生き甲斐なんだろうね。
06:06
使命感憧れが超強い使命感ない人なんだな自分はっていうのをこの生き甲斐の話とサンテクジュベルネア監視校のことを思い出しながら思ったんですね。
確かに。騎士もやたら好きですもんね。
ん?
騎士も好きですもんね。将棋の。
将棋の騎士好き。
ちょっと使命感とは違うかもしれないけど、やっぱりもうこれしか自分はできませんみたいな決まってる感じありますよね。
まあそうね。使命感そうだね。
映画でいうとアルマゲドンとかも超好きですもん。
ペッタペタなアメリカの雑誌使命感映画じゃないですか。
すみません見てません。
アルマゲドン?
エアロスミスをどういう気持ちで聞いてたの今まで。
エアロスミスは何かがすごい好きですよね。
アルマゲドンっていう映画自体は、
改めてここで話す話じゃないかもしれないけど、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
アルマゲドンっていう映画自体は、
すごいでかい隕石みたいなやつが、
地球にぶつかります。
レーダーミスってて、
超近くにいます。
外から核弾頭でバーンとぶつけて、
経路をずらしたり、
あるいは破壊することができないぐらいの大きさがあります。
NASAの超賢い人たちが考えたのは、
隕石に着陸して掘って、
中に核弾頭を埋め込んで、
中から爆発させられればいけます。
表面で爆竹バーンとやるんじゃなくて、
中からやれればいいじゃないですか。
いいアイディアだねと。
どうやって掘るの?ってなって、
テキサスで石油を掘っている、
石油掘削チームみたいな、
荒くれ者たちを宇宙に派遣して、
隕石の上で石油掘削のようなことをしてもらい、
最後、そこに核弾頭をバーンとぶち込むというミッションにしようぜ!
めっちゃいいアイディアやんけ!
というところから始まる映画なんですよ。
爆発らしい。
石油掘削のチームを一人一人リクルーティングに行って、
09:03
みんなに宇宙行くトレーニングさせて、
送り込んで、実際にこの星の上で掘るって問題があるんですけど、
使命感の話でしかないわけなんですよ。
このまま行くと地球がなくなります。
家族と楽しく地球で過ごしてもいいし、
すげえリスクあるけど行ってくれてもいいですよって言われて、
全然やる必要のない人たちがみんな、
行きます、行きます、行きます、お国のために、地球のために行きます、
みたいな話を受けようって言って、
最後、いろいろあって、主人公は星の上で死んじゃうんですけど、
ネドバレされた。
いや、超前の映画だから。
超前の映画。
毎回最後のシーンで、
十何回見てるんですけど、毎回最後号泣するんですよ。
お父さんが娘に衛星通信みたいなのをやるシーンで。
いろいろこう。
やっぱり使命感ある人好きですね。
使命感ある人好きだと思う。
でも多分リアルの世界でそういう使命感を持ってる人がいたら、
あんまり好きじゃない気がするから、難しいね。
苦しそうですもんね。
なんかくだらないじゃんとか思っちゃいそう。
地球救うくらいの使命感とかだったらいいんですけど、
この会社のためにとか、
使命感っぽいことを公約にして、
選挙活動してる政治家とか見てるとはーって思いますもんね。
全般的にちょっと使命感、取り扱いが難しい。
確かに確かに。
でもやっぱり心の使命感、そういう短期的な使命感というよりかは、
ずっと心に従えておくタイプの使命感というような感じもありますけどね。
そうね。
その使命感っていうと、
みきさんにも読んでる途中で送りましたけど、
バンドロン。
青の幻って書いて制限者っていうところから出てる。
バンドロンっていう本が私の中ではめちゃくちゃ良くて、
ほぼ日のウェブサイト上でも全部読めちゃうので、
どっかで後で音声上げる時にはリンク貼っておこうかなと思うんですけど、
ブルーハーツとかクロマニョンズのコウモトヒロトが最後に、
俺結局歌ってれば全部うまくいくんですよって言ってて、
この使命感のあり方すげー好きだなと思ったんですよ。
私の中ではそれも一つの使命感のあり方だなと言いましたと。
インタビューいろいろやってて、
いろいろやってみて最近やっと気づいたことがあって、
俺が歌ってると全部うまくいくんですよって言ってるんですよ。
超かっこいいじゃんと思って。
12:02
今日インタビュー会場があって椅子を揃えたりもしましたし、
いろいろ私やることあるんだけど歌ってると全部うまくいくんです。
なので僕歌いますって言ってて、
なんていい使命感のあり方なんだろうと思っていて、
それを読んでこの本に戻ってきて、
使命感っていうものを考えた時、
自分は何をしてるといろんなことがうまくいくんだろうっていうのを考えて、
もうちょっと触りやすくなりましたね。
生き甲斐というか使命感。
いいですね。
しかもそれ分かんないけど振り返った時に、
私はこの10年ぐらいはこれを作ってて、
この10年はこれをやってたの。
だからそのぐらいのことは言えるようになりたいって今。
こういうのを作ってる時、結局もろもろうまくいったんだよねって言えたらいいかもしれないですね。
これをやってた。
超よかったなぁ。
こうもとひろとのインタビュー。
そうね、前半はそんな生き甲斐、
ふむふむ、私あまりないですなぁって思いながら読んでる前半でした。
ミキさんが挙げてるこの精神化っていうキーワードは、
どこでどう抽出されたものなわけ?
精神化は…
精神化っていうのはあれですね。
病院の精神化とかじゃなくて、精神に…
化ける。
そうですね、精神に化けるって書いて精神化。
私やっぱり興味関心としてその人の美学みたいな、
その人だけしか気になってないかもしれない感覚みたいなものに興味が前々からあるなって思ってた時に、
そういう自分なりの美学を持ってみたいな内容のことを、
ここの課本では精神化っていう風に言葉で説明してるなって思って、
何でもご飯を食べて美味しいとか、疲れたら寝るとか、
そういう次元じゃなくて、
例えばご飯を食べるとかでも、
例えばですけど、
そういうシェフの価値観とか考えを理解して、
それごと食事っていうものをアートとして楽しむみたいなことまでできてれば、
それは物理的な世界から離れて精神的なものに行いになっているみたいな、
例えばね。
そうすると食事もただの食事じゃなくて、
食事を食べることが生き甲斐になるみたいな風に言ってもいい。
そういうような自分の精神の解釈を挟んで、
精神的な世界の価値の中に持ってくることっていうのを精神化って言ってるかなと思って、
私の解釈ではね。
だからそれが精神化ってシンプルでわかりやすい言葉だなと思って聞いてたって感じです。
人間の基本的生物学的な欲求が精神的なものに変化することっていうのを一義的には意味していると。
その欲求が精神世界全体に入り込んで、
15:01
そこにある他の欲求関連感情行為に結びついて、
精神生活に大きな場所を占めるようになることである。
だからさっき言ったご飯はただ万全と食べるとかじゃなくて、
シェフの思想であったり、自分なりの価値観を持ち込んで食べるとかでもいいですし、
TikTokも脳死で見るんじゃなくて、
ちゃんと自分なりにクリエイターのこだわりを理解したいという気持ちだったり、
もしくは自分もクリエイターであるとか、
そういった目線で見ればそれは多分精神化って言えるだろうし。
うーん。
脳死の反対みたいなイメージで。
なるほど、脳死の反対ね。
それはすごく今よくわかったな。
脳死の反対か。
そう、っていうのをシンプルで分かりやすいことだなと思って。
ふむふむと思った。
なんかあれだね、前後の文章を読んでみると、
精神化っていうところの近くに社会化って言葉も出てくるんだね。
あ、そうね。
社会化っていうことは、
いろんな人と心を通わせたり、
多くの人のために生きよう、あるいは活動しようって思うこと。
だからそれは精神の働きってことが当然必要で同時に起こってるから、
社会化と精神化ってことは、
同時に起きないとありえないよねということを言ってるってことか。
そうですね。
例で美味しいものいっぱい食べて酒に飲まれて楽しいから、
私は毎日お酒を飲むことが私の生き甲斐ですとかは、
違うっていうことだと思うんですよ、簡単に言うと。
なるほどね。
それは自分の快不快の浅い部分で、
それ以上考えるのはやめてるだけですっていう。
精神的なものになってないと思うんですよ、別に。
生物学的な要求が留まってると思う。
この60年前の本じゃないですか、
すごく難しいなと思うのは、
世の中だいたい生きづらいじゃないですか。
大変だなって思うことがあった時に、
この生き甲斐みたいなことを実感しようと思うと、
さっきの社会化とか、いろんなものと結びついていく精神化みたいなものが、
多分ある必要なんだろうなと思う。
一方で、そういうことから一線引いて、
個人として自分のことを大事に生きていこうよっていうのもある流れじゃない?
もちろんこの2つって全然両立し得るじゃんっていう論説は全然可能なんだけど、
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両方をうまくバランスさせるの結構難しいなというふうに思っていて、
この本の中でも、他人とか社会ってことを、
ある種前提にするというか、関わる中での生き甲斐っていう話になると思うんだけど、
そんなものなくても、個人で閉じて冷静にやっていきましょうよ、メディテーションみたいな、
そういうのもあるじゃない?
私個人的にはこの生き甲斐を求めるとかよりも、
一人で心地よくみたいなやつの方が流行りなんだろうなっていうのを、
たぶんうっすら読んでる時に感じていて、
みきさんの精神科の話を聞いて改めてそう思った。
ぶっちゃけずっと脳死しているのを全然ハッピーじゃんっていう人もいるわけじゃない。
私脳死コンテンツ溢れてるし増えてますからね。
難しい時代だね。
でもそこで生き甲斐のどの欲求でしょうって置くからと思うんですけど、
生き甲斐か自分の世界を作るみたいな特徴を持つっていうことも書いてあったかなって思って。
そう、生き甲斐感っていうのは、
その人独自の心の世界を作るものだって言ってて、
だから脳死コンテンツをずっと摂取しているだけだと、
自分がどういう表現をしたい人なのかっていうことは分からなくて、
でもみんな誰だし、自分なりの表現スタイルみたいなのは本当はあるはずと思うから、
みんなの表現がもっとやりやすい時代になったらいいなとか思う意味で、
生き甲斐みたいなものをもう一回みんなで考えるっていうのは、
すごい良いアプローチなんだろうなと思ったりしました。
考えなくていいじゃんみたいな流れだけど、
でも一緒にしようとか、一旦脳死でTikTok見てボーっとしようとかも、
その後に復活というか、自分なりの表現みたいなののターンが来るって思ってるから。
へー、面白い、なるほど。
それは考えたことがなかったな。
今考えてみたいなと思ったのは、
生き甲斐を共有するってどれくらいできると思う?
例えば私がとある生き甲斐を持ったとするじゃない。
これが生き甲斐だな、生き甲斐感を持ったとするじゃない。
生き甲斐の対象物と生き甲斐感を持ったとして。
これってどれくらい渡せるのかな?
渡せるというのは表現ができるのかな?
それは人にわかるような表現じゃなくてもいいと思ってて、
自分なりでいいんじゃない?自分なりの世界でいいんじゃない?
それが人と比べるものでもないし。
それはそうだんだと思うんだよね。
21:01
閉じてて全然いいじゃない?勝手に感じてる分にはいいと思ってて。
どれくらいできるものかって言われたら、
人によって誰でも理解できるように表現、説明することができる人がいれば、
本当に自分だけに閉じてる人がいるんだろうなと。
それがわかりやすい、伝えやすい生き甲斐の人は生きやすいだろうね。
生きやすいというのは生きていくのが楽だろうね。
応援されやすい生き甲斐ってあるじゃない?応援されにくい生き甲斐って。
応援されにくい生き甲斐はあって、本当はそこに優劣とかないんだけど、
応援されやすい生き甲斐はあると思う。
あるよね。
例えばこのハンセン病、来病の患者の人の中でも、
工房みたいなところで器を作って、
自分の思う色になった時の喜びはかけがえなかったですって言ってるけど、
その人が作るうちに器って、趣味の息を出ない話だから。
そうだよね。
それと職業の器の作家さんと、作品としてどっちに値段がつくかは明らかだけど、
そこに本当は優劣はないというか。
そうだよね。
さっきの、世界を救うために隕石爆破してきますっていう、ある瞬間の生き甲斐の人は凄い共感得られやすいけど、
私、こういう色味がある器を作りたいんですよ。
買ってみてくださいってなっちゃうもんね。
同じじゃんみたいな生き甲斐としては同じっていうか。
そうだよね。
自分の心の世界を作ることに寄与してたら、そうやって生きることがいいところから。
そうだろうな。
そうだよな。
誰かに話せるような生き甲斐を見つけることは一生なさそうだな。
うん。
私、話さなくていいと思うんですけどね。
必要があるかないかで言うと、大概のものはないからね。
うん。
そうだよな。
それこそ神谷美穂さんなんてさ、自分が思っていることをさ、こうやって色んな人の知恵を借りたり、色んな書籍とか色んな人とか、
自分の過去の経験とか色んなのを借りて、こうやってまとめて本にすることとかがまさに生き甲斐って感じで、
それってめちゃくちゃ世の中役に立ってて、本はその時代のベスト世代になったりとかしてて、めちゃくちゃ応援されやすい生き甲斐を持ってて。
まあそうだね。
そういうふうに言ったらなんか生きづらく感じるのかもね。なんかちょっとうってなるのかもなとか今思いました。
そりゃこういう本を書いている、対象としている本がそういう本で書いた人は当然そういう人だもんね。
うん。
そりゃそうだよな。なんかろくでもない本とか読みたいもんな。
うんうん。
こういうのを書いている人は大抵すごい人だからさ。
24:00
うん。
そうだよね。そうだよ。
24:13

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